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416 侵入の事

 薬術師(やくじゅつし)の家を後にした在仁(ありひと)たちは、みよを須磨に送り届けてから、救済院調査のための作戦会議を行った。

みよは名残惜しい顔をしたものの、何も言わずに別れた。自らの過ちを自覚しているため、足手まといになる事を避けるためだろう。だが、在仁がみよを置いて来たのは、危険かも知れないからだ。

みよのお陰で薬術師から救済院について聞き出す事が出来、更に期せずして救済院の見取り図を手に入れた。それだけでもみよのお手柄だ。みよが居なければ、薬術師は心を開かず、紫微星(しびせい)様に対して責任を持てない不用意な醜聞を口にしなかっただろう。

 そして、その見取り図を頼りに、救済院に侵入する事になった。最初から救済院の中を見たいと言っていた在仁は、すぐにでもとしたため、今日このまま作戦決行となった。こっそりと忍び込むために、全員で全身黒ずくめに着替えたのは、さながら泥棒のようだ。

 準備を整え終えた午後。改めて救済院へ向かったメンバーは在仁・茉莉(まつり)北辰(ほくしん)隊武士勢・青藍(せいらん)だ。ちなみに惟継(これつぐ)には救済院の運営母体を調べて欲しいと連絡をしておいた。

 まず隠密活動に向かない巨体の佐長(すけなが)と、こそこそ出来ない(すばる)は、外回りの調査と退路の確保係。青藍も敷地外側から、怪しい術が使用されていないか調査するための要員だ。

 建物内に侵入するのは残りの六人。在仁と茉莉と(あずま)は一緒に、その他三人はそれぞれに散って、施設内を調べる。調べると言っても、見て回るだけだ。侵入の痕跡は残してはならない。制限時間は二時間で、何があっても必ず二時間で切り上げると言う約束の元、在仁の作戦参加が認められた。

 そしていざ、救済院の中へ。

在仁はもちろん、武士たちも気配を消すのはお手の物。予めの作戦通りに、足音も立てずに散って行った。

 在仁たちは階上の病室から。その他三人は、バックヤードを中心にエリア分担した。

 人目を忍んで裏口から入って、薄暗い階段を上って行く。先頭から東、在仁、茉莉の順だ。茉莉は後ろからついて行きながら、二人の黒ずくめ姿を面白がった。

 「悪者みたいね。」

 「まぁ、不法侵入だから…。」

 ある意味では悪者と言えるかも知れない。在仁は自嘲して、小さく吐息で笑った。

 最初は、何者かのフリをして正面から訪ねて内部に入る事を考えていた。けれど、薬術師の話を聞いて、それは難しいと分かった。この救済院に、不特定多数の人の出入りが無いのだ。患者の名も知らず見舞人のフリをするのは無理がある。人探しと言う演技は可能でも、悪目立ちして変に印象に残るのは避けたい。そうなると、結局忍び込むしかなかった。

強引な調査方法を選択する程、この救済院に確実な容疑は無い。ただ怪しいと言うだけであるから、非合法な手段で調べるのは、濡れ衣を着せようとしているようでもあって、少々据わりが悪い。

 「ここを調べようと思ったら、この方法しかないわよ。」

 東がこそっと言った時、最上階に着いた。三階だ。三階建てと言っても、一般的な小学校よりも小さい建物であるから、広く無い。階段からフロアの気配を探って、東がOKの合図。そのまま静かに廊下に出た。

 窓を閉め切った廊下には、鼻につく異臭がした。生活臭が腐ったような臭いだ。とても病院とは思えない不衛生な臭いに、三人ともが顔をしかめた。顔を隠すためのマスクの上からでも感じる臭いに、茉莉は鼻を押さえて訊いた。

 「静か過ぎない?本当に人がいるの?」

 「いるよ。気配が沢山ある。でも、起きてる人はいないかも。」

生きてる人はいないかも、の間違いでは。死体の臭いじゃないよね、と問うような目の茉莉に、在仁は首を振った。

 そして、こそこそと話しながら近くの病室に入った。

 室内は更に悪臭。しかも籠った空気は冷えていて、空調が無いのが分かった。やはり病院とは呼べない環境だ。

中で活動している人間の気配はない。在仁は部屋の中を見まわした。狭い部屋に、ベッドがぎゅうぎゅうに並んでいて、患者は死んだように眠っている。昏睡者だ。

 「こんなに…。」

 昏睡者は治療法が見つかっているので、本来ならば目を覚まして社会復帰を目指しているはずだ。なのに、ここにはまだこんなにも昏睡者がいる。それは受けるべき治療を受けさせず、放置しているように思える。

 「狭いね。」

 「病室にこんなにベッドを詰めたら、医療器具が入らない。これじゃあ治療すら出来ないよ。」

部屋に病院らしいものは何もない。ベッド同士を仕切るカーテンも無い。ただ押し込められたベッドと患者。治療する気が無いと分かる。

東は一番近くのベッドを見下ろした。

 「掃除も、してるとは思えないわね。」

シーツや布団は去る事ながら、衣服も替えているとは思えない。そもそも、誰かが世話をしているのか疑問だ。

 「…墓場。」

薬術師は、この救済院が「墓場」と呼ばれていると言った。

確かに、これでは墓場かも知れない。ただ死ぬためだけに運ばれてきた、そんな惨状だ。

 直視するのも辛くなるような、非人道的な環境を前に、出来る事は無い。今日はただ様子を見に来ただけで、痕跡を残さずに去らねばならない。だから、今目の前にいる患者に、手を差し伸べる事は出来ない。在仁は、それが何より辛かった。

 「どの部屋にも、清浄機が無いわね。」

 東の指摘に、茉莉がはっとした。

 「そっか。在仁の指示で、地龍の全病院には清浄機があるはず。何で無いんだろ。他の設備はお金が無くて買えなくても、清浄機はタダでしょ?」

 「清浄機があるのは地龍の全病院よ。ないって事は、ここは病院として認可されてないって事だわ。やっぱり、ここの運営母体は闇ね。」

どの病室を見ても、医療器具のひとつも無い。そして、あるはずの清浄機が無い。それは、この救済院が病院では無い証拠だ。

 「救済院は慈善と言えど、医療費を無料には出来ません。運営母体の多くが地域を統治する御家門様でございますから、それ程の財源など、あろうはずがございません。どちらの救済院も、医療費が多少お安いくらいが限界でございます。病院としての責任がございますから、受け入れておられる患者様も、身元の確かな御方のみ。かつ、お支払い能力がございます事は、大前提でございましょう。」

 「だって言うのに、この救済院の患者は、どこを見ても、助かる見込みも、支払い能力も無い者ばかり。」

 「超慈善団体って事?」

茉莉が問うと、東が心底嫌そうに言った。

 「この環境が慈善だったら、慈善って言葉の意味が変わるわね。」

 医療費無料で、終末患者を無尽蔵に受け入れますなんて、超慈善活動なのか知らないが、この救済院は患者を収容して放置しているだけだ。ここに入れられた患者はさながら罪人のようだ。これが慈善であるはずが無い。

 三階の病室をあっという間に見て回り、階下へ。

ここまで誰にも会わない。病院スタッフにも、見舞い人にも。お化け屋敷みたいだと言う感想は、あながち間違っていない。無人病院のような状況には、不気味な静寂。

 二階に降りると、また気配を忍びつつ病室を回った。三階と全く同じ状況の部屋には、押し込められた物言わぬ病人たち。それは何かを待っているようでもある。在仁は、待っているのが死なのではと思うと、ゾクっとした。

 「ひたすらに受け入れた患者を、こうやって放置して、それでどうするって言うのかしらね。」

 「死ぬまでほっとくんじゃないですか?」

茉莉が酷い事をさらっと言うのを聞いて、在仁は難しい顔をした。

 「地龍の民は頑健だ。昏睡者になったからって、放っておいてもそう簡単に死なない。緩やかに死を待つ時間は、相当に長いはずだよ。そのサイクルと、この救済院の患者受け入れサイクルは、帳尻が合わない。薬術師様がおっしゃるペースで患者を受け入れていたら、こんな小さな建物はあっという間にパンクするよ。やっぱり、おかしい。」

 「おかしいって、患者さんがどっかに消えちゃったって事?」

 患者が消える、そう言ったのも薬術師だった。隣の薬屋から、この救済院を監視しているのだ。

 「薬術師様は入って来られる患者はご覧になっても、出て行かれる患者はご覧になっていない。だから消えたように思われたんだ。」

 「生きて出るなら退院だし、死んだなら葬儀屋でしょ。絶対に出て行くのを見るはずよ。たまたま見逃したって事かしら。」

東が廊下に出て、周囲の気配に注意をしてから先を歩き出した。

 「いいえ。薬術師様がこちらを監視なさっておられるのは、昼間だけ。おそらく、夜間に患者を運び出しておられるのでございましょう。」

患者が救済院から出ていくのは夜。まさか夜に退院すまい。死んだとしても、誰も彼も夜間とはおかしな話。となれば、救済院側が患者を運び出しているとしか考えられない。

 「そっか。なら、侵入するのは夜の方が良かったね。」

茉莉が時計を見た。リミットは夕刻五時前であるから、丁度日没頃だ。怪しいのが夜間であれば、リミットの後にこそ何かあるのでは。けれど、リミットは絶対だ。

 「駄目よ。それこそ許可出来ない。もし夜間の調査が必要なら、綿毛ちゃんは抜きでやるわ。」

 「…そんな…。」

そんなに邪険にしなくても良いではないか。在仁のがっくりした肩を、茉莉がポンポンと叩いて励ました。

 そこに、階下から足音がした。

 誰か来た。

 在仁たちは急いで近くの病室に入った。この救済院には何も無さ過ぎて、隠れる場所も無い。仕方なく、ベッドの下に潜り込んで、気配を忍んだ。

 三人で息を潜めて、近付いて来る気配を読むと、気配は二人だ。廊下から小さなボソボソとした話し声がするが、マスクをしているのか、くぐもっていてよく聞き取れない。

在仁は呼吸を止めて耳を澄ませたが、声が男女である事しか分からなかった。

 焦れながら気配に集中していると、在仁たちが潜んでいる病室に入ってきた。

 茉莉が緊張した顔になったのが見えて、在仁は手を握った。東は警戒して、臨戦態勢だ。これは侵入作戦であるから、見つかったら全力で逃げるしかない。逃走時に出来るだけ正体を探らせないように、全員で同じ黒ずくめにしたのだ。北辰隊の白とのギャップが激しくて、まさか紫微星様だとはバレないはずだ。三人は、顔を見られないように、マスクの位置を整えた。

 ベッドの下から、入ってきた人物の足が見えた。男がサンダルで、女がスニーカーだ。

 「こいつらは、いつ入荷した分だ?」

 「先週です。三階から先に出荷してください。もう、限界なので。」

女の言う「限界」とは、生きた人間を置いておく環境としての限界ではないだろうか。さっき三階を見て来た在仁たちは、確かに限界だと思った。

しかし、「入荷」や「出荷」とはどういう表現だろうか。まるで物のような扱いではないか。いや、それよりも「出荷」と言う言葉に、在仁はドキっとした。やはり、患者はどこか外に運ばれているのだと想像できる。

 思わぬ重要な会話に、在仁たちが更に緊張した。もっと具体的に話せ、と念じながら耳を澄ませていると、男が言った。

 「今週はあと何人受け入れできそうだ?」

 「昏睡者の覚醒により、受け入れ要請が減っています。今週は病院からの受け入れ要請はありません。」

救済院が需要爆発したのは、戦時下だったからだ。被害者は後を絶たず、重篤な怪我人や昏睡者などは増え続けた。だが、その戦も既に終わって一年半が経過する。当然、救済院へ送られる患者は減るはずだ。特に昏睡者はもういないのだから、その分だけでも大きい。

その事実を、とても残念そうに嘆息した男は、面倒くさそうに言った。

 「…そうか。では別のルートを確保するか。」

 「ですが、ここ最近は運営のための費用が絶たれてしまいましたので、こちらの受け入れ自体に限界があるかと。」

別ルート?運営のための費用が絶たれた?在仁が脳内に言葉をメモしていると、ポロっと何かが床に落ち、ベッドの下の方へ転がって来た

ボールペンだ。話している男女のどちらかが落としたのだろう。ボールペンは在仁たちの目の前にある。拾うために屈んだ時、ベッドの下にいる事がバレるかもしれない。在仁たちは息を止めて、ボールペンを凝視した。

 「あれ?ボールペン知らないか?」

 「落としたのでは?ああ、これですか?」

女の手が伸びて、ボールペンを拾おうとした。けれど同時に男も手を伸ばした。屈んで拾おうとした手には書類を持ったままだ。女がボールペンを拾ってやり、その手に押し付けたのが見えた。目の前で行われているやりとりに、心臓が止まりそうな程に緊張する。早く拾って立ち上がって欲しいと思うが、そういう時に限って屈んだ姿勢でもたもたするのだ。

もういつ見つかってもおかしくない。あと少し屈んで視線をずらせば、ベッドの下にいる在仁たちに気付くだろう。

 男は手がふさがっているのか、ボールペンのクリップを書類に挟んだ。その時、その書類がちらっと覗いた。

 そこにあったものを見て、茉莉が息を飲んだ。在仁も同じ気持ちだったが、茉莉が声を漏らしそうになったので、慌てて茉莉の口を押えた。見つかったかと思った東が、抜刀する寸前で動きを止めた。

 男女はそれに気付かず、すっと立ち上がった。

 「仕方ない。また美容でもやって持たせるか…。」

 「司法局に嗅ぎつかれては元も子もありません。あまり派手な事はすべきではないかと。」

 「司法局か。デカい顔しやがって、邪魔なばかりだな。宇治山(うじやま)(こう)の名前も使えなくなったし、やり方を変えないと返って危険か。」

 「後で訴えられては事ですから。くれぐれも慎重にしてください。」

 「とは言え、翡翠(ひすい)様の御目覚めまでには、何とかせねば…。」

 男の声が遠ざかったのは、病室を出て行ったからだ。扉が閉じられて、会話は聞き取れなくなった。二つの気配が徐々に遠ざかって行くのを感じながら、一応もうしばらくベッドの下で耐えた。

そうして、完全に気配が無くなってから、そっとベッドの下から出た。

 「見た?」

東が問うたのは、先程の書類だ。

 「見ました。あれって、晦冥(かいめい)教のマークでしたよね?」

 茉莉が興奮気味に言った。そう、先程の男が持っていた書類には、梟のマークがあった。晦冥教のマークだ。

 「まさか、ここの運営母体は、晦冥教なのでございましょうか?」

 見間違いかと思ったが、三人ともがそう見えたと言うのだから、間違いない。

 在仁は、思わぬ所で晦冥教と繋がってしまったと思った。

 「時間よ。行きましょ。」

 制限時間だ。外はもう日暮れ。この不気味な病院に夜の帳が下りる。

 在仁は、何も知らずに眠る患者を助けられない事を悔しく思いながら、その場を後にしたのだった。



 「いい加減にして貰えませんか?」

いつになくストレートに不機嫌を表現する(みさご)に、在仁は「あちゃー」と思った。

 救済院が晦冥教案件と分かった事により、在仁は漸く鶚に連絡をしたのだ。

侵入作戦を終え戻ったのは平家本家で、惟継も合流して情報共有をした。そしていつも通りホットラインで連絡すると、すっとんで来てくれた鶚に感謝。だが、ここまでの経緯を説明する内に、どんどん不機嫌に。

 「その毒の仕込まれた文が見つかった地点で、どうして通報しないのですか?」

ここん所、声をかけるのが遅いんじゃないの?という鶚の不満に、在仁は苦笑した。笑って誤魔化すしかない。

 「いやぁ…。紅様が、事件化も荒事も望まれないとおっしゃるので。」

毒をくらった惟継は、自ら宇治山家を血祭りにあげたい所存だった。でも紅は毒の完成度に惚れ込んでしまって、内々に調査する事を選んだ。当事者でもない在仁には決定権がなく、毒殺の標的である紅の意向を尊重する形で、密かに調べを進めていたのだ。

 「…その樫木(かしき)みよと言う女性については、紅殿が不問になさると言うならば、致し方ありません。毒殺未遂の事実は無く、宇治山家の結婚詐欺の事実も無い。それで良いのでしょう?」

良いのでしょう?という声が怒っている。

 「まぁ、それらは紅様のご一存次第で、どうとでもなりますので…。」

毒の文は紅が持っている。処分されたら証拠はない。結婚詐欺も、紅が自分で認めた結婚だと一言言えば詐欺ではなくなる。全部、紅の気持ち次第だ。在仁にはどうしようもない。鶚もそこまでは理解したし、譲歩した。けれど、そこからは看過できない。

 「どうして美容詐欺について調べると決めた時、頼って下さらないのです?」

 「…いえ、まだ手がかりが無く。もう少し確かな方針が見えてから…。」

 「それを見付けるのは、こちらの仕事です。」

 「…ご、御尤も。」

犯罪者を捕まえるのも、そのための捜査方針を決めるのも司法局の仕事だ。

 「勝手に怪しげな救済院の内部調査に参られるなど、御身に何かあったらどうするのですか。」

 俺の心配してるの?と思ったのは、不法侵入を咎められると思ったからだ。在仁は鶚の怒りが、在仁を思う故だと気付いて、ぺこっと頭を下げた。

 「申し訳ございません。犯人を捕まえる事に夢中で、気が急きました。」

 「まぁ良いです。こうして呼んで下さったので。でも、晦冥教案件が発覚せずとも、相談して欲しかったですよ。私の立場や手柄の為では無く、紫微星様を慕う身として。」

 「あ、ありがとうございます。」

在仁が鶚に感謝を伝えると、隣にいた茉莉が不遜に笑った。

 「別に、私がいれば在仁を守れるけどね。」

何で鶚にマウント取った?在仁は意味不明な茉莉を見たが、美しかったので何も言えなかった。何をしていても美しいな、そう思っていると、鶚が咳払い。その声ではっとして現実に戻った。

 「で、その救済院が晦冥教の施設だとすれば、消える患者と言うのは、呪術の贄だと言う事ですか?」

 あの救済院が晦冥教の一部とすると、これまで耳にした不気味なアレコレに説明がつく。

 回復の見込みも無く、支払い能力も無い、見捨てられた患者ばかりをたくさん受け入れていた事。施設のキャパに見合わない患者数の受け入れに、患者が消えると言われていた事。それは慈善の看取りではなく、贄を集めていたのだとすれば、「入荷」「出荷」という言葉とも符合する。つまり、あの救済院は呪術の贄を集めるための施設なのだ。患者は、呪術の贄にしてしまっても、誰も探さないような者が望ましいと。

 「俺はそう思いました。あの救済院にはまだ沢山の患者がおります。おそらく夜間に運び出しているはずでございます。夜間の張り込みをなさり、運び出した先を追跡なされば、呪術工房が見つかりましょう。」

 「分かりました。すぐに手配を。しかし、そうすると救済院を運営する上層部を捕まえるのは難しいかも知れませんね。」

運営母体が晦冥教ならば、指示を出している者があるはず。呪術工房と救済院を押さえる事で、そちらは逃げてしまうかも知れない。鶚が腕を組むと、東が言った。

 「最近になって運営費が絶たれたって言ってたわ。それって、山梔子(くちなし)家と(つるばみ)家の財の事なんじゃないの?」

山梔子家の事件で、佳代(かよ)が晦冥教運営資金として大量に貯めていた財が押収された。もしあれの使い道の一つが、救済院の運営費だとすれば、最近になって運営費が絶たれた事実とも噛み合う。

 「なるほど。つまり、運営上層部と言うのは佳代、もしくは蜻蛉(かげろう)か。」

 「翡翠様って言葉もあったわ。蜻蛉が指示してやらせていたのかも。」

 「となれば、出来れば翡翠眼を見付けたい所ですが、慎重にして泳がせる余裕はありませんね。」

蜻蛉はまだ眠っているのか。どちらにしろ、翡翠眼さえ押さえれば勝ったようなものだ。鶚はそう思うものの、山梔子家の時のように囲い込んで策を弄している内に、救済院の患者がどんどん贄にされてしまう。それを見過ごす事など、出来るはずが無い。

 「そうと分かったら、もう一人たりとも犠牲にはさせません。」

 本当は今すぐに救済院を押さえて、全患者を救出したいが、呪術工房を見付けるまでは耐えねばなるまい。工房では呪術札が製造されているかも知れない。そちらの被害も食い止めねばならないのだ。

 鶚の決意に、在仁が冷静に言った。

 「男は、「また美容でもやって持たせる」とおっしゃいました。それは、美容詐欺をなさって運営費に充てると言う意味では、ございませんでしょうか。」

 「ああ、言ってた、言ってた。もう紅様の名前使えないとか何とか。じゃあ、あの男が美容詐欺犯?」

 「かも。美容詐欺自体が救済院の運営資金稼ぎだとすれば、救済院内で行われていたのに、闇に伏されたのも頷ける。」

 「でも、救済院にはお金の無い人しかいないんでしょ?詐欺のカモなんかいないじゃん。」

 「そうだね。ですから、日下(くさか)様。五年前にみよ様と同じような美容詐欺に遭われた御方が、他にもおられるはずでございます。美容にお金をかけられる女性でございますから、おそらく御身分の高い御方でございましょう。」

みよのような少女から大切な小遣いをせしめても、運営費になどならない。相手にするならブルジョアでなければ。

 「周囲を張り込みつつ、救済院の構成員を調べましょう。その男の正体が分かれば、詐欺被害者も見つかるかも知れません。何か手がかりがあれば、御提出ください。」

これで、美容詐欺犯と呪術工房を一網打尽に出来る。鶚が目を光らせると、茉莉がはっとした。

 「手がかり…あ、あるある。おみよ様が、詐欺師と交わした同意書の控えを持っているはずよ。」

 「なるほど。それは重要な証拠ですね。一度、そのみよ殿にもお話を伺わねばなりませんね。」

ギラっとした目は、みよを殺人未遂犯だと忘れていないぞ、と言っているように見えた。

 「いじめないでくださいませ。」

 「もちろんです。」

 どうだろう。在仁は、鶚の猛禽のような目を、懐疑的に見たのだった。

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