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415 救済院の事

 翌日。在仁(ありひと)たちは再び、例の薬術師(やくじゅつし)を訪ねる事になった。

 先日と同じく、惟継(これつぐ)がアポを取ってくれた。今日の面子は、在仁・茉莉(まつり)北辰(ほくしん)隊武士勢・みよ。惟継(これつぐ)宇治山(うじやま)家対応に行っている。また何かあれば連絡を、と言っていた。

 みよは昨日から須磨の(こう)の家に滞在する事になった。流れで勝手に宇治山家を出て来てしまったみよは、宇治山家の反感を不安視したが、何も言わなかった。私物も持たず着の身着のまま来てしまった事も、何も言わなかった。仮にも夫婦とは言え、男女が一つ屋根の下で暮らす事にも、何も言わなかった。おそらく人違いで紅を殺そうとした事を恥じているのだ。もしかしたら須磨で紅に虐げられても、それが罰と受け入れて何も言わないのかも知れない。在仁は、みよの気持ちを想像して、それは誤解なんだ、と伝えたくなった。

 一夜明けたみよは、昨日と変わらぬ様子。いや、昨日よりも落ち着いていて顔色も良い。もちろん、紅が消したあざは綺麗に無くなっていて、可愛らしい顔立ちがはっきりと見えた。紅があの時「なかなかの容姿」と言った通り、器量良しだ。紅に美醜感覚があった事自体が驚きだが。

 「おみよ様、紅様の御家は如何でございますか?紅様は長く御一人で暮らして参られました。それに、あの通りの変人でございますから、女性と生活なさる事を深くはお考えではございませんでしょう。何かご不便がございましても、それは紅様の悪意ではございません。どうか、素直におっしゃって下さいませね。思われました事を、ハッキリと申し上げねば、分からぬ御人でございますから。」

 紅は無礼なタイプだが、他意は無いのだ。自分がする分、人に礼儀を求めない。むしろ主旨だけを簡潔に言って欲しいのだから、気遣いは無用だ。在仁が長い付き合いで分かっている事を伝えると、みよが返答する前に、茉莉が笑った。

 「在仁って紅様に散々お世話になってるのに、酷い評価だよね。」

 「確かに俺は紅様にたいへんお世話になっているけど、その分よりも遥かに貢献しているつもりだよ。俺には言う権利がある。紅様は変人で、ヤバい御人なんだ。」

紅には命を救われているが、何回も命懸けの禁術を強いられている。経緯を紐解くとお互い様とは言え、危険度で評価すれば在仁の方がハイリスクだった。失敗しても紅は痛くもかゆくもなかったが、在仁が失敗したら確実に死んでいたのだから。色々と釣り合わないだろう、と思う在仁は、紅にだけは言いたい放題言わせて貰うつもりだ。どうせ何を言ってもシカトされるだけだ。

在仁の主張に笑ったのは、みよだった。

 「ふふ…、何ですか、それ。紅様は地龍を救った凄い御方なのでは無いのですか?」

 「それはそれ、これはこれ、でございますよ。おみよ様にも、いずれお分かりになりましょう。」

 「大丈夫よ、おみよ様。紅様、良い人だから。」

一応茉莉がフォローすると、みよは控えめな笑顔で頷いた。

 「ええ。分かっております。昨夜、紅様は私に、折角育てた毒膿葵(どくのうあおい)は枯れてしまうだろうと謝ってくださいました。優しい人です。」

 「えっと…それって紅様を殺すために育ててたんだよ…ね?」

みよが受け取った紅の優しさが、全然理解できない。茉莉の戸惑いに、みよは気丈に振舞った。

 「それに、紅様は私の恩人です。」

人違いで毒殺しようとしたのに、許してくれた上、宇治山家から救い出してくれた、という意味だろうか。

 「ご恩に感じられるのも、如何でございましょうね。紅様は有能な助手を欲しておられたのみでございますので。」

利害が一致しただけだ。そこに恩を感じる必要はない。

在仁がとことん紅に対して冷たい事を言うのは、些か不自然。皆が見れば、在仁の笑みは優しくみよを守るように見えた。みよに気負わせぬように、そうしているのだ。

 そうして歩いていくと、薬屋に辿り着いた。


 ◆


 みよが薬屋の扉を開くと、中から薬術師が飛び出してきて、みよを抱擁した。

 「おみよちゃん!」

ふくよかな薬術師の体に包まれたみよは、びっくりしたが、すぐに抱きしめ返した。

 「すみません。何のご挨拶もせず。」

 「本当よ。本当に心配したんだから。結婚したらしいって聞いたけど、それ以外の事は何も分からないし。あざの事を思ったら、まともな嫁ぎ先じゃないんじゃないかって。虐められているんじゃないかって。」

ある日突然、薬草の納品係が樫木(かしき)家の使用人になってしまった事で、薬術師はみよと会えなくなってしまった。使用人はみよの結婚をほのめかすだけで、何も話さない。薬術師の中で想像だけが広がっていた。心からみよを案じていたのだ。

 その温かさを感じて、みよは今まで素気無い態度で接して来た事が、随分と薄情に思えた。

 薬術師はみよを抱きしめたまま、はっとした。みよの後ろの扉に、在仁たちが立って待っている。それに気付いた薬術師が、慌ててみよを離した。

 「ご、ごめんなさいね。おみよちゃんに会えて嬉しくって。どうぞ、中に入って下さい。おみよちゃんも、今日はお茶をして行ってくれるわね?」

 「はい。今日はおつかいじゃないので。」

冗談めかして言ったみよの微笑みに、薬術師はびっくりした。

 「おみよちゃん。その顔。あの大きなあざはどうしたの?」

美容詐欺に遭って負った酷いあざが無くなっているではないか。薬術師の驚きに、みよは複雑そうに笑った。

 「とある御人に、治して頂きました。」

 「そう…良かったわね。」

 「…ええ、本当に。」

小さな声で同意するみよには、あざが無くなった事を手放しで喜べないと分かる影があった。

在仁は、みよが(さつき)の事を思い出しているのだろうと思った。もしあの時に紅の薬があれば、皐は自殺などしなかったかも知れない。自分だけが生きてあざを消した事が、皐に申し訳ない。そういう気持ちではないだろうかと想像し、胸が痛くなった。

そんな在仁の袖を、茉莉が軽く引っ張った。

 「共感してる?」

 「や、想像だよ。共感しなくても、分かるもの。」

 みよの話には、特殊能力など無くとも十分に察せられる心痛があった。茉莉も、北辰隊武士たちも、皆がやるせない気持ちになったが、何の言葉も思い浮かばずに黙った。

 何だか重い空気になったのを察した薬術師が、敢えて明るく言った。

 「ほらほら、早く座ってくださいな。おみよちゃんが来ると聞いて、ケーキを焼いて待っていたのよ。ティーパーティーにしましょう。」

薬屋は休業。待合のようなテーブルには、沢山のお菓子とお茶が用意されていた。

 薬術師が、嬉しそうにお茶を配りながら、強引にお茶会が始まった。

 みよは言われるままに座って、ティーカップを手に取った。

 「嬉しいです。本当は、ずっとお茶したかったんです。いつも美味しそうなお菓子があって、断るのが大変でした。」

 「あら、そうなの?だったらそう言ってくれれば良かったのに。お祖母様には内緒にしておいたのに。」

 「ええ?本当ですか。早く言えば良かった。」

 その言葉には、本当に何もかも、最初から誰かに相談していれば良かった。そういう意味が込められていた。

在仁は、みよがやっと悪い夢から覚めたように見えて、少し安堵した。一人で抱え込んで、一人でどうにかせねばという、自ら生み出した呪縛が、やっと解けたのだと思った。

 そうしてみよは、かいつまんで事情を説明した。

 生まれつきのあざが嫌だった事。それを誰にも言えなかった事。だから自分で稼いで『昼』の美容外科で治そうと決めた事。そのために薬草を納品して、お小遣いを貯めていた事。納品の帰りに皐に出会った事。こっそり救済院の庭で会っていた事。そして、美容詐欺に遭ったのは、皐の紹介であった事。引きこもっている間に皐が死に、その復讐を誓った事。そして、紅を殺す目的で宇治山家に嫁いだ事。

 詳細を省いても、なかなか内容の濃い話であるから、薬術師も当惑していた。けれど、一生懸命に話すみよを見て、すべてを受け入れると決めたようだった。

 「まさか、そんな事があったなんて。よく一人で耐えて来たわね。」

 まず最初にそう言った時、みよが泣きそうに顔を歪めた。

 「おみよちゃんが我慢強くて、良い子だって事は、私でも分かっていた事よ。本当の気持ちを言えないおみよちゃんの事を、もっと気にかけてあげれば良かったわね。ごめんね。力になれなくて。頼りにならない大人で、ごめんね。」

 「ち、違います。私がただ意固地だっただけで、誰も悪くありません。こちらこそ、可愛げのない子どもで、ごめんなさい。」

変な謝罪を口にするみよに、薬術師は笑った。 

 「いいえ。おみよちゃんは可愛かったわよ。ずっとね。」

まるで家族のような親しみに、みよは今まで何も見えていなかったのだと痛感した。目を向ければ、そこに別の道はあったのに。けれどそれは子どもの目には見つからないものだったのだ。大人になったから、見えるもの。過ちの先に、分かる事だ。

大きな喪失と、愚かな過ちを経験して、みよは学びを得たのだ。


 ◆


 温かな空気が流れて、皆で穏やかなお茶会を過ごしてから、みよは薬術師の様子を窺いつつ、本題を切り出そうとした。

 「あの。実は、今日来たのは、目的があって。」

緊張して上ずった声が出た。けれど、みよが本題を口にする前に、薬術師の方から言った。

 「ええ。何でも聞いて頂戴。分かる事ならば、何もかも話すわ。」

 「すみません。」

純粋に薬術師と親しくなるために訪ねたならば良かったけれど、みよには別の目的があった。温かで親切な薬術師に対して、それが少し後ろめたい。やはり薄情なのでは、そんな気がして謝ると、薬術師は首を振った。

 「いいえ。もしおみよちゃんが言ってくれなくても、私から協力を申し出たわ。だって、少しでもおみよちゃんの力になりたいもの。」

 「ありがとう、ございます。」

 御礼を言ったみよは、そっと在仁を見た。ここから先は、在仁に委ねると言う意味だ。

 在仁は丁寧に頭を下げてから、ゆっくりと言った。

 「俺たちは、おみよ様の人生を狂わせた、その美容詐欺師を探しております。時は経っておりましても、あるべき償いから逃れられるものではございませんでしょう。そこでまず、その救済院について調べてみようと思うのでございます。」

みよを思う薬術師だって、その美容詐欺師を許す訳にはいかない。先に詐欺に遭ったのは、救済院に入院していた皐だ。救済院は詐欺師と繋がりがあるのかも知れない。薬術師は納得した表情で、何度か頷いてから話し始めた。

 「隣が救済院を始めたのは十年くらい前です。それまでは廃病院でした。見ての通り古くて、とてもまともな設備があるとも思えないですし、お化け屋敷みたいでしょう。なのに何故か、沢山の利用者がいます。それも大抵が、助かる見込みもお金も無い患者です。いくら救済院と言えど、ああいった患者ばかりを受け入れては、やっていけないはずです。ここから見ていても、お見舞いに来るのはほんの僅かですから、多分ほとんどが家族からも見捨てられた人たちなのだと思います。患者からしたら、病院を追い出されては行く宛ても無いでしょうから、受け入れ先があるのは有難い事なんでしょう。そういう意味では正に救済なのでしょうが、以前から不気味な噂があって、近隣住民は恐がって近寄りません。」

 それは、前回言い淀んでいた事だろうか。在仁は訝し気に訊いた。

 「不気味なお噂でございますか?」

窓の外には垣根。その向こうに救済院がある。薄暗くて、不気味だ。それを視界に入れつつ問うと、薬術師が答えた。

 「ええ。患者が、消えると言うのです。」

 「消える…?」

ぞくっとしたのは、在仁だけではあるまい。

さっきまでアットホームだった部屋の空気が、途端に冷えた気がした。

 「何の証拠もありません。ただ、小さな施設ですから、さしたる人数を受け入れるキャパはないはずでしょう。なのに、ひっきりなしに患者を受け入れているので。これまでを見ていても、退院した人はあまり見た事がありませんから、余命僅かな患者を多く受け入れているとすれば、亡くなったのでしょうが。もしそうだとすれば、支払い能力も無く死んでいった患者たちの医療費は、どうやって賄っているのだろうかと。」

不自然さが、不気味さを助長している。

 「なるほど。隣の救済院の運営母体を、ご存知でございますか?」

 「いいえ。近隣住民は誰も知りません。だから余計に不気味な噂が立つのでしょうね。」

どうやって運営しているのか不明な救済院に、大量の受け入れ患者。謎がオカルトっぽく嫌な雰囲気を醸す。

 そこに、とうとう話について行けなくなった茉莉が音を上げた。

 「すみません。そもそも、救済院てなんですか?病院じゃないんですか?」

その純粋な問いに、薬術師は親切に答えた。

 「病院の医療費を支払えない困窮者が利用する、普通の病院よりも多少医療費が安い病院の事、と言えばいいかしらね。一般的な救済院は、統治家門が運営していて、医療費の安さは家門の費用で賄われているの。でも、戦時下にあって需要が増えたために、救済院自体がパンクしてしまったのよ。それで、別の運営母体を持つ救済院も出来たのよ。と言っても、慈善にかけられる財も限りがあるでしょう。少しでも社会復帰する見込みのある患者を受け入れて、医療費を確実に回収しないとやっていけないわ。まして医療費を支払えずに亡くなるような患者を受け入れては、救済院自体が破産してしまうもの。」

 「じゃあ、隣の救済院は、物凄くお金持ちがバックに付いてるって事ですか?」

医療費の回収不可能な患者を多く受け入れいているのは、金があるから。茉莉が単純な結論を口にするも、在仁は否定的だった。

 「そんな慈善家がいたら有名になってるはずだ。それに、そこまで投資出来るなら、まず設備を整えるべきだよ。もっと大きな建物で、環境を整えた上で、看取り患者を主に受け入れると公言して運営するべきだと思う。今の状態は、余命幾何も無い患者をただ受け入れて、死を待っているだけと思われても仕方ない。人道の観点から見たら、これが慈善なのかは甚だ疑問だ。目的や理念が不明だからこそ、余計に不気味に感じられる。」

誰もがお化け屋敷みたいと言う建物は、まさか外観だけではあるまい。お金持ちの慈善ならば、体裁をもっと整えるはずだ。

在仁が言うと、薬術師も同意した。

 「その通りです。運営母体不明の救済院は正式な病院として認められていませんから、内情は闇です。隣など、まともな治療もせず死を待つだけの墓場だとも言われています。それでも利用者はいるのですから、何とも言えません。」

 「墓場…。」

 ぞっとした在仁が口の中で反芻すると、みよが訊いた。

 「じゃ…じゃあ、皐も…?」

 さっきから聞いていると、まるで患者が全員死を待つ身であるようだ。みよは不安になって、問わずにはいられなかった。その不安に、薬術師は言いにくそうに言った。

 「分からないけれど、全身に瘴気火傷を負っていたのならば、元々長くはなかったのかも知れないわね。まして隣の救済院ではまともな治療は受けられないから。回復の見込みは更に低かったはずよ。」

 「そんな…。」

みよは愕然とした。みよの前では皐はいつも元気だったのだから、まさかそこまで深刻とは思いも寄らない。

 「でも、皐は容態が良くなって安定したから、転院して来たって、言ったんです。それなのに…。」

 「本当の事を、言えなかったのかも、知れないわね。」

本心を言えない気持ちは、誰よりも分かるつもりのみよは、ぐっと押し黙った。

皐は元々余命宣告されていたのか。それが分かっていて、結婚を望んでいたのか。そのためにあざを消そうとして、美容詐欺に遭ったのか。あざを消す事が出来ず、絶望したのは、残された時間に価値を見失ったからなのか。

 皐の置かれた状況を知ると、皐の死の意味が全く違って思える。みよは、皐が感じた絶望を、これまで思っていたよりずっと深いものだったのではと思った。

 みよの気持ちがずんっと沈みそうになった時、在仁が言った。

 「けれど、皐様の死は、御自害でございます。」

 皐の容態がどうあれ、死んだ理由は自殺であって、瘴気火傷の悪化ではない。みよがはっとして在仁を見ると、在仁の瞳が深い闇を湛えていた。皐は殺されたのだ、詐欺師の悪意によって、死に追いやられたのだ。

 だから、その詐欺師を捕まえる。

 目的を明瞭にしたみよが気持ちを持ち直すと、在仁は改めて薬術師に向き直った。

 「院内に、美容詐欺師がおられるなどの御噂をお耳になさった事はございませんか?」

 「いいえ。少なくとも私は知りません。さっきも言った通り、隣が受け入れている患者は、先の無い者ばかりと思っていたのです。まさか、美容詐欺に引っかかるような患者がいるなんて思いも寄りませんでした。」

 「では、皐様の事はご存知なかった?」

 「ええ。若い女の子がいる事も知りませんでした。自分で歩いて話せるような患者がいる事自体、意外です。大体が大怪我を負って動けないとか、昏睡者とか、そういう人たちだと思っていたので。」

 皐は病室を抜け出すと怒られるとして、忍んでみよと会っていたと言う。本当は、病室で安静にすべき体だったと言う事だろうか。

 既に死した皐の実態は想像する他無い。在仁とて、皐を思うと胸が痛い。この気持ちに引っ張られては、冷静に物事を整理できなくなりそうだ。在仁は敢えて、皐の事は横に置いておく事にした。

 「ご自身で動けない患者様が運び込まれて参られるのを、こちらからご覧になっておられるのでございますか?」

 薬術師はこの薬屋から隣の救済院を観察している。それは店が暇だからだと言うが、話を聞くに、随分と分析しているようであるから、気になってしまうのだろう。在仁は他意なくその気持ちを察して質問しているのだが、いつも見てるの?なんて問われると、はしたない行為であると自覚するので、薬術師はちょっと気まずくなる。

 「…そ、そう、ですが…。ずっとでは。前にも言いましたが、店が暇なので。それに、見ているのは店の営業時間だけです。私の自宅は別の場所にあるので。」

 「ご自宅は別なのでございますか?」

え、そうなんだ。と在仁が思ったのは、結構重要なポイントだ。そうとも知らない薬術師は、覗き見趣味のおばあさんだと思われたくなくて、誤魔化すように言った。

 「そうです。自宅は近所ですが、此処ではありません。だから見ていると言っても、昼間の、お客がいない間だけです。外の畑の世話もあるし、薬を作らないといけないですし。」

 「なるほど…。」

 闇色の瞳が刺すように鋭く、何かを見つめていた。それに気付いた薬術師は、何か間違った気がして黙った。

 「最近は、如何でございましょうか。例えば、終戦後の救済院のご様子などで、思われた事がございますれば、お教えください。」

在仁の目が、薬術師を向いているが、実際に見ているものが違う気がする。この目をしている時、在仁の脳内で何かが起こっている。茉莉も北辰隊も、思考の邪魔をしないように気配を抑えた。

 気配って何?てな感じの非戦闘員の薬術師は、問われた事に誠実に答えた。

 「終戦後は以前にも増して、患者を受け入れていました。特に昏睡者が多かったように思えます。沢山のストレッチャーが次から次に運び込まれて…。どう考えても、あの建物で看きれる人数ではありませんでしたよ。」

 「今年の九月以降は、如何でございましょうか?昏睡者の治療法が判明致しましたでしょう。患者様に昏睡者が多いと致しますれば、多くが退院なさったのではございませんか?」

 「いいえ。私が知る限り、退院したのは宇治山家のご子息だけです。それまでも、退院していく人は、本当に僅かでした。ただひたすらに受け入れて…あの人たちはどこに行ったんでしょうか。」

 どう考えてもキャパを越えた患者を受けて入れている救済院は、パンクする事もなく今日も稼働している。となれば、患者は消えてしまったのではないのか。

 だからあの救済院は、墓場とか、患者が消えるとか、そういう噂が立つのだろう。

 「どなたか、他に救済院にお詳しい御方をご存知ございませんか?出来れば内部や建物の間取りなどをご存知の御方がおられれば。」

 「建物の間取りなら、私が知っています。隣が廃病院になる前に、取引していたので、通っていたんです。」

 「え、まことでございますか?それは頼もしい事。是非ともお教え下さい。お分かりになります限り、詳細に。」

嬉しそうに食いついた在仁に、薬術師は頷いて紙とペンを持って来た。

 「昔は街の小さな医院って感じで、皆が頼りにする温かい場所でした。院長先生が高齢で亡くなって、閉まってしまった時は、とても残念で。放置されてお化け屋敷になっていくのが更に残念で。だから、そこが救済院になるって聞いた時は、良かったと思ったんです。困った人の為に役立つなら、あの頃の活気が戻るような気がして。私も薬屋として力になれればって思ったくらい、期待していました。」

言いながら、丁寧に見取り図を描いていく薬術師は、懐かしむ口調を徐々に重くしていった。

 「それが何で、あんな場所になってしまったんでしょう。今じゃあ住民の誰もが忌避する場所ですよ。…一体、何が起こっているのでしょう。」

 その薬術師の不安げな呟きが、不穏に耳朶に響いたのだった。

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