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44 障礙の事

 すこし瞼が重くなって薄いまどろみの中にいた。

近くで(ひと)()の優しい声がしていた。ちょうど小学生の頃、学校へ行けない仁美に重忠(しげただ)がランドセルを買い与えた話をしていた。

 地下迷宮に入ってから気が滅入って碌に寝食を得られぬ晋は、仁美の檻の前で仁美と話す事で現実を忘れようとした。仁美と晋とで交互に幼少期からのエピソードを話す。お互いの知らない頃の知らない話。他愛のない小さな話。その殆どが晋は恭の、仁美は重忠の事だ。

 仁美の話が終わって、晋の番だ。次はどの話をしようか。迷いながら口を開こうとした時、唐突に揺れが起こった。

 「地震…でしょうか?」

仁美は檻の隙間から強く手を握る晋に縋るように尋ねた。

 「いや、ここは異空間だから地震は起こらない。これは龍脈の…。」

 「晋さん、胸が…。」

仁美が指摘して見ると晋の胸が丸く光っていた。

 「龍脈が反応してる。もうすぐ鎌倉の龍脈が尽きるんだ。」

晋が光る胸に掌を押し当てると、指の隙間から光が漏れた。仁美が手を伸ばしてその光に触れた。

 「綺麗。」

 「呼んでる。」

晋が呟くと、奥の部屋から人影が現れた。大江(おおえ)広元(ひろもと)だ。

 「そうだ。八つ目を呼んでいるのだ。」

晋は一歩前に出て仁美を体の後ろに隠した。

 「さ、仕事だ。お前のやるべき事をとうとうやる時が来たのだ。龍脈が尽きる時、龍種が芽吹く。お前はそれを取り出し、私の所へ持って来い。そうすれば、お前の願いを叶えよう。」

 「…取り出すって…恭はどうなる?」

 「さてな。だが今更関係あるまい。どの道龍種を取り出す儀式は行わねばならぬのだ。この世界を存続させるためにはな。」

 「だが龍種をお前に渡せば、鎌倉はどうなる?龍脈は一つでも失えば日本は滅ぶと聞いた。」

 「大袈裟な。簡単な話が龍脈は生命力そのもの。一つ失ったとて、せいぜい不毛不作の枯れた地帯が生まれるだけの話よ。現在九つあるうちの二つは恭と矢集が継承し人体に宿しているだろう?元々木曽にあった八つ目の龍脈が矢集に宿った時に、木曽は滅ばなかった。それは九つが循環しているからだ。鎌倉の一つが奪われ在り処を変えたとて、九つの循環で全体を賄うだろう。八つ目と違い強引に龍脈を奪われた鎌倉を中心とした一帯は枯れた大地となり人が暮らせぬ地となろうがな。精々その程度。心配する事はない。」

 「その程度って…。」

 「地龍本家のある鎌倉が落ちるのは好都合ではないか。」

広元は薄く笑っていた。

 「本来通りの儀式を行い、鎌倉の龍脈に龍種を植えかえれば鎌倉は無事で済むんだろう?」

 「そうだ。だが矢集晋、お前がそれをする理由があるか?」

 「理由だと?」

 「そうだ。お前に今あるのは、それをしない理由だ。」

広元の目は晋の後ろで小さくなっている仁美を指していた。晋は奥歯を噛みしめた。

 「忘れぬ事だ。お前が何を選んだのかを。」

広元が踵を返すと元来た奥の部屋へ向かっていった。その先は行き止まりだ。晋も晋なりに地下迷宮内の構造把握には努めた。しかし何も怪しいものは見つからなかった。あったのはかつて対峙した巨大な瘴気の塊・鬼の群れ・鬼の養殖場。転生システムの装置…などというものがどんなものか想像もつかないが、そんな見たこともない奇妙なものは無かったのだ。つまり、迷宮には更なる隠し部屋があると言う事だ。

 「…龍種を奪って、どこへ持って行く?」

広元は振り返り、にやりと笑った。

 「この先にあるのは祇樹給(ぎじゅぎっ)孤独(こどく)(おん)。お前が約束を果たした時は、その扉を開こう。さ、行っておいで。一の龍脈も夜明けまでは持つだろう。それまでに地龍の雑兵どもがこの地へ乗り込んで来るだろう。お前はお前のやるべき事をせよ。」

―――やるべき事をやれ。

 父裕(ひろむ)の顔が浮かんだ。

晋は広元に背を向けると、仁美の小さな手をもう一度握った。

 「ひぃさん、俺行ってくる。」

 「…晋さん…。」

仁美は何かを言おうとしたが、晋の決意の眼差しを前に言える言葉は出て来なかった。

 

 晋が仁美の前を去ると、誰もいない魔窟だけが残っていた。

 仁美の手には晋の熱い手の感触。手の中には檻の鍵が冷たく硬く握られていた。

 「道白(どうはく)様、御許し下さい。」

仁美は震える手で強く鍵を握り祈るように瞑目した。

仁美のために晋が殺した安達道白という男とその周囲の者に、仁美はどう謝罪すれば良いのか解らなかった。こんな事になって、父重忠や家族や家臣にどう詫びればいいのか、最早方法はなかった。こんな時武士ならば腹を斬って誠意を示せば良いのだろうか。

死ねば、良いのだろうか。

生かすために死んだ者たちに報いるために、死ぬのか?

鍵が早く使えと要求するように仁美の手の中で暴れている気がした。

地龍は晋を殺すためにどこまでも追って来るだろう。おそらく仁美も同じお尋ね者となったはずだ。

 震える手が、檻を掴んだ。

 鍵を握る手が更に震えて檻と鍵をぶつけ合わせカタカタと耳障りな音を鳴らす。

死にたい、死にたくない。

死ぬべき、生きるべき。

相対する想いがぶつかりあう音によく似て、不規則で臆病で厭な音だ。

 カグヤの声が脳裏によぎる。

早く死んだ方が晋のためだと。確かに晋は仁美のために全てを捨ててしまった。今仁美を失えば全てが無意味になる。それでは晋があまりにも悲し過ぎる。しかし、今のまま仁美が足枷となり晋を縛ってしまうよりは良いのではないか?これ以上晋に取り返しのつかない事を続けさせるよりはマシなのではないか?

晋の事を本当に想うならば、死んだ方が良いのではないか?

 仁美が手を伸ばし外側の見えない鍵穴へ鍵を入れようとした時だ。水風船が弾けるような音と共に地面に鬼が倒れ血が飛び散った。突然の事に仁美は鍵を落とし慌てて檻の奥へ逃げた。倒れた鬼の元へゆっくりと歩いて来た人影は、大きな一つの角を持った禍々しいものだった。震える体を押さえつけるようにして気配を消そうと努力し、目を瞑ることも出来ずにじっと耐えて見ていると、鬼は倒れた鬼を喰らい始め、おぞましい同族喰いの姿を見る羽目になってしまった。恐ろしさに我を忘れ、今の今まで死のうとしていたというのに恐怖で死から逃げたくなり、頭の中が大混乱に陥った状態の仁美はただ反射で震える体におとなしくしてくれと願うばかりだった。

 ふいに鬼が振り返り、檻の中の仁美をじっと見つめた。それから檻の前に落とした鍵を見て言った。

 「死ぬ気か?」

仁美は射すくめられたように動く事も話す事もできずじっと鬼を見ていた。

 「死ぬつもりなら、その命くれ。」

血まみれの鬼がゆっくり檻に近付いてきて、心拍数が上がり、いつの間にか自分の心臓の音以外の音が聞こえなくなり、とうとう鬼が仁美の檻に手をかける程目の前に立っていた。



 晋が仁美の元を去って間もなくして、地龍による地下迷宮侵攻作戦が始まった。地下迷宮内はたちまち混乱した。多くの鬼がいきりたち我先に獲物を狩ろうと飛び出して行った。

 地龍においては、祥子の指揮の元で量産された地下迷宮と地上を自由に行き来するための『手形』を全部隊長に配布し、全国各地から地下迷宮へ入って行った。

 鎌倉からの部隊は恭を筆頭に幸衡(ゆきひら)が指揮を取り、鎌倉七口と各転生組を分けて編成した部隊で攻める形となった。

 (みつ)(たね)が作った地図にはなかった転生システムの核を見つけ破壊する事が第一目的だが、事此処に至ってなお、地龍の部隊はこの地下迷宮侵攻が転生システム破壊を目的とする事を知らない。転生者をなくすための戦いだと知っていたらば士気は落ちただろう。転生者は地龍の指針だ。居なくなって欲しいなどと言って憚らないのは幸衡のような厚顔不遜な者だけで、殆どの者は転生者を頼って生きている。彼等は皆今回の作戦を、長年長老会を隠れ蓑に鬼を養殖し『夜』を強兵してきた危険因子で、いずれ『夜』が『昼』を飲み込もうと画策している集団の討伐、としか聴いていないのだ。全員が地龍の武士として正義を胸に死地に挑んでいる。肝心な事を知らされないままで。

 その中には安達盛(もり)(みち)をはじめとする矢集晋討伐隊も入っている。謀反者の討伐。これも正義だと顔に書いてあった。彼等は鬼退治の作戦には目もくれず、ただ矢集晋を探して奔走するつもりなのだろう。恭が謀反として御触れを出した以上、誰も止める事は出来ない。

 一人一人の勇敢な顔つきを見渡して、(よし)(ひら)は嘆息した。

 そんな義平の浮かない表情を重盛(しげもり)が隣で訝しんでいた。

 「予想より瘴気が濃いな。」

内心とは違う事を口にして気分を変えようとしたが、重盛にはばれていたかも知れない。

 「俺達の侵攻に気が付けば致死濃度の瘴気を散布するやろ。」

 「そうしたら私が作った簡易的な手形の量産型では持たないわよ。」

 「そうだな。とにかくスピード勝負で…って、おい何で祥子(しょうこ)がここにいるんだよ?」

重盛との会話に唐突に割って入った祥子に驚いた義平は思わず仰け反った。

祥子は地下迷宮侵攻の準備に力を尽したため戦力外として置いて来たのだ。何故ここに平然とした顔をしているのだろうか。

 「何よ?私が大人しく留守番してるとでも思ったの?一緒に来るに決まってるでしょ。最後だもの。」

―――最後。

その言葉にすべての覚悟が詰まっている気がした。

最後にしなければならない。そして最後ならば共に。

 「…そうかよ。」

勝手に突っ走って勝手に死ぬ、が義平の常套手段だった。でもこれが本当の本当に最後ならば、今度こそ共に闘うべきなのだろう。

 「何百年連れ添っても素直になれへんな、お前は。面倒やさかいええ加減素直になり。」

 「うるせぇ!重盛には言われたくねぇよ。」

 「何や八つ当たりはやめや。」

ちゃかされてへそを曲げてしまった義平を放置して、重盛は話始めた。

 「転生組が率いる部隊がそれぞれローラーで端から奥へ進む。この部隊は直進して例の瘴気の発生源たる塊の大部屋へ着く。大きな瘴気の発生装置がある言う事は、それだけ鬼たちのエネルギー源が無尽蔵にある言う事や。俺達がそれらと戦うとる内に、地龍様をはじめとした少数精鋭部隊のいくつかに奥へ侵攻してもらう。義平、お前夢中になって作戦忘れたらあかんで。」

 「馬鹿にするなっての!」

大きな部隊は、転生システムを隠している場所をローラー式に探して前へ進む。一般兵達には鬼を養殖するための怪しいものを隠しているかも知れないからよく見て歩くように伝えてある。

 「しかし、この手形で転移した先がだいたい同地点だとはな。作戦開始の為の合流がほとんど必要なくて助かったっちゃ助かったけど。」

 「この光胤が作った地図は大雑把に言うて楕円形や。おそらく転移出来るポイント言うんが半分よりこっちに集中しとるいう事やろ。」

 「つまり、こっち側は飽くまで出入り口って事になるわね。」

 「そうなると、本丸は奥って事だな。」

 「地龍様はまず、先見調査にて菊池実(さね)(ちか)殿が見たという玉葉(ぎょくよう)の保管場所へ向かうそうや。」

 「春家(はるいえ)は単独で先を行くように指示してある。こうなると下手に部隊を率いてるより単独の方が動けるからな。」

 「実親と直嗣(なおつぐ)は主旨を鬼退治に切り替えたみたいね。大分武装に協力させられたわ。」

それぞれの任務を帯びて、ただ奥へ進むしかない。

 「源平揃って出陣とは、夢にも思わなかったわね。」

 「源平合戦なんちゅう馬鹿げた事、俺ははなから反対やったで?」

 「おめぇの親父が始めたんだろ。」

 「それ言うたらそっちも同じやないか。しかもお前もやる気やったやないか。」

 「そんな昔の事忘れたぜ。」

 「せやな。そんな昔の事、忘れたわ。」

 「そんじゃ、行くぜ!」

義平の掛け声が響き、全軍が前進を始めた。



 「広元様。」

九条兼(くじょうかね)(さね)の名を持つ鬼が主の名を呼んだ。

地龍部隊がこちらへ向かっている。数は予想より多い。鬼たちは既に術者の血肉を貪ろうとばかりに向かって行った。想像通りの混乱。

 広元はいつも通りの冷静さで薄く微笑んだ。

 「来たか、無能な地龍の軍隊ども。兼実、瘴気を撒け。」

 「はい。」

 「鬼を解き放ち、邪魔な転生者どもを一掃しろ。」

 「はい、直ちに。」

兼実が頭を下げると、広元は付け加えた。

 「そうだ。地上にも何体か撒いておけ。この祭が地下だけでは勿体無いだろう。」

広元の命令に心底楽しそうに兼実が笑った。

 兼実はその命令を受けて、鬼やら鬼のなり損ないやらの雑魚を大量に地上へ送り込んだ。地下迷宮から噴き出した『夜』に便乗して関係のない『夜』たちが吸い寄せられるように集まり、地上でも大規模戦闘が始まった。地上部隊を統括する(むね)(すえ)の指揮で戦闘は地龍優位に始まったが、『夜』は無尽蔵に増えて襲い来る。持久戦ならば向こうが上のように見えた。

鎌倉だけでなく、全国各地でそれは起こり、地上での混乱は危険を極めて行った。

 リミットは夜明けだ。しかしそれは途方もなく遠い未来のように感じた。



 肉壁が音を吸収しているのか、迷宮中で戦闘が起きているのにその喧騒が聞こえてこない。いくつかの先行した部隊の内の一つに恭はいた。地図を広げた幸衡の凍った湖面のような白い波形は揺るぎなく返って不気味に見えた。

 「この先が例の…。」

地図を見ながら言う幸衡に、恭は問う。

 「この状況に至っても緊張知らずか?」

 「まさか。私でも現状に緊張くらいする。」

 「だが他にも気になる事がある。」

 「…。」

 「だから気が紛れる、と。そういう事か?」

恭の問いに、幸衡は肩をすくめた。

 「何のことか分かりかねる。私を信用できないと言うならば外せばよかろう?恭くんは地龍当主なのだから。」

何を疑われたにせよ、やけに強気に返す所が幸衡らしい。恭は頭を振った。

 「いや。いい。お前が俺の不利益になる事を企むはずもない。」

先行隊は地下迷宮へ入ってすぐに進んだため、しばらくは敵のリアクションもなく、道中現れる鬼は大して強くもなかった。それでも鬼との戦闘経験の無い者にとっては恐ろしい敵だろう。恭と幸衡が率いてきた少数の兵が何とか相手をしている所へ、恭は軽い所作で黒烏(くろう)を抜くと風を凪ぐように鬼を斬り前へ進んだ。

 「行くぞ。立ち止まっている暇はない。」

恭の迷い無い足取りに、幸衡は黙って付いて行き、兵達はその圧倒的な強さに唖然として後に続くしか無かった。

 しばらく行くと、広い空間に辿り着いた。地図上ではそこが九条兼実の部屋とされる場所で、先見調査にて実親が玉葉を発見した場所だ。入って行くとそこには確かに書物が堆く積み上げられており、聞いていた通りの場所だった。蝋燭のような灯がゆらゆらと揺れて本の塔の影を不気味にゆらめかせていた。恭は光源を探し奥へ入った。すると、そこには和装の老人が坐して書物をめくっていた。目の前の蝋燭の灯を頼りにページをめくる様は、まるでタイムスリップしたかのような風景だった。

 「やあ。待っていたよ。恭くん。」

 「…教授?」

恭は目を疑った。

 「あははは。懐かしいね。そう呼ばれた事もあった。一応顔を変えていたのだが、やはり君の目は誤魔化せないか。あの頃は楽しかったね、恭くん。」

大学時代教えを請うた教授と同じ波形をしたその和装の男は、恭を懐かしむと朗らかに笑ってみせた。

 「あの頃の君は無知故に未熟であり、また懸命に道を模索する若者であった。実に好ましい姿だったよ。随分立派になったね。」

 「何故…貴方が此処に。」

恭の戸惑いは男を喜ばせただけだった。男は書物を閉じると恭に向き直り言った。

 「私は大江(おおえ)広元(ひろもと)。かつて鎌倉幕府創立に尽力した者だ。そして現在はこの地にて祇樹給(ぎじゅぎっ)孤独(こどく)(おん)の管理を務める者。そう、君たちが転生システムと呼ぶものの事だ。」

 「大江…広元。教授が?」

 「あれは単なる余興だよ。いずれ龍種の保有者となる君の事を知りたくなっただけだ。何の他意もない。実際私は君に何もしなかったろう?」

確かに教授は恭を導きこそすれ危害を加えた事はなかった。

 「待て。京都七口の急襲はどうだ?貴様の仕業ではないのか?」

幸衡が前へ出た。既にその手には鞘から抜かれた刀があった。

 「あれはお膳立てだ。貴也はかねてより長老会壊滅の準備を進めており、その機会をうかがっていた。そしてあの頃既に自身の命尽きるその時と決めていたのだ。だからそのタイミングに協力してやったのではないか。君達を足止めして貴也の策を成功させてやった。(ひろむ)の長年の想いも成就し、龍種は正当に受け継がれた。どうだ?礼こそ言われても恨まれる謂われはない。」

広元の教科書を読むような説明口調から紡がれる事実は恭の心に怒りを灯した。

 「馬鹿な。貴様がした事はそれだけではない。多くの犠牲を生んだ。京都七口を作り、鬼を養殖し、人形師達を洗脳し、多くの人間を殺し、…転生者を生みだした。」

恭が睨むと広元は鼻で溜息を付いた。

 「それは誤算だ。私は元々術者ではない。ただの人間でね。術の演算は出来ても実行は出来ないのだ。実験無しにこれだけ大きな術を発動できただけでも素晴らしい事だと思うがね。」

 「ただの…人間だと?」

 「ああ、だが今は違う。今の私はれっきとした『夜』だ。死も老いもなく現在までこうして世の諸行(しょぎょう)無常(むじょう)を見守ってきた。」

 「転生者ではない…のか?」

 「左様。私は術者ではなく人間だった。故に転生者にはなれなかった。故に『夜』となったのだ。とにかく、このシステムは君たちが思っている通り失敗作だ。こうして多くの転生者などというゴミを生みだしてしまった。システムの修正にはこれだけの長い時を費やしてしまったが、こうして時は巡り来た。恭、君の種を私の双樹(そうじゅ)に与え新たな花を咲かせようじゃないか。」

広元が扇を開いた。恭が黒烏の柄を握り構えたのと同時だった。広元が蝋燭の灯を消すように扇を一振りすると風が起こり、蝋燭の灯と同時に恭の姿が消えていた。

 「恭、君が戦うべきは私ではない。」

 幸衡が見渡すと、恭の姿と同じく広元の姿も忽然と消えていた。



 安達盛(もり)(みち)は強面の武士達に担ぎあげられ地下迷宮まで来てしまったことを心のどこかで後悔していた。このような愚かなことをして父道白(どうはく)が喜ぶとは到底思えなかった。しかし事の顛末をこの目で見届けなければ寝覚めが悪い。とにかく矢集晋を誰より先に見つけ出し、事の真相を聞かなくては。自分に言い聞かせて前を向くと、前方の暗闇から風の啼く声がした。

 「こんな空間でも風が吹くのでしょうか?」

盛道が問うと、先を行く兵達が耳をすませた。

 「誰かこっちへ来ます。」

暗闇の奥から足音が近付き、叫ぶ声がした。

 「逃げろー!」

逃げろ、確かにそう聞こえた。声の方をよく見ると、細長いシルエットが近づいて来た。

 「お前等、早く戻れ!逃げろ!」

血相を変えて走って来るのは

 「矢集?」

 「何でも良いから、戻れ!」

何故か逃げろと訴えて来る晋に、部隊は全員抜刀し構えた。

 「皆さん、あれは何ですか?」

盛道が晋の後ろから蠢いて迫って来る黒い靄を指さした。

前方にいた者はその靄に気が付いた時には遅く飲み込まれてしまっていた。晋が走って来るのを捕えようとしていた者達も、その靄の存在にようやく気が付き走りだした。しかし次々と飲まれて行ってしまう。盛道はその様に驚き反応が遅れてしまった。晋は全力で走りながら盛道を抱き抱えると叫んだ。

 「奴等が瘴気を撒いた!飲まれたら死ぬ濃度だ!とにかく転移ポイントまで走って地上へ逃げろ!」

晋の声が聞こえたかどうか分からないが部隊は散り散りに逃げ、盛道は晋と二人きりになってしまった。少し走ると肉壁の隙間にある謎のくぼみに入り、晋が結界を張った。

 「あの…手形を持っていれば瘴気にあたっても大丈夫だと聞いたんですが。」

ようやく下ろしてもらえた盛道が祥子から配られた手形を見せると、晋がそれを一瞥して言った。

 「それは量産型の複製品でしょ。そんなんじゃもたないって。」

 「矢集さんは向こうの仲間なのに、関係なく人間に致死量の瘴気を撒くんですか?」

 「俺の手形は本物だから瘴気に当たっても大丈夫。」

晋の結界を避けて瘴気の靄が通り過ぎて行った。完全に閉じ込められてしまった。

 「…じゃあ、矢集さんは僕たちを助けるためにわざわざ走って来てくださったんですか?」

盛道がおずおずと訊くと晋は聞いていない様子でポケットに手をつっこんでがさごそとせわしなく動いていた。

 「え?あ〜、あれ、君、道白さんの息子さんじゃない?うわ〜、おっきくなったね〜。びっくりした〜。俺も歳とる訳だわ〜。」

今気が付いたのか?それにしても何て呑気なリアクション。盛道は呆気に取られて何も言えなかった。

 「これ、鬼の角。来る途中で何体か殺して取ってきたから。これがあれば多少持つだろ。地下迷宮の転移ポイントは前半分にしかない。とにかく怪我人を連れて戻れ。ここは危険だから。」

晋がどこにしまっていたのか大量の鬼の角を地面に置いて指した。これだけあれば逃げ遅れた部隊員を助けられるかも知れないと思った。盛道が角をじっと見た。晋は気にせずに先へ行こうとしていた。

 「あの、矢集さん。」

 「うん?どうした?方角が分からないなら向こう…」

晋が言いかけて盛道を見た。盛道は何故か続きを言う事ができなかった。そして晋が去った後で、呟くように洩れた問いに当然答えは帰って来なかった。

 「何故、父を殺したんですか?」

盛道が角を持って瘴気の中へ飛びこんで行こうとすると、目の前によく知る顔が現れた。

 「おや、盛道殿ではないか。」

幸衡は少数の兵を連れていた。その兵は盛道の部隊の逃げ遅れた者達をかついている者もいた。

 「幸衡さん。どうしてここへ。」

 「広元に恭くんが消されてしまったのだ。故に捜索中だ。盛道くんはどうした?」

 「瘴気の靄に襲われて、矢集さんが助けてくださって。」

盛道が持つ大量の鬼の角を見て幸衡が一瞬黙った。

 「そうか。」

毘沙門の死に際し、見取ったのも、葬儀を取り仕切ったのも、全て幸衡だった。息子の盛道としては感謝しかない。それと同時に深い悲しみや怒りを抱いているのだろうと思っていた。その沈黙と静かな瞳が抱えるものを盛道には察する事も適わなかった。

 「あの…。」

 「盛道殿、すまないが私は恭くんを探さねばならない。故に私に代わり隊を率いて撤退してくれぬか?」

 「え?」

 「この瘴気では長く持つまい。これより戦闘不能の者の救援撤退を主として動いて欲しい。倒した鬼から角を奪い瘴気に耐える方法も伝達して欲しい。」

幸衡の目はより瘴気の濃い奥の方を見つめていた。盛道はその目に晋と同じ、目的ある者の意志を感じた。この意志への助力ならば父に恥じない仕事だろうと思い、頷いた。

 「分かりました。ここは僕にまかせて幸衡さんは行ってください。」

 「すまない。よろしく頼む。」

盛道が見送るまでもなく、幸衡は奥へと駆けて行った。



 旋風が体を包んだと思ったら、気が付くと辺りは景色を変えていた。

先程まで地下迷宮にいたはずの恭は、広元に飛ばされてしまったらしいと自覚した。

 「ここは…。」

夜の霧に包まれたそこの霊気には身に覚えがあった。

 「龍脈…。」

そこは一の龍脈。源頼朝(よりとも)の墓だった。

木々が凪いで、ざわめきが耳につく。

地上でも戦が起こっていると知る。

夜明けには龍脈の命尽きるその場所は、恭の終着の地なのかも知れない。しかし今はこの戦を夜明けまでに終わらせる事を目的としている。この場所へ来るにはまだ早い。だというのに、ここへ送られたのは何故だ。

 「何でって顔してるね。」

聞き覚えのある声がして見ると、夜闇の中から姿を現したのは晋だった。

痩身の獣のような狂気を孕んだ気配はよく知る友に間違いなかった。

 「広元サマの命令で、恭の持ってる龍種を奪って持って来いってさ。」

墓を中央に、二人は対峙した。

 久しぶりに見る晋は更に痩せて見えた。あの悪夢のような謀反を起こした武術大会の日以来の再会。あの日あの瞬間まで恭は晋を信じて疑わなかった。

 「俺が大人しく敵に種を渡すと思うのか?」

否定して否定して、全てを夢だと思おうとした。けれどそれは嘘だ。恭の夢はいつだって理想の世を見る。晋が隣で笑っているのだ。こんな悪夢を見たりはしない。

 「思わない。」

晋の気持ちにいつだって寄り添って来たし、晋もまたいつだって恭を想っていたと思う。誰に理解されなくとも二人は硬い絆で結ばれていたし、それを守るためならば何を失っても良いと思っていた。たとえ地獄の業火に焼かれても、晋のためならば戦えると。それは晋も同じなのだと思っていた。

あの日あの瞬間までは。

 「では抜け。決着をつけよう。」

恭は静かな所作で黒烏を構えた。

 「…。」

晋は黙ったまま()(がすみ)を抜き、逆手に構えた。

 風が吹いて、一枚の葉がひらりと舞い、地面に着いた時、二つの影は動いた。


琵琶の音が、運命の弦を弾き響き渡った。

8




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