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402 傷痕の事

 あれから(きく)はどんどん回復した。

真珠(しんじゅ)は毎日のように病院に通って(まゆみ)と菊と話した。互いのこれまでの事、(かや)の事、今の事。色んな事を共有した。

そうしてすっかり打ち解けた頃、真珠は在仁(ありひと)茉莉(まつり)、そして君崇(きみたか)を紹介した。

 「こちら師匠で父の葛葉(くずのは)在仁様、母の茉莉様です。」

 在仁と茉莉は真珠を養子とする事で揺るがぬ後ろ盾となった。両親と紹介するには年齢が近すぎて、鷹司(たかつかさ)夫妻にとっては真珠と変わらぬ孫のような若さだ。

 「こうしてご挨拶させて頂く事が叶いまして、まことに嬉しく存じます。どうぞよろしくお願いいたします。」

清廉な笑みで美しく礼をとる在仁と、並んで動きを合わせる美貌の茉莉。その神々しさに、鷹司夫妻は眩しそうにした。

 「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。」

清め人は地龍の別枠トップ。しかも紫微星(しびせい)様は終戦の立役者で、地龍の(しるべ)の星。知らぬ間に、まさか真珠がそんな人に拾われていただなんて。檀も菊も、真珠の暗い過去がこのための苦境だったのではと思ってしまう。

そして在仁に寄り添う絶世の美女・茉莉。見たことも無いレベルの美貌に、目がやられそうだ。これで最強の武士だなんて、神の戯れではあるまいか。美しくて強くて性格まで良いなんて、完全無欠。奇跡のような存在ではないだろうか。(注:性格が良いという評価は真珠談)

圧倒的な別世界感に、鷹司夫妻はどうしたら良いのか分からず、ひたすらに平静を取り繕おうとするのが精一杯だった。檀は既に会っているのだから、菊をサポートしてくれればいいものを、菊はわずか恨めしく思うが、何度会ったとて慣れまい。

 そんな夫妻の恐縮をよそに、真珠は嬉しそうに紹介した。

 「こちら、私の婚約者の君崇様です。」

 「君崇です。どうぞよろしくお願いいたします。ご夫妻には、是非とも真珠さんのご親族として結婚式に参列して頂きたいです。」

 絵に描いた好青年面でにこっとする君崇は、現地龍様の嫡男で、次期地龍様。正に殿上人的な立場の人だ。

これには鷹司夫妻の忍耐も限界を迎え、一瞬意識が遠のいた。

 「ど…ど、どうぞ、よ、よよよ…よろし、く、お願い…しま、ま、ます。」

壊れた音響措置みたいになってしまった夫妻に、真珠は慌てた。

 「御爺様、御婆様、どうか落ち着いてください。皆様とてもお優しい方々でございますので、大丈夫でございますよ。」

そうは言われても。夫妻は案じてくれる真珠を見て、随分と手の届かない存在になってしまったのだなと、遠く感じた。

 真珠にはもうこんなに立派で、真珠を愛してくれる身内がいる。今の真珠にとって、鷹司夫妻は必要だろうか。長年蘿蔔(すずしろ)家を呪い続け、その果てに何も成せずに自殺しようとして、それも失敗した惨めな親族など。まして呪いに関わっていたという経歴であるから、真珠の足を引っ張るばかりと思えた。

 ふと、そんな暗い気持ちが夫妻に影を落とそうとした時、真珠の明るい声がそれを阻んだ。

 「御爺様と御婆様は、お母様の事をたくさんお話くださいます。私、すっかりお母様の事を存じております気がいたします。」

 「それはようございましたね。」

 夫妻は毎日通ってくる真珠にせがまれて、榧の事を思い出せる限り語った。それは真珠の心を満たす行為だったろうが、同時に夫妻を救済する行為でもあった。失った命、無駄にした時間、そういうものを救済し、夫妻の自責を許すような行為だった。

 柔らかく微笑んだ在仁が、夫妻を見ていた。

 「俺も両親を喪って随分と経ちまして後、祖父に出会いました。互いに失ったものを共有し、これからの人生に御多幸があらんと望む事の出来ます存在を得ました事は、なにものにも代えがたい拠り所でございます。どうか、お二人も真珠にとってそうした存在となってください。慈しみ合い、幸福たらんと自負するような、欠かせぬ存在に。」

まるで夫妻の心の疚しさを消し去るように、そっと置かれた優しさが、じわじわと沁み渡った。

 「ありがとうございます。」

 もう、それしか言えなかった。

 その後、真珠たちは穏やかに世間話をしてから去っていったが、夫妻はその温かさだけで胸がいっぱいになった。

 菊も檀もすっかり元気であるから、遠からず退院の話があるだろうと思っている。退院しても、帰る家はない。財も無く、これまでの医療費を支払う宛ても無い。二人で出家して真珠の迷惑にならぬようにしようかなどと相談していたのだが、今日の事で気持ちが変わった。

 これからも真珠の人生を見ていたい。その支えとなれる存在になりたい。そう思ったのだ。


 ◆


 鷹司夫妻との面会を終え、真珠たちは君崇を送るべく転移扉を目指して移動していた。

 「菊様はすっかりお元気になられたようで、何よりでございますね。」

 「はい。本当に。」

嬉しそうに笑う真珠はキラキラとして見えた。菊の回復により真珠が明るくなった事を、在仁はとても嬉しく思った。

茉莉もそれを喜びながら、ふと気になった事を口にした。

 「お二人は退院したらどうするの?」

 それを問われた瞬間、真珠が固まった。

 「え…っと、まだそのお話はできておりません。何だか、怖くて。」

 「何が怖いの?」

 「お二人とも、ずっと自省を抱いております。ご自分を責めておられるのです。退院なさった後は、御出家なさるとか、言い出しそうな気がいたしますと、不安で。」

空気を読んでいた真珠は、なかなか二人の心情を言い当てていた。けれど、在仁は笑った。

 「おそらく大丈夫ではないかと存じます。俺が拝見させて頂きましたところ、お二人とも真珠を案じておりましたので、お側におられるお心積もりかと。」

在仁が自分の目を指さしたのは、共感体質の力を指していた。

 「さようでございますか。」

ほっとした真珠に、君崇が尋ねた。

 「真珠はどうしたいの?」

 「私は、お二人の御心の休まります場所にて穏やかにお過ごしくださればと。でも…できれば近くにいて欲しいわ。折角会えたのだもの。遠くに行ってしまったら寂しいわ。」

素直に吐露すると、君崇は背を押すように言った。

 「なら、そう言えば良いよ。そうお願いすれば良いんだよ。」

 「そう、かしら?ご負担では…。」

 「わがまま言われたら嬉しいんじゃないかな。ま、全然わがままじゃないけど。」

奥州にしろ鎌倉にしろ、真珠が望むならば祖父母の住居くらいどうにでもなる。在仁も君崇もついているのだ。頼もしい笑みに支えられて、真珠は照れ笑いを浮かべた。

 「ええ、そうしてみるわ。」

 真珠はまだ菊に書の事を話していない。大事な話を優先せねば。退院後の事も含めて、そろそろ話すべき時なのだろうと思ったのだった。


 ◆


 真珠が着々と目標を達していく中、在仁は比較的穏やかな日常を取り戻していた。

実際のところは、武闘大会後くらいからそんな感じではあった。連続放火事件中も、在仁は基本的な生活をほぼ乱されなかったので、この一か月は日常業務と、西の土地浄化、手習い所、慰霊式、次回のお茶会の計画など、無理のない範囲で働きながら過ごすスケジュールだ。よく食べてよく休み、ちょっと運動も増やしたりして。事件も渡戸(わたりど)の件も終わり、体調もまずまず。余裕のあるスケジュールであるから、急な変更には十分対応可能。

 そこに急遽ねじ込まれたのは例の写真集の撮影だった。

 紫微星様の写真集は、在仁たっての希望により九州の最高峰術者学校に給付奨学金制度を樹立するための資金集めだ。橘藤(きっとう)家との正式契約を結んでの企画であるから、在仁も納得ずく。仕事であるから、いくら嫌でも逃げも隠れもしないのだ。

 「どうしてこれがエリカ様へのお誕生日お祝いになりましょうか?」

 在仁が納得できないのは、エリカが誕生日プレゼントとして、撮影を希望したからだ。

 「エリカの希望なんだから、良いんじゃないの?」

 エリカの誕生日は十一月で、何かお祝いしないとなーと思っていた。だがエリカは大金持ちなので、欲しいものは買ってしまうだろう。何を贈れば良いのか、気の利いた発想が出てこなかったので、素直に本人に訊いてみた。誕生日祝いに何か欲しいものありますか?と。ごくごくシンプルに、ありのままに問うた。そしたら、エリカは写真集の撮影を希望したのだ。

 「撮影日はあらかじめ決まっておりますし、敢えて前倒しになさりたいならば、そのようにご調整くだされば良いだけでございましょう?」

 「まぁねぇ。めんどくさかったんじゃないの?」

 「茉莉じゃあるまいし…。」

 「あ?」

 「なんでもない。」

写真集の発売日は未定だが、撮影日は押さえられている。発売日を早くするために撮影を急ぐならば、正式に依頼すれば済むだけで、エリカの誕生日特権を行使する場面とは思えない。

エリカの意図が分からず、在仁はずっと疑問を抱えている。これは誕生日プレゼントには相当しないだろうから、別の物を用意せねばなるまいが、エリカが指定したプレゼントが撮影ならば、もう何欲しい?とは問えない。何を買ったら良いのだろうか。謎だ。

 そんな疑問を抱えたままやってきた撮影スタジオは、随分とシンプルなモノトーンのセットが設置されていた。

 あまりにシンプルなので、在仁の存在だけで勝負しないといけないというプレッシャーを感じた。ううむ、責任重大。

前回よろしくプロのスタッフに出迎えられて、在仁は背筋を伸ばした。一緒に来た茉莉は撮影セットに興味津々。今日は茉莉はモデルじゃないからって、遊びに来た気分なのだ。護衛として佐長(すけなが)紅葉(もみじ)、紫微星様公式のお仕事としてマネージャーぶった胡桃(くるみ)。スタジオ内は独特の緊張感が漂っていて、皆が一気にスタジオの空気に飲まれた。

 そこへ、エリカがやってきた。

 「どうも、葛葉さん。今回は、御誕生日ありがとう。」

 「…えっと、お誕生日おめでとうございます。」

何?お誕生日ありがとうって?本当にこの撮影を誕生日プレゼントだと言い張るつもりか?

エリカの底知れない雰囲気を見たら、在仁はいよいよもって怖くなった。それに気付かない茉莉は、可笑しそうに笑った。

 「あはは、お誕生日ありがとうって何?ってか、何でこの撮影が誕生日プレゼントなの?」

 「この撮影が私へのお祝いだったら、私の要望が通るでしょう?」

にこっとした顔が威圧的だ。

 「え?お待ちください。何をおっしゃっておられるのでございますか?ちょ…胡桃様、本日の撮影の具体的な内容を伺っておられますよね?」

 「いいえ。ただ撮影とだけ。内容は現場でって言われました。」

 急にねじ込まれた撮影にしても、どんなセットでどんな衣装かとか何も聞いていないなんて。信頼関係と呼べば耳障りが良いが、危険過ぎる。エリカの笑みが危険過ぎる。

 「何を、させるおつもりで…?」

 気持ち的に後退りしたかったが、背後に佐長の巨体があって出来なかった。それが完全に退路を塞がれたように思えて、在仁は万事休す。

窮した夫の何が面白いのか、茉莉は隣で明るく笑っていた。裏切者、と言えない在仁の目が、エリカの回答を待つように向けられた。

 「脱いでもらおうと思って。」

 最悪だ。どうして穏やかな生活を送っていると、こういう青天の霹靂が起こるのだろう。(こう)と言い、(いおり)とありさの結婚披露宴の司会と言い、唐突に押し付けられてばかりだ。やはり何かの祟りなのか?

いや、これは罠だ。エリカに誕生日プレゼントを問うた地点で、完全に術中だったのだ。もう絶対に訊かない。そう決めたとて、目の前の試練は変わらないのだった。


 ◆


 「いいじゃん別に。」

 さらっと言う茉莉は、男なんだから裸くらいで文句を言うなと言いたげ。

 「良くない。こういうのはせめて三か月前くらいから言っておいてくれないと。こっちだって都合があるんだから。」

泣きそうな在仁が訴えるも、撮影の準備は進んでいる。有無を言わさず強引に流されて着替えてメイクまで終えてしまった在仁は、まだぶつくさ抵抗していた。茉莉は往生際が悪いなと思った。

 「都合って何?エステとか?」

茉莉が揶揄って笑うのを見て、在仁は困り顔で言った。

 「違う、鍛えるの。いや、鍛えても無駄か…。どちらにしても人様にお見せできるような体じゃないよ。確かに俺は男で武士だけれど、蘇芳(すおう)様みたいな肉体美じゃないんだから。もしかして、エリカ様は武士が皆蘇芳様みたいに格好良い肉体をしていると思っておられるのでは?どうしよう…。」

 「そんな訳ないじゃん。」

動揺して発言がおかしくなってきた在仁に、茉莉は嘆息した。

 そこへ、撮影準備の指示をしていたエリカが準備を終えてやってきた。

 「何も全裸を撮影しようなんて言っていないわ。良い感じのやつしか使わないから安心して。」

 「当たり前でございますよ。」

全裸?馬鹿言ってんじゃねぇ!と言えたら、今からでも撮影が中止にならんかな。

 現実逃避しそうになった在仁に用意されていた衣装は、薄い浴衣だった。すっけすけでいやらしい気がすると、ものすごく恥ずかしい。こんなつもりでは無かったので、黒のボクサーパンツが透けて丸見えだ。この格好ならばパンイチの方がいっそマシな気がする。俺をどうするつもりだ、と訴えたい。

 「俺の写真集を年齢指定になさるおつもりでございますか?」

出来るだけたくさん売って奨学金資金の足しにしないといけないのに、年齢指定になんてしたら買ってもらえない。皆の紫微星様をモザイク対象物にする気か。

懐疑的な目を向けた在仁に、エリカはつまらない冗談だなと言う飽いた顔で相手にもしなかった。

 「葛葉さんは、以前、ご自身の本当の姿を隠していたわね。私にそれを明かす事にも相当な勇気が必要だった。けれど、それは私を怖がらせたくないから、という気遣いでもあったわ。」

 「え?」

 急に言われた在仁は意味が分からずにきょとんとした。そこへ茉莉が同調した。

 「在仁がまだ異形の姿だった時の事ね。確かに、あの頃の在仁は完全武装で誰にも踏み込ませないぞって感じだったよね。でも、自衛もあるけど、思いやりもあったよね。牙があるのは、怖がらせるからってよく言ってたし。」

 まだ奥州に逃げ延びて来たばかりの頃、在仁の体は人体実験の名残か異形のようだった。それを隠していたのは、差別を恐れたのもあるが、怖がらせるのを恐れたのもあった。

 「まぁ、怖いでしょ。あんな見た目の人がいたら。」

怖い目に遭わせたい訳ではないから。エリカに隠していたのも、いろいろな事情の重さを知ればエリカも辛く思うかも知れないというのもあった。

だが、そんな七年も前の事を今更蒸し返して、どうした?

 不思議な気持ちになって首を傾げると、エリカは真面目な顔で答えた。

 「私ね今になって思うの。あの姿も葛葉さんだったのだわって。そして、この世の因果よ。人の業や戦が生んだ、目を背ける事の出来ないものだと思ったの。」

(あざみ)が犯した罪は、災い子だったからという理由で片付けられない。薊に辰砂という手段を与えた石川家は、大江に与していた。鴎音(おういん)を育てたのも大江で、大江がこの世を手に入れるためにつくったシステムの誤作動が転生システムだった。大江は地下迷宮を作り、鬼を生んだ。長老会を利用し、地龍を操り、世を乱した。すべては、人の愚かさが循環していたもののように思える。在仁に降りかかった災難も、押し付けられた宿命も、その因果が故であるように思える。

エリカは改めて、在仁の異形の身を思い返すと、そう感じるのだ。

 「葛葉さんのお体は拝見していないけれど、多くの傷があると蘇芳さんから聞いたわ。その傷は、人の為、終戦の為に負った必然だって。私は写真集を通して、清く正しい紫微星様が、ただ美しい言葉で民を先導しているのではない事を、知って欲しいのよ。誰かの為に傷を隠すのは、葛葉さんの優しさなんでしょうけれど、私はその痛みを皆にも知って欲しいの。今ある平和は、葛葉さんが肩代わりしてくれた痛みの上にあるんだって、忘れないで欲しいから。」

 まっすぐに伝えられた言葉は鋭利で、在仁は貫かれた心臓が痛んだ。

 薊に抉られた胸の傷は、今でも痛む。けれど、体に残った傷よりも心の傷の方が深い。それを人に晒すのは弱さでは、ないのか?在仁の闇色の瞳が揺れた。

 「写真集は娯楽なんでしょうけれど、折角紫微星様の写真集を出すんですもの。ただ美を楽しむためだけの物にはしたくないわ。終戦の意味を、地龍の義を、誇りの在り方を、見る人に問うような写真を収めたいの。」

 在仁はこの写真集を、商魂逞しいエリカが利益のためだけに持ってきた企画だと思っていたので、完全に虚を突かれた。よく考えてみると、エリカがこういう事を言うのを初めて見た気がした。けれど、エリカは蘇芳が惚れた女だ。強くて正しい蘇芳が、共に生きたいと選んだ人。その芯に、確かな義があるのは間違いがない。

 「ずるいですよ。」

 そんな事を言われたら、もう文句は言えない。

 「俺の体は、決して綺麗とは言えません。後悔なさりますよ。」

 「いいえ。私たちは、それを受け止めるべきだわ。知るべきなのよ。」

 頑ななエリカの意識は揺るがない。在仁はもう、納得せざるを得なかった。そして、隣から茉莉が笑いかけた。

 「紫微星様、お仕事ですよ。」

 「頑張ります。」

これはいかがわしい仕事では無かった。清浄で正常のための志を、表現する仕事。疑って悪かったなと思うと、その分も誠実に努めねばと思う。エリカの誕生日プレゼントに相応しい仕事を捧げねば。

 在仁は覚悟を決めて、カメラの前に立った。


 ◆


 肌を透かす程に薄い浴衣から、在仁がゆっくりと袖を抜くと、華奢な体が現れた。

普段見ている顔や首や手などは、世の女性が羨む美白であるから、当然誰だって全身がその美しい素肌であろうと思う。けれど、実際は全く異なる。頼りないほっそりとした体の無数の傷は、古傷であるはずなのに、今も生々しい痛みを感じさせた。

 カメラの前で素肌を晒した在仁に、皆が息を飲んだ。

 まさか、ここまでとは。

 エリカは自分で言い出した事であるから、覚悟をしていたつもりだった。蘇芳から話は聞いていたし、驚く事は無いと思っていた。だが、聞くと見るとは大違いだ。

 「蘇芳さんと違う…。」

 ぼそっと零したエリカに、隣で撮影を見守っている茉莉が言った。

 「蘇芳のは戦って負った傷だもの。在仁のは拷問に遭った傷よ。全然違って当然だわ。」

 「拷問…。」

 在仁の体にある傷の多くが薊の人体実験のものだ。その壮絶を、エリカは初めて目の当たりにした。言葉を失ったエリカに、茉莉は言った。

 「でも、あの肩のは鵜流(うりゅう)君を護るために負った傷だし、心臓の大きな傷は私たちを護るために薊と戦った傷。腕の傷は呪毒(じゅどく)の時のだし、腿のは九州の時の。他にも戦場で負った傷も沢山あるよ。全部が、在仁が一生懸命に生きて来た証拠だもの。私は、全部が愛おしい。」

茉莉の言葉を聞いて、エリカは深く納得した。

 あれ程の傷を負う拷問を受けていたとしたら、地獄を見たはずだ。それなのに、今の在仁は何の汚れも知らぬかのような清廉さを纏っている。傷だらけの体の痛々しさには、在仁の強さを感じさせる。不屈の揺らがぬ意思は、紫微星の光となって、地龍を導いているのだと。

 エリカは改めて、茉莉の深い愛情を感じて、尊敬を抱いた。

 けれど、茉莉は全く無自覚なので、エリカの尊敬を台無しにする発言をした。

 「しっかし、在仁エッロ。ムラムラしてきた。」

 「やめなさい。」

ついどついてしまったエリカに、茉莉はへらへらしていた。

 「全く、今日はキスマークとかついてなくて良かったわ。」

 真面目なコンセプトの元で脱いでもらったのに、そんなものがあったらぶち壊しだ。

 「そっか、つけとけば良かった。そしたら牽制出来たのに。」

 「何言ってんの。今更、茉莉から葛葉さんを奪えると思う馬鹿な女がいるはずが無いでしょ。もしいるとしたら男ね。」

女はいないだろうが、男と言う線だってある。在仁の魅力は性別を超えていく気がする。エリカが悪戯心で言うと、茉莉がはっとして言った。

 「もしかして頼優(よりまさ)様?」

 「っぶ…。」

 これでも二人はこそこそ喋っていたつもりだったが、撮影中の在仁にも聞こえていたらしい。在仁は我慢できずに吹き出して否定した。

 「失礼な事言わないでよ。既婚者だし。万葉(かずは)様に怒られちゃうよ。」

頼優とはもう家族ぐるみの関係なので、勝手にBLカプ妄想する対象にしたら失礼だ。在仁の全否定に、エリカが笑った。

 「否定されると返って怪しいわぁ。」

 「事実無根でございますよ!」

 「葛葉くん、撮影中。」

 悪いのは女子二人の会話だが、注意されたのは在仁だった。理不尽な事だ。


 ◆


 そうして撮影を終えると、皆で撮影した写真を眺めた。

 「すっごい綺麗。」

茉莉が食い入るように見ていた。それは皆も同じで、カメラマンも良い仕事をしたと言う顔だ。

エリカはその写真を見て、とても大きな手応えを感じた。

 「想像以上ね。これを主役にした写真集にしましょう。」

商売人の生き生きとした顔に、裸に毛布を被った変な格好の在仁が首を傾げた。

 「それはそれと致しまして、真っ当なコンセプトをお持ちでいらしたならば、どうして誕生日プレゼントなどと言う手段を用いられたのでございますか?」

 「あら、どれだけ真っ当な理由をお伝えしても、葛葉さんは了承なさらなかったのではなくて?私、どのように説得しようかと随分と悩んでいたのよ。そこに、葛葉さんの方から誕生日プレゼントを問うものだから、これしか方法はないと思ったわ。」

 いつからこんな事を考えていたのか全く分からないが、在仁に承諾させるために頭を捻っていた所に、丁度良い理由を与えてしまったのは在仁自身だ。これは盛大な墓穴。

 「了承、は確かに、致しかねますね。やはり、人様にお見せするような体ではございませんでしょう。」

 撮影された写真を見て、在仁は顔を顰めた。やはり酷い体だと。

 「いいえ。美しいわ。生きる強さを体現してる。きっと良い写真集になるわ。今日は本当に、誕生日ありがとう。」

 「またそれ…。お誕生日おめでとうございます。」

 完全敗北の在仁は、エリカの誕生日を祝うために文字通り人肌脱いだのだ。いや、脱がされたのだと思ったのだった。

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