397 条件の事
世の中が波乱の連続放火事件の顛末を知り、事件考察に夢中になっているのは、事件が完全に解決したと思っているからだ。
けれど、在仁はむしろここからが本番という気がした。
目の前に座った君崇が在仁に差し出したのは、読むのが面倒くさくなるような細かい字がびっしり。
「一応、風穴利用に関しての条件をまとめてみました。」
君崇に言われて書類を手に取った在仁は、最近は君崇と顔を会わせる機会が増えたなと思った。
ここの所、足繁く奥州に通ってくる君崇は、真珠の研究室を目的としている。
これまで特定家門への肩入れを邪推される事を懸念して、あまり他家に出入りしなかった君崇だが、真珠と正式な婚約関係となったので、堂々と奥州に出入りできる。けれど、ここ数日の君崇は、そんな浮ついた気持ちではない。
真珠は、件の連続放火事件の被害者救済を、司法局から正式に依頼されている。そのために用意された臨時の研究室であるから、真珠を手伝っている千之助や紅藤小隊員も大真面目だ。寝食を忘れて根を詰めているのは、そう命じられたからでは無く、そういう性分なのだ。夢中になり過ぎる研究者気質の者たち。そういうのはどこの天才も同じだ。
その研究室に、まさか婚約者の顔を見たいと言う浮かれた気持ちでは入れない。
真珠の祖母・菊と、今回の被害者の症状は酷似している。この二つの症例を比較検討し、助ける方法を探している真っ最中だ。そして、現在の最有力方法が、渡戸を開く事。二人の意識は渡戸を渡り幽世にあると言う。意識を取り戻すためには、渡戸を開く必要がある。渡戸を開く条件は未知。二人の意識が幽世に渡ってしまった時と、同じ状況を作り出す事が、考え得る中で最有力の方法だった。
その中で、真珠たち研究室メンバーがお手上げとした条件が二つあった。日時の再現と、呪性の扱いだ。その二つは在仁が請け負う事になり、真珠たちはそれ以外の研究を続けている。
在仁は日時問題を紅と青藍に丸投げした。丸投げと言っても特大ブーメランが返って来るやつなので、在仁は全く楽をしていない。荒唐無稽な日時の再現術は在仁が扱う事になっているのだ。君崇はそれを知って、またえらい事になっているなと思った。
そして、もう一つの難問である呪性。
在仁はそれをクリアするために、風穴の利用を申し出た。常時呪性が噴き出している風穴付近で渡戸を開かんと試みる事で、恣意的に呪いを扱う必要無く、条件をクリアすると言う方法を考えたのだ。そのために、風穴担当責任者である君崇に許可を仰いだ。
風穴は管理区域で立ち入り禁止だ。立ち入り許可だって易くは無い中、どうやって渡戸を開く実験兼本番を許可出来ようか。とりあえずその渡戸を開くための方法の詳細を理解し、本当に許可出来るのか含めて検討する為に、君崇は足繁く真珠の元を訪ねていたのだ。
通っている内に、真珠たちの懸命さに心打たれてしまい、君崇自身がどうにかしてあげたいと前のめりになっていた。だとしても、冷静さと客観性を失ってはならない。そして出来上がったのが、在仁が手にしている紙に書かれた果てしない条件項目だ。
「風穴は未知の存在です。今回の事を前例として、今後風穴の利用という手段が出来上がってしまう事は避けたいです。出来るだけ厳しい条件下で行われたと言う記録を残さねばなりません。」
そんじょそこらの人には揃えられない厳しい条件を作っておかねば、前例を論って悪用されてはならない。責任感の強い君崇が、そうした事を危惧して、物凄く細かい条件設定を作ったのは、在仁を慄かせた。
「このような条件、今回でも整いましょうか?」
「大丈夫。僕が整えるから。」
その力強さには、真珠を支えたいと言う熱が込められていた。真珠は何て強い味方を得たのだろう。在仁は嬉しく感じた。
「えっと、清め人二人の立ち合い…って、あさひ様もでございますか?」
「ええ。あさひ様にお話しを持って行った所、渡戸説を言い出した責任があるからと快諾を頂きました。」
「なれど、風穴は呪性や瘴気が噴き出しておりますので、あさひ様の御体が心配でございます。」
「それは葛葉さんもでしょ。医療術者必須、と明記しました。」
清め人の体は繊細で、呪いに弱い。呪いにかからないのに、不調になるのだから意味不明だ。清き水でしか生きられない説も、こうして見れば嘘でも無い。
「えっと、四天のお立合いでございますか?全員?お越しくださいましょうか?」
「大丈夫。四人とも興味津々で前のめりの快諾だったよ。彼らは呪いの専門家だからね、不測の事態に対応するために、立ち合いは必須だ。」
「あとは…もちろん君崇様のお立合いは必須。護衛として上級部隊所属相当の実力の武士を六人以上…って。その他に所属家門御当主様の御許可。保証人の署名捺印。それから…。」
待て待て、何だか大変な事になっている。
そも、現在実質的に活動している清め人は二人だけであるから、清め人二人を立ち会わせるのは全清め人動員だ。清め人は超ビップで、ある意味殿上人的なポジ。普通の人が御目通り出来る身分ではない。これだけでも常人にはクリア不可能な条件だ。
その上更に四天を四人とも立ち会わせるなんて。四天の連中は自分勝手で変人であるから、上手く気を引かないと乗って来ない。扱いに慣れた者でなければ、動かす事はできまい。
風穴管理担当責任者である君崇の立ち合いは当然だが、この人は次期地龍当主だ。立ち合いをお願いするなんて、恐れ多い。
ついでに有事の際の対策として護衛を用意するのは分かるが、それが上級部隊所属相当の実力の武士六人以上なんて、どうやって雇うんだ。そんな武士はとんでもない高給取りであるから、バイト代をはずんでも引き受けるはずが無い。伝手が無ければ不可能だ。
そして所属家門当主の許可や保証人のサイン、というのは一見常識的な項目に見えるが、実際はなかなかハードルが高い。自家門のお殿様に事情を話して許可を貰うのも、また大変な事だ。当主たちは家門政争を第一とする経営者であるから、色々な兼ね合いで不穏分子は排除するだろう。許可は貰えない確率が大変高い。当主が許可しない案件に、保証人は立つまい。
その他の項目も、何だか一見問題なさそうでありながら、よくよく考えると無理なものばかり。
「よくこんな意地悪な事を思いつかれますね。」
在仁はつい口に出してしまった。
だってこんな無理な条件は、やれるものならやって見ろと言う意地悪にしか思えない。
「酷いな。葛葉さんが頼んで来たんじゃないか。」
「申し訳ございません。ありがとうございます。では、こちらの条件は君崇様が整えて下さり、準備が整い次第、風穴の利用が可能という事でございますか?」
今更謝っても遅いが、誤魔化しつつ話を軌道修正。在仁が問うと、君崇は苦笑して答えた。
「そうですね。ただ、どの風穴が一番良い環境なのかを、まだ厳選しています。真珠に相談して、地形や方位なども考慮すべきかと。それが決まり次第、こちらは準備に取り掛かります。そう時間はかからないつもりですよ。」
百か所ある風穴のどれを利用するか。君崇はもう在仁よりも渡戸に詳しそうだ。
「さようでございますか。紅様たちも、作業は大詰めとご連絡を頂きました。遠からず全ての条件が整いそうでございますね。」
「いよいよ本番か。緊張するな。」
いよいよ本番、そう君崇が言ったのを聞いて、在仁は放火事件解決後こそ本番なのだと改めて思った。事件に余計な思考や意識を割く必要が無い分、こちらに集中できる。いや、集中せねば。おそらくチャンスは一回だ。在仁の責任は重大。
「緊張、致しますね。」
◆
各方面の準備が着々と進む中、在仁は護衛たちと司法局管理の医療施設を訪ねた。
渡戸を開く際、肝心の菊と被害者がいなければ始まらない。事件関係者としてこの施設に保護されている二人を、連れて行かなければならないのだ。それに当たっての手続きの立ち合いを申し出たのだ。
「わざわざ紫微星様が来られなくとも。」
手続きなど人にやらせればいいだけ。そう言う担当者は、在仁の登場に返って恐縮したような態度だ。
「いえ。お忙しい皆さまと違って、俺は暇なのでございますよ。少しは役にたたねばなりません。」
暇、は嘘だが、各方面の奮闘に対して在仁はやる事が無い。紅たちが例の術を完成させれば、お鉢が回って来るが、それまでは手持無沙汰だ。何か少しは役に立ちたいと思って、立候補してみた。
病室ではなく、受付の奥にある別の部屋に通された在仁たちは、手続き書類を交わすのを見守っていた。手続きをするのは幸衡が派遣した奥州の文官で、在仁はただの立ち合いなので返って邪魔かも知れない。
「外出許可では無く、退院なのでございますか?」
ふと見ると、一時外出扱いでは無く、出所扱いの様子。在仁が問うと、担当者が言った。
「今回の連続放火事件は解決しました。鷹司夫妻の件も既に終わった事件という扱いです。関係者としてこの医療施設で保護されていましたが、折を見て一般の病院なり施設に移って頂いても良いのではと言う話になっています。今回の件が成功し回復とならずとも、退院と言う形でと、決まりました。」
「菊様の身元引受はお館様が。一旦奥州で引き受けます。」
奥州の文官が補足して、在仁は納得して頷いた。
確かに司法局管理の医療施設は、本来は犯人を入院させる施設であるから、菊たちのような回復予定不明の被害者を置いておく余裕は無かろう。そろそろ出て行ってくれ、という気持ちも分かる。同時に、鷹司夫妻を真珠の近くに迎えられる事に喜びを抱いた。檀は既に回復しているのだから、普通の生活が送れるはずだ。
「では、被害者の御方は?」
鷹司夫妻は良いとして、放火の被害者の方は…在仁が口にした時、丁度やって来たのは被害者の夫だった。
「こんにちは。手続きに…。紫微星様!」
見た瞬間に歓喜の声を上げた男。在仁は初対面だ。在仁の後ろから東がそっと耳打ちした。
「被害者の旦那よ。」
東たちは以前、この施設の待合で話していたので顔を知っていた。在仁はあの人ね、と思って挨拶、しようとしたが男が興奮して話し出したので隙が無かった。
「紫微星様!この度はまことにありがとうございました!紫微星様のお陰で、屋敷の再建の目途が立ち、仮住まいも決まりました。家族も使用人も離散せずに済み、何とか元の生活を取り戻す見通しが立ちました。本当に、何とお礼を言っていいか。妻の事も、回復のためにお力添え頂き、本当に感謝の言葉もありません。きっと妻も感謝しております。」
「え…あ…。」
あまりの勢いに、在仁は圧倒されてしまった。圧倒されつつも男の言葉を聞いて、北条家が連続放火事件の被害者救済に着手したのだと分かった。在仁が望んだ事とは言え、対応が早すぎる。新年会を視野に入れれば、おちおちしていられないのは分かるが、スピードも含めて北条に無理を強いた気がした。
結局のところ、在仁は北条に被害者救済を強要しただけであるから、こんなに熱いお礼を向けられる立場では無い。在仁は男に、そう言おうと思ったが、男が続けた。
「お陰様で事件解決となり、妻も退院できる事になりました。」
その言葉で、被害者は夫が身元を引き受け、自宅に帰るのだと分かった。
「奥様はご自宅で引き取られるのでございますか?」
「はい。特に専門的な医療環境は必要なく、普通に生活できるようなので、自宅で一緒に暮らすつもりです。もし今後の回復が見込めなかったとしても、妻は俺にとって必要な人ですから。」
「さようでございますか。奥方様もその方が御心が休まりましょう。」
最近は情夫とか妾とかそんな話が続いていたので、世間にこういう睦まじい夫婦があると分かると、ほっとする。在仁は温かな気持ちになって言った。
「俺も、奥方様のご快癒がために全力を尽くさせて頂きます。」
「ありがとうございます!」
誰かの為に、そう思う事は在仁にとって大きな力になる。在仁はこの夫妻のためにも、出来る事に全力を注がねばと思ったのだった。
◆
そうして過ごしていると、とうとう紅と青藍から呼び出しがあった。
真珠や菊たちを思えばこの時を待ち望んでいたものの、どんな術が完成したのか想像も出来ず恐ろしくもあって、在仁は複雑な気持ちを抱いて福原へ向かった。
惟継に案内されて、福原の平家本家に作られた臨時の研究室を訪ねると、待っていた紅たちはすっかり草臥れた様子だった。
「うっわ…。」
在仁の心の声が漏れてしまったのかと思ったが、ドン引きの呻きを漏らしたのは茉莉だった。
茉莉は在仁の隣で、草臥れた紅と青藍と、死にかけの松葉を見て眉を寄せていた。
「休まずにやってたんですか?」
呆れた。その感情に、青藍が首を振った。
「私は休んでいたが…紅殿は不眠不休だったようだ。」
「紅様はいつもの事ですよ。御爺様も疲れているみたいですけど、本当に休んでました?」
紅など放っておいても普段からこういう生活だ。医者の不養生の最低版のような暮らしなのだ。茉莉は紅の事を放置して、青藍に近付いた。寝不足っぽい顔のどこが休んでいるのかと。
「いや、休んでいても頭を離れなくてな。何せ、思ったよりも厄介な術だったのだ。これを在仁が安全に扱えるのかと不安になると、なかなか眠れなかった。」
げっそりした暗い顔でそんな事を言うので、在仁はギクっとした。
やはり、これから提示される術は易くはない模様。在仁が嫌な予感を高めていると、浮浪者みたいな見た目になっている紅が、押し付けるように紙の束を突き付けた。
「術陣はこちらで作製する。だが、演算が複雑になり過ぎた。術陣は補助と思ってくれ。発動は紫微星様に任せる。」
「任せるって…これを?」
術を発動するための演算式なんだから、せめて一枚の紙に収めろよ。何だこの束は。在仁は驚愕を口にすると、隣から茉莉が、後ろから護衛たちが覗き込んだ。
「嘘でしょ、なにこれ。出来る?」
「ちょっと、紅。これ大丈夫なんでしょうね?」
疑いが向くと、床で倒れている松葉が呻いた。
「理論上は可能です。実現可能かは疑わしいですが、紅様は、紫微星様ならば出来ると言うので…。」
「そんな絶大な信頼を頂きましても…。一応お伺い致しますが、紅様と御爺様には出来るのでございますか?」
在仁は紙を捲りながら、君崇の風穴利用のための条件書よりもエグイなと思った。過去最難関では無かろうか?ぞっとした在仁に、紅が仏頂面で言った。
「できる訳なかろう。そういうのは机上の空論と言うのだ。」
「では何故、迷いも無く俺に可能とおっしゃるのでございますか!」
ついツッコんでしまった在仁に、紅が真顔で言った。
「紫微星様は過去に何度も机上の空論を実現して見せただろう。」
「紅様がやらせたのではございませんか。」
呪毒の時も、透析術の時も、最終決戦の時も、紅は当然のように在仁にヤバい術を押し付けて来た。紅があれらを机上の空論と思っていたなんて、今初めて知ったんですけど?ヤベぇ奴だと思っていたが、こんな酷い人とは思わなかった。
「前歴がある以上、言い逃れできまい。」
「前歴ではなく、実績とおっしゃって下さいよ。せめて紅様だけは。」
犯罪の前科みたいに言いやがって。在仁は呆れてぐちぐちと言いたくなったが、現実は現実だ。もうやるしかないのは分かっているが、見ているだけで不安になってくる。隣で密着して一緒に見ている茉莉に、試しに訊いてみた。
「ちなみに、茉莉できそう?」
「は?」
は?に込められた「何言ってんの、馬鹿なの?」というニュアンスの全否定に、在仁はがっくしした。術力保有量が豊富な上級武士の皆さんは、平気で演算を省略して術を扱い戦う。蘇芳は金持ちが金にものを言わせているのと同じ、と宣う。一般的な術は、演算を術力でカバーして省略可能なのだ。だが、それにも限度と言うものがある。
「綿毛ちゃん、私たちが普段使っている術はもっと単純よ。最大に省略する複合演算だって、こんなとんでもないものじゃないわ。それに、省略すると正確性は損なわれるもの。戦うなら緻密な正確性より攻撃力が必要だから気にしないわ。でも、術者や研究者が求めるものは逆で、完璧な正確さが求められるわ。そういう時に、演算を省略する人はいないでしょうね。」
「ええ、まぁ、はい。」
全部術力で何とかなったら、在仁は辰砂に頼って楽が出来たのだ。辰砂があった当時とて、演算の省略は許されなかった。ただの現実逃避として聞いてみただけだ。
「とは申されましても、ここまで複雑で長い演算式となってしまいますれば、俺よりも専門の術者をお呼びになられた方が良いやも知れません。所詮俺は素人でございますし、俺よりも優秀な御方は数多おられましょう。俺の権力にて、そうした御方を召喚致しましょうか。」
面倒ごとを誰かに押し付けようと言うのでは無いが、実際の所、専門家に任せた方が良いようにも思えた。紫微星様の権力で地龍最高峰の術者たちを呼び出せば、無理難題でもやってくれるのでは。常識的に考えて提案したつもりだが、紅は首を振った。
「いや、地龍中を隅々まで探しても、紫微星殿の精度に敵う者はいないだろう。前科がそれを裏付けている。」
「もう前科っておっしゃってしまったではございませんか!」
せめて実績と言えと。デリカシーとか皆無なのが紅だけれども。在仁は紅に振り回されて疲れて来た。いや、この途方もない演算式が在仁の精神を疲れされているのだ。
そこへ、青藍が申し訳なさそうに言った。
「どれだけ優れた術者であっても、禁術を二度も成功させた実績には及ぶまい。在仁が最適任者である事は、疑いようのない事だ。」
地龍イチの術者よりも適任者だなんて、褒められている気がしない。だが逃れようもない。
「分かりました…。はじめから俺が扱う事は前提でございましたので、今更逃げようなどとは思いません。なれど一つ。こちらの術は俺のひよこが耐えうるものでございましょうか?」
在仁の術力器官は繊細で不安定だ。術力量も少ないし、術を扱う者としては資質が低い。この禁術めいたヤバイ術には、大きな術力を必要とするのではないか。
「そこを考慮せねばならなかった故、これだけ長い演算式になったんだろ。ひよこさえ丈夫であれば、この半分の量で済んだものを。」
「わお…。」
半分だって?ひよこめ…。在仁がひよこを恨めしく思っていると、紅は草臥れた顔で頭をかきながら茉莉を見た。
「紫微星殿のひよこでは役に立たん。茉莉様、術力を貸してくれ。」
「え?私?私、自他ともに認める大雑把人間なんで、こんな滅茶苦茶な術扱えませんけど。」
高速で首を横に振りまくる茉莉に、青藍が説明した。
「同じ術を扱うと言っても、術力提供だけでいい。在仁と最も親和性が高いのは、茉莉さんだろう。茉莉さんなら術力量は十分だ。」
「…えっと、在仁の為になるならやりたい、です。けど…簡単な事なら、やります。本当に私に出来ます?」
「大丈夫だ。術陣に術力を込めるだけだ。茉莉さんは在仁の調術をしているから繊細な術力の扱いを習得している。術陣に時間をかけて一定の量の術力を込め続ける作業は、集中力は要るが、決して難しくないはずだ。」
「つまり、ひよこだと思ってやれば良いんですね?」
「そうだ。在仁のひよこだと思ってやれば問題ない。」
「だったらやります。私、在仁と一緒に、夫婦の共同作業、頑張りたいです。」
勝手に話を進めたしまった茉莉に、在仁は複雑な目を向けた。
「夫婦の共同作業?何か違う気がするな…。」
それってウェディングケーキに入刀したりするやつでは。そう言えば茉莉とウェディングケーキに入刀するイベントを体験した記憶が無い。戦時下の結婚だった所為で、内輪のパーティーとかもやり損ねたんだった。ああ、勿体なかった。
在仁が全力で現実逃避しているのを、茉莉が引き戻すように言った。
「頑張ろうね!」
その笑顔に、否を返す事は出来なかった。
「よし。分かった。じゃあやるか!」
覚悟を決めたら無駄な時間を過ごす訳にはいかない。在仁は持っていた紙の束を惟継に渡した。
「今から此処で、猛勉強致します。惟継様、こちら五部…いえ、十部コピーを取って下さい。それから、紙と鉛筆と、赤ペンもご用意ください。紅様と御爺様、松葉様は一旦お休みくださいませ。」
腕まくりした在仁が受験生モードになったので、惟継はすぐに必要な準備に取り掛かった。
北辰隊は長くなりそうだと察して交代の打合せを始めて、紅と松葉は仮眠を取ろうと出て行った。
けれど、青藍は残っていた。
「御爺様も御疲れでございましょう?」
「いや、私は残って説明をしよう。術は複雑だ。解説する者があった方が良かろう。茉莉さんも、具体的な事が分かった方がイメージが湧くはずだ。」
「もちろんそうですけど、御爺様倒れちゃいますよ。」
「私は大丈夫だ。すべて終わってからゆっくりと休む。」
そうでなければ眠れないと。そういう青藍の心配は全部在仁に向かっているのだが、心配で不眠という繊細さが在仁に似て見えた。
在仁は確かに懸念があると眠れないと納得して受け入れた。
「ありがとうございます。では、どうぞよろしくお願いいたします。」
そうして、在仁たちは福原にてお勉強会を開く事になったのだった。




