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377 月見の事

 週末旅行が終わって奥州に帰ると、あらびっくり。十月も中旬だ。

 その日、在仁(ありひと)は奥州藤原氏当主執務室に呼ばれていた。部屋には、幸衡(ゆきひら)智衡(ともひら)晋衡(くにひら)。そして在仁、胡桃(くるみ)(あずま)。使用人がお茶を淹れて、皆で応接テーブルに集まった。

 「茉莉(まつり)に情夫などと、考えただけで腹立たしい。」

 幸衡は「情夫事件」にたいへんご立腹だ。元より幸衡にとって茉莉は娘も同然の存在かつ、精神的にはいつまでも純心で汚れを知らぬ乙女なのだ。情夫だなんて、失礼極まりない。

けれど夫である在仁は、茉莉本人に説得されて許している。だからこそ四国の復興のために事件を利用する幕引きを選んだ。

その事を含めて、幸衡はとても憤慨している。もちろん、茉莉大好きな重度のシスコンである智衡も同じだ。

 「本当ですよ。あんなに一途で純粋なジャスミンに、愛人がいるはずが無い。あの美しさを見て、どうしたらそんな下種な発想が出来るんだ。余程心が汚れているに違いない。もしやジャスミンを貶める事で間接的に奥州を攻撃しているのではないか?ならばこの喧嘩、巨額で買い取ってやるべきだ。」

売られた喧嘩は何倍にしてでもお返ししないと気が済まない。奥州としても、兄としても。智衡の怒りの波形はマジだ。

もちろん、茉莉の父親である晋衡だって怒らないはずが無い。

 「長宗我部(ちょうそかべ)家なんて、俺一人で余裕で潰せる。一時間あれば片が付くだろう。お館様、御命令を。」

 晋衡が言うと、幸衡は頷こうとする。ここで命令が下れば、間違い無く一時間後に四国は焦土と化す。在仁は慌てて晋衡の腕を掴んだ。

 「お待ちください。事は既に終了しております。(まさる)様は既に長宗我部家より絶縁されておりますし、長宗我部家は運営権を持たぬ名ばかりの家門となっております。これは十分に重い沙汰と存じます。」

奥州には茉莉ガーディアンが沢山いるので、事件を知ってアサシンになるのは分かっていた。だから奥州に帰宅する前にすべてを片付けて来たのだ。後手に回ったアサシンたちに出来る事は無い。在仁が言うと、三人が睨んだ。

 「何を甘い事を。だいたい、どうして葛葉(くずのは)が許容する?茉莉に二心を疑われたのだぞ。決して許せるはずがなかろう。」

 「そうだぞ。これはジャスミンと在仁を離婚させようとする(はかりごと)やも知れん。紫微星(しびせい)様を西家門が獲得しようという腹ならば、政治的な攻撃だ。」

 「そもそも、在仁の事だって貶めているんだから、その分だって見逃せない。どこからどう解釈したって無礼千万。手討ちが妥当だろう。」

 今すぐ長宗我部家を皆殺しにしなければ気が済まないという主張には、殺意しかない危険な術力圧。在仁は胸が苦しくなった。

 「けほ…、けほ。」

強者の術力圧をくらっては、ひよこちゃんはひとたまりもない。黙って控えていた東が、慌てて在仁の側らに来て背をさすった。

 「ちょっと、殺気は抑えてくださいよ。」

東が抱き寄せるようにして守ると、在仁は東の胸で呼吸を整えた。その間に、東が言った。

 「折角四国復興の道筋を立てたのに、ここで奥州がしゃしゃり出たら全部ご破算です。平家だって奥州が怒っている事は分かってますから、その侘び分も復興に力を入れるはずです。それでも気が済まないなら、水面下でやってください。綿毛ちゃんが一人の死人も出さずに解決するために頑張ったのを、台無しにしない方法で、お願いしますよ。」

冷静に在仁の肩を持つ東を、三人とも嫌そうに見た。

だって、東は茉莉の愛人と思われていたのだ。それは勝の馬鹿な勘違いだが、茉莉は以前から部隊で男を食ってる疑惑があった。その筋から見れば、強い男ならば誰でも愛人疑惑対象。最強であれば更に茉莉に相応しいのだから、疑惑は濃厚だ。

 「東なんて俺の五歳年下だぞ?茉莉からしたら親みたいなもんだろ。なんだよ、愛人て。おっさんのくせに。」

 「碓井(うすい)は見目は良いが、素行がな…。茉莉の愛人などとは、とても許容できん。」

 「若い子の愛人疑惑なんて、碓井からしたら嬉しいんじゃないのか。調子に乗ってんじゃねぇぞ。」

こそこそと文句を言う三人に、東が呆れた顔をした。

 「全部聞こえてんですけど。」

今の発言の方が、名誉棄損っぽくね?東が三人を睨むと、三人は嘆息した。

 そこに、復活した在仁。

 「とりあえず、暫しご様子を御見守りください。俺の求めさせて頂きました沙汰が、履行されておりませんものと思われますれば、その際には是非とも正式にご抗議くださいませ。」

 在仁が求めたのは平家主導による確実な復興。平家はそれを果たす義務があり、四国家門は従う事が罰だ。この決定にそぐわない進捗が見えたならば、奥州として正式に抗議すれば良い。むしろ、その時は奥州の圧力を必要とする。在仁が奥州を利用しようとするので、幸衡は肩を竦めた。

 「総取りか。」

 在仁はすべてを総取りする清め人なのだ。約束された四国復興は、在仁の我欲。傲慢の結果だ。

 そうと理解すると、仕方がない。

 もちろん、茉莉の棄損された名誉が取り戻されない事には、絶対に許せないが。

 「では、私は精々この事件の顛末を広めよう。金輪際、茉莉に情夫などという発想が無くなるようにな。」

 「ええ、是非とも、よろしくお願い致します。」

 在仁は力強くお願いした。在仁とて、茉莉に情夫なんて、絶対に許せないので。

 だが当の茉莉は、在仁が嫉妬に狂ったお陰で熱い夜を過ごせたので、むしろ感謝している。もちろん誰も知らない事だ。

 話していると、そこにドアをノックする音がした。

 「(はしばみ)鵜流(うりゅう)様が参られました。」

使用人の声がして、幸衡が返答をすると、鵜流が長い包みを抱いて入室して来た。

 「こんにちは。ご依頼の御品物を納品に参りました!」

 元気にやってきた鵜流に、皆が先程までの剣呑な話を止めた。本日ここに集まったのは、これが目的なのだ。

――――キンっ

 在仁は絶対浄化の音を聞いて、鵜流の持つ長い包みを見た。鵜流は在仁のリアクションで、絶対浄化に値すると確信を得た笑みを浮かべた。そして、幸衡の視線に促されるままに応接テーブルにその包みを置いて言った。

 「今月末にある天衡(たかひら)様ご生誕をお祝いするパーティーにて、天衡様にお贈りする刀を一振りとの事で、ご依頼承っております。将来この奥州藤原氏御当主となられる天衡様が携えるに相応しい刀をと、全身全霊を賭して打たせて頂きました。ご確認ください。」

 丁寧に頭を下げた鵜流を見てから、幸衡はそっと包みを開いた。包みの中には木箱。幸衡の白い手がその木箱の蓋をゆっくりと外した。

 すると、中に入っていたのは鞘に収まった細長い刀。通常の刀より些か長い印象は、晋衡や智衡の持つ刀に似ていた。幸衡が刀を手に取り、その鞘をゆっくりと抜くと、中から現れた刀身の、なんと美しい事だろうか。

 「これは…。」

 幸衡が言葉を失った。一緒に見ている全員が、その刀身が宿す閃光のような鋭さと洗練された美に、呆然とした。

 「如何でしょうか。お気に召して、いただけましたか?」

鵜流は渾身の一振りのつもりだが、依頼主が気に入るかは別の話だ。皆の表情は硬い。そして、戸惑うような、畏怖。誰も何も言わずに、刀身を見つめでいる時間がしばし。そして幸衡が言った。

 「この刀を気に入らぬと申す者あらば、余程目の曇った者だろう。」

感嘆はため息の様に漏れた。それから鵜流を見据えた。

 「榛、たいへん良い品だ。お主に依頼して良かった。ありがとう。相応の値をつけさせてもらう。」

幸衡の満足した反応から想像するに、相応の値、とはとんでもない金額ではなかろうか。在仁が想像して慄くと、鵜流は堂々と頭を下げた。

 「ありがとうございます。」

 客の満足度に見合った料金を貰う事を当然として受け入れる姿勢からは、自信を持って仕事をしているとよく分かった。在仁は、鵜流がもう一人前の自立した職人なのだなと実感した。

 そして、その後、在仁が刀を絶対浄化刀にした。在仁はこのために呼び出されたのだ。決して「情夫事件」について追及されるためではない。だから仕事が終わったら退散だ。これ以上余計な事を言われる前に。


 ◆


 在仁が鵜流と一緒に当主執務室を出ると、鵜流は廊下で在仁に抱き着いた。

 「紫微星様。こんにちは。」

 「ふふ。鵜流様、こんにちは。」

もう挨拶をするタイミングは逸しているのに、後からやり直す鵜流は、在仁に抱きしめて貰いたいだけだ。在仁はそれが可愛らしくて、優しく抱きしめた。在仁にとって鵜流は、ずっと出会った十二歳のままに思える。まだ親の庇護を必要とする心許ない子どもで、でも誰にも負けない才能があって、大切に守って育ててやらねばと思う。けれど、鵜流はもう十六歳だ。地龍では社会人として扱われて良い年齢だ。抱きしめた体は、会う度に逞しくなって、もう完全に在仁よりも縦にも横にも大きい。先程の幸衡に対する堂々とした態度を思い出しても、鵜流はすっかり大人だ。

 「ご立派になられて。」

 守っているつもりが、いつの間にか在仁の守りなど不必要になっているのではないか。寂しいような気もして言うと、鵜流は笑った。

 「そりゃあ、鍛えてるんで。」

刀を打ったりする鵜流の仕事は体力勝負。力が要るのでとても鍛えられるのは分かる。けれど、在仁だって鍛えているのだ。これでも。

 「俺とて鍛えておりますものを。どうしてこうも違うのでございましょうね。」

体を離して改めて見ると、成長期の体はまだまだ立派になりそうだ。実に羨ましい。

 「必要の差では?」

何の気なしに言って笑う鵜流に、在仁は案外と納得してしまった。確かに、在仁は鍛えているものの、鍛え上げる必要性が無い。だから追い込まれる事も無いし、なんちゃって筋トレは甘々だ。必要の差。御尤も。

在仁が大いに納得していると、鵜流が思い出したように訊いた。

 「紫微星様。栗いりませんか?」

 「栗?」

 唐突に言われた在仁がきょとんとすると、後ろから来た胡桃と東も首を傾げていた。

 「うちの山に大きな栗の木があるんです。たくさん拾ったんで、貰ってくれませんか?」

うちの山、と言う表現に、鵜流がここに根を張ったのだと感じられて、在仁は何だか感慨深い気持ちがした。

 「ええ。もちろん。是非とも頂戴いたしたく存じます。」

 「じゃあ持ってきます!」

 元気な鵜流の笑顔に、在仁は何だか元気を貰った。若者が成長する姿には、独特のエネルギーがあって、それを浴びているだけでこちらが元気になれる気がする。なんて、在仁だってまだまだ老け込むには早すぎるが。

 何処に持って来たのか、東が栗を運びに行って、在仁はそれを微笑みながら見送ったのだった。


 ◆


 鵜流が持って来た栗は、段ボールにぎっしり詰まっていた。

 「まさか、この量とは。」

在仁は自宅キッチンにて、もう一方の段ボールを見た。そこには大量のカボチャ。これは去年に引き続き、庭師のおじさんの趣味でつくったカボチャの御裾分けだ。

目の前に、段ボールいっぱいのカボチャと栗。ド王道の秋を感じると、ついこの間まで残暑だの夏バテだの言っていたと思うのに、不思議この上ない。入院している間に、季節は完全に移り変わっていたのだ。美味しそうな食材が、在仁にもう秋なのだと主張してくる。それでようやく、在仁は秋なのだなぁとしみじみと痛感。

さて、この豪華な秋の味覚を前に、張り切らない事が出来ようか?

 在仁が喜び勇んで腕まくりをすると、後ろから東が羽交い締めにして止めた。

 「待った。」

 「ええ?何故でございますか?」

 昨年は療養真っ只中だったので、パンプキンパイを作ったら怒られた。けれど、今年は療養中でもないし、本気の調理をしたって良いはずだ。

在仁は東に簡単に持ち上げられて、宙に浮いた足をばたつかせた。

 「今から始めると遅くなっちゃうでしょ。特に栗は時間がかかるんだし。カボチャは置いておいた方が甘味が増すし、栗だってすぐに腐りゃしないわよ。今日はやめましょう。ね。」

 言いながら東は在仁をキッチンから運び出し、リビングのいつもの席に下ろした。

 在仁はそこから時計を見れば、もうおやつ時だ。

 「確かに…。分かりました。計画的に、後日着手いたしましょう。」

何をどれだけ作るか綿密に計画して材料を買いそろえておかねば。在仁がそう決めたのは、今日これから出かけるからだ。

 テーブルの上には、歌会の招待状。

 今年の十月の歌会は月見を兼ねて夜に開かれるのだ。


 ◆


 今夜は今年のスーパームーン。

在仁の天体好きに合わせて、惟継(これつぐ)は今夜を月見の歌会として特別バージョンで開催を決めた。

普段は日中に行われる歌会を、日没後に開催するのは惟継が黄昏(たそがれ)会を受け継いでからは初めての事だった。和歌と月は縁の深いものであるから、この趣向はとても相応しい企画だ。けれど天気に左右されるため、惟継はずっと天気予報とにらめっこして過ごしていた。

 「今宵が晴れたのは、在仁殿の力であろうな。」

 天気予報では薄曇りだったが、見上げた夜空には雲など見えない。

惟継は在仁パワーに違いないと確信して言うと、在仁は清廉に微笑んでいた。

 「皆様の日ごろの行いの賜物でございましょう。」

 今宵の在仁も品の良い着物姿だ。護衛は稔元(としもと)白蓮(びゃくれん)。そして在仁の同伴として、艶やかな着物姿の茉莉がいた。

 歌会初参加の茉莉は、芸事には疎く、特に和歌の造詣など無い。不調法を自覚するため、歌会への参加希望を出した事は無かった。だが今回はこの月見の催しに、惟継から誘われたので参加したのだ。ちなみに在仁の護衛が稔元一人なのは、ここに茉莉がいるからだ。

 今宵の会場は、某神社の舞殿を借りての雅な演出だ。

 厳かな雰囲気の会場に、黄昏会の雅な着物集団が並ぶと、そこは忽ち平安時代のようだ。月を見るために照明は暗く、隅に座っている水干姿の男は雅楽器を持って控えている。ほのかに香る香は、惟継らしい拘りだ。これはとても雰囲気がある。この初の試みだけでも、会員たちは胸高鳴るものだが、この会場に在仁と茉莉のツーショットがあるのではもう心臓が持たない。

多くの会員にとってこれが初の生茉莉。写真で見るより美しいに決まっている茉莉に、圧倒されてしまって、ノーリアクションだ。

 在仁が用意した季節の着物が、茉莉に似合わないはずが無く、エアメイクまで隙の無い完全無欠さ。茉莉の美貌あっての仕上がりとは言え、在仁拘りの出来映えだ。それを見て心奪われない者など、この世にあってたまるか。在仁は自慢気な気持ちで一緒にいる。

そんな在仁自身とて、歌会となれば自分の装いにだって拘る。以前より短くなった髪をハーフアップにして、茉莉の組紐で結んだのは、可愛らしくも色気がある。茉莉は在仁の清廉さが引き立つ装いとシチュエーションに、恋する熱い目を向けていた。

 そんな二人が並ぶだけで、絵になり過ぎる。皆、ただその出来過ぎた絵画を眺めているだけで、無粋な感想など一言も出て来なかった。

 静かなのに視線はやけに賑やかで、厳かなのに浮足立ったような熱量が伝わる。茉莉は黄昏会員を面白い人たちだなと思いながら眺めていた。そこへ、惟継が声をかけた。

 「退屈かも知れんと思い、食べ物も用意した。気兼ねなく過ごしてくれ。」

 惟継が茉莉を気遣って言うと、上品な御茶菓子と甘酒の乗った膳が運ばれてきた。

 「人を花より団子だと思って…。」

失礼な、と思うも、たいへん美味しそうなので絶対に食べる。茉莉の可愛らしい笑みに、在仁は笑みを向けた。

 促された席に座ると、開始時刻までは優雅な雑談タイム。今年一番大きな月を眺めていると、本日の歌人が順番に挨拶にやってきた。茉莉はそれを時代劇を鑑賞する気分で面白がって見ていたが、最後にやってきた男を見て「おや」と思った。

 長宗我部(かおる)だ。

 「本日もどうぞよろしくお願いいたします。」

丁寧かつ穏やかないつもの薫だが、会場中の視線は複雑で、どちらかと言うと厳しいものだ。何故って、長宗我部家は「情夫事件」の犯人として罰せられた立場だからだ。紫微星様が激怒して厳しい沙汰が下ったのだから、本来ならばもう二度と在仁と茉莉の目の前に立てないはず。それが、実に通常運転のテンションで挨拶をするのは、厚かましいのか、無知なのか、それとも別の何かがあるのか。会場中が薫に注目していた。

 「ええ、どうぞ、よろしくお願いいたします。」

在仁の柔らかな返しも、いつも通りの親愛が込められていた。

 どういう事だ。全員の興味が一気にその一点に注がれた。茉莉はその成り行きを鑑賞していた。

 「先日の案件があって、よく顔を出せたな。」

 惟継がさらっと言った言葉は、責めるニュアンスが無く、用意されていた台本のように聞こえた。それを受けて、薫が平伏した。

 「先般の我が家門の失態につきましては、誠にお詫びのしようもございません。紫微星様と茉莉様、その他皆さまの御不快、察して余りあるものと存じております。長宗我部家及び四国家門に下されました沙汰は、当然の報いと理解しております。」

四国は平家に支配されて、四国家門は名ばかりの存在と成り下がった。復興全権を取られたは、実質的支配だが、同時に復興自体が四国家門には不可能と見做されたという側面もある。それは家門を見限ったのであるから、たいへん厳しい状況だ。自領の復興も出来ない家門に領地を持つ資格なし。平家にすべて任せよ、というのは屈辱に他ならない。そういう意味では、名誉棄損の応報として相応しい罰だ。屈辱には、屈辱をお返ししたのだから。

そんな無能な長宗我部家はじめ四国家門は、今後見下される事は必定。そうした待遇を含めてすべてが然るべき罰だとばかりに、黄昏会員たちも薫に冷たい視線を向けていた。

 「茉莉様。此度の非礼、改めまして、お詫び申し上げます。」

 薫が、被害者である茉莉に丁寧に頭を下げると、茉莉は急に水を向けられてびっくりして、つい素で言った。

 「いやいや。あれは勝様の愚行であって、薫様は完全に無関係じゃないですか。謝って貰う筋合い無いですって。」

 茉莉が首を振って否定したが、事は家門レベルの問題として処理されたのだ。だったら一族郎党に至るまで無関係者はいない。薫は一切関わっていなくても、長宗我部家である以上は当事者というカウントになる。そういうものだ。被害者である当の茉莉がそれを否定するとなると、此度の沙汰が根幹から崩れる。

 あれ?当人許容してんだけど?という事になると、沙汰が重すぎるアンバランスが発覚。黄昏会員たちは違和感を抱く。

 だが、それで良いのだ。薫は茉莉のナイスなリアクションに微笑んで言った。

 「ご寛容な御心、まことに感謝いたします。また、此度の失態に乗じて、四国を救済下さった事、どのような言葉を持ってしましても、感謝を表現するに能わないながら、御礼申し上げます。まことにありがとうございます。」

謝罪からの感謝。感謝?罰に感謝する罪人があろうか。

 会場中が薫の言葉に集中していた。その視線に、薫が穏やかに昔話をするように説明した。

 「お恥ずかしながら、四国家門は大昔から現在に至るまで、四国統一を目指し国取り合戦を続けて参りました。終戦後もその睨み合いは止まず、その所為で復興に大きな悪影響を及ぼしておりました。復興遅れは家門の統治力への不信感に繋がります。四国を擁する平家への不信、そして大きくは他家門よりの平家への不信へと、繋がって参ります。そうした事情により、平家からは一刻も早く復興をと圧力をかけられ、四国家門は不承不承ながら復興協定を結ぶ流れとなりました。なれど、互いに信用も好意も無く反目し合い、遠からず破綻するような協定でしたので、無意味どころか、戦へのカウントダウンのような状況でした。もし四国内で戦となれば、平家が武力制圧に乗り出したでしょう。そうなれば、四国家門がすべて廃され、四国は平家の領地となったに違いありません。そうした未来が、いやに具体的に見えておりましたのが、昨今の四国です。」

 そっと言葉を置いてから、薫が改めて在仁と茉莉を見据えた。

 「四国は自力で情勢を安定させる事は出来ませんでした。それを見かねた紫微星様が、此度の沙汰を口実に、救済の手を差し伸べてくださったのです。」

 そう言って頭を下げた薫を見て、全員がはっとした。その気付きに確信を与えるように、惟継が言った。

 「在仁殿は地龍存続の大恩人。特に平家にとっては諸々の大恩が積み重なっている。在仁殿が、四国を復興せよと申されるならば、平家は是非もない。在仁殿の清き願いに、我ら平家が反する事はあり得ないのだから。」

 要求は復興。支配ではない。これは、罰ではなく、復興支援という救済なのだ。家門政争を強制的に中断させ、平家からの資金と人員の投入にて確実な復興が成される。それが成れば、家門運営権は各家門に返されるだけだ。

 これの何処が罰だ。全員が事態の真相を知って、唖然とした。見れば在仁は清廉な笑み。訳を知ってから見るこの清廉さは、正に聖人としか思えなかった。被害者の立場を利用して、加害者を救済しようだなんて。

 「四国内も、はじめはこの沙汰に不満を抱く者が多くありました。ですが、実際に平家による復興が始まって見て、すぐに理解しました。これは罰ではなく救済なのだと。紫微星様の真意を知った今、四国家門は皆、これまでの行いを恥じております。こうして紫微星様の御手を煩わせるに至った事は、家門として不徳の致すところ。領地を治めるに不適格であったと猛省し、そのような身で四国の覇権を争っていたなどと、片腹痛き事です。この後は、しかと復興に勤め、その後の家門運営に対する義を根幹から見直さんと誓っております。」

 深々と平伏した薫と一緒に、惟継が姿勢を正して在仁に頭を下げた。

 「平家としても、お礼とお詫びを申し上げる。此度の沙汰は、平家にとっても救済に外ならぬ。恩返しどころか、恩を頂いた身。まことに、ありがとうございます。」

平家を代表する立場では無いが、長宗我部家末端の薫が頭を下げるのだから、惟継だって頭を下げるが筋だ。

 それを見て、黄昏会員たちは歴史的何かに立ち会っているのではと思った。

 だが、在仁はただ穏やかに言った。

 「俺はただ、妻が俺だけのものでございますと、お分かり頂きたかったのみでございます。」

そっと茉莉の肩を抱くと、在仁は月を見上げた。

 「本日この場は歌会でございます。無粋はやめましょう。今宵はただの和歌好きとして、月を愛でましょう。」

 政治は置いておいて、この特別な月夜を楽しまねば。在仁の清き微笑みは、何もかも全てを許す慈悲深いものに見えたのだった。


 ◆


 その後、黄昏会員たちによってこの事が広められ、「情夫事件」の沙汰の真相が明らかにされた。幸衡も話を広めていたので、これにより、在仁の厳しい沙汰への不信は消え、更に聖人評価を上げた。また、茉莉への無粋な噂もすっかりとなりを潜めたのだった。

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