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369 決勝の事

 あっという間に準決勝が終わると、最後に残されたメインディッシュは決勝戦だ。

地龍武士頂上決戦は蘇芳(すおう)晋衡(くにひら)。師弟対決と相成った。

 会場の整備時間は、普段ならば観客たちのトイレタイムだ。試合の考察や賭けの結果などの会話が飛び交い、たいへん賑やかになる。けれど、準決勝に圧倒されてしまい、誰も席を立つ余裕も無かった。目の前で何が起こったのかを受け止めるための、静かな時間となっていた。

 その間に、在仁の両隣には何故か茉莉(まつり)智衡(ともひら)が座っていた。

 「あの、この席一応主催者席なんだけど…。」

 「あ~冷たいんだ。負けた私を慰めてもくれないなんて。」

 「そうだぞ。負けた俺たちにもっと優しくしろ。」

勝手に両隣を陣取って慰めろと訴えて来る二人に、在仁は戸惑いながら言った。

 「とても良い試合でございましたよ。お二人の眩いばかりの輝き、俺はしかと目に焼き付けてございます。」

よしよし。慰めてみたが、茉莉は不服そうだ。

 「折角、在仁のために優勝しようと思ったのに。あのゴリラ眼鏡野郎。」

 「まったくだ。いい年した親父が息子にむきになって。大人げない事甚だしいな!」

 「いけませんよ。負けたからとして、そのような悪口をおっしゃっては。武士道精神に則って正々堂々と戦われたのでございますから、きちんと負けをお認めになられ、次の試合を応援くださいませ。」

何の気負いも無く楽しそうに戦っていた二人だからか、負けて文句を言う姿も、何だか子どもの遊びみたいだ。在仁は武闘大会に人生を懸ける者もあれば、単純に勝負を楽しむ者もあり、様々だなぁと感じた。

 「在仁は誰の味方なのよぉ。私に優勝して欲しくないの?」

 「優勝しなくても、茉莉は茉莉だよ。頑張ったんだし、良いじゃない。俺の中では常に優勝だから。いつも茉莉が一番。ね。」

 実際のところ、茉莉は本当に頑張ったと思う。北海道旅行中だってダンベルを持ち歩いて鍛えていたし、本気で優勝を狙っていたのだろう。在仁はそれを陰ながら応援して見守ってきたつもりだ。けれど、互いに絶対優勝を掲げたりはしなかった。何も約束したりはしなかった。それは、やはりどう考えても蘇芳や晋衡に勝てるはずがないから、と言ったら身も蓋も無いだろうか。それを言ってはおしまい、なので言わなかっただけだ。何せ、蘇芳も晋衡も本気だ。本気で勝つために追い込んで鍛錬してきたのが分かる。

 とは言え、最初から無理筋だと思っていても、努力の結果の敗退は悔しかろう。在仁は茉莉を心から労う気持ちで甘やかすと、茉莉はちょっと嬉しそうになった。茉莉が優勝したかったのは、在仁のためだ。在仁が良ければ、それで良いのだ。

 だが智衡が怪訝な顔をして口を挟んだ。

 「それはおかしいだろ。俺だって頑張った。たしかにジャスミンは常にこの世のトップに君臨すべき女神だが、俺の努力も認めるべきだ。」

智衡の主張を聞くと、在仁の周りで護衛に徹していた北辰(ほくしん)隊たちが口を開いた。

 「あらぁ、努力だったら私もしたわぁ。」

 「俺だって頑張りました。」

 「私も、力を尽くした事だけは自信があります。」

皆が主張を始めると収拾がつかない。在仁は困ってしまった。

 「ちょ…。あの、皆さん頑張っておられましたよ。ええ、もちろん。しかと拝見いたしましたとも。」

どうしてこの神聖なる公式試合で栄えある地龍トップを決めるという直前に、こんなわちゃわちゃしてしまったのだろう。気付くと観客席にいる多くの敗退者たちが、己の努力を主張していた。在仁は皆の主張を見て、苦笑した。うんうん、皆頑張ったよね。と思うも、収集のつかなさから逃れるために、早く試合が始まってくれ、と思ってしまったのだった。


 ◆


 そしてとうとう、最後の一戦が始まった。

 紫紺(しこん)色の制服を着た二人は、まっすぐに見つめ合った。

 「さて、今日こそ俺に勝ってくれるんだろうな?蘇芳。」

 晋衡は挑発的に言って笑った。蘇芳はまだ一度も晋衡に勝った事は無い。だが、不敵の笑みの晋衡から感じたのは余裕では無く、激励だった。

蘇芳は何も言わずに駆け出した。晋衡が当たり前のように受け止めた刀は、蘇芳の想いだ。

初めて出会った時、蘇芳は晋衡を今よりももっと大きく感じた。

 だが今目の前にある壁は、そう高くない。

 蘇芳が全力を込めれば、晋衡も応える。

 二人の全力が刀に込められてぶつかり合うと、その激しさに、会場と観客席の間にあった防御結界が壊れた。

 この防御結界は今日の地龍様観覧のためにいつもより強化されている。それが簡単に破綻するだけの、術力圧は、この武闘大会全試合の中でも圧倒的トップだ。想定外の強さでぶつかり合う試合に、スタッフが大慌てで対応に走ったが、その間も二人の剣戟は止まない。

 結界が無くなった瞬間に、二人の全力の術力圧が噴き出して、観客席を飲み込んだ。その凄まじさに、在仁が呼吸困難になって倒れそうになると、慌てた茉莉と智衡が結界を張った。それを見た「最強」たちが全員で結界を強化した。

それでも震える結界に、警備員のみならず観客席にいた多くの者が強化に参加した。それで何とか持ち堪える事の出来る状態だった。

 それ程に、激しい戦いが続いていた。

 在仁が茉莉にしがみついて呼吸を整えながら見ると、蘇芳と晋衡の刀がぶつかり合う度に、結界を揺らしていた。その迫力は、正に決勝と思わせた。これが、地龍最高峰の戦いなのか、と。

 「うおおお!」

 蘇芳の雄叫びのような声が響いて、晋衡を押した。けれどすぐに晋衡も押し戻す。拮抗する力比べは、会話しているように見えた。

 蘇芳にとって晋衡は、絶対に負けない人だ。強くて、大きくて、優しくて、温かくて、誰よりも格好良い人。ずっと、憧れて止まなかった人。いつか絶対に、晋衡のような立派な武士になると、目標としていた人。

 その目標が今、目の前にある。

 晋衡はいつだって蘇芳が思うよりも前にいて、蘇芳が思うよりも強く、蘇芳が思うよりも格好良かった。蘇芳の絶対的に越えられない壁だったはずの晋衡は、今日もまた行く手を阻む。けれどその一撃一撃は、今までの様に不動の壁ではない。

 越えろ、俺を越えろ。そう激励するような力強さを感じる。

晋衡は最初から、蘇芳を後継者にすると言っていた。いつか蘇芳が晋衡を越える。それは晋衡にとって最初から決まっていた事だ。蘇芳は、最初から期待されていた。そして今、その期待に応えてくれと、激励されているのだ。

敵であるはずの晋衡の攻撃から感じる温かさに背を押され、蘇芳は本来よりも力が漲った気がした。

気付けば、観客席で試合を支える者たちの熱も、蘇芳を応援している。

 「蘇芳!やっちゃえ!」

 「蘇芳!俺の仇を討ってくれ!」

弟妹の応援が温かい。ここまで苦楽を共にして来た仲間たちの声援が集まる。

晋衡に出会っていなかったら、蘇芳はずっと弱虫の三男坊のままだった。

晋衡に出会ってから感じた、喜び、悲しみ、辛酸、歓喜、後悔、大敗、勝利、挫折、奮起、何もかもが去来する。晋衡の語り掛けるような一撃一撃が、ひとつひとつの思い出を紐解くようだ。今となってはすべてが愛おしい。

 越えろ、越えろ。

 その声を受け止めて、蘇芳は今できる全身全霊の力を込めた。

 「蘇芳様!」

 在仁の声が聴こえた。蘇芳を地龍で一番強いと言い切った信頼が、蘇芳を強くする。強くなりたいと思う心が、蘇芳を強くする。

 刀が触れ合う刹那、蘇芳から見た晋衡は、とても満足そうに笑っていた。


 ◆


 一瞬、閃光が視界を占めた。

 気が付くと、試合終了の音が鳴り響いた。

 ここは何処だ。蘇芳はその時、試合をしていた事を失念していた。意識を呼び戻したのは、晋衡の声だった。

 「おめでとう、蘇芳。」

 はっとして景色を見回すと、会場の大型モニターに勝者の名が表示されていた。橘藤(きっとう)蘇芳、と。

 「うっそ、俺勝ったんですか?隊長に?」

 「勝ったんだよ、俺に。自覚持て。まぐれか?」

 「まぐれ…ですか?」

きょとんとして問うと、晋衡が怪訝な顔をして肩をどついた。

 「んな訳あるか!この俺がまぐれで負けるか!」

 「…ですよね。」

晋衡は負けない人だ。蘇芳はじわじわと事実を受け止めた。

 「やば…。」

 「はは。見事に語彙力死んだなぁ。」

可笑しそうに笑う晋衡が肩を抱くと、蘇芳は涙が込み上げて抱き着いた。

 「よせよせ、ガキじゃあるまいし。」

 「俺は一生、隊長の子です。」

晋衡が仕方なく抱き返すと、茉莉と智衡が駆けて来た。

 「やったぁ!お父さん負けた!」

 「でかしたぞ、蘇芳!お父さん、ざまぁ!」

 「お前らなぁ!何でお父さんの味方じゃないんだよ!」

 地龍最強を決する公式戦の場とも思えない親子の賑わいは場違いだが、心地の良い温かさだった。


 ◆


 武闘大会の表彰式は、決勝戦の熱の冷めやらぬ内に行われた。

 「橘藤蘇芳。優勝、おめでとう。地龍の頂たる者として、これからの地龍を牽引して行ってくれる事を願う。」

 主催代表として恭が優勝者である蘇芳を言祝ぐと、蘇芳は名実ともに地龍一の武士となった事を改めて実感した。

終戦後、戦果を認められ地龍一の武士となったが、数いる精鋭の中で最も強い事を証明する訳ではなかった。それがこうして武闘大会で優勝した事で、付け入る隙の無い、紛う事無き最強の頂に立ったのだ。これからは、誰が何と言おうと最強なのだ。それは、夢を手にしたような非現実的な浮足立つ感覚よりも、地龍武士の見本としてあらねばという自覚と緊張感を与えた。この栄誉に恥じない生き方をせねばと。

 会場には再招集された「最強」メンバーたちや、上位の選手たちが並んでいた。優勝賞品の目録の授与や、祝辞などが続く中、敗者たちも優勝者としてお立ち台に立っている蘇芳を、祝福していた。そして、晋衡を準優勝として表彰し、茉莉と智衡にも賞金などがあった。それ以下の成績の者にも、ある程度まではご褒美的なものが用意されていたのが読み上げられた。

武闘大会主催者側からの賞品以外にも、成績優秀者たちは各所属家門や部隊からボーナスがあるだろう。成績を評価して出世する者もあろうし、まぁその逆は無い方が望ましいが…。もちろん、個人としての評価だけに留まらない。成績優秀者の多い部隊は評価を上げるし、家門割りで見れば家格順に影響を与える。武闘大会の結果は、確実に新年会の家格順公表に関わって来るのだ。

 お立ち台の蘇芳を見上げると、並んでいる主催メンバーの中に、幸衡(ゆきひら)のドヤ顔が見える。

今日の幸衡は最初からずっと上機嫌だ。何故って、準決勝と決勝で戦ったのは全員奥州の武士だからだ。上位戦を数えても、奥州勢が席巻したこの武闘大会の結果に、大満足なのだ。嫌味のひとつも言わずに澄ましている攻撃力に、宗季(むねすえ)頼優(よりまさ)もぐうの音も出ない。余計な事を言って、マウントを取られたくないがために、二人とも今日はやけに静かだった。

現在の家格順では平家が上だが、武闘大会の結果を見れば源氏の方が好成績だった。これが直結して家格順を入れ替えるまで行くかは不明ながら、元々拮抗する差であるから、黙っている宗季と頼優は心中穏やかではない。今日ここに武闘大会は閉会するので、ここから年末までの三ヵ月間が重要だ。絶対にヘマは出来ないのは当然の事ながら、功を成さねば評価されまい。戦が終った今、分かりやすい功の示し方は難しい。焦ると見落としてしまいそうになるが、必要なのは心だ。恭が求める義を示せるか、そこが重要。そこにあるのは、在仁の清き願いだ。清浄で正常たることを希求する正しさを、絶対に忘れてはならない。

 武闘大会の開催理由は、武士・部隊の弱体化・士気低下の防止。この奥州一強の結果に、他家の闘志に火が付いた。これからの武士たちは打倒奥州に燃えて鍛錬を積むだろう。奥州もまた、他家の追随を許さぬように、揺るぎない王者たるために研鑽を積むはずだ。正に恭の思惑が叶ったと言える。

 厳粛な表彰の水面下でバチバチと火花が散る中、蘇芳の前に在仁が歩み出た。

 武闘大会表彰式は、山梔子(くちなし)家の一件以降入院していた在仁にとって久々の公式の場だ。会場中、そして配信で見ている地龍中の民が、在仁に注目していた。

 蘇芳の正面に立った在仁の透けるような澄んだ立ち姿が儚い。蘇芳は、少し前まで泣きながら謝っていたのを思い出すと、胸が痛む。蜻蛉(かげろう)を取り逃がした自責に苛まれ、出家したいとまで言ったあの無力感を、きっと今も抱えているだろう。けれど今日の在仁はその悲痛を表には出さずに微笑んだ。

 「蘇芳様。おめでとうございます。こうして名実ともに真の頂に立たれました事、御祝申し上げます。」

 柔らかく言祝ぐ在仁は、用意していた聖性の花をそっと取り出し、蘇芳の胸のポケットに差した。在仁を象徴するような、清き花の美しさが、蘇芳の誇りに添えられると、蘇芳は更に背筋の伸びるような気持ちになった。

 そして、在仁の前に跪いて、深く礼をとった。

 「ありがとうございます。終戦後も俺たちはこうして地龍の武士たる誇りを失わず、義を求め、あるべき役割に尽くし、未来へ継承していくと誓います。」

大きな声で宣言した蘇芳に倣って、皆が拳を胸に頭を下げた。

 在仁は、何故自分に向かって誓うのか戸惑って、斜め後ろに立っている恭を見た。これは本来なら恭が受けるべき礼ではないのかと。けれど、恭は満足そうに微笑んでいた。おかしいなと思って、幸衡、宗季、頼優を見回すと、三人ともが頭を下げて来る。在仁は意味が分からないまま、蘇芳に向き直ると、蘇芳が頭を上げて在仁を見上げた。

 「在仁。出家は思いとどまってくれたか?」

 「え?」

 会場中、配信中が在仁に問う。全民が、在仁に問うのが分かって、在仁はきょとんとした。

 「在仁は無力を恥じて、出家を望んでいたのだろう?在仁が悔しさに涙し、謝罪を繰り返し、重い自責に苛まれたのは、俺たちが不甲斐ないからだ。俺たちが、頼れる存在では無かったからだ。どうだろうか。俺たちは、まだ在仁にとって信頼に足らないだろうか。」

 「え?いいえ。まさか。」

びっくりした在仁が首を振ると、皆の真剣な目がまっすぐに在仁を見ているのに気付いた。

 「まさか。俺が、皆さまを不甲斐ないなどと、どうして思いましょうか。俺が、皆さまを信頼に足らないなどと、思うはずがございません。」

出家したいと言ったかは、正直覚えていない。あの頃は高熱があって、何を口走ったのか曖昧だ。茉莉が在仁のために武闘大会に出場する武士たちに発破をかけてくれたのは知っているが、まさかこんな大事になっていたとは思わなかった。表彰式のこの場で、問われるなんて、思わなかった。

 「俺が無力を恥じましたは、俺が足りぬ身でございます故の事。」

 否定しようとした在仁に、蘇芳は首を振った。今日地龍で一番の武士となった蘇芳の、力強い表情が、在仁を黙らせた。

 「在仁。在仁は人だ。足りなくて、当たり前だろ。」

 「足りなくて、当たり前…。」

目を見開いた在仁に、蘇芳は立ち上がっていつもの目線で見下ろした。

 「鬼や呪いや、困難を前にした時、在仁が不屈の精神で状況を打開してくれたから、俺たちは、今こうして生きている。在仁はいつだって他人のために一生懸命になって、身を擲つ事を当然とするんだろう。だが俺たちは、在仁に甘える気はない。在仁を困った時に都合よく助けてくれる便利な聖人だなんて、思っていない。何でも解決してくれる万能な神様だなんて、思っていない。俺たちは、在仁に完璧を求めていない。紫微星(しびせい)様は、人だ。足りなくて、良いんだ。」

 蘇芳の声が会場に響いていた。

 在仁はその反響音を聞きながら、ゆっくりと蘇芳の言葉を受け入れた。

 「俺たちが在仁を慕うのは、在仁に何かをして欲しいからじゃない。ただ、好きなだけだ。」

 「…蘇芳様。」

 「俺が在仁に見返りを求めた事があったか?」

「紫微星様」ではなく「在仁」と呼ぶ、親友が言うからこそ、説得力がある。最強の説得力が負荷されて、さらに力強い。

 「ございません。」

 「そうだろ。皆同じだ。在仁を慕う誰もが、在仁に完璧を求めていない。だから、足りなくて良いし、それが普通で、当たり前だ。そんな事で、いちいち落ち込むな。地龍最強になった俺だって、足りない所だらけなのは、在仁だってよく知っているだろ。俺はそんな事で落ち込まない。そんなの当たり前だからだ。どれだけ修行して、どれだけ強くなったって、完璧な人間にはなれない。そうだろ。」

 地龍最強でも完璧ではない。誰より強い武士でも、足りない所はある。当然の事が、どうしてこうも驚きを与えるのだろう。在仁は蘇芳の言葉ひとつひとつに、深く頷いた。

 「まこと、その通りと存じます。」

 「分かったら、目を見開いて、よく見ろ。ここにいる全員が、在仁の味方だ。在仁に足りないものは、俺たちが全員で補う。誰一人として完璧な人間はいないが、これだけいれば不足はないだろう。」

 蘇芳に促されて改めて見回せば、広い会場に溢れんばかりの人がいる。「最強」たち、名だたる武士たち、無名の者たち。これまで戦った選手たち一人一人。会場の外にも、配信の向こうにも。地龍中の民が、在仁の味方だ。

それを見渡すと、在仁は体の中に澱のように溜まっていた悪しき気が溶かされて消えていくのを感じた。そうしたら、呪いの贄たちの叫喚も、残酷な犠牲も、蜻蛉(かげろう)を仕損じた事も、何もかも在仁の所為なんかじゃなくて。もう、勝手に謝るなんてできなくて。

胸の中に膨らむ思いは、自責でも悔恨でもなく、愛おしいばかりの感謝だ。

 「あ、ありがとう、ございます。」

 人は皆星影。

 今在仁の目の前に輝く星の光は、眩い程に輝きに満ちている。その美しさに心は満たされて、勝手にこぼれた涙は熱かった。

 「また泣くのか。」

蘇芳の手が在仁の頬を拭うと、在仁はさらにぽろぽろと涙を零した。

 「皆様の光が、眩し過ぎて…。なんて、美しいのでございましょう。これ程に輝く星々にお支え頂くなど、俺は何と果報者なのでございましょう。まことに、ありがとうございます。」

 ごめんなさい、ではなく、心からのありがとうを口にした在仁に、茉莉が駆け出して抱きしめた。後から「最強」たちがやってきて在仁を囲み、仲間たちもやってきて囲んだ。いつの間にか温かな輪の中心に立っていたのに気付いて、在仁はなんて幸福なのだろうと思った。

 「今日は蘇芳様の晴れ舞台でございますのに。」

 「良いんだ。俺の勝利は在仁にやるよ。だから、元気出せ。」

 「過分でございますよ。」

 「もう、蘇芳がくれるって言うんだから、貰っときなよ。」

 「そうだぞ。貰えるもんは何でも貰っておけ。」

 「ま、とっくにこの武闘大会の勝利はすべて在仁への捧げものだしな。」

 完全に武闘大会を乗っ取ってしまった在仁は、恐縮しつつも今日は感謝だけを伝えたいと思った。心からの感謝を。

 そうすると、会場中にふわっと香しい花の香りと共に、清き花びらがはらはらと舞い出した。

 気が付くと、皆に降り注ぐフラワーシャワー。皆見上げて手を伸ばした。

 「綺麗…。」

茉莉がその花びらを手に取ると、触れた感触も無く光になって消えてしまった。

配信カメラは降り注ぐ花びらの壮観を映して、しばらく皆がそれを眺めていた。

 在仁もそれを見上げていると、茉莉がふっと気付いた。

 「在仁、金霞(きんか)が…。」

 「え?」

言われて取り出すと、金霞がうっすらと光っている。皆で見下ろすと、淡く光る卵の表面に、ゆっくりと亀裂が入った。

 「あ…もしかして、生まれる?」

茉莉が、金霞を持っている在仁の手首を掴んで顔を近づけた。在仁も驚きと期待でじっと見ていて、周囲の者たちも前のめりになっていた。

 だが、今にも割れそうな亀裂を残したまま、金霞は光を収めてしまった。

 「う、生まれないんかい!」

 肩透かしをくった茉莉がつい、ツッコむと、在仁が噴き出した。

 「ふ…あははは。」

その明るい笑顔を見て、茉莉も笑った。

 「もう、金霞が思わせぶりだからぁ!まぁ良いけどね。」

 焦る必要はない。絶対にいつか生まれる。だって、足りないものなど無いのだ。在仁は一人ではないから。

 「そうだね。茉莉、ありがとう。蘇芳様、ありがとうございます。皆様、ありがとうございます。」

満面の笑みで言うと、呼応するように花びらが派手に舞った。

 この武闘大会の表彰式を祝福するように、豪華な花吹雪となったのだった。

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