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368 準決勝の事

 しんと静まり返った夜の病室で、在仁(ありひと)は廊下を近付いて来る気配を察して、目を覚ました。

ベッドから起き上がって、扉が開くのを待っていると、音を立てないようにゆっくりと扉が開いた。

 入ってきたのは蘇芳(すおう)だった。

 「…起きてたのか?」

寝ている前提だったのか、在仁が起きている事に驚いた様子だ。在仁は何も言わず微笑んで、手招きをした。蘇芳は促されるままに、在仁の隣に座った。ベッドに並んで座った蘇芳が俯くと、自分の太い脚と、在仁の細い脚が並んでいた。まるで別の生き物みたいだ。

 「もしかして、起こしたか?」

問うと、在仁は首を振った。

 山梔子(くちなし)家の一件で蜻蛉(かげろう)と対峙してから、二週間が経つ。在仁がずっと入院していたのは、それだけダメージがあったという事だ。蘇芳は在仁の生気のない肌を視線で辿った。

 蜻蛉が住処にしていた山梔子家への突入作戦は、蘇芳も紫紺(しこん)小隊を率いて参加していた。あの時、蘇芳は屋敷の奥にある呪術工房に突入した。屋敷中から呪術が噴き出し、浄化札で対応しきれなくなり、戦う事は次第に困難になった。その呪術を生み出していたあの工房には、残酷で凄惨な死があった。それはやはり、(あざみ)の研究室に似ていた。あれを見た蘇芳には、在仁が聴いたという阿鼻叫喚が分かる気がした。鬼にされた人間の嘆きを、数えきれない程に斬ってきた蘇芳だからこそ、その声が分かる気がした。

 「まだ、声が聴こえるのか?」

 問うと、在仁は俯いて言った。

 「あれからずっと、呪術の贄となられた方々の叫喚が、耳の奥に残っておりました。その声に、俺は何も出来ません事が、申し訳なく…。ただそれを聴いております事が辛くて…早く消えて欲しいと、思っておりました。それも、こうして静養する内、少しずつ遠くなって参りました。なれど、そう致しますと今度は、どうしてか申し訳なさが増して参ります。俺に聴こえなくなりましても、あの苦悶に満ちた悲痛の嘆きは消えて無くなる訳では、ございません。多くの残酷な犠牲が、無かった事には、なりません。声を遠ざけ、忘れてしまう薄情な俺を、俺自身が許せないのでございます。自責が、止みません。」

 ごめんなさい、と口にしなくなっても、在仁の胸の中ではずっと続いている。

 助けられなくて、ごめんなさい。無力で、ごめんなさい。薄情で、ごめんなさい。謝るしか出来なくて、ごめんなさい。

在仁の声が震えて、蘇芳は顔を覗き込んだ。

 「在仁の所為じゃない。責任なんかない。謝らなくて、良いんだ。」

謝っては泣き、それを繰り返して、時間だけが経過した。そんな無為をこそ、在仁は申し訳なく思う。生きている時間は有限なのに、無駄にしてしまった。死した者たちに、何ひとつ報いる事の無い、徒な時間を愚かしいと思えばまた、謝りたくなる。

皆が、在仁に責を求めない。けれど、在仁は甘えてはならないと、思う。

 「蜻蛉自体は弱き呪いと侮った、俺の責でございましょう。」

 作戦を立てたのは在仁だ。蜻蛉は弱い呪いだ。清めれば簡単に消える。だから翡翠眼(ひすいがん)を押さえれば勝てる。勝利を確信して油断した訳ではないが、相手を侮ったのは事実だ。清めれば良いだけだなんて、そんな事は蜻蛉自身が一番分かっているのだから、清められないために幾重にも策を講じているに決まっていたのに。まさか、在仁の共感体質を逆手にとって、呪い匣にしようだなんて。思いも寄らない策だった。

 「もう、やめたくなったか?」

 そっと蘇芳が問うと、在仁は驚いた顔をして蘇芳を見上げた。

 「なに、を?」

 「戦う事を、やめたくなったのか?」

 泣いてばかりいる在仁のネガティブに、蘇芳は問う。本気かと。在仁はその問いに、曇りの無い澄んだ目で言った。

 「まさか。」

どれだけ叩きのめされても、大敗を期しても、ズタボロになっても、痛くても、悲しくても、辛くても、諦めようだなんて、思いも寄らない。在仁の芯が、揺らぐことなくそこにあった。

蘇芳はその闇色の瞳の中にある、清き光をじっと見つめた。

 「在仁。在仁は強い。その強さを知って、俺はもっと強くなりたいと思った。在仁のひたむきな強さを守れるようになりたいと、思った。」

力なき強き者たちの尊い炎が、この世には必要だ。蘇芳は在仁の不屈を疑いもしない。けれど、不屈だからとして、強いからとして、傷付かない訳では無い。在仁は誰より繊細で、傷付いて、泣いて、それでも諦めない。だから、守りたくなる。

 「俺の強さを信じてくれるか?」

 「もちろんでございます。蘇芳様は地龍で一番御強い武士でございます。俺の、英雄でございます。」

 「はは、それは、言い過ぎだ。」

間髪入れずに答えた在仁が、まるでヒーローに憧れる子どもみたいに純粋で、蘇芳は笑った。

 「在仁。俺を信じてくれるなら、勝手に責任を背負うのはやめろ。俺は、一緒に背負いたくて、強くなったんだ。俺にも分けてくれ。そして、一緒に戦わせてくれ。」

 まっすぐに見つめ合うと、在仁からは蘇芳の真剣さが射抜く程鋭く感じた。

 研ぎ澄まされた刃が如く、蘇芳の気持ちが張り詰めている。

 どうしてこんな真夜中に病室までやってきたのか。在仁は最初から、分かっていた。

 「蘇芳様がおっしゃってくださらずとも、俺は最初から、蘇芳様を頼りにさせて頂いております。これからも勝手に、蘇芳様を頼らせて頂きます。」

 少し強引に言ったのは、在仁らしくない言い回しだった。在仁はもう一度、はっきりと言った。

 「蘇芳様は、地龍で一番御強い武士でございます。」

 その念押しに、蘇芳は目を見開いてから、薄く笑った。

 明日は武闘大会最終日だ。地龍で最も強い武士が決まる日。蘇芳の一世一代の勝負の日だ。

 蘇芳は今一度、自分の強さを見つめ直さんとして、此処に来た。原点回帰。強さとは何か。強きを守るために、強くあらんと欲した。その心を確かめるために、在仁に会いに来たのだ。

在仁は大切な戦いを目の前にした蘇芳の緊張感を、良い緊張感だと思った。必要以上に気負っていない。丁度良いチューニング。だから、過度な応援は不要だ。いつも通りの信頼だけで、足りる。余計なものを負荷しない。今の在仁自身のように、無関係なあれこれを全部背負い込もうとなんてしたら、精神のバランスは忽ち狂って、「ごめんなさい妖怪」になってしまう。

 在仁がそれ以上は何も言わないでいると、蘇芳が言った。

 「良いのか?そんな事言って。茉莉(まつり)に怒られるぞ。」

 「男同士の秘密にしておいてくださいませ。」

 茉莉だって優勝するつもりで頑張っているのに、蘇芳が一番だなんて言うのは裏切りだろうか。在仁はちょっと悪い気がしたが、笑って誤魔化した。

 「しょうがないな。」

へらっとした顔で笑う在仁の気の抜けた笑顔に、蘇芳は肩の力を抜いた。

 「その代わり、今夜ここに来たのも黙っていてくれ。」

 「ええ。」

 了承すると、蘇芳はそっと立ち上がった。そして足音を忍んで静かに出て行った。

 扉が閉まって、蘇芳の気配が遠ざかって行ってしまうと、在仁は窓辺へ行ってカーテンを開いた。夜空には星々。

 武闘大会で輝く星影たち。その強き光たちに励まされて、落ち込んでばかりはいられないのだと奮うのだ。

 頂の星となるのは、誰なのか。在仁は何だか緊張して、眠れなくなってしまったのだった。


 ◆


 翌日。武闘大会の準決勝と決勝は同会場にて同日中に行われる。

つまり今日で武闘大会は閉会するのだ。

会場は、南木(なぎ)の開発した新型呪性検知機の導入により、晦冥(かいめい)教によるテロを未然に防ぐ体制となった。警備員は過去最多人数を動員し、万全の準備が整った。

 観客席は連日の超満員で、配信チケットも過去イチの売上だ。今日ここで、地龍最強の武士が決まるのだ。見逃せない試合に、主催者側とて浮足立つ。

 優勝者が決まり次第、表彰式が行われるため、今日はビップ観覧席が設けられ、(きょう)と筆頭三家門当主と在仁が座る。地龍様と紫微星(しびせい)様が並んでいるのを生で見られるというのもレアであるから、人々の目は大変忙しい。

 試合開始を待つ観客は、恭たちがやって来るのを見逃すまいとしつつも、携帯端末をチラチラと見る。画面はどれも武闘大会賭博だ。多くの者が賭けている武闘大会賭博は、優勝予測のパラメーターとしても注目されている。昨日の準々決勝で準決勝のメンバーが決まってから、優勝予想に大きな動きがあった。皆がこれまでの結果と、試合内容を見て、優勝者を予測している。

 準決勝は、蘇芳(すおう)茉莉(まつり) 晋衡(くにひら)智衡(ともひら) 

 四人の中で最も人気なのは晋衡だ。(かさね)大隊大隊長であり、蘇芳の師であり、智衡と茉莉の父。立場的に考えて優位性があると思われているようだ。

観客が口々に勝者予測を語るのは、有識者のコメントっぽい。武闘大会を通してすっかり詳しくなった気なのだ。試合前の期待の高まりと緊張感もまた、楽しみのひとつとばかりに、観客席は試合開始時刻よりも早く、既に満員となった。

 そこへ、ビップ観覧席に恭たちが現れた。

一瞬のざわつき、そして静寂。皆が立ち上がると丁寧に頭を下げて迎えた。

 恭の隣に在仁、その隣に、幸衡(ゆきひら)宗季(むねすえ)頼優(よりまさ)の順で座り、周囲を警備が囲んでいた。警備の中に北辰(ほくしん)隊が混ざっている。

 「葛葉(くずのは)、体調は?」

 「いつもご心配をおかけ致しまして、大変申し訳ございません。一応本日より退院させて頂いております。」

 在仁の「ごめんなさい妖怪」も、武闘大会に奮起する星影たちのお陰で、ようやく少し持ち直した。

 「こうして武士の皆さまが頑張っておられるのでございます。俺だけ落ち込んでばかりでは、顔向けできません。」

 清廉な微笑みで気丈に言うと、恭は頷いた。武闘大会の開催目的は、武士の弱体化と士気低下の防止だが、思いがけず在仁を元気づける事が出来たならば嬉しい。柄にもなく落ち込んでいるという在仁を、恭も心配していたのだ。

 「無理はするな。少しでも不調であれば申し出よ。」

 「そのように。」

 ビップ席の周囲には分厚い警備がいるので、耳を澄ましても会話までは聞こえない。だが皆が息を潜めて様子を窺っていた。

少しして、やっと配信カメラがビップ席を映した時、皆がある事に気付いた。

 紫微星様の髪が、短い…。

 在仁は蜻蛉と対峙した際に髪を切られてしまった。別にそんな事を公表するはずも無いため、人々から見たら、いつの間にか髪が短くなっていたという状況だ。

 し、紫微星様の御髪が…。

試合を待っていたはずの人々の思考が完全にフリーズしたが、在仁が気付くはずも無く会話を続けていた。

 そこへ、本日の選手である蘇芳、茉莉、晋衡、智衡がぞろぞろと一緒にやってきた。この四人が地龍トップ四である事は確定しているので、言わば大スター集団だ。本日これからこの四人の内一番が決まる。想像するだけで観客まで緊張する。皆が目を輝かせて見つめていると、四人は気負いのない態度でビップ席の前に立った。恭への挨拶のためと思われたが、四人は全く違う事を言い始めた。

 「よう、在仁。あんまりはしゃいで体力使い果たすなよ。今夜は誰が勝っても優勝祝だぞ。」

 「試合前から祝杯の事考える余裕とか、マジむかつくな。」

 「誰が優勝しても良いんだったら、お父さんは棄権すればぁ?」

 「隊長が抜けると三人になるな。面倒くさいから三人で一試合で良いか。」

 「その方が面倒臭いわ!勝手に俺を除外すんじゃない。」

四人とも優勝を目指して努力して来たというのに、これから戦う敵同士とは思えぬいつも通りの会話だ。

 在仁はそっと立ち上がり、茉莉に手を伸ばした。茉莉は素直にその腕の中に収まった。

 「茉莉が怪我なく全力を出し切れますように。」

 「ありがとう。」

ぎゅうっと抱きしめ合ってから離すと、蘇芳が呼んだ。

 「在仁、俺もやってくれ。」

 「ええ?蘇芳様はエリカ様にお願いなされば良いではございませんか。」

何で蘇芳を抱きしめないといけないんだ。在仁が懐疑的な顔をすると、何故か晋衡と智衡も手を挙げた。意味が分からない在仁は、渋々三人を順番にぎゅっと抱きしめて離した。

 「で、結局、何、これ?」

在仁が誰にともなく問うと、不服そうな茉莉が睨んでいた。

 「皆にやったら私の特別感がなくなっちゃうじゃない。」

口を尖らせて言う茉莉が可愛らしくて、在仁はつい笑った。そして、茉莉のつるっとしたおでこに口付けた。

 「はい、奥さんは特別ね。」

 「やったぁ!」

よもや男の口付けが欲しいとは言うまい。在仁は蘇芳たちを見ないようにして席に着いた。

 一部始終は配信カメラが収めていたが、在仁は気付いていなかった。茉莉が蘇芳たちに優越感たっぷりの笑顔を向けていると、呆れた恭が言った。

 「お前たち、遊んでて良いのか?もう時間だぞ。」

 そろそろ試合開始時刻だ。

 「おっと、本当だ。じゃ、また後で!」

 指摘された晋衡と智衡は、その場から跳躍して会場へ降り立ったのだった。


 ◆


 観客席から飛び降りた晋衡と智衡は、軽い準備運動っぽく手首をぶらぶらさせてから大型モニターを見上げた。

試合開始時刻のカウントダウンを、無防備な姿勢で見やると、丁度開始の音が響いた。

 音の響きが完全に消えるのを呑気に待つように、ゆっくりと刀を抜いた二人のシルエットはよく似ていた。背格好、刀身の長さ、こうして見れば類似点は複数あって、顔は似ていないが確かに血の繋がった親子なのだと感じさせた。

 智衡はここまでで、北条三兄弟を破って勝ち上がった。北条勢は全員、智衡の間合いに入って負けた。そこに何かがあるのは間違いない。不用意に踏み込めば危険だ。

 けれど、晋衡はなんてことも無くその境界を越えると、智衡に向かって刀を振った。智衡はそれを受けて払い、何度か刀を打ち合った。

 よく似た二人だが、いざ刀を合わせたのを見ると、全く性質の異なる戦い方だと気付く。

在仁たちの席に残って試合を見ていた蘇芳と茉莉が、親切に解説した。

 「智衡様は隊長から剣術の指南を受けていないからな。戦い方が違うのは当然だ。」

 「さようでございましたか。ではお兄様はどなた様にご指南を?」

 「お館様でしょ。お兄ちゃんは生まれる前から次期奥州藤原氏当主だもん。全部、お館様仕込みなのよ。」

 「なる…ほど。」

 幸衡は「最強」でありながら武闘大会に出場していない。在仁は幸衡が戦うのを見た事が無いので、戦い方を知らない。けれど、智衡が幸衡の弟子と言う事になるならば、間接的に幸衡の戦いを見る事になるのではないか。そう捉えると、少々楽しみに奥行きが生まれる。

興味深くなった在仁に、恭が言った。

 「幸の戦い方は意外と雑だからな…。」

 「失敬な。」

 フンっと不機嫌そうに言った幸衡だが、視線は興味深そうに試合に向いていた。

 話している間も、二人の試合は進んでいる。小手調べのように刀を打ち合った後、智衡はフっと吐息を吐いた。すると地面が凍った。晋衡は箱型結界を階段にして宙を駆け、智衡に刀を振り下ろしながら、凍った地面に踵落とし。同時に発火した。その炎が地面の氷を溶かす前に、打ち合った刀の接した部分がスパークした。その目くらましに気を取られた隙に、晋衡が智衡の胴を蹴り飛ばした。智衡はまともにくらって吹っ飛んだが、地面に刀を刺して踏み留まった。そしてばねのように反動を使って戻り、アクロバットに晋衡の顔面を蹴った。

晋衡は蹴られた足を掴んで、ぶん投げると、勢いをつけて追いかけた。そのまま空中戦へと縺れ込み、刀を合わせる度に雷が起こった。

 「で…でたらめ…。」

凍ったり、火がついたり、雷が起こったり、光ったり、無駄に派手な術の応酬となると、これは試合ではなくショーでは無いかと思わせる。刀同士の斬り合いの中に、肉弾戦が混ざっているのも出鱈目で、自由過ぎる。

 意味不明な戦いの荒唐無稽さは子どもみたいだが、真似出来る者がいるとは思えない。この速度で術を複数展開する事がそもそも無理だし、刀を交えながら蹴ったり殴ったりする器用さは異常だ。こうなるとこれは、上位者の悪ふざけにしか思えない。

 「遊んでるな。」

 「遊んでるね。」

 蘇芳と茉莉が呆れて言うと、在仁は慄いた。

 遊びなのか。異次元の領域を見て、観客たちも圧倒されている。

まるで手品師みたいな二人は少しずつ扱う術を大きなものにしていき、智衡が刀に火柱を纏わせて晋衡を襲うと、晋衡はひらりと後方へ距離を取ってから結界で智衡を閉じ込めた。智衡が結界を壊す度に、晋衡が新たな結界を作って閉じ込め、しばしのいたちごっこ。

面倒になったのか、智衡が無作為に複数の雷を落とした。

 その雷の柱を器用に避ける晋衡を、智衡が起こした雷が蛇のように追跡した。晋衡は雷に追われながら、縦横無尽に駆け回りつつ智衡に近付いた。

 「あ…。」

 在仁が晋衡の意図に気付いて間抜けな声を漏らした。

 視線の先には、晋衡が刀を構えていた。自身でつくった智衡を閉じ込めている結界を、自身の刀で突き破った。ガラスが割れるような派手な音がしたのと同時に、晋衡は智衡を襲う…と思いきや通り過ぎてから立ち止まった。智衡は晋衡を追おうと思うも、後を追ってきた雷が目の前に迫っていた。

 仕方なく刀を薙いで雷を消すと、背後に晋衡の気配。

 振り向いた時、智衡の頬に、晋衡の人差し指が「むに」っとささった。

 「はい。智の負け~。」

 「だぁ~!くっそ!マジか!」

 智衡が悔しそうに崩れ落ちた瞬間、試合終了の音が鳴った。

 試合内容に反して所要時間はあまりにも短かった。けれど観客の体感時間はとても長かった。ずっと息を止めていたような気がして、観客が一斉に息を吐いた。

 見れば、晋衡が智衡を引っ張り起こしていた。二人は無傷、消耗しているようにも見えない。人外レベルの戦いに圧倒されて誰も歓声の一つも漏らせなかったのだった。

 

 ◆

 

 まるで狐につままれたような気持ちの観客を無視して、試合は蘇芳と茉莉の番を迎えた。

紫紺小隊ツートップの二人は、まるで気負いのない自然な動きで位置についた。この場が普段の鍛錬場であるかのような、肩の力の抜けた姿は、場慣れした歴戦の武士である証拠に見えた。

 観客は応援する余裕もないまま。在仁が胸の内で二人の健闘を祈った時、試合開始の音が鳴った。

 と同時に、二人とも姿を消した。

 鋼の音と火花が、会場のあちこちでするけれど、蘇芳も茉莉もどこにも見えない。カメラも追えない。

何が起こっているのか分からないまま少しすると、観客たちは、おそらく高速で動いているのだろうと、察し始めた。

 「負荷。」

 茉莉の声がして、地面が穿たれた。ぼこっと凹んだ地面の横に、蘇芳が立っていた。やっと視認できる世界に帰ってきたと思ったのもつかの間、上空から茉莉がふわりと舞い降りて来た。降下するに任せた茉莉の刀を、蘇芳が刀で受け止めた。

 「負荷、負荷、負荷、負荷。」

ひたすら重くなっていく茉莉を受け止めていた蘇芳が、思いっきり刀を振り切った。その勢いで吹っ飛んだ茉莉が、空中でくるっと旋回して再び蘇芳へ向かった。

 軽い身のこなし、柔らかい動き、速さ、そして重い剣戟。今の茉莉には死角がないと見えた。蘇芳は深追いするのは止めて、その場に留まった。まるでバッティング練習が如く、重い刀で襲い来る茉莉を、何度も跳ね返す。それを何度続けただろうか。

 茉莉が攻撃をやめて立ち止まった。

 「つかれた。」

 「俺もだ。」

 きりがない。

 二人は一旦休憩するかのように肩を回した。それから再び対峙した。

 「これで終わりにしよ。」

 「同感だ。」

公式試合とも思われない会話で勝手に決めると、茉莉と蘇芳が同時に駆け出した。

会場中心で刀を合わせた二人は、そのまま高速の世界に突入した。

 再び目にも止まらぬ戦いが始まった。気付けば茉莉は刀を逆手に持って蘇芳の急所を狙う容赦のなさ。まるで晋衡のような獣の如き戦い方に、まさに親子と感じさせた。

けれどその攻撃にも蘇芳は動じず、冷静にかわしながら、攻撃を返した。

 在仁には、茉莉の一心不乱の猛攻に対して、蘇芳には何か狙いがあるように見えた。蘇芳の攻撃と視線をじっと見ていた在仁は、物凄く単純な事に気付いた。在仁は主催者として個人に肩入れするつもりは無かったが、体が勝手に動いていた。

 「茉莉!誘われてる!」

 誰も声援を上げない静かな会場に、在仁の声がよく響いた。

 茉莉を助けようとした在仁の言葉に返答したのは、茉莉では無く蘇芳だった。

 「もう、遅い!」

蘇芳の容赦のないフルスイングが、茉莉の刀にぶつかった。すると、茉莉の手から刀がすぽっと抜けて吹っ飛んだ。

 「あ…。」

茉莉の間抜けな声と同時に放物線を描いた刀は、数メートル先の地面に突き刺さった。

 会場中が静まり返ったまま、試合終了の音すらしなかったのは審判も呆然としていたからだ。まさか準決勝でこんな間抜けな出来事があろうか。茉莉はただ普通に歩いて行って刀を地面から引っこ抜くと、鞘に収めた。

 そこでようやく、試合終了の音がした。

 茉莉は物凄く不服の顔で、蘇芳に迫った。

 「意味わかんない。私の何が足りなかったの?」

 「握力だな。」

可笑しそうに笑う蘇芳が刀を収めながら言うと、茉莉は「はぁ?」と声を裏返らせた。

 「刀を重くした分に耐えうる訓練をして来たのは分かるが、単純に握力不足だ。重さに耐えるには肉体改造あるのみだな。」

 「結局、筋肉なんじゃん。それ女子には限界があるからぁ。ほんとムカつくよね、筋肉。」

茉莉は男性武士と同等に戦うために刀に術力負荷をかけて重くした。それを扱うために術力器官を鍛えて来たのだが、重い刀を握り続けるだけの握力が尽きた。蘇芳は最初から、茉莉が自滅すると思って持久戦を選択したのだ。それを指摘された茉莉は、真っ赤になって怒った。蘇芳のパツッパツの胸筋が憎らしい。茉莉は拳で蘇芳の胸を殴ったが、痛いのは茉莉の方ばかりで、蘇芳は明るく笑っていた。

 「マジむかつく。眼鏡カチ割るよ。」

 「眼鏡はやめろ、眼鏡は。」

罪のない眼鏡を守るために、蘇芳はさっさと退散して行った。

残された茉莉は「もう!優勝したかったのに!」ととても素直な地団駄を踏んで去って行った。その姿が可愛らしくて、何でか少し場が和んだ。

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