367 準々決勝の事
武闘大会準々決勝戦は、トーナメントAに蘇芳対昴 茉莉対君崇 トーナメントBに晋衡対東 智衡対春臣
ここを勝ち抜けばいよいよ準決勝となる。
◆
武闘大会観客席は連日超満員だ。
観客席に散見される顔ぶれには、これまでの試合で敗退していった者たち。
六波羅探題隊長・北条春純は、本日の準々決勝戦に、まさか敗退者として観客席に座っていようなどと、想像もしていなかった。
春純は、昨日の試合で奥州藤原氏次期当主・智衡に惨敗し、武闘大会の成績はベスト十六止まりだった。原因は春家が「魔王」と呼び恐れる智衡の実力を、完全に侮った事。もちろん、今更悔いても時は戻らない。
思い出して見ると、試合開始直前、智衡は春純に言った。
「残念だったな。貴殿はここで敗退する。」
その智衡らしい不遜な宣戦布告に何も返せなかったのは、どこかでそれが事実であると感じたからだったのかも、知れない。
昨日からずっと、気を抜くとどうしても試合の事を思い出してしまう。どうして負けたのか、何が足りなかったのか、と。春純が女々しくも記憶を探っていると、隣に座っていた春文が心を読んだように言った。
「初手から間違っていたんだ。どう足掻いても勝てない。」
「そうか。そうかもな。」
双子の兄、春文もまた智衡に惨敗した仲間だ。互いに、智衡を侮った事が原因と思っているが、もし侮る事無く戦ったとしても勝てたと断言は出来ない。経験値は確実に北条ツインズの方が上だった。けれど智衡にはそれを凌駕するものがあった。敢えて言うならば、気迫だ。北条を憎む気迫。
あの気迫を思い出すと、ツインズはぞっとする。
試合会場には、今日もまた北条を叩き潰してやろうと言う異常なまでの気迫を背負った智衡が立っていた。
今日これから智衡と戦うのは、北条三兄弟の末っ子で、和田七曜隊隊長の北条春臣だ。
「しっかし、臣が親父に勝つなんてな。」
「正直、臣の実力は未知だったよな。俺たち、臣の事も侮っていたって訳だ。」
「違いない。」
北条三兄弟は、誰が春家を倒すか競っていた。ただ、三男春臣は若い内に北条を出て和田家に勤めていたため、ツインズはその実力を掌握していなかった。弟と思って侮っていたが、事実三男坊の春臣が春家を倒したのだ。もちろんトーナメント戦における運もあろうが、北条家で最も勝ち進んでいるのは春臣、それが現実だ。
ツインズは負けを受け入れて、春臣の応援に気持ちを切り替えるしかない。
「で?親父は?生観戦しないのか?」
「親父に大金賭けてた連中に襲われるからって、引き籠ってる。」
「ああ?ばっかじゃねぇの。」
武闘大会賭博の一番人気は春家だった。長く「最強」トップと目されてきた春家の実力には、多くが期待を寄せていた。なのに準々決勝戦を前に敗退という情けない結果となった。これには春家に賭けていた者たちの怒りが爆発。おかげで春家は恨みを買って、呑気に往来を歩けないと言う訳だ。
何と情けない理由だろうか。春純が落胆すると、春文が言った。
「あれで臣に負けたのショックだったんじゃないか?今まで最強中のトップで通ってきたんだし。」
「最強中のトップ、うける。首位陥落もいいとこだな。」
春家の結果は春純と同じベスト十六だ。今日行われるベスト八は全員が「最強」だ。つまり春家は「最強」の中でも九番目以下という結果。何が最も強い、だ。あまりに拍子抜けする馬鹿らしい結果に、打倒親父を掲げた事自体が情けなくなる。
ツインズは、春家の唯一の長所である強さを損なった事で、もはや敬うべき部分が無くなり、塵以下の塵だなと思った。そんな塵を北条家のトップに据えておく事は恥に他ならないが、それを強要しているのが、あの魔王様こと智衡なのだ。
試合開始時刻を目前とした会場には、魔王というより大天使的な美貌の智衡が立っている。その正面には、春臣の呑気な面構え。
「ま、親父の今後の評価は、臣の成績次第だな。」
「今勝ち残っている源氏は臣だけだからな。何としてでも勝ち残って貰わんと、奥州一強を証明するだけだぞ。」
トーナメント戦で負けた者は、自分を下した相手が優勝したら良いなと思うのではないだろうか。優勝した選手になら負けてもしょうがないよね、的な。もし春臣が優勝すれば、春家への詰りも多少緩和したりするかも知れない。いや、春家の場合は息子に負けてんじゃねぇという意見があるので無駄か。
それに、勝ち残っている八人に源氏が一人しかない。絶対に勝ってほしいと、全源氏が春臣に願いを託しているのだ。
話している内に、試合開始の音が鳴り響いた。
◆
試合が開始した直後、春臣は一歩目を踏み留まった。
「どうした。来ないのか?」
不遜な態度の智衡が問う。その手にはまだ刀が握られていない。にも関わらず、このまま不用意に智衡の間合いに入ったら危険だと、本能が言っていた。
「そっちこそ。」
試しに言ってみると、智衡はにやっとした。
「どうやら兄貴たちより強いというのは事実らしいな。」
北条ツインズは一気に攻めて、この間合いに入ってあっさりと敗れた。春臣も踏み留まらなかったら、今頃敗退していたろう。
春臣が警戒しながら様子を見ていると、智衡はすっと刀を抜いた。
「俺はこの大会で北条春家を完膚なきまでに下すつもりだった。ところが、貴殿が春家殿を敗退させてしまった。お陰で予定が狂ってしまった。」
「それは残念だったね。でもこれはトーナメントだからね。運も実力の内だ。」
「運。運ね。運ならば俺はかなり自信があったんだが。仕方ない。貴殿を倒し、間接的に春家殿を倒すとするか。」
智衡が刀を構えると、ふわっと風が吹いた。藤黄色のくせ毛が風に舞い上がると、類稀なる美貌が風に晒された。白い肌、藤黄色の瞳と髪、鍛え上げられていながらスマートな体。絵に描いた王子様のような姿に、観客のみならず春臣も目を奪われた。
その時だ。優しく吹いていたはずの風が、勢いよく巻き上がって竜巻となり、春臣を襲った。春臣は風の回転を見ると、同じ方向へ回転をかけて更に大きな竜巻にして、智衡へ返した。
それを何往復かしている内に、風は大きなハリケーン状になって、智衡と春臣の姿を隠してしまった。
会場と観客席の間には、大きな術の発動を想定して頑丈な結界が張られているが、この規模の術を見て、警備担当者が慌てて結界を増強した。
試合を見に来ているはずの観客、配信カメラ、警備、誰の視界にも風しか映っていない謎の状況となってしまったが、暫しするとその中から、鋼がぶつかり合う音がし始めた。二人が戦っている、そう分かると、見たいと思うのは当然だ。
武闘大会人気には「最強」同士の戦いを見たいと言う欲求がある。ベスト八は全員が「最強」だ。待ち望んだ試合だからこそ、瞬きを惜しんで見届けたいと思っていたのに、何故か視界は風。
業を煮やした観客が「試合を見せろ!」とヤジを飛ばしそうになった時、風がピタリと止んだ。
中には、スタート位置についた二人。まるで何事も無かったかのようだ。
けれど今度は、春臣が先に動いた。さっきは躊躇った一歩を踏み込んだ瞬間、智衡の眼光が鋭く光った。まるで自分のテリトリーを守るように春臣に襲い掛かると、春臣はギリギリで刀を受け止めた。智衡は長い足で春臣の腹部を蹴り飛ばすと、もう一度春臣の懐を狙って駆け出した。春臣が智衡の刀を受けようとした隙に、智衡は刀を放り出して、春臣の喉輪を掴み押し倒した。その速度に追いつかなかった春臣は、気が付くと頸動脈にナイフの刃を当てられていた。
ナイフは、春臣が隠し持っていた暗器だ。
「いつの間に…。」
試合終了の鐘が鳴って、春臣は敗退を知った。
智衡は立ち上がってから春臣にナイフを返した。春臣がナイフを受け取る時、智衡は春臣にしか聞こえない声で言った。
「例のルールさえ無ければ、北条を潰せたものを。」
それは冷え冷えとした殺気だった。春臣はゾクっとして智衡を見ると、猟奇的な目が、まるで血に飢えた獣のようだった。
「ま…魔王。」
春臣はこの時初めて、智衡を魔王と呼ぶ春家の気持ちが分かったのだった。
◆
智衡が魔王様を開眼して派手に勝利している頃、別会場にてトーナメントAの試合が始まっていた。
蘇芳と昴の試合だ。
「猿。頭を使って戦え。」
開始五分。完全に蘇芳のペースになっていた。
「鬼と違って、人間は知能がある。動きを読まれるな。相手の策に嵌るな。冷静さを欠くな。」
一撃一撃に駄目出しし続ける蘇芳に、昴は全く敵う気がしない。これではまるで子ども相手のようだ。
これまでの試合で、世の中の人々は「最強」とカテゴライズされる十四人に、大きな力の差があるとは考えていなかった。けれどこうして見れば、力の差は歴然だ。
世の中のありとあらゆるプロの技というものは、簡単そうに見えるものであるから、蘇芳がまるで児戯が如く昴をあしらう事で、昴の実力がまるで赤子のように見えた。
けれど、これまでの昴の戦いを見て来た観客たちは、決してそうではないのだと知っている。昴はこれまで平家四神大隊は朱雀隊隊長・平正治を下し、天下の紫紺小隊員を二人倒して勝ち上がってきた。その実力が嘘偽りなく「最強」である事は、観客が証人だ。
となるとだ。昴を簡単に扱う蘇芳の実力が、とんでもないのではと気が付く訳だ。
「相手を傷つける事を恐れるな。思いっきりかかって来い。」
真剣勝負であるから、殺しがルール違反とは言え、罷り間違う危険性がある。昴には対戦相手を傷つけるかも知れないという恐れがあったのだろうか。蘇芳が指摘すると、昴は勢いよく蘇芳に向かった。
「よし。良いぞ。野猿、お前はまだ若い。絶対にまだまだ強くなる。立ち止まるなよ。」
そう言うと、蘇芳は昴の刀をいなして、軽い所作で昴の喉元に自身の切っ先を突き付けた。あまりにあっさりとした決着だ。
「在仁が信じる光になれ。」
まるで励ますように言う蘇芳に、昴は恭しく直角に腰を折った。
「ありがとうございました。」
爽やかな敗退。見る者は皆、昴の青春を共有するような思いがして、これからの昴を応援したくなった。
観客席からは多くの拍手。それは勝者である蘇芳へのものでは無い。前途ある昴宿への激励だ。その拍手に、昴は丁寧に頭を下げたのだった。
◆
トーナメントAは、蘇芳と昴の試合があっさりと終わったため、控えていた茉莉と君崇の試合が予定よりもかなり早く始まる事になった。
病室で観戦している在仁は茉莉の応援うちわを握って、モニターを真剣に見ていた。隣には君崇の無事だけを祈る真珠が、両手を合わせていた。北辰隊の仲間たちもこの病室いや、ビューイング会場に集まり手に汗握っていた。
長かった武闘大会も残すところあとわずかだ。次々と仲間たちが敗退していくも、皆善戦であったためそれなりに満足している様子。在仁は先程の昴の敗退を見て、昴なりに得るものがあっただろうと思った。昴はこれから部隊長となるのだから、蘇芳から学ぶものは多かったはずだ。
蘇芳が勝利最優先で昴を倒さず、昴の懸命さを世に見せつけてくれたお陰で、昴の評価が下がることはなさそうだ。今後昴は自分の部隊の隊員を集めねばならないので、昴の評判が悪いのはまずいのだ。勝つのが望ましいが、負けても善戦でなければ。在仁は蘇芳に何もお願いしていないが、おそらく蘇芳はそれらを考慮した上で、在仁の為にああいう戦い方を選んでくれたのだろう。
武闘大会はその場限りで終わらない。昴と同じように、ここでの勝敗や評価などが、この先の人生を左右する。だから皆が必死になって戦う。正々堂々と懸命に尽くす武士たちの志の曇りなき事、在仁にはとても美しい星芒に見えた。
多くの武士が、ここに至るまでの勝利を、在仁に捧げてくれた。それは在仁の出家を思いとどまらせる為、ではあるが、元はと言えば茉莉が仕掛けた事だ。武士たちがより輝けば、在仁はきっと元気になる。茉莉が在仁の為にした事。在仁はそれが何よりも嬉しかった。
この病室で武闘大会を応援するようになって、体調はどんどん良くなった。おかげで退院許可をもぎ取って、無事に準決勝と決勝は、現地で観戦できそうだ。これまで何もしていない癖に、主催者ぶって観戦するのは申し訳ないが、最後くらいは主催者らしく振舞わねば。
やっと生の茉莉の戦いを見られる。
そのためには、今日この試合を勝ち抜いて貰わねばならない。
「茉莉。頑張れ。」
ぎゅっと握った手には、金霞が握られていた。
◆
試合開始の鐘が鳴った。
「君ちゃんと手合わせした事なんて、あったっけ?」
茉莉が地面を蹴った勢いで君崇に向かうと、君崇は反対方向へ駆け出した。
「どうだろ。子どもの頃にあったかも知れないけど、忘れたな。」
「そもそも君ちゃんが戦うのって、イメージ出来ないしね。」
逃げる君崇を追わずに、茉莉はその場で立ち止まり、何回か軽くジャンプした。
「僕はね、茉莉ちゃん。他の人より目が良いんだ。だから手合わせは有利なんだよ。」
「ふぅん。だからあまり人と手合わせしないって事?」
君崇の目が、茉莉の波形を正確に読み取る。次に茉莉はどうするつもりなのか。
茉莉が軽く地面を蹴って、高く飛び上がると、回転をかけながら君崇を目指す。
ここまでの茉莉の試合を見て、君崇は刀を合わせる事を避けるべきと判断した。武闘大会で男性武士と互角に戦うために、茉莉は刀を強化して負荷をかけ、男性と同等以上の重さを扱う術を手に入れた。隼人が音を上げてあっさり降参するその負荷を舐めたら負ける。君崇は出来るだけ茉莉と刀を合わせずに戦うつもりなのだ。
ふわっと舞うように近付いて来る茉莉の美しさに見とれている場合ではない。君崇は地面を蹴って、茉莉から距離を取ろうとした。
「逃げてばっかりじゃ、つまらないよ。」
茉莉は地面に下りる前に、透明な箱型結界を作って足場にし、蹴伸びするように地面と平行になって君崇を追った。そのロケットのような速さに、君崇が逃げきれず、つい刀を合わせた。
激しい鋼の音と火花が散って、君崇が後退った。茉莉がようやく地面に両足を着くと、にやっと笑った。
「負荷。」
一言でずしっと倍以上の重さを感じた君崇は、即座に後方へ跳んで回避。
茉莉は肩透かしを食ったはずだが、何故か笑顔だ。そして唱えた。
「負荷。」
「え?あ…。」
離れた場所にいるのに、どうしてか君崇は重さを感じて体が沈んだ。
「君ちゃん。そこは罠。」
「うわ…まじか…。」
君崇が立っている場所は、さっき茉莉がぴょんぴょん跳ねていた場所だ。そこに、重力術を仕掛けられている事に、君崇は気付かなった。最初から茉莉と真っ向勝負を避ける君崇に気付いて、茉莉は罠を張って誘い込んだのだ。
「君ちゃん。目が良いんじゃなかったのかな?」
にやにやとしながら近付いて来る茉莉に、君崇は苦笑した。
「茉莉ちゃんは眩し過ぎるんだよ。」
負荷はまだ軽い。動こうと思えば動けるけれど、君崇はそうしなかった。
茉莉が切っ先を君崇に向けて訊いた。
「やる?やらない?」
「やらない。降参だ。」
君崇が刀から手を離すと、試合終了の音が鳴った。
茉莉はそれを聞いてつまらなそうに術を解き、刀を収めた。
「もうちょっと悪あがきしても良かったのに。」
「怪我をすると真珠に叱られる。それに、絶対に勝てないと悟ったよ。」
その答えに、茉莉は明るく笑った。そして配信カメラに向かって手を振った。
「在仁~!勝ったよ~!」
その屈託のない可愛らしい笑みが、地龍中を魅了したのだった。
◆
準々決勝戦最後は、トーナメントB。晋衡対東だった。
藤原重大隊大隊長である晋衡と、元鬼狩隊隊長だった東の一騎打ち。長い間、熾烈な戦の最前線に身を置いて来た歴戦の猛者である事は周知ながら、この二人がかつての上司と部下であり、ある種の師弟関係である事を知る者は少ない。
紫紺色の制服に身を包んだ晋衡と、北辰隊の白の制服の東は、観客席から見れば黒と白のコントラスト。片目を覆った眼帯の晋衡は手負いの獣にも似た危険な殺気を纏っていた。対する東は明るく染めた髪を三つ編みにして流し、人好きのする優しい顔立ちに、静かな闘志。全く相反する性質の二人が対峙する会場は、シンと静まり返っていた。
二人から漂う緊迫が、観客に伝わり、見る者すべてが息を潜めて見守った。
観客たちは、このただならぬ空気に、何か異様なものを感じたが、それを問う間は無く、試合開始の音が鳴った。
会話は無く、二人が同時に駆け出した。
閃光の如く影が残り、目がついて行かない。動きを理解する前に、刀同士がぶつかり合った。間合いを読み合う時間も無く、間髪入れずに次の攻撃に移る。けれどその動きを正確に目で追っている者は少ない。まるで時差でもあるように、脳が理解した時はもうその攻撃は終わっている。とにかく早い。
この凄まじさに、観客は初めて「最強」と言う名が持つ桁違いの領域を知った。
試合終了後にスーパースロー映像にして解説してくれ、と思っていると、激しく地面を抉る音と共に、両者が退いて距離を取った。土煙が舞って、収まった時、晋衡が笑ったのが見えた。
なんて凶悪な笑顔だろうか。観客全員がゾクっとした。
そして晋衡は刀を逆手に持ち替えて、低く構えた。東は警戒しながら左右を確かめた。
何のきっかけも無く、突如晋衡が消えた。観客からは消失して見えた。次の瞬間、東が左へ駆けていた。見えない何かに追われるような、さながらホラー映画のワンシーンに見えたが、直後東が吹っ飛んだ。
辛うじて受け身を取った東が体勢を整えるのを待たずに、晋衡の刃が襲った。何だろうか、これは。猛獣と人の一騎打ちか?観客にはもう、晋衡が人間に見えなかった。
全身が鋭利な凶器ででもあるかのように、晋衡は東に鋭い攻撃を浴びせ続けた。東はその間防戦一方に見えたが、その内に少しずつ体勢を立て直した。そして、晋衡に向かって強烈な一閃を向けた。
空を穿つような突きに込められた斬撃が、鋭利な風となって晋衡の顔面に向かうと、かわした晋衡の眼帯の紐が切れた。
はらり、と落ちた眼帯を、観客が目で追った。
眼帯の下の目にあった傷痕が晒され、晋衡が少し顔を傾けた。そのほんの僅かな隙に、東が全力を込めて刀を振った。
勝負あった、と誰もが思った。
けれど、気付くと、東の首筋には晋衡の刀の刃が当てられていた。あと少しで首が斬れる。そんなすれすれの場所に刀を置いた晋衡が笑った。
「見えない目は俺の死角じゃない。」
試合終了の音がして、東は敗退した。
晋衡が顔を傾けたのは罠だ。敢えてほんの僅かな隙を見せた。
晋衡と長い付き合いである東は、晋衡に死角など無いとよく知っている。晋衡に勝つにはどうにか、どんな僅かでも良いから隙を見つける他ない。そう思っている為、体が脊髄反射で目の前の隙を突かずにいられないのだ。晋衡がチラリと見せた隙が罠だと分かっても、反応してしまう。そう、仕向けられているのだ。結局は完全に術中だ。誘い込まれていた。
「知ってるわ…そんなの。」
思い返せば、晋衡が最初から猛攻を仕掛けたのは、隙が無ければ勝てないと思わせるためだったのだ。
つまり、最初から計算ずくだった。全部、晋衡の思い通りの試合運びだったと言う事だ。
「全然勝てる気がしないわ。」
東が晋衡に出会ってから二十年以上が経過するが、東は未だ晋衡に勝った事が無い。東にとって越えられない壁だ。
「そりゃあ、東が俺を研究するように、俺も東を熟知出来るんだから、簡単には負けてやれないだろ。」
東の嘆息に、晋衡が呆れを漏らした。
そして晋衡は東に手を差し出した。東はその手を掴もうとして、気付いた。晋衡の手が震えていた。
「隊長…。」
「馬鹿力の馬鹿重い刀の所為だ。あと何回かくらってたら、俺が負けてたな。」
それを聞いて、東は急激に悔しくなった。あと少しで勝負は分からなかったなんて、惜しい試合だったなんて。
「うっそぉ。もうちょっと耐えれば良かったわぁ。」
「残念。負けは負けだ。」
東は落ちた眼帯を拾って、得意げに笑う晋衡の手に乗せた。晋衡は戦闘中とは打って変わった優しい笑みで、東の頭を軽く撫でてから踵を返した。
それは褒められたように感じて、東は恥ずかしくなったのだった。
◆
こうして準決勝の面子が決まった。
蘇芳対茉莉 晋衡対智衡 四人全員が奥州藤原氏なのだ。不動の奥州一強時代を物語る結果に、他家はどれ程悔しい事か。それを想像するだけで幸衡は楽しかろう。
長かったお祭りももうすぐ終わる。
最高潮の盛り上がりの中、明日は準決勝と決勝が行われるのだ。




