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37 舞踏の事

 冬の寒さが極まった二月某日、地龍全域で件の武術大会の予選が始まった。誰でも参加できると銘打ったためか参加人数が想像を超え、異常に細かい地方予選トーナメントが組まれていた。一か月をかけてそれぞれの勝ち抜きを決め、メインとなる本戦は三月に開催される予定だ。と言っても、各地方予選の決勝には鎌倉七口を始めとした段違いの(つわもの)がシードとして配置されている。相当な番狂わせが無い限り、本戦はそのシードメンバーの集まりとなるだろう。観戦する側もそれを期待している。

 二月も下旬となり、そろそろ各トーナメントの優勝者が決定し始めた頃になると、地龍中の話題は武術大会でもちきりだった。

 「おい、見たか?九州ブロックのトーナメントの優勝者。」

 「ああ、矢集(やつめ)だろ?」

 「え?矢集ってあの鬼神殺しの?」

 「確か、地龍様の側近だって話だよな。」

 「マジかよ?何で地龍様がそんな危ない奴を側に置くんだよ?」

 「知らねぇよ。でも、直接見た奴の話だと、相当強いらしい。しかもめっちゃ怖いんだって。」

 「そうなのかよ。地方予選は中継無しだからなぁ。九州ブロックのシードって結城(ゆうき)様だったよな?あの結城様が負ける所はちょっと想像出来ないなぁ。」

 「本来鎌倉で出場するはずの矢集が九州で参加して、しかも領主を打ち取ったもんだから、九州中が矢集に敵対心燃やしてるらしい。」

 「そらそーだろ。結城様の存在は九州では教祖も同じだ。誰もが本戦での活躍を楽しみにしてただろうに。」

地方予選結果表を見ながら話題に盛り上がる男たちは、すっかり周囲の気配を失念していた。気が付けば、男たちの後ろには毘沙門が立っていた。

 「例え結城殿が本戦に出場していたとしても、いずれは晋とあたるのですから、結果は同じこと。それは戦った本人が一番分かっている事です。それを周囲がとやかく言うのはお門違いと言うものですよ。公正の場で戦い、結果がでたのですからそれが全てです。それとも、晋に何か不正の疑いでも?」

珍しく毘沙門は厳しい表情で言い放った。いつもは説教は長いが態度も表情もいたって穏やかな毘沙門が、本気の怒りのようなものをにじませた事に、男たちは驚いて黙った。

 「貴方達も武士であるならば、言動には責任を持って然るべきです。」

黙って頷く男たちをしばらく見てから、毘沙門はいつもの穏やかな口調で言った。

 「もし貴方達の他に同じような言動をする者がいれば、今度は貴方達が諌めなさい。武士は刀で身を立てるもの。言いたい事があるならば刀で語りなさいと。」

男たちが顔を上げると、穏やかに微笑む毘沙門がいた。

 その話は忽ち地龍中に広まった。武術大会の結果に不満がある者を諌める姿勢が、ではない。毘沙門の如何に聖人君子たるかが必要以上に崇められた脚色でふれ回られたのである。元々控え目な信者達が日本全国にいた毘沙門の人気が表面化し、何故かたいそう膨れ上がっていた。地味ながら鎌倉七口のリーダー格たる器は伊達では無いのだが、原因はもちろん武術大会によるものだ。

それだけ武術大会は注目の的であり、大きな影響力を持っていた。



 三月初旬から始まった本戦は、まず全国の地方予選を勝ち抜いたメンバーをグループ分けし籤引きのトーナメントを組み、残った5人による決勝トーナメントが行われる事となっていた。本戦は鎌倉にて開催されるが、決勝には来賓として各地の領主たちが集結するのでとんでもないお祭り騒ぎだ。

 「あれ、さゆ?どうしてここに…。」

()()は騒がしい会場の中で意外な人物を見つけた。

 「応援です。」

コンシェルジュ以外の熊谷(くまがい)小百合(さゆり)を見るのは初めてだった。薄いブルーのブラウスにジーンズ、厚いニットのアウターに白いマフラーというシンプルな服装だ。陽菜のイメージではもっとスカートや装飾を好むと思っていたので意外だ。

 「へぇ、応援して良いんだ?」

 「私が言い出した事ですから、見届けるのは当然の事。それより陽菜は?」

 「私も応援だよ。」

 「…どちらの?」

陽菜は返答につまった。

 この日の戦いは、菊池実(さね)(ちか)那須直嗣(なすなおつぐ)によるものだ。鎌倉七口同士の戦いとあって注目度が高い。その上二人はそれぞれの部隊同士の関係も悪く、この戦いでとうとう優劣がつくとあって周囲の白熱ぶりは異常な状態だった。

 「ま、いいじゃん、それは。それよりここ見ずらいな〜、これじゃあ家で中継見てた方がマシじゃん。どっかにもっと良い場所ないかな。」

 「難しいでしょうね。この戦いを見たい人は多いですから。」

きょろきょろする陽菜に、冷静に意見する小百合だが、前方から二人を呼ぶ声がして見るとそこには藤原幸衡(ゆきひら)と毘沙門がいた。二人が近づいて行くと、周囲が少しつめて二人ぶんの隙間を作ってくれた。否、幸衡が無理矢理作らせた。そして一番前の一等席を確保した二人は、久しぶりに見る幸衡に不可避のときめきを覚えた。「眼福〜。」「らっきー」こそこそと言いあっていると、幸衡が言った。

 「この戦いは確かに必見だが、関係者は優遇されて然るべきだ。」

 「そうですね、特にお二人はきちんと見届けて差し上げなくてはなりません。」

毘沙門が笑顔で同意し、小百合は小さく頷いた。

 「安達道白(どうはく)様でいらっしゃいますね。はじめまして。」

 「ええ、はじめまして、熊谷小百合さん。貴方が実親との交際の条件に武術大会で幸衡に勝つ事を提示したときき、どんな女性なのかと思っていました。けれど、思ったより整った『波形』をしているのですね。」

毘沙門の言葉は明らかな厭味だと思った。わざと幸衡の前でそのような事を言うのだろうと。小百合はつとめて冷静に返した。

 「意地の悪い事を言う女だとお思いになられたのでしょう。確かに、私の身には過ぎた条件でした。そもそも私の立場で条件などとおこがましい事です。」

 「いいえ、貴方を見て確信しました。ただ無理難題をふっかけた訳ではないのだと。ならば祈るだけですよ、友が貴方の眼鏡に適うようにと。」

穏やかに微笑む毘沙門を見て、噂通りの聖人だと思った。

 「それに、実親が私を倒す事とて可能性はゼロではない。もちろんゼロに近いが。」

幸衡の純白の揺らがない自信が、『波形』を視認できない二人にも伝わった。

 「もちろん、直嗣を倒せなければ、無い話だが。」

四人は時間が近づき舞台上に姿を表した実親と直嗣の姿を見て、本人達の緊張感を共有した。



 実親は小柄な体を戦闘服で包み、腰に携えた刀を鞘から抜いた。長い前髪の下から覗く鋭い猫のような目がギラギラと直嗣を見ている。近接戦闘を得意とする実親用に一般的な刀より短めだ。一度間合いに入れてしまえば、小さな小回りのきく体で繰り広げるスピードとアクロバットは驚異でしかない。直嗣は普段頼りにしている冷静な判断力が、今回は鈍ってくれと願ってしまう。

 対して直嗣は幼い顔立ちに反して鍛え上げられた肉体に長い手足を生かした体術を習得している。普段通りのジャージに武器の携帯は一切なしといった姿も、そのためだろうか。丸腰で舞台に上がる直嗣に会場はどよめいた。

 「本気なんだな。」

実親が薄く笑った。

 「一対一の戦闘ですから。武器の携帯は僕には邪魔になります。」

申し訳なさそうに言う直嗣の謙虚さは、出会った頃から実親の神経にさわる。

 「実力を買われて此処にいる。自信を持って堂々としろ。」

幾度となく言った台詞も、直嗣の態度改善には役立たなかった。けれど今は違う。

 「はい。そうですね、僕は親さんを倒します。」

 「はっ。言うようになったな。」

実親と直嗣が視線を一直線に合わせたままで、笑った時だ。

時間を知らせる鐘が鳴った。

 実親は鐘の鳴り終わるのを待たずに地面を蹴った。

会場はこの大会のために造られた特設ステージだ。コンクリート製の直系五十mの円。場外・降参・戦闘不能・反則は試合終了。その他にも審判によるジャッジで終了となる場合がある。戦闘の規制はないが、限られた舞台上であるため戦闘スタイルによっては制約される者もいるだろう。その中でどう戦うか、それが見ものなのだ。

 直嗣は実親の突進が間合いに入る前に、(れい)(きゅう)を展開し射た。当然実親は避ける。そのため直線で近付く事は出来ない。実親は一度後退しながら、刀を何度か振り下ろした。術力によって放たれる斬撃の刃が鎌のように直嗣に向かって来た。

 普段の戦闘では実親が前衛、直嗣は後衛だ。遠距離攻撃は直嗣に任せ、実親は近接戦に持ち込むのが常套手段。こうして遠隔攻撃を繰り出す所は初めて見た。直嗣は警戒したが、全ての斬撃が直嗣を逸れて消えて行った。


 「普段使わぬやり方故コントロールがままならぬか。」

幸衡は腕を組んで呟いた。

 「後退するために出しただけかもしれません。」

毘沙門が言うと、小百合と陽菜は眼の前で行われている戦闘に呆然としていた。

 「何だか、本気で戦っているなんて、不思議です。昨日まで兄弟みたいに仲が良かったのに、今は心から憎しみ合っているみたい。」

圧倒された小百合がぽつりと言った。

 「心から憎しみ合って…か。それも外れてはおるまい。」

 「そうですね。あの二人を繋いでいるのは結局は兄さんという重い軛なのかも知れません。」

 「え?」

幸衡と毘沙門の言葉に、陽菜は直嗣に圧し掛かる何かを彷彿とさせた。


 「親さん、ノーコンですよ。」

直嗣が矢を射ると、実親の髪をかすめた。実親が想定して避けるより早い矢だった。

 「言ってろ。」

実親が再び直嗣との距離を縮めにかかった。直嗣が射る矢の軌道を読んでいるかのようなコースで走り、あとわずかと言うところでスライディングして直嗣の足元へ突っ込んだ。

 「近接戦闘型の俺相手に、遠距離攻撃で来る事は分かってたよ。」

 「僕も、親さん相手に上手く行くなんて思ってないです。結局は接近戦にもっていかれると思ってました。」

直嗣は弓を消して、新しくナイフを作った。ナイフを二本構え、実親の刀を体術の応用で受け流した。

 「器用なやつ。接近戦もイケるのは重々承知。だが、お前のクセは熟知してるんだぜ。」

 「それは僕も同じです。どれだけ援護してると思ってるんですか。」

互いの攻撃、互いの読み合い、良く知る相手だからこその心理戦。一撃たりとも逃す事のない防御と、相手の裏をかこうとする攻撃が高速で繰り広げられる。

 「前衛が後衛を知らないと思ってるなら大きな間違いだぜ。」

実親は直嗣をよく知っているからこそ背中を預けて来た。根拠のない信頼ではない、直嗣の実力を、手のうちを知っているからだ。けれど、それは直嗣も同じ。

 「いいえ、僕の方が親さんを見てます。」

 「いいや、俺の方がお前を分かってるね。」

背のある直嗣の体術は、実親の小回りに後れをとっている。

 「頑固。」

 「どっちが。」

そうは言っても実親の攻撃はすべてかわしている。

 「じゃあ、こうしましょう。」

 「ああ。」

二人は埒の明かなさを悟り、同時に一度距離を取った。

 「「この勝負で勝った方が正しい!」」

実親は再びが斬撃を放ったが先程同様直嗣に直撃する軌道ではない。直嗣は弓を展開した。


 両者一歩も引かない攻防が明らかに長期戦となるだろうと悟っても、観客は息をつく余裕もなく必死に二人の動きを目で追っている。

 そんな中、幸衡と毘沙門は語り出した。二人が何故戦うのかを。

 「直嗣は先代地龍当主貴也様にその能力を買われて鎌倉七口兼龍の爪となった。しかし、直嗣自身はその状況について行けなかったようでな、新転地での生活に馴染めなかったらしい。実力はあるのに気遅れして発揮できないまま、負のスパイラルに陥ってすっかり委縮し卑屈になってしまっていた。」

 「そんな直の姿を、親は快く思わなかったらしく、随分厳しくしたようです。親は負けん気の強さで血へどを吐くような努力をして勝ち上がって来ましたから、直の態度は地位への冒涜のように思えたのかも知れません。周囲も諌めてはいたのですが、これでつぶれるような人材は必要ないと思っていたのでしょう、あまり助けはしなかった。それを心配していたのが俺の兄・安達道(どう)(げん)でした。」

 「仲、悪かったんだ…。」

陽菜が驚きを口にすると、毘沙門は懐かしむように頷いた。

 「ええ。とてもね。元々変わり者の寄せ集めのような集団でしたから、団結力というか協調性というか、そういうものが欠けていたんです。それでも兄は何とか繋ぎ止めていました。けれどそれもある時瓦解しました。ある人物の企てによって。」

 「平景(かげ)(きよ)は転生組だが、無類の戦好きでな。膠着した源平の戦を激化させようと企んでいた。そして実親と直嗣の不和はその恰好の隙だったという訳だ。直嗣に付け込み情報を得、そして七口の中を掻きまわし、怒らせ、直嗣を挑発した。証拠の無い言い掛かりで平景清が源氏である直嗣の矢を受ければ、それは立派な大義名分となる。すぐさま源平合戦の幕開けだ。事は景清の策略通り、直嗣は景清に向かって怒りの全てを込めた矢を放った。」

 「けれど、それを受けたのは兄でした。」

 「え?」

 「兄は優しさをこよなく愛する人でした。戦を起こしてはならないと、その身を犠牲にして事を収めたのです。」

毘沙門は昔話を紐解くように優しく語った。

 「…お兄さんを殺したのは、直嗣さんって事?」

 「はい。そうなります。」

 「…恨んではいらっしゃらないのですか?」

身内を殺されて、今は一緒に働いているなど、いくら複雑な地龍内でも辛い関係に思われた。

 「ええ。兄が命をかけたのは、その場の戦回避のためだけではありません。兄は『未来』を守ったのです。」

 「未来?」

人が犠牲になったと知って思うのは、命だ。命をかけて守りたいのも、壊したいのも、結局は命なのだと安直に思った。陽菜も小百合も弁天が死んでも守りたかったものを、未来とは名付けない。けれど毘沙門はそれを未来と呼んだ。

 「ああ、弁天殿は『未来』を守った。それを理解した故、二人は変わったのだろう。その未来が良いものでなければならないのだと。そんな未来を作るために努力し、そのために生きるのだと決めたのだろう。」

 「重い十字架を自ら背負い続ける彼等を、俺が恨むのは過ぎた罰です。」

何故頑張るのか?何気なく訊いた陽菜の問いは、図らずも直嗣を傷付けただろうと知った。あの何かを強く握りしめる手は、必死で掴む強い力は、一体どんな想いだったろうか。陽菜は心が痛んだ。

 「直嗣さんがいつも胸のところで握ってるのって…。」

 「…兄の形見です。兄の最愛の人から貰ったもので、肌身離さず持っていました。巡り巡ってそれを託されたのは直嗣だと聞いています。」

 頑張るしか選択肢がなかったと言った直嗣の覚悟は、その形見に誓った未来のためなのだろう。それを知ると、謀略の中で傷付いた直嗣における信頼というものの価値はさっきまでとはまるで別のもののように思えた。人に裏切られて、それでも人を信じると言えるのは、弁天が持っていた優しさがそうしろと直嗣に囁くのかも知れない。陽菜は直嗣の上に圧し掛かる何かの正体を知ってしまった。それはもう後戻りはできないと言う事だ。

 陽菜の隣で小百合もまた新しい事に気が付いていた。

 「未来を切り開くために生きているのですね。」

小百合の目は実親をまっすぐに見ていた。

プライドのためでも、家のためでも、夢のためでも、評価のためでも、地位や金のためでもない、一心に亡き弁天に誇れる未来を築くために生きているというのか。それは、どの目標よりも強固な意志ではないだろうか。未来というものは生きていなければ築けない。きっと実親は何よりも生きることを最優先とするだろう。そして生きている限り、努力し続けるのだろう。それは、小百合にとって何よりも信頼に足るもののように思えた。今まで漠然と結婚相手を探して来た。履歴書で分かるような項目だけで人を値ぶみし、実際自分がどんな相手を求めているのか分からないままでいた。けれど今、正に、自分の足りていない何かに、カッチリとはまる音がした気がした。実親の生きる道こそ、小百合が人生をかけて支えていくべき道だと感じた。


 実親が再び間合いを詰めるに至り、直嗣は弓から刀へと霊弓の形を変えようとした。その隙へ実親の刃が迫る。

 「直、お前のポテンシャルは地龍一かも知れないけどな、弱点はあるんだよ。」

 「なっ。」

辛うじて避ける刃は囮で、実親の蹴りが直嗣の脇腹を打つ。

 「術の展開に時間がかかるって事。」

 「…そんなのは自分でも十分分かってます…よっ!」

直嗣は霊弓の形成に時間を要したふりをしていたのか、実親の蹴りを受け止め足を掴んだ。

 「な…囮だったのか…?」

すかさず実親は体を捻って回転し距離を取る。その間に刀を形成し終えた直嗣の切っ先が着地した実親の喉元に突き付けられた。しかし、その時には既に実親の刀もまた直嗣の胸に突き付けられていた。

 「さすがだな。」

 「親さんこそ。」

お互いにチェックメイト状態。このまま膠着すれば審判権限の相討ちで勝者無しになる可能性もある。直嗣は次の手を考える。次に実親がどうするのか、頭の中を考える。その時間は1秒にも満たないけれど酷く長く感じる。その時だ、実親は猫のような目を細めた。

 「けど、こうなる事も織り込み済みなんだよ。」

 「えっ?」

直嗣がその笑みの意味を理解するより先に、上空から無数の斬撃が降って来た。それらは直嗣の刀にぶつかり相殺して消えた。実親は軽い身のこなしでそれらを避け、直嗣が気がついた時には、丸腰で膝を付く直嗣の首に実親の刀の峰が触れていた。

 突然の展開に会場は静まり、審判も判定を言うまでに時間があった。

 鐘が鳴り、勝敗が決したと分かった次の瞬間、会場は歓声に沸いた。

 実親が刀を下ろし鞘に収めると、直嗣が動けないままで言った。

 「どうして…。」

何故最後に斬撃が降ってきたのか?見ていた誰もが疑問に思っている。

 「昔、斬撃を転移できるかって地龍様の実験に付き合ったことがあってな。あれから俺なりにも考えてみた訳。」

まだ鎌倉へ来たばかりの頃、恭の発案で皆で実験をした。あの頃の実親はまだ子供だったと思う。けれどあれから随分と時間が経った。だから今ならあの頃出来なかった事が出来る。

 「そんな凄い技があるなら、どうして今まで使わなかったんですか?」

斬撃の転移なんて発想は荒唐無稽だ。けれど完成しているならば実戦で活用するべきだ。このような万能の術は後世に残すべきだ。直嗣は責めるような口調で言った。けれど実親は肩をすくめた。

 「凄くない。俺のは位置も威力も正確だが、斬撃が転移して戻ってくるまでに時間がかかり過ぎるんだよ。」

昔恭とした斬撃を転移させる実験に、いつまでも固執していたのは実親ではなく(むね)(すえ)だ。武術大会のために二人で修行をし、奥の手として開発した。けれど二人の知恵をもってしても、自由自在とは行かなかったのだ。けれど技を思い通りに出来なくとも、技に合わせて自分が立ちまわる事は出来る。斬撃が落ちてくる場所も時間も分かっていれば、それに合わせて直嗣を誘導すれば良い。それが実親の作戦だった。

 「…なんですか、それ。結局最初から計算ずくってことじゃないですか。」

 「お前だから出来る戦い方だよ。」

すべてを熟知している直嗣だから通用する、ずるい奥の手だ。自覚はある。

うなだれる直嗣に、実親は手を出した。

 「つまり、俺の方がお前を理解しているって訳だ。」

実親の自分より小さい手を掴んで立ち上がると、直嗣は苦笑いをした。

 「完敗です。」



 実親は試合後のインタビューなどを済ませ会場から出た。本戦ともなると注目度が桁はずれだ。中継もあるし、インタビューまであるとは。煩わしさ半分、しかしこれで名前も顔も売れたという誇らしさもある。昔程無為に地位を望んではいない。しかし今は先立つものが必要だ。何をするにも金と権力が要る。誇れる未来の構築には、まず実親自身の身を立てる事が急務なのだ。これで「菊池実親?誰?」から「菊池様と言えば鎌倉七口の」という具合になってくれれば、などと想像すると少し悪い笑顔をしてしまう。人ゴミを避けて会場を出た実親だが、気が付くと前方に小百合が立っていた。

 「小百合さん?」

まだシャワーを浴びていないので駆け寄りたい気持ちを抑えて適切な距離を保って立ち止まった。小百合はそうとは知らず歩み寄った。

 「実親様、貴方の目指す未来とはどのようなものでしょうか?」

 「え?」

 「貴方が私と共にありたいと望む未来には、何があるのでしょうか?」

真剣に訊いてくる小百合に対し、実親は真面目に答えなければならないと思った。何か小百合が気に入る事を言いたかったが全く思い付かなかった。猫を被っても遅かれ早かれバレる。なにせ夫婦になりたいと言っているのだ、嘘は意味がない。正直に、誠心誠意、自分自身を見せよう。そう思い至り、飾らない言葉で伝えようとした。

 「小百合さんにはお金とか家名とかで苦労はさせないつもりです。俺は、貧乏な中級武士の出ですから、そういうものに凄く苦労した。だから、そういう思いをしたくないし、奥さんにだってさせない。そう決めてます。それから、出来ればもっと沢山のそういう人を何とかしたいって思ってる。中級武士の中にも、それなりに出来る奴とか結構いて、家名で将来を断つなんて、本当謂れの無い評価で、むしろ気骨ならそんじょそこらの武士になんか負けない。だから、そういう連中集めて、少しでも良い将来を切り開けたらって、そう思ってる。あ、もちろんヒエラルキーがある以上、下層は必要なんだけど、でも俺は」

 「そこまでは聞いていません。」

 「あ…そう。」

 「実親様、私、貴方様に出した条件を変えようと思います。」

小百合は堂々と言った。

 「え、幸を倒したらっていう条件を?変えるの?」

あきらの話では転生組を除くと奥州最強を誇るらしい幸衡の実力は段違いだ。あれだけのスーパーマンだ、ただ者ではあるまい。実親から見て明らかな格上となる。そんな幸衡を倒せというのは、正直かぐや姫並の無理難題要求だと思っている。そんな条件を平然と突き付けて来た小百合の条件変更はあまりに恐ろしかった。どきどきしながら返答を待つと、小百合が言った。

 「ええ。死なない事です。」

 「は?」

 「死なない事。それを飲んで頂ければ、実親様と結婚いたします。」

 「…死なないって、どういう事?俺人間だし、いつかは死ぬんだけど、それが駄目って事?それとも小百合さんより先に死ぬなって事?それも年齢順で言ったら俺が先に死ぬ換算なんだけど、長生きしてって事?それとも…て、え?結婚?結婚って言った?今」

 「実親様。」

狼狽し過ぎておろおろする実親に、小百合は諭すように言った。

 「生きていなければ、未来は切り開けませんわ。」



 負けた直嗣だが、その高度な戦闘に感銘を受けた者が多く、試合後随分囲まれた。いつの間にか実親は姿を消していて碌に話す事が出来なかった。出来れば後日感想戦をしたいと思ったのだが、勝ち残った実親には次の試合もあるので我慢する事にしつつ会場を後にした。会場の外には会場に入れなかった人が中継を見ていたらしく、直嗣を取り囲もうとして来た。その中によく知る顔があった。

 「陽菜ちゃん!」

人ゴミに飲まれる陽菜の手を強く掴むと引き寄せた。

 「大丈夫?」

 「うん。ありがと。」

人に押されて抱きあうような形になってしまった。しばらく我慢していると警備役の人が駆け付け騒動は収まったが、陽菜は直嗣の手を離さなかった。

 「格好良かったよ。」

試合を見ていたのだろう事、そしてその事に言及しているのだろう事はすぐに察せられたが、負けたのに格好良かったというのは気休めだろうと思った。

 「負けちゃったから、格好良くなんかないよ。」

優しさには感謝しつつ、それでも譲れない、認めなくてはならない現実の敗北。つい歯をくいしばった。

 「悔しい?」

覗きこむ陽菜の目は直嗣の心の奥を見ているように感じた。

 「うん、すごく悔しいよ。」

素直な吐露は別に他意など無かった。けれど陽菜はつないだ手を強く握った。

実親と同じ猫のような鋭い目には悪戯な光。実親に良く似た表情。それは人を慮る優しさを含んだ光。愛情。

 「陽菜ちゃん…?」

 「あの鍵使っても良いよね?」

 「え?」

 「朝まで慰めてあげる。」

陽菜の笑みを視界の中心に捕えたまま、言葉の意味を理解できずに直嗣は口をぱくぱくさせていた。その手の温度を感じたままで。



 次の試合のための片付けが進む会場の観客席に二つの影があった。

 「幸の次の対戦相手は親という事になりますね。」

毘沙門がトーナメント表を見つつ言うと、幸も返した。

 「毘沙門殿は晋くんか。」

 「まさかこんなに早く晋と当たるとは。出来れば晋は幸に倒しておいて頂きたかったのですが。」

 「楽をしようと思うな。精々健闘する事だ。」

勝ち残れば幸衡と毘沙門が当たるのは次の次だ。お互いに当たることがあれば、その時は全力を持って戦おうと視線で約束を交わした。

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