33 鬼火の事
「呼ぶのが遅いんじゃないのか。」
晋が気付くと、一角の背後で黒烏を構えている姿があった。一角は警戒し距離を取った。
全身黒い戦闘用のスーツに身を包んだタイトなシルエットは、見なれた恭の姿だった。
「いや、忙しいのに呼び付けたら悪いと思ってさぁ。」
晋の息は喉を焼く程に上がっていた。何とか返しつつ義将を見ると、鬼の女は地龍の増援に気が付いたらしくいつの間にか一角の隣に立っていた。
残された義将とさくらは何かされた様子はないが倒れ込んだまま動かなかった。
「一角、もういいよ。行こう。」
鬼の女が言い、一角の手を引こうとすると一角は首を振った。
「カグヤ、先に帰れ。俺はコイツを喰う。」
「一角、アンタ…確かにそいつは美味そうだ。でも駄目だ。そいつを殺したらご主人様から怒られちまうからね。」
一角は怪訝な顔でカグヤを見た。
「こいつは矢集裕の息子さ。いずれ私達の仲間になる。喰っちまったら駄目だよ。」
「分かった。」
カグヤの説明に納得した一角は頷くと刀を収めた。
恭と晋はただ警戒してその様子を見ていた。
二人はまるで闇に溶けるように姿を消してしまった。その溶ける残像からカグヤの声が響いた。
「またね。」
そこにはカグヤが戦闘中せっせと集めていた死体の姿が一体もなくなっていた。
鬼火は義将が倒したが、向こうの目的は達成してしまったのだろう。地龍武士を餌として得る事は。
「本当は、逃がしたくなかったが…仕方ない。」
恭が黒烏を収めて言うと、晋はのろのろと義将達の元へ向かいながら答えた。
「俺は早く消えてくれって願ってたよ。」
義将とさくらの無事を確認して安堵する晋の後姿を、恭はじっと見ていた。
「以前のお前ならば俺を呼んだりしなかった。」
「鬼二人に対して不利過ぎたけど、増援要請しようにもトランシーバー壊れちゃって、携帯も圏外だったし…。」
呟くように答える晋が、へらっとした笑顔で恭を見ると、恭は呆れた顔で手を差し出した。
「間抜けな顔。」
恭の手を掴み立ち上がると、幸衡が他の部隊と駆けてくるのが見えた。
「安心した顔だよ。」
「初めて見たかもな。」
「ありがと。来てくれて。」
晋が恭の手を強く握り、それから離した。状況報告に幸衡の方へ向かおうとする晋の背中に、恭が言った。
「奴等は、お前を仲間にするつもりなのか?」
晋は背中のままで言った。
「さぁ、知らない。でも、俺の帰る場所はひぃさんのいる場所だよ。」
「…そうだな。仁美殿にあまり心配をかけるなよ。」
かつての晋ならば、恭のいる場所だと言っただろう。人の心は移ろいゆく。それが当たり前のことなのだ。人の心を拘束するもの、それは摂理に逆らった禁断の行為。
恭は、晋の後姿を見ながら少しの心許なさを覚えた。
「きっとただの寂しさだ。」
言いようの無い不安を、晋の一番が自分でない誰かになった事への、寂しさに置き換えて呟いた。夜闇が視界を狭めるように、恭の不安は靄のように道を塞ぐ。手探りで歩く隣に、今晋は居るのだろうか。強く握った手の感触が消えてしまうように、いつの間にかいなくなってしまうような気がして一人手を握り締めた。
朝になり一通りの後始末の指示を終えた幸衡が、今回の作戦での負傷者を収容した病院へ行くと、ようやく全員の治療を終えたところだった。最も深手だったのは義将とさくらで数日の入院を余儀なくされたが、他の武士たちは今日中には帰れそうだった。
幸衡は忙しさと早朝という時間帯もあって、コンビニで食事を買い病室に入った。そこには、義将はベッドに座り、さくらはその傍らの椅子に、見舞客用のソファに恭と晋が向かい合って座っていた。幸衡が朝食をテーブルへ置くと、手帳を開き走り書きの情報を読み始めた。晋は聴きながら幸衡が持ってきたおにぎりやサンドイッチを全員に配った。
「まず、昨夜の作戦が開始された時刻に、複数の場所で同時に揺らぎが発生した。内容は、人に憑依した『夜』が玉突き事故を起こすなど、どれも軽微でありながら派手で収拾に手間がかかるものばかりだった。それらに殆どの部隊が手を取られ身動きが取れない間に、四番目の候補地の部隊は全滅した。死体は一体も残されていなかったため状況は分からないが、我々が鎌鼬と呼んでいた『夜』による奇襲で絶命したと推察される。」
線路のあちこちに倒れた重く冷たい骸を思い出すと、さくらは肌が泡立つのを感じた。
「して、鎌鼬の正体は何だったんだ?」
恭が米を咀嚼しながら訊くと、幸衡は手帳のページをめくった。
「晋くんの証言では、鬼火だと。」
「火の玉、人玉、そういうものに見えたよ。」
義将が言うと、恭は頷いた。
「霊魂の類ならば、養殖された『夜』のひとつなのかも知れないな。鬼火は怨霊などだとも言われている。明確な実体は持たなかったが、攻撃力には特化していたという事も考えられる。」
「敵さんは鬼を増産してるんでしょ?鬼火も鬼の一種って事かもね。」
晋が適当に言うと、幸衡は補足した。
「鬼火が一気に大量の獲物を殺し、同行していた鬼二人がそれを持ち帰るという手はずだったと言う事だろう。」
「手際が良かったよ。抜群にね。一人は邪魔者の排除、一人は死体集め、鬼火は獲物を狩り続ける。チームワーク抜群。」
晋の考察は、敵側にまとまりがあることを示唆していてぞっとする。
「連日の人攫いは地龍を出動させるための餌で、本命は私達地龍武士だった。結局、今回の作戦自体が敵に仕組まれていたという訳だ。」
幸衡はパタンと手帳と閉じた。傷付いた面々を見渡してから、恭を見た。全員が黙って幸衡の次の言葉を待った。
言いたい事は分かっている。皆思っている事だ。
「故に、解せぬ。」
幸衡の怜悧な眼差しが厳しい答えを導き出す。
「作戦の部隊配置や決行日時を把握していたとしか思えぬ。更に言うなれば、人員配置すら掌握されていたのではないだろうか。」
四番目の候補地の戦力の多くが接近戦型だった。最も広く見通しが良い場所だったがために、今回重要戦力となるだろう遠距離型の戦闘スタイルのものを他の入り組んだ地形の配置としてしまったのだ。滅多な事で物影から狙われるなどという事はないだろうとたかをくくった事が災いしてしまった。まさか、鎌鼬があれほどの攻撃力を持っていようとは。
幸衡が悔しそうに言い淀むと、恭が言った。
「幸の所為でない。責任を感じる必要はない。配置に不備は無かった。あるとすれば、セキュリティーだろう。」
「セキュリティーって…機密作戦情報が漏れてるって事?」
おずおずと訊くさくらの言葉に、全員がどきりとした。
「漏れるって言っても、ハッキングしたり泥棒したりする人がいる訳じゃないよ。地龍でこういう事が起きたら、十中八九スパイがいるって事なんだ。」
義将が優しく状況を教えた。
「スパイ?って事は、仲間の中に裏切り者がいるって事?」
目を丸くして声を荒げるさくらに、全員が沈黙した。考えたくはない。
しかし、考えざるを得ない。その存在の所為で昨夜多くの同胞のかけがえの無い命を失ったのだ。病室に重い空気を残したまま、恭と幸衡は出て行った。しばらく沈黙したままの三人が残っていたが、空気を読んだ晋がそっと部屋を後にした。
病院の廊下を歩きながら幸衡が呟いた。
「面倒なことになったな。」
その溜息は、本当に煩わしい事を辟易とするような色を含んでいた。
「現状最も怪しいのは、畠山重忠か。」
恭は先程の病室では言う事が出来なかった。晋にとっては義理に父親になる人だ。スパイ容疑は心穏やかではない。せめてはっきりするまで晋には黙っておこうと思った。
「しかし、物的証拠どころか状況証拠すらない。ただ何となく怪しいだけだ。疑わしきは罰せず。今は様子を見るしかないだろう。」
「私の方で内密に監視をつけよう。」
幸衡が申し出ると恭は頷き、言った。
「注意を怠るなよ。何が起こるか分からん。」
恭の警戒を知り、幸衡は慎重に事にあたらねばと思った。敵の思惑は未だ分からないままなのだから。
二人は大筋の処理を任せた処理班の千之助の報告を聴きに行こうとした時だった。病院の廊下を二つの足音が駆け来るのが聞こえた。ひとつは大きく重い音、もう一つは小さく軽い音。恭が見ると、目の前から血相を変えた畠山重忠と仁美が走ってきた。今さっき話題にしていた人物の登場に、一瞬どきりとしたが、二人は恭と幸衡の存在に気が付かずずんずんと先へ走って行った。
恭と幸衡は顔を見合わせてから、様子を見に後を付いて行った。
重忠が辿り着いた部屋は、晋が入院するはずだった部屋だ。医者は病室を用意したのだが、晋が平気だと言うので恭が鎌倉へ帰る事を許可し、不要になったのだ。今はおそらく帰り仕度をしているはずだ。
重忠が不作法に思い切り扉を開けると、中にいた晋はびっくりしたまま動きを止めた。
「え、おっさん?何でここに…。」
動揺を禁じえない晋に、重忠はずんずんと近づいて行き両肩を強く掴んだ。
「大丈夫なのか?怪我は。」
それから腕を掴んで全身をじろじろと見た。
「晋殿が鬼と戦ったと聴いて、心臓が止まるかと思った。貴殿は我が愛娘・仁美の夫となる御方。貴殿に何かあれば仁美は一体どうしたら良いんだ。」
「…す、すみません。」
「仁美を守るために私はすべてをかけてきたのだ。貴殿に何かあれば、それも全て水泡に帰す事になる。仁美は私のすべてだ。良いか、仁美に何かあらん時は貴殿がその命の代えても守るのだ。」
重忠の目力は本音そのものを弾丸にして撃ち込むような衝撃で晋にぶつかってきた。曇りのない眼だがしかし、一方で何かに怯えたような切迫した様子だ。
「はい。そうですね。」
異様な何かを感じながら頷く晋は、不意に裕を思い出した。子を想う父親だからだろうか。理由は不明だ。晋が完全に圧倒されていると、怒る重忠の後ろから、仁美がそっと顔を出した。
「お父様、もうそのくらいにしてくださいませ。無事だったのですから、それで良いではありませんか。」
心配そうに眉を下げて父を窘める仁美が、晋を見て苦笑いをした。
「いや、良くはない。奴等はまた晋殿を狙ってくるだろう。だから今言っておくのだ。決して無茶をして仁美を危険にさらしてはならない、と。」
必死に訴えてくる重忠は自分の言っている事をよく分かっていないのかも知れないと晋は思った。何せ内容がよく分からないのだから。
「分かりました。気をつけますから、落ち付いてください。」
「そうですわ、お父様。落ち着いてくださいませ。」
二人に言われようやく我に返った重忠が深く息を吐いた。晋は様子を見ながら言った。
「心配かけてすみませんでした。でもほら、俺は平気です。スパッと切られたんでヒヤっとしましたけど、おかげでキレイにくっつきそうだし、大丈夫ですから。それにしても、びっくりしました。俺を心配してかけつけてくれたんでしょ?あ、でも早くないですか?」
夜は明けたが事が起きたのはほんの数時間前の事だ。他の隊員も身内が駆け付けている者はいない。
「晋さんがお怪我をなさったと聴いた父が転移して来たんですの。」
仁美は重忠に言われて慌てて付いて来たらしい。
「転移って…そこまでしなくても。でも、ありがとうございます。」
大袈裟な重忠に違和感は覚えたが、仁美をはじめ家族を溺愛している男故に何をしても不思議ではないのだろうと思った。
「いや、こちらこそ大袈裟に騒ぎ立て申し訳なかった。ゆっくりと休んでくれ。仁美、彼についていてやりなさい。一人では休養を疎かにしかねん。では。」
深々と頭を下げてから部屋を出て行く重忠の後姿は、慌てて騒いだ後の所為かやけに疲れて見えた。
病室を後にしていく重忠の姿を、廊下の影から見つめる恭が、同じく幸衡に問うた。
「今回の作戦の顛末はまだ緘口令を強いている。誰から情報を得たと言うのだ。」
「今直接問いただすべきでは?」
「否、どうせ口を割るまい。それより白にしろ黒にしろ下手に警戒される方がかえって面倒だ。」
廊下を遠ざかり小さくなっていく姿を見やりながら恭が命じた。
「幸、奴に尾行をつけろ。」
「直ちに。」
幸衡は早速手配した。
恭は扉の隙間から、晋と話す仁美の姿をじっと見つめた。
「霊師、逢魔の血、視線…。」
「彼女にも監視を?」
恭の険しい顔に、幸衡が問うと恭は首をふった。
「否、いい。彼女にはバレる可能性が高い。それより幸、無理し過ぎだろ、一度休め。」
「恭くんこそ眉間のしわが酷い。一度帰って静に膝枕でもしてもらったらどうだ?」
恭は無言で幸衡を見た。表情の変化は乏しい。端正な顔立ちが邪魔をして余計に表情は読みにくい。常時白い幸衡の『波形』は恭にも読みにくい。多くの人は色で感情を表す。しかし幸衡の場合はその名の通り波の如き形で感情を表す。それも微かな違いだ。それが分かるようになるまで時間を要した。
「幸の冗談は分かりずらい。」
「…ふっ。」
含み笑いを漏らして微笑を湛える幸衡が隣を歩き出した恭の肩に触れた。
「私を案ずるのは君の役割ではない。恭くん、君は君の信じる道を進めば良い。君が道を示し、私達は君を守る。」
優しい熱が伝わって、恭はまた前を向かざるを得ない。
「行くぞ。」
「はい。」
「どうかされましたか?晋さん?」
病室に残った仁美が、扉の方を見る晋を呼んだ。
「いや…何でもない。」
晋は扉のあたりで感じた気配に気付かなかった事にして仁美に向き直った。まとめた着替えの入ったバッグを押しやり、ベッドに腰掛けると立ったままの仁美と目の高さが合う。
「わざわざ来てもらって悪かったね。そんなに慌てて来なくても、今日中には鎌倉へ帰るつもりだったのに。」
「え?けれど病室…。」
「医者は泊まってけって煩かったけど、ここじゃ休まらないからさ。それに、ここじゃひぃさんに会えない。」
晋は足を仁美をはさむように両サイドに伸ばし、両手を腰にまわし抱き寄せた。
「晋さん。」
「会いたかった。」
仁美の胸に頭を預けると鼓動が聞こえた。少し緊張した音。
「かわいい音。」
「…私もお会いしとうございました。お会いして、御顔を拝見して、お話をして」
「ははっ嬉しい。」
晋の笑った声が振動して、仁美はくすぐったくなった。そっと手を晋の頭にまわし、痛んだ髪を撫でると思ったよりも癖が強くて、また一つ晋を知った気がした。
「地龍の武士たる者、危険は隣合わせ。分かっております。分かっておりますが、心配いたしました。武士の妻になるという事が、少し分かった気がいたします。」
「嫌になった?」
「いいえ。けれど、強くならなくてはなりませんね。」
「そっか。じゃあ一緒に、強くなろう。地龍で一番強い夫婦になろう。」
「そうですわね。」
黒と赤、暗闇と血、『夜』と熱、絶望と恐怖、あんなに戦慄した夜から、たったの数時間後にこうして優しい腕の中で温かさに包まれているだなんて不思議だ。晋は悠久のまどろみのようでもあり、刹那的な僥倖のようでもあると思った。ただただ愛おしさだけが込み上げて、零れてしまっては勿体無いので目を閉じた。
唐突にさくらが腕をまくり義将の目の前に差し出した。
「見て。」
細くて白いさくらの綺麗な腕には包帯が巻かれていた。
「痕が残るって言われた。」
腕の他にも包帯の巻かれた箇所が複数見えた。義将も同じだが、好意を寄せる相手であるさくらが怪我をしてしてしまった事は、自身の不甲斐無さを際立たせた。
「…さくらちゃん、俺の所為で…。」
謝りたかった。守れなかった事を。
「こんな大けがするの初めて。でも何かやっと、私も皆の仲間になれた気がするの。不思議だけど。」
さくらは高校まで『昼』の人間として生きていた。地龍に入ってから知り合った若い武士たちは既にいくつもの場数を踏み、体にはその勲章とも言うべき傷があった。さくらは自身の傷一つない体を見る度に、仲間との差を感じていたのだ。
さくらは義将の傷に手をおいた。
「おそろいだね。」
さくらの笑顔を目の前にして、義将は最後まで言えなかった謝罪をやり直したい衝動はあった。けれど義将とさくらは対等な戦友でもある。謝罪はさくらに失礼なのだと思った。
「さくらちゃん…。」
よく見るとさくらの手が震えていると気付いた。
「恐かった。何かが少し違えば、私もあの部隊の人達と同じになってたと思うと、今も震えが止まらないよ。」
「俺も。」
暗闇の中に横たわる、かつて人だったものの姿に本能的な戦慄を禁じ得ず、思いだしても身震いがする。それなりに場数を踏んで来たと自負していた義将でさえ、今までの経験値が無駄だと思わざるを得ない程に無力だった。自分が思っていたよりずっと、使えなかったと落胆したのだ。技術も、心も、まだ弱いと知った。
「俺、晋兄ちゃんが押されてるの見て、やばいって思って。俺一人だったらそこで心が折れてたと思う。あの時、さくらちゃんが手を貸してくれなかったら、俺とっくに諦めて死んでた。ありがとう。」
義将が諦めの境地で引いた弓を、さくらの手が救済した。義将には奇跡のような手だった。
さくらが首を横に振った。
「でさ、さくらちゃん。あの時の、その、おまじないの事なんだけど…。」
成功したら、さくらちゃんは東京に来てくれる。勢いにまかせて何度も叫んでしまった、とんでもない言葉を、義将は今更ながら猛烈に後悔していた。
「あれは、その、あの状況で言質を取るのはあんまりにも卑怯だし、その、だから、忘れてくれていいから。」
本当は逆の事しか思っていない。義将は泣く泣く切りだした自分の馬鹿野郎、と心の中で叫んだ。しかしそんな心の叫びを掻き消すはっきりとした声でさくらが言った。
「嫌。忘れない。」
「え、でも。そもそも俺、まだ一度もちゃんと誘ってなかったのに、突然だったし。」
義将が、一緒に東京に来てほしいと思っている事をまださくらには打ち明けていなかった。さくらには唐突過ぎる事だったのだ。
「ううん。約束したもんね。約束は守るよ。武士に二言はない、でしょ。私もうれっきとした武士ですから。」
「さくらちゃん…。」
同じ傷を得て、さくらは武士としての自信を持ち成長したようだった。地龍の武士としての自分を模索していたさくらが、義将の想いを保留にしてから時は流れていた。義将はさくらから答えを聴くまで急かさないと心に決めていた。そして今、さくらが交わした約束こそが、その答えだと思って良いのだろうか。義将は夢かと思った。何なら頬をつねってみたりしようか、と思った時だった。病室の扉が勢いよくスライドした。勢いが良すぎて跳ね返って再び閉まって更にバウンドして半分開いた。
「う〜ん、偉いわ!それでこそ地龍の女よ!さすが義くんの選んだ子ね!」
「げ、お父さん…。」
そこに立っていたのは知将だった。さくらは、鍛え上げられた大きな肉体にオネエ言葉の男に驚き、その男をお父さんと呼ぶ義将に驚き、ただ口を開けたまま呆然としていた。
そんなさくらを気にも留めずに知将は病室に入ってきて喋り出した。
「これで同棲相手も決まった事だし、私も安心して本家に帰れるわ。そうだ、さくらちゃんのために壁紙をピンク色にしておきましょうか?食器とかも必要よね?春までに用意しておかなきゃ。」
「え?」
当然、義将はまだ同棲を申し込んでいない。さくらは目を丸くして知将を見ている。義将は顔に「あちゃ〜」とかいてある。知将はそれらを分かっていてやっているのか楽しそうにさくらの目の前に立つと、身をかがめて人差し指を立てた。
「そうそう、私基本的には何でもオッケーなんだけど、一つだけ条件があるのを忘れてたわ。」
「条件?」
さくらは恐る恐る訊いた。
知将は満面の笑顔で答えた。
「私の事をママって呼ぶこと。」
「え?」
さくらは顔を真っ青にして今にも卒倒しそうだ。義将が声をかけても、さくらはしばらく返事をする事もできなかった。
柔らかい肉壁に覆われた洞窟のようなそこは、間接照明のようなやんわりとした光に満ちている。薄暗くもあり、仄明るくもある。地龍の武士たちはそこを「地下迷宮」と呼び恐れている。入った者は誰一人として戻らない、という触れ込みのせいだったが今は違う。ここが重要な拠点であると知れたからだ。転生システムを司る場所。諸悪の根源。
「一角はどうした?」
転生システムを構築した本人である大江広元が訊いた。壮年の男の見た目をした彼こそが、地下迷宮を作り、長老会を操り、人形師を利用し、夜好会を作り、数々の暗躍を重ねてきた影の存在だ。広元は自身の造り出した鬼の中でも最高傑作である九条兼実を見た。人の見た目をしているが養殖された鬼であり、また九条兼実の名も役割上与えた名に過ぎない。何せ兼実は鎌倉時代にとっくに死んでいるため、本人とは全く関係がないのだ。その鬼の兼実は広元の問いに対する答えを持っておらず、部下の鬼カグヤを見た。カグヤは女の鬼で同じく養殖された存在だ。この地下迷宮には広元に養殖された鬼が多くいるのだ。
「矢集晋を殺れなかったんで憂さ晴らしに行きました。」
「また木偶共を喰っとるんか!あの暴れ者が!すんません、一角の奴全くこっちの言う事聞かへんよって、また仲間を食い散らかしてもうて…。」
カグヤの答えに慌てて頭をさげる兼実に、広元は頷いて言った。
「良い。あれは私の作品ではないが、食えば食う程強くなる良い体質だ。千の雑魚よりも使えるだろう。食わせてやれ。」
「何と寛容なお言葉。これからはきちんと命に従うようきつく言い含めておきますよって、堪忍して下さい。」
兼実が頭を深々と下げると、カグヤが前へ出た。
「広元様のおっしゃる通り、連日の『昼』攫いに誘われた地龍が沢山釣れました。これでまた食いつなげます。ただ…鬼火がやられました。」
カグヤの手から光を失った石となった鬼火を受け取った広元が、手の中で軽く弄びながら言った。
「お前達鬼は多くの餌を要するからな。狩りは必須だ。…しかし、鬼火はなかなかの作品だった故、少し惜しいな。やったのは矢集か?」
「いいえ。同行していた子供です。」
「ほう…して、鬼火がやられたから帰ってきたのか?」
「…いいえ。一角が矢集を押しており優勢であったのですが、何故か突然地龍殿が現れまして。奴の持つ刀は『夜』を断つものですので、いたしかたなく撤退を。目的は餌の確保ですので、完遂しておりますので…その、無駄に戦う必要はないかと。」
目的は達したとは言え敗走と判断されれば消されかねない。カグヤは怯えながら必死に説明をした。しかし広元の興味は別の所へ向かっていた。
「突然、現れた、か。」
「…あの、広元様…?」
カグヤが訊くと、広元は既にカグヤに興味を失っており適当な答えを返しただけだった。
「ああ、よくやった。下がれ。」
何とか命拾いしたと肩を撫でおろしたカグヤが去ると、広元は兼実に言った。
「どう思う?」
「どうて、地龍殿の出現理由ですか?そら矢集のピンチに駆け付けたんと違います?襲撃ポイントは分かっとったはずやし、多くの地龍の連中が向こうとった訳やし。それを足止めさせるために雑魚共に騒ぎを起こさせた訳やし。それ以外にあります?」
「しかし、突然、だ。あの一角が気付かない程に、突然現れた。何故、どうやって?」
「それは…転移して。いや、するなら最初からすればよかったんか。大体タイミング良すぎやし、何か特別な通信手段でもあったんと違います?」
「そう、主従契約だ。」
広元は講師が重要なトピックを教えるように言った。
「京都七口が恭を殺せなかった最大の原因となったポイント、主従契約だよ、兼実。私達は恭と矢集の間にそんな愚かな契約があるとは思いもよらなかった。だから失策をそうとも知らず決行したのだ。あの時恭を殺しておけば、今頃龍種は私のものだったと言うのにだ。まぁ、失敗は織り込み済みではあったが。実際京都七口のおかげで色んな事が分かった訳だしなぁ。」
京都七口を使って次期龍種の器である恭を殺す計画の失敗から、もう随分前だったように思われる。一時は命を狙われた恭だが、龍種を継いだ今では龍種の芽吹きの時まで大切に守るべき存在だ。
広元が思い返すと、兼実は質問をした。
「その主従契約って何ですの?」
「お前は知らなかったか。主従契約は江戸時代に私が作ったものだ。元々は抜け忍防止としての役割だった。将来忍者となる子供がまだ純粋な内に主との忠誠を誓わせる事で、大人になってからの離反を避けるためのものだ。それを古来から伝わる術として使用させたのだ。」
「でも従者の位置情報の掌握が主な機能なんですよね?」
「そうだ。忍者は多くの内部機密を持つ。離反して漏らさぬよう、位置を掌握し処分するためだ。」
「えぐ。忠誠心云々やのうて裏切り者を消すための予防線言う事やないですか。恐いわ。けど、地龍殿と矢集はえらい応用してませんか?」
「その通り。私も驚いた。本当に、器はただの器としてじっとしていて欲しいものだな。下手に頭が切れるのも考えものだ。じっとしていないと、こちらの手元が狂ってしまいそうだ。なぁ、兼実。」
広元が不穏に笑うと、その手の中の鬼火だったものが砂となって指の隙間から零れた。
兼実はその砂に何となく感情移入しないように目を逸らした。広元にとっての鬼たちは、役に立つか立たないか、それだけだ。少しでもヘマをすれば、次は自分があの砂となるやも知れない。肝に銘じて瞑目するのだ。
砂となった鬼火は、その火と共に燃え尽きたのか瘴気すら放つ事なく肉壁に分解される事もなく、落ちた。ただそこに骸としてではなく、塵芥として在るだけのものとなった。その光が再び灯る事はない。
その光が再び照らす事はない。
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