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8 海辺の事

 冬の海辺を吹く風は、素肌に当たると刺すような痛みを与える。寒さという武器を持ち人に襲いかかるそれは、春のそれとは別人だと思われた。そんな海辺の道を三人の男が歩いていた。

 春家(はるいえ)は、実際の気温より体感温度の方がかなり低く感じてもう少し着込んでくれば良かったとダウンジャケットのベストから出ている両腕をさすっていると、背後から兼虎が低い声で呟いた。

 「海はあまり好きじゃない。」

 「俺も冬の海は好きじゃない。」

相反するようにわざと高い声で春家が返した。

 「確かに寒々しいな。」

 「水着の美女がいない。」

春家の人を化かしたような態度に兼虎が鼻で溜息をついた。

 「春殿はどこまで本気なのか分かりかねる。」

 「割といつでも本気だけどね。地龍は食えない奴ばっかだよ。そんなんで大丈夫?虎ちゃん。」

 「俺よりアレの心配をしろ。」

兼虎のいかつい僧侶のような顔を更に渋くさせて指さす先には、組んだ腕で長いダッフルコートの前を寄せ猫のような鋭い目を細めて立つ(さね)(ちか)の姿があった。

 「お〜い。(ちか)ちゃん、行くよ。」

 「親ちゃんではない!」

怒りながら付いてくる実親は春家に追いつくと、いつも以上に鼓膜に強い攻撃をしてきた。

 「だいたい、春家殿はもっと自覚を持つべきだ。高い身分の家に生まれ、高い役職に就いていることへの、自覚を。そのような軟派な態度では信用を失墜することになる。」

 「信用?誰のよ。」

 「親殿のだろう。」

 「なっ!お、私ではない。地龍様や鎌倉様の、だ。」

 「今更だろ。解ってて俺をご指名なんだから、このままで良いんだよ。」

 「確かに。今更春殿の態度が格式ばったクソ真面目になった所で面白いのもはじめだけだろう。」

 「お前、さっきから何なんだよ。天狗とか呼ばれて恐れられてたって言っても、実際は家出の落後者じゃないか。お前みたいな秩序を乱す存在は本来許されるはずがない。憐れみや御厚意なんかで良い気になってんじゃない。」

 「そうだな。」

実親の無神経な罵倒の数々に対し、兼虎は肩をすくめて一言返事をしただけだった。

素直に肯定した兼虎に驚き、言い過ぎた手前罰が悪くなってしまった実親は眼をきょろきょろさせた。

 「良かったね親ちゃん、虎が大人でさ。」

春家は実親の肩を強く叩いてから先を歩き出した。実親は一度バランスを崩してから少し兼虎の表情を覗い、一番後ろから付いて歩いた。

 「なぁ、仕事も終わったことだし、ちょっとお茶してこうよ。寒くて。」

ブーツインしたダメージジーンズの隙間から海辺の冷気が侵入しているらしく春家は足をばたつかせながら、進行方向に見える一件の喫茶店を指さした。



 黒い塊のような大きな獣が地面に倒れると、地鳴りのような音と風が起こり、(しずか)の髪が舞った。振り返ると、(むね)(すえ)が刀を収めていた。静が右腕に変化させていた黒兎(くろう)を解除し、その名の通り黒い兎の姿にして肩に乗せると、空を仰いだ。

 「あ、雪。」

見上げて白い息を吐く静の首にブルーのストライプのマフラーがふわりとかかった。隣を見ると宗季が静の露出された胸元を流し見ながら言った。

 「寒そうだ。」

 「意外と優しいんだ。」

 「人並に。」

平家のスパイなどと言われ警戒されている宗季を偏見で見る訳ではないものの、とっつきにくさを否定できなかった静は、借りたマフラーを口元に寄せながら微笑んだ。

宗季はさすが選ばれただけの事はある腕前で、静のサポートが無くても余裕で今回の『夜』を討伐しただろうと思われた。

 「訊いても?」

唐突に言う宗季は静にマフラーを貸したせいで空いた首を隠すように上着のチャックを上まであげていた。目も見ずに話しかける問いに大した警戒もせず静が続きを促す視線を送ると、宗季は厚い黒縁の眼鏡を光らせて静を見た。

 「恭殿の想いに答えないのは何故?」

 「は?」

 「俺は貴也殿より恭殿の方が優良物件だと思うが。」

 「…何言ってんの?」

 「恭殿は天才だ。血筋や経歴、性格も好ましいし、君に相応しい。何がいけないんだ?」

静は宗季のまっすぐな視線に戸惑った。

 「私は貴也さんが好きなの。駄目だからってすぐに切り替えられないでしょ。」

何故真面目に答えているのか静自身が一番謎だった。

 「君が未だに貴也殿を見ているようには思えないが。」

 「何よそれ。」

 「君の目は恭殿を追っている。それは恋愛感情ではない?」

 「何よ宗季、あんた私のことそんなに見てるの?」

 「見ている。俺は皆をよく見ているんだ。それが仕事だ。」

 「いくら仕事でも、私の恋愛状況を報告しても小松殿が喜ぶとも思えないんだけど。無駄な部分は省いてよ。恥ずかしい。」

 「いや、主は意外と楽しんでいる。」

 「なお悪いわ!」

静が奇声を上げながら走ると、しばらくして宗季を呼んだ。

 「どうした?」

駆け付けた宗季と静が見たのは、枯草の中に倒れる女性だった。一目見て死んでいると思った。宗季が近づいて様子を見ている内に、静は慣れた手際で処理班を呼んでいた。処理班は、揺らぎの討伐で生じた現場の乱れを元に戻す者たちで、死体の処理をすることが多い。地龍や『夜』の存在を『昼』に知られないようにする役割で、例えば揺らぎに関わり死んだ人間を警察に発見されたりすると面倒であるため、素早く処理する必要があり、警察に事件にされた場合の揉み消しや交渉などをすることもある。地龍の存在は政府の上層には認識されおり、最悪そちらのルートから事件を消すこともある。

 「山の中だしすぐに見つかる事はないと思うけど。とりあえず周囲を見回りましょうか。」

 「ああ。さっきのヤツにやられたなら解決ってことになるが。」

静が通信端末をポケットに押し込みながら歩き出すと、宗季は後ろから用心深く付いて行った。



 鎌倉の緑の多い細い路地には、お洒落なカフェなんかが多く、隠れ家的な古民家で雑貨や飲食店を営む様子が散見された。そんな一角に古く趣のある門構えの砥屋(とぎや)という店があった。一見頑固親父の営む蕎麦屋のような外観だが、奥へ行くと井戸や庵、窯や工場があった。火が燃える音や、風が木々を揺らす音、自然の音に囲まれたその場所は、日常から隔離された聖域のように心地良い。その中に祥子と弁天は立っていた。

 「悪いわね、結局ここまで付き合ってもらって。」

 「いえ、遠慮しないで下さい。祥子(しょうこ)さんを一人にしては隊長に斬られます。」

弁天(べんてん)がいつもの穏やかな口調で答えてから、何となく机の上のよく分からない部品やら道具を見た。小さな、女性の指の先のような円筒がいくつも並んでいた。

 「銃弾ね。」

 「銃ですか。地龍でも銃を扱う人はいると聴いてはいましたが、見るのは初めてです。」

弁天が珍しげに見つめていると、奥から背の高い青年が刀を持ってやってきた。頭にはタオルを巻いており、汚れた作業着に『砥屋』の文字が見てとれた。青年は砥屋真鐡(とぎやしんてつ)。地龍随一の刀鍛冶だった。

 「お待たせしました。どうぞ。」

真鐡は祥子に細長い包みを手渡した。祥子は紫色の布に包まれしっかりと紐で巻かれているそれを、ゆっくりと解き、中の木箱から刀を取り出した。祥子は『龍の爪』に選ばれたため、長らく預けていた刀を取りに来たのだった。

 「久しぶり。またよろしくね。」

細身で美しい刀身は神秘的な輝きだった。弁天は祥子の刀を見るのは初めてだったが、祥子そのもののような気高さを感じた。

 「で?鐡、その弾は?」

祥子が刀を仕舞いながら訊くと、真鐡が外を指さした。

 「あの人のです。」

指した先から来たのは、黒いロングコートに帽子をかぶった怪しい男だった。ベタな暗殺者のような見た目に弁天が警戒していると、男はこちらに気が付き一礼した。

 「先客ですか?こんにちは。」

帽子を取り、微笑む顔は意外と爽やかな好青年だった。青年は弁天の胸元に揺れる十字架を見つけると、不思議そうに問うた。

 「地龍に私以外のクリスチャンがいるなんて、知りませんでした?それともただのアクセサリーですか?」

 「え、あ、いいえ。これは頂き物です。信仰は、ありませんが大切なものです。」

優しく答える弁天の一文節ごとに浅く頷きながら青年は微笑んだ。

 「申し遅れました、私は三浦(みうら)能通(よしみち)と申します。湘南で退魔師(たいまし)をやってます。」

 「退魔師?」

聴きなれない言葉だった。弁天が訊き返すと、祥子が言った。

 「ああ、三浦殿の御子息ね。確か留学してたとか。海外仕込みの術を使う和洋折衷の変り種だって聴いたわ。私は新田(にった)祥子(しょうこ)、こっちは安達(あだち)(どう)(げん)殿。よろしくね。」

三浦能通は、転生組である三浦(みうら)(よし)(ずみ)の現世の息子で、幼い頃に教会で出会った退魔師に弟子入りし海外留学まで果たし見事退魔師となって帰って来たという地龍の中でも異例中の異例な存在だった。三男なのを良い事に自分勝手に放蕩を続け、まともな部隊にも所属せず『昼』に拠を構え揺らぎを討伐していると噂されていた。

 「新田…てまさか、北の方様でいらっしゃいますか?」

源氏当主の正室、祥子をそう呼ぶ者は少なくなかったが、祥子は戸惑った。

 「え、ええ。そうよ。」

 「あの、こんな出会い頭に申し訳ないのですが、私を助けてくれませんか?」

唐突に頭を下げる能通に、祥子と弁天は目を見合わせた。

それを見た真鐡がにこにこしながらお茶を入れてきた。

 「まあ、座って話したらどうです?」



 下校時刻を過ぎ、昇降口で靴を履いていると、(すすむ)は訊きなれた靴音に顔を上げた。後ろに立つ(きょう)が晋の視線に首を傾けると、見なれた少女の姿があった。少女は川崎ひとみ。二人とは小学生の時からの顔なじみだった。完全な『昼』の普通の少女で、恭と晋の事をただの同級生だと思っている、ごく一般の人間だった。けれど晋にとっては少し特別な、友人だった。

 矢集であることを目の敵にされて生きてきた晋だが、幼い頃は今よりずっと弱く、虐げられるままに傷付いていた。小学生の頃、表だって晋をどうにかする事はできない者たちが集まり、放課後の学校で晋を囲んだ事があった。薄暗い廊下の隅で、暴力に耐え怒りを堪え復讐心を抱いていた時、突然現れたのが川崎ひとみだった。晋を囲んでいた者たちは、突然の『昼』の人間の干渉に驚き逃げて行った。その時川崎は晋を庇って怪我を負った。廊下には晋と川崎だけが残り、晋はひたすら川崎に謝った。川崎は晋をいじめにあっていたと思ったらしく、晋に見当違いな慰めの言葉を与えたが、晋は無性に嬉しく、また恩を感じていた。それ以来、川崎は学校でしばしば晋に明るく声をかけては他愛のないことを言って笑った。

 その川崎が、恭の後ろから近づいてきたので、晋は嬉しそうに声をかけた。

 「川崎、今帰り?」

いつもの川崎ならば晋の言葉に笑顔を向けるはずだった…けれど川崎は驚いたように身を竦め、晋を奇異を見るような目で捉えた。

 「え?」

晋が戸惑い何か言おうとすると、その瞬間に川崎が走り出して行った。まるで逃げるように。晋が驚いて川崎の背中を見つめていると、恭が晋の背を叩いた。

 「行け。川崎さんの様子は明らかにおかしい。後で連絡するから追え。いいか、手は出すなよ、尾行しろ。」

晋が呆然としたまま恭の顔を見ると、いつになく鋭い顔つきで晋を睨んでいた。もう一度川崎の後姿を見たが、変わった気配は感じなかった。

 「でも、恭…。」

 「いいから行け。妙な感じは無かったが、お前を見て怯えたろ。川崎さんに限ってありえない。」

…確かに。あの目は狩られる者の怯えた目だった…。晋は恭の命令に納得したように外に向き直ると、履きかけの靴を履いた。

 「御意。」

返答と共に走りだす晋を見ずに、恭も外へ走り出した。



 「で?生霊はどんな様子なの?」

祥子・弁天・能通は砥屋でお茶を飲みながら概要の話を済ませると、能通の店へ向かって歩いていた。

概要はこうだ。最近、湘南で情報収集がてら趣味でやっている喫茶店に、少女の幽霊が住みついている。幽霊なので祓ってしまおうと思ったが、悪い感じがしない。むしろ、性格も良く、仕事も出来るので、アルバイトとして働いてもらっているというのだ。よくよく話を聞いてみても、自分の名前すら覚えていない。自身の生前のことを覚えていないのに未練もへったくれもないので、やはりおかしい。そしてこれは生霊ではないかと予想をつけた。となると、どうやって元の器を探し戻せば良いか、能通には見当もつかなかった。そこへ、一流の陰陽師と名高い新田祥子が現れた。と。

 「一見普通の女の子です。霊体であることに気が付かなければ。」

 「でも何も覚えてないんですよね?」

 「多分相当弱ってるのよ。自分の体から遠ざかってる証拠ね。」

 「どうにか体を探して戻せませんか?」

 「…逆なら専用の術があるのだけど。霊から体を探す、か。とにかく会いましょう。」



 静と宗季が死体を見つけてから周辺調査の末に一件の喫茶店の前に辿り着いた。

 「ここまで特に何もなかったわね。やっぱりあの死体は私達が討伐した『夜』の被害者だったのかしら。」

 「そうかも。ただ、気になるのは死体に外傷がなかったこと、そして『夜』が報告より小さく弱かったことだ。」

 「確かに。現地の小隊で手に負えないって事で上に回ってきたヤマなんでしょ?その割にちょろかったわよね。とにかく、一旦休憩にしない?」

静が言いながら喫茶店の扉を開けると、暖房がきいた部屋の空気と珈琲の良い香りがした。

 「珈琲二つ。」

宗季が言いながら足を止めた。

同時に、席を選ぼうと店内を見回した静も足を止めた。

宗季と静が背中合わせに互いを呼び、お互いにお互いの呼ぶ方へ振り返ると…。

静の視線の先には先程の死体と同じ顔の半透明の店員が、宗季の視線の先には見知った仲間の顔があった。

 「どういうこと?」

静が宗季を見ると、春家が手招きした。

 丸い木製の大きめのテーブルには、兼虎・春家・実親・宗季・静の順で座り、内緒話をする子供のように頭を突き合わせて小声で話した。

 「俺達は仕事帰りに寄っただけ。そしたら、マスターって人は留守で、あの子アルバイトなんだって。」

 「幽霊が?」

 「幽霊と雇用契約を結ぶというのは初めて聴いた。」

 「宗殿、多分違うと思うぞ。」

 「じゃあ勝手にやってるのか?幽霊が?むしろ、あれじゃね?メイド喫茶的な。」

 「冥土喫茶?」

 「ただのダジャレのためにそこまでするか?まあ、珈琲は美味いけど。」

 「しかし、あの霊、さっき見つけた死体と同じ顔なんだが。」

宗季が言うと先に来ていた三人が息を呑んだ。

丁度その時だった。喫茶店の扉が来客を知らせるベルの音と共に開いた。一般客か店主かと思い全員で見ると、またも知った顔が二人立っていた。

 「あれ?何でお前らいるんだ?」

 「義平話したのか?」

 「いや?」

貴也(たかや)(よし)(ひら)だった。二人は言いながら仲間の側の席に座って自然と輪に参加した。

 「ここ、珈琲うまいだろ。あ、珈琲二つね…。」

貴也が言いながら店員の顔を見るなり動きを止めた。

 「斬新なアルバイトだな?」

義平が固まった貴也の肩を叩きながら視線で全員に説明を求めた。全員が状況を完全には把握していないため、実親が仕方なく話した。

 「よく分からないんですけど、宗季殿と静様が討伐した『夜』に殺された人の霊?らしいです。私たちが来た時には、あんな感じで当たり前みたいに店員をしてました。除霊とか、した方がいいんじゃないですか。もしくは斬るか。」

 「とりあえず店主に訊こうかって事で、待っています。お二人は?何故ここに?」

 「その店主に会いに来た。」

 「知り合いですか?」

 「三浦能通。エクソシストってヤツだ。趣味でこの店をやってる変わり者だが、実力は間違いない。『龍の爪』に入れようと思ってな。アポは取っといたんだが、留守とはね。」

 「そいつって、幽霊をアルバイトに雇うような奴なのか?」

 「いや?むしろ成仏させてやるだろうな。」

状況が益々迷宮入りしてしまっていた。



 能通の話を聞きながら歩いていると、坂の下を必死に走っていく少女の姿が目に入った。能通と弁天は話していて気が付かなかったようだった。祥子は何となく気になって目で追っていると、後方の塀の上に晋がしゃがんでいるのが見えた。近づいて行って声をかけると、後ろから能通と弁天も追いかけてきた。

 「晋?何やってるの?」

 「祥子姉。いや、あの子、クラスの子なんだけど、様子がおかしくて。」

 「それストーカーですよ。小鳥遊殿のがうつったんですか?」

 「ち、違うって弁天さん。恭が追いかけろって。『夜』の気配はしなかったと思うんだけど、何か気になって。実際俺から逃げてる。」

 「何か逃げられるようなことしたんじゃないの?」

 「まさか、川崎は俺の友達で恩人だ。ありえない。何かあるなら今度は俺が助ける番だ。」

川崎の後姿を真剣なまなざしで見つめながら晋は言った。

 「何かあの子、うちにいる子に似てるんだけど。」

能通が呟いたが、既に遠ざかる後姿だけなので自信はなさげだった。その頼りない呟きを掻き消すように晋の携帯が鳴った。

 「恭?川崎は山の方へ向かってる。やっぱり様子がおかしい。このまま追う。」

晋が話しながら三人に手を振り、そのまま川崎を追って行った。

晋と別れて三人は海の方へ歩き出した。店はもうすぐのようだった。

 「知り合いですか?弟さん?」

 「矢集晋。地龍当主貴也の弟の側近。良い子よ。」

 「ああ。あの猛獣って言われてる。案外普通ですね。むしろ好青年?」

能通が能天気な笑顔で近付いている目的の店の方を見ると、電話をしている人影が見えた。三人が近づいて行くと、晋と同じ学生服の恭だった。殆ど恭のオプションと化している小鳥遊の姿もあったが、祥子も弁天も見て見ぬふりをした。

 「川崎さんの気配は二つある。俺はもう一方へ行ってみる。おそらく晋が追っている方が体で、こっちが霊体だろう。状況が分かり次第連絡する。とりあえず川崎さんに気付かれないように尾行しろ。」

電話を切った恭に祥子が話しかけた。

 「そこで晋に会ったわ。『夜』だったの?」

 「おそらく。霊体が離れているのに体が動いているとすれば『夜』が動かしているんだろう。気配はあの店からする。」

恭が指さしたのは能通の店だった。



 店の中は山小屋風の丸太を組んだような内装で、暖炉で燃える火がゆらゆらと揺れるだけで静かな趣のある喫茶店だった。

そんな店に意図せず全員集合となった『龍の爪』のメンバーは、店の中央にある一番大きなテーブルへ移動し、話合いを始めた。一見普通の会議のようだが、全員の面持ちは緊張の色だった。まず貴也が全員の話を聞いた後、口を開いた。

 「じゃあ、状況を整理、する前に能通を紹介する。『龍の爪』及び鎌倉七口大仏坂切り通しの守護を任せる事にした、三浦能通だ。退魔師の修行を積んでるから、オリジナリティー溢れる戦力ってとこだ。」

 「以後、お見知り置きを。」

能通がお辞儀をすると、義平が貴也の後を継いで話し始めた。

 「まず、アルバイトの幽霊は、恭の証言では同級生の川崎さん、宗季と静の証言では『夜』に殺された人って事になる。だが、能通が手を下さなかったのは生霊だと思ったからってとこと照らすと、川崎さんって線が濃いんだが。双子ってことはないよな?」

 「きいてません。」

 「処理班に身元を確認してもらうわ。」

静が端末を取り出すと、丁度呼び出し音が鳴った。全員が固唾を呑んで見ていると、静が慎重に出た。

 「…え?死体が処理班を全滅させて逃げた?」

静の通話内容を聴いていた全員が眉を寄せた。

 「擬態していたのか。」

宗季がつぶやくと、静が端末を仕舞いながら頷いた。

そしてようやく現状を把握してきた宗季が推論を話し始めた。

 「今回のヤマは地元の小隊で手に負えずにまわってきたと聞いていたのに、随分簡単に蹴りが付いたのでおかしいとは思ったんです。何度も戦闘をしていた『夜』の方は追われている自覚があったのでしょう。どうにか我々から逃げようと考えた。自分をいくつかに切り離し、一体を斬らせ終わったかに見せかけ逃げる策だったのではないでしょうか。残りの体は死体に擬態して我々をかわしたり、人に入り込んで逃げるという予定だったのでは…。」

宗季が話終わると、皆おのずと霊体となった川崎を見た。

 「川崎さんは、『夜』が逃げおおせるための器として利用されて、霊体が器から追い出されて此処にいると言うことですよね。」

恭が確認するように言い、祥子も確かめるように口にした。

 「霊体になって記憶もないって話だし、かなり弱っているのよ。長い間体から離れれば戻れなくなるわ。」

揺らぎに干渉した訳でもなく、ただ巻き込まれただけの少女を、皆が思うところありそうな目で見つめていると、恭が唐突に願い出た。

 「この件、俺に任せてもらえませんか?」

 「ちょっと待ってよ。今回の仕事は私と宗季の任務よ。『夜』に騙されて逃げられた上、アンタに尻拭いされたんじゃ、名誉に関わるわ。私達で片付けるわ。」

 「だがどうやって彼女を助けるんですか?」

能通が静に問いかけると、静は困ったように宗季を見た。宗季は黙って珈琲に口をつけた。すると、やけに苛立った声で実親が意を唱えた。

 「何なんですか?普通なら、その人間ごと斬って終わりでしょう?」

確かに通常ではこの場合人を割いて人命救助をすることはまずない。すべて斬って、終わりだが定石だ。

 「親殿、俺達が人を斬るのは業務を簡略化するためじゃない。仕方なく斬るのだ。助けられるに越した事はない。」

兼虎の意見に実親は猫のような鋭い目を光らせて猛烈に反撃した。

「は?何甘い事言ってるんですか?現場には矢集もいる。斬らせれば済むだろ。だいたい、助けたって結果的に斬る事になる可能性だってある。意味無いだろ。」

助けても、結果的に『夜』に干渉した事で斬らなくてはならなくなることは十分にあり得た。正論だった。けれど、だからこそ冷たい言葉だった。正義は振りかざした瞬間に正しさを失うから不思議だ。何も反論しない兼虎の脇から春家が怒鳴った。

 「甘いのはてめぇだろ、親。てめぇの手は汚さないで晋に肩代わりさせた上、汚れてるって蔑むのかよ?」

 「それが矢集の宿命だろうが」

 「じゃあてめぇはここに居るべきじゃねぇだろ。中流階級の武士の一生を受け入れろよ!」

実親が息を飲んだ。生家の立場で生き方が決まるなら実親の出世欲はあってはならないもので、この『龍の爪』という組織は本来手の届くはずのない場所だった。自分の矛盾に、ぎくりとした。

 「春、実親、やめなさい。我々に選択の権利はありません。隊長。」

場の空気が凍りついていた。弁天が義平に託すと、義平は全員の顔を見回した。

「ああ。親の言うことにも一理あるんだが、どうする恭?」

全員の視線が恭へ集まった。

「俺は川崎さんを助けます。」

「価値があると?」

「人を助けるのに価値が無い訳がありません。」

恭の目は一点の曇りもない、全てを貫くような光だった。先程まで揉めていた空気が一瞬にして変わってしまった。やるしかない、全員の背筋が伸びた。

「なるほどな。地龍殿どうされますか?」

「いいだろう。今回は恭に力を貸してやれ。」

貴也が『龍の爪』を恭に貸す形で作戦は開始された。

 「御意。じゃあ、祥子は他に分散している夜が居ないか調査討伐。弁天、静、祥子と行け。」

 「御意。」

三人は浅く礼をすると、残りの作戦を聞かずに店を出て行った。

義平は思案し指先で顎をさすってから恭に訊いた。

「恭、策はあるのか?人を斬らずに中の『夜』だけ斬る方法に。」

すると答えたのは能通だった。

「それでしたら、私にやらせて貰えませんか?」

「え?」

 「私の弾丸は実弾ですが、夜を討伐するための弾ですので通常の銃より殺傷能力が低いです。まぁ当たり所が悪ければ死にますが。」

能通は先ほど鐡から受け取ってきた銃弾を取り出して見せた。

銃で川崎の器を撃つ。想像すると結構センセーショナルな作戦だった。恭は慎重に訊いた。

「当てる箇所はどこでもいいんですか?」

「はい。私の術力を込めます故、何処に当たっても『夜』を滅する事が出来ます。」

「ならば能通殿がその人間を撃って仕舞いではないか。」

兼虎が簡単な解決を望んだが、すぐに打ち消された。

「いや、今回の『夜』は地龍に追われて生き延びるために自身を分裂させている。かなり警戒しているはずだ。真っ向から行けば川崎さんを喰って逃げる事も、再び斬らせて他の体を生かす事も考えられる。」

「結局、川崎って子を生かすためには隠れて撃つしかないってことか。命中率は?」

「…良くはないです。それに狙撃となると完全に無理ですね。」

「いや、俺に考えがある。」

恭が言うと、段取は急速に決まって行った。

「晋の追跡では、川崎さんは山へ向かったらしい。おそらく死体に擬態していた分身もしくは本体と合流したのだろう。現場には晋がいる。小鳥遊、俺が座標を固定する、全員飛ばせるか?」

恭が声をかけるまでその存在すら忘れられていた小鳥遊が眉一つ動かさずに返事をした。

「容易き事。」

 「では、現地へ着いたら、もう一体の方の『夜』は義平殿にまかせます。俺は能通殿と隠れて川崎さんを狙う。」

 「分かった。宗季、恭をサポートしてやれ。春と親と虎は俺と、擬態していた方の『夜』を斬る。囲んで待機。能通が撃ったら斬りかかれ。」

「了解。」

先程まで軽口を叩いていた全員の顔から緩みが消えた。

 小鳥遊がゆっくりと杖を振りおろすと、店の中には貴也と小鳥遊、そして幽霊の少女だけがが残っていた。

川崎は未だぼんやりとした様子で店員としての立ち振る舞いを続けており、バックヤードから顔を出すと首をかしげた。

 「あれ?お客さんお帰りになったんですか?」

貴也は窓の外を見た。

 「ちょっと出かけただけだよ。外は寒いからね、すぐに戻ってくるさ。」

川崎は貴也の視線を追い、曇天の海辺を眺めた。いかにも冬という寒々しい景色だった。

 「そうですか。」

微かに雪の舞うなか恭主導の総動員作戦が唐突に始まったのだった。


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