28 鬼切の事
小さなスポーツバッグに着替えを詰めていると、ソファーで読書をしていた実親が本を閉じて振り返った。
「出張か?」
直嗣がごくごく簡単なお泊りセットを作り終わりバッグのチャックを閉めたので、実親は長期間の出張ではないと思った。
「はい。畠山重忠様の要請で、土蜘蛛退治の応援だそうです。」
「ふうん。土蜘蛛ねぇ。畠山家が自分とこで戦力が足りないなんて、結構なヤマだな。お前一人で行くのか?」
「隊長はそのつもりだったみたいです。この通り、刀まで託されました。」
「与一の名を継ぐお前に刀って…ってお前それ髭切じゃねぇか!隊長が愛刀託すってどういう事?」
鎌倉七口が隊長と呼ぶ源氏当主源義平が平素携えている源氏の宝刀髭切が、何故か今直嗣の手にあった。実親は眼玉が飛び出すかと思う程驚いたが、ただただ困惑した様子の直嗣は肩をすくめただけだった。
「頼光役だからって言って託されました。」
「平安時代の妖怪退治っていったら源頼光か安倍清明だもんな。じゃそいつは髭切じゃなくて鬼切って訳だ。」
髭切は持ち主によって名を変えて来た。頼光の時は確か鬼切と言った。刀にも歴史にも特段詳しくはなく地龍の常識の範囲内が頭に入っている程度の実親だが、今回の直嗣の任務には異様なものを感じた。
「で、隊長はそのつもりだった、の続きは?」
髭切の扱いに困っている様子の直嗣に話の先を促すと、直嗣は思い出したように続けた。
「頼光役だったら四天王がいて良いはずだって言ったら、自分の部隊から四人連れてっても良いって言われたので、僕入れて五人で応援に行きます。」
源頼光には四天王と呼ばれる四人の仲間がいた。一人で応援に行くことに不安を抱いた直嗣の申し出で、部下四人の同行が許可されたらしかった。
「自分の部隊って…亀ヶ谷小隊から四人って事かよ。自分の仕事に部下連れてくなんて、討伐にお守が追加されて余計大変になっただけじゃないか?」
直嗣も実親も自分の所有する部隊を若者の育成を主旨として構築している。例えば毘沙門や宗季などは実戦重視で精鋭を集めているので、こういう特殊任務への同行に向いている。けれど直嗣や実親の場合は発展途上の若者を連れて行く事に不安がある。所有部隊の在り方は自由だが、こういう時に自身の選択に少し後悔したりする。
「大丈夫です。ウチのトップクラスを連れて行きます。実力は足りてるので問題ないかと。」
「…直のとこのトップって、まさか…春さんの…。」
「ええ。春さんのお子さん達です。春純くんも春文くん春臣くんもさすが北条家の遺伝子って感じです。あと、彼等の唯一のバランサーである義将くんは必須で。四人です。」
北条春家の三人いる子供は全員が直嗣の部隊で経験値アップに勤しんでいる。元々春家自身が仕事に追われろくに子供に稽古を付けられないからと言って押し付けて来たのだが、今では三人とも最年少にしてトップクラスの隊員だ。十七歳で双子の春純と春文、十六歳の春臣は、部隊内で一番若かったため部隊内で一番面倒見の良い和田義将の班に預けた。若くして才能溢れる名門北条家の兄弟が生意気なのは最早仕方の無い事で、隊内の秩序を乱す負の起爆剤となる事は入隊前から想像に難くなかったが、何故が義将の言う事はよくきくので北条兄弟を使う時は義将の存在は必須だった。
「ま、性格の方もさすが春さんの子供って感じだもんな。」
実親が呆れ顔で言った。良い家の子供など、たいていがクソガキだと顔に書いてあった。
「僕の言う事はきいてくれるんですけどね…。居ない所では結構好戦的みたいで。」
言う直嗣の目の憂いを、実親は怪訝に受け止めた。
「それはそれとしても、なんか気が重そうだな。揺らぎ討伐の応援は表向きで、別の密命を帯びているとか?」
「なっなんで分かるんですか!っ痛!」
直嗣が言うと同時に実親が直嗣の頭を殴った。
「馬鹿!看破されたからって肯定すんな!密命は仲間にも黙秘!基本も守れないのか馬鹿者が!」
「…すみません。」
しおれる直嗣を一瞥して実親は推理を始めた。
「しかし、となると畠山重忠の内定ってとこか。転生組の調査とはね。事はそれ程深刻な訳だ。」
「隊長は、仲間内に内通者がいるかもって言ってました。僕、そんな事考えたくありません。」
かつて平景清の策にはまり内通者にされていた直嗣にとって、内通と言う事はとてもデリケートな事だ。まさかそんな事があって欲しくはない。疑われた事の痛みから、他人を疑う事に臆病になっている。ましてその件は弁天の死という最悪の結末を迎えたのだから、直嗣に深い傷を残して当然だった。同じく当事者である実親ならば、そんな直嗣の気持を分かるだろうという目で実親を見た。
「親さんも、そう思うんですか?」
否定して欲しい。その願いは直嗣の弱さだ。口にしなくても分かる。頼むからそんなものはいないと言ってくれ。そういう視線を受け止めてから、実親ははっきりと返した。
「思う。」
意志の強さは実親の意地のようなものだ。例え頼まれても無意味なお世辞など言わない。直嗣を甘えさせたりはしない。気弱な時に毎度くらう実親の厳しさが、出立前の直嗣の尻を叩く。
「転生システムを作った奴・長老会を操ってた奴・『夜』を操って夜好会をつくった奴。九条兼実公一人ですべての事を成せるか?長いスパンの話だからな、協力者は転生組の線が濃厚だろう。実際今回は隊長が畠山重忠を調べろって言った訳だろ?畠山重忠は隊長の伯父にあたる。その上重忠の娘仁美は矢集晋の婚約者ときてる。身内筋を疑うって事は相当な事だろ。多分三浦義澄にも内定が行くんだろうな。」
「三浦義澄様は七口の仲間三浦能通さんのお父さんですよ?」
「ああ、分かってるって。その上、隊長にとっちゃ義澄も叔父にあたる。」
「そんな…なんでよりによってそんなに近い所を疑うんですか。」
「ここへ来て転生組が集まってるからな。疑い出したらきりがないが、近い方が怪しい。」
「でも転生組が集まっているのは、恭くんの方針でしょう?」
納得がいかないとばかりに食い下がる直嗣に、実親は溜息をついた。
「いいか直、この事は絶対誰にも言うなよ。どこに内通者がいるか分からない。お前が内通者を探るよう命じられた事は誰にも気付かれてはいけない事だ。分かったな?」
「…親さんにも、ですか?」
「俺にも、だ。でも、どうしても俺には話したいって言うなら覚悟しろ。人を信じる事は自己責任だぞ。信じた分だけ返って来ると思うな。」
鋭い猫のような目が、直嗣を突き放すように見据えていた。
実親の言葉をどのように受け止めて良いか分かりかねたまま直嗣は、無性に心許なさを抱えて部屋を後にした。
「つっちぐも♪つっちぐも♪」
木々をかき分けて進む道は所謂けもの道というやつだ。先頭を行く直嗣が道を作り、それを四人の子供たちが付いて行く。鴨の親子のような列で進んでいく。
直嗣のすぐ後ろで歌っているのは最年少北条兄弟三男・春臣だ。無邪気が売りの天然系だが空気が読めないのでえげつない攻撃を平気でする。その歌を中断するために春臣の頭を叩く軽い音が響いた。
「臣うるさい。仕事中に歌うな。集中できないだろ。」
北条家ツインズの兄の方・春文は神経質な声で叱った。春文はどちらかというと母さやかに似た細かい性格をしている。データ型で相手を研究してから戦闘をする傾向にあった。
「何だよ、文。もしかして緊張してんの?ださ。」
ツインズの弟の方・春純は春文とまったく同じ外見ながらまったく逆の戦闘スタイルだ。出たとこ勝負の臨機応変型。これは父春家に近い。これで双子でなければ春家のように奔放に育っただろうが、春純には春文という最大のライバルいるおかげで、父程の飄々さは無い。
「してる訳ねぇだろ、純じゃあるまいし。」
「はぁ?何で俺が緊張とかすんの?馬鹿なんじゃないの?俺緊張なんてした事ないし。むしろ今日という記念日に胸躍るね。」
「記念日?何の記念日だよ?」
「そりゃあ、俺北条春純こそが北条家嫡男に相応しいって事を証明する記念日だよ。」
「馬鹿げた夢見てる奴は足引っ張るだけだから帰れ。先に生まれたのは俺春文なんだから俺が嫡男に決まってるだろ。」
毎日のように繰り返す喧嘩の原因は、どちらが北条家を継ぐかだ。二人は家督争いにおいてライバルなのだ。生まれた順か、実力順か、どちらを嫡男とするかは彼等にとって最も重要な問題なのだ。
「でも文兄と純兄は双子じゃん。」
「うるさい、春臣。」
家督問題とは無関係な弟・春臣の適当にして的確な突っ込みはツインズにとっては最も苛立つポイントだ。相似点が多すぎる事の煩わしさなど、他者に分かるものか。父春家に認められるのは、どちらか一人なのだ。どちらかが選ばれ、どちらかは選ばれない。
「こ〜ら。喧嘩するなら帰るよ。直さん一人でも十分な仕事に同行させてもらってるんだからね。邪魔になるようなら速攻で帰るからね。」
一番後ろから周囲を警戒しながら歩いて来た和田義将が引率の先生のように言った。
「は〜い。俺良い子なので班長の言う事ききます。」
「はい、春臣くんに1ポイント加算します。」
「ちょっっ、何勝手に抜けがけしてんだよ!俺だって班長の言う事きくし。ちゃんと出来るし。」
「馬鹿今更良い子ぶっても遅いんだよ。お前は。俺は最初から仕事中は仕事に集中するべきだって言ってたんだし。」
「はいはい、前見て歩こうね〜。」
義将が慣れた様子で3人を操縦するのを背中で感じながら直嗣は首を傾げた。
「ねぇ、ウチの小隊はいつからポイント制になったの?」
「今からです!」
元気よく答える義将に、じゃあ今のやりとりは何だったんだ。と思ったが、直嗣は何も言わずに前に進んだ。そもそも、何なんだと思う事が多すぎる。今更小さな事に突っ込んでいられないのだ。
「小隊長!どうして応援で来たはずなのに、畠山の部隊が一人もいないんですか?」
春文の問いは尤もだった。土蜘蛛が出ると言う場所に人の気配はない。
「押しつけられたんじゃね?」
春純の指摘は直嗣が胸の中で押し殺しているものだ。なるべく口にして欲しくなかった。
「大丈夫でしょ。俺強いし。」
能天気な春臣の自信過剰は今はスルーしておいた。確かに並の十六歳は凌駕しているのだが、実践での慢心は命取りだ。
「春臣くん、そういうのは秘めてこそ美しいんだよ。言うでしょ、能ある鷹は爪を隠すって。思ってても言わない方が格好良いって事だよ。」
「そっか!班長すっげー!俺今度から言わない!」
とは言うもののきっと明日には忘れている。そういう男なのだ。ある意味性格の楽観性としては一番春家に近いかも知れない。
「直さん、今回の編成は俺達だけって事でやるしかなさそうですね。」
「本当、貧乏くじばっかりでほとほと嫌になるよ。ま、初顔合わせの部隊との連携なんて大して期待できないし、邪魔が入らない分やりやすくなったって事にしておこうか。」
直嗣が髭切を抜くと意識を集中させた。
直嗣の後ろで、四人も抜刀し意識を集中させた。
「何かいる…土蜘蛛?」
直嗣は違和感を覚えた。
「春文くん、土蜘蛛の特徴は?」
「え、あ、はい。鬼の顔、虎の胴、蜘蛛の手足をしていると言われています。頼光が斬った際には腹から死人の首が出たとされています。怨霊であるという節もあり、明確な正体はまだ分かっていないようです。」
「けっ。何だよ文のデータ役に立たねぇじゃん。」
にらみ合う双子の後ろから義将が言った。
「いや、もし戦ってた畠山の部隊が皆喰われたとしたら…。」
「すっごいでっかくなってるかもね。」
嬉しそうな春臣は無視して直嗣は言った。
「鬼の…。」
呟きを続けようとした直嗣の顔面目掛けて何かが高速で飛んできた。正面からだったので難なく避けたが、軽い音を立てて地面に落ちたそれを見ると、人間の頭がい骨だった。
「わっ!何だよこれ。」
「死人の首?」
「やっべー、すげぇサイコな展開。早くぶっ殺して〜。」
北条兄弟が戦々恐々としていると、義将が前へ出た。
「向こうはこっちに気が付いています。もし本当に畠山の部隊が全滅したとしたら現時点で逃げるのはもう不可能だと思います。やるしかありません。直さん、編成を。」
「よし。ちょっと気になることがあるから敵を見定める時間が欲しい。二手に別れて。まず春文くん春純くんが最前で応戦しつつ時間を稼いで。義将くんと春臣くんは潜んで警戒して。僕は上から援護しつつ様子を見る。いけそうなら倒して良いけど、絶対に油断しないで。」
直嗣の命令で全員が散った。双子は一直線に髑髏が飛んできた方へ、義将と春臣は迂回して双子を追った。直嗣は木に登り、全体像を見ながら近付いて行った。
「文、アレ!」
近付いて行くと、いくつかの髑髏が飛んできたが、それには大した攻撃力はなくただ避けて走った。そうして行くと木々の間から異形の姿が明かになってきた。
「あれが、土蜘蛛?」
腹の膨れた巨大な蜘蛛が、カサカサと嫌な音を立てながら動いていた。その頭部は鬼の顔ではなく鬼の形相の人面だった。そして地面には無数の死体があった。すべて頭部が無かった。
「鬼の顔と虎の胴が何だって?」
春純が先んじて土蜘蛛に襲いかかった。
「それはデータ上の…。」
「結局データなんて意味無いって事だろ!」
春純の刀が蜘蛛に届こうとして時だった。蜘蛛の口から粘着質の白い糸が放出された。春文は間一髪で春純の腕を引き、糸に捕われる事を回避した。
「データに意味が無いって?」
「…さんきゅ。」
二人は短く息を吐くと、土蜘蛛を見据えた。そして合図もアイコンタクトも無く二手に分かれて攻撃に移った。
土蜘蛛が春純に気を取られている隙に春文は足の一本を斬り落とした。しかし足は一瞬で再生し始め、五秒ほどで何事も無かったかのように戻った。足を斬られたため蜘蛛は春文の方に攻撃をしようとした。今度は春純がそこを狙って腹を刺した。しかし、腹からはいくつかの骸骨がこぼれ落ちただけで再生してしまった。
「どうすんだよ、これ!」
「多分、急所があるんだよ。こういう再生能力が高い敵は、一か所急所があって、そこを突けば死ぬって本で…。」
「で?それはどこなの?」
「…わっかんないよ!土蜘蛛が超再生型だなんて情報どこにもなかったんだから、分かる訳ないだろ!」
春文が開き直って怒鳴ると、春純は舌打ちした。
「じゃあ、俺達で見つけなきゃって事かよ!」
双子が、当てずっぽうで急所を突くまで攻撃しまくる作戦を実行しようとした時だった。
双子を狙って迫ってきた土蜘蛛に遠方から放たれた矢が刺さった。
一瞬土蜘蛛が怯んだ。二人が矢が放たれた方を見ると、木々の隙間から義将が弓を構えていた。
「無為な持久戦は不利だ。下がって!」
義将の声に、一気に頭の冷えた二人が一時撤退を選択した。二人を逃がすために義将と春臣が矢で援護した。
木の上から一部始終を把握していた直嗣は、土蜘蛛の近くで事切れた遺体と、畠山家の方角をじっと見ていた。
土蜘蛛から一旦逃げる事に成功した四人が直嗣の上った木の下に集まった。
「思ったより追いかけて来ないな。」
「ああ、畠山軍が全滅したって思ってたから逃げられないと思っていたけど、案外俺達には興味ないって感じだったな。」
直嗣は双子の話を聞きながら木から降りた。
「成程ね。」
何かを納得した様子の直嗣に義将が問うた。天然の直感は捨てたものじゃあない。
「いや…もう少し確かな策を以て攻撃に向かいたいな。春臣くん、遠くから見ていて気付いた事はある?」
「ん〜…何か思ってたよりまともだった!」
直嗣の問いに、春臣の答えは全員の意表を突くものだった。
「どこが?…そりゃあ春文のデータじゃあもっとキメラみたいな感じだったけど、それを置いたって十分きもかったっつの。」
「うん。きもい!でも、そうじゃなくて、誰でも何でも食べちゃうぞ!みたいな奴かと思ってたのに、何か、邪魔すんな!って感じだった。」
「それのどこがまともなんだよ。」
曖昧な春臣の表現に春文は苛立ちを口にした所へ、義将が何とか間を取り持とうとした。
「まぁまぁ、春臣くんはただ感じた事を答えただけだから。春文くんも春純くんもよく咄嗟に気持ち切り替えたね。偉いよ。」
「いえ、あの時班長が指示してくれなかったら俺達今頃死んでたかも知れません。」
「ま、まぐれで急所突いて勝ってたって可能性も無いことも無いけどな。」
「あんな訳分かんないモノの急所が簡単に見つかる訳ないだろ。」
「分かんねえだろ。定番の分かりやすい目印がどっかにあったかも知れねえじゃん。もっとよく見ればさ。」
「よく見てる内に死ぬっての!バカ純!」
「あんだよ、勝手に死んでろ、逃げ文!」
再び喧嘩を始めてしまった双子に、義将がどうしようかとおろおろしていると、ずっと黙っていた直嗣が大きな声を出した。
「成程、それで髭切だったんだ。隊長は始めから分かってたんだ。敵は土蜘蛛じゃなく、鬼だったんだ。頼光が妖怪退治に使っていた刀は、土蜘蛛なら膝丸、酒呑童子つまり鬼なら鬼切。今回隊長は僕を頼光役だと言って鬼切を託した。始めから敵は鬼だったんだ。」
「…おに?」
「そう、あれは土蜘蛛じゃない。超再生能力のド定番、鬼だ。鬼の形相じゃなくて、鬼そのものって事だよ。あはは、一杯食わされたね。」
勝手に結論を導き出した直嗣が何故笑うのか、そもそも今は笑っている状況なのか、部下四人はよく分からないまま置いてけぼりにされてしまった。
「それって何か現状に必要な事ですか?」
「うん、大事な事だよ。あれは怨霊の塊なんて曖昧な集合体じゃない。一個の意志のある存在って事だ。」
「えっと、頭が良いって事ですか?」
「そうだね。目的があるって事さ。」
「目的?お腹いっぱいになるまで食べたい!とか?」
「馬鹿、臣じゃあるまいし、そんな目的な訳あるか。」
「否、案外遠からずってとこだろう。良い匂いがするんだよ。目的はその良い匂いの首だ。だからそれが手に入るまで帰らない。」
「良い匂い…ですか?しますか?」
「するね。」
直嗣が真顔で言うので、四人は黙った。人を喰う『夜』の嗅覚を理解できるかのような物言いに戸惑ったのだ。
「違和感の正体はそれだった。良い匂いがするのに、敵は匂いとは反対方向にいた。食い散らかされた死体を見て更に違和感がした。部隊の死体に交じって女の人がいた。サイズの合ってない服を着た人達だ。きっと良い匂いの人の代わりになって食われたんだ。でも本人の服なんか着ても、本物の首でなければ満たされない。だから帰らない。」
「鬼が狙う良い匂いって、何ですか?俺達地龍よりそそるんですか?」
「おい、嫌な訊き方するな。」
「でも、『夜』は霊感って言うかそういう能力の高い人間が大好物でしょう?」
四人が言い合っている間、直嗣は良い匂いの方向を見た。畠山重忠の屋敷の方角だった。能力の強い人間。普通の術者より、もっと強い、それは例えば逢魔の血のような者の事ではないだろうか。女の服。畠山仁美の顔が浮かんだ。
「いや、彼女は今鎌倉にいるはず。考えすぎだろう。」
「何ですか?」
「いや。何でもない。とにかくだいだい分かったから、とっとと倒して帰ろう。」
直嗣が容易く言うと、四人は顔を見合わせた。今の会話の中に敵を倒す算段は何も無かったのだから当然の困惑だ。
「どうやって…。」
「鬼は首を斬るって相場が決まってるでしょう。さ、皆、一盛に足を斬って。回復する前に僕が首を斬りおとすから。」
満面の笑みで髭切を抜く直嗣を、四人は初めて怖いと思った。
結局、直嗣の言う通りに動いた結果糸もあっさり土蜘蛛改め鬼を倒す事が出来てしまい、部下四人は拍子抜けと同時に、どっと疲れてしまった。畠山家が宿泊の用意をしてくれたので、面々は休むことにした。直嗣は畠山重忠に報告に行くと言い出て行ってしまった。去り際はいつもの頼りない優しい笑顔だったが、凄まじい戦闘の後に見るといつもと違って見えた。
畠山重忠に対面してみると、直嗣が想像していたよりも小さく痩せているように感じた。大きな熊のようだときいていた所為で想像がふくらみ過ぎていたのかも知れない。
重忠は貫禄のある顔に微笑を湛えて直嗣を迎えた。
「このたびは大いに面倒をかけてしまい面目ない。しかし流石は鎌倉殿が集めた鎌倉七口のお一人。まさか五人であの化け物を倒してしまうとは。御見それした。」
「…この屋敷は、不思議な匂いがしますね。」
直嗣が重忠の褒め言葉とは関係のない返答をした。重忠は怪訝な顔を返しただけだった。
「あの化け物、を土蜘蛛、と言ったのは重忠様でございますか?」
直嗣がまた関係のない問いを口にした。
「…部下が言ったのだ。あれは土蜘蛛だと。それ故土蜘蛛退治と言ったまでの事。何か問題があったと?」
「問題は、まぁあります。あれが土蜘蛛か鬼かでは戦い方が変わって来ますから。報告はしっかりして頂かなくては、困ります。それから、応援のはずが何故畠山家の兵がいなかったのでしょうか。まさか全滅した訳ではありませんよね?」
「それは連絡ミスにより合流出来なかったのでしょう。すべて当方の不徳の致す所。申し訳なかった。」
直嗣の言葉のすべては自分の所為だと言い素直に頭を下げた重忠を見ても尚、直嗣は続けた。
「僕が見た所、畠山の兵はこの屋敷の周りの警護に人員を注いでいました。何故攻撃ではなく守りに重きを置くのでしょうか。」
「…この屋敷には家族や女子供も多い。万が一のために守りを固めたのだ。」
「鬼には標的がいた。そしてその目的はこの屋敷にいた。そして、それを貴方は分っていた。」
「何を言っているのだ。」
「違いますか?」
「…見当違いだ。」
「そうですか。」
直嗣が追及を止め立ち上がると、重忠が絞り出すような声で呼び止めた。
「この件の地龍殿への報告は如何様に…。」
「あるがままを。僕は嘘をつくのは嫌いなんです。」
直嗣が胸の十字架に手を当てた。
「…ただ一つ言える事があるとすれば、私畠山重忠という男にとって最も大切なものは、家族だと言う事。そのためならば、何でもすると言う事だ。」
重忠が弁明のように言った。直嗣は部屋を後にする前に一言だけ返した。
「そのように伝えます。」
直嗣はすべての仕事を終了したが、畠山家が用意してくれた部屋で休息を取る気になれなかった。ただの応援ではない、これは内定調査なのだと思うと、後ろめたくて気楽に休めないのだ。本当はもっと相手を油断させ懐へ入り込み情報を探るのが定石なのだろうが、直嗣にそんな真似は出来そうにない。真っ向からやりあってしまった。それでも直嗣に出来る中でかなり頑張ったと思った。その証拠に精神の疲労が半端無い。そんな倦怠感を感じながら外を散歩していると、思わぬ人物に遭遇した。
「陽菜ちゃん?」
「直嗣さん?」
相手は実親の妹・陽菜であった。
陽菜は畠山筋の人物とのお見合いの帰りだと言い、いつものパンクロックファッションではなく清楚な着物姿だった。もの凄く可愛いと思ったが褒めずに「いつもの方が僕は好きだな。」と言ってしまった。けれど陽菜は「そうだね。」と言って屈託なく笑っていた。その笑顔を見ていると、心が解きほぐされている気がした。
「お見合い、どうでしたか?」
「全然駄目。上玉かと思ったのに、行ってみたら話と全然違うんだもん。騙されたよ。」
玉の輿が夢という陽菜には、地龍社会のステータスが全てだ。けれど、直嗣はそうは思わない。
「結局、家柄とか血とか肩書とか部隊とか、そんなものは人の何をも決めたりしないって思うんです。どんなものにも存在の優劣を付ける事は出来ないんじゃないかって。」
「…じゃあ、どうしてアンタは頑張れるの?」
何を基準にして自己を確立するのか。美しく着飾った陽菜を直嗣は直視できないが、顔に陽菜の視線を感じた。
「…僕の所為で死んだ人がいます。その事を購う事が何なのか今はまだ分かりません。でも、それが分かった時に、今の僕にはそれが出来ないかも知れないのが恐いんです。また力不足に打ちひしがれるのは、嫌なんです。頑張ってないと、不安なんです。頑張っている事が何かの報いになるなんて傲慢な事を思ったりはしません。でも、生きていないと出来ない事はあるはずだから。」
「臆病なんだ。」
「そうですね。すみません、こんな情けない話ばっかり。親さんに似てる所為かな。つい喋り過ぎちゃいます。」
自嘲するように肩をすくめる直嗣を、陽菜はいつも興味無さそうにしていた。しかし今は一対一で互いを見ている。
「兄貴の事、信じてるんだね。」
「はい。…でも親さんには、信じる事は自己責任だから、同じものが返ってくると思うなって言われちゃいました。」
実親が出がけに言った言葉は、直嗣の中で未解決の宿題のままだ。
「あはは。兄貴らしい。ねぇ、人を信じる事は確かに覚悟がいる事だと思う。でも、信じて貰えたら嬉しいでしょう。その気持ちに答えたいって思うから誠実になる。その相互関係が、信頼関係って言うんじゃない?兄貴とアンタはちゃんと信頼関係が築けてると思うよ。」
陽菜が直嗣に向けて紡ぐ言葉が、直嗣を安心させた。
「陽菜ちゃん…。」
陽菜は実親とよく似ている。けれど実親のような突き放す優しさではなく、包み込む優しさを持っているのだと思った。そういう内面を一つでも知れた事に喜びを感じた。
「僕決めた。陽菜ちゃんを信じる。」
「は?」
直嗣の宣言に陽菜は驚いていた。
「陽菜ちゃんに僕を信じて欲しいから。」
まっすぐに言う。生まれて初めての、告白。
「見返りを求めるなんて下心だよ。いやらしい。」
「え〜、そんな。」
さらりと流す陽菜に肩を落とす直嗣だったが、陽菜はそっと付け足すように言った。
「私からの信頼が欲しいなら、アンタの誠実さでそうさせてみなよ。」
直嗣が顔を上げると、陽菜の笑顔があった。
直嗣だけに向けられた笑顔だった。直嗣は、少し未来の事を考えてみた。新しい想いが作る未来の事を。そこに陽菜の笑顔があったら良いなと思った。
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