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26 起源の事

■一一七九年■


 時は平家の栄華を極め、平家でなければ人ではないとすら言われる異常な風潮が高まっていた。時代の変革に伴う世の乱れは『昼』の人々の不安を煽り『夜』を増長させた。

 地龍当主雅(まさ)(たか)は相変わらず鎌倉の山奥で地龍の行く末を憂いていた。

『昼』と『夜』との共存のビジョンが見えていないこの頃、『昼』は『夜』という存在を認識しており、『夜』に襲われたら地龍を呼ぶというのは常識であった。しかし雅貴が憂いている通り、地龍の者たちが『昼』の争いばかりに目を奪われているため地龍の戦力は多くなかった。

 「(しょう)寿(じゅ)はまたこもっているのかい?結局『夜』の討伐も全くしないんじゃ、何のために一流の陰陽師に育て上げたか分からないね。」

雅貴の嘆きは当然のものだ。

(よし)(ひら)亡き後、祥寿姫は気が狂ったように何かに没頭していた。最高最強の戦力のはずだった一番弟子がこの体たらくでは、先が思いやられる。

 「先祖が龍神と契約して何代もかけ何とか『昼』と『夜』とを守ってきたというのに、このまま地龍が衰退していったら、一体どうなってしまうんだろう。」

雅貴が空を見上げると、どす黒い雲がたちこめていた。



 京都は平家では、全盛を極めながらもその華やかさに影が滲んでいた。

 「父上、父上が望む世は我等平家にとって最良の世なんやろか。」

平重盛(しげもり)は病気により伏せっており、死の淵にいた。うわごとのように呟き続ける言葉は、父・(きよ)(もり)を諌めんとする内容ばかり。地位を昇りつめた平清盛の所業は傍若無人そのもの。世を治めるという行いとは到底思えなかった。

 「我等は地龍、我等がやっとる事は『昼』『夜』を守ることと違う。世を乱す事は本意やない。父上が何を見て何を成さんとしとるんか、俺はもう分からんようになってもうた。俺に出来る事は父上の逸脱した行動を止める事。せやけど、それももうできへん。」

重盛が虚空に向かって呟くと、いつの間に来たのか清盛がじっと見下ろしていた。

 「重盛、力は持つものではない。扱うもの。俺にその資質がないと思うか?」

 「父上…今の父上は力に弄ばれとるようや。昔の、あの頃の父上は、こんな風に『夜』を放置したりせぇへんかった。地龍としての誇りがあった。」

 「そうか。そう思うか。だがな、もう引き返す事は出来ないのだ。」

 「父上、どうか、目を覚ましてください。」

重盛の目が捉えていた清盛は、既にその目の前にはいなかった。いや、熱にうかされた重盛が見た幻で、始めから居なかったのかも知れない。

 思えば重盛は清盛の嫡子として生まれ、その務めを果たせたかどうか、時代に変革をもたらせた大きな人物の後継者として相応しかったかどうか、自信は無かった。必要な教養を以て相応しい人物たるように心掛けて来た。けれど重盛に備わっていたのは朝廷と同じ、保守的で前例を踏襲する発想しかなかった。清盛のような柔軟で広い思考を持つ事は無く、父と同じ大きな夢に夢中になる事は出来なかった。それでも補佐出来ればと思っていた。けれど、平治の乱の首謀者である藤原信頼(のぶより)に与していた(なり)(ちか)や、源義朝(よしとも)子頼(より)(とも)の助命に関わってしまった事は、結果的には間違いだった。足を引っ張っていると思った。今の平家に清盛の意図を本当の意味で理解している者がいようか、いやいまい。せめてこのような形で命を落とす事が無ければ、無力ながら尽力できたものを。せめて義平の最期のように勇ましくあれば、武士としての誉れであったろうに。

 無念。

 重盛は、ゆっくりと目を閉じた。そして二度と開かれる事はなかった。



 ■一一八〇年■


 亡き源義平の弟である、伊豆の北条館いた源頼朝の元に以仁王(もちひとおう)の令旨が届いた頃、鎌倉の雅貴の元に怪しげな人物の来訪があった。

 男は中原(なかはら)広元(ひろもと)と名乗った。後の大江(おおえ)広元である。地龍とは縁もゆかりもない。従五位下・九条兼(くじょうかね)(さね)の政務に関与している学者肌の男だった。雅貴は顔色ひとつ変えずに迎え入れたが、その目は広元の『波形』をとらえていた。策を弄する模様、欲望の強さ、そして人を信じない色。

 「で、俺に用事って何かな。『夜』退治の依頼かい?」

 「…いいえ。けれど悪いお話ではないはず。」

絡みつくような陰湿な視線が雅貴の頬を撫でた。

 「俺を地龍当主と知っての来訪、その上で悪い話じゃないって、どういう事かな?君は地龍関係者でも長老会の差し金でもないようだ。飽くまでも君個人の話という事かな?」

 「個人、そうですね。今はまだ、私の頭の中にしかない話です。けれど、必ずや現実となりましょう。」

 「占いでもするのかい?」

 「いえ、そのような曖昧なものは好みません。私は計算し先を読んでいるのです。」

広元は自身の頭脳に絶対的な自信があるようだった。その自信は義平を思い出させた。そうして自ずと広元の意図は察せられた。その自信ある能力を使って世を動かしたいのだ。

 「義平は武、広元は知に、結局は自らの力が優れていると知らしめたいだけだろう。優れた能力を持っている。それだけで良いだろう。何故そこまで功名心に駆り立てられる?」

雅貴の言葉に、広元は嬉しそうに笑った。打つ前に響く雅貴に満足したようだった。

 「地龍様は我等をまるで我欲の塊のようにおっしゃられますが、人として当然の事と存じます。私から見れば、むしろ貴方様の方が変わっていらっしゃる。『昼』と『夜』の均衡を以て世を平らにしたいと望まれるならば、まず『昼』を平らにするは道理かと思われます。と、すれば、我等の欲するものと地龍様の描く未来は同じ道の先にあるもののはず。積極的に後押しして下さっても良いのではありませんか?」

朝廷すら恐れる地龍という組織を手中におさめる事で、朝廷に対抗しうるという事だ。単純で、確かな手段。けれど雅貴を動かすのは容易ではない。

 「成程。俺を利用するか?」

 「利害が一致すればこそ。」

利害。清盛と同じものを差し出してくる。目的がどうあれ成されるものが同一ならば協調すれば良いという。そこに信頼は要らない。お互いの利のために、今は手を取ろうと。雅貴は清盛の手を取ることはなかった。そして今、清盛の造り出した世は乱れた。もし、あの時手をとっていたら、こうも荒れ果てた状況を作り出す事は阻止出来たのではないかと思う。地龍としてやるべき事を、手を講じる事が出来たのではないかと。こんな状態にしたのは、自分の所為ではないのか、と傲慢にも責任を感じた。

 そして今、その贖罪の手が雅貴の前に差し出された。

雅貴は広元に確認するように言った。

 「今『昼』では平家が摂関家を退け政の席を牛耳っている。朝廷に取り入り力を手にした平家は長老会の犬とみるべきだろうな。長老会は俺を敵対視している故、俺が力を貸すとすれば源氏か?しかし今源氏は圧倒的不利。俺をけしかけるという事は源氏に勝機があると?」

遠まわしに言ったが、地龍として清盛の抑止力となりたいと思うのであれば対抗勢力である源氏に協調する他ないのだ。しかし源氏は今完全なる劣性。雅貴の後ろ盾を得たとしてもそれは背景としての力のみ。政治戦略ではない。勝てるのか…。

 「もちろんでございます。平家の政は所詮摂関家の真似事。武士が運営する世ならば、まったく新しい体制をつくらなければ。平家の世はいずれ自ずと衰退いたしましょう。それもそう遠くはない未来に。されば、その時こそ源氏の武と私の知が世を統べる時。地龍様のお望みも成就いたしましょう。」

 望み。

 はっきりとそう言われると雅貴は怯んでしまう。

 「『昼』と『夜』の均衡。」

雅貴は広元の『波形』を読みながら口にした。広元は深く頷いた。『波形』は揺らがなかった。その意志を読んでから、雅貴はもう一つの望みを提示した。

 「そして、もう一つ『昼』と地龍の棲み分け。」

広元が一瞬止まった。

 「え?地龍は『昼』から手を引くと?」

 「元々、地龍は『昼』と『夜』との共存する世を守る役割。どちらかを支配し運営する事は越権行為だ。」

雅貴の理想を聞いた広元はしばらく顎を撫でていたが、思案する口調で言った。

 「成程。けれど武士の世を作るにあたって地龍の後ろ盾は必要なものです。ですから、すぐにとはいかないでしょう。地龍としても日本中を管理する仕組みをつくらなければ『昼』『夜』の在り様を管理する事が成ったとは言えないはず。そのために『昼』の仕組みを利用する他に手はないのです。しかしいずれ、この私の頭脳を以てその未来図を示してご覧に入れましょう。」

まるで難題を前にやる気満々と言わんばかりの輝きを持った目で広元は言い放った。雅貴は浅く、何度か頷き、ゆっくりとその手を取った。



 ■一一八五年■


 その年、九条兼実は頼朝の奏請にて内覧となり、翌年摂政となった。鎌倉幕府は今までになかった武士主導の政治体制が築かれた。兼実は長老会の中でも数少ない地龍の力を持つ貴族だった。藤原摂関家の世が終わり、兼実自身も人生設計が大分狂ったが、学んできたものを発揮できる舞台として鎌倉幕府は悪くなかった。前人未到という事が学者気質を心地よく刺激した。やりがいというものを少なからず覚えた。だが、周囲との折衝は上手くは行かなかった。それも政治の世界に学者を登用する場合よくある事だ。長い時をかけ歴史を学び、また自身でも世の中を記録して来てよく分かった事があった。

 それは、世の中は繰り返していると言う事。

 人は幾度となく人が世を乱してきた様を記録してきた。そしてそれを続ける内、歴史の繰り返し、循環に気が付くはずだ。栄枯盛衰、人は過ちを繰り返す。

 それもそのはず。人の魂は円環の上を流れている。廻り、巡っているのだ。万物例外なく、すべてのものは輪廻している。即ち循環している。そんな諸行(しょぎょう)無常(むじょう)に気が付いた。

 そして兼実は同時に自身の儚さに気が付いた。今こうして世の中を自らの意志で動かさんとする地位にいたとして、そして時代を記録し続けたとして、それは循環のほんの一部に過ぎないのだと。このままならない生そのものも、ただの血液が巡るが如き当然の営みであり、そこに存在以外の価値はない。全ては存在しているという一点において等しく、そして無価値だ。そんな事に気が付いてしまえば、生きていると言う事はどうしようもなく無味乾燥なものだ。兼実は自己という自我が失われたとしても魂として存在してしまった事が酷く煩わしいような気がした。永遠に命として生まれて死んでを繰り返す輪廻から外れる事が出来ないと思うと、面倒で憂鬱だと感じた。

 そう、もっと個を超えて、循環そのものとなる事は出来ないだろうか。粒子の一粒として循環となり循環の全てを見る事は、とても自由で心地よいのではないだろうか。

 そう思ってしまってからと言うもの、兼実の頭の中はその荒唐無稽さを実現する方法を模索し続けていた。

 そしてそれを術式としてしたためるようになった。


 その兼実の様子をじっと見つめるひとつの影があった。それは一一八四年より鎌倉に下向していた広元であった。

 広元は当初の目的通り鎌倉幕府の運営に携わることとなっていた。頼朝の家政機関である公文所別当となり、頼朝と雅貴の理想を叶える事で自己を証明しようとしていた。そのために必要な兼実の知識と運営論だったが、近頃の兼実は様子がおかしい。一人で何かに夢中になっている時間が増えた。この新時代の幕開けに、別の事を考えるなどおかしかった。かねてより認めている日記を認めている様子でもなかった。今、余計な事を起こされては折角ここまで順調である幕府の設立が揺らぐ事になる。そんな懸念を抱きながら、注意深く見ていたのだ。当の兼実はそうとも気付かず、ぼんやりと空気中を漂う元素を読み解くような目をしていた。



 そんな折、ある噂が流れていた。亡き源義(よし)(ひら)を斬首した難波(なんば)経房(つねふさ)が雷に打たれて死んだというのだ。何でも死ぬ前に義平が雷になって殺すと言ったというので、呪われたのだろうと言う噂だった。『昼』でも随分と盛り上がっていた話題だったが、地龍では更に大きなトピックとして取り上げられていた。義平亡き後、妻で一流陰陽師である祥寿姫が籠って何やら怪しい実験を繰り返しているという事と深く繋がっているはずだというのだ。その話はまことしやかに広範囲に広がって行き、長老会や幕府内の耳にまで届いていた。そしてその反響もあった。

 源頼朝が祥寿姫に声をかけたのである。兄の妻である祥寿を気遣うふりをして接触を図ってきたのだ。中途半端に付かず離れずを維持し続ける地龍当主雅貴は思い通りにはならない。ならば祥寿姫を抱き込む事で、その大きな力を背景にした交渉が可能になると考えたようだった。実際実力は折り紙つきなのだ。味方になれば千人力に違いない。だが祥寿姫は雅貴の元を離れる気はないと突っぱねた。その後幾度となく文が届けられたが、全く靡く事は無かった。祥寿姫は相手にしていなかったが、父・(よし)(しげ)北条(ほうじょう)政子(まさこ)の怒りを恐れ勝手に祥寿姫を再婚させてしまった。その事が頼朝の怒りを買い、新田氏は冷遇されるようになったが、当の原因たる祥寿姫は他人事のように冷めていた。

 今や祥寿姫の本心を慮ることが出来る者はほとんど無かった。唯一の師であり理解者である雅貴だけが、ひたすらにその心身を案じていた。祥寿姫はかつての強い生命力漲る『波形』を失い、日に日に衰弱しているように見えたからだ。

 実際のところ祥寿姫は、かつて夢見た義平の世を作るために構想を練った、龍脈からエネルギー供給を受け、その強大な力を自在に使用する事が出来るようになるシステムの構築に全精力を注いでいた。頼朝の利己的な手紙などまったく目に入っていなかったのだ。頼朝が例え義平の弟だとしても源氏は共食いの家。義平でない者にシステムを使わせる気など毛頭なく、ただ祥寿姫は義平との約束のためだけにシステムの完成を果たしたいと思っていた。ただ、完成させると言ったために、完成させたいと思っただけだった。義平は約束を破って死んでしまったが、それでも祥寿姫はその約束にすがる他に何も無かったのだ。


 そのシステムの構築が完成したのは、ある深い夜の事だった。祥寿姫はそれまでに自身の持てるすべてを注ぎこんで来てしまった。そうしなければ叶わない夢だった。その夢が、今まで祥寿姫を生かして来た。そして、完成してしまった。

 祥寿姫には、もう生きる理由も力も残ってはいなかった。

 ゆっくりと目を閉じると、ふとある事に気が付いた。

 もう死ぬという間際になるまで気がつかなかった、大事なことに。

 「涅槃(ねはん)で義平様にお会い出来る術式にすれば良かったわ。残念だわ。」

全く無意味な事に人生を費やしてしまった。誰のためにも何にもならない、ただの計算式を組み上げるだけの生。けれど虚しさが心地よかった。きっと義平も虚しさを抱いて死んだだろうから。

 「本当に、残念。けれど仕方がないわ。自分で探しましょう。」

言葉は吐息に溶けて、空気となって消えた。まるで蝋燭の火が消えるように瞬きのような霧散だった。


 虫の知らせとでもいうのだろうか、ある晩雅貴はどうしても気になり祥寿姫を訪ねた。

 「祥寿、入るよ。」

雅貴が襖を開けると、祥寿姫は文机に伏せて息を引き取っていた。

その手が大切そうに抱いていたのは長年を費やした術式だった。机上の空論を、結局は空論のままで終わらせてしまったが、それは間違いなく史上最高難易度であり最大規模の術式だった。雅貴はそのまだ温かい手をとり、涙した。

 「義平、君は少しでも彼女の気持ちを考えたかい?君が君の責任において勝手に死ぬのは良い、けれど君は君が思う程身軽じゃなかったんだ。どうして簡単に死んでしまったんだ。彼女の人生を犠牲にしてしまったんだ。俺は君を今程恨めしく思ったことは無かったよ。」

 雅貴の流した涙は水晶のように美しかったが、その清らかさを誰も見る事は無かった。



 ■一一八九年■

 

 かつて広元が雅貴に語った通り武士主導の政治体制が、鎌倉幕府という組織が形成されその力が思う方向へ動き出した頃だ。源頼朝が弟・義経(よしつね)追討を口実に全国に守護(しゅご)地頭(じとう)を置く事で、全国各地に地龍の目の届く拠点をつくる事に成功した。これにより初めて『昼』『夜』の均衡を管理する仕組みが動き始めた。

 「本当にやってのけるとはな。」

雅貴が溜息まじりに言うと、兼実は鼻で笑った。

 「中原広元か。あれは食えない男だ。しかし『昼』の者が何故地龍の在り方を示す?」

雅貴を訪ねていた九条兼実は雅貴と中原広元との約束を聴き、広元の意図を測りかねているようだった。

 「広元は自分が一番賢いと思ってるんだろ。それを日本中の者に知らしめたいのさ。」

 「幼稚な。それが政の主導の一員たる者の言う事か。」

 「まぁ、人間性はともかく、約束は守っているようだ。奇しくも、今回のような全国各地に拠点を設けるという案は、かつて義平と話したものと同じだ。だからかな。少し感慨深いよ。」

感傷に浸る様子の雅貴を冷ややかな目で眺める兼実は、雅貴を無視して訊いた。

 「で、書は?」

 「あるよ、隣の部屋にね。好きに持って行きなよ。」

雅貴から聴くなり隣の部屋へ移動する兼実を見て、雅貴は何の気なしに訊いた。

 「しかし、君程の知識人が俺に書を借りに来るなんて、一体どうしたんだい?」

 「ああ。朝廷も幕府も所蔵は『昼』のものばかりだからな。地龍のものとは種類が違う…これは?」

兼実が部屋の隅にある行李を指さした。中には書が何冊も積み重ねられていた。

 「それは俺の弟子の祥寿姫の遺品だよ。どうにも処分出来なくてね。」

 「…祥寿姫様の…。」

兼実が書を手にとり中身を眺めた。

 それは強大な電力と、大きなシステムが出会った瞬間だった。兼実は胸の高鳴りを覚えた。それが、祥寿姫の術式があれば、兼実が描く自身の魂を循環そのものとするためのシステムは完成する。

 兼実は運命の導きに打ち震えた。


 ■一二〇七年■


 幕府の世の中もすっかり、元よりあったかのような平穏を持ち始めていた頃、雅貴も老い、その人生について考えるようになっていた。

 雅貴の生きた時は歴史の激動期だった。古い体制が淘汰され、新しい者の台頭を時代が迎え入れた。時の流れはまるで頁をめくるように過ぎ去るが、それは事実に他ならない。例え誰も思い出す事のないものだとしても、確かに真実であり、たしかに皆存在していたのだ。


 そんな風に感慨を弄んでいた雅貴の元に、広元は神妙な面持ちでやってきた。

 「兼実が何かをやろうとしている?」

 「ええ、それが何なのか分からないのですが、この二十年程ずっと何かに力を注がれて来ました。けれどその何かが何なのか…。いつか政治の舞台にて披露されるものと思っておりました。」

 「その様子もなく、今に至ると。それならそれで良いだろう?お前の何かを揺るがすものではあるまい。そこまで気にする必要はないだろう。」

 「…そうかも知れません。ただ、見たのです。兼実殿が、祥寿姫様の書を持っておられるのを。」

 「祥寿の?あれは確か全て焼いてしまったはず…。」

 「ならば燃やす前に持ち出したのでしょう。それが何にしろ様子がおかしいのです。もし何も無ければ、それはそれで良いのです。とにかく様子を窺っては頂けませんか?」

広元が何故そうまで必死に、しかも雅貴に頼むのかはよく分からなかったが、雅貴はその願いを聞き入れた。広元のおかげで雅貴の望む地龍の組織づくりは殆ど形づくられた。『昼』『夜』の均衡の構築、維持を司る管理機関としての地龍という仕組みを、見事に作り出してくれた。例えそれが地龍が鎌倉幕府の後ろ盾となった事との交換条件だったとしても、雅貴は感謝の念を抱いていた。それ故に広元の力になることは吝かでは無かったのだ。


 九条兼実の家は、雅貴が想像していたよりも良くない気に満ちていた。地龍のものが住む場所にしては淀んでいる。本来地龍の能力を持つ者は、そういったことに敏感だし、改善する能力を有しているため、もっと清浄な場所に暮らしているはずだ。それを、吹きだまりのような場所に居を構えるのは何故だろう。家に入る前から、雅貴は嫌な予感がしていた。

 その感覚は、かつて祥寿姫を訪ねた時に似ていた。死の忍び寄る匂い、気配、予感、何とも言えない異様な胸騒ぎがした。

 「兼実、兼実…。」

家には人の気配が無かった。使用人の存在感すらなく、ただ静まり返っていた。雅貴は勝手に上がり込み家の中を歩きまわった。

すると、大きな何かが倒れるような音が響き、雅貴は音の方へ向かった。見回すと、戸の隙間から青白い光が漏れていた。そっと開けてみると、そこには大きな虚が口を開けていた。虚の淵にはすっかり老いた兼実が立っていた。

 「兼実か?」

 「…雅貴殿。お互いに年を取ったな。」

雅貴の来訪にも動じない兼実は、雅貴を一瞥すると虚を覗き込んだ。

 「この穴が何なのか知りたいのかい?」

雅貴は兼実の隣まで行き、虚の中を覗き込んだ。そこには今まで見たことの無い、空間の捻じれが存在していた。

 「この空間をつくり出すのに二十年近くも時を費やしてしまった。これはな、龍の腸とでも言おうか。」

 「龍の腸だと?このような亜空間がか?」

 「いやいや、本物ではない。だが本物に似ていなくてはならないのだ。龍の心臓が自身の体だと錯覚する程度には似ていなければならない。そして、誰にも干渉されない次元に存在しなければならないのだ。」

兼実の老いた目は、青い光を映して輝いていた。

 「兼実、何をしようとしている?祥寿の書を持ち出したときいた。あれは祥寿が人生のすべてをかけて書き上げたものだ。あれをどうしようと言うんだ?」

 「そうだな。祥寿姫様は本当に素晴らしい能力を御持ちだった。あの書は地龍の至宝と言っても過言ではない素晴らしいものだ。だが、だからこそ使う事の出来る者の手にあるべきだろう。」

 「…使うと言っても、あれは未完成だ。あれは…ただ大きな力を集めるための術で、その目的がない。ただの手段だ。主のない術は発動する事はない。」

 雅貴の言う事は尤もだった。祥寿姫は義平のために力を手に入れたかった。ただそれだけだったのだ。龍脈からそのエネルギーを集めるための方法を記したに過ぎない。だが兼実は笑った。

 「目的は此処にある。」

 「兼実?」

 「私は力を、強大な力をのみ求めていた。私の目的のために。祥寿姫様の理論は、私が求めていたものそのもの。正に私のためのものだったのだ。運命が此処へ導いた。これは始めから決められていた事だ。」

虚が放つ輝きを見つめている内、雅貴もようやくその正体を理解し始めた。

 「まさか、祥寿の術を使ったのか?否、使うための龍の腸なのか?」

 「左様。私が作り出した術を機能させるための空間を、誰も手の出せない空間に設ける必要があった。そして龍脈から力を吸い上げるためには、その中枢が必要だ。それは龍脈たる龍の心臓が自らの体内だと思う場所でなければ機能しない。二つを兼ね備えた空間であるこの龍の腸こそが、私の理想を叶える場所だ。ここで大きな術を発動させれば、龍は自らの力の消費と勘違いして勝手に力を補ってくる仕組みだ。素晴らしいだろう。なぁ、雅貴。」

 兼実の話は、確かに祥寿姫の書を元に実現させた龍の力を恣にする仕組みだった。そしてその実物が目の前にある。

 「兼実、そうして手に入れた力で、お前は何をするつもりだ?」

 その力は間違いなくこの世の中で最大のもの。何をも屈服させるもの。すべての理の頂点に君臨するだけのものだ。それを以て兼実は何を成さんとするのか。

 「雅貴、私は世界そのものになるんだ。」

 雅貴は兼実の横顔を見た。言葉の意味は、その横顔には無かった。

 「分からないか?私はこの世界を司る輪廻そのものとなるのさ。そうする事で全てから解き放たれ、自由になることが出来る。」

 言うと兼実は懐から守り刀を出し、その胸に切っ先を当てた。

 「何をする!」

兼実の手を押えた雅貴に、兼実は穏やかな笑顔で言った。

 「私の死によって、すべては成る。大丈夫、私の意志で世の中の何かを歪めようと言うのではない。そもそもそのような事は出来ない。ただ、自身の解放を望むだけだ。さ、逝かせてくれ。」

 「勝手を言うな!」

雅貴は無理矢理に刀を取り上げて叫んだ。

 「勝手に、魂を昇華しようとでも言うのか?今まで何を見て来たんだ!多くを見て、多くを学び、多くを記録してきたお前が、何故そんな結論に達する!皆誇り高く生きて死んでいったろう。少なくとも俺の友たちは皆、これから先の輪廻転生を悲観するような人生は送っていない!」

雅貴の叫びに、兼実は目を見開いた。涙が、雅貴の熱い涙が伝わった。

 「祥寿の書は、こんな事に使われるために生み出されたんじゃない。これは愛だったんだ!祥寿なりの、愛情の形だったんだ。不器用で、変わっていたけれど、彼女は義平を心から愛していた。だからそれを形にした。ここに記された演算のひとつひとつは、すべて彼女の気持ちだ。こんな、人間の在り様を否定し作り変えるようなもののために生まれた訳では、断じてない!」

雅貴は兼実を通して、失った多くを見た。親友たる義平を、弟子だった祥寿姫を、大きな夢を示した清盛を、誠実さを貫いた重盛を、他にも多くの友が雅貴を遺して逝った。しかし、それは悪い事ではない。再び生まれ来る魂に刻まれた大切な記憶だ。雅貴は再会を望みこそすれ、このような形で生きる事を否定する事は無かった。あり得なかった。

 「術の中枢はこの虚の中にあるのだったな。」

雅貴は兼実を掴んだままで呟くと、虚に身を投げた。

二人を飲み込むと虚は消えてなくなった。光の帯が完全に消えて無くなってしまうと、屋敷には再び静寂が戻った。

 部屋には、兼実が長年をかけて構築した資料のすべてがそのままに残されていた。

 広元は、その部屋にゆっくり足を踏み入れると、見まわした。

 「雅貴殿は鷹狩りの途中で崖から転落してお亡くなりになった。兼実殿は老衰により死去。このような屋敷だ、一人で死に発見が遅れても誰も疑うまい。さて、現地龍当主様は雅貴殿と違い素直でいらっしゃる。私の進言にも耳を傾けてくださるろう。ようやく、見付ける事が出来た。永遠に、未来永劫世を動かし続ける事が出来る方法を。」

広元の笑いは、誰にも知られる事のない悪しき色。



 琵琶の音色は、時の歪みを旋律に変えて奏でるようだ。

 どこかで歌が聞こえた。

 祇園(ぎおん)精舎(しょうじゃ)を唱える声は、どこか憂いを帯びて風と共に流れていく。

 (いく)星霜(せいそう)の時を越え、その終結の地へと導くように響き渡る。

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