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25 平治の事

  ■一一五四年■

 時は平安末期。清和源氏嫡子源義朝(よしとも)と、三浦義(よし)(あき)の娘との間に生まれた嫡子・(よし)(ひら)は、『昼』の世では官職もなく武士としての強さ以外に特筆した所のない男だった。保元の乱を経て藤原摂関家の衰退と共に源氏の雲行きも怪しくなってきた頃だ。源氏は祖父・(よし)(ちか)の代より続く悪行により大きな功績も出世もなく、武家としてのまとまりもなく、藤原摂関家の内部分裂と共に共食いを繰り返していた。父・義朝は母方の血筋故か実質廃嫡の扱いとなり不遇の人生を歩んでいた。そして義平もまた同じく弟・(より)(とも)と比較し母の血筋が劣る故に実質廃嫡となり鎌倉で育ち相模にて活動を強いられていた。その分の東国武士への力は持っていたものの、義平が持つものはその強さのみだった。あくまで『昼』における義平は。

 平安時代の地龍はまだ『昼』『夜』の均衡を構築するに至ってはいなかった。『夜』の力は強く、『昼』は一方的に捕食されるばかり。地龍当主はその『夜』に対抗する力をつける事に尽力していた。陰陽師を排出し、力を分け与えた武家の活躍を望んだ。けれど、時代はまだ国政の安定を見ないまま揺らいでいた。力ある者は皆、その頂を望み、地龍当主が望むような方向に力を行使する事は稀であった。政治に利用された地龍の力は本来の僅かしか能力を発揮する事はなかった。その上、その力の源である地龍当主を、政権を握る朝廷が勝手に危険視していた。地龍がその強大な力を以て強引に国を恣にするのではないかと怯え、対抗するために組織された長老会は、やみくもに保身のために威嚇してくるだけの無意味な存在だった。地龍の目的は飽くまでも龍神との契約の履行、『昼』と『夜』の存続だったのだから。とは言え無為に長老会と争う事こそ意味がない、目的の邪魔にならない事ならば従っている方が良いと考えた地龍は、鎌倉の山奥に拠点を構えひっそりと暮らしていた。

 それぞれの理由により鎌倉で生活していた、十四歳になる(みなもと)(あく)(げん)()(よし)(ひら)と、二十歳になる地龍当主雅(まさ)(たか)とは、その頃には既に旧知の仲となっていた。

 「義平、また刀を振っているのかい?好きだねぇ。その有り余った元気で人々を脅かす『夜』の一体や二体ぶった切って来てくれよ。」

 「俺の刀はそんなつまんねぇもんを斬るためのもんじゃねぇよ。」

廊下をのんびりと歩いて来た雅貴は義平を見つけると、ストンとその場に座り込んだ。義平は刀を振るのを止め鞘に収めると、鋭利な光を持った瞳を向けて来た。強い眼差しだ。自信に満ち、全てを淘汰する事を是とした傲慢な目。

 「何がつまらないものか。何かを守ってこその強さだろう?」

 「守ってどうする。俺は欲しいもんをもぎ取るために鍛えてる。現状維持なんざに必死になってどうする。」

 「成程、お前らしいね。」

雅貴は地龍当主という威厳を纏わない。一見どこかの貴族の三男と言ったところか。気負う所のない気楽な態度で軽口ばかりを叩く。義平の知る限り、熱くならないし何かを欲する事もない。義平としては、それは長老会にこのような田舎に閉じ込められている所為だと思っていた。

 「何がお前らしい、だ。俺はどんな状況になろうとも牙を削がれたりはしない。武士として生まれたからにはその力を、覇を競うために使わずして何とする。」

 「俺は武士じゃない。それに武士は天皇家のためにお仕えするものだよ。別に鍛えた力で他を駆逐するためのものじゃないよ。」

義平の鍛えあげられた肉体は、確かに義平の自信を裏付けていた。だからこそ、雅貴は勿体無いと思う。

 「どうせ『夜』を討伐するためのものだと言うんだろう。」

 「そりゃあそうさ、地龍の力を受け継いだ者達は皆、そのための力である事を思い出して欲しいよ。」

 「地龍が持つ権力は所詮その大きな力故のものだ。その役割など誰も重きを置いていない。お前も誰も真に受けない寝言を言うのは飽きたろう。雅貴、お前は何故その力をして挙兵しようと思わない?」

 「俺は地龍当主だぞ、義平。地龍は『昼』の政治争いをするための組織じゃない。今は『夜』から『昼』を守る事が俺の仕事さ。」

義平はただひたすらに力による『昼』での頂を望み、雅貴は地龍の役割に殉じる事をのみ考えていた。二人は親しいながら思想は相入れる事無く、話は常に平行線だった。

 「くだらない。弱い者が死ぬ事を否定して何になる。地龍に守られたとしても、所詮弱い奴は死ぬ。」

 「そうだな。でも『夜』に殺される訳じゃない。」

 「そこにどんな違いがある?」

 「あるさ。『昼』と『夜』を守る事が契約だ。この『昼』では持ち得ない『夜』に対抗し得る力の存在意味だよ。『昼』と『夜』とが当然の営みを当然として送れる世の中をつくる事こそが、力のあるべき姿だ。」

 「つまんねぇ詭弁だな。力は敵を倒すためにある。そして強い力の前に人は平伏す。力にどんな意味があろうと、結果は同じだ。殺し、従える。俺は強くなりたい。そしてその強さの証明として全てを平伏させたい。武士として当然の欲求だ。」

 「荒っぽいなぁ。義平はもっと頭を使った方がいい。そんな生き方をしていては長生きできないよ。」

 「みじめにだらだら生きるくらいなら、さっさと死んでやるよ。」

 「義平が強いのは認めるけどね、できればそう地位や名誉ばかりに固執せず、地龍の術者として戦ってくれないか?君を無駄な戦で失うのは俺も惜しいと思っているんだよ。」

義平の強さは本物だ。度胸もある、力もある、地龍の戦力として尽力してくれればどれ程たのもしいかと、雅貴はずっと考えていた。けれどそれはあり得ない話だ。

 「(しょう)寿(じゅ)を一流の陰陽師にしたように、俺を化け物退治の専門家にしようってか?安倍(あべの)(せい)(めい)(あし)()(どう)(まん)源頼光(みなもとらいこう)や四天皇、多くの術者がそうだったように俺にも化け物退治で名声を得ろとでもいうのか?馬鹿馬鹿しい、化け物を倒して出世した奴がどこにいる。」

(しょう)寿(じゅ)(ひめ)は新田源氏・源義(よし)(しげ)の娘で、雅貴が手塩にかけて育てた陰陽師だった。間違いなく地龍では平安一の実力を持つ。

 「俺は出来れば都じゃなく、各地を渡り歩いて欲しいんだよ。ついでに仲間を集めたら良いじゃないか。『夜』を退治する代わりに義平の傘下になるっていうのはどうかな?義平の目的も果たせて一石二鳥じゃないか。」

 「ふざけるなよ、雅貴。父・義朝が無官のまま実質廃嫡となってより、摂関家領の荘官達に擁立してもらっている。その摂関家も今や勢力を落としている。そんな折俺がやたらめったら各地を回って勧誘するなど無駄に決まっている。むしろ怪しい動きありと思われる。戦にて父上の要請あらば東国武士を率いて発つ事はあっても、化け物退治行脚など、武士のする事ではない。」

無官の義平が、出世願望を捨て地龍としての生を選択する事はなかった。雅貴がどう説得しようとも、義平が見ているのはその力の先にあるものだけなのだ。

 「…そうかなぁ。源頼政(よりまさ)だって(ぬえ)を倒して随分持て囃されたじゃないか。そういうちょっとした箔だって、上の好印象になれば取り立ててくれるかも知れないじゃないか。」

 「そんな事をいうなら雅貴が自分でやれば良いだろ。それこそ地龍当主様程の力があれば、あっという間にお上に気に入られて大臣にでもなるんじゃないか?」

 「ありえないよ。長老会が睨んでいるんだから。朝廷は地龍の力を勝手に恐れて睨みを利かせてくる始末だ。俺は政治の実権なんかこれっぽっちも望んでいないって言うのに。」

 「そりゃ力を持つ者の宿命って奴なんじゃねぇの?持ち腐れ様。」

義平をそうまで危険視する者はいない。こののらくらとした男がそうまで一目おかれている事が、義平にとっては腹立たしい限りだ。

 「いいや、そればかりじゃないだろう。力を分けた君達武家が出世ばかりに目を奪われて朝廷を脅かしているから、それも全て俺の差し金だと思っているんだ。まったく迷惑な話だ。」

 「まんざら嘘でもねぇんじゃねぇの?そんなに嫌なら実力行使で止めれば良いものを、放置しているんだから。そのおかげで世が乱れるのかも知れないぜ?」

 「勝手を言う。俺は力を分け与えた仲間たちが争うのは好ましくないよ。」

 「何を言う。俺はこの強さをもって必ず上に行く。」

 「そこまで言うなら君は何が何でも上に行って、それで何がしたいんだ?」

力の先にあるもの。それは義平にしか見えていない。

 「戦い続けるのさ。」

意外な返答だった。戦った先には戦いの無い世がある、当然のようにそう思っていた雅貴の意表をついた。しかし、そうかもしれない、義平は戦い続けていなければ満たされないのだ。

 「どうかしているな、君は。少しは(きよ)(もり)を見たらどうだ?」

 「あん?」

平清盛は順調に出世している。保元の乱以降の格差には腸が煮えくりかえる思いだ。何が違っているというのか、同じ武家だと言うのに。父・義朝の恩賞の少なさはおかしい。けれど義平にはそれを言う権利すらない。今はまだ。いつか義平の言葉が全てのものの耳に届く時が来る。力さえあれば。義平は唇を噛んだ。

 「彼の目的は『昼』を強くする事だ。宋との貿易により国を富ませ民に力をつけるんだそうだ。」

 「貿易?」

義平は初めて口にする言葉を理解する事なく雅貴に投げ返した。

 「方法はともかく、彼は『昼』の政治の実権を得る事で国を豊かにする目的がある。『昼』が力をつければ『夜』との均衡が生まれるかも知れない。それは地龍の望む平和かも知れない。」

 「均衡?」

戦う事は、それ以上でも以下でもない。力を欲し刀を振るう事は、本能ですることだ。しかし、清盛は違うというのか。

 「平家の手段は策や戦だが、『昼』を手中にと欲する目的は、地龍の目的と一致しているじゃないか。」

 「よく知ってるんだな。それに何だよ、その言い方。雅貴は平家の味方か?」

雅貴の言いようはさも優等生と劣等生を比較するようだ。義平は噛みつくように喰ってかかった。

 「味方な訳がないだろう、俺は地龍の武士同士、仲間内で争っていないで『昼』『夜』を守る仕事をして欲しいだけだよ。」

結局地龍というカテゴリーと、『昼』の立場とが入り混じり、全く思ったように機能していない。地龍は『昼』によって体よく利用されているに過ぎないのだ。

 「俺が何も考えてないみたいに…。分かったよ、じゃあ俺が出世したら、全国各地に拠点を作って化け物退治の専門家を常駐させてやるよ。源氏の権威を示しつつ、地龍の仕事とやらもできる、一石二鳥だろうが。」

 「ふむ、悪くない案だね。」

 「雅貴が龍神との契約を第一にしてるのは分かるけどよ、お前にどんだけ力があってもお前の手の届く範囲は限られてる。お前の理想を叶えるためには、結局『昼』の政治が必要なんじゃねぇの?そうやって一線引いて傍観してても、お前の望む世の中の方から歩いて来る訳じゃねぇんだぜ。」

 「義平にしては正論だね。」

『昼』で実権を握る者が地龍の目的に重きを置いてくれるのであれば、確かに雅貴の理想は叶うのかも知れない。しかし、そのために地龍の龍神の力を行使する事は違うのではないかと思う。既に力を分け与えた武士たちが世を乱しているこの期に及んで言う事ではないとしても、それでも迷うのだ。

 「ふん。」

 「御先祖様が現貴族様にも力を分け与えたのは、そう考えたからかも知れないね。けど、彼等は刀を持つ事もせず『夜』と戦う事ではなく、政敵を消す事に術を使用する始末。政治の座は人を盲目にしてしまうようだ。俺は君達武士がどんなに高潔な望みを持ってその座を手に入れても、同じようになってしまうんじゃないかと思うと、恐くなるよ。」

 「俺は目を潰されようと、盲いた目で光を見てみせる。俺は強い、それが俺の誇りだ。」

 「強ければ全てを手に入れる。確かにそうかも知れない。けれど、常に全力で戦える訳じゃないよ。君が強ければ強い程、周りは君の力を削ぐ事を考える。いいかい、義平、無駄死にはしないでくれよ。生きていれば何度でも再戦を望めるだろう、いかに惨めな敗北でも君は生きて俺の元へ戻ってくると誓ってくれ。」

 「…悪いな雅貴、俺の敗北は死だ。」

義平は既にいつでも挙兵するかまえだ。雅貴は戦力としてよりもむしろ友として、義平を案じていた。数少ない腹を割って話せる友として。

 「そういえば、祥寿の事だけど、結婚したんだろう?おめでとう。」

雅貴は気分を変えるように一呼吸おいてから話を変えた。

 「ああ、まぁ新田源氏との姻戚が『昼』にどれだけ作用するかはあやしいとこだけどな。」

 「地龍としては強いものに違いないけどね。」

 「つまりお前の思い通り?」

 「まさか、家同士が決める事だろ。義朝が俺の言う事なんか聞く訳ないだろ。親子そろって頑固なんだから。ま、それでも祥寿は満足していたようだったよ。」

 「ふん。あれは変わった女だ。まぁ女は子孫を残す事が役割、どのような性質だろうが気にせんがな。」

言いながら義平は祥寿姫との会話を思い出していた。


 「俺に嫁いだ事に思うところあるやも知れぬが、安ずるな。俺は強い。必ずや源氏の天下を築いてみせよう。」

頭を下げたままの祥寿姫に義平が放り投げるように言葉を与えると、祥寿姫はゆっくりと頭を上げた。雅貴の最高傑作、紀大の陰陽師、成程特別な雰囲気を持っていた。義平はその目に吸い込まれるような気さえした。美しい容姿が霞む程の圧倒的な空気感、空間を掌握されているのではないか、何か怪しい術を使っているのではないかと思った。そうして怪訝に眉をひそめようとした時、祥寿姫が美しい鳥の歌のような声で話した。

 「不満などありません。たとえ廃嫡の如き不遇に遭われていらっしゃっても、それは今だけの事でございます。『昼』にて如何に御弟君であられる頼朝様の御母上の位が高かろうと、義平様の御母上は三浦義明様の血脈、地龍の武士としては義平様の方が血が濃いのでございますもの。正統にして比類なき強者にございます。この祥寿、義平様のような立派な御方に嫁ぐ事が出来、恭越至極に存じます。」

ありふれた褒め言葉、そしてその価値観が地龍に寄っている事に、義平は違和感を覚えた。

 「地龍としての血の濃さは、『昼』には通じぬ。」

義平の刺すような視線をものともせずに、祥寿姫は言った。

 「いいえ、強き者こそが世を統べるは世の道理でございます。」

 「ほう、女にしておくのは勿体無いな。」

 「いいえ、私は女ではありますが、陰陽術においては他者に劣るつもりはありません。必ずや貴方様のお役にたって御覧にいれましょう。」

 「…くだらぬ。俺は強い。女の力など必要ない。お前の仕事は俺の子供を産むこと。それだけだ。余計な思考は不要。」

不要、とは言ったものの、決して祥寿姫が引き下がるとは思わなかった。そして、どこかで期待もしていた。義平が知るどの女性にもない自信と誇り、まるで戦場に立つ武士のような力強さを持っていた。


 「何を笑っているんだい?義平?」

気が付くと雅貴が顔を覗き込んでいた。

 「な…何でもない。ともかく、俺は強い。平家だろうが藤原氏だろうがぶった切って必ず俺が頂点に立ってやる。」

 「はいはい。もう分かったよ。」

雅貴は溜息をついた。義平は口応えを止めた雅貴を見下ろすように目を細め、不敵に笑った。



■一一六〇年■

 義平二十歳のその年、平治の乱が起った。院の近親らの対立から始まった戦は、平家と源氏を分ける事となった。

 義平も挙兵をする事となった。

 「殿、私も御供いたします。」

 「馬鹿な。女の出る幕ではない。」

祥寿姫は変わらず武士のような意志の強い眼差しを持ち、義平に詰め寄った。

 「いいえ、きっとお役に立って御覧に入れます。」

 「要らぬと言っている。俺は強い、それを疑うというのか?」

義平は怒りを抑えずはっきりと拒絶を表したが、祥寿姫が引き下がる事は無かった。

 「いいえ、決してそのような事は。けれど殿、殿がいかにお強くあられても、世の中の理を変えるには至らないのでございます。けれど私にはそれが出来ます。殿のために、この世を作り変える事が、この私にでしたら出来るのでございます。」

 「作り変える?何を言っている。」

祥寿姫はまるで恋する乙女のように可憐な様子だったが、その口から出てきた話はあまりに大きく怖れを知らないものだった。

 「殿のおっしゃる通り、力は全てにおいて優れているものです。長老会とて地龍様の力を常に恐れている。その力を、殿が手にするのでございます。龍脈を手にする事で。」

 「龍脈?それは龍の心臓とか言うアレか。だが、大きな力が宿る地としてそれぞれ土地の権力者が治めているはずだ。それに土地自体が力を有しているだけでその力は人には何も影響を与えぬ。」

 「その力を集める事が出来るとしたらどうでしょうか。そして意のままに使う事ができるとしたら?」

 「…すべての龍脈だぞ。雅貴だって一つだ。それはどれだけ大きな力なのだ。」

 「間違いなくこの日の本を治める力でございます。」

 「そんなしくみを祥寿が作ると申すか?」

 「ええ、私が、殿の御ためにご用意してみせましょう。ですから、いま暫くの時間を下さいませ。」

祥寿姫が深く頭を下げた。義平は祥寿姫の頭を見ながらため息をついた。

 「…そうか。そのために申したか。」

 「え?」

 「良いか、祥寿。俺は何を言われようと自らの命を惜しんだりはせん。戦で死ぬならばそれは本望。お前は俺の心配などせず、子を守ることを第一に考えよ。」

義平は言うなり去って行った。祥寿姫はその後ろ姿をいつまでも見送っていた。その手は胸を抑えていた。その懐に中には構築中の術式を認めた書が入っていた。義平は祥寿姫が義平が生きて帰るように夢物語をしたと思ったようだったが、祥寿姫は決して冗談のつもりはなかった。本気で、全身全霊を賭して義平のためだけにこの世の理を作り変えるつもりだったのだ。そのために義平にはその時までに死んでもらっては困る、見送る祥寿姫の眼差しは強い祈りだった。


 そうして迎えた戦場・京都の御所大賢門にて義平は、平家当主清盛が嫡子・重盛(しげもり)と対峙した。

 「匂うぜ、お前はただの雑魚じゃねぇな。俺は源義朝が嫡子・義平!叔父である元東宮帯刀(たてわき)先生(せんじょう)源義(よし)(かた)を手にかけた悪源太義平様たぁ、俺の事よ!お前も腕に自信があるんだろうが、名を名乗れ!」

義平のギラギラした目に、暴かれるように重盛は名乗りをあげた。

 「俺は平清盛が嫡子・重盛や。悪源太義平。叔父を手にかけた事を誉れとするなど、ほんま源氏は恥知らずやな。」

 「重盛、てめぇが…。お互い嫡男同士、タマの取り合いたぁ燃えるぜ。」

挨拶もそこそこに義平が殺気と共に馬をぶつけ、刀を振り下ろしてきた。重盛が何とか受けた刃から火花が散った。

 「聴いたぜ重盛、清盛様は国を富ませて『昼』『夜』の均衡を作り出すつもりらしいじゃねぇか。」

義平の言葉に一瞬言葉をつまらせた重盛だったが、義平の情報源が雅貴だとアタリをつけて落ち付いた。

 「地龍様か。それを聴いて、共に尽力しようて思えへんのか?」

 「ばーか。思う訳ねぇだろ。均衡?平和?片腹痛ぇな。ぬるい事言ってんじゃねぇぞ。そんな世の中クソ喰らえだ。俺が強さを証明し続けるためには戦が必要だろうが、平和な世の中なんざこれっぽっちも望んでねぇんだよ。」

義平の刀に込められた力は、確かに強く、重盛の力ではびくともしなかった。この力をもって求めるものがただの覇権とは、重盛は悔しく思った。地龍武士としての誇り無きこの愚将を憎く思った。

 「義平…愚かな。これ程までとは…。貴様を生かしておく訳にはいかへんな。」

 「ははっ。面白ぇ。お前が俺を殺すか?やってみろ、重盛。」

刀を握り直した重盛が声を上げて斬りかかった。

 「義平!」

 「どんな理想も力なくしては敵わない!お前が正しいと言うなら証明してみろ!俺を殺して!」

再び刀を交える二人の間では、思想の違いが熾烈にぶつかりあった。

 「何故そうも強さに固執する!地龍は弱者を守る組織のはずや!」

 「いいや違うな!『昼』『夜』を守る組織だ!」

 「どう違う?」

 「全然違うだろうが!何が均衡だ!『昼』と『夜』を天秤に乗せて量るつもりか?二つは別のもんじゃねぇだろ!同じもんだ!同じ世に生きる、同じもんだろうが!それを二つに分けて量れるもんならやってみやがれ!」

 「へりくつを…。」

 「だったら言ってみろよ。清盛が作る世が、平家のための世じゃねぇって。地龍の武士としての政策だって。均衡とやらがどんなもんなのか、言ってみろよ!」

 「『昼』と『夜』は違うもんや。弱いもんを守らんと、弱い方が絶える。両方を守る言う事は、弱いもんを守ることや。」

 「強いもんをぶった斬るって事だろうが!」

 「それは…。」

 「強いもんを倒すためには、強さが必要だ!誰よりも、何よりも、強く!それが守るって事だろうが!俺は強い!」

 「貴様は自身の力を自慢したいだけや!それは守る事やない。」

 「そうかよ!」

 「そうや!」

 「じゃあ、てめぇはその刀の錆になりな!」

義平が馬鹿力で押した刀に突き飛ばされるように落馬した重盛を、部下達が庇った。義平は手を緩める事は無かったため、重盛は部下を囮に敗走するしか無かった。それだけ義平は強かった。

 けれど、義平一人がいかに強かろうと戦の勝敗に大きな影響は及ぼさなかった。

 義平は父・義朝と共に敗走したが、義朝は途中で斬られた。遺された義平は単身にて六波羅へ清盛を討ちに戻ったが、捕まった。既に斬首を待つのみとなった義平の前に、清盛はようやく現れた。敵の大将である清盛、どれほどこの首を欲したか、義平は瞑目する事で心を鎮めた。

 「源悪源太義平か。」

見下ろす清盛は想像していたより小さな男だった。けれど持つものが大きい、目に見えない何かが圧倒して来る。『波形』が物語る、格の差。息苦しさすら覚える。義平は縛られた体が緊張するのを感じた。

 「てめぇが平清盛だな。ようやく顔が拝めたぜ。」

 「我が子・重盛が世話になったようだな。」

 「ああ、俺は強い。重盛だけじゃねぇ、てめぇと戦ったって俺が勝つ。」

 「そうだな。だがお前には強さしかない。故に弱いのだ。」

 「何だそれ、強いのが何で弱いんだよ。俺は強い、この世の何者よりだ!」

今となっては負け犬の遠吠えにしかならない、そう分かっていても叫ばずにはいられなかった。義平の言葉に、至って冷静な重盛が注意するように言った。

 「傲慢な。強さが必ずしも勝利に直結する訳やない。」

 「いいや、強さは勝利だ!」

縛られた獣が牙をむき出しにした姿に、重盛は黙った。息を荒立てる義平に、清盛が命題を突きつけるように言った。

 「ではお前は何故負けた?」

何を言おうと、勝った方が正しさを手に入れる。義平は悔しさに身を焼かれる思いがした。けれど、今ここで引く訳にはいかない。炎の宿る目を清盛の大きな『波形』にぶつけた。

 「俺は負けていない!俺の首を斬るなら覚悟しておけ!俺より強い者に斬らせる事だ!さもなくば、俺は死して雷となり、そいつを殺してやる!」

義平の全力の気迫に、清盛はさも嬉しそうに笑った。

 「何がおかしい。」

 「いや、気に入った。雅貴殿はこのような男を隠していたとは、全く侮れぬ事だと思っただけの事。」

 「清盛、てめぇは『昼』『夜』の均衡を作り出す事を目的としていると、雅貴から聞いた。それは本当か?『昼』ではなく、地龍の武士として戦っているのか?」

 「義平、人とは一見して測れぬ生き物よ。雅貴殿が望む顔も嘘にあらず、朝廷が見る顔もまた真実、多くの顔、多くの目的を持つもの。自らの力で大きな事を成す事、高い位に就く事、力を誇示する事、それもまた欲を満たす要素ではある。だが、そのためには『夜』は邪魔なのだ。自らが望む活躍を得るための舞台を自らつくることもまた、必要な作業という事だ。」

 「『昼』『夜』の均衡は、てめぇの舞台づくりの一部って事かよ?」

 「俺の意図が何であれ、雅貴殿はそれを望んでおられる。利害が一致すれば力は自ずと集まってくるものだ。力は一つで強くても些事に過ぎぬ。大小問わず集める事で強大なものとなるのだ。必要なものは強さか?弱さを掌握する事だ。」

清盛の言いようは最早一介の武士ではなく、軍師のようだった。脳裏で頭を使えと雅貴が言う。けれど義平はもう首を垂れるしかなかった。項垂れた義平を残し、清盛と重盛は去って行った。

 先を行く清盛に、重盛は問うた。

 「何故あのような事を言わはったんです?」

 「人の上に立つ者は力そのものより、その力を使う資質が問われる。奴にはそれが分かっておらぬのだ。大人しく雅貴殿に使われていれば良かったものを。本当にもったいないものだ。」

 「珍しいですね。敵を褒めるやなんて。」

 「武士としては比類なき(つわもの)よ。そうだ、奴の首を斬るのにふさわしい者がいただろうか?」

 「まさか、本当に雷になるやなんて思うてはるんですか?」

重盛は義平の言葉を真に受けたような清盛に、疑問符を投げた。清盛はゆっくりと振り返ると、意味深に言った。

 「奴の妻を知っているか?」

 「確か、新田源氏の…。」

 「祥寿姫。」

 「まさか、あの地龍当主雅貴様直々に育てられたいう術者の?」

 「まんざらただの戯言でもないのかも知れぬという話だ。」

祥寿姫の噂は地龍の者で知らぬ者はない。どれだけの力があるか分からない分、義平の言葉もただの負け惜しみとも思われなかったのだ。

 「それは恐ろしい事です。」

 「恐ろしい、か。重盛、お前は優しすぎる上に頭でっかちだからな。本能のままに生きる義平と合わせれば丁度良いかも知れぬな。」

 清盛の冗談は、重盛にとってとても笑う気になれないものだった。大きな『波形』を見ながら、重盛は不安を抱きながら後を付いて歩いた。



 空を仰ぐと、不意に胸に去来する感情は武士としての恥だとか悔しさと言うよりは、切なさだった。義平は自身の強さを信じ、それを証明する事に全てをかけてきた。だからこそそれ以外の事を口にする事は無かった。抱いた弱音も恐れも全て墓場まで持って行くつもりだった。けれど、胸を占める切なさは違うものだった。誰よりも、義平自身よりも確かに義平の強さを信じていた、祥寿姫の目に宿る光を想った。義平の世を作ると荒唐無稽な未来図を提示した変わった女の面白さに魅かれていたのだと、言えば良かった。そうすれば、何も遺してやれなくても心は置いて逝けるのに。そんな切なさだった。

 「ごめんな、祥寿。」

呟いてから目を閉じた。瞼の裏で笑顔の祥寿姫と会う事が出来た。


 祥寿姫の元に義平の死が知らされたのは、それから少し後になってからだった。未亡人となった祥寿姫は、雅貴の元に戻り部屋に籠ってしまった。昼も夜も何かに集中している祥寿姫に、雅貴は声をかける事が出来なかった。義平を失った想いを、雅貴には癒す事が出来ないからだ。

 

 時代は平清盛率いる平家全盛の世となった。

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