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24 峨々の事

 年が明け、世間は正月ムード一色だ。

 知将(ともまさ)のマンションの扉の前も、小さな簡易的な門松が飾ってあった。晋が(ひと)()に目くばせをすると、仁美が笑顔で頷いた。それを合図に晋はインターホンを鳴らした。すると、まるで扉の前で待ちかまえていたかのような早さで扉が開いた。

 「いらっしゃい!」

知将は過去最大の御祝モードで迎えた。


 年が明けてすぐに、晋と仁美は畠山家へ婚約の挨拶に行くことにした。正月を選んだ理由は、単に忙しい時に押しかける事によって短時間で済ませるためだ。二人はすぐに結婚する訳ではないため、その事を深く追及されたくはなかったのだ。畠山家のような大きな名家の正月は人の出入りが多い。長時間引き止められる事も、過剰にもてなされる事も、不快感をぶつけられる事もないと考えたのだ。もちろん仁美の家族が、矢集の家名だけで晋を嫌悪する訳がないのだが、一応覚悟は必要だった。

 当然それは杞憂に終わり、一通り不義理にならない程度の挨拶を済ませた後、知将の元を訪れたのだ。「血は繋がってないけど、俺の父親兼母親にも会ってくれる?」と訊いた晋に、仁美は二つ返事で付いて来たのだが、さすがにこのインパクトは想像していなかったらしく面喰っていた。

 「知さん、御久し振りです。これ、お土産です。」

 「あら、ありがとう。さ、どうぞ。」

晋が渡した一升瓶を見て、「早速飲みましょう。」と浮かれた足取りでキッチンに消えて行った知将を無視して、晋は仁美をリビングの椅子に招いた。テーブルには畠山家の無駄に豪華なおせち料理とは対照的な家庭的なそれが並んでいた。

 畠山家に着いた時は午前中だったが、結局いろいろと時間をくい知将の部屋に着いたのは夜七時を回っていた。知将がコップを持って椅子に座った瞬間に、強烈な既視感を覚えた晋は、これは完全な朝まで宴会コースだなと思った。「ひぃさん、眠くなったら言って。」と耳打ちすると、仁美はきょとんと首を傾げていた。

 「あ、あの、改めまして、畠山(はたけやま)重忠(しげただ)が娘・仁美と申します。よろしくお願い致します。」

 「あらあら、御丁寧にどうも。私は和田家当主基将(もとまさ)が嫡子・知将よ。訳有って勘当中の身なの。こんなみすぼらしい部屋でごめんなさいね。晋ちゃんから聴いてはいたけど、本当に可愛らしいお嬢さんねぇ。晋ちゃんをよろしくね。」

久しぶりに会うと、酔っていないのにこのテンションは凄いな、としみじみと思う。

 「あ、はい。」

 「勘当って言っても形だけで、知さんが次期当主らしいよ。」

 「良いのよ、私の面倒な事情は。さ、飲んで食べましょう。おめでたい席なんだから、楽しまなくちゃ。ね。」

勝手に乾杯をして宴会がスタートしてしまったゴーイングマイウェイな知将に、圧倒されている仁美を見て、申し訳なく思う。

 「しっかし、晋ちゃんがねぇ。本当に感慨深いわ〜。」

 「あはは。長らくご心配おかけしました。」

晋が苦笑いをすると知将は父性もしくは母性の深い眼差しで晋と仁美を見ながら言った。

 「本当、あんた達は…。そろって律儀なんだから。親でもない私に挨拶する義務なんてないのに。嬉しい事してくれるわ。」

 「そろってって、どう言う意味?」

 「あら、知らないの?恭ちゃんも、静ちゃんと結婚する時挨拶に来たのよ。あの頃はほら、いろいろバタバタしてたでしょう?だから私に気使う必要ないって言ったんだけどね。」

 恭と静が結婚したのは、貴也が死に恭が地龍当主になってまだ浅い時期だった。組織の基盤はガタつき、多くの者の傷も癒えず、ある意味で暗黒の時代だった。そんな折の結婚は、普通のそれとは違っていただろう。そんな特殊な状況で、恭は知将への挨拶を欠かさなかったのだという。当時精神的にどん底だった晋は、自分の事で精いっぱいでその辺の事をよく知らなかった。

 「そうだったんだ。恭も…。」

 「恭様も晋さんも、共にこちらで暮らしていらしたのでしょう?晋さんと同じ様に、恭様も知将様を特別に思われておいでなのですわ。」

仁美が言うと、知将は嬉しそうに目を潤ませていた。

 「そうだね。大学の手続きとか衣食住とか全部知さんのお世話になった分の恩はもちろんあるけど、精神的にかなり支えて貰ってたからね。恭にとっても親みたいな存在なんだと思うよ。」

 この部屋に下宿していた時期は四年足らずだったが、満ち足りた時間だった。その時の共有が今に続く深い絆を構築した事は間違いない。故に恭にとっても晋にとっても、知将だけでなく幸衡(ゆきひら)義将(よしまさ)への愛情も限りなく家族に近いものだ。

晋の素直な感想に、知将は酒をあおって涙を耐え言った。

 「本当にね、あんた達は実の息子より手がやけるんだから。」

 「あれ、そう言えば義将は?正月なのに帰省してないの?直さん帰省するって言ってたから小隊も休みかと思ってたけど。」

 「ええ。義くんたら帰らないって言うもんだから、私の所は良いから本家にだけは顔だしなさいって言ったのよ。まぁ、頑張ってるみたいだし元気なら良いんだけど、たまには帰って来ても良いわよね。」

間を見て顔を出している晋と違い、家を出てから義将は殆ど帰っていないらしい。見かねた晋が「たまには帰って親孝行したら?」と言った事もあったが、義将は面倒臭がっているのではなく、ある程度の成果があるまでは帰らないと決めているらしかった。晋はとりあえずその協力は惜しまない事にして口を出すのを止めた。

 「男として武士として、知さんに認められるようになりたいんでしょ。偉大な親を持つと大変だね。」

 「良くも悪くも和田家嫡男ですものね。自覚も覚悟も十分、あとは実力だけって所かしら。」

 「義将様は晋さんの指南を受けていらっしゃるのでしょう。きっとお強くなられますわ。」

仁美の言葉に、晋ははたと箸を止めた。

 「…と言う事は、鎌倉に帰ると、仕事が休みの義将がいる訳か…。」

露骨に嫌そうにする晋の杯に酒を注ぎながら知将は疑問の視線を送った。

 「いや、義将は良いんですけどね。それにしても最近しつこいんで…ちょっと。」

晋が言葉を濁したのには、ある事情があった。

 昨年末、義将の恋愛問題に口を出した所為で、晋に大いなる禍が訪れていた。

 それは、あれだけ冷たい態度を取った所為で晋を嫌っているはずのさくらが、義将と共に晋に指南を求めた事だった。晋がさくらを生理的に得意としない事は共通認識である上、あれだけの罵詈雑言を浴びせられてなお、晋の前に顔を出せる精神力があった事がまず意外であった。それは想定していなかったため、逆に晋の方がきまずいという謎の状況となっていた。何度か断ったが、しつこくされ最近はなし崩し的に半生徒状態になりつつある。あのような不屈の精神を有していたとは、「曲げられない」と恭が評した通りの性格なのかも知れない。とにかく、さくらの存在は晋にとって面倒で気が重いのだ。

 「義将様の想い人が、晋さんの指南を請うていらっしゃるのですわ。」

 「ちょっ、ひぃさん。」

 「何なに、その面白そうな話。義くんの好きな人ってどんな子なの?」

 「駄目だって、その女子会テンション。やめて〜。」

義将とさくらをネタに盛り上がりながら、夜は更けて行った。

 「で、畠山家はどうだったの?晋ちゃんちゃんと挨拶できたんでしょうね?まさか、いつもの邪悪な笑い方したんじゃないわよね?」

 「なっ。何ですか、それ。俺ちゃんとしてましたよ。したよね、俺、ね?ひぃさん?」

 「ええ、とっても緊張なさっておいででしたわ。でも、以前いらしておりますので、ね。」

以前というのは、恭の命令で畠山重忠を『龍の爪』に加えるための交渉に行った時だ。当時の晋は出会った者全てを斬り殺さんばかりの獣の様だった。交渉のはずが何故か重忠との真剣勝負に発展し、殺し合いを繰り広げたのだ。晋としては、それをファーストコンタクトと呼ぶのはやめて欲しい。

 「あら、それ駄目なヤツよね。完全に邪悪な笑顔なヤツよね。」

 「だから、邪悪な笑顔って何。失礼な。でも皆快く迎えてくれたよ?ま、俺とひぃさんを引き合わせた重忠殿が嫌な顔する訳ないけどさ。」

重忠には、仁美経由で矢集家の墓の件などで世話になっているため既に頭が上がらない。評判通りの人格者である重忠は気にもとめていないようだったが、晋にとっては恩人の一人だ。

 「お母様も、お兄様お姉様方も、とっても喜んでくださいましたわ。」

 「いや、何か約一名変なのいたけど…。」

 「お兄様の事は気になさらないで下さい。」

 「あら、どんなお兄さんなの?」

興味深々の知将に、晋は嫌々ながら仕方なく話した。


 畠山家の面々は概ね賛成し祝ってくれたのだが、嫡男・(きよ)(ただ)のみが異を唱えたのだ。

 「仁美、兄はあれほど言ったではないか、男はよく選べと!」

言いながらずかずかと晋の眼前に迫り、晋を舐め回すように見た。値ぶみする目だ。名門である畠山家の娘の嫁ぎ先が、呪われた家系と呼ばれる矢集家などとは異常事態だ。そしてそれに異を唱える者がなかった事が異常事態だ。晋は何を言われても良いように覚悟をした。しかし、清忠の言葉は晋の覚悟を外れたものだった。

 「この身長、細身ながらしっかりとした筋肉、切れ長な目、しゅっとした輪郭、…駄目だ。兄は許さないぞ!」

やたら大きな声で言って、まるで何かの決めゼリフのように高らかに宣言した。

 「俺はイケメンが苦手だ!」

清忠の意味不明な発言に、さすがの晋も目を点にして見ていた。唖然とし過ぎてノーリアクションの晋に、追いうちをかけるように叫んだ。

 「君みたいな最近のしゅっとしたイケメンが、特に苦手だ!」

吹き出しの中を「犯人はお前だ!」に変えればしっくりくる絵面だった。

 「…は?」

完全に言葉を失った晋に代わり、仁美がしごく穏やかに言った。

 「申し訳ありませんが、私外見で殿方を選んでおりませんので、お兄様の好みに合わずとも婚約を取り消す訳には参りませんわ。」

まっとうだった。あまりにも毅然とした正論に、清忠はしばらく黙っていたが、やがて静かに言った。

 「…そうか。そうだな。兄が悪かった。晋くん、仁美を頼む。」

登場より二周り程小さくなって去って行く清忠の背を見送りながら、晋がようやく口を開いた。

 「何、あれ?」

 「兄の清忠です。以前、想いを寄せた方が兄の外見を好まなかったらしく、コンプレックスなのですわ。端正な方を目の敵にする癖があるだけで、良い方なのです。誤解なさらないでくださいませ。」

清忠は背も平均より低く、四角い輪郭に濃いめの造形、陽に焼けた肌や、ごつごつとした体つきをしていた。確かに一般的に端正と言われる外見ではなかった。けれど地龍内のステイタスは飽くまでも血脈を基盤にした家名や地位や名声といったものであるため、畠山家嫡男の身を以て外見をコンプレックスとしようなどという事は随分と妙な話であった。外見が良ければ確かにもてるが、結婚相手としては判断基準ではない。故にただの遊びにすぎない。容姿家柄共にパーフェクトな存在など、地龍中探しても多くはないだろう。だからこそ幸衡は全国各地の女性を虜にしてきたのだが、それも過去の話だ。

とにかく清忠はそんな事を気にせず堂々としていれば良いものを、敢えて「イケメンは苦手」などと大声で叫ぶなどという奇行に及ぶのは完全におかしい。

結局畠山家の遺伝子は変人を生みだすのかも知れないと、晋は仁美を見て納得した。

もちろん仁美は兄をフォローしたつもりだったが、それらの思考を通して晋は遠い目で言った。

 「それ結構な短所だしょ。」

晋のつぶやきに、仁美は何も言わなかった。


 清忠の話題を肴に三人は再び盛り上がっていった。

 夜も更け、日付が変わってしばらくすると、仁美がうとうととし始めたので晋がベッドへ運んだ。リビングへ戻ると、知将が飲み直そうと誘ったので晋は再び座った。

 「良い子ね。」

 「うん。すっごく良い子だよ。そんな子が俺を好きになってくれるなんて、本当にありがたい事だよ。」

言葉と裏腹に目を伏せる晋に、知将は眉をひそめた。

 「何?」

 「いや、畠山重忠って人がさ、底知れないよなって、思って。」

 「どういう意味?」

 「…結局、最初から全部が仕組まれてたんじゃないかって思う位、上手く行き過ぎててさ。本当に転生組って侮れないよね。」

晋の言葉は、聳え立つ山々を見上げる登山者のそれを彷彿とさせた。



 「畠山重忠。納得いかねぇな。」

(よし)(ひら)が演劇のようなオーバーな身振りで厭味たらしく言うと、恭は溜息をついた。

鎌倉の地龍本家の一室は、正月だというのにいつものように恭と義平と重盛(しげもり)が揃っていた。晋の婚約をある機会として状況に動きがあったのだ。

一見いつも通りの無表情だが、重い溜息は恭の感情の含みを表していた。そんな恭の返答を待たずに義平は続けた。

 「仁美は生まれ持った霊師(ぎょくし)としての強大な力の所為で死ぬはずだった。それを生かすために禁術を犯し、仁美を『逢魔の血』とする事で延命を図った。例え子供を生かすためだとしても、禁術は禁術だ。犯罪者として罰せられなければならない。」

義平は目を細めて恭を見た。恭はその眼光を跳ね返すように答えた。

 「罰は与えた。生涯の忠を。」

恭は、禁術を犯した罰として重忠に生涯恭のために忠勤に励む事を誓わせた。

 「甘いだろ。禁術を犯した者の罰は最悪死罪だ。それに比べて甘すぎる。いくら情状酌量の余地があったとしても、優しすぎるってもんだ。」

義平の訴えに、重盛が異を唱えた。

 「重忠は転生組や。こうして転生システムの謎に迫る今、戦力たる転生組を失うんは失策や。ここで出来るだけ大きい貸し作って、恭くんの手足になってもろた方がええ。」

 「だが、それは重忠にとっては痛くも痒くもねぇだろ。娘を晋の妻にして恭に取り入ろうなんざ、摂関家のやり口だろうが。」

身内の姻戚によって地位の確立を図るのは摂関家の十八番であり、古くからの政治の定石だ。義平は重忠のやり方を罵る口調だった。

 「…正に、それなんちゃう?なぁ、恭くん?」

重盛が恭に同意を求めると、恭は微動だにせず、ただ眼だけを動かした。肯定、そう見えた。

 「じゃあ、仁美は政治の道具にされたって事かよ?」

仁美は本人の意思で晋を慕い、婚約に至った。そのはずだ。義平の疑問を受け、恭がようやく口を開いた。

 「そもそも仁美殿が『逢魔の血』であり霊師である事は公に出来ない。そのどちらもが禁術だからだ。今まで不可能とされてきた完全な霊師の存在が肯定されれば、禁を犯し力を望む者が少なからず出るだろう。」

仁美は重忠が可愛がりすぎて家の外に出た事がない、と言われてきた。未だにその真相は極秘事項だ。霊師である事も『逢魔の血』である事も公にはされていない。いや、してはいけないのだ。仁美を前例にして真似る者が出るような事にならぬよう、これからも秘密にしなければならない。

 「重忠殿はその事をよく分かっておられる。…はじめから、霊師の力を持った仁美殿を『逢魔の血』とすると言う発想が生まれた時に、それは前提であったはず。故に彼女は隠されて来た。本来ならば、畠山家の中だけで一生隠され続ける存在だったはずだろう。」

仁美を隠し続ければ禁術を犯した事は明るみに出る事はない。娘を生かし、そして罪も露見しない。そうするつもりだった。

 「じゃあ、何でそれを変えた?まさか、晋と出会ったから、とか言わねぇよな?」

 「義平は相変わらずロマンチストやなぁ。」

仁美が晋と運命の出会いをしてしまったが故に事情が変ったのか?という問いを真っ正面からぶつけられるのが義平の人柄だ。どれだけの人生経験をしてもまだ人を信じ愛する事が出来る芯の強さだ。重盛はかねてより好ましく思っているが、義平は悪意にしか受け取る事はない。

 「あん?」

完全に喧嘩を売られたと思ったらしい義平を無視して、重盛は答えを口にした。

 「長老会が壊滅したから…やんな?」

恭は頷き、続きを話しはじめた。

 「状況が変った。長老会という隠れ蓑を失い、徐々に姿を現して来たもの、それは今まで進展しなかった転生システムの核心に迫ってきた事だ。重忠は転生システムに遅かれ早かれ終焉が訪れると考えたのだろう。畠山家だけでなく転生組のいる家は、長年転生者によって家を統治してきた。その転生者がいなくなった後、転生者のビップ待遇で家名を保ってきた家はどうなる?重忠亡き後、畠山家はどう存続していくか?もちろん子孫の手に委ねられる。けれどその前に重忠自身が家のために残せるものがあるのではないか?そう考えたとしたら?」

 恭の問いに、義平は唾を飲んだ。

 「まさか、仁美を地龍当主側近であり契約履行の管理者である晋に嫁がせる事で、地龍本家との縁者になったつもりって事か?」

 「つもり…ちゃうやろ。転生システムや龍脈の枯渇いう状況を把握しとる転生者なら、矢集は呪われた家系やない。選ばれた特別な家系や。事がどう転んでも、地龍本家が矢集家を冷遇するはずがない。転生システムを失った後、矢集と畠山の縁は地龍本家の後ろ盾を得る。それによって畠山家が没落する事はない。長老会なき今、地龍本家に敵はない。取り入って損はないいう訳や。」

重盛の読みは、恭の意見と一致していたらしく、嫌な沈黙が流れた。

 「おいおい、じゃあ重忠は、仁美と晋の婚約で仁美の正体がバレて罪が露見して、もし死罪になったらどうするつもりだったんだよ?」

 「言うたやろ。今、戦力たる転生組を殺すんは失策やて。全部、こっちの手の内も読んだ上での行動や。ついでに言えば、その状況で死罪が下る事はないやろ。恭くんが晋くんの義理の父親になる相手を殺すか?全部上手い事ループしとる。」

 「は…。何だよ、あのオヤジ。人格者が聴いて呆れる、とんだ喰わせ者じゃねぇか。娘を生かして、罰は免れ、家も守ったって事かよ?結局、重忠はすべてを手に入れた訳だ。」

義平の発言に、恭は補足するように言った。

 「本当に食えないのは、仁美殿の気持ちは本物であり、また晋も然りという事だ。重忠殿は家族を想うが故に、決死の覚悟で策を弄し俺の懐へ飛び込んで来た。それは寧ろ重忠殿なりの誠意であり覚悟であり、また意地だ。その潔さをもって、全てを手に入れんとする傲慢さには敬服すらする。これだから転生組は計り知れぬ。」

 恭は重忠の奥深さに底知れぬ何かを感じた。多くの転生者に対して抱く、畏怖の念のようなもの。転生者は平素何食わぬ顔で普通の人を装っているが、その器の中に宿る魂は人のそれを超越していると感じる。歴史や感情や体験の蓄積、それらが生み出すものは恭の想像を超える。転生者たちを前にして感じる畏怖は、恭にとって聳え立つ山々のように途方もなく高く険しい。その転生者を生みだしたシステムそのものに挑もうとしているのだと思うと、無性に寒気がする。

 「そんな大したもんじゃねぇけどな。」

義平が言うと、重盛も穏やかに頷いた。

 部下の顔をして、友のように話し、時に兄のように諭す。そんな良く知る二人ですら、恭は底知れないと思う。恭が知る顔はほんの僅かな一面にすぎず、おそらく普通の人より多くの顔を持つのだろう。生を一つ重ねる毎に、多面体へと変化していくようなイメージが浮かぶ。何を考えて何を想うのか、計り知れないから、底知れないから、不安になるとか疑惑を抱くとかそういう感覚ではない。親しくとも、知る事の出来ない濃い影を持ち、触れる事の出来ない深い闇を潜ませ、重ねる毎に孤独になっていくのではないかと考えると寂しさに似た感情が湧く。峨々として迫るような圧倒的な存在感が、更に遠い人のように感じさせる。

 「俺は、俺に出来ることしか出来ない。それでも、それが二人を救済する一助になればと思っている。二人がどう思おうとて、俺は俺の精一杯で戦っていく。」

転生システムの破壊は、転生者を二度と転生させない事。つまり遠まわしに殺す事。親しい人を、殺す事。恭がそこに何の感慨も抱かない訳ではない。痛みを覚えない訳ではない。けれど、転生者とどれだけ心を通わせたとしても、それはほんの一面的な関わりだとしたら、それは転生者にとっては百代の過客に過ぎないのかも知れない。

 恭が見上げる山々は、厳しく、そして優しい。

 「…恭くん、俺達は転生システムに何のリスクが無いかて破壊を望む。それは、この生が理不尽やからや。この苦しみも喜びも全ては本来この魂を持った別の人間が送るはずの生やったはず。それを横取りしとる、泥棒みたいなもんや。他人から命を奪って生きる俺達は、間違うとる。時や、しくみや、政や、人の縁、多くを歪めてしもうとる。地龍武士として世の中を守るつもりが、俺達の存在そのものが秩序を乱しとる。」

 「転生システムは間違いなく最大の禁術だ。俺達はそれから生み出された討伐対象物。俺達は地龍の武士として、それを討伐すると決めたんだ。それが俺達のプライドだよ。」

恭を見る二人の目は、恭の到達し得ない悟りの眼差し。一体どれだけの経験をし、そこから何を学べば得る事の出来る境地なのだろうか。

 「恭は難しく考える事はない。地龍はバランスを管理する機関だ。その長として、やるべきことをやればいい。それが俺達の望みだよ。」

義平の声は導き手のような深みで恭を諭す。恭はただそれを子供のように享受しているだけ。今はまだ。

 いつか失うその先導者達を、越えなければならない。

 恭はその果てしなく高い山を見上げた。



 正月ムードも収束しつつある一月後半のその夜は特に気温が低く、幸衡(ゆきひら)の住む寮の部屋のカーテンの隙間から見える夜空の星がいつもより明るく見えた。時刻は既に日付をまたごうとしていたが、部屋の灯りがついている。ここの所毎日のように、深夜まで消える事がない。

 「あきら、あまり根を詰めるな。」

 座っているあきらの後ろからそっとホットミルクを差し出す幸衡の言葉に、あきらは反応を示さず、ひたすら鉛筆を動かしている。テーブルの上には紙がちらかり電気スタンドのスイッチが埋まってしまっている。幸衡は強引に紙をどかしカップを置いた。それから、しばらくあきらを見下ろしたが、完全に集中しているあきらは幸衡の存在にも気がつかないようだ。

 幸衡は特にあきらに声をかけるでもなく、テーブルの上に散らかった紙を手にとって見た。それは殴り書きの術式だった。まるで計算練習でもしているかのように、どの紙にもぎっしりと書いてあった。幸衡は既視感を覚えた。恭もしばしば何かに取りつかれたように術式を構築し始める。書いては捨て、散らかし放題にばらまいて、気が済むまでには相当な時間を要する。知将(ともまさ)のマンションに一緒に住んでいた頃は、それを片付けるのは幸衡の仕事だった。懐かしく思いながら、幸衡はあきらの散らかした紙をまとめ始めた。まとめつつ、中身を解読しよう試みたが数枚で諦めた。

 そうして三十分ほど経った頃、あきらがようやく持っていた鉛筆を止め、吐く息と共に声を出した。

 「もうこれはあきらじゃ無理だね。」

弱音や諦めと言うよりは開き直りのような、さっぱりとした言い方だった。

 「とりあえず休め。」

幸衡は冷めたミルクのカップを持ってキッチンに消えて行った。あきらは椅子で伸びをしつつ沿った体勢のまま逆さになった幸衡の後姿を見送った。

 あきらが必死に考え続けているのは、祥子の呪を解く方法だ。祥子にかけられた呪が、祥子の記憶を書き換えている事に気付いてから、既にかなりの時が経過してしまっていた。急がなければ、と思っているのだが、高度な術であるが故にその解明は困難だ。

 「あきらに出来ぬとなれば、もはや呪を解く事自体諦める他あるまい。その線は捨て、別の方向から攻める事を考えるべきだろう。」

キッチンで再びミルクを火にかけながら言う幸衡に、のろのろと近づいて来たあきらは挑発的に訊いた。

 「幸くん、人海戦術というものを知っているかい?あきらに、幸くんの人脈を貸してほしいな。」

 「何を言う、この件をごくごく内密にするべきだと言ったのは、あきだろう?この件で使える連絡網は少ない。それを人海戦術とは呼ばぬ。」

奥州という大きな派閥のみならず、『昼』の政界にまでも力を持つ比企家のラインまでも手に入れた幸衡は、どのような人脈も使い放題だ。けれど、祥子の呪については極秘裏に進めるべき、あきらとさやかで担当する、そう決めたのはあきらだ。そもそも転生システムに関わる件を知るのは地龍内でもトップクラスの一握りのみだ。動員数は組織全体の中では僅かと呼ぶ程度だ。いかなる人脈を持とうとも、使えるのは限られている。

 「いやいや、そんな物騒な人脈じゃないさ。」

あきらがキッチンカウンター越しに幸衡を見ると、幸衡はバーのマスターのように温め直したミルクを差し出した。カップにそっと口をつけるあきらを眺めつつ幸衡は訊いた。

 「呪いを解く、などという類の仕事に役立つような人材は、祥子様本人とあき以上にいないと思うが?」

 「いや、だからこそだよ。これはあきら達専門分野だけで考えていても駄目なのさ。この呪をつくった人、九条兼実公だったね?その人の知識量は多岐に渡ってるのさ。あきらが知らない事が沢山詰まってる。」

 「では、呼んで欲しいのは別の分野の専門家という事か?」

 「そーゆーこと。」

 「…で、誰を?」

あきらは飲みほしたカップをカウンターに置いてから言った。

 「千くんと、仁美ちゃんに協力してほしいのさ。」

 「千之助くんと、畠山の姫君?」

意外な人物だった。それは幸衡の持つコネではなく、本当の人脈だ。友の助力を請う事。

 「地龍きっての記憶能力者と、地龍唯一の霊師、さ。」

 「記憶と精神を司る最も優れた術者という訳か。その二人がいれば、呪いは解けるのか?」

 「多分ね。最悪解けなくても、九条様お目当ての記憶は手に入れてみせるよ。」

あきらはにやりと笑って見せた。

 「…分かった。すぐに連絡を取ろう。」

幸衡は携帯端末を手に取った。連絡するには時刻が常識的ではないが、処理班主任の千之助ならば問題なく活動時間中だろう。仁美は翌朝晋経由で話をつけようと考えた。

 「それより何より、まずは恭くんだな。」

幸衡はまず恭の電話を鳴らした。



 義平はやけに冷え込む夜の廊下を早足で過ぎると、恭の仕事部屋にすべり込んだ。部屋に冷気が入らないようにすぐに戸を閉めたが、その気使いは伝わりそうになかった。恭は文机に頬杖をついて眠っていた。既に就寝していて良い時間だ。無理もない。そういう義平自身も、その日鎌倉七口の特別任務が無ければ眠っていただろう。

義平は報告書をそっと置くと、恭の寝顔をじっと見た。起こさないように前髪を中央から左右に分けると、その顔は貴也にそっくりだった。

 息を飲んだ。その性格の差故か似ていると言うものは殆ど居なかったが、元々顔の造形は瓜二つだったのだ。そしてその顔は、かつての地龍当主であった人物を彷彿とさせた。恭からすれば大昔の御先祖様にあたる男。義平にとっては、友だった。

 義平が遠い記憶に引っ張られるように思いを馳せようとした時だった。恭の電話が鳴り、目を覚ました恭が勢いよく頬杖から顎を落とした。

 「わっ…義平さん…。」

寝ぼけた反射か棒読みで驚きを口にした恭に、義平は鳴りっぱなしの電話を渡し部屋を後にした。背中から電話に出た恭の声がした。相手は幸衡らしいと察しながら戸を閉めた。勿論冷気が入らないように素早く閉めた。

 廊下から見上げる空は、まだ電気が無かった頃の美しい星空を思い出させる。

 元来前だけを見て進む性格の義平は無為に過去を懐かしむ習慣などない。けれど、無性にどうしても思い出してしまった。一度断片を見てしまったそれは、とめどなく多くを引きずり出すように溢れた。

 「俺の人生は最悪だったな。」

つぶやいた言葉が白い息となって見えた時、それは戦場に充満する土埃のように見えた。

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