23 丹誠の事
さくらにふられた義将は、数日後何故か大人たちに囲まれていた。
幸衡の部屋には、多くの料理と酒が並んでいた。見回すと、幸衡・毘沙門・春家・千之助・晋・恭がいた。
「何なの、これ?」
義将が怪しむと、毘沙門がジュースの入ったコップを押し付けつつ言った。
「義将の恋愛を応援する会、ですよ。」
「この度、見事に義将くんが玉砕したとの知らせを受け、急遽集まった次第だ。」
幸衡が丁寧に説明をした。その隣で、既に議題を逸した酔っ払いとなった春家と、それに迷惑そうにからまれる千之助がいた。
「ってか、何で晋兄と恭兄まで…。」
この大人達には過去幾度となく義将の恋愛を酒の肴にされて来た。応援と言う名の冷やかしだ。けれど、恭と晋は初めてだった。
「いやいや、義将を励まそうと思って。」
「ああ。今後の対策と傾向について、朝まで話し合うつもりで来た。」
目的が噛み合っていない二人に、義将は結局お節介かとばかりに嘆息した。
「で?義将ちゃんは何でふられちゃったの?」
「そうですよ。義将さんのどんな所が駄目だったんでしょう?」
酔った春家と千之助の問いに、義将は困ったように肩をすくめた。
「…それは、良く分かりません。もしかしたら、和田家の名前が悪いのかも知れません。」
さくらにとって、和田家は大きすぎる名前。その重責がさくらを敬遠させたのかも知れない。それでなければ、単純に好みではない事の言い訳だろうか。
「何だそれは。それでは対策が立てられないではないか。」
「そうですね。しかし、もし本当にそれだけならば、義将にもまだ勝機はあるかも知れません。」
「何で?」
「そりゃあ、人間性が問題な訳じゃないからじゃん?」
「…しかし、義将殿はあらゆる柵を抜きにして、純粋に好意を告げたのだろう?それに対し、心で返さぬは不誠実ではないだろうか。さくららしくもない。」
恭が首をひねった。けれど晋はその横顔を目を細めて見た。
「ど〜こが。恭はあの『波形』に騙されてるだけだって。本当、綺麗な『波形』見ると盲目になっちゃうんだから。彼女はただの、普通の、平凡な女の子でしょうが。かいかぶるだけ酷ってもんでしょ。」
「ちょっと、晋兄。晋兄がさくらちゃんを好きじゃないのは仕方ないよ。でも俺の前で悪口とか言わないでよ。さくらちゃんは優しくて、強いんだ。解ってないのは晋兄の方だよ。」
義将が珍しく晋に反論すると、黙ったまま恭も晋を見た。
二人に責められるような形となった晋を庇うように、毘沙門は言った。
「優しさ、ですか。それを携えて戦う事は茨の道です。強さと優しさは比例もすれば、反比例もする。定義は持つ者のみが知るものですからね。義将が彼女に優しさを見たならば、それは弱さ、である事もありますよ。」
義将は眼の中で光を揺らした。義将の動揺をよそに、恭は揺るがない価値観で呟いた。
「然り。しかしあの『波形』を構築する要素ならば、それは尊いのだ。」
「恭くんが言うのならば、支持しよう。」
謎の忠臣ぶりで恭の意味不明な理論を擁護する幸衡は、おそらく本題を見失っているか興味を失っているのだろう。
「義将があの子を強いと思ってても、人には弱さもあるよ。義将があの子に強さを求める限り、あの子は義将の前で弱さを曝せない。義将があの子を好きだっていうなら、弱い所を知ってやりな。」
困り果てている義将に、晋はあまりその気もなさそうに言葉を紡いだ。声はテキトーだが、言葉は本心のつもりだ。それでも素直に感情を伝えなかったのは、晋がさくらを快く思ってはいないからだった。
それから更に数日が経過し、義将は相変わらずの忙しさにかまけてすっかり傷心を忘れたように見えた。
けれど晋がたまに見かける義将は、どことなくスッキリしていなかった。
それはそうだろう。ふられた理由が釈然としないのだから、ふっきりようがない。
晋は仁美に緑茶を入れながら言った。
季節は既に冬になっており、緑茶からは熱そうに湯気が出ていた。猫舌の仁美は、そう熱くない湯呑に息を吹きかけ緑茶を冷ましながら晋の様子を窺っていた。
「ねぇ、ひぃさん。俺、今すげー嫌な奴だと思う。」
「へ?」
出された緑茶に口をつけようとした仁美は、唐突な言葉に訊き返す事しか出来なかった。
「だって超いじわるな気分だもん。」
義将とさくらの恋愛には極力関わらずに来た。他人の恋愛に口を出すべきではないからだ。けれど今は、ものすごくその信条に反したい衝動がある。
「あら、まぁ。けれど晋さん、それは普通の事かも知れませんわ。いかに善行に身を捧げようとも万民の支持は得られないものですもの。誰かに愛され、また誰かに嫌われる。皆同じです。」
「ひぃさんも?」
「ええ。私もたまにとってもいじわるな気持ちになりますのよ。人の悪意など呼吸するように自然と生まれるものです。私が何をしてもしなくても嫌う人はいるのですわ。」
仁美はすべてを受け入れているように語った。それもまた、自然の循環の一部なのかも知れない。
「成程ね。それは俺が世界中から嫌われても、ひぃさんは好きでいてくれるって事…かな?」
「…晋さん。それは愚問と言うものですわ。」
仁美は、今世界の道理がひっくり返っても、それだけは変わり得ないのだと自信を持って笑った。その笑みに、晋はあっさりと降伏した。
「じゃあ、安心して嫌な奴になってくるわ。」
晋は決意して緑茶を飲み干した。
水曜日の午前中の訓練場は義将の班の貸し切りだった。自主訓練の時は、さくらはいつも訓練場で弓を引く。義将をはじめ仲間達は殆ど此処を使わない。それぞれが個々で秘密の特訓をする事が多い。隊内と言えど、皆ライバルであるため、特訓中の技をあまり見せたがらない。より強くなって実戦で成果を挙げ、他者を出し抜くためには、そうするしかないのだ。
さくらが冬の冷気と静寂を切り取ったような訓練場へ入ると、そこには細長い人影があった。
「矢集くん…?」
訓練場は広い道場のような作りだ。直嗣が弓の訓練用に多少手を加えさせ、壁側に人型の的が立てられていた。その的を狙う立ち位置、さくらがいつも立つそこに、矢集晋が立っていた。
晋の手にはさくらの弓があった。晋は弦のない背だけの弓を、ゆっくりと構えた。普段刀を使っている晋が弓を構える姿は、おそらく珍しいのだろう。刀を振るう時の晋は我流まるだしの構えだ。けれど弓はどこかで嗜んだのだろう、背筋の伸びた美しいフォームだった。そしてさくらがその姿に目を奪われている内に出現した弦から、矢がまっすぐに的に向かって放たれた。風を切る鋭利な音と共に矢は的の中央に当たり、そして消えた。
「…それ…。」
さくらは自身と直嗣以外のこの技を初めて見た。隊内でも使える者はいない。そのおかげで隊員達にとって血統も性別も目障りなさくらの地位は保たれているようなものだ。
「簡単だよ、この程度の術は。造作もない。」
晋はさくらを見た。無表情。けれど目には力があった。
初めて会った時と同じ、嫌悪だ。
晋は初対面からさくらを嫌悪していた。そしてそれを隠しもせず、刺すような視線を送って来る。苦手だった。一方的に嫌われ、はっきりとそれを突きつけて来る相手を、好きになれと言う方が無理がある。さくらは晋の視線に気圧され肩をすくめて言った。
「…そう、ですか。」
「七口の小隊の中にも色々ある。道白さんとこみたいに上級クラスの精鋭達を取り揃えてるんなら分かる。けど、直さんの目的は石ころを磨いてダイヤにする事だ。石ころの部隊なんて、大した事はない。この程度の術使えるくらいで良い気になってたら、死ぬよ?お前。」
見下す目。まるで虫けらを見るような目に、今ここでひねり殺されるような気がして身がすくんだ。
「良い気になんて…。」
「そう?でもお前の切り札なんだろ?…しょぼ。」
吐き捨てるように言うと、晋は再び弓を構えた。俯いた首をそっと持ち上げると、前髪の隙間から晋の美しいフォームが目に入った。そして構えた手に現れたのは、黒い芯に鈍く赤い光を纏った二本の矢だった。
―――二本同時に射るの?
さくらは晋への恐怖を忘れ食い入るように見た。
晋が同時に放った二本の矢は、一本が先んじて走りより重い音を立てて的に刺さった。その後を追った矢がすぐ隣に刺さった瞬間に、爆発音と共に的が燃え始めた。
さくらは呆然として的を燃やす炎を目に映していた。
一度に複数の矢を射る事も、矢で的を射る以外の事も、さくらは考えたことがなかった。
さくらが呆気にとられていると、晋がもう一度弓を構え射た。今度は一本の軽い音の矢だった。それは燃え上がる炎の中に入ると、内側からパキパキと音を立てながら全体を凍らせていった。見ている内に、そこには凍った燃えカスだけが残った。
「…凄い。」
さくらの口からは息を吐くように言葉が漏れた。感嘆、でありながら恐怖を感じた。今までの自分とは違う。圧倒的な力の差、そして本質の差だ。
晋の矢は、殺す事を目的とした破壊の矢、殺意を体現した攻撃の矢だ。これが戦う事ならば、さくらが今までやってきた事は、違う。絶対に、全くの、別物だ。
「切り札って言うなら、せめてこれくらいは出来ないと。」
晋が弓をさくらへ向かって放った。さくらは反射で受け止めたが、弓はいつもよりずしりと重く感じた。今までは女の筋力でも使えるようにと軽い弓だった。けれど今渡されたこれは何だ。まるで鉄だ。
―――何で…プレッシャー?
「…分かったか?お前がやってるのはままごとだよ。戦争ごっこだ。」
さくらの弓を持つ手が震えた。
―――恐い。
今までこれほど胸にせまる恐怖を感じた事があっただろうか。『夜』と戦う時すら、さくらはこれほどまでに恐れなかった。
「お前は変わらないな。」
晋の言葉は、幾度となく言われてきた言葉と同じ記号だが、中身が全く違っていた。
「俺はお前のそういう所が大嫌いだよ。いつもへらへらとマイペースに振舞って、誰からの何からにも汚されない。揺らがない。」
「…それは…恭くんと約束したから…。」
さくらのか細い声を、晋が鼻で笑った。
「恭、恭ね。本当気に入らないわ。マジで何なのお前。恭の事はさっさと諦めろよ、往生際が悪いな。中途半端にいつまでも恭の事を好きでい続ける事が、お前の約束なの?」
「違う!そんなんじゃない。私はとっくに…静ちゃんの事も好きだし、誉ちゃんだって可愛いもん。恭くんの事は憧れで、別に…。」
「へぇ、憧れ?ふぅん。お前はそんなお綺麗なもんを抱いて戦ってんだ?だから平気な顔して綺麗な『波形』のままでいられるんだ?自分は正しい?誰かのためになってる?別に誰かに認められて取り立てられる事なんて興味がない?いつまでも清いままで、憧れの人を胸に抱いたままで、生易しい矢を射る訳だ。」
晋の言葉はまるで無数の矢のようにさくらへ向かってくる。さくらはただ傷付くことしか出来ないで、勝手に沸き上がってくる涙をこらえながら絞り出した。
「何で…そんな酷い事言うの?私の事が嫌いなら、放っておいてよ。」
勝手にいつまでも恭に憧れるくらい、さくらの自由だし、弱いままで戦って死んでも晋には関係のない事だと思った。けれど、これ以上言葉を紡げば涙がこぼれてしまいそうで、仕方なく唇を噛んだ。
「は?目障りだからに決まってんじゃん。」
晋の容赦の無い言葉は、更にさくらを追いつめた。晋は遠慮なくさくらの目の前まで近づくと、さくらの震える手が持つ弓に手をかけた。
「さっきから弓が重そうだね?それ、お前の弓だろ?そんなんで戦えんの?」
晋の手を振りほどくように身をよじり、その反動で数歩後退りをすると、弓の重さでバランスを崩し尻もちをついた。晋はその様子をただ見下ろしていた。無表情のまま、射るような嫌悪の眼差しで。
「それが本来の重さだろ。」
「…え?」
見上げたさくらの目からは涙が零れた。
「それは殺すための武器だ。それで守れるものは確かにあるだろう。けど、それは何かを奪って得るものだ。甘えるなよ。ここは地龍だ。『昼』とは違う。『昼』のぬるま湯が忘れられないならとっとと戦場から消えろ。ここは強さが正義だ。強ければ上に立ち、多くを得る。お前が何もいらないと思ってるなら教えておいてやる。変わらない事もまた、強くなければ得られない望みだ。」
さくらの涙が弓を持つ手に落ちた。
「お前は変化に目をつぶっているだけの卑怯者だ。俺は甘えた奴が大嫌いだ。今やお前の御自慢の『波形』は弱者の証。お前が気付かないだけで多くが刻一刻と変化している。そしてお前以外の誰もが変化を望んでる。」
晋の言葉が降ってくる。これ以上にない程の重さ。痛み。苦しみ。
「強くなりたい。それが武士の本能だろうが。それが無いならお前は武士じゃない。甘えたまま弓を引く事は、守ることじゃない。周りの迷惑だ。」
―――強くなりたい。
さくらもそう望んだはずだ。だからこそ、地龍の一員となった時、努力をしようと決めた。恭と再び会うために。恭の好きだったこの『波形』のままで。
さくらが望んだのは、変わることと、変わらないこと。
「私だって…強く、なりたかった。」
さくらの声は涙で震え、はっきりとした形にはならなかった。
「なら弓を持て。」
さくらの体は震えた。
「その弓の重さを受け止めろ。」
弓は殺す力。晋の圧倒的な殺すための力を思い出すと、弓の重さはさくらには過ぎるように思われてしまう。
「それが責任だろうが!」
静かな訓練場に、晋の怒号が響いた。
「多田さくら!お前の責任だ。お前がその弓で殺した瞬間から、お前は以前のお前じゃない。殺す度にその手は汚れ、そして評価される。お前が名乗ると決めたその名前は、一度地に落ちボロボロにされたものだ。それを名乗る事は、背負う事だろ。ただの良心や、生半可な孝行のつもりでどうして背負える?その名は多くの人生そのものだ。先祖が苦悩し戦い繁栄させ、そして失墜した。一度は捨ててしまうしかない程の汚名となったその名に、お前のじいさんは未練を残した。そして今はお前の人生を刻みつける番だ。お前の生き様そのものが、その名の評価に繋がる。それが、お前の責任だろうが。」
―――責任。
「その責任を他人事だって言うなら、お前は地龍の武士たる資格がない。名前も弓も捨てて、ぬるま湯で溺れて死ね。」
さくらは義将を思い出した。
義将の真っ直ぐな愛情から、さくらは逃げた。義将のためだと言って、逃げたのだ。
義将は和田家の嫡子で、さくらとは釣り合わない。その事を言い訳にしたのだ。
義将には、さくらにない責任があるから、そう言った。さくらには、責任がないのだと、勝手に棚に上げて義将を遠ざけた。
ずっと現実感が無かった。ずっと、どこか他人事のような気がしていた。戦う事も、名前で誹られる事も、また評価される事も、何もかも現実感の無い幻のようだった。多くの仲間が必死になっている事の意味も、まったく自分とは関係がないと思っていた。いつまでも、『昼』から来たお客さんのような気持ちで、出世競争も家名の序列も自分は関係ないのだと思っていた。
もうとっくにその渦中に立っていたのだとも気付かずに。
なんて愚かなのだろう。
さくらが変わらない事を多くの人が褒めた。それが正しいのだと、長所だと、美徳だとすら思っていた。優しいままで、他人を想う穏やかな気持ちのままで、泥まみれで這いあがる仲間達と違って自分だけは綺麗なままでいられると、心のどこかで勝手に思っていた。だって自分には関係ないから、と。
「変わらないなんて…嘘だったの?」
さくらが零した悲しみに、晋の静かな声が重なった。
「嘘じゃない。」
大嫌い、消えろ、死ね、と罵詈雑言を叩きつけたその直後とは思えぬ、静寂に溶けるような優しい声だった。
「変化は不可避だ。けど。変わらないものもある。お前が、お前の中の変わらないものを守れるかどうかは、お前次第だ。目を、そらすな。」
晋の声が訓練場の神聖な空気に溶けて消えると、さくらを残して静かに去って行った。
さくらが弓を握りしめたまま、ぶつけられた痛みに耐えていると、空気の読めない明るい声が入って来た。
「あれ、何あれ凄い!どうやったの?矢でやったの?」
普段来ない義将が晋が射た凍った的を見て興奮しながら近付いて来た。
「私じゃない。矢集くんが…。」
泣いている事を気取られないように顔を背け、素気なく答えた。この訓練場で会うのは義将の想いを断って以来だ。正直義将が進んでここへ来る事はなくなると踏んでいた。けれどあの後も義将の態度は変わらなかった。相変わらず明るく元気でまっすぐだ。
「えっ!晋兄ちゃんが?凄い!格好良いな〜。俺も教えて欲しいな〜。」
「…別に教わった訳じゃ…私は見てただけで…。」
勘違いしている様子の義将に、さくらは苛立ちを覚えた。唐突に罵倒されただけだ。指南を受けていた訳じゃない。けれど全てを打ち明けるのは泣きついたみたいで癪だった。義将は一瞬、じっとさくらを見つめていたようだったが、さくらの様子については何も言及せず続けた。
「さくらちゃんは知らないだろうけど、ここは、直さんの作った亀ヶ谷小隊は特別なんだ。直さんは若者の育成を掲げてるから丁寧に教えてくれるし、さくらちゃんにとってはそれが当たり前だと思うと思うけど、余所じゃそんな事ありえないんだよ。道場の門下生とか誰かの弟子にでもならない限り、誰も教えてくれない。部隊での研鑽は自分でするしかないんだよ。技は現場で盗むもので、こんな風に見せるなんてありえないんだ。貴重な事だよ。」
義将の声からは真剣な重みがあった。和田家嫡男だからと言って決して楽をしてきた訳じゃない。叩き上げの武士である義将にとって、自分をどう磨くかは今後の人生をどう生きるかと言う事そのものだ。
「でも…矢集くんはただ私との実力差を見せつけたかっただけで…。」
どうだ、こんな事も出来ないのか、クズ。そう言われた気がした。
「そりゃあ、晋兄ちゃん強いもん。俺だっていつもけちょんけちょんにのされてボロクソ言われてるし。でも実力差があるから憧れるんだよ。ってか、晋兄ちゃんとの実力差に落ち込んでるの?それって凄いよ。さくらちゃんも案外自意識過剰だよねぇ。」
義将が面白そうに笑うのを、完全に馬鹿にされたのだと思って腹が立った。
「そんな事っ!」
「俺さ前に直さんに晋兄ちゃんと戦ったらどっちが強いですか?って訊いたんだよ。」
さくらにとって直嗣は雲の上の存在だ。鎌倉七口は武士としてある種の到達点であると聴いた。憧れのゴール地点。そんな頂に立つ直嗣は、地龍の中でもトップクラスの人間だと思っていた。だから、恭の側近というよく分からない地位の晋と天秤にかける事自体が疑問だ。
「そしたら、試合なら一矢報いる可能性はあるけど、殺し合いで勝てる気がしないってさ。」
「うそ…。」
さくらの素直な驚きに、義将は微笑みを返してから言った。
「俺もまだ人の実力を測れる程強くないけどさ、多分、晋兄ちゃんは地龍で一番とか二番くらいに強い人なんじゃないかなぁ。」
義将の大胆な推測にさくらは呆然とするしかなかった。
「だからさ、何にしても、その技を見れるって事は凄い価値があるんだよ。」
満面の笑みを向ける無邪気な義将を見て、さくらは胸が痛んだ。
そんなさくらの心境など全く知らない義将の明るさは、さくらには辛いだけだ。
「お手本なんて俺がどんなに頼んでもやってくれないしさぁ、術の構築だって基本自分でやらなきゃ意味がないってヒントくれるだけだもん。こんな風にスゴ技見せてくれるなんて超ラッキーだよ。特別出血大サービスだよ。良いな〜、俺も見たかったなぁ。どこかしら絶対盗んで使えるようになりたいなぁ。」
義将が心の底から悔しそうにしているのを見て、さくらの口は勝手に動いていた。
「凄いね。どんな時でも強くなる事に一生懸命なんだね。」
「そりゃあ、そうだよ。強くなきゃ欲しいものは手に入らないもん。俺の父さんが『昼』の人間だった母さんと結婚出来たのだって、父さんが強かったからだし。本当なら何が何でもぶち壊されてたんだって。でも父さんは強くて、誰もが認める和田家嫡男だったから、形だけの勘当で、家を追い出されるだけで済んだんだって。今でこそちょっとアレだけど、俺は父さんみたいに強くなるって決めてるんだ。」
純真な眼差しが眩しかった。
「さくらちゃんは、俺がさくらちゃんを好きになる事で俺の道が歪むって言ったけど、俺はそんなに弱くないよ。好きな人を守れる強い男になるよ。だから、そんな風に心配しなくて良いよ。って、ふられたのに未練がましいか。」
笑う義将が辛かった。
晋の言う通り、無責任なのはさくらの方だった。
晋の言葉がどれだけ的を得ていても、さくらの中に反発する気持ちはあって、傷付いた悲しみを怒りに還元してしまおうという力が働いた。
―――私の事をよく知りもしない人に好き勝手言われる筋合い無い。
ぎゅっと弓を握ると、昨日まで相棒だったその感触がまるで知らないもののような冷たさと、重みがあった。
「よく知りもしない…のは私の方だ。」
さくらは自身の弓でさえ、よく知らなかった。その矢の意味を知らず、ただ弓を引いていた。無責任で、軽薄な矢。
「直くんに誘われて、ここへ来て、恭くんに会えて、友達もたくさん出来て、優しくて、楽しくて、私、ずっとこのままでいたいって思ってた。温かくて穏やかな日々の中で、停滞した時間の中で、ぼんやり過ごしたいって思ってた。」
現実感のない地龍の世界。その中で得た喜び。さくらはただこのままの安定と安住を求めたのだ。
「皆は強くなりたくて、一生懸命で、変わりたくて、もがいて足掻いて。このまま変わりたくない私とは違ってて、他人事で、別の世界の話みたいに、思ってて…。」
勝手に別の世界の人になっていたのはさくら自身だ。
「皆と一緒にいたいなら、私も皆と一緒に強くならなきゃ置いていかれちゃうのに、そんな事にも気が付かなくて、ただ凡庸とした自分のままで満足してた。」
さくらは、ゆっくりと立ち上がると、弓を構えた。
涙を拭いて、しっかりと的を狙った。術で作り上げた一本の矢に想いを込めて放つと、矢は晋の作った氷の塊に刺さり相殺して消えた。
今までさくらの放った矢の中で、最も強い矢だった。
「ごめんね、義将くん。私、良く知りもしないで勝手な事を言った。義将くん達と同じように、私にも責任はあったんだよね。私にもう一度、ちゃんと考えさせて欲しい。ちゃんと、地に足付けて自分と向き合うから、そうしたら答えるから、それまで…ううん。待ってなくても良いの。ただ私の答えはきちんと伝えるから。聴いて欲しい。」
さくらの言葉に、義将は普段通りの自然な笑顔で答えた。
「うん。ありがとう。」
訓練場の外で中の様子を窺っている晋の背に、恭が声をかけた。
「損な役回りだな。」
晋が振り返りながら言った。
「そういうのは慣れてるし。」
晋の予定に義将の登場はなかった。恭の仕業か、と納得すると「お互いおせっかいだね〜。」と笑った。恭は義将に結論を出す機会だと無闇に背中を押してしまった事を悔いており、何とかしたいと思ったと言った。図らずも同じタイミングだった事にはお互い長年の付き合いが生んだシンクロニシティーだと少し感動した。
中の様子が落ち付いたようなので晋は恭と並んで訓練場を離れ始めた。
「それに俺、あの子が気に入らないのは本当だし。」
晋の言葉に、恭が怪訝な目を向けた。恭にしてみれば、晋があえてさくらを嫌う理由がまったく見当もつかない。疑問符を浮かべたままの恭に、晋は冗談めいて言った。
「俺以上に恭を好きな奴がいる訳がない。勘違い女は排除しないとな。」
恭は晋の肩に強めに拳をぶつけた。晋はよろけながらケラケラと笑っていたが、よく考えると初対面で静を殺そうとした過去もあり、まんざら冗談でもないのかも知れないと思うに至り複雑な心境になった。
「お前、意外と恐い奴だな。」
「俺ちゃん結構嫉妬深いのだ!」
笑う晋の意外な一面を見た気がしたが、恭も自身に置き換えてみれば晋が別の相手を主人とする可能性が浮上した場合、とても平静ではいられないだろうと思った。しかし、それはあり得ない想像だと、一瞬で考えるのを止めた。
「でも良いの?俺相当虐めちゃったから、結果おうち帰っちゃうかもよ?見てて止めなかったなら、恭も同罪だけどね。」
「ふん。お前はさくらの『波形』を甘く見ているようだな。あれは曲げんさ。否、曲げられない性分なのだ。あれ程頑固な『波形』は他にないのだからな。」
「『波形』『波形』って、すぐ『波形』フェチが始まるんだから。」
そうは言っても『波形』はその人そのものだ。ただ形や色を愛でているのではない。恭は正真正銘、本物の『波形』好きなのだ。『波形』を愛する事は、それを構築する全てを愛していると言う事。恭が認めた『波形』が間違うはずがない。さくらも、そして義将も、恭が認めた間違いない『波形』なのだ。
「『波形』は嘘をつかない。その証明にお前の思考を言い当ててやろう。晋お前今いやらしい事考えただろ?」
「は?考えないよ。考えないし、こんなタイミングでいやらしい事考える人いないし。そんなの恭くらいだし。」
「嘘をつくな。俺には分かる。」
「馬鹿じゃないの?そんな手にのらないし。子供だましだし。」
「実際子供の頃はひっかかってたろ。」
「本当性格悪いよね。」
「お前には負ける。」
「飼い主に似るんだよ。」
「吠えるな駄犬。」
二人はくだらない言い合いに無性に沸き上がってくる笑いをこぼしながら帰路についた。
「あ〜あ、義将も案外世話がやけるんだから。もう勘弁だよ。」
「何を他人事みたいに。俺にとっては晋も世話がやけるんだが。婚約したならもっとしっかりするべきだろ。」
「ちょっと、此処で小言?」
嫌そうに文句を言いかけた晋が、何かを思い出したように一旦黙った。恭はその横顔を視界の隅に捕えたまま、晋が言葉を口にするのを待っていた。
「俺なりにしっかり、しようと思ってさ。考えてる事ある。」
「…何?」
「あの家さ、矢集の家。建て直して、今の部屋を出ようと思う。」
晋が決意を表明するように一つ一つの言葉をじっくりと紡ぎ出した。
「仁美殿と一緒に住むのか?」
「…や、それはまだ、あれだけど。将来的には、ね。」
晋の口から初めて出た将来設計。矢集の宿命ではなく、晋個人としての希望ある未来の話。恭は不覚にも泣きそうになったが、悔しいので暫くの無言で耐えた。恭がずっと、与えたくて与えられなかった晋の余白の部分。矢集ではない、パーソナルな部分を満たしてくれた仁美と言う存在に、恭は心の底から感謝した。
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