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7 琴の事

 俺はどれだけ報いることができているだろう。

貴也の思考に強迫観念のようにこびりついて苛み続ける問いは、琴を失ってから一層増したようだった。



 秋が深まったある日、貴也は『龍の爪』の新規メンバーとして二人の男を連れてきた。

 一人は菊池(きくち)(さね)(ちか)。鎌倉七口の朝比奈(あさひな)切り通しの守護と兼任での就任だった。まだ若いが腕が立ち、何よりその野心たるや猪突猛進の如き凄まじさで周囲を圧倒していた。家柄は中流の一般武士だが、その野心によって血へどを吐く程の努力をし成り上がってきた。地龍組織のヒエラルキーが価値観の全てを占め、自らをより高い地位へ上げることしか頭にないと噂されていた。そのピラミッドの頂点たる地龍当主を絶対的に崇めており、忠誠というよりは狂信的で貴也本人も引く程だった。その代わりと言っては何だが、自身より低い身分の者は人とすら認識していない振る舞いをする。この自己中心的で排他的偏執的な男をスカウトすることは紹介した義平でさえ躊躇したが、貴也は「何とかなるだろ。」とあっけらかんとした態度であっさり徴用してしまった。

 それぞれのメンバーも仕事があり、全員そろっての顔合わせは後日となってしまったため、行動中に会える場面場面での挨拶が先となっていた。そしてその時はたまたま実親が一人で屋敷を歩いている所だった。広い中庭の様な開けた場所で、恭と晋が刀を振り、小鳥遊が何か言っている所だった。

 「失礼致します。私、この度七口及び『龍の爪』への就任となりました菊池実親と申します。以後よろしくお願いいたします。」

実親が恭へ丁寧に挨拶をすると、恭は無表情で一礼した。

 「兄からきいています。私は弟の恭。こちらは長老会付監視役の小鳥遊殿、側近の矢集です。」

恭の言葉に実親が眉を寄せ晋を軽蔑しきった態度で訊いた。

 「矢集が何故地龍本家の近くにいる?」

実親にとって神にも等しい当主貴也が実親を認めたということが全ての肯定だと信じて疑わなかったためか、自身の努力の結果が地龍最強の部隊への入隊と相成ったことを完全に鼻にかけており、かつての友や親類さえ自分以下のゴミだとでも言わんばかりの悪態をつきまくっていた。そんな実親にとって矢集という家は地龍組織の最下層にいる最低ランクの武士であり、自分が同じ空気を吸っていることすら嫌悪感を抱く程だった。

 「お許しを頂いております故…。」

晋は目を見ないよう顔を伏せ、刺激しないよう穏やかに返した。恭は晋をじっと見つめたまま動かなかった。

 「それは御当主様の寛大なご慈悲だろうが。お前の立場であれば謹んで辞退すべき所。分をわきまえよ。」

実親は長すぎる前髪の奥の猫のような鋭い目を細めて更に糾弾し続けたが、晋は冷静に頭を下げるだけだった。

 「未熟者故気が付きませんでした。」

 「ご慈悲を真に受けるなど自惚れが過ぎる。下賤の身の上を自覚し慎ましく生きよ。」

 「ご指摘ごもっともにございます。」

 「随分大人しいな。敵も味方も判断のつかぬ単細胞で近付く者には牙をむき襲いかかって来る猛獣だと噂されていたが、これでは猛獣の名が泣くな。」

 「俺は既に恭様のもの。恭様の御許しが無くば離れる事も死ぬ事もかないませぬ。故に貴方様に襲いかかる事も出来ませぬ。」

 「ほう。恭様、このような血に塗れた汚い野獣を飼うなど、貴方様の品格が疑われます。我々一般武士の心中も御察し願いたく。より良い家柄、でなければより良い功績をと、日々鍛練を積んでおります道先にこのような者がおるのでは我々の努力が汚される思いが致します。所詮は人殺しの道具、道具は使用する時以外はしまっておかれるべきかと。きちんと鍵のかかる場所へ。」

恭が何か言おうとした瞬間、静の拳が実親の左頬にめり込んだ。不意打ち。完全に虚を付かれ実親が一瞬呆然としてから静を見た。

恭と晋、小鳥遊も、いつの間にか現れた静に目を見開いたまま何も言えなかった。

 「な…。女、何をするっっ…。」

 「アンタがさっきからすっごく楽しそうだったから、私もやってみようかと思って。」

 実親の血走った目が静の挑発的な笑顔を怒りで塗りつぶすように見た。

 「弱者をなぶるのを。」

 「何だと?」

 「自分より身分の低い者を、逆らえないのを良いことに弄ってるんしょ?やってみたけど全然面白くないわ。アンタ悪趣味ね。」

実親を殴った手を、まるで汚いものに触った後のように空中で振って見せた。静の言葉にかっとなった実親が静に詰め寄りながら怒鳴った。

 「何だお前はっ!」

 「『龍の爪』の一人、月夜静、様よ。頭が高い。」

実親を見上げながら、低い声で言った。

実親が息を飲み、数歩下がった。

 「月夜家の…姫君。…ご無礼を…失礼致しました。」

実親がぎこちなく頭を下げた。

 「アンタみたいな中流階級の武士がここまで来たことは評価されるべきことだと思うけど、ここは今までの常識じゃ通用しないの。家名も肩書も通り名も、どんなカードも意味なんか無いわ。自分を誇示したいなら強くなりなさい。地龍様は御自身の政策に見合う戦力を求めておいでよ。そんなに偉そうにしたいなら実戦で皆を認めさせることね。」

静が言うと実親が肩を震わせながら刀の柄に手を伸ばした。

 「いいの?そんなことしたらアンタの積み上げて来たものは全て終わるわよ。」

害虫でも見るような心底軽蔑した顔で静が実親の自尊心を揺さぶり、実親は顔を真っ赤にして柄から手を放した。怒りと羞恥と憤りが沸騰し『波形』が煙を上げるように歪んでいった。

 「まぁ、今のアンタじゃあ私にも晋にも敵わないわ。つまり、中途半端なアンタに必要なのはそんなくだらない自尊心なんかじゃなく、社会性よ。」

静が吐き出すように言うと、実親は『波形』を煮え立たせながら一礼して去って行った。

実親が見えなくなると、全員が長く息を吐き肩を撫で下ろした。

 「すっげ。静姉かっこい〜。」

晋が満面の笑みで口笛を吹いた。

 「晋が言われっぱなしだったから。恭も困ってたし。」

 「ああ、ちょっとびっくりした。俺がいてあれだけはっきり言う人に会ったのは初めてだ。あと晋の対応が大人になってて驚いた。」

 「確かに。今まででしたら斬りかかってましたな。」

恭の指摘に小鳥遊が同意した。

 「最高の男の側近にならなきゃいけないから、俺も変わろうと思って。」

晋が恭と静を交互に見て言うと、静が驚いたように恭を見た。恭は少しはにかんだ。

 「良いのですか、あの者は『龍の爪』の仲間。あれでは今後の関係に影響がありませんか?」

小鳥遊が突然静に問うと、恭と晋も心配そうに静を見た。

 「いいのよ。どの道あれじゃあやっていけないわ。いるのよね、ああゆう奴。自分の立場に不満を持って努力するのは良いけど、自分が成り上がることだけが目的で、過去も周囲も顧みない。きっと自分が偉くなったら他の人を虐げるわ。貴也さんの理想の未来に必要な人間だとは思えないわ。」

 「兄は人を選ばない。思想は自由だから。」

 「分かってるわ。でも、一緒に戦う以上、あの鼻はへし折っとかなきゃね。やりずらくてしょうがないでしょ。」

 「静がそれを言うか。」

恭が呆れ顔で言うと、静がにんまりと笑った。

 「傲慢は私にこそ相応しい装飾よ。」

 「静姉のそういうとこ、本当尊敬するわ。」

晋の一言に満足そうに微笑む静を、恭が優しい目で眺めていた。


 「早速もめてるようですね。」

事の顛末を近くで見ていた(むね)(すえ)が貴也に言った。

 「血の気が多いのも考えものだな。まぁ、若者はあれくらい元気じゃないとね。」

貴也のテキトーな返しに眉ひとつ動かさずに宗季は目線を変えた。

 「彼等は仲間ですか?」

 「俺のすっごく可愛い弟の恭に、その親友で側近の矢集、俺の監視役小鳥遊は何故か恭にべったり。で、恭が惚れてる『爪』のメンバー月夜の姫君だ。さっきのは頭でっかちの新参者の実親。あれは多少教育が必要かな。ま、本当は実親の価値観が普通なんだろうけどな。」

 「成程。さすが個性派ぞろいですね。ゆっくり観察させて頂きます。」

 「どうぞどうぞ。」

宗季は先日貴也が平家当主重盛(しげもり)に直接頼んで派遣してもらった平家の武士だ。重盛の目となり、貴也の意向にも沿える優秀な武士だと重盛の折り紙つきの人材だ。本来は平家からの正式な派遣など、源平合戦の終わっていない状況で無理だったため、公式のスパイという周囲の認識で送りこまれる妙な状況になった。宗季自身は敵陣へ一人で乗り込む心細さや不安というものを一切感じていない様子で、貴也は心臓に毛が生えていると思った。

 「悪いな。こんな役割をさせて。」

気を使って声をかけた貴也に、最初は意味が分からないという反応をしていたが暫くしてうなずいた。

『龍の爪』と共に『鎌倉七口』の守護たる任も任されることになった男は平宗(たいらのむね)(すえ)といい、平家の中でも高い位の武士だった。今回の派遣は自身のキャリアの上で予定外であり、ともすれば左遷という考え方も出来る。やりたくない仕事に違いないと誰もが思っていた。だが、宗季は微笑と共に意外な答えを返した。

 「ああ…いえ。このような機会はどれだけ望んでもあり得ないものです。逆に良い経験、良い勉強になります。平家にいては知ることのない世界ですから。」

 「…そっか。さすが重盛、いいチョイスしてる。」

 「私も地龍組織には改革の余地があると考えています。貴方の力になれればと。」

 「そうだな、よろしく頼むぜ。」

黒縁の分厚いレンズの眼鏡に光を反射して、如何にも頭の堅そうな表情を作る青年だと思ったが、想像よりカタブツではなさそうだと思われた。ただ、晋を見る目だけは違うように見えた。


宗季の視線の先、恭と晋・静と小鳥遊は、実親が去った後再び刀を振りながら何か話し始めた。

 「斬撃を転移することは可能だと思うか?」

唐突に恭が言いだした。

 「斬撃だけを?さぁ?どうだろう?」

晋が静にボールを回すように言葉を繋いだ。

 「例えば、放たれた矢を転移するっていう術があるでしょ?あんな感じかしら?」

 「それは飛ぶポイントと出るポイントが元々決まっていて、そこを通るものを転移する術だろう。矢の威力を損なわないための色々な制約もある。」

恭の解説に小鳥遊は閃いたように指摘した。

 「成程。恭殿は動いている矢集めを自由に転移することができましょう。では動いている矢自体も同じように出来ませんか?」

恭は空中に図を描くように指を使って説明を始め、皆それを目で追った。

 「絶対的に違うのは、矢には意志がない。晋は俺の術に合わせて体勢を整え呼吸を合わせる事が出来るから自在なのだ。矢に使えば、威力は失われ矢自体も折れてしまうだろう。」

 「恭が転移できるのは晋だけなの?」

 「いや、何でも出来る。だが晋が一番やり易いな。」

 「じゃあ、晋の斬撃なら転移できるんじゃない?」

 「矢集めの斬撃に意志はありませんぞ。」

 「だが斬撃には矢と違い実体がない。いわば術力の塊だ。」

 「つまり、やってみる価値はあるってこと?」

 「それはどうでしょうな。」

 「いいじゃない。面白そう。晋で実験してみましょう。」

急に話が転がり事態はすっかり晋で実験する流れになった。

 「静姉、俺でって何。」

 「え?間違えた?」

静が恭に問うと、恭がわざと惚けた表情でかわした。

 「いや?」

恭に裏切られ晋は抵抗しつつも、気持ちではやる覚悟をしていた。

 「ちょっと。」


楽しそうに談義する恭たちをやけに真剣になって見つめる宗季の後ろから義平が大きな声で現れた。

 「よ〜!貴也、待ったか?」

 「義平、忙しかったろ。悪かったな呼びだして。こないだ話した平家からの留学生を紹介しようと思って。」

留学生、は貴也なりのジョークだったが、意外と言い得て妙な言葉だったので義平は笑うというより感心した。

 「重盛が選んだ優秀な人材だ。いくら重盛の部下だからって苛めんなよ。」

 「おいおい貴也、もしかして俺があいつが憎くて戦してるって思ってる?」

 「なくはないだろ。」

 「まあ、完全に無いかって言ったら微妙なとこだけど。でも今となってはな。」

かつては自らの武勲の上に成り立つ勝利をこそ渇望したが、幾度となく転生を繰り返した今となっては、転生と戦の終結を望んでいる。そういう意味の「今となっては」だった。貴也は義平の深いため息を目で追ったが、その先が見えなかったのでやめた。

 「なら話は早いな。平宗季だ。今後は極楽寺坂守護と『爪』の仕事をしながら重盛の目となってもらう。」

宗季が義平に深くお辞儀をした。その後頭部を見つめながら義平は息を吐くように呟いた。

 「スパイじゃねぇか。」

 「その通り。だがそれでいい。俺は今のうちにきちんと重盛との繋がりを持っておきたいんだよ。将来のためにね。」

 「何考えてんだよ。敵だぞ。」

 「今となっては、なんだろ?それに、本当の敵はどこにいるんだろうな。」

 「(ドラゴン)(シード)を求める所にいるのでしょうか?」

貴也の言葉に宗季が問うように答えた。

地龍当主が継ぐという龍の卵の存在を知っている者は少ない。そしてそれを巡る争いこそが源平の戦の根底にあるということもごく僅かしか知らない。宗季はその僅かであり、事を冷静に考えているようだった。

 「な〜るほど。馬鹿じゃあねぇってっことか。それじゃあ、さぞ屈辱だろうな。平家の武士たる者が源氏の要職につくなんざ。」

 「逆に平家の武士で源氏の職についたことのある者は私くらいという事になります。貴重な経験ですよ。」

 「型にはまっちゃいねぇってか。さすが小松殿、貴也の好みを分かっていらっしゃるって?いいだろう。気に入った。宗季、バシバシこき使ってやるから、覚悟しとけよ。」

 「どうぞお手柔らかに。」

静かに微笑む宗季の眼鏡の奥の瞳は、義平が想像したよりずっと澄んでいた。

 「で、何してんの、こんな廊下の影で。」

義平が最初に訊こうと思っていたことをようやく口にすると、貴也が中庭の方を指さした。その先には恭を含む仲間達がやけに賑やかに集まっていた。

 「あれ。紹介しようと思ったんだけど、宗季が此処で見てたいらしくて。」

 「興味深いです。割り込んであの談義が終了してしまったら結論が出なくなってしまうかも知れません。」

 「だから隠れて見てんのか?仲間に入ればいいだろ。」

 「…なるほど。ではそれはいずれ。」

宗季は飽くまで覗き見を続けるかまえだった。二人は仕方なく付き合った。


 恭たちは実験をしようと言い出してからすぐに用意に取り掛かった。方法は静の案により、稽古用の藁でできた案山子を縦一列に並べて、一体目の前で晋が刀を振り、斬撃を転移させて一番後ろの案山子のみ斬るというものになった。離れた場所に技を出す術は数あるが、今回は現在地で振った刀の斬撃のみを転移させ敵を倒す事が可能か否かを検証することが主旨だった。しばらく座標の調整やら力の加減やらで揉めて時間を費やし、ようやく最後の案山子に風圧が届くようになった。

 「あ、届いた!」

 「これは…成功でしょうか?」

 「やはり威力が落ちるな。本来なら斬り落とせたはずだ。」

 「何が足りないのかねぇ?」

 「そもそもこれはただの平行移動だ。斬撃を転移するというのならもっと縦横無尽でなければ実践では役に立つまい。」

 「縦横無尽って、それは無理でしょ。矢だって平行移動しかしないわよ。基本的に人だってそう。そもそも本来動くものは転移できない。」

 「いや、俺なら出来る。斬撃が人ならばもっと自在になるはず。」

静の否定的な意見に我を曲げない恭が更に課題を積み上げようとした時、祥子が輪に入って来た。

 「それは無理よ。それらには進みたい方向があるんだもの。歪めれば威力が落ち壊れるわ。」

 「祥子さん。いつの間に。」

 「通りかかったら面白そうなことやってるから。私もまぜて。」

 「もちろんです。祥子さんならどうしますか?」

陰陽師としての実力が折り紙つきの祥子ならば何か打開策が生まれるかも知れないという期待が再び場を賑やかにした。

 「そうね、どこかに中継点を作るか、単純に歪められても負けないくらい強い斬撃を使うか…。」

 「面白い、やってみよう。」

 「ちょっと、やるの俺ですよ?」

 「なるほど、恭殿の実験の尊い犠牲となる事が獣の使い道でしたか。」

 「違うし。」

 「でも一理ある。よし、やろう。」

間髪入れずツっこんだ晋に再び恭がすげなく答えた。

 「恭〜…。」

全員で再び実験が再開された。


 「なぁ、まだここで見てるのか?」

義平が宗季に問うと、宗季はメガネを押し上げながら言った。

 「まだ結果が出ていません。」

 「そんなに面白い?」

 「はい。このような荒唐無稽な議論は見たことがありませんし、すごく高度です。たいへん興味深い。」

 「じゃあ、やっぱりそろそろ入れて貰えよ。」

義平が無理矢理に宗季の腕を掴んで引くと、貴也が同意しながら実親を連れてきた。

 「そうだな、行こう。ついでにこいつも。」

先程の揉め事を見ていた宗季は何か言いた気だったが、目を細めただけで何も言わなかった。

 「い、嫌です。俺はあんな人たちとは…。」

 「俺に逆らうのか?」

 「つか、少しは協調性を身につけないと実戦で支障をきたすだろ。お前は少し人間関係を学べ。」

抵抗する実親を地龍当主と源氏当主の二人で言い含め無理矢理に引きずって行った。


 「お〜い。若者たち、俺達もまぜてよ。」

貴也が明らかな賑やかしの顔で二人の新参者を連れてやってきたので、全員が一瞬嫌な顔をした。

 「貴也は使えないけど、こいつは違うぜ。平宗季だ。さっきからお前らの実験に興味津々だから、きっといい意見をくれるぜ。」

義平が貴也を完全に馬鹿にしながら宗季を紹介すると、宗季は少し緊張した様子で前へ出て一礼してから話し始めた。

 「えっと、ですね。なにかマーカーを付けて軌道修正してはどうでしょうか。なるべく進行方向を変えないように空間を迂回して、マーカーを付けた場所へ出るようにした場合、一見縦横無尽に斬撃が出てくるように見えます。」

宗季の説に目を光らせた一同は、頷いた。

 「よし、やってみよう。」

 「マーカーて何だよ。」

 「この場合一番その役割を果たせるのは晋じゃない?」

 「え?じゃあ誰が刀振るの?」

 「はいはい、親ちゃんが振るって。」

貴也は大きな身振りで実親を無理に前へ押しやった。一瞬全員が実親を見たが、静が目を細めて言った。

 「確かに、(ちか)ちゃんなら晋にすっごい斬撃出しそうね。」

 「確かに。威力不足はあり得ないでしょうな。」

小鳥遊が同意すると、全員それ以上何も言わず実験に取り掛かった。



 「そんで?そのおっそろしい技は完成したん?」

重盛は一片の紙に向かって訊いた。

 「いいえ。しかし、恭殿のセンスですから遠くない将来完成すると思います。」

紙から宗季の几帳面な声が聞こえた。

紙は通信するための術で、携帯電話のようなものだ。携帯などの通信端末も使用するが、電波が結界などの術に影響する場合もあるため紙を使う。履歴や証拠が残らない通信手段であるため、宗季と重盛のような(ほぼ公式だが)スパイとその雇い主などの場合はうってつけの方法と言える。

 「ほう。そんなに凄いんか?」

 「はい。あの発想力とそれを実現するセンスは他に類を見ないものです。それに周囲も間違いない人材で固められています。実際あのような高度なディスカッションが行われる場は初めてでした。」

 「何や随分楽しそうやないか。」

 「いえ…はい、正直興奮しました。」

 「ええんよ。楽しいんはええことや。送り出した甲斐があったっちゅうもんや。」

 「ありがとうございます。人材は間違いなく一流で揃えているようですが、その性格は個性的な者ばかりで統率ははっきり言って取れていません。この隊をまとめるには時間がかかると思います。」

 「そうか。せやけど貴也は急いどるよってな。多少の綻びは許容範囲なんやろなぁ。それより宗季、恭くんの側に矢集がおる言うんはほんまなん?」

 「…はい。けれど噂にきく程の狂犬でもないようで。」

 「そないな事関係ないねん。存在が重要なんよ。」

 「は、存在が、ですか?」

 「せや。矢集は地龍にとってキーパーソンやからな。目ぇ離したらあかんよ。」

 「はい。」

 「気張りや、宗季。」

宗季の戸惑いを押し殺した返答を聞くと重盛は一方的に紙を燃やし通信を終わらせてしまった。

 「ほうか、やっぱり恐ろしい兄弟やな。それが龍種の苗床として生まれてきた器言うもんなんかなぁ。そんならその器を喰らって育った種から出る芽は一体どんだけ恐ろしいんかなぁ。その力があったらこの繰り返す魂の呪も解けるんやろか。」

重盛は目を閉じ呟いた。

 「長老会が龍種を手に入れるならそちらに付いた方が俺は得なんかな。」

龍種の力で自身の解放のみを望むのなら勝ち馬に乗ることは当然の戦略だった。けれど…

 「悪源太は貴也にかけるか…。」

武士としての選択でもあり、その先に目的の未来があると信じての決断だろう。確かにそうならば失うもののない、一挙両得の結果と言える。傲欲で一本義な義平らしい考え方だと思った。

 「俺もたまには友情を選んでみるんもええんかも知れへんな。」

貴也の理想は解るつもりだ。

ただ何故そう急ぐのか、それだけが解らず、そしてそれが最も不穏に思われた。何か隠している。重要で恐ろしい事を。それが解るまでは、貴也の言う友情を手に取る覚悟を出来る気がしなかった。



 恭は中庭で再び刀を振った。

陽も暮れ、外灯を付けた中庭には昼間の賑わいが嘘のような静寂があった。恭の後ろには背中合わせの立ち位置で晋が刀を構えていた。目を閉じた恭が、風のおさまるのを待って空を斬った。それとほぼ同時に晋が空中から現れた斬撃を刀で受けた。晋が刀を振り切ると、斬撃は霧散し再びの静寂が現れた。

皆と別れてから恭と晋は二人で技をほぼ完成させていた。いろいろな改善要素はあるが、当初の疑問だった斬撃のみを転移できるのかという問題を解決させることはできた。

 「結論として、斬撃は飛ばせるってことでいい?」

晋が振り向きながら訊くと、恭はゆっくり頷いた。

 「ああ。そうだな。」

 「嬉しそうな顔だな。久し振りに見たよ、そんな良い顔。」

恭と晋が声の方を見ると、いつの間にか縁側に座り込んだ貴也が笑っていた。

 「兄さん。」

 「父さんが死んで以来だ。」

 「それは…。」

 「昔から周囲はよく俺達を例えたよな。俺が太陽でお前が月だと。でも俺はずっと逆だって思ってた。お前は皆の中心で皆を照らす光だ。俺もお前の光があるから輝ける。」

 「何言ってるんですか。俺は…。」

恭が貴也の目の前に出ると、貴也は立ち上がり恭の頭をなでた。心底愛おしいもののように。不思議な顔をして見ていた晋に気が付くと、貴也は晋に手を伸ばし、二人を胸に寄せ抱き締めた。

 「兄さん、何?」

 「俺の大事な弟たちだ。」

弟たちという言葉に晋の肩が震えた。晋が泣いているのかと思った恭が覗き込もうとすると、晋は急に笑い出し、抱きしめ返した。

 「嬉しい。ありがとう。貴也さん。」

素直に貴也に甘える晋を見て、恭は安心したように笑った。その笑顔は、まだ子供だった頃の屈託のないそれに似ていた。



 その晩貴也は一人で月の光に石を透かせて見た。青い、透明の石だった。小さなつぶてのようなそれは、よく見ると鱗のような模様があり、その反射する煌きは海の中のように動いているように見えた。

 「皆、龍種を万能の力だと信じてるみたいだな。森羅万象をも思いのままにする強大な力そのものだと。本当にそうなら、俺は琴、君をこの世に呼び戻すことも出来るかも知れない。まぁ器である俺が龍種の力を自由に使える訳じゃないけどな。けど俺が俺の私的な事に力を使えば、俺は長老会と同じものになってしまう。そうすれば結局は欲望同士の戦いだ。地龍は存在意義を失う。だからもう本当に会う事はできないんだ。琴。」

琴は父である先代当主の使役していた『夜』だった。可愛らしい女の外見をしていて、美しい声をしていた。名はその声から貴也が付けたものだった。石に話しかける貴也は、ともすると石を透して月と会話をしているようにも見え、切な気だ。

 貴也の腕に刻まれた誓いの痕跡は、琴が存在していた確かな証だった。そして今も生きている証明。

誓いは違えれば消える子供だましのような術で、別の者と誓いを立てたり、別の相手と結婚したり、どちらかが死んだり、そうした事で消える。ただの指切り程度のもので、別段拘束力や罰則などのある術ではない。ただの約束、しかし術の刻印は目に見える証だ。どちらも誓いを違えていないと、はっきりと分かる。故に貴也の腕にある刻印は、琴と立てた誓いの証明であり、互いに違えていない、そして生きていることの確かな証だったのだ。

 父が死に、使役されていた琴も死んだ…はずだった。けれど琴は小さな石の姿で貴也の元へ戻って来た。話さず、動かず、ただの小石のような琴を、貴也は大切に包んだ。

 「こんな姿になってまで俺と一緒にいてくれる琴に、俺はどれだけ報いているだろうか。」

月の光を反射して美しく揺らめく輝きが、かつての穏やかな笑顔を連想させた。

 周囲は貴也をカリスマだとか太陽だとか評価するが、貴也は違うと思っていた。静や実親のような野心も、義平や祥子や重盛のような悲願も、兼虎のような潔癖さも、宗季のような知識欲も、貴也には無かった。原動力たるものが、無かった。だた生まれつき持っていた強迫観念のようなものに追い立てられて生きてきた。

――報いなければ…と。

貴也は自身を恒星ではないと思っていた。自分は誰かの光がなければ輝けない。例えば父や琴や恭、それらの光を頼りに輝くと思っていた。別に自分を卑下しているのではない。自分には自分の出来ることをしていくしかない、持たぬものを求めている時間はない。自身にできる方法で最大限のことを成さねばならない。そうでなければ報いることは出来ない。そう感じていた。

 生まれてきたこと。両親や愛する弟。仲間。歴史。受け継がれてきた想い。周囲の期待。当主の役割。組織の行く末。琴の愛。世界。

様々なものに、報いなければならない。貴也はどうしようもなくそう思ってしまうのだった。父が生きている頃に一度その事を話したことがあった。その時父は、微笑んで頭を撫でた。そして慈しむように謝った。その意味を理解したのは貴也が当主を継いでからだった。龍種というものを知ってからだった。

 「かつて共に行ける道を作ると約束したのにな。」

人と『夜』が共に生きられる道を作ると言ったことを、琴は信じていなかったかも知れない。それとも信じていたから、こんな姿になってまで一緒にいようとするのか。貴也は解らなかった。

 「すまない。俺は無力だ。だけどできる限りを尽くすから。未来のために。」

戦が始まる。

けれどこれが最後になる。

そのために今貴也は精一杯のことを成すだけだった。

すべてに報いるために。

琴に報いるために。

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