19 波旬の事
「龍神の筋目を辿れば、君が後継ぎに相応しいんだっけ?じゃあ、龍神の心臓を持つ俺が『夜』の王になるのもアリって事だよねぇ?」
晋は何度攻撃しても刃の立たない蛇姫の尾に、再び刃霞を振り下ろす。その馬鹿のひとつ覚え的な攻撃に、眠気をもよおしながら答えた。
『成程。うぬは龍脈であったか。即ち龍をその身に宿し者と。そのうぬを倒せば、事実わらわは龍神に勝った事になるやも知れぬのう?』
晋は尾に刃を走らせながら言う。
「そういう考え方もあるか〜。でも残念、蛇は蛇。龍には敵わないよ。」
『何?』
蛇姫が不快を表そうとした時、自在だった尾が動きを止めた。
見ると、尾は地面に張り付いてしまったようになっている。蛇姫がどれだけ動かそうとしても、まったく動かない。まるで自分の一部ではなくなってしまったかのようだ。
『何をした?』
「忍法、影縫いの術!なんちて。」
晋が忍者のポーズをすると、毘沙門は真面目な声で窘めた。
「晋。実戦でふざけるとは感心しませんね。」
言いつつ毘沙門が隙を討とうと間合いを詰めたが、蛇姫の防壁は毘沙門への警戒を解いていなかった。
「単純な捕縛術ですよ、蛇姫様。」
晋が無策に蛇姫の尾にばかり攻撃をしているフリをして何重にも術をかけ、地面に尾を縫い付けたような状態まで持ち込んだのだった。
『馬鹿な。そのような術でわらわを捕まえるなど…。』
「そうですね。お姫様にとっちゃ術自体は幼稚な位でしょう。でも馬鹿力なら負けないんで。」
子供の手で抑えつけられているようなもの。けれどその力は子供の比ではない。
『龍脈…か。』
「御明察。んじゃ賞品に鋼を差し上げましょう。」
晋が刃霞を地面に突き立て、尾を貫いた。
これで完全に蛇姫の尾は動く事が出来なくなった。
蛇姫の絶叫が響いて、夜空が共鳴にするように空気が振動した。
『おのれ、よくも…。』
蛇姫の蛇眼がぎょろりと晋を睨んだ。晋は刃霞を突き刺したままで、視線を避けるように間合いの外に出た。
蛇姫が晋に注意を向けている間に、いつの間にか毘沙門は幸衡と何やら耳打ちし合っていた。
「やだなぁ、俺を囮にして内緒話とか。すねちゃいますよ。」
呟くと、隣に春家が近付いてきた。
「晋が強敵相手にアドレナリン全開になってるから、仲間はずれにされるんだよ。」
「今日は良い子にしてるのに。寂しいので、囮役は春さんにあげます。」
晋は春家と交替して下がった。それに合わせて春家が前に出た。蛇姫の間合すれすれで小手調べのような軽い攻撃を繰り返していた。
晋が下がると、後方に光胤と修吾が見えた。
「シュウ!」
晋が呼ぶと、二人が晋を見た。晋はジェスチャーで夜霧を投げるように示した。修吾は光胤の応急処置のために一旦地面に置いた夜霧を掴むと、回転をかけて投げた。晋は、くるくると回転しながら飛んできた夜霧の柄を逆手でキャッチすると、その回転のまま鞘を抜き駆け出した。
「サンキュウ。」
修吾に礼を言いながら去る晋の後姿を見送り、修吾が言った。
「何か、生き生きしてますね。」
「…そうだな。でも前と全然違うんだよなぁ。」
返す光胤はしみじみと言った。晋の背中は殺戮に依存した狂人のそれではなく、仲間と強敵を相手にする兵の姿だった。
春家が蛇姫の防壁の粗を探るようにちょっかいを出し続けていると、蛇姫は防壁の表面から針のような何かを放ち、攻撃をした。春家はそれをすれすれでかわした。そこに晋が合流し、蛇姫を挟んだ対面で何かを起こそうとしている毘沙門と幸衡の動きを見た。
『かつてわらわは神とも呼ばれた身ぞ。賤しい人間の分際で、このわらわの肉体を傷付けるとは…不生不知とは愚の骨頂。簡単に楽になれるとは思わぬ事じゃ。』
蛇姫は無数の針状の何かを放った。春家と晋はそれを刀で払い落しながら少し後退した。
「さすがは探知を逆探知して火をつけるなんてアバンギャルドな事をしてのける御方だ。」
「防壁から攻撃が飛び出るなんて、びっくりびっくり〜。」
防壁となっている硬い壁を針状に変形させ攻撃に転じる術らしいと分かると、さすがに神格を名乗るだけの高位であると納得した。
「春さん、これってはっきり言って、このままだったら何手先まで読んでも、倒せませんよ。」
「何弱音吐いてんだ、らしくねぇな。」
春家は、晋が蛇姫の尾の動きを封じた事で一見優位に見えた戦況が実はそうでもないと分かってはいた。実際尾以外の体に触れる事すら出来ていない。地龍の中でも優れた武士が四人も揃っていながら、ただの一撃たりともかすりもしていないのだ。
春家が策を思案しようとした時、対面の毘沙門と目が合った。毘沙門は相変わらずの微笑をたたえていた。そして若干小首を傾げ、口パクで何かを言った。
「…だから春さんは駄目なんです…じゃねぇよ。何か幸と喋ってたから大事な事かと思ったら悪口かよ。この局面でやる?それ必要?」
春家が突っ込むと、毘沙門の隣で幸衡が少しだけ笑った。
「何か、始まりそうですね。」
晋が幸衡の表情を見ていた。いつもと同じ、無表情に戻っていた。
「神格とは笑わせる。」
幸衡の声は夜の闇に混ざらない高潔な白だ。蛇姫はその声と言葉に、憤怒の目を向けた。
『なん…じゃと?』
「多くの神格がこの世の平を求めて来た。それがために我等は人たる道を外れた役割を受ける事となったのではないか。その我等を策を弄し出し抜いて、それを成果とあまつさえ『夜』を統べる材料とせんなど。神が聴いて呆れる。貴様がやっている事は姑息に人を唆すが如き事。己が欲望がために。それは欲界の頂たる天魔波旬の類ではないか。」
『わらわが波旬じゃと?人の分際でこれ以上わらわを愚弄するならば、赦さぬ。決して赦さぬぞ。』
蛇姫の目は完全に幸衡を標的と定めていた。
「以上が、幸くんの作戦だよ。」
幸衡の言葉が蛇姫の注意を引いている間に、あきらが説明をする手筈だったらしく、晋と春家は通信中のあきらからの説明を聞き終えた。
「マジでそれやんの?ぶっつけで?」
「や〜、一か八かやるしかないでしょう。つか、春さんそういうの得意じゃないですか。」
晋が夜霧を握り直した。少しの緊張と、不安。
「そうだけど…ま、やるしかねぇな。」
春家が肩と首を回してから蛇姫を見た。集中する時の、やけに静かな眼差し。
「よ、神童!頼りにしてます。」
「やめろ。」
かつて神童と呼ばれた天才だった事は、春家にとっては黒歴史だ。天才だった姿に憧れていた毘沙門は奔放な春家を見るたびに『だから春さんは駄目なんです。』と漏らした。それを思い出した春家は、真面目な毘沙門が実践中にあえて言った冗談の意味に、ようやく気が付いた。
「挑発か。」
やって見せろと言うのだ。それくらいの事がこなせず、何が天才か、と。この局面で実力を発揮出来ないならば、本当の愚か者ではないかと。
「上等じゃねぇか。俺の本気見て、惚れ直すなよ。道白。」
春家の目の色が変った。本気の炎。静かな眼差しに宿る熱。
「何が始まるんデスか?」
修吾が光胤に問うと、光胤は黒い涙を拭いながら見た。
「シュウ…お前さっき幸と倉庫から出てきたよな?幸の奴なにしてたんだ?」
「え?確か…檻の扉を閉めてました。で、もう出てきてイイって言うんで出て来たんデス。」
修吾は避難した方が良いかと迷っていたが、光胤は無茶をした所為で体へのダメージが大きく立ち上がれそうにもない。
「成程な。幸の奴とんでもねぇ事やろうとしてるぜ。っつっても人員が揃ってるから出来る事だが。シュウ、見てな。大掛かりな手品が見れるぜ。」
光胤が顎で指す先は、四人が蛇姫を取り囲んでいた。
幸衡は鞘で蛇姫の周囲を駆け、円を描いた。囲う円の座標固定と、他座標への紐付けを始めた。転移させようというのだ。けれど蛇姫はただの物体でも人間でもない。大人しく転移される訳がない。
毘沙門がその幸衡の邪魔をされないように蛇姫の気を引きながら、晋に目くばせをした。晋はわざわざ蛇姫の正面に回り込み攻撃を試みた。
『鬱陶しい。』
蛇姫の使う術は人のそれではない。地龍のどのような術者も扱わない攻撃力を持っている。晋の攻撃を防御し、当たれば即死だろうという攻撃を返してくる。しかしそれは分かっている。勝てない。それは前提として晋と毘沙門は攻撃と回避を続ける。
その攻防の裏で春家は、蛇姫の尾を貫いたままの刃霞の座標を固定し、演算を開始する。
「ハルさんは何をしてるんですか?」
修吾はじっと刀を構えたままで動かない春家を見て首を傾げた。
「春は複合演算の天才って言われてんだ。」
「演算?」
春家の構えた刀からはうっすらと青白い色が煙り立つように見えた。修吾は曇間の月光が反射しているのだろうか、と思った。光胤は修吾の問いの解説をしながら様子を見守った。
「シュウは地龍の術を魔法みたいだって言ったけど、何も想像だけで実現させる訳じゃねぇ。全部計算しなきゃならねぇ。数学とか、化学みてぇな感じに近いかなぁ。酸素と水素で水つくるみてぇな感じで、俺達も俺達の原理で事象を起こしてる訳なんだけど。基本は空中や地面に計算を指で認めたり、口に出したりする訳。これは時間がかかるわな。こういうプロセスをすっ飛ばすためには、高速演算と消費術力が要る。頭ん中で瞬時に計算して力を注ぐって事な。これが出来れば、一瞬で事象が起こせる。でもこれが出来るか出来ないかは地龍内で最も明暗を別つ。上級なんて括りに属したきゃこれは必須だ。」
「計算能力を鍛えれば良いんデスか?」
ズッ…ズズ…
幸衡が作り出した円を境に、内側、つまり蛇姫がいる場所が少しずつ沈下していた。地面が重力に沈むように。幸衡の涼しい顔に、汗が滲んでいた。
「っつっても計算練習すりゃいい訳じゃねぇ。これは持って生まれたセンスの問題なんだよ。そんでそのセンスってやつは大概血に比例する。」
「じゃあ生まれつき序列が決まってるじゃないデスか。」
蛇姫が空気を扇ぐように手を振ると、その軽い所作とは裏腹に豪風が巻き起こった。毘沙門と晋は直撃を避け切れず宙へ舞った。晋がとっさに造った空中の箱型結界を足場に、毘沙門と上空からの攻撃に切り替える。
「そういうこった。その分上級枠ん中は化け物がごろごろしてんだぜ。複雑な演算を一瞬でこなして他人にゃ真似出来ねぇ大技きめて見せる。そん中でも最もすげぇのが、複合演算だ。複数の計算を同時にこなして合わせる。これを一瞬でやる奴は例外なく天才って呼ばれる。」
「計算しながら戦うなんて、頭の中がぐちゃぐちゃになりそうデスね。」
ズ…
再び地面が沈下した。
晋が空中に複数の箱型結界を作り出し、毘沙門がそれを足場に蛇姫の上空を駆け回る。蛇姫の針が空中に放たれ、毘沙門を追う。針は結界に刺さり相殺し消えた。晋は地上に降り、上と下からの攻撃に切り替える。
「春は十二の時にある現場で、電気を帯びた氷の獅子と、風を帯びた炎の鷲を、同時に作ってみせたっていう伝説があってな。一気に地龍に名を轟かせた。正直俺様はその伝説を信じてねぇんだ。複数複合演算なんて馬鹿のするこった。」
「それってどのくらい凄いんデスか?」
「…悪いけど、俺様は一生かかってもその二つの内一つだって出来ねぇよ。複合っつっても通常二つまでだ。精々二段階。水を凍らせる、火を爆発させる。厳密には違うけど簡単に言うとそういう事だ。少なくとも俺様はその程度って事。もし春の伝説が本当なら、俺様とは、月とスッポン、雲泥の差って事だよ。」
春家の手にする刀は修吾ですら視認できる程に輝きを放っていた。揺らめくような光の靄がその刃に絡みつくように見えた。その光は蛇姫の尾に突き刺さったままの刃霞と同じものだった。
『何をしている?』
ようやく蛇姫が異変に気が付いた。幸衡の円は再び沈下し、蛇姫がその円を破壊しようとする。それを毘沙門が遮る。
そして蛇姫は、春家の刀の光を見て狼狽した。
『それは何じゃ…。』
まるで鏡を見るような目だった。鏡に映る自分の姿に驚愕する顔。蛇姫は一瞬の驚き、そして直後に憤怒。春家に向かおうとした。しかしその眼前に晋が立つ。
「凄い人なんデスね。」
「さぁな。でもこれで分かるぜ。伝説の真偽が。」
光胤の言葉で緊張を高めた修吾がこれから起こる何かに目を凝らした。
「春るん、そろそろ何とかなりそうかい?」
通信のあきらの声は急かすような気配を帯びていた。
「もうちょい貯めた方がいいんじゃねぇの?」
春家は刀を握る手に力を込めた。重さが増している。
「タイミングの見極めは大事だよ。容量を越えると刀が持たない。」
刃霞を通して蛇姫の体から力を春家の刀に移しているのだ。
鸞鏡の構造を元にした術。あきらが鸞鏡の『夜』の力を電池にする構造を応用し、離れた場所からの力の供給を可能になるように再構築し直した。これが実現可能であれば、転生システムの龍脈からエネルギー供給を受ける構造が解明されるかも知れない。
これは実験なのだ。
失敗の許されないこの状況下で、実現可能かどうかも分からない仮設を頼みにする。最低な判断。どうかしている。
そのどうかしている発案をした幸衡は、ただひたすら時を待っている。春家が蛇姫を転移可能な状態にまで削ぎ落してくれるのを、じっと耐え忍んで待っているのだ。地面の沈下は、転移のための陣に対して蛇姫が大きすぎるという事だ。力が大きすぎるものを運ぼうとしている。重量オーバー。幸衡は円が破れぬように抑えている。晋と毘沙門はその二人を蛇姫から守りながら時間を稼ぐ。
「それは檻も同じだろ。光胤が入れられてた檻にこの蛇女を転移させるには、この女の強大な力はデカ過ぎる。無理矢理転移しても檻が壊れるだけだ。出来るだけ力を削ぐ必要があんだろうが。」
「でも時間はかけられない。」
「さすが、あきちゃん。普段無茶ぶりされてる所為か、人にも無茶苦茶言ってくれるね。で、タイミングは?」
春家は足を踏みしめた。限界ぎりぎりまで奪った力を、そのまま斬撃に乗せて蛇姫に叩き込む。
「沈下が収まったら。それが合図だよ。」
春家は一度目を閉じた。
強大過ぎるまでの力が今手の内にある。これを自由に使う事が出来る。さて何をつくる?折角なのだ、自分の持つ力だけでは実現不可能なデタラメなものが良い。
ズ…
円が再び沈みかけた。
春家の目がゆっくりと開く。
ズ…
円はゆっくりとした音を立てて、沈むのを止めた。
春家が完全に目を開くと、刀が蓄積限界いっぱいの力を輝きに変えて放っていた。
「二人とも、今だ、どけ――――!」
春家が叫んだ。
晋と毘沙門は待っていたとばかりに地面を蹴りその場を離れる。
蛇姫は、尾を固定されている所為で動けない。
春家が刀を振った。バットを振るような、砲丸を投げるような、デタラメで豪快なフォームで、輝きを蛇姫へ向かって…。
蛇姫は防壁を張った。
春家が放った輝きは、雷を纏った一体の龍の姿を模していた。
蛇姫は目を見開いた。龍は蛇姫の防壁を突き破り、まるで蛇姫を喰らうように雷をスパークさせた。
その眩さが、夜闇を打ち砕く。
蛇姫は声も上げる事が出来ないまま、体の芯まで焼かれるにまかせ手足を震わせていた。
龍の輝きが少しずつ収束し、鱗が散るようにその姿を消した。蛇姫は目を見開いたまま顎をガクガクさせていた。
「幸くん!」
「ああ、いくぞ!」
あきらの合図で幸衡が転移を発動させた。円が少しだけ光り、次の瞬間にはその場所から蛇姫が姿を消していた。その場には不自然に丸く沈下した地面と、そこにつき立った刃霞だけが残されていた。
幸衡と春家が倉庫の方を見た。晋と毘沙門が倉庫の扉を大きく開けた。
檻の中には、焼け焦げた大蛇がぐったりと横たわっていた。
晋が成功を示すように笑顔で手を振ると、幸衡は安堵の息を吐いた。春家がウインクしながら毘沙門にピースすると、毘沙門は子供のように嬉しそうに笑った。
「元神童様のおかげでどうにか終わりましたね。」
晋が言うと、幸衡は激闘の後とは思えない涼しい顔で言った。
「ああ。御苦労。春家殿は新たな伝説を作ったな。私はこの檻を鎌倉へ運ぶ。後の事は任せたぞ、毘沙門殿。」
「ええ、気を付けて。」
幸衡が恭への報告のための電話をかけ始めると、丁度千之助が増援部隊と救護や処理班を連れて来た。
「ミツさん、凄かったデス。何か、ビックリしずぎて何だか分かりませんでした。」
修吾は春家の起こした事が、幻のような気がした。
「あはは。正直俺様も度肝抜かれ過ぎて嘘かと思ってる。」
二人が呆然としていると、晋が駆け付けた。
「光さん無事?」
「多分、何とかなりそう。」
体の瘴気が薄まっている光胤を見て、晋は安心したように肩を撫で下ろした。
「良かった。このまま夜好会は壊滅する。こっからは徹底的な調査が入るはずだ。シュウはもう行った方がいい。」
修吾は地龍の処理や調査が入る前に、面倒事に巻き込まれないように姿をくらまさなければならなかった。万が一にも一級侵犯に引っ掛からないように。
光胤がそれに同意するように修吾を叩いた。修吾は光胤を見て、深く頷いた。
「ありがとう、本当に。」
言うと修吾は暗い夜道を選んで歩き出した。立てない光胤はその場から軽く手を振っていた。晋はしばらく付き添うように歩くと、確認するように言った。
「分かってると思うけど、シュウは俺に殺される意外の死に方は出来ない約束だから、絶対死ぬなよ?」
今ならば修吾にも解る。晋の想いが。
「分かってるよ。でも、ボクも殺し屋だからね。簡単には殺されないよ。」
再会は殺し殺されるためではない。きっと笑顔で喜び会えるように。
「へぇ。」
「足掻いてこその命、だからね。」
修吾が手を出した。晋はその手を握った。あたたかい友の温度だった。
「ああ、そうだな。」
晋が笑顔で手を振ると、修吾は言い残した事を思い出して振り返った。
「ススムくん、それの事だけど、ボク思い出したんだ…。」
晋は修吾が指さす夜霧の木札を見下ろした。
晋が修吾を送って戻ると、光胤の傍らで千之助が飴を渡していた。少し様子のおかしい晋を、二人は修吾との別れの余韻だろうかと思った。
「光はこのまま救護班があきらさんの所へ運ぶ。俺も一緒に行くけど、お前はどうする?」
千之助が光胤を抱き上げた。所謂お姫様だっこだった。
「これ何か違わね?」
「仕方無いだろ。」
怪我の箇所から考えてそれしかなかったのだが、光胤は微妙な表情をしていた。
「写真とっとこ。」
晋が面白がって携帯端末で写真を撮ると光胤が顔をしかめた。
「こら、夜明けまで時間がない。急ごう。」
急ごうとする千之助に晋が言った。
「俺は道白さんと帰ります。あきさんに御礼言っといて下さい。」
別れようとする晋に、すっかり千之助に体を預けた光胤が言葉を投げた。すべてが終わり気が抜けたのだろうか、頭を千之助の胸に当てて、少しまどろむような目をしていた。
「矢集、ありがとな。」
「いや、俺死なせないとか啖呵切ったけど、実際何もしてないですよ。」
晋は肩をすくめた。
「そういうのは気持ちが大事なんだよ、気持ちが。嬉しかったから、お前の言った事。だから、ありがとう。」
光胤の弱った笑顔が、晋の胸を打った。
「やっぱり春さんは春さんですね。」
満足気な毘沙門は、春家に笑いかけた。
「…結局俺はお前に乗せられただけなんじゃないか?」
「何とかもおだてると木に登ると言いますからねぇ?」
春家は毘沙門の笑顔を睨んだ。
「誰がお前をこんなにしたんだ。」
「間違いなく春さんしょうね。俺の目標は春さんですから。」
「俺じゃなくて、俺を思い通りに操縦する事だろ。」
「ふふっ。」
毘沙門と春家が話していると、晋が合流した。
「シュウを逃がして来ました。あと、光さんは千さんがあきさんとこ連れてくって…。」
「そうですか。お疲れ様でしたね、晋。これからどうするのですか?」
「俺は道白さんに付き合いますよ。修吾の痕跡もなるべく消しておきたいですし。」
晋が毘沙門の事後処理に付き合う事を伝えると、春家は背を向けた。
「うげっ。俺は勘弁な。先帰ってる。」
「ちょっと、春さん。」
毘沙門が呼び止めたが、春家は行ってしまった。
「これだから春さんは…。」
ぼやく毘沙門はそこはかとなく嬉しそうだった。
「さて、では我々も早い所片付けて帰りましょう。」
「はい。」
長い夜は、もうすぐ終わりを迎えようとしていた。
晋の腰で、カランと夜霧の木札が音を立てた。
鎌倉に持ち込まれた蛇姫の檻は、幾重にも張った結界の中に置かれた。まるで厳重警備のショーケースに閉じ込められるような姿だ。中に横たわる大蛇の姿は、すっかり削ぎ落とされた情けないものだった。
「自称神格たる高位の『夜』だ。回復すれば檻は壊れるだろう。」
「ならば早々に話を聞いて置かなくてはな。」
幸衡の言葉に、恭が立ちあがった。その手には当主の刀・黒烏が握られている。恭の隣には義平と重盛が強張った表情で立っている。
『わらわを捕えたは、わらわから情報を聞き出すためか。』
蛇姫はその金色の蛇眼で恭を睨んだ。決して良いようにはされないと目が語っていた。
「所詮蛇。龍には敵わぬ。我等地龍は『夜』が王・龍神より賜りし力にて世の存続を約束する者。如何にお前が強かろうと、また王たる資質を持とうと、我等は龍の牙であり爪である。決して敵うまい。」
『…人の分際で、龍を名乗るか…。』
「お前の心に宿りしは希望・野望・大望。決して稀有なものではない。むしろありふれた夢だ。その欲心を波旬にしたは何か?」
恭の言葉は蛇姫のプライドを突き刺すような鋭利さで容赦なく降ってくる。
「お前を悪魔に変えたは何者かと訊いている。」
『わらわは利用されてなど、いない。』
「いいや。お前は夢に飲まれた。悪夢に食いつくされたのだ。故に今のお前は何者でも無くなった。結局は波旬にもなれなかったのだ。本物の天魔波旬はお前を変えた者。恨むならばその者を恨め。」
『知ったような事を…あの方は、少なくとも地龍どもより我等を、【夜】を想っておる。あの方はいつかより大きな力を以て世の理を統べると約束して下さった。故にわらわは【夜】を統べ、その力を以て世の変革を望むだけの事。貴様等地龍が閉ざした境界を、わらわは破壊したかっただけの事。』
世の理を統べる。
「どういう意味だ?」
恭は蛇姫を見下ろした。
『分かるまいて。長年地下にて蓄えたものは、時そのもの。諸行無常は既に止められはせぬ。あの方は、今度こそ成功させ…。』
蛇姫が何かを言おうとした時、唐突にその大蛇の体から発火し、声も無く炭となった。
恭は、否その場の者全員が息を飲んだ。
「…消されたか…。」
恭のつぶやきに、重盛が息を吐いた。
「余計な事を話されへんように…。」
「九条兼実の仕業って事かよ。」
義平が拳を握ったが、檻の中には既に灰となった蛇姫の残骸がわずかに残っただけだった。
「諸行無常…。」
恭が口の中で呟いた。
それが世の理を統べるという事だろうか…と。
1




