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17 追跡の事

 鎌倉の地龍本家の普段は謁見の間として使用している大きな部屋は、今は固く閉ざされていた。中に入る事が許されたのはごくわずかな人物だけだ。使用人や選ばれなかった武士たちは近付くことすら禁じられた。

 「これが、件の檻か。」

恭が指先で檻に触れた。

 「やめとき。それは特別製やさかい。」

 「特別製?ただの檻にしか見えねぇけどな。」

重盛(しげもり)(よし)(ひら)は檻を挟んで対面に座ったままで会話をした。恭が檻の中を目をこらすように見た。中には闇色の気体がふわふわと漂っている。

 「霊…というには些細な、残留思念のようなものか。こういったものは本来土地に憑く。放っておけば霧散して消える。それを捕まえて檻に入れ留め置くとは…。」

 「まるで虹を捕まえて閉じ込めるみたいやなぁ。」

 「しかも餌を与えて育ててるんだろ?」

それは、幸衡があきらにダミーを作らせた事で、養殖場からひとつの檻を盗み恭の元へ送ったものだった。

 「で?どうしてこれを此処へ?」

義平が檻を指さしながら訊くと、重盛は同意するように黙ったまま頷いた。

 「この檻の構造は非常に興味深いものだ。幸衡の報告では空間のねじれを故意に創りだしているようだという。だが、ただのねじれではあるまい。この中では術力を思うように使う事が出来ないという話もあるらしいが、特筆すべき事は『夜』を増長させる効果だろう。」

二人は、恭の話はどこかの到達点があってのものだと感じた。口を出さずに恭が言葉を続けるのを待った。

 「ねじれた空間。外からは手出しが出来ない。そして中では瘴気を育てている。どこかで聴いた話だと思わないか?」

恭は目を細めて二人を見た。その目には、淡い闇が浮遊している檻の中、そしてそこから始まっていく深淵の果ての更なる奥底を見据えるような鋭さがあった。

 「地下迷宮、やな。」

 「地下迷宮?まさか、この檻の中が地下迷宮と同じ構造だってのかよ?」

義平が問うと、重盛は視線で頷き、答えた。

 「言われて見ればよう似とる。同じような方法いう事は間違いないやろ。」

 「って事は…九条兼(くじょうかね)(さね)が噛んでるって事だよな?」

義平の声は少し震えていた。恐る恐る近付くように問う。恭も同じ気持ちだった。

 「地下迷宮の構造は地龍の誰一人として理解が適わなかったものだ。つまり、唯一無二の、専売特許という事。似たものなど存在するはずがないのだ。檻の構造が酷似しているとなれば、この技を有している者が関わっている事はまず間違いないだろう。」

 「成程。せやからコソドロまがいの事をしてまで檻をくすねて来たんや?これを徹底的に解析出来れば、地下迷宮を攻略出来る言う事やんなぁ?」

重盛が恭の言いたい事をようやく理解したと何度か首を縦に振った。

 「なら祥子(しょうこ)を呼んで急がせよう。」

 「いや。祥子さんは関わらない方が良い。少なくとも今はまだ。この件はさやかさんと、戻り次第あきらさんに頼む。」

 「何で?」

義平が食い気味に言ったが、恭が返した強い視線に息を吐いて黙った。

 「分かっているだろう。耐えろ。突破口は必ず見つける。それより今は(みつ)(たね)殿だ。」

 「光胤ならきっと大丈夫やろ。根性だけは人一倍やさかいな。それに、光胤のピンチや言うたらえらい精鋭が揃って立候補しよってからに、これだけの編成はそうないで?これであかんかったら、もう全面戦争しかないんちゃう?」

 「らしくねぇ事言うなよ、平和主義の小松様よぉ。」

 「せやな。せやけど、夜好会は一級侵犯やで?これだけ大きい揺らぎは前代未聞や。どれだけ駆逐し尽くせば根絶やしになる?全貌も分からんもんを芋蔓式に殺し尽くす言うんは、ただの鬼ごっことちゃうで。」

 「…その一級侵犯というルール自体を、俺は今後は見直していきたいと思っている。」

恭が呟いた。重盛と義平は動きを止めた。転生組である二人は長い時を生きてきたが故に、地龍が現在の形に落ち着くまでの経過を身を持って体験している。殺す事を揺らぎ討伐の最善とした事、組織的恣意的な揺らぎの誘発の対処は殲滅であると決めた事、禁術の指定と処分、今ある多くの規則がそれぞれにいきさつを持っている事をよく理解している。恭が当主となって以来、その多くに見直しを要求してきた。その事に対する反感と、そして時代に即した見直しの必要性を実感している。

 「ええんちゃう?恭くんがやりたいんやったら、やってみたらええ。」

 「そうだな。それで上手くいかなきゃ、また考えりゃいい。俺達はそれを手伝うだけだ。」

重盛と義平は軽い口調で恭の背を押した。

 貴也が死んで、二人の生き方は少し形を変えた。貴也が託した希望、未来そのものである恭。恭を託された二人は、恭を見守り力を貸すと決めていた。貴也との約束だから。そして、その先にある未来は転生システムの破壊。転生の終着。これで最後にしなければ。そう思うが故に、政で手腕を振るう事より恭の補佐に全力を注ぐ事を選んだ。未来を築くのは自分たちではないのだと肝に銘じていた。「老害は去るのみ。」貴也の死に接し、義平が重盛に囁いた言葉は、二人の今後を決めるものだった。

 「ありがとうございます。では、とりあえず今は夜好会の壊滅、と言う事で。」

恭が二人に軽く頭を下げた。二人の意志は恭にきちんと届いている。それが故に、恭は前を向かなければならないと思う。責任。当主としての、そして繋いだ襷の重み。恭はそれを実感する事で自己を自覚する。立ち止まるな。前へ、未来へ。それが恭の使命なのだと。



 幸衡という最高の餌を用意したあきらはよく走る馬だ。異常なスピードで檻の構造解析を進め、その場凌ぎ程度にはなるダミーを作り出した。修吾と光胤の監視や調査では、養殖場には檻の中を視認出来る者は訪れないというのだ、選ばれない檻をただの檻にすり替えたとて問題はないだろうが、それでも保険は必要だった。本物の檻をひとつ地龍本家に送ったので、本格的な解析はそちらに任せる事にし、あきらは次に取り掛かった。光胤の居場所の探知だ。

 「要は逆探知出来ない方法を使えば良いんだよ。」

 「簡単に言いますね。」

あきらの言葉に、晋は相槌とも突っ込みともつかないテンションで返した。あきらは作業に集中しながらも説明をした。

 「よくドラマのセリフにあるだろう?海外のサーバーを経由しているので逆探知出来ませんでした〜って。ああいう事だよ。」

 「…どういう事っすか。」

呆れているのか突っ込んでいるのか分からないテンションで項垂れる晋を、あきらは視界の隅で捕えていた。

 「ま、みったんはあきらが探してあげるから、ちょっと待っててよ。」

あきらが言う後方では、幸衡が修吾の情報を元に作戦を説明していた。

 「毘沙門殿、直近の取引で売買される『夜』を追跡しよう。」

 「了解しました。けれど、光と同じように追跡がバレた場合はどうします?」

 「どちらかが捕まり、どちらかは作戦続行だ。」

 「救出対象が二人になると言う事ですね。」

 「追跡し売買された『夜』のコミュニティーまで辿り着けば、頭は割れるだろう。そうすれば、夜好会を討伐する事が出来る。」

幸衡の説明に、千之助が口を挟んだ。

 「売られた『夜』は商品ですよね?その商品達のコミュニティーなんてあるんですか?」

 「養殖された『夜』は境界を侵すための兵隊だろう。誰が何のために首輪を付けて生かしているかくらいは自覚があるだろう。ならば、個々が完全なるスタンドプレーではないはず。必ず何かしらの繋がりを持ち、連絡機能があるはずだ。」

 「…夜好会に所属している『昼』は完全に操り人形なんですね。人を出し抜いて自分だけが優位に立ったつもりでいて、それは『昼』を侵す事になる。自らの首を絞めているんですね。」

千之助の苦い顔を見て、修吾は肩をすくめた。

 「自業自得デスよ。人を出しぬけば、出しぬかれる。当たり前の事です。文句を言う権利すらありませんよ。」

 「人を殺せば、殺される?」

春家の冷ややかな声が殺し屋という看板を掲げている修吾に刺さる。修吾はいたって冷静に答えた、否、少しの寂しさが滲んでいたが、それは責められて傷付いたからではなかった。

 「当然デス。むしろ、そうあるべきだと思っていますよ。ボクは。」

 「…それでも、人は忘れる事が出来る。俺は、忘れる事で前に進むのも有りだと思ってるよ。夜好会の人達も、何も知らないなら、知らないまま、違う仕事を見つけて生きていく。それで良いと思う。」

千之助の言葉は甘く、およそ武士とも思われないものだったが、修吾はそんな言葉の方が深く傷ついた様子だった。

 「甘いんデスね。どうしてそうやって循環を止めるんデス?負を、そういう優しさとか甘さで行き止まりにするんデスか?良いものと同じように、悪いものにも、弱いものとか負の連鎖とか、そういうものも循環しているのに。なかった事にしないでください。ボクはその循環を信じて来たからこそ、生きて来たんデス。いつか報いがあるはずだって、それが希望だったんデス。」

修吾の目は涙が零れ落ちそうな程に潤んでいた。その唐突の必死さに、千之助が息を飲んだ時、修吾の背後で晋が修吾の頭を軽く叩いた。勢いでひとしずく零れた。

 「シュウ。お前の報いは俺が果たすって約束しただろ。」

晋の穏やかな声が、修吾の耳から体に入って行った。修吾は黙ったまま頷いた。

 「正直ね、俺もそういう甘い主義が嫌いだったんですよ。でも、今は分かります。分かる気がする。そういう考えも、あるって思いますよ。弁天さんとか、光さんとか、そういう生き方を貫く事は、凄い事だって、思います、よ。」

晋が上手く話せず変な所に句読点を置きながら、千之助を見た。千之助は困ったように微笑んだ。晋なりのフォローなのだろうか、その場に起こった揉め事が解決したと判断した晋が、元の通りあきらの方へ向き直ろうとした。そのすれ違い様に、修吾にそっと囁いた。

 「大丈夫。約束は守るよ。」

 「…うん。」

修吾は小さく頷くと、話合いに戻った。

幸衡は様子を見て再び話出した。

 「こちらには、私と毘沙門殿、それから千之助くん、頼めるか?」

 「え…はい。俺は何を?」

 「『夜』の売買に関わった一般人との接触が考えられる。記憶を消してくれ。」

幸衡の指示に、春家は目を細めた。

 「一級侵犯だろ。」

 「ああ、そうだな。だが、この作戦に参加しているのは私達だけだ。」

 「見逃がしてもバレねぇって?」

春家の問いに、幸衡は美しい笑みを返しただけだった。

 幸衡らしくない。光胤のヤマだという事を噛みしても、幸衡らしくない事に対する違和感が漂っていた。けれど、それはある意味でひとつの答えを示している。恭の指示。それ以外にありえない。

 もしかすると、明確な命令ではないのかも知れない。けれど、幸衡の判断は恭の意志に基づいている。それだけははっきりと分かった。

 春家は何も言わずに引き下がった。

 「で、春さんと俺は光さん奪還組って事で良いですか?」

晋が確認すると、修吾が晋の腕を強く握った。

 「ボクも、行く。」

あきらの視線がまっすぐに修吾を捕えた。そしてあきらと反対側から注がれた幸衡の視線とが交差した。

 「修吾くん、ここから先は『昼』には危険過ぎます。」

 「…いやだ、行く。」

引き下がらない修吾を置いて行く事は容易い。気絶させるにしろ、眠らせるにしろ、一時的に気を変えさせる事も、けれどそうしようとする者はいなかった。

 「あきらは、『昼』と関わるのはどうかと思う。でも、この作戦に参加してるのはあきら達だけ、なんだよね?」

 「ああ。そうだな。どうせ一級侵犯、君が死んでも私達は全く困らない。自己責任において、勝手にしろ。」

あきらと幸衡の言葉で修吾の同行が決定すると、千之助は腰から下げた道具入れから取り出した物を修吾に手渡した。

 「シュウ、これを光に。」

 「これ…羽?」

赤に五色を交えた美しい羽は、まるで生きているような輝きだった。修吾はそれを眺めてから、千之助を見た。

 「光の恋人だ。」

千之助の返答が冗談なのか何なのか分からないながら、修吾はその羽を仕舞った。

 「分かりました。」

その言葉を合図に、全員が立ち上がった。

 「あきらはここに残るね。なにかあれば連絡して。」

 「おっす。あきさん、遠隔ナビよろ。」

晋があきらに言っている間に春家と毘沙門が靴を履いて外へ出た。それを追う修吾の背に、千之助が言った。

 「シュウ、君が甘さを受け入れ難いと言うなら、それを受け入れる事が報いになるのかも知れないよ。」

修吾は振り返る事を躊躇った。晋が、その肩に手を置き先を促しながら、千之助に言った。

 「千さんって意外と複雑な事言いますね。それ宿題にさせて下さい。」

晋に促されるままに修吾は外へ出て、晋と千之助も部屋を後にした。

 最後に残った幸衡が、あきらを見ていた。また勝手に幸衡の服を着ている。サイズの合わない服、男ものの服、けれどあきらには似合っている気がした。何を着ていても、あきらはあきらたる事をこれっぽっちも失わない。確かな存在だ。どこまでも、揺らがない存在。幸衡の美学を満たす。

 「あき、行ってくる。頼むぞ。」

 「え〜、それだけかい?もっと、あき、帰って来たら結婚しよう。とか言わないのかい?」

 「…それが特別報酬か?」

 「けち。」

 「そういう事を言って戦場に出ると死ぬらしいぞ。」

 「そうなのかい?初耳だよ。山に籠っている間に下界の文化は変わったね。」

 「ふ。あきは無欲なのか豪欲なのか分からんな。いや、将来の権力者たる私を手にいれたいとすれば豪欲、か。」

 「あきらはどんな幸くんでも構わないよ。でも幸くんは必ず偉くなる人だ。だから、あきらは豪欲なのかも知れないね。知ってるだろう?あきらはいつも腹ぺこなんだ。」

 「任せておけ。あきの腹くらい私が満たしてやる。故に、今は働く事だ。」

 「りょ〜かい。」

幸衡が部屋を出て、扉はゆっくりと音を立てて閉った。

反撃の合図のように、重い音が響いていた。



 闇夜を照らす月光が、多くの『夜』達の残骸をうつしだす。

幸衡の純白の殺気を刀に乗せて解き放つと、その場から逃れようとしていた『夜』達が霧散し消えた。同朋の死に戦慄した『夜』がそうっと姿をくらませようとする所を、毘沙門が愛刀の錆びとする。軽い所作で事も無気に片付けると、最も怯えて見えた一体に狙いを定めて迫る。人に似た形状のその『夜』は、与えられた器を捨てて自己で形を形成出来る程に力を付けていた。それでも低俗霊でしかない。

 「さて、これでゆっくりお話が出来ますね?」

毘沙門の微笑はいつも通りだが、相手の『夜』にはさぞかし恐ろしく見えているだろう。

 『はなし…なんか…。』

震える声が消え入る前に、幸衡が刀を『夜』の手に突き刺した。『夜』の悲鳴がおたけびのように空に響いた。手を貫通し地面に刺さった刀は、月光を反射して異様な美しさを放っていた。

 「聞こえぬな。」

見下ろす幸衡は刃と同じ美しさで、言う。

夜好会の商品売買を追跡した結果、ある資産家の持ち別荘に多くの『夜』が集まっていた。そこには夜好会の商品と思しき物品が多く展示されていた。おそらく趣味専用の家なのだろう。持ち主は先に抑え千之助に託した後、二人は屋敷中の『夜』を討伐しつつ、最も口の割りそうなものを残した。

 『仲間を、探しているのか?』

 「…知っているのか?」

 『知らない。ただ、噂で…。』

 「話していただけますか?」

 『…地龍のネズミが一匹、(へび)(ひめ)に捕まって鬼にやられたって…それから檻に入れられて餌になったって。地龍の武士なら、俺たちも食べたかったって…話して…。』

低俗霊には最高級の御馳走に違いない。

 「蛇姫…鬼?」

 「お前たちを養殖していた頭が、その蛇姫か?」

 『…そうだ。姫の側にはいつも鬼がいて、守っている。お前等地龍が敵うはずがない…。』

言い終わる前に、『夜』は唐突に苦しみ出し、霧散して消えた。幸衡も毘沙門も何もしていない。

 「何だ…まさか、探知されて…。」

 「いいえ…おそらく余計なことを話さないように、始めから仕掛けられていたのでしょう…。」

毘沙門は深刻な口ぶりだった。もっと聴き出したい事はあった。けれど敵の周到さが上回った。ここまでか…けれど収穫はゼロではない。

 「蛇姫…。」

夜好会の構造は恐ろしいものだったが、その夜好会が育てた『夜』は幸衡と毘沙門にとっては大した相手ではなかった。

 「これでは、適当な部隊の演習にでも利用した方が有意義であったな。毘沙門殿、これ以上締め上げた所で無意味だろう。」

 「そうですね。」

雑魚が情報を持っているはずがない。二人は頷いた。生きていて脅した所でそれまでだったと自身を納得させた。

 「とはいえ、残留思念を集めて養殖したと思えば大したものですよ。」

 「そうだな。たまたまこの程度だったが、こうして好き放題『昼』を食い荒らせる環境だ。故により大きなものもいるのだろう。そして、そうする事が目的の養殖なのか…。」

幸衡は思案顔で語尾を濁した。

 「地龍の目を盗んで『昼』を捕食出来る自由な場所ですか…たしかに、このような環境ならばいずれ強大な『夜』へと進化する事もありましょう。」

 「蛇姫…か。蛇は龍と類似している。姫と名乗るからには神格に近い存在なのかも知れぬな。」

通称にしろ蛇姫という名から察するのはそれなりの大物であるという事だ。夜好会を統べているのであれば頭も切れる上、『夜』としての力も相当なはずだ。おそらく光胤が不覚を取るとすれば、蛇姫に違いないだろうと、二人は暗黙の内に目ぼしを付けた。

 「大きな力を持つ『夜』が、このような方法で自身の手足となる部下を作っているのですか?」

 「夜好会は『夜』の組織。九条兼実が夜好会に協力していた理由はともかく、つまりはその蛇姫なる者が、境界を手に入れようとする組織という事だろうと毘沙門殿は言ったな。」

 「常識的に考えて、そのための養殖、そのための雑兵部隊、でしょう。」

明確な国境線がある訳ではなく、物理的な目印がある訳でもない、その境界という曖昧なものが、この世をこの世たらしめる重要な一線なのだ。それさえ思うままにする事が出来れば、この世を思うままに出来る事となる。蛇姫の欲するものは、その不確かながら確固たるバランスの支点であると、毘沙門は推察していた。しかし幸衡は問うた。

 「だが、それは目的か?」

 「…と言いますと?」

幸衡は顔色一つ変えずに淡々と語った。境界の掌握を手段とする目的を…。

 「『夜』は統一された国家を持たない。『夜』の社会はまさしく弱肉強食。強者が弱者を貪るが常。おそらくは、蛇姫は夜好会で巧みに『昼』へ侵攻して見せ、実績と多くの部下を手に入れたいのだ。それらを以て、『夜』の王たる地位を得る腹だろう。」

 「『夜』を統一する、という事ですか?」

 「目的はおそらくそれだろう。」

『夜』を統べる者。確かに野望と言える目的ではある。けれど毘沙門はイマイチ判然としなかった。

 「…しかし…方法はともかく、我々としては『夜』が統一されるのは良い事なのではありませんか?今までのように、話の通じる相手だけに交渉するよりずっとやりやすくなるのでは?」

まるで子供の無邪気な問いかけのような毘沙門の言葉に、珍しく幸衡は明かな不快感を表した。眉を寄せ睨むように毘沙門を見ると、強い口調で否定した。

 「愚かなことを言うものではない。『夜』は統一されてはならないのだ。」

 「え?」

 「『夜』が統一されるという事は、その総力がいかばかりのものか、考えてもみろ。我々が組織を上げて向かっても敵うかどうか…。現状地龍が『夜』としているのは交渉ではない。脅しだ。力による脅迫。だが、その地龍と『夜』の歴然たる力関係が崩壊してみろ。『夜』は迷う事無く牙をむくだろう。地龍との全面戦争、そして『昼』への侵攻。長年の鬱憤も鑑みれば良くて日本は荒れ野原といったところか。」

幸衡の指摘は確かに理屈では道理であったが、毘沙門にとっては考えてもみない角度だった。軽いめまいのような戸惑いを覚えた。

 「まさか…。」

 「故に我等地龍は『夜』の統一を阻んできたのだ。」

 「地龍が、ですか?」

 「いつの世も将たる器は生まれ来る。けれどバランスを保つために、それらの者には死んで貰うしかない。」

 「…そのような事が行われていようとは、知りませんでした。」

バランスを守る、その事の意味は、毘沙門が思っているより遥かに複雑で深い。幸衡の純白の視線を受けながら、組織にはまだ知らぬ顔があるのだと実感した。

 「かつて『夜』の王は龍神だった。そしてその龍神は人と契約し、我等地龍が生まれた。我等ははじめから契約履行のための組織だ。道具なのだ。」

 「ええ、そうですね。この世の理を定めしは龍の御心。境界を侵すはその理に反する事ですね。」

門番たる役割に意志の介在は必要だろうか。装置であるならば、自身はただの部品でしかない。それをどう思おうと、それが現実なのだ。

 「しかし、龍神も残酷なものだ。管理機関ならば心など持たぬ方が良いというに。」

幸衡は気の無い様子で呟いた。けれど、毘沙門はその言葉に首を振った。いつもの穏やかな微笑を浮かべ、畳み掛けるように言った。

 「いいえ。むしろ逆なのだと、俺は思います。兄さんは人の最も尊いものは優しさだと言っていました。光胤で言うならば甘さ、でしょうか。幸ならば、実直さ?のようなものですか。そういうものに、託したのではないでしょうか。『昼』と『夜』は地続きで、境界と言っても明確な線引きはなく、両者は共生関係にあります。この二つのバランスを保つための機関が機械では、おそらく両方を滅ぼしてしまうでしょう。だからこそ龍神は心に、未来を託したのではないでしょうか。」

 「…成程。ならば恭くんは正に龍神の望んだ存在たりえるだろう。彼の目が見つめる地龍の形は、人の心なくしては成らぬもの故に。」

幸衡は満足そうに頷いた。



 あきらの指示により向かった先は無人の倉庫だった。小さな貸し倉庫が並ぶ敷地を歩き、示された地点は中でも最も大きな倉庫だった。面積は養殖場と同じ位だ。春家は息を飲んだ。第二の養殖場なのではないかと思ったのだ。もしそうならば第一の養殖場の檻が目測で五十程。第二の倉庫にも同数が養殖されていれば、常時百体の『夜』を作り出している事になる。それを毎日のように出荷しているとなれば、更に養殖場が他にもあるとすれば…想像しただけで頭が痛くなった。

 晋が倉庫の扉を開けた。施錠は特にされていなかった。養殖場も厳しく施錠したりはしていなかった。万が一無関係な者が倉庫を開けても中は空の檻だ。問題はないという事だろう。手を出せば檻の中の『夜』に食われる。地龍を警戒する必要がない場合は鍵に意味などない。否、地龍相手に普通の鍵など意味はないので結局は同じか。春家は警戒心の所為か余計なことを考え過ぎたと頭を振った。晋に続いて倉庫の中を見た。

 そこは真っ暗だった。修吾が懐中電灯をつけた。

想像に反して倉庫の中はがらんとしていて何もなかった。

 「空…?」

修吾が呟くと、春家が声を潜めた。

 「いや、あそこを見ろ。」

春家の指さす先には、ひとつだけ、檻があった。倉庫の真ん中にぽつんとひとつだけ。

 檻の中には暗く深い闇が漂っていた。養殖場の檻とは違う濃い闇だ。養殖場の檻にはどこにでもある、例えば廊下の隅や、木々の生い茂った場所、古い空家や、廃工場、そんな場所に落ちる影のような普通で当然の暗いものが入っていた。そういうものを種にしていた。けれど、今目の前にある檻の中で漂っているものは、もっと別の何かだった。

 晋と春家は足を止め、その中のものを見極めようとした。闇の中から赤い二つの目が光っていた。何かがいる。

 「ミツさん!」

修吾の叫び声が響いた。

晋は修吾の肩を掴み無闇に檻に近付かないようにした。

 「光さん?」

『昼』の修吾には『夜』が見えない。そのためだろうか、中にいるのが光胤だと言うのだ。

 「光…なのか?」

春家が近づくと、檻の中の目が動いた。頷いた、勝手にそう解釈した春家は、檻を開けようと近付いた。

 「春さん、檻の中にいるのが光さんなら…。」

晋が言おうとすると、通信中のあきらが遮るように言った。

 「幸くんから連絡があったよ。敵の頭は蛇姫と呼ばれる『夜』で、ボディーガードに鬼がいるらしい。みったんはその鬼にコテンパンにされて養殖中の『夜』の餌にされたっていう話らしいよ。もし、そこの檻の中にいるのがみったんだって言うなら、気を付けた方がいい。」

 「気を付けるって…。」

春家が檻の前で赤い目と視線を合わせたまま、訊いた。

 「檻の構造から言って、抵抗できない。大人しく『夜』の餌になるしかないんだ。食べられたら姿形は残らないだろ。でももし、そこにみったんがいるなら、それはみったんが『夜』を食べちゃったって事さ。」

 「光さんが、『夜』を食べる?」

 「『逢魔の血』であるみったんが、その体に流れる『夜』の部分を最大限に使ったとすれば、不可能じゃない。それに、生き伸びるには唯一の方法だと思う。」

あきらの音声は倉庫に無情な響きとなって響いていた。

 「…何に気を付けるんだ。」

春家がもう一度訊いた。

 「『逢魔の血』が『夜』を食べたら…みったんの中の『夜』の量が増えたら、転化する。」

転化する。

言葉は戦慄となって背筋を走り、思考を遮った。

 「みったんは『夜』になるんだ。完全に『夜』になってしまえば、おそらく自我は残らないよ。あきら達の知ってるみったんじゃなくなる。」

春家は檻を開けようとした手を宙に彷徨わせた。

 「春るん、そこにいるのは、本当にみったんかい?」

檻の中の目は、人のそれか?

三人は足をすくませ、息を飲んだ。

―――それは、本当に人か?

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