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16 再会の事

 街中の大通には多くの人間が行きかう。老若男女、職業も、思想も、様々な人間が溢れかえっていた。(しゅう)()は、その有象無象を掻き分けるようにして走った。息を切らして必死に走った。夢中で走っているといつの間にか何故走っているのか分からなくなる。走ると言う行為すら意味が分からず、ただ足を前に出し続ける事が苦痛に思えて来る。

 どうして、こうなったんだっけ。

そう思った時、手が強く握った携帯端末を意識した。

 そうだ、ミツさんが…

修吾は(みつ)(たね)が燃え上がる炎の中に消えてからも、夜好会の調査を続けた。殺し屋としての仕事をしつつ、光胤の失踪を気付かれないよう振舞い、それから取引ルートの調査を続けた。そうして丸二日程命知らずの深入りをしている内に、日常的に取引が密かに行われているらしいルートを掴んだ。ようやく甲斐のある情報を掴んだ所で息をつき、そして決意した。

 光胤が戻らなかったら連絡をするように、と言われた。携帯端末を握り、明確な時間設定は無かったが、二日戻っていないのだ。おそらく何かあったに違いない。もしかすると遅いかも知れない。覚悟を決めて電話をかけた。


 「で、何で逃げる訳?」

春家(はるいえ)が走りながら後ろを付いて来る千之(せんの)(すけ)に問うと、千之助は汗を流しながら吐く息混じりに答えた。

 「分かりません。彼の方から連絡をしてくれたんですけど…。」

 「じゃあ何でよ?」

 「分かりませんって!とにかく、捕まえて下さい、春さん!」

千之助は足がもつれ転びそうになってから走るのを止め、声だけで春家の背中を押した。

 「そうだな、とにかく話してみなきゃな!」

春家が千之助を置いてスピードを上げた。相変わらず前方に修吾の姿が見える。多くの通行人を無理やりに突き飛ばしながら進む。

 「おい!いい加減にしろ!」

春家が修吾の背中に向かって叫んだ。本気で走れば簡単に追いつく事が出来る。けれど此処は往来が多い、超人的な身体能力を発揮するのには相応しくない。結局セーブして兎が亀の役を演じるしかないのだ。

 「それはボクの台詞デス!どうして追いかけて来るんデスか?」

前方から息の上がった声が転がって来た。春家は修吾が人を掻き分けて作った道を走りながら、修吾の転がした言葉を拾う。

 「そりゃあ、ちゃんと話したいし。」

 「ボクの知っている情報はすべてお話しましたし、資料もお渡ししましたよね?ボクには用は無いはずデス!」

 「確かに、君に言われた場所には、すげー調査書があった。でも、俺達は君と直接話したいの。」

 「どうして!」

 「どうしてって…むしろ、どうして嫌がる?」

 「死にたくないからデス!」

市街地の人通りの中を全力で追いかけっこをしながら、叫ぶようにする会話の内容としては、些か物騒に過ぎる。けれど、修吾は必死に叫んだ。

 「ボクは夜好会の殺し屋デス!地龍の第一級侵犯とか言うのに引っかかるんでしょう?ミツさんは側にいればボクを守ってくれるって言いましたけど、今ボクは一人デス。だから貴方方とお近づきになるつもりはありません!」

修吾は足が悲鳴を上げ、汗が目に入り、喉がひりついて、もう限界だと思った。まともな思考をする余裕がない。脳に酸素が足りてない。そう思った時だった。脇道から影が飛び出し、修吾の前に立ちはだかった。

 「(みつ)の守ろうとしたもんを守れなくて、何が友達だよ!」

春家に置いて行かれてから、脇道で先回りしたらしい千之助が、言いながら修吾の胴体を抱きとめるように掴んだ。

 「…友達?」

肩で息をしながら訊き返すと、千之助はにっこりと微笑んだ。

 「ああ。俺達は光の友達だ。光が君を助けると言ったなら、それは俺の約束でもある。大丈夫だよ。だから協力して。」

 「…何だ…早く言ってよ…。」

その場に倒れ込む修吾を支え切れず地面に二人して倒れ込んだ所へ、春家が追い付き見下ろした。

 「光は甘いからな。俺のヤマならジョークにしてもらう所だけど、これは光のヤマだから、流儀に従うよ。」

不思議そうな顔で見上げる修吾に、春家は大きな手を差し出した。

 「俺は春、そっちが千。よろしくな。」

テキトーな挨拶をすると、修吾がのろのろと立ち上がりつつ頭を下げた。

 「ボクはシュウデス。」

春家に合わせた省略の呼び名での挨拶に、春家は満足そうに微笑み歩き出した。



 「ここが養殖場、ですか。このような施設は、さすがにぞっとしますね。」

毘沙門が真夜中の養殖場と呼ばれる倉庫内を足音を立てずに歩いて回ると、離れた場所で檻をしげしげと眺めていた幸衡(ゆきひら)が言った。

 「目に見えぬものを養殖するというのは、なかなかどうかしているな。」

 「半信半疑でもその分の報酬が出れば、人は働くものなのでしょう。」

 「それだけ高値で売買されていると。人の業とは底知れぬな。この世の覇権を望む事よりずっと傲慢に思える。」

 「『昼』『夜』のバランスを司るという機関は、まるで中立であり公正であるようですが、実際は特権階級です。バランスを守る事が出来るという事は即ち、バランスを好きなように出来る事を表していますから。つまり、境界を恣にする事は直結してこの世の理を握るという事です。」

 「覇者となる事と同義であると。」

 「『夜』を養殖する事の意味を考えてみましたが、結局はそこに行きつきます。」

 「境界を手にする事、か。」

 「そして夜好会の場合の境界侵犯は完全に『夜』の側に利があります。」

 「夜好会は『昼』が『夜』を利用して金儲けをしようと言うのではないのだな。」

 「間違いなく違いますね。」

 「光胤くんの報告では夜好会の足取りが長年つかめなかったのは、長老会の仕業だと言う話だったな。」

 「長老会…ですか。おそらく夜好会は『夜』の組織なのだと思います。境界を『夜』の側に有利に侵しているのですから、少なくとも『夜』の…。」

 「『夜』を利用していた長老会の目的は何だったのだろうな。今となっては分からぬか。」

 「ええ。しかし、これだけの施設を大昔から保有していたとすれば、既に境界は我等の知る位置にはないのでしょう。どれだけ手の届く限界まで揺らぎを討伐し続けても、裏をかかれてはどうにも…。」

 「だが、まだ間に合う。」

 「ええ。これは揺らぎです。」

 「大きな揺らぎ、か。ならばそれは討伐せねばな。」

幸衡は毘沙門の言葉に深く頷くと、携帯端末で電話をかけた。

 「あき、緊急で仕事を頼みたい。」

幸衡が話している間、毘沙門は修吾の調査書を見ながら倉庫内を見回した。

電話を切った幸衡が毘沙門の隣に立ち、書面を覗いた。

 「…光胤くんの仕掛けた監視の術が全て解けているな。」

 「ええ。調査が続いていた事を考えれば解く事は考えずらいです。」

 「故意に解いたか、あるいは死んだか。」

 「前者である事を祈ります。」

 「前者ならば、解いた地点で術の維持が困難になったのだろう。生きていればいいが…。」

幸衡の美しい顔に夜闇が落ちると、妖艶さが増すように見えた。

 「とにかく、生きている前提で進めましょう。どちらにしろ、夜好会は捨て置けません。」

 「ああ。そうだな。」

毘沙門は調査書を閉じると、養殖場を後にした。幸衡は用心深くその後を付いて行った。

 「光胤が調べていたのは二つです。売買ルートの掌握。檻の仕組み。売買ルートの方は修吾くんと合流して春さんと千之助が探っています。とりあえず俺達は檻ですか。」

 「売買されていた『夜』がどうなっているのか考えるだけでも恐ろしいな。」

 「結局はひとつずつ追っていくしかなくなるでしょうね。その前に、あの檻をどうにかしなければ商品は無尽蔵に作り出され続けます。どうですか?何か分かりましたか?」

毘沙門と幸衡は、修吾と光胤が張り込んでいた部屋へ向かいつつ話した。

 「高度な封印、と言った所か。外からも内からも術力の干渉を受けない。特別な空間、否、ねじれた空間を作り出しているのだろうな。構造は不明だ。故に私より優れた者に依頼した。」

 「あきらさん、ですか?」

 「あきならば構造解析可能かも知れぬ。ああ見えて正真正銘の天才なのだ。」

 「分かります。風変わりな方は大抵そうですから。」

地龍において一芸に秀でた「天才」と称される者達の多くが、「変人」とも言われていた。何とかと天才は紙一重とはよく言ったものだと思う。毘沙門は上級部隊に行けば行くほどその色が濃いと実感していた。非常識、規格外、故の並はずれた力。ならば毘沙門には手に入る事のないものだ。今更羨みはしないが、それでも本当に大きな事を成すのは、そういう常識の枠の外で生きる者たちなのだと思うと少し感慨は抱く。

 「成程。合点がいった。あきにはあの檻の効力を無効化する方法、そして似て非なるダミーに入れ替える策を考えてもらおうと思う。気が付かなければ商品として出荷したダミーを辿っていく事が可能となるだろう。」

幸衡は毘沙門の感慨になど微塵も気が付くことはないまま話を進めた。毘沙門にとっては幸衡もどこか浮世離れした存在だった。その容姿、その政治の能力、自他共に認める優秀な存在。ただ、その多くの才能ある者達から恐れられる存在である事に、毘沙門は全く無自覚なのだ。

 「して、光胤くんの行方は?」

幸衡が訊きながら、修吾の隠れ家のドアを開けた。

その中には、既に修吾と春家と千之助がいた。元々狭い部屋に大人の男五人はどう考えても鮨詰めだった。

 「場所、変えませんか?」

毘沙門が珍しく笑顔を引きつらせながら言った。


 千之助が乗ってきた処理班の作業車は、元々ひと班分の人員と処理した死体を収容するキャパを持っていたため、修吾の隠れ家より遥かに広かった。修吾が指定する別の広い隠れ家への移動をしつつ、話を続けた。千之助の運転で、隣にナビをする修吾が座っていた。残りのメンバーは後部座席で資料を広げていた。

 「この地図は?」

春家が問うと、修吾は振り返らずに言った。

 「ミツさんが、夜好会の上層の構成員じゃないかって人の車を追跡するのに使ってたんです。」

 「あぁ、探知型の表示じゃないですか?」

 「まだ探知し続けているな。」

幸衡が地図の一点を指さした。赤い印が点滅していた。

車内の空気が変った。緊迫、痺れる何かが張り詰め、全員が口を閉じた。

 「何デスか?」

修吾が恐る恐る訊くと、毘沙門がやわらかいながらも緊張を含む声音で答えた。

 「光胤くんのかけた術が生きていると言う事は、少なくとも光胤くん自身は生存しているという事…だと思います。」

 「本当デスか!車、爆発したのに、生きてるんデスか?」

高揚した声で笑う修吾に、幸衡の堅い声が覆いかぶさるように言った。

 「だが、点滅…。どうだろうか、この手の探知型は初期レベルの術だ。使用し続けた所で消耗は殆どない。それを維持する事が困難、と言うのは…。」

 「良くて死にかけ、悪くて虫の息、だな。」

春家の声からは深い憤りが感じ取れた。修吾はシートに深く背を預けて息を吐いた。

 「それ、どっちも同じデスよ。」

修吾は車窓から店の建ち並ぶ風景を眺めていた。ふと目にとまるケーキ屋は、夜間であるため閉まっていた。

 「ミツさん、ケーキ屋行きたいって言ってたのに…。」

修吾のつぶやきが車内の空気を更に重苦しいものにした。けれど千之助がやけに明るい調子で返した。

 「いいんだよ。アイツももうそろそろ糖分控えた方がいいんだから。」

その声に呼応するように仲間達が口ぐちに言い始めた。

 「確かに、いつも甘いもん食べ過ぎだしなぁ。ちったぁ断食した方が良いくらいだよなぁ。」

 「光胤くんは味覚が子供ですから。」

 「味覚だけではないだろう。」

それを聴いている内に、修吾は集まった面々は確かに光胤の友達なのだろうと思った。


 「して、光胤くんの行方については、どうなのだ?」

修吾の隠れ家その二に辿り着くと、幸衡は再び先の質問を口にした。

部屋はいたって普通のマンションの一室だったが、巧妙な手段を駆使し偽名で借りているらしく足が付きにくいらしかった。

 「不明。」

春家がリビングルームの床に座りつつ言うと、そこにある小さなテーブルに資料を広げ毘沙門と千之助も腰かけた。

 「ミツさん、車からボクを追い出す前に、逆探知されてるって言ってました。それから、突然車が爆発したんデス。」

修吾がお湯を沸かし、幸衡が全員分のインスタントコーヒーを入れた。

 「簡単な探知型だが、気が付くとすれば『昼』ではあるまい。」

 「夜好会は霊能者も雇っているんデス。その霊能者じゃないデスか?」

 「無いわ。それは無い。『昼』の霊能者なんてもんは見えるだけで大した事は出来ない。こっちの探知型に気が付いて逆探知した上、更に火を付ける?絶対不可能。」

 「そもそも、探知型の逆探知なんて、結構高度ですよね?」

 「しかも糸を導火線に火を付けて爆発ですから。このような事はやれと言われても容易には出来ませんね。」

 「相当高位の術者?」

 「長老会…ですか。」

面々が再び険しい顔をした。修吾はよく考えながら言った。

 「夜好会には、四年前くらいから長老会っていう組織の残党だって人たちが多くなったんデス。無名の暴力団か何かが抗争に負けて解散したって事だと思われています。皆刀を持っていて、主に取引現場の用心棒として使われていました。半年前くらいに、大型の取引があって、何者かの武力介入の所為で殆どの人員が殺されたって聴いています。今も元長老会の人っていますけど、もう数える程デス。何て言うか、捨て駒…みたいな。夜好会は、長老会っていう組織を軽視しているような気がします。」

畠山(はたけやま)重忠(しげただ)が持ってきた夜好会の大型取引の情報により、掃討作戦が行われたのは半年前程の事だった。毘沙門も幸衡も参加し、千之助は処理班として事後処理に関わっていた。その事を思い出してみても、長老会は捨て駒、その言葉に間違いがないように思われた。

 「長年長老会の庇護を受けていたはずの夜好会が、何故長老会を助けない?」

 「否、おそらく夜好会を支援していたのは長老会ではないのでしょう。」

 「長老会ではない?」

 「一見長老会に見えるけど、長老会じゃねぇもんって言や、心当たりは一つだな。」

 「…九条兼(くじょうかね)(さね)。」

再び修吾を置いてけぼりにした沈黙が続いた。修吾はその度に心地悪い気持ちになりながら、別の方向へ思考を試行する。

 「あの、それで、ミツさんは…。」

修吾が言いかけた時、春家の携帯端末が鳴った。躊躇いなく取ると、音声をスピーカーにしてテーブルに置いた。そして春家が明るい声で話し始めた。

 「おい、遅いんだけど。お前そんなにフットワーク悪かった?」

 『無茶苦茶言わないで下さいよ。こっちにもこっちの都合ってもんがあるんですから。今向かってますから、そこの地図送ってくれません?』

 「光が大変な時にてめぇの都合優先するたぁ、随分冷てぇじゃねぇの、鬼神殺しさんは。」

 『俺はあの甘党おじさんがどうなろうが知った事じゃないんですけどね、その周りが恐いんで仕方なく参加する所存ですよ。』

 「あまのじゃくな事を言うものではありませんよ。素直に心配なさい。」

 『心配人口が定員オーバーじゃないですか。俺は必要ないですよ。つかびっくりしましたよ、恭からメンバー聴いたら超豪華なんだもん。』

 「人徳…と言いたい所だが、光胤くん程の人が一杯喰わされたとあっては、適当な人員をいくら裂いた所で無意味だ。故に特別班が編成される事になった。」

 『って重盛(しげもり)様が言い出した時、真っ先に手挙げたの幸さんだって聴きましたけど?』

 「光胤会ならば実力に遜色あるまい?」

 「何その会、俺そんな気持ち悪い会に所属してないですよ!」

 「いえいえ、千は初期メンバーですよ。」

 「そうそう、先輩♪」

 『恐いわ、光胤会、超恐い。つか何か飯買っていきます?』

 「あ〜頼むわ。とりあえず五人いる。」

 『とりあえず?何ですか?今の時間だとコンビニくらいしか空いてないんで、おにぎりとかしか買えませんよ?』

 「あきちゃん来るらしいからさ。」

 『え?あきさん来るんですか?そりゃコンビニごと買っても足りませんよ。』

電話先の晋の冗談に、幸衡は面白そうに笑っていた。

電話を切ると、春家は強めに修吾の肩を叩いた。

 「大丈夫。この手のピンチのプロが来るから。光はきっと大丈夫だよ。」

修吾は薄く笑った。


 「あの…何か、むさくないっすか?この部屋。」

部屋に上がりながら文句を言う晋の頭を、春家が軽く叩いた。差し出すコンビニのビニール袋とレシートを受け取る幸衡は、晋を部屋の中へ促しながら言った。

 「揃ったな。」

修吾は晋を見て驚き、そのまま釘付けになった視線を張りつかせていた。晋は修吾の視線を無視したまま修吾の隣に座ると、満面の笑顔を向けた。

 「シュウ、久しぶり。」

 「ススムくん…。」

修吾と晋は地下迷宮で別れて以来の再会だった。

 「生きてて良かった。直さんも心配してたよ。」

 「…うん。ありがと。」

面々が食べながら資料を見て作戦を話し合っている輪から外れて、晋と修吾はぼそぼそと会話を続けた。

 「まだ殺し屋してたんだ?」

 「うん。ボクにはそれくらいしかないし。今は、殺し屋の殺し屋ってとこ。」

 「物騒だね。」

 「それ…夜霧(よぎり)だよね?」

修吾が指さす先には、晋の腰の二振りの内の一振り・裕の遺品である夜霧があった。

 「さすが、お目が高い。父さんは死んだよ。俺を生かすために、俺に殺される事を選んだ。おかげで今の俺がある。父さんのやるべき事は、人を生かす事だった。」

 「…そうなんだ。ヒロさんね、ボクに言ったんだよ。いつか殺しに来るって。それまで生きろって。だからボク、ヒロさんに会うまで死ねないから…。」

修吾の言葉は裏切りを示唆していたが、横顔は穏やかだった。きっと裕の言葉の意味を理解していたのだ。生きろと。

 「そっか。ごめんな。」

それでも、いつか裕に会う事が修吾の中の期待、謂わば希望だった。それは今この場で失われてしまった。寂しさが沸いた。

 「大丈夫。解ってたから。ヒロさんがボクより先に死ぬ確率の方か高かったんだし。」

寿命を全うしても、裕の方が年上であるが故に。

 「じゃあさ、その約束、俺が引き継ぐよ。」

晋の言葉は一瞬空耳かと思うような角度から飛んできた。

 「駄目?」

 「いや、ダメじゃないけど。嫌がってたじゃん。ボクを殺してくれるの?」

 「父さんの代わりに俺がシュウを殺しに行くまで、シュウは生き続ける。それで良いんだよね?」

 「うん。いい。でも、何で?」

 「…うん。だって、あがいてこその命、でしょ?」

晋は屈託のない笑顔を向けていた。修吾は戸惑った。あの頃の晋が絶対にしなかった表情だった。この数年で修吾が変ったように、晋も大きく変わったのだろうと気が付いた。

 「そうだね。」

いつか死ぬその日まで、ただ一生懸命に生きなければならない。修吾が裕と約束したその事は、間違いなく修吾を変えた。何がなんでも生きる、そう強い意志を持つようになった。だからこそ、夜好会の犬となる事を拒み相対しているのだ。より生き長らえる事の出来る道を模索して、無様でも良いから一生懸命になった。そのための約束を、今度は晋が交わしてくれた。修吾は、こんな自分でもまだ生きて欲しいと思ってくれる人がいるのだと思った。裕が修吾を生かし、光胤が再び修吾を生かし、そして今晋が修吾を生かす。どこまでも他人に生かされている事を実感した。

 修吾が時間をかけて笑顔を作り晋に返した。

二人の会話の切れ間を狙ったように千之助が話しかけた。

 「で、どうやって光を助ける?」

 「あ〜っと、シュウ、光さんの携帯預かってるよね?貸してくれる?」

晋が修吾から携帯端末を借りると、電池パックを外した。そして電池パックの方を強くテーブルに打ちつけると、そのケースに入ったヒビの隙間から薄い光が漏れた。

 「やっぱりそういう仕掛けか。これで光さんの居場所が分かると思います。」

 「何それ?」

修吾が晋の手の中の光を訝しげに見ると、晋はケースを壊し中の光を取り出した。それは小さな石だった。うっすらと光る石は柔らかい赤色で、優しくて美しい色だった。

 「これは光さんの術力を切り取って造った石。大昔はこうやって戦場に行く時に家族に渡したりしたんだ。死ねばただの石になるから、生死が分かる。本人の術力を切り取る所為か、本人と同じ『波形』の色になる。石の方は小細工出来ないから、正真正銘本人の『波形』だ。さすが光さん、綺麗な色してますね。俺のとは大違いだ。」

 「そんな術があるとは、知りませんでした。」

 「良く分かったな。」

 「あはは、こういうの、同業者なら皆やってるもんですよ。俺も光さんも隠密活動多いですからね。携帯端末の話聴いて、そうかなって思ってたんですよ。ただ、これをGPS受信機にして光さんの居場所を探るにしても、正攻法は危険だと思います。」

 「ああ、向こうは糸を逆利用するだけの力を有している。怪しい動きをすれば、今はまだ生きている光胤くんの命に関わるかも知れない。」

 「なら向こうに気が付かれないように…。」

千之助が言いかけたが、方法が思いつかなかったのか黙った。

その瞬間、マンションのインターホンが鳴った。

 それと同時に全員が閃いたように目を見合わせた。


 「それで、皆してあきら頼みかい?大の男ががん首揃えて情けないなぁ、まったく。」

床にあぐらをかいておにぎりを頬張るあきらは、口の中をもごもごさせながら偉そうに文句を言った。

 「すまない。力を貸してくれ。」

幸衡が丁寧に頭を下げると、あきらは嬉しそうに鼻をならした。

 「特別報酬で手を打とうじゃないか。」

目を輝かせたあきらの言葉の意味が分からず、全員が首を傾げた。正式任務である以上は報酬があるはずだが、その報酬の値上げを求めているのだろうか。それにしては幸衡を凝視していた。幸衡はしばらく動きを止めていたが、ゆっくり顔を上げあきらを見据えた。

 「分かった。」

 「約束だよ。」

 「武士に二言はない。」

 「あきらの言う事、な〜んでもきいてもらうからね!」

 「…了承した。」

幸衡が苦渋の返答をすると、毘沙門が訊いた。

 「幸が報酬を支払うのですか?」

これは幸衡の個人的な頼みではないのに、幸衡が支払うのは違うような気がしたのだが、幸衡はこの指摘を制止するように手を出した。その手の意味を解説するようにあきらが自慢げに言った。

 「あきらは、幸くん以外では動かない女さ。」

全員が瞑目した。しかし幸衡を差し出して得た力は確かに今最も重要な役割を担う。幸衡を人身御供に出しただけの価値はあるのだ。全員が心の中で感謝と謝罪を唱えた。



 意識と無意識の境界は既に曖昧となり、現在自身がどうなっているのかさえ自覚する事ができなくなっていた。体は今、自身の意志で動くのか?指先はどこにある?今目は開いているのか、それとも閉じているのか?闇が溶け合い視界は無限に広がった事で閉ざされた。心はどこか底なしの奈落に落ちて行くような無限を感じている。自由。そう思った。体という枠から解き放たれれば、ある意味では自由を獲得する。けれど、どうしようもなく心許無い気もする。本能的な恐れだろうか、それとも拠り所を失った不安?

 光胤は自問自答を繰り返すが、思考は意識と無意識の境界と共に曖昧に溶けていった。檻の中は光胤を強く拘束する。修吾が予め言ったように、地龍の武士たちの多くが檻に入れられて消えたとしたら、この檻は間違いなく術力を無力化する力を持つ。そして『夜』を閉じ込める力だ。おそらくその両方の力が光胤には有効なはずだ。『逢魔の血』である光胤は、術力を封じられた武士であり、檻から出られない『夜』でもある。どちらにしろ脱出は困難。

 覚えているのは、光るふたつの目玉。低俗霊の飢えた眼球が、光胤を捕えた喜びの光り。そして無抵抗のまま意識は闇に飲まれた。きっと今光胤は『夜』に取り込まれているのだ。『夜』は人や思念や『夜』を取り込んで成長する事が出来る。求めれば求める程に、大きなものを取り込んで、自身も大きくなる。光胤を取り込めばきっと大きな力を手に入れる事になるだろう。光胤は既に崩壊しかけた自我を無理やりに繋ぎとめながら、思考を探した。まだ諦めてはならない。自己を叱咤しながら足掻いた。

 「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。」

どこかから歌が聞こえた。

気の所為だろうか。

 「欲心熾盛にして、死生不知の奴原なれば、我一人と思ひきッてたたかふ程に、今度も又学生いくさにまけにけり。」

琵琶の音が響いていた。

嫌な歌だ、死に際だというのに、良い気持ちにさせてくれない。光胤は耳の中にハウリングする歌に舌打ちをした。

 「俺様は一人じゃねぇっての。何が命知らずだよ。」

もう自身と『夜』との境界はない。

どこまでも融合していく、溶け合ってひとつになっていく。

光胤は、何とか自分自身を奮い立たせた。

 「死んでも生きてやるっ…。」

 闇が完全に光胤を飲み込んで、檻の中には蠢く『夜』だけが残されていた。

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