12 死霊の事
「ちょっとアニキ、何なんすか、このガキ。」
チープな映画のようなベタなチンピラの風貌をした若者が、頭が悪そうに唾を吐きながら言った。いかにも下っ端の、ヤンキーに毛が生えたような小者感をギラギラに滾らせながら、小柄な光胤に必要以上に顔を近づけた。
「ガキじゃねぇよ、俺様は三十だっての!年上を敬って甘いもんよこせや、下っ端。」
「げ、年上!ってか子供かっ!中身子供かっ!」
負けじとガンを飛ばし返す光胤の年齢と発言のギャップに、弟分が戦いた。そんなつまらないかけ合いをする二人を面倒そうに見ながら、「アニキ」と呼ばれた兄貴分であるらしい中年の男が言った。
「おい、つっかかってんじゃねぇよ、ソイツは長老会の生き残りだ。今日から俺達夜好会の用心棒よ。」
男は物静かな印象が大人の男と言った雰囲気で、おそらく組織に所属してある程度の年数が経っているのだろうと想像できた。
「え…こいつがですか?」
驚き方まで間抜けな弟分の阿保みたいに開けた口を見て、光胤は溜息しか出て来なかった。
光胤は早速、先日唐突に緊急指令として命じられた夜好会潜入の任務に就いていた。重盛は相変わらず周到で足のつかない手段を駆使し、光胤に長老会の残党という立場を与えた。光胤はその立場を利用し夜好会を探した。
すると、長年地龍が組織を上げて捜索してきた夜好会というものに、あっさりと辿りついてしまったのだ。もしかすると夜好会は大昔から長老会と繋がりがあり地龍から足が付かないように仕組まれていたのかも知れない。
とにかくも、夜好会の事務所と言うところへ行ってみると、そこは非合法な組織らしかった。銃や麻薬・人身の売買から、闇金融やら、特殊詐欺などなどに手を染めている、その世界でも有名な組織という事だった。そのヤバい事の中に『夜』の売買があり、『夜』の売買をする時の名を通称・夜好会と名乗っているというのだ。そういう事であっても夜好会は飽くまでも『昼』の管轄内において悪の組織なのであって、地龍から見ればただの揺らぎだ。
『夜』を正確に認識していない『昼』の人々は、『夜』の売買を金になるヤバイもの程度にしか考えていないようだった。そもそも麻薬を扱っているらしい夜好会にとっては『夜』も似たようなものなのだろうか。
それが故か夜好会が『夜』の取り扱いで最も危険視しているのは、地龍による虐殺であった。長老会が崩壊し、その残党たる地龍の武士たちを受け入れているのは、そのための対抗戦力として、という所が最大の理由だった。
光胤は『昼』へ潜入するにあたって、長老会の残党という役作りをどうするか重盛に問うたが、重盛は「そら心配あらへんわ。むこうさんが欲しいんは戦力やさかい、光胤がどないイカレた奴かて、光胤程の腕があれば重宝されるわ。」と笑いとばした。さりげなくイカレた奴呼ばわりされたのは決して本心ではないはずだと念じながら、簡易的な面接とやらに臨んだ所、一も二もなく用心棒の役割を仰せつかった。
「つか、長老会って聴いたこと無いんすけど、どこかの縄張りの組なんすか?抗争に負けて無くなったんすよね。」
「ま〜な〜。」
地龍という組織の実態を知らない『昼』の夜好会にとっては、長老会は無名の反社会団体であり、内部抗争で無くなったと思っているらしかった。
「つか、皆そんなポン刀持ってんすか?何時代の極道すか?サムライすか?」
「うるせぇなお前、俺様に質問したけりゃ甘いもんの一つでも持って来やがれっつの。」
「おう、やめとけ。ソイツはただ者じゃねぇ。お前も知ってんだろ、こないだの取引、全員死んだって話。惨い現場だったらしい。ソイツはそんな奴等に対抗する頼みの綱よ。俺達が束になっても敵わねぇよ。」
「…アニキ…。」
長老会が何であれ、利用できるものは何でも利用する、夜好会の意図ははっきりとしていた。
「さて、行くぞ。」
「行くって、どこに?」
光胤は小走りで付いて行くと、振り返りもせず返答だけが降ってきた。
「仕事さ。」
「借金の取り立てっす。」
「借金の取り立てに用心棒が必要なんて話聴いた事ねぇんだけど。夜好会ってのはライオンにも金貸してんのか?」
「そうじゃねぇよ。」
借金返済が出来なくなった人物をよくマグロ漁船に乗せるだの、臓器を売るだのと言うが、夜好会の場合は違うらしかった。
辿り着いた先は、養殖場と呼ばれる倉庫だった。
その大きな倉庫の扉を開けると、大小様々な檻が無数に積み上げられており、中には靄のようなものが入っていた。兄貴分はその一つを開けると、車のトランクに押し込んで連れて来た借金地獄となり身を売るしかなくなった男を放りこんだ。光胤は戦慄した。
「養殖って…『夜』を、養殖してんのかよ。」
光胤の声は乾いていて、他者の耳に届く前に空気になって消えてしまった。
「こいつは俺達の大切な商品よ。立派に育てて売るのさ。」
檻の中に入れられた男が発狂したように奇声を上げながら暴れていた。見ていられなかった。夜好会の下っ端兄弟分二人はそれを見ずに光胤の足元に目を向けていた。おそらく同じように目を向けていられないのだろう。
「売るって、こんなもの買う奴がいんのかよ。」
「俺達もそう思うがねぇ。欲しい奴が後を絶たねぇのよ。」
兄貴分は訳もなさそうに言った。檻に放り込んだ男を見る事に抵抗はあるようだが、入れる事にも檻にもさした恐怖を抱いている様子がなかった。慣れているのだろうか。違和感を覚えた。
『夜』の買い手は昔からいると聴く。けれど、このようなものを買って一体どうしようというのか、光胤は理解出来なかった。
「どうやって、そんなルートを…。」
「そら、ブローカーがいるのさ。」
「ブローカー?」
そいつがこの気味の悪いシステムを構築した人物だろうか。
「俺達も正体は知らねえ。ただ、噂ではコイツ等を買った連中は皆いなくなっちまうんだと。」
「…そりゃあ、そうだろ。『夜』を『昼』が飼える訳じゃあるまいし。」
地龍の術者が『夜』と契約するのとは訳が違う。十中八九食われて終わりだ。それにしても、何故大人しく人間に養殖されているのか、しかも取引など。光胤には分からない事だらけだった。
「ま、俺達は何も知らされてねぇのよ。そういう立場でもない。使い捨ての駒だ。」
兄貴分が言う事に嘘はないのだろう。おそらく、光胤が、否重盛が知りたい事は何も知らないのだ。
「もちろん、アンタもな。」
そして今の光胤も、その下っ端の構成員たちと同じ、使い捨ての刀だ。おそらくそれでは知る事は叶わない。何とかしてもう少し上の構成員と接触しなければ。そう考えていると、男が指を指した。
「アンタの仕事は、殺し屋の護衛だ。」
「殺し屋?」
光胤が指の先を辿って行くと、倉庫の入口に若い男が立っていた。人畜無害の一般人の見た目をした男は、人好きのする笑顔で手を振っていた。
「どーもー、毎度、殺し屋で〜す。」
「死体は?」
「車で〜す。運んで貰っていデスか?」
「いくぞ。」
殺し屋と短く話すと、構成員二人は倉庫から出て行った。
残された光胤が、にこにこと無駄に微笑む殺し屋を訝しむように訊いた。
「お前が殺し屋?」
「どーもー、殺し屋やってます。人見修吾って言います。シュウで良いデスよ。」
「俺様は光胤、お前の護衛?らしい、よろしく。」
「ああ、長老会とか言う組の残党さん、でしたっけ?よろしくお願いします。」
用心棒の仕事が殺し屋の護衛とは知らなかったが、とりあえず手を出すと、修吾が暖かい手で握り返した。
「お前…シュウは夜好会お抱えの殺し屋って事か?」
「いいえ。ボクはフリーの殺し屋デス。夜好会さんはお得意さんってトコデスね。」
「へぇ、じゃあ付き合いは長いんだろ?」
光胤は少しでも組織の上層部と関わるルートを探そうとした。しかし修吾はふわふわと掴みどころのない調子で話した。
「ま〜、長いっちゃあ長いんデスけど、でも仕事が増えたのはここ最近デスね。何でも、ちょっと前に専属の殺し屋が消えちゃったらしくて。そんでその仕事がボクに来たって訳デス。」
「消えた?」
「はい。ここで、消えたらしいデス。」
「ここで…って…。」
光胤は大量の檻を見渡した。ここで消えたならば間違いなく『夜』に食われた、しかないだろう。
「この空の檻のどこかに消えたんデスかねぇ。」
シュウの言葉に光胤ははっとした。ずっと感じていた夜好会への違和感は、このおぞましい空間に対する危機感の薄さだ。そうだ、『昼』は『夜』が見えないのだ。当たり前のことを失念していた。
「…そうだな。そうだよな。」
先程光胤はこの蠢く怨念の集合体のような『夜』を指して、「こんなもの買う奴がいんのかよ。」と訊いた。けれど兄貴分は空の檻を指して「俺達もそう思うがねぇ。」と返したのだ。そもそも見ているものがあまりにも違い過ぎたのだ。
「夜好会はね、霊能者を飼ってるらしいんデスよ。この空の檻にはね、その霊能者達が捕まえてきた幽霊が入ってるらしいデス。だからここで人が消える。」
修吾は都市伝説でも語るように言った。
『昼』の霊能者が死霊を捕まえ、それを元手に餌を与え肥えさせ、強大な『夜』を養殖するシステムだというのだ。光胤は人間がこれほどまでに恐ろしく醜い生き物だと思ったことは無かった。反吐が出る思いを歯を食いしばりながら我慢して、平静を装った。
長老会は『昼』の組織だった事になっているので、光胤がこの檻を空の檻だと認識しているふりをしなければならない事に気が付き、慌てて軌道修正にかかった。
「で、俺様はこの空の檻からシュウを守るのが仕事って訳か?」
「そうデスね。でも、気を付けた方が良いデスよ。」
目を細めただけの笑顔の修吾は、笑っているのではない。光胤は眉をひそめた。
「あん?」
「夜好会は人を利用してるだけデスから。夜好会が飼ってる霊能者どもも、都合が悪くなったり使えなかったりすると、この空の檻に入れられて二度と出てこないらしいデス。」
おそらくこの養殖場は夜好会にとって都合の良い処分場なのだ。
光胤が檻の中で形を形成する前の歪んだ思念体を憐れむように見ていると、修吾が訊いた。
「ミツタネさん、見えてますよね、檻の中。」
「…。」
何かを確かめるような言い方だった。あまりの唐突さと直球さに光胤は言葉が出てこなかった。
「前に言われました。ただの死体より、見えてる人の方が何倍も良い餌になるって。それで消えた長老会の残党さんも少なくないデスよ。」
「まさか、いくら丸腰にされてもこんな死霊の塊にやられる訳が…。」
地龍の術者・武士達が、いくら敗走の身とは言え、このような低俗霊に食われるはずがない。丸腰だったとしても万が一にも、有り得ないと思った。けれど、その言葉が、修吾にとって確認になっていた。光胤が檻の中の何かを、「死霊の塊」と言った事で確信したのだ。
「この檻、ただの檻じゃないらしいデスよ。」
修吾が言うと、光胤はその檻を見た。
死霊を閉じ込め養殖できる檻、確かに普通の檻ではない。もしかすると、檻の中では術が使用できないのかも知れない。もしそうならば、地龍の術者はただの『昼』の人間と同じだ。死霊に食われるしかない。
「…何で、そんなに俺様に説明する?」
光胤が修吾の方を見ると、修吾は微笑んだ。この状況で笑うのは異常だ。異常者の顔だった。完全に口車に乗せられた、謀られた、誘導された。光胤は修吾の真意を問うた。
「ボクねぇ、夜好会から専属の殺し屋になれって言われてるんデスよ。でも飼い犬は御免なんデス。だから断りたい。でも、断るには夜好会を深く知り過ぎた。もし専属契約しても事情が変われば、この空の檻に入れられる事になる。どうせ遅かれ早かれそうなるんでしょうね。だから…。」
「だから?」
「地龍の方に組織を売って、ボクだけ生き残ろうって腹デス。ボク、まだまだ死ぬ訳にいかないんで。」
修吾は長老会という無名の反社会団体ではなく、地龍と言った。
「…てめぇ、何者だ?」
『昼』の一介の犯罪者にしては知り過ぎている。
「ただの殺し屋デス。でも、多少は役に立ちますよ。」
修吾が言うと、倉庫の扉が開いた。下っ端構成員たちが、今日修吾が殺して運んできた死体の入っているらしい袋をひきずりながら運んできた。修吾はそれを申し訳無さそうに手伝いに行き、話は終わってしまった。
光胤は修吾の背を見ていた。
特に変わったところのない若者の背にしか見えなかった。
光胤が中央に穴の開いたラムネを口に放り込んだ。笛のように音が鳴る駄菓子だった。修吾はそれを横目で見ながら言った。
「暑いデスね。」
「ピ〜。」
何故かラムネの音で返事をする光胤は修吾の方を見ない。
「二人だと峡いデスね。」
「ピ〜。」
「ミツさん。」
「ピ〜。」
「何かムカつくんでやめて欲しいデス。」
修吾が言うと、光胤はラムネを噛んで飲み込んだ。
「お前さぁ、もうちょいマシな場所思い付かなかったのかよ?」
光胤が二個目のラムネを口に放り込みながら言った。
二人がいる場所は修吾の部屋だった。修吾は殺し屋などという稼業のおかげで幾つか拠点としている足の付きにくい部屋があるらしく、そこはその一つだった。けれど空調は無く、なぜかとても狭い。おそらく非常時の潜伏用なのだろうと思われる、生活するためのものが何もない部屋だった。コンクリート打ちっぱなしの建物の物置のような、小さな窓があるだけの一室だった。鍵はあるが、まさか人がいるとは思わないだろうと光胤も思った。それにしても桜が散り季節が暖かい方向へ変わってきていたため、どうにも暑さと狭さとむさ苦しさは拭えなかった。
「でも、ココが養殖場に一番近いんデスよ。ココなら何かあった時にすぐ駆け付けられるでしょ?」
「まぁ、そうだけどよ〜。」
光胤が再び笛を吹いていた。修吾がコーラを飲みながら真剣な眼差しを向ける先には小さなテレビがあった。コンセントも配線も何も繋がっていないただのテレビだ。けれど、そこには養殖場の内部がリアルタイムで映し出されていた。
「しっかし、地龍の人の術ってのはホント凄いデスね。超能力じゃないデスか。」
修吾は光胤に一緒に夜好会を調べるかわりに、確実に夜好会を潰してくれと言った。自分が生き残るには、それしかない、と。けれど自信満々に言った割に上層部とのパイプなどは無いらしく、やる事は養殖場の監視だった。監視カメラを仕掛けたり、近くで見張っていては発見されてしまう可能性があるため、仕方なく光胤は探知型の術を展開させ養殖場内部の映像を離れた場所で見る事にした。モニターがあれば電気が無くとも探知先の映像を映す事が出来ると言うと、修吾はその辺のゴミ捨て場から小さなテレビを持ってきた。それから二人でひたすらに映像を見続けていた。
大量の檻が積み上げられた倉庫内は、思ったより人の出入りが多かったので、光胤はいちいち修吾にその人物について訊いてはメモをとったりしていた。乱暴な口ぶりから想像していたより、やる事が丁寧で緻密だったので修吾は意外に思った。
「超能力じゃねぇし。っつか、そろそろお前が何者なのか教えろよ。」
買い込んだ駄菓子の物色をしながら光胤が訊くと、修吾は変わらず笑っていない笑顔を作っていた。
「シュウ、その顔やめろ。気持ち悪りぃ。」
「ええ?そうデスか?ボク根っからの殺し屋なんで、笑い方とかどーでも良いと思いマス。」
接客業でもあるまいし、否ある意味では接客業なのか?とぶつぶつ言っている修吾を見て、光胤は既視感を覚えた。
「あ〜、マジ、分かったわ。俺の知り合いにシュウに似た奴いるわ。上手く笑えねぇ奴。根っからの殺し屋みてぇな奴。」
「え〜、そうなんデスか?仲良いんデスか?」
「犬猿の仲だな。」
「あっはっは!勘弁して下さいよ。ボクにとってはミツさんだけが頼りなんデスから。」
「別に俺様は『昼』の連中が『昼』の枠組みの中でどうなろうが知ったこっちゃねぇんだけどな。」
光胤の突き放した言い草に、修吾はへらへらと笑いながらオーバーに「え〜!冷たい!」などと騒いでいた。
「けど、きっと蘭は違うだろうからな…。」
光胤が画面を見つめながら呟いた言葉を修吾は聴いていなかった。
光胤の目は修吾の目からは見えない檻の中を見ていた。
平和な世にしか現れないという鸞鳥である蘭と再会を約束した光胤にとって、このような暴挙は許せなかった。蘭の生きる世とは程遠い、乱れたあり様。人為的な世の乱れを繰り返すこの世の歴史は愚かに過ぎる。
「夜好会は野放しにしては置けねぇよな。」
「わっ。ミツさんがやる気だ。ボクの事助けてくれる気になったんデスか?」
「ま、シュウはついでだな。」
殺し屋などという稼業をしているからには、おそらく悪人というやつなのだろう修吾を、光胤は守ろうと思った。
「わ〜い。ついででイイデス。命拾いしました。」
子供のように手を上げる修吾が、悪人には見えなかった。
「俺様ってば甘党だからよぉ。」
千之助ならば悪人を生かすのに労力を割く事を好ましく思わないだろう。それでも、地龍は『昼』ではない。『昼』の悪人は『昼』で裁かれるべきなのだ。
「ま、ミツさんの主義はイイデスよ。ボクが生き残るために、今はミツさんが必要なんデスから。利害が一致したって事で、よろしくお願いしますね。」
修吾の飄々とした態度を若干不快に思いながらも、光胤にとっても修吾は利用価値がありそうなので仕方なく飲み込んでおいた。
「なぁ、こいつ誰?一昨日も来てたよな?」
画面を指指すと、修吾が目をこらした。
「ああ、知らない人デス。でも、ボクが知らないって事は上の人かも知れませんね。」
スーツ姿に眼鏡でありながらカタギには見えない、如何にもインテリヤクザ風の見た目を目で追って行くと、男は檻の前を行ったり来たりしていた。
「こいつ見えてんのかなぁ。」
「檻の中ですか?いやぁ?夜好会の構成員は多分、霊感ゼロデスよ。」
「何で?」
「だって、そんな人いるならカタギの霊能者なんて飼う必要ないじゃないデスか。」
「じゃあ何してんだろうな、こんな物騒なトコうろうろしてよ〜。」
「あ、あれじゃないデスか?次の取引に使う商品を選んでる的な。」
「馬鹿、見えねぇっつったのシュウだろうが。どうやって選ぶんだよ?」
「あれ、言ってませんでした?檻には印がついてるんデスよ。いつから養殖を始めた商品か分かるように。だから頃合いを見てるんじゃないかなぁ。」
「…っそれ早く言えよ!」
そう言われてから見ると、男は檻をじろじろと見ては別の檻へ移動し同じような事を繰り返していた。日付から出荷の時期を考えているのだろうか。もしそうならば出荷を判断する権限のある構成員という事になる。マークするに足るだろう。
「よし、あの男を尾行する。」
光胤が立つと、修吾は慌てて追いかけた。
「ちょっと、待って下さい。」
「シュウは来なくても良いぜ。こっちから連絡するから。」
「いいえ、駄目デスよ。もし見つかった時、ミツさん一人じゃ怪し過ぎます。ボクの用心棒なんデスから。ボクといないとおかしいデスよ!」
「…っち。分かった。早く来い。」
光胤は修吾に合わせてゆっくり走った。『逢魔の血』である光胤は地龍でも最速クラスだ。『昼』に見つかっても捕まる事も攻撃を受ける事も心配はしていなかったのだが、それでも修吾がいれば接触するとっかかりになるかも知れなかった。
「あの、ミツさん。」
「あん?」
「あの檻の中には、何が入ってるんデスか?」
修吾が走りながら訊いた。光胤は振り返らずに言い淀んだ。それから躊躇うように言った。
「死霊だ。無念の内に死んだ霊の残留思念を無理矢理捕まえて、閉じ込めて、同じような怨念を与えて増長させ、膨れ上がった亡念に人間を与えて食わせて、戻れないくらいに太らせて、大きな瘴気になって、そしてその内何らかの形を形成し邪悪な『夜』になる。」
「『夜』…。」
「そーなったらいい加減『昼』の連中にも見えるかもな。でも、そうしたら最悪だ。もう手ぇ付けられねぇよ。」
「地龍でも?」
「馬鹿。俺様達が何のために鍛えてると思ってんだよ。」
光胤が鼻で笑い、修吾は少し安心した。けれど光胤はすぐに真面目な声で続けた。
「はっきり言ってこれは揺らぎの域を越えてやがる。完全に禁術だ。地龍では禁術指定された術を実行した場合、最悪の場合死罪だ。第一級侵犯なんて、随分なルールだと思ってきたけどよぉ、これは冗談じゃなく駆逐対象だぜ。」
「死罪…って事は、殺すんデスか?」
光胤の言葉は修吾に理解させる気のないものだった。しかしその断片をかいつまみながら理解しようとした修吾が他意なく訊いた。
殺すのか、と。
「シュウ、夜好会は第一級侵犯、関係者と関係者かも知れねぇ奴、ともかく片っぱしから全員殺せってのが、地龍の決まりだ。」
光胤は感情のこもっていない声で言った。
「え?それって、ボクも、ですか?」
関係者、間違いなく修吾は夜好会の関係者であり、駆逐対象だ。
「ああ、そうだ。」
光胤の返答に、修吾は息を飲んだ。
「だから、俺様から離れるなよ。」
修吾が顔を上げると、光胤が振り返り得意気に笑っていた。
「はいっ!」
光胤は養殖場に着くと、男のものと思しき車を探した。修吾は組織の構成員が人目を憚って駐車するだろう場所を挙げ、しばらく探すと隠すように駐車されている車を発見した。そして、光胤はその車体の下に何かを貼り付けながら術をかけていた。
「なんデスか?」
「追跡だ。尾行用。これで見失っても、車の場所は分かる。組織の社用車で、たまたま乗ってきただけとかじゃねぇと良いけど。」
闇の組織にも社用車という言葉を使うのか気になりながら、修吾は車内を覗き込んだ。
「何となくデスけど、自分の車じゃないデスかねぇ。」
「ふうん。ま、いいよ。とりあえず、隠れるぜ。」
倉庫の大きく重い扉を閉める軋んだ音が響いた。男が車に戻ってくる。光胤は修吾の背中を押して物影に隠すと、自分は車の運転席側のドアの下に何かを置いてから隠れた。
「何デスか?」
「一応保険。」
男は二人に気が付く事なく車に乗り込み、倉庫を後にして行った。光胤は車が完全に去ってしまうと、車が止まっていた場所へ戻り、地面を確認した。
「よし、踏んだな。簡単なマーカーだ。地龍同士じゃバレるだろうが、相手は『昼』だからな。これで車を降りても追跡できる。」
「便利デスね〜。」
素直に感心する修吾を蹴り飛ばしながら光胤が言った。
「馬鹿。ぼさっとしてねぇで車出せ。」
「人使い荒いなぁ…。」
「俺様は勤勉なんだよ!怠けてっとシバくぞ!」
乱暴な光胤に半ば無理やり動かされる形で、修吾は隠しておいた車に乗り込んだ。
車は夜の街中を走行していた。真夜中の街の中は飲食店以外は閉店しており、助手席の光胤は棒付のチョコレートを銜えたままそれを眺めていた。
「あ〜あ、折角知らねぇ街来たんだし、ケーキ屋とか行きてぇなぁ。」
「あはは、勤勉はどこへ行ったんデスか?そう言えばボク、先月元パティシエっておじさん殺しましたよ。」
「馬鹿野郎てめぇっ!パティシエなんて神がこの世に与え給うた楽園の創造手じゃねぇか!何て罪深い事しやがる!」
「え〜、でもそのおじさん妻の浮気相手殺すために毒入りケーキ作ってましたよ。」
「…堕天した者に慈悲はいらねぇな。…あ、そこ右な〜。」
意気消沈の光胤が雑なナビゲーションをした。
「で、どうするんデス?」
「何が。」
「あの男を追って、次は?」
「とりあえず、取引までのプロセスを探る。」
「取引現場を押さえようって事デスか?」
「いんや、無事に取引してもらうさ。まぁ、今んとこ直近の目的は、売買された『夜』の行先を追跡。そこからブローカーって奴に近づければ上々。それから、もう一つ。」
「もう一つ?」
「檻だ。」
「檻?」
「養殖場の檻。あれにどんな仕掛けがあるのか調べる必要がある。何とか一個手に入らねぇかなぁ。」
「盗むんデスか?」
「考え中。」
「面倒臭いデスね。皆殺しちゃえばいいのに。」
「そんじゃ取りこぼすだろうが。人が家畜の顔を見分けられねぇように、俺様達は『昼』の顔なんざ見分けられねぇんだよ。夜好会の連中がカタギのフリして街に消えたんじゃ追跡できねぇ。組織は根っこから絶やさねぇと、堂々巡りだ。」
「ボク達は家畜デスか。」
「家畜は大人しく飼育されてりゃ良いものをよぉ。本当、守り甲斐がねぇよなぁ。『昼』も『夜』も。」
「柵が悪いんじゃないデスか?」
修吾が何の気無しに言った言葉は、光胤にとってはある意味正解だった。『昼』と『夜』の間に完全なる断絶を齎す事が出来れば、このような愚かな揺らぎは起こらないのだ。けれど、結局は『昼』も『夜』も地続きの存在で明確な境界を設ける事は出来ない。すべては循環しているのだから。それならば、その柵の役割を担うのは地龍だ。柵が悪い。確かに地龍が万全に機能していれば問題はない。
光胤が口から出した棒にはすっかりチョコレートが付いていた痕跡を残していなかった。
「甘いもん食いてぇな〜。」
車窓の外にこぼした光胤のつぶやきに、修吾は今の今まで食べていたチョコレートは一体何だったのだろうか、と思ったが口にするのは控えておいた。
修吾の瞳には数十メートル先にまで近づいた男の車が映っていた。
緊張しつつチラリと光胤の表情を確認すると、ニヤリと笑っていた。
獲物を狙う猛禽類のような鋭い眼差しだった。
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