10 夜行の事
突然の畠山重忠の来訪より数日の後、重忠は再び恭に会いにやってきた。
要件は相変わらず二つ。一つ目は『夜好会』の取引情報の詳細について。そして二つ目は晋の見合いについてだ。無論恭にとってはまず『夜好会』の討伐が最優先事項だったが、現在は二つ目についても興味を持っていた。二度目の来訪である重忠とは、恭も腹を割って話したいという気持ちもあり、『夜好会』の情報を幸衡に渡した後は二人きりで話す場を設けた。
まっすぐな男である重忠は、遠まわしに腹を探ろうなどとはせず恭に向かった。
「揺らぎ討伐のデータの統計などをとっておられるとか。そのような事をして地龍殿はどうされるおつもりか?」
「それは今後の参考のために。」
恭は幸衡に命じ、多くの討伐のパターンの統計を取っていた。その為のデータ集めには全国から協力を要請した事もあり、恭の意図に疑問を覚える者は少なくなかったのは事実だった。
「参考?それはつまり討伐方法に疑問が?」
「二次的、三次的な事を考えれば殺す事が最善であるとは、俺も理解しています。」
始めに揺らぎが起こった時に殺しておかなかった事で、被害が大きくなる事は珍しい事ではない。
「その通り。地龍組織も馬鹿ではありません。長い時をかけて得た答えが、全てを駆逐する事なのです。それが分かっていて変えたいと?」
「ええ、分かっているからこそ、変える事に意味があると思っています。」
「全てを生かすと?」
「それは結局はケースバイケースです。けれど、生かせる案件を無理に殺す必要はないと考えています。」
「記憶の操作、ですか。しかし、記憶をいじるというのは存外殺す事より酷であるやも知れませぬ。そうまでして生かすと?」
「敢えて誤解を恐れずに言うが、俺は死ぬ者に然程興味などないのです。死ぬ者はそれで終われる。」
恭が言う言葉だけを見れば何とも冷酷な事だ。重忠は眉をひそめた。
「ふむ。意外な御答え。では何のために命を尊ぶので?」
「要は生きる者のためです。例えば殺す方。死ぬ者は良い、だが、殺す方は良心の呵責と戦いながら生きなければならぬ。そして殺し続けなければならぬ。現在の地龍はそういう組織です。また、例えば残される方。誰かが死ねば、誰かが残されます。」
重忠には「晋のため」と言っているように聴こえた。
「成程、生者のためであったか。」
「そのように生死の選択を行う事は傲慢と思いますか?そのような権利があろうかと。」
「いいえ。権利などというのは所詮弱者の戯言。決定権は常に強者にある。故に、地龍殿が思う通りになされば良い。」
ガチガチの武士である重忠の弱肉強食論は意外でもあり、またらしくもあった。
「反対するものと思いましたが。」
「まさか。私は地龍殿の真意を知りたいと思うただけの事。それ以上ではありませぬ。我等武士は一度主と定めた御方のために尽くすが義。そのように顔色を窺う必要などありますまい。命じれば良いのです。貴方は地龍当主なのだから。」
「俺は独裁者にならんとは思いません。力を借ります、重忠殿。」
恭は改めて重忠に頭を下げた。
「変わった御人だ。この重忠、喜んで尽くしましょう、御身の理想がために。」
互いにある程度の意志疎通が成った所で、恭が恐る恐る訊いた。
「…して、晋に見合いをさせんとする意図はなんなのです?」
「意図、とは。よもや私が藤原摂関家が如く縁戚による地位向上と維持を目論んでおるとでも?」
「そうは思いませぬ。が故に謎めいているのです。」
矢集は決して良い家系ではないが、地龍当主の側近という立場を考えれば、縁戚を持って地位を得ようとするのは無い話ではない。けれど、それをするとすれば、もう少し下級の者だ。そして畠山家はそのような必要のない程の名門だ。となると、何故晋なのかが、あまりにも謎だった。
「いやはや、謎など皆無。噂が通り、我が末の娘・仁美は生まれながらに愛らしく正に目に入れても痛くない程に可愛がってきました。今までに仁美の望みで叶えてやらなんだ事は何ひとつとして無い程です。そして、その娘が望んだのですよ。矢集殿との結婚を。」
「…本人の望みであると?」
謎が謎を呼んだ回答だった。
「私も可愛がって来た娘を嫁がせるなど考えた事もありませんでしたが、相手が矢集殿であれば、と思うた次第。もちろん、仁美を泣かせるような事あればその命亡きと思うて頂くが。」
重忠自身が晋という人間をいたく気に入っている事は大前提にあるようだった。
「…よもや、政略ではないとは…。晋は完全に重忠殿の意向であると思うております。」
晋は完全に重忠が晋を手に入れるための策に娘が利用されているという構図を作り上げていた。
「構わぬ。仁美に会えば解る事です。」
何故か自身満々に微笑みを湛えながら、何度も深く頷く重忠は、仁美が晋にふられるという可能性など考えていないようだった。
恭は益々訳が分からなくなってしまった。
三月になり、ようやく冬の出口が見えてきた鎌倉の小さな教会では、静かに祈りを捧げる一人の男がいた。男の名は三浦能通。先代地龍当主・貴也に見染められ、鎌倉七口・大仏坂守護に就いて早七年が経っていた。
能通が目を開くと、その直後複数の男が教会に入って来た。
「能殿、やはり此処か。」
「虎。すみません、探しましたか?」
「いや、どうせ此処だろうと思って、集合場所を此処にしておいた。」
鎌倉七口・巨福呂坂守護である兼虎が相変わらずの鍛えられた大きな逞しい体と迫力のある顔で穏やかに言った。そして、その後ろから顔を出したのは、鎌倉七口・化粧坂守護であり実質的な七口のリーダーである毘沙門こと安達道白。矢集晋と藤原幸衡だった。
「何を熱心に祈っていたのですか?」
毘沙門が能通に近付いて行くと、兼虎が先に答えた。
「そりゃあ、もうすぐ生まれる第一子の事だろう。なぁ、能殿。」
「まぁ、それもあるが…。」
苦笑いする能通は、妻である旧姓・和田瞳との間に子供が生まれる直前だった。その事を聞いた瞬間、晋が大きな声を出した。
「え…そうなんですか?おめでとうございますっ。」
少し高揚したように能通に向かう晋に、能通は気押されるように答えた。
「あ、ああ。ありがとう。あれ、晋くんは妻と面識があるんだっけ?」
「…あ、そうですね。ちょっとだけ。和田知将さんと親しくさせて貰ってるんで。」
「ああ、それで。」
晋の理想の父親である和田知将の妹であり、かつて恋した人である和田瞳、その人が晋をどれだけ憎んでいたとしても、少しでも元気でやっているのだと知る事は、晋にとって嬉しい事だった。晋と出会った時の瞳は最初の夫を裕に殺され憔悴していた。裕への復讐を晋に負わせ、呪いのように傷を残していった。その事は今でも晋を苦しめる。それでも瞳には幸せになって欲しかった。
「でも、それなら今回の作戦には参加しない方が良いんじゃありませんか?『夜好会』って『昼』とは言え結構武装して戦う気満々らしいんで、危ないですよ。」
晋が問うと、能通は首を振った。
「いや、微力ながら参加させて欲しい。自分に都合の良い仕事ばかり選んでいては視野を狭めてしまう。」
「感謝する。」
幸衡は涼しい顔で能通に礼を述べた。
「大規模な処理班の要請は出来ている。兼虎殿は救護班を統括してくれ。」
「ああ、任せてくれ。」
現在の兼虎は大きな医療系術者の部隊を個人的に組織する事を許され、戦闘部隊の他に、医療系術者の養成に力を注いでいた。
「兼虎さんがいれば安心ですね。」
毘沙門がいつものように穏やかな微笑みを浮かべていると、教会に残りのメンバーが入って来た。
「って言うか、高綱さん教会似合いませんね。陶芸家みたいな風貌で何を懺悔するんですか?」
童顔でジャージ姿の鎌倉七口・亀ヶ谷守護・那須直嗣。有能な若手育成に力を入れ、数多くの実力者を輩出している。
「直こそ、すみませ〜ん、ボール飛んで来ませんでしたか?って言いながら割れたステンドグラスを見上げる少年にしか見えないな。」
山奥の陶芸家のような風貌の、鎌倉七口・朝比奈守護・佐々木高綱。転生組である見識と物腰で全体を支える。
「二人で面倒臭いストーリーつくり始めるなよ。直、作戦前にふざけるな。集中力を欠くと怪我じゃすまないぞ。」
小さな体に鋭い猫のような目をした、鎌倉七口・名越坂守護・菊池実親。身分に関わらず実力で登用した小隊を編成し、独自の道を模索する努力家である。
「人の心配をしている場合か、親。君の所為で二分遅刻した。物事を効率的に運ぶにはまず時間を守らなければ。」
眼鏡のフレームを指先で上げながら知的な視線を流す、鎌倉七口・極楽寺坂守護・平宗季。合理主義の極みとも言える効率重視の鬼才で、無駄を省き先進的な作戦を実行している。
「何だよ、宗。俺は待ってろとは言ってない。」
「親さん、怒らないで下さい。僕が悪かったんです。すみません。すみません。」
がやがやと賑やかに登場した四人を見てから毘沙門は言った。
「揃ったようですね。では皆さん、聴いて下さい。今回の作戦は『夜好会』の取引現場を抑え、討伐する事です。今回は命令ではありません。飽くまで自主的な参加という事ですので、無理強いはしません。」
畠山重忠より『夜好会』について一任されてから幸衡は、まず協力者を集う事にした。『夜好会』討伐はどうしても汚れ仕事という感が否めない。幸衡が作戦用にどこかの部隊に出動命令を出したとしても、おそらく不満が出るだろう。晋のように汚れ仕事を主に請け負っている者もいるので、そういった者を集めるのも一つの手ではあったが、それではこれが汚れ仕事なのだと公言しているようなものだ。そうではないと、これも立派な仕事なのだという事を言いたかった。その結果、任意で晋に協力してくれる者を内輪で募った所、迷わず毘沙門が立候補した。その後七口の面々が手を上げたので、現在の構成となった。鎌倉七口全員参加の上、幸衡が入った作戦は、現在の地龍の中ではかなり豪華な編成だ。
幸衡は集まった面々を見て、軽く頭を下げて言った。
「思った以上に派手な人選となったが、これも晋くんの人徳だろう。私の声かけに応えて貰って嬉しく思う。今回の討伐対象である『夜好会』は第一級侵犯だ。女子供は元より、関わっている可能性を持つ者全てを殺さなければならない。決して気楽な仕事では無いだろうが、よろしく頼む。」
「よろしくお願いします!」
幸衡に続いて晋が丁寧に頭を下げた。そして全員の表情が引き締まった。
『夜好会』の大口取引は、真夜中の倉庫が建ち並ぶいかにも怪し気な広場で行われる予定だった。先の情報から、離れた場所に狙撃手として直嗣、救護班を率いた兼虎、多くの処理班が待機し、倉庫の影に残りのメンバーが様子を窺っていた。何人かの『夜好会』の関係者と思しき人が辺りの様子を窺うようにうろうろとしていたが、取引はまだこれからのようだった。
晋は毘沙門と二人で一番近い倉庫の影に陣取り、様子を見ていた。
「晋、お見合いをするそうですね。」
場の緊張感をぶっ飛ばす話題をぶつけてきた毘沙門に、晋は目をむいた。
「嫌なのですか?」
動揺する晋に、毘沙門は首を傾げた。晋は、毘沙門の目を見ないようにして答えた。
「そもそも、俺は龍脈維持装置です。初めから人じゃないし、父さんも人として育てなかった。それを俺が人であろうと抗う事は愚かな事です。それでも俺一人じゃ不可能な事だけど、恭が望めば話は別です。恭が望む限り、不可能な事なんてないって信じられます。でも、そうだとしても、俺が誰かと生きるなんて、考えられません。幸せになんて、出来ません。」
晋は正直に言った。毘沙門は穏やかな微笑みを絶やす事なく呟いた。
「薔薇は薔薇という名前でなくても、ですか。」
「え?」
「晋が、持って生まれた家名とか、宿命がどんなものでも、晋を晋たらしめる心とは関係の無いものです。地龍の婚姻はその多くが家同士のものです。でももし、晋自身に好意を抱いてくれる人が現れたなら、家名も宿命も関係ありません。すべて忘れて晋自身で向き合えばいいのです。相手も子供じゃありませんから、自分で選んで決めた結果がどうであろうと、晋一人が責任を負う必要などありません。」
「…そうでしょうか。勝手じゃないですか?」
「どうせ恋愛などというものは勝手なものです。後先考えていると乗り遅れますよ。晋は、ある意味で俺が育てた部分もありますから、自信を持って言わせて貰いますけど、晋は良い男ですよ。その気になれば女性の一人や二人簡単に手に入るでしょう。」
「…常識的に見て、それって悪い男ですよ。」
「まったくです。」
微笑む毘沙門の通信機に直嗣から連絡が入った。
「来ました。取引が始まるみたいです。」
遠くから俯瞰で見ている直嗣の報告を受け、毘沙門と晋がアイコンタクトで頷いた。晋が倉庫の影から飛び出すタイミングを窺おうとした。後に続こうとする毘沙門が身を乗り出すと、晋が後ろ手でその上体を押えた。
「待って下さい。道白さん、変だ。」
「…何です?」
晋の反応と同じタイミングで別の倉庫の影から様子を窺っている幸衡から通信が入った。
「あれは地龍の人間だ。『夜好会』の警護に地龍の者が混ざっている。」
全員の動揺に付け加えるように宗季が報告した。
「長老会の残党だ。おそらく行き場所が無く、『夜好会』へ逃げ込んだのだろう。」
そして全員が思った事を高綱が敢えて言葉にした。
「つまり、地龍同士の戦いとなる訳か。一方的な『昼』の虐殺、とは行かなくなったと。」
数が多いだけの『昼』を相手にするつもりだった作戦が、地龍相手となった事で緊張感が跳ねあがった。実親が唇を噛んだ。
「死ぬなよ。」
直嗣が銃を置き、矢を構えた。
「援護します。」
毘沙門が晋の肩にそっと手を置き、目で覚悟を示した。そして全員に向かって言った。
「行きましょう。」
毘沙門の声を受け、全員が戦闘を開始した。
能通は作戦の無事を神に祈った。
『夜好会』は地龍の襲撃を受けたが、そう慌てる様子が無かった。それと言うのも今までとは違い味方に長老会の残党を加えているためだ。しかし、地龍側もいつもとは違い精鋭を揃えて来ていたため、『夜好会』側の目論見は外れ押され始めた。
「なっ、鎌倉七口だとっ!何故このような上級武士が…まさか我等の存在がバレて…。」
『夜好会』側の武士たちが動揺した。本来の『夜好会』の討伐は『昼』の人間の虐殺であるため、それ程の使い手は必要ない。過去の例を見ても、鎌倉七口などという上級部隊が出動する事は異例中の異例だ。『夜好会』側もそう思っていたが故の余裕であった。しかし、今日この夜は、地龍内でも選りすぐりが揃っていた。
「悪いな。貴様等落ち武者がよもやそこまで落ちていたなどという事は流石に予想もしていなかった。」
幸衡の白い殺気が敵を切った。その清い刀身は血液を弾いて気高い殺気を映していた。
「親、高綱、逃げ道を塞げ!」
宗季が叫びながら、自身も逃げようとする者の退路を断つべく移動した。それを阻もうとする長老会の残党達の攻撃を、刀で受け流すと誘い込み、一気に片を付けた。
実親と高綱も、その声に応じて倉庫同士の隙間道など、目につく退路を断つ配置に着いた。実親の刀がその短い刀身で、高綱の大太刀が豪快な斬撃で、逃げ迷う人間たちはその場で事切れた。
能通は先に取引対象物らしきものを確保してから、『夜好会』の足であったと思しき車両内などから残りの人間を見つけ出し始末した。『夜』用に改良した銃は使用せず、刀を振った。
直嗣は狙撃ポイントから的確な援護で矢を放ちつつ、全体像を報告していた。
毘沙門が襲いかかって来る刀を、子供のちゃんばらを相手にするように軽く避けると、急所を一撃する一振りで敵を倒した。長老会の残党たちの隙間から逃げようとする人間を視界に入れると同時に軽い所作で刀を振ると、電池の切れた機械のように力なく倒れて行った。歩く毎に足元は血に染まり、骸の山が築かれていく。
「ぎゃぁああああっ!ば…化け物…。」
恐怖に慄く声が響いて、そちらを見ると、既に戦意を喪失し引け腰で刀を振るう者達が見えた。その怯える視線の先には、細長い影が禍々しい『波形』を膨張させながら歩いていた。
「晋…。」
それは、まるで焦燥感のような、なくしたものを必死に取り戻そうとするように見えた。その手に握られた裕の形見・夜霧は血を浴び歓喜しているかのように妖しく光っていた。夜霧の鞘に元より括り付けられていた木札の根付が鞘に当たると、晋が動く度にカラン、カランと高い音を立てて鳴り響いた。
武装した人間たちが、予め装備していた銃で向かって行くが、夜霧を振り回すと弾が軽い音を立てて地面に落ちた。それでも多くの銃口が晋を狙って発射され、いくつかの銃弾を受けたが、晋の足は止まらない。その目はまるで鬼神の投影かのような冷酷冷惨なものだった。その恐ろしさに、武装を放棄し四方八方へ逃げようとする背中を見ると、歩みを止め夜霧を逆手に持ち変えると足のばねを使って走り出した。逃げる者たちは晋の接近を振り返り確認する前に地面に伏した。
そして、吠えた。血に飢えた獣の如き咆哮だった。
既に最も多くの命を手にかけ、全身に血を浴びた姿は仲間ですら戦慄する程の鬼気迫るものがあった。
毘沙門が、幸衡が、宗季が、能通が、その場にいた仲間達がそんな晋の姿に目を奪われた。
そんな隙だった。
能通の後方に折り重なるように倒れた死体の中から、子供が小さな体を起き上がらせた。ゆっくりと、そして手近に落ちていたナイフを手に取り、能通の後姿へ向かって行った。
能通はその殺気に気が付いて振り返ったが、その年端もいかない子供の姿にほんの一瞬躊躇した。その躊躇が命取りとなる、そういうタイミングだった。
しかし能通が受けたのはナイフで刺された痛みではなく、肩を押された掌の感触だった。能通がバランスを崩しながら見ると、子供の刃は晋の腹部に深く刺さっていた。
「晋くんっ!」
いつの間に能通と子供の間合に入り込んだのか、晋が能通を庇い子供の刃を受けた。
晋はその痛みを受け、笑った。
その顔を見た子供が怯えながら後退りをし、ナイフをゆっくり引き抜いた。晋の腹部に開いた穴から血が噴き出した。晋はそれでも笑っていた。そして子供の目が絶望を映すより早く、その体は真二つになって散った。
「っは…あはははっはははっはははははっっ……。」
息を上げながら死体の中に立つ晋が狂気の笑い声を響かせた。
能通は自身の足元に転がって来た子供の死体の目を、そっと閉じてやり、祈った。いつまでも笑い続ける晋の壊れた感情が耳朶を震わせると胸が引き裂かれるようだった。
そうして見やると、いつのまにかそこに生き残っているのは仲間達しかいなかった。
「終わったのか…。」
能通が息を吐くように呟いた。既に処理班が動き出し、兼虎率いる救護班が駆け寄って来る姿が遠くに見えた。
誰もが無傷とはいかなかった。想定以上に激戦となってしまった。能通は疲れ切った肩を落とし、取引対象物と思しき箱を持ちあげた。すると、幸衡が戦闘後とは思えない涼しい顔をして死体の中を歩いて来た。見ると、同じ様にいつもの穏やかな微笑みを湛えた毘沙門も晋に向かって行った。
「見ろ!どうだよ!こんなに殺してやった!あははっ…なぁ、これだけ殺してもまだ、褒めてくれないのかよ!あはははは…。」
血に塗れた晋の意味不明な言葉に、幸衡は聴いた事のない程に優しいあたたかな声で言った。
「よくやった。帰ろう。」
その声に笑いを止め、幸衡を見た晋は顔を歪めた。
その晋の体を支えるように、毘沙門が抱き締めた。
晋が目を開けたまま真っ黒い空を見上げた。温かさが死した者の血液なのか、毘沙門の体温なのか分からなかった。そして虚ろに呟いた。
「ねぇ、俺、皆殺したよ。偉い?」
「ああ、偉いとも。」
「恭…褒めてくれるかなぁ。」
「当然だ。」
晋の手から夜霧を離させ腰の鞘に収めながら幸衡が答えると、晋は擦れた声で言った。
「…でも、父さんは褒めてくれないんだ。」
「晋…。」
毘沙門が見ると、晋は既に意識を手放していた。
気が付くと、病院のベッドだった。温かな春の日差しが薄いカーテンの繊維の隙間から射しこんでいた。柔らかい光が充満したぼんやりとした空間を見て、成程病室だ、と晋は納得した。ゆっくりと体を起こすと小さな個室だった。
「気が付いたか?」
ベッド脇の椅子で読書をしていたらしい幸衡が顔を上げた。
「…幸さん。いいのに、一人でも。」
日々仕事に追われている多忙な幸衡を付き添いにするなど贅沢だ。晋は自分の所為で迷惑をかけられないと思った。
「そう釣れない事を言うな。私が好きでしている事だ。それより他の心配をした方がいい。」
「…恭か。」
次に怪我をしたら、どうすると言っていただろうか。晋は記憶を捜索したがはっきりとは思い出せなかった。口をきかないのだったろうか、それとも絶交だったろうか。首をひねっていると、丁度恭が入って来た。目を覚ました晋を見て、驚き、そして一瞬の安堵を浮かべた。その後は『波形』を読む事に不得手な晋でもはっきりと分かる怒りのオーラに包まれた。
「…恭…あの…。」
恭は晋の言葉に興味も示さずずかずかと近づいて来ると、低い声で言った。
「この馬鹿犬が。」
と同時に晋の頬を思い切り殴りつけた。
「病院で怪我人を殴るのはどうかと思うが。それに今回は能通殿を庇って負った傷、故に勘弁してやれ。」
既に殴られるという制裁は受けた後で、涼しい顔の幸衡が言った。晋は「幸さん、助けるならもっと早く言ってくださいよ。」と泣きごとを言いながら頬をおさえていた。
「事情は聴いている。」
恭が怒りが収まらない様子で言った。
晋が反論しようとした時、ドアをノックする音がした。三人がドアを見ると、花を持った能通が入って来た。
「能さん、無事でしたか。良かった。」
晋が身を乗り出して言ったが、傷が痛んだのか顔を歪めた。
それを見た能通は腰を九十度に折って謝罪した。
「申し訳ない。俺の不注意で晋くんに怪我をさせてしまった。助けてくれて本当にありがとう。」
「やめて下さい、俺は平気ですから。」
晋がおろおろすると、能通は持っていた花束を差し出した。
「これは妻からです。ありがとう、と。もうすぐ生まれる子供が父親を失う所だったと。俺も自覚が足りなかったと反省した。」
晋はその花を見ながら、能通の妻・瞳を思った。恭はその横顔を見ていた。
「地龍様、貴方の側近に命を救われました。ありがとうございます。」
「いや…無事でなにより。」
それから少し雑談のような言葉を交わすと、能通は申し訳なさそうに言った。
「怪我人に無理させる訳にいかない。ゆっくり休んで。それじゃあ、俺はこれで。」
能通が晋を気遣いながら部屋を後にしようとすると、思いだしたように足を止めた。
「妻から伝言があった。謝罪を、それから、すべて忘れて欲しいと。」
「え?」
「晋くんと妻の間で何があったのかは知らない。でもね、俺も君は変わるべきだと思う。」
「…ありがとうございます。瞳さんに、元気なお子さんを生んでくださいって、伝えて下さい。」
振り返り様に切なげに微笑む能通は、ゆっくりと扉を閉めた。
『夜好会』の死体の山の中で吠え、そして笑う晋は、能通には泣き叫ぶ子供のように見えた。このままで良いはずがない。そう思ったのだ。そしてそれはあの場にいた全員が思っただろう事だった。
能通が去った部屋はしばしの沈黙に包まれた。幸衡が本を置くと、晋の手から花束を取り飾る用意をした。しばらく黙ってから、恭がようやく口を開いた。
「晋、お前まさか、まだ…。」
「違うよ。そういうんじゃない。ただ、瞳さんを二度も未亡人にする訳にいかないでしょ。俺がいて、そんな事になったんじゃもう本当の本当に会わせる顔がないよ。今度こそ、ちゃんと幸せになって欲しいんだよ。」
晋の言葉は瞳への未練ではなかった。愛した人の敵として裕を、そしてその子である晋を恨んでいた瞳の呪のようなもの。責任のようなもの。しかし「すべて忘れて欲しい。」その言葉はそれらを溶かすものだった。きっと瞳は過去を過去として今は前を向いて生きる事にしたのだ。そのために、晋がいつまでもその呪にとらわれていては先へは進めない。
「もう、いいんじゃないか。」
恭がぽつりと言った。
「…そう、みたいだね。」
晋が薄く微笑んだ。
「そっか、瞳さん幸せになれたんだな。よかった。」
しみじみと言うと、幸衡がどこから持ってきたのか花瓶に花を入れてテーブルへ置いた。
「次は晋くんの番だな。」
言いながら再び本を手にとり座る幸衡は、涼しい口調だが優しさを含んでいた。
「皆して俺を幸せにしたがるんだから。」
晋が笑った。死体の山の中で笑うあの顔とは全く別の、照れたような可愛らしい笑みだった。
「当たり前だろ。」
恭が見下すように言い、晋が更に笑った。
京都は平重盛の屋敷では、今回の『夜好会』討伐の報告を受け、平光胤が呼び出されていた。
「主ぃ、大至急来いって何なんですか?何か出たんですか?」
頭を掻きながらやってきた光胤を、重盛が薄目で見た。
「光胤、悪いけどなぁ、また長期潜入に行ってくれるか?」
「え?」
前回の光胤の長期潜入は京都七口だった。京都七口で生き残ったのは光胤のみだ。光胤は嫌な予感がした。
ゆらり、と蝋燭の灯のように重盛の『波形』が妖しく揺れた。
光胤は唾を飲み、絞りだすように訊いた。
「どこに、潜入するんですか?」
「『夜好会』や。」
春の芽吹きを目前に控えた季節だった。
再び何かが動き出す気配に、肌が泡立った。
6




