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9 墓標の事

 幸せな夢を見た朝程、現実というものは重くのしかかる。

直嗣(なおつぐ)は現実を確かめるように、胸に手をあて十字架に触れた。時が経てば経つ程に、弁天の死に顔は遠ざかり、あの出来事が夢ではないのかという願望が大きくなった。そして、夢では無いと確認する毎朝の苦行は直嗣にとっては永遠に終わらない懺悔のようだった。

 顔を洗い、いつものようにジャージに着替えると、朝食をパスしてある場所へ向かった。

 弁天の墓だ。

 直嗣は、ずっとここへ足を運ぶことが出来ずにいた。しかし、三年前の戦が終った後、毘沙門は言った。

 「そろそろ行ってあげてください。直の元気な顔が見られないのは、兄さんが可哀想ですから。」

そして毘沙門は殆ど手をひくように、此処へ導いた。

それから三年、毎月欠かさずに通っていた。自分を戒めるように、直嗣は手を合わせた。

 どれだけの時をそうしていただろうか。直嗣が顔を上げ墓地を後にすると、道でばったり比企(ひき)あきらに遭遇した。

 「おや、直くんじゃないか!」

あきらは直嗣と同じくらいの背丈で、女性の中ではかなり長身だ。細いが鍛えられた体は、御譲様というより武士という貫録がある。美人という表現がよく似合う幸衡と、ファッションモデルのようなあきらが並ぶと絵になる。

 「あきさん、今から仕事ですか?」

 「う〜ん、君、さては朝ごはんを食べていないね?」

あきらは直嗣の問いを無視して言った。直嗣はイマイチあきらとの会話が噛み合わない。幸衡(ゆきひら)は古風な大和撫子を妻とするだろうと思っていたので、このマイペースさを意外に思う。あっけに取られている直嗣を無視して、あきらは続けた。

 「駄目だよ、ご飯を疎かにしては!仕方ない、幸くんのおにぎりを一つあげよう。」

 「え、いや、いいですよ、悪いです。」

 「いや、遠慮は無用だよ。いつも腹ぺこなあきらのために、幸くんは沢山作ってくれるからね!」

あきらの荷物の中身がすべておにぎりならば、一体いくつ入っているのだろうかと疑問に思ったが、直嗣は敢えて問うのはやめておいた。

 「はぁ、ありがとうございます。」

貰ったおにぎりを困ったように見つめる直嗣に、あきらは変わらぬ調子で言った。

 「直くん、死者のために生きてはいけないよ。」

 「え?」

見透かしたように言葉を紡ぐのは、恐山で五年の修行をしたというあきらの能力だろうか、それとも野生のカンだろうか。

 「過去を言い訳にするのは未来への冒涜さ。本当に優しい人は自分に厳しいものだからね。」

 「僕は弁天さんを言い訳になんて…。」

 「人生には隠れる場所も逃げる道もないのさ。既に直くんは直くんの道を歩いてるんだ。」

あきらの目は直嗣ではないものを見ているようだった。直嗣はその言葉を飲み込むのに少し時間をかけた。そっと十字架を握ると、目を伏せた。

 「ありがとうございます。何か幸さんに似てますね。」

幸衡の迷わない所、揺るがない所、そして前だけを見据え続ける姿の、純粋な混じりけの無い白さ。あきらの言葉はそんな幸衡に少し似ていた。

 「幸くんはあきらの尊敬する人さ。」

笑いながら去るあきらに圧倒されつつ、直嗣は自分の行くべき道へ進んだ。



 冬の墓地はもの寂しく、故人を悼む気持ちが一層侘しく胸に染み入る気がした。

小鳥遊(たかなし)は孫・(これ)(たか)の墓をじっと見下ろしていた。そこには花が供えてあった。

 京都七口という長老会の秘密部隊は、実在したという証拠のない幻のような存在だった。三年前の戦において戦ったそれぞれが、既に自らの帰る場所を失った無縁の者たちであり、また謀反に与したという事実から血縁より見捨てられていたため、入る墓も弔う身内も無かった。存在そのものも、その死すらも公にされる事のない、まるで最初から居なかったかのような存在だ。生きている間も、そして死した後も、肯定される事のない存在だった。

 その中でも(ため)(あき)と維隆は死体が残らなかったため、望んでも弔う事も出来なかった。小鳥遊は孫の死に目に会う事も、弔う事も叶わぬまま、申し訳程度の墓標を建てた。そして詫びるのだ、空の墓標に向かって。

 小鳥遊は元々長老会からの監視役だった。今はその長老会はない。長老会という組織に与していた者は裁かれているが、小鳥遊は監視に派遣された当初から地龍側について二重スパイとなっていたため、現在もここに残って恭の傍で忠勤に励んでいた。

 冬の乾燥した空気が、地面と靴の擦れる音までも乾かしているのだろうか、軽い音が近付いて来て小鳥遊の背後で止まった。

 「この花はお主が?」

振り返らずに訊くと、そこには(たいら)(むね)(すえ)が立っていた。

 「いいえ、兄でしょう。」

(みつ)(たね)が供えたらしい花を見て答えた。小鳥遊は頷いた。

 「そうか。」

小鳥遊は、三年前何が起こったのか、すべてを光胤と宗季の兄弟から聴いていた。維隆と同じく七口に潜入していた光胤との親交、為顕の術にかかり屍人形となった事、宗季の手により死んだ事、すべてを知った小鳥遊はただ頷いただけだった。

 そして維隆の最期のメールを思い出した。

 『他人のために振るう刀もある』

その事が維隆にとって光胤だったと言うならば、小鳥遊が恭と出会ったように、維隆も光胤に出会ったと言うならば、それはきっと喜ばしい事なのだろう。短い生の中で、僅かでも心許せる友が出来、渇望し続けた認め合える関係を持てた事は、少なからず救いであったと思った。

 「裏切り者は、死ぬしかない。」

宗季が墓標を見下ろした。その目は眼鏡のレンズに反射した光に遮られて見えなかったが、想像はついた。寂し気な、悲し気な、そんな目だろう。小鳥遊と同じ目。

兄・光胤に友を斬らせないために維隆を殺した事を後悔はしていない。最善の選択だった。そう思っているのだと言うように呟いた。けれど、それでも割り切れないものは残るのだ。だからこうして墓を訪ねるのだ。

 「その通りじゃ。」

小鳥遊は宗季の言葉に頷いた。スパイをするということは裏切り者となることだ。そのリスクは知っていた、そのつもりで孫を京都七口に送り込んだ。

 「過去は正せぬ。すべき事は常に未来にある。我々は常に二度同じ轍を踏まぬように学び歩むだけじゃ。わしはそれを恭様より学んだ。」

小鳥遊が起った悲劇に於いて直接実行した人物を憎む事はない。悲劇が起こるに至った原因はもっと大きく根の深いところにあるのだと知っているからだ。それは誰にでも起こりうる事だと分かっているからだ。このような事が二度と起こらないように、それは恭の描く未来にあると信じているのだ。

 「ええ、過去に捕われ足を止めるのは非効率だ。人生は短い。合理的に生きねば。」

宗季が空の墓標に手を合わせると、小鳥遊ももう一度ゆっくりと手を合わせ目を閉じた。



 新田(にった)祥子(しょうこ)は自身のその細く白い指先を古びた人形の輪郭をなぞるようにすべらせた。

 (らん)(きょう)。精巧な人型に、強い『夜』を入れる事でその力を電池にして動く、古く高度な術。

 「古い術はどうしてこう恐ろしいものばかりなのかしら。」

何か大きな代償を払う事で利己的な目的を果たす。そんな原理のハイリスクなものばかり。平安時代から生を繰り返している転生組である祥子は自らを省みると吐き気がする。かつて地龍の紀大の陰陽師として名を馳せた時代、最初の人生では、祥子もそんなハイリスクな術をいくつも生みだした。誰にも出来ない事を成す事に躍起になっていた。けれど今は、その事の罪深さに押しつぶされそうになる。

 「そりゃあ簡単。恐いものは魅力的なものだからさ。」

明るい声音で返す比企あきらは、祥子の憂いを無視して鸞鏡を解体していた。古いパーツを丁寧にバラすと、中は空洞だった。

 「人の罪深さが最も恐ろしいと思わない?」

 「祥子ちゃん、今更面倒臭い事言うのやめてくれないかい?愚痴を言いたいだけなら、あきらは帰るよ。」

目を細めて明らかな不満を表すあきらは、飽くまでも幸衡が仕事の間の暇潰しとして祥子の手伝いをするという約束をしていた。あきらにとっては祥子のつまらない話に付き合わされるくらいならば仕事中の幸衡の隣で昼寝でもしていた方が何倍もマシなのだ。

 「悪かったわよ、もう言わないから手伝ってちょうだい。」

祥子はあきらの膨らませた頬を撫でた。

 「祥子ちゃんは勝手だよ。本当ならあきらはとっくに愛する幸くんと結婚して、幸くんそっくりな白くて美人な子供を二・三人生んでいる予定だったのに、あきらを無理やり修行に行かせておいて、今度は面倒な仕事を手伝わせようなんて。あきらの婚期が遅れた事の責任はとって貰うからね。」

 「言ったでしょう?幸衡の時はまだだって。修行して時を詠む事を知ったのなら、あきらももう解っているはずよ。どう?待った甲斐があったでしょう?」

祥子の最も優れているのは占い、時を詠む事だ。五年前、祥子はあきらと幸衡の結婚に相応しい時はまだ先だと言い、無理矢理にあきらを修行に行かせた。

 「…くやしいけどね。」

あきらは祥子を恨めしそうに見た。

 五年で男ぶりが上がった幸衡とは対照的に、着物姿で畳に座す祥子は、五年前では想像も出来ない程に儚げであった。長くウェーブのかかった髪を左に軽く流しただけのラフな髪型で、顔の左半分が隠れていた。その髪の隙間から見える顔は、額から頬にかけて黒い炭のようにひび割れて黒い肌だった。五年前、あきらを修行に出した後で祥子は、義平の命令で避難していた信州で呪を受けた。体中が炭化し熱を発し続けた。現在はその殆どが治り、普通に生活出来るようになっていたが、顔の一部だけが治らなかったのだ。見た目に残っただけで既に熱も痛みもない、ただの痕跡だった。その所為もあってか、祥子は祥子限定で心配症の義平の屋敷に閉じ込められるように暮らしていた。

 「ねぇ、それって治らないの?」

鸞鏡の解体を続けながらあきらが問うた。

 「ええ、何でかしらね。」

 「祥子ちゃんに分からないものが、あきらに分かる訳がないよ。」

 「そんな事ないわ。あきらは私にないものがあるもの。頼りにしているわ。」

 「そうやって煽てられても、あきらは木になんか登らないんだからね。」

 「まぁ、可愛くない。」

すっかり解体を終えてパーツを裏返して並べると、古く変色した曲面に微かに術式の痕があった。あきらはそれを目をこらして見たが、しばらく首を傾げてから言った。

 「よく分からないけど、そこらの人形師なんかより、祥子ちゃんが作った方がずっとマシな気がするなぁ。」

 「まぁ。…でもそうね、荒い式よね。私ならもっと…。」

鸞鏡の基礎構造を話合う内に祥子が黙った。

 「祥子ちゃん?どうかした?」

あきらが訊くと、祥子はぼんやりと言った。

 「確か、ずっと昔、同じことを…。」

その時だった。祥子の顔に残った呪の痕跡が熱を持って痛みを発した。

 「きゃあぁぁっ!」

 「祥子ちゃんっ!」

あきらは突然苦しみ出した祥子の肩を掴み、無理やりにその顔の呪を見た。ひびの中が赤く光っていた。そして暫くすると光は収まり、痛みも引いて行った。祥子はただ汗を流して肩を上下させていた。

 「祥子ちゃん、今日はあきら一人で良いよ。休んで。」

 「…ごめんなさいね。今度必ずお礼をするわ。」

重い足取りで部屋を出て行く祥子の後ろ姿を、あきらはじっと見つめていた。

あきらの目は、祥子の頬のひびの奥に光る赤い呪を思い出していた。その赤が持つ呪の意味とは何なのか、本当にただ祥子を苦しめたいだけなのか。

 「あきらの野生のカンが騒ぐ気がするなぁ。」

あきらは呟きながら鸞鏡のパーツに触れた。



 冬の寒さが好きだった。

張り詰めた空気は凛としていて静を連想させる。

頭が冴えていて、身が引き締まる。恭はそんな冬の寒さが、かつては好きだった。

 着替えようと腕を上げると、痺れるような痛みが走った。肩には三年前の戦の古傷があった。師房(もろふさ)に射られた鉄矢の痕。冬は特にこの傷痕が痛んだ。その所為かかつて程冬が好きだと思わなくなってしまった。

 痛みを感じなかった事にして服に袖を通し身支度を整えると、黒烏(くろう)(あけ)()の二振りを腰に携えた。元々持っていた黒烏一振りならば感じなかった重みがある。それは物理的な質量の重みではないように思えた。朱烏は貴也から受け継いだものだ。あらゆるものの象徴のようだ。当主という立場や組織、長い歴史や想い、貴也自身の人生や愛情、そういうものが今恭の双肩にあるのだという事を表している重みだ。

 恭はこの二振りを携える時に思う。元々二刀使いとして仕込まれた所以は予め二振りを携える未来を見越していたのだろうか、と。そう思えは更に重みは増す。

 貴也の魂は既にこの世のどこにもない。龍種に吸収され、龍種になってしまった。弔う魂も、語りかける墓標もない。恭にとって朱烏こそが、貴也という存在の証だ。

 例え魂が無くとも、家臣のためにも墓標を建てて欲しいという要望は多くあった。けれど譲れなかった。貴也のいない墓標に縋るのは、絶対に間違っているし、何より貴也らしくないと思ったのだ。恭の中の貴也は誰かのために自身を無に出来る人だ。相手のためならば自身をどうとでも出来る、そんな献身的な人。その貴也が、己が墓標に集う仲間達の涙を望むだろうか。否、罷り間違ってもあり得ない。恭は例え死んでも貴也が貴也らしくない事は許容しがたかったのだ。

 静はそんな恭を黙って抱き締めた。

それがあったから、今があると思う。恭の三年に静は欠かせない支えだった。

 恭は襖を開けると、冬の刺すような空気に満たされた廊下を行き、地龍本家の端に位置する一室の襖を開けた。

 部屋の中は殺風景で、一組の布団と一つのスポーツバッグ、そして壺があるだけだった。

 「晋、起きてるか?」

部屋の主である晋は丁度身支度を終えた所で、声をかける恭に振り向いた。戦い続けてきた精悍さと、傷付いた獣の悲壮感を漂わせた背中だった。晋の腰には()(がすみ)夜霧(よぎり)の二振りがさされていた。

 「家臣が主様に起こされてちゃまずいでしょ。」

言いながら部屋を出ようとする晋の背景で、(ひろむ)の骨壺が異彩を放っていた。ただでさえ何もない殺風景な部屋で異様な存在感を持つその壺を、恭は横目で流しながら襖を閉じた。

 貴也とは全く逆の、魂も遺骨もあるというのに誰にも墓標を望まれない寂しい壺。晋は今もってその処遇を決められず、壺を持て余しているのだ。

 「晋、ネクタイが曲がっている。」

 「えぇ?」

恭が指摘すると、晋は面倒臭そうに襟元に手をやった。

 「つーか、何で俺までこんな正装で…。」

 「仕方ないだろう、畠山殿の希望なんだから。必要以上に気に入られているお前が悪い。」

 「俺の所為なの?畠山(はたけやま)重忠(しげただ)を『龍の爪』に入れたいって恭が言うから交渉に行ったのに、文字通り骨折って了承貰って来たのに、そんな俺のどこが悪いの?」

 およそ二年余り前になる。恭の命令で晋は『龍の爪』のメンバー集めをしている最中だった。その白羽の矢が立ったのは、畠山重忠という転生組だった。転生組だけあって昔気質の熱血漢だ。義に熱く、曲がった事が大嫌いな誠実な男として有名だった。現代では既に中年で六人の子があり家臣からも慕われ広い地域を治めていた。その性格や信頼・実績を買って、恭は是非にと言った。重忠本人は、条件より相手の人間性を重視したいと考えており、そのためには語るより拳を交わすと言い出した。そして仕方なく交渉役となっていた晋が、真剣勝負を受けて立つ事となってしまったのだ。

 「今回は俺への忠を示すためにわざわざ訪ねて来たというのだから問題ないだろう。」

 「いんや、あのおっさんの事だ。いつまた手合わせという名の命がけガチバトルを要求してくるか分からない!俺嫌だかんね!もう入院後全治三か月は御免だかんね!」

 「…そうやって被害者面するが、お前も重忠殿を病院送りにしている事を忘れるなよ。」

 「何それ、もしかしてお礼参り的な事だって言いたいの?」

 「…知らん。」

 「絶対嫌だかんね!助けてよ!」

恭は恭の腕を掴んで振る晋を横目で見ていた。

 実際、畠山重忠という男の潔さは類を見ないもので、晋との戦いの後でいたく晋を気に入り、『龍の爪』入りを快諾した。その肝いり具合は、晋の戦闘能力も去ることながら、親を殺してまで恭に尽くす忠義に胸を打たれており、天涯孤独となった身を引き取りたいと願い出た程だった。晋はそれを逃げ回りまともに取り合っていないが、重忠の惚れ込み方は本気だ。何を間違っても決闘のお礼参りなどありえない。

 それ故に恭は、恭への面会に晋を同伴するようにと願ったのは、単純に気に入っているからなのではないかと思っていた。

 「腕を離せ。」

 「嫌だ!おっさんから俺を守ってくれるって言うまで離さない!」

重忠は真っ直ぐな男だ。彼の瞳に邪念は存在しない。人の衒いや気遅れを解さない彼は、簡単に人の内側に踏み込む。そういう重忠を晋は苦手としていた。

 「だーかーらー…」

恭が無理矢理に手を解くと、晋の襟元を掴んだ。

 「ネクタイが曲がっていると言っている。みっともない。でかい図体して恥ずかしくないのか、しゃんとしろ、しゃんと。」

恭にネクタイを直されながら晋は憮然としていた。

 「いいか、晋。これは仕事だ。気を引き締めろ。」

 「分かった。んじゃ、次こそおっさんを殺すつもりでやって良いって事だよねぇ?」

晋の中では既に再戦を前提としているらしかった。案外、先の決闘ではっきりとした決着が付かなかった事を不満に思っているのは晋の方なのではないかと思われた。負けず嫌いに火がついては、本当にどちらかが死ぬまでやりそうだと危険を感じた恭は、ネクタイを締め直した胸元を軽く叩いた。

 「やめとけ。どっちに軍配が上がっても俺は損しかしない。お前はただ黙ってれば良い。余計な事は言うなよ。」

 「りょーかいっ。」

きれいにネクタイを整えられた晋が敬礼をした。


 上座に恭、その傍に晋が控え、幸衡が涼しい顔で座っていた。日本を支える地龍組織の中枢だと言うのに、随分若い面々を面白そうに眺める客・畠山重忠は大きな体に厳しい面ざしの熟練の武士だった。転生組という事もあってか貫録や威厳というものは既に肌に纏うような安定感だった。

 現在の『龍の爪』は、恭が選りすぐった全国各地の有力者だ。(みなもと)(よし)(ひら)・平重盛・藤原(ふじわら)秀衡(ひでひら)泰衡(やすひら)(みなもと)(よし)(たか)・畠山重忠・鎌倉七口三浦能通(よしみち)の父親である三浦義(よし)(ずみ)は転生組の中でもトップクラスの地位を有している。結城(ゆうき)(まさ)(ちか)は九州を治める由緒ある筋だ。また、毘沙門の父である安達(あだち)(もり)(のぶ)春家(はるいえ)の父である北条(ほうじょう)(はる)(とき)といった元来地龍当主との信頼関係が厚く各地に広く権力を持つものを加えた、総勢十名で日本全国各地に目と手の生き届く采配となった。本来は龍脈守護を全員揃えたかったのだが、東京守護・和田家は先の戦の折に恭を守れなかった事に責任を感じ辞退していたため、これが現在の最良メンバーだ。これは貴也の働きにより源平が手を結び、長老会を淘汰した事により、はじめて適ったものだった。このメンバーによる統治が軌道に乗れば、地龍は歴史上最も安定した時代を迎える事となる。

 そしてそのメンバー集めに最も尽力したのは晋だった。メンバーは各地の有力者であるが故に一同に会する事がない。そのため各々が別のタイミングで恭に会いに来ていた。

 「この度は面倒な役職を押しつけてしまったにも関わらず、快くお引受け下さり、ありがとうございます。」

恭が丁寧に挨拶をすると、重忠は嬉しそうに頷いた。

 「いいえ、とんでもない。私のような老いたる者で力になれる事あらば、喜んでお貸しいたしましょう。」

 「有難い。」

 「晋殿、久しいな。その節はたいへん良い手合わせであった。是非再び相まみえたいものだ。」

晋を見ながら豪快に笑う重忠には決して他意はない。

 「お手柔らかにお願いしますよ、重忠殿。これは俺の側近ですから、使えなくなっては困ります。」

 「あっはっは!それは失礼した。」

恭の言葉を笑い飛ばす重忠を、笑い事ではないと恨めしい目で睨む晋だったが、当の重忠はそのような事は意に介してすらいなかった。

 「して、この度はどのような御用向きで?」

話の腰を折るように不躾に介入した幸衡は顔色ひとつ変えない。恭はその言葉に頷いた。

 「…そうですな。まぁ、まず我が主となられた地龍様に御挨拶を、というのがありますな。それから、二つ。」

 「二つ?」

重忠の示す二つの要件に集中するように三人は黙った。

 「一つ目は、『()好会(こうかい)』の取引情報が入ったという事です。」

 「『夜好会』だと?」

重忠が言うと、三人の空気が張り詰めた。

 「『夜好会』と言うと、『昼』の霊能者を中心に『夜』を売買しているという闇組織、だったな?」

 「ああ、昔から『人魚の肉』だの『猿の手』だのというものは『昼』の間で高値で取引されてきた。まぁ、どれもまがいものだが。それらの裏にいるのが『夜好会』だと言われている。」

 「ここ数年動きは無かったと聞いているが…。」

 「いいえ、『夜好会』は本拠地や構成員が一切謎ですからな。実際はどのような活動をしていたか、たまたま我々地龍が感知出来なかっただけやも知れませぬ。」

 「成程。その『夜好会』の取引情報が入ったと。」

恭が睨むように重忠を見ると、重忠は視線で肯定した。

 「『夜好会』は第一級侵犯だ。もし本当に取引が行われるとすれば、それは最優先討伐対象という事になる。」

 「その通り。その件について地龍様に指示を。」

第一級侵犯とは、『昼』が『夜』を、またはその逆を、故意に著しく侵した者、または集団に下されるもので、関係者または関係していると思しき者の全てを殺すと定められている。『夜好会』は『昼』が『夜』を売買するために著しくバランスを侵しており、大きな揺らぎとして討伐対象となっていた。

 「成程…。」

『夜好会』は実体が不明なだけに、討伐のチャンスは偶に行われる取引現場しかない。そこを押えて皆殺しにするのだ。『昼』とは言え過去何度も取引を潰されている『夜好会』は漠然と『地龍』という存在を認識しており、取引時には武装して構えている。

 「晋、いけるか?」

恭が問うと、晋は深く頭を下げた。それを見て重忠も満足そうに微笑んだ。

 「それは頼もしい。しかし、今回の取引は過去に類を見ない大口のものらしい。少し人を割いて頂いた方が良いと思っております。」

「ならば私が。」

重忠の言葉を幸衡が受け止めた。

『昼』の人間を皆殺しにする仕事。矢集らしい仕事だ。いくら武装していても『昼』の人間に地龍の武士が負ける事は考えにくい。普通に考えて、一方的な惨殺になる。残酷で決して気持の良くない、謂わば汚れ仕事だ。昔から矢集が請け負って来た類の仕事だった。晋は当然のように受け入れたが、躊躇なく幸衡が立候補したのは意外だった。

 「晋くん一人では心配だ。故に同行しよう。他にも少し人員を揃えておく。」

晋が目を丸くして幸衡を見た。

幸衡は涼しい顔で晋の驚きの眼差しを黙殺していた。そんな二人を見てから、恭は重忠に向かって言った。

 「分かった。では、この件は幸衡に任せる。重忠殿、よろしいでしょうか?」

 「勿論ですとも。詳細は追ってお知らせいたしましょう。」

そうして『夜好会』の件は方針が決まり、始めの一つ目が片付いた。

 「して、二つ目の御用件とは?」

恭が問うと、重忠は二つ目こそが本題であるかのように、背筋を伸ばして座り直すと、深々と頭を下げた。頭が床に付きそうな程にさげると、そのままで願い出た。

 「我が末娘と、地龍様側近である矢集晋殿との縁談を、受けて頂きたい。」

まるで選手宣誓のような大きな、高らかな声で、はっきりと言った。

三人が黙ったままで呆然としていると、重忠がようやくゆっくりと頭を上げた。

 「如何でございましょうか。」

念を押すように訊く重忠のまっすぐな目に、恭は半ば圧倒されていた。

 「え?」

正式な場だというのに間抜けな疑問符を口にしたのは、晋への縁談に驚いたと言うよりは、第一級侵犯『夜好会』の討伐より、娘の縁談の方が本題であるかのような所に対する疑問だった。先の比企あきらも、転生システム破壊の糸口として最も重要な鸞鏡の調査よりも、婚約者である幸衡の事を本題だと言った。どいつもこいつも色呆けとは、と頭が痛くなったが、無駄に苛立つのは不毛だと思いなおして向き合った。

 「つまり、重忠殿の姫を晋の妻としたいと?」

 「まぁ結果的にはそうです。ですが、当人同士の相性というものがありましょう、とりあえず、お見合いの場を設けていただけませぬか?」

晋は、いくら重忠が晋を気に入っていたとは言え、まさか本当に身内としたいと思っていたとは思わなかった。養子になどと言っていたのは悪い冗談だとばかり思っていた。しかし、こうして主である恭に申し出ると言う事は、正式な手段だと言える。本気なのだ。「このオヤジ、本気で言ってる…」晋は脳内でようやくそれだけが言葉になった。

 あまりの事に、反応出来ずにいると、相変わらず涼しい顔で幸衡が口を開いた。

 「重忠殿の末の姫君と言うと、重忠殿が目に入れても痛くない程に溺愛しているという噂。蝶よ花よと無菌室のような育ち方をしたと聴く。そのような大切な姫君を、晋くんに嫁がせて良いのですか?失礼だが、いくら晋くんが好ましい人間であっても、矢集という家名は軽いものではない。」

 重忠の末の娘の姿を見た者は殆どいない。それは、重忠が異常な程の愛情を注ぎ育ててきた故だと言う話は有名であった。悪い虫が付かぬように、屋敷の外に出さずに育てたため、重忠以外の男を見たこともないという極端な噂もあった。それが故に、絶世の美女なのだろうという者と、重忠に似た厳めしい容姿であろうという者とに、意見が二分し地龍の中でも大きな謎として多くの興味を引いていた。

 そのような姫であるが故に、重忠はおそらく余程の身分の者に嫁がせるだろうと誰もが思っていたのだ。晋との縁談を申し出た事はあまりに意外であり、むしろ嘘だと思う方が自然だった。

 「家の名など、ただの記号。本当にそのような名一つが晋殿の重荷となっておるのであれば、捨ててしまえばよい。我が畠山の姓で良ければ、いくらでも名乗って貰って構わぬ。父親を手にかけてまで地龍様に示した忠があるというならば、同じ様にその名を捨てる事すら厭わぬであろう?」

父親の命を捨てておいて、今更家名を捨てる事など如何程の事か、と言わんばかりの重忠だが、決して悪意があるのではない。晋自身のために、名を改めるという選択肢は決して悪い事ではないと、本気で言っているのだ。

 「あの…」

 「重忠殿のお気持ちは十分に分かりました。」

始めに、黙っているだけ、と約束した晋が口を開くのを阻止しつつ恭が答えた。イエスともノーとも言っていなかったが、重忠はイエスと取ったらしく笑顔で言った。

 「そうですか。それは良かった。我が末娘の(ひと)()は今年で十八になります。晋殿より少し若いですが、しっかりしております故、心配はありませぬ。」

既に見合いの段取りを始めようとする重忠に、恭が訊き返した。

 「え?何ですか?重忠殿、その姫君の名は、何というのです?」

 「畠山(はたけやま)(ひと)()と申します。」

自信満々に答えた重忠の笑顔を無視して、恭が噴き出した。

晋は眩暈を覚えたのか床に手をついたまま顔を伏せていた。恭はそんな晋を視界の隅に入れながら、笑いを何とか堪えて言った。

 「それは素晴らしい御縁だ。是非御受けいたしましょう。」

 「ちょっっ!」

あっさり引き受けてしまった恭を止めようとして顔を上げた晋の目に飛び込んで来たのは、面白そうに笑う恭の顔だった。

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