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6 望月の事

 先程までは確かに雨音は強烈なノイズのように(みつ)(たね)の聴覚を鈍らせていた。しかし、その少女の声をはっきりと聴き取る事が出来た。まるで、頭の中で話しているかのような鮮明さで伝わった。

 『みつたね…』

 「蘭…。」

蘭はすっかり濡れて絞れば水が流れ出すだろう程だった。そう思う光胤も人の事は言えないのだが、それでも何か拭くものを持っていればと反射的に思った。と、その時だった。何か複数の気配が近づいていた。

 「悪い、あまり時間がねぇんだ。」

 『誰かが、来るよ。』

光胤と同様に迫る気配に鹿のような耳を震わせる蘭は、そっと光胤の濡れた服の裾を掴んだ。

 「ああ、俺様の所為なんだ。奴等は蘭の事を探してる。それを分かってて俺様が蘭に会いに来ちまったから…。」

 『みつたねは、らんに会いに来たの?』

見上げる蘭の目は宝石を埋め込んだように美しかった。光胤はその場にしゃがむとTシャツの中から(らん)(きょう)の核を取り出した。

 『それ…。』

 「ああ、これは(らん)(ちょう)だ。もしかして蘭の母親なんじゃないかと思って。返さなきゃって…。」

光胤が包み込むようにして持つ鸞鏡の核に、蘭はそうっと指先を触れた。

淡い光が通電するように蘭の指先を通って行き、蘭自体が薄く優しい光に覆われた。

 『これが、お母さん。』

光胤はただそれをじっと見ていた。

そうしてから、蘭は唐突に鸞鏡の核を光胤の方に押した。

 『お母さんをお父さんの所へ連れて行く。着いて来て。』

光胤の手で返すべきと言うようなまっすぐな目だった。光胤は頷くと、それを再びTシャツの中へ押し込んだ。

 蘭が光胤を連れて歩きだそうとした時だった。

 複数の気配が木々の間から姿を現した。

 「やっと案内してくれたな、鸞鳥の元へ。」

 「さぁ、その鸞鳥をこちらへ渡せ。」

 「それは我等の悲願だ、さぁ。」

口々に戯言を言いながら近付いて来る人形師たちは、今度こそ本物の人間だった。人形を使って位置情報は掌握していたのだろう、追跡が思ったより正確で速かった。

 「蘭、先に行け。」

光胤が刀を握り、蘭を背にすると人形師たちが嗤った。

 『駄目、みつたね、囲まれてる。』

蘭は光胤の背にしがみついた。周囲はいつの間にか人形師たちが取り囲んでいた。

 「くそ…台風の所為で下手打ったか。悪いな蘭。」

 人形師たち一人一人の戦闘能力が、平重盛(しげもり)の懐刀である光胤の上を行くとは到底考えられなかった。けれど、雑魚も束になれば面倒であり、今の光胤には蘭という守る者がいる。台風の所為でぬかるんだ足場に、視覚や聴覚の低下、コンディションは最悪だ。けれど、そのどれもが人形師たちも同じだった。

 光胤は刀を構えながら、蘭をちらりと見た。小さな体だ。いっそ抱き抱えて交戦するか、蘭を中心にスピード勝負で片を付けるか、どれも不安要素がある。一人ならば如何様にも出来る所だが。

 思案している間に人形師たちは蘭目掛けて飛びかかって来た。光胤が反射で刀を振ろうとした時、山の下の方から猛スピードで突進して来た何かが人形師を突き飛ばした。

 驚いた人形師たちは足を止め、距離を取った。それはまるで野生の獣に襲われたように見えた。

 光胤が唖然としてその獣を見ると、見憶えのある長身のシルエット、矢集(やつめ)晋だった。

 「な、てめぇ、何で…。」

嵐の中を突っ切って来たらしく、びしょ濡れな上足元は泥だらけだった。

 「何でって、そりゃお仕事ですよ。そうだ、これ、千さんから。」

晋がポケットからそれを出して放り投げると、光胤が反射的に受け取った。

 「飴?」

 「甘いもん食ってちったぁ頭回せや!だそうです。」

 「…違いねぇ。」

そう言えば里へ来てから甘いものを食べていなかった。光胤とした事が、すっかりアイデンティティーを見失っていた。久々に口にする糖分は、五臓六腑に沁みわたる最高のエネルギーだった。

 「よし、じゃあここは任せたぜ、バーサーカー!くれぐれも殺すなよ!」

光胤が蘭の手を握り先を促すと、晋は人形師たちの方へ刀を向けた。

 「オーケー、甘党。光さんのヤマで殺しは御法度とか、本当甘くて反吐が出るね。」

人形師たちは突然現れた晋という邪魔者に酷く苛立ったようで、武器を構えて睨みつけていた。

 「お前、何者だ!」

何者であろうと邪魔者は殺すという空気だったが、晋は律儀に質問に答えてやった。

 「地龍当主恭様が側近にして鬼神殺しの矢集と言えば、いくら辺境のカルト教団でも聴いた事くらいあるんじゃありませんか?」

闇の中で怪しく光る晋の眼光に、人形師たちは唾を飲んだ。

 「お初にお目にかかります、矢集晋と申します。」

 「…まさか、お前があの…。」

 「いや、つまり地龍様の使いという事か?」

 「ええ、その通りです。地龍様はたいへん御怒りです。本来中立であるはずの地龍組織の中に、このような禁術に手を染めている者達がいようとは。これは一種の揺らぎであると。」

 「揺らぎ…だと?」

 「ええ、貴方方は大きな揺らぎです。」

最高技術への研鑽を続けてきたはずの人形師たちに突き付けられたものは、称賛ではなかった。人形師たちの目に戸惑いが映った。

 「そして、俺の仕事は揺らぎの討伐、です。」

晋が刀を構えると、動揺した一人の人形師が晋を殺す事で現実を否定しようと襲いかかって来た。しかしそれを子供の相手をするように避けると腹を思い切り蹴り飛ばした。嫌な音がして、人形師が痛みに呻きながら地面をのたうった。

 「御安心を。殺しませんよ。殺したら駄目だって言われてますんで。」

倒れたまま呻く人形師を見て恐くなった他の人形師たちが後退り、逃げようとした。しかし晋は一斉に散り散りに走りだした全員を、疾風の如き速度で足止めした。殴り、蹴り飛ばし、刀の峰で殴り、その度に骨の折れる鈍い音がした。

 「殺さないとは言ったけど、逃がすなんて言ってないですよ。」

 「な…どうするつもりだ…。」

 「どうするって、まぁ殺せないんじゃ褒めて貰えないしねぇ?」

 「褒めるって、誰に?」

 「パパ♪」

はねた泥が夜闇の中で見るとまるで返り血のように見え、晋の笑顔が一層恐ろしく映った。

 「何を言っている、父親はお前が殺したんだろうが。」

 「あっちゃ〜、そうだった。じゃあどうせ褒めて貰えないね。仕方ないから死なない程度に殺させてよ。」

晋の笑顔は正気のそれとは到底思えなかった。獣、悪鬼羅刹の類だとしか思えなかった。人形師たちはすっかり戦意どころか生気を喪失して、怯えていた。

 しばらくすると晋の殺気に当てられて、大した攻撃も受けていないというのに人形師たちは皆気を失ってしまった。

 晋が刀を収めると、見ていたかのように携帯端末が鳴った。

 「あ、恭?終わったよ。言われた通り、思いっきり脅しといたよ。おかげで皆さん夢の中だけど。」

 「よくやった。後始末はこちらで手配する。お前はすぐに戻って来い。」

 「はいよ〜。」

軽く返事をしたが、晋の声は浮かない様子だった。

 「…大丈夫か?」

 「何が?」

恭が訊いた言葉の意味が分からなかった。

 「泣いてるのかと思った。」

 「ないよ。」

 思ったより低い声が出たので晋は少し悪い気がした。怒っているみたいに思われたのではないかと。しかし憤りがない訳ではなかった。こんな事で泣いたりはしないのだ、今更、この程度身を削った所でどうと言う事はない。自虐的な言葉で相手を恫喝した所で取り立てて晋自身を変える事などないはずだ。

 今更、父親殺し以上の汚名も事実もあるものだろうか。

 「…そうか。」

むしろ恭の方が傷付いている気がした。

毎回毎回、恭がそうしろと言うからやっていると言うのに、その恭自身が深く傷付いている。晋にはその行為の意味が全く分からないのだ。政治のためにやりたくないのに晋を利用して胸が痛むのだろうか、それともただのマゾヒストだろうか。

 どっちにしろ、どうでも良い事だ。何がどうでも何も変わりはしない。

 それでも…

 「恭が何をしたいのか全然分からないけど、俺は恭が傷付く事が一番嫌だな。俺はどうしたら良いの?」

 「そのうち分かるよ。」

結局いつものやつだ。いつもの謎の記号。恭は三年前からずっと晋に何かを気付かせたいようで、でも晋にはそれが何なのか分からないままだ。

 「ジジィになっても解らなかったら?」

 「来世への宿題だな。」

死んでも教える気はないらしい恭の強固な態度に、晋は嘆息した。

 「帰るよ。」

 「ああ。(ほまれ)が『スー』って煩いんだ、早く帰って抱いてやってくれ。」

 「あはは。超特急で帰るね!」

誉はいつの間にか晋を「スー」と呼んでいた。それを聴いて晋は元気が湧いて来た。そんな晋の声を聴いて、ようやく恭も安心して電話を切った。



 蘭の小さな手が山頂を指した。

 『あそこ…。』

蘭と光胤の二人は、晋に追手をまかせて頂上を目指していた。小さな蘭の体を支えながら、出来得るだけ早く、光胤は周囲の気配に注意しながら進んだ。

 そうして蘭が指し示す先にある、小さな祠を見た。

いつの間にか雨は止み、風はおさまり、祠には微かな月光が射していた。

 頂上は祠を中心に木々が無く、月光が特別なサークルを創り出す。

 神々しい、厳かな、神聖な空気が漂っていた。

 光胤は蘭に促されるままに祠の前まで行くと、しゃがんだ。蘭に視線で指示され鸞鏡の核を取り出した。蘭がそれを支えるように手を添え、二人でゆっくりと祠へ供えた。

 月光が核に射し込み、その光が屈折するように祠の中へ入っていった。

 祠は光を吸い込むように取り入れると、祠を中心に何かが一度だけ振動した。揺れた、ように感じただけで、実際には揺れていなかった。

 地震ではない、何かの鼓動が脈打ったような感覚だった。光胤は周囲を見渡した。

 「山が、目覚めた…のか?」

 雨に濡れた木々が、潤いに生き生きとしているような気がした。ずっと何の生気も感じなかった山が、呼吸をしていると感じた。自然の息吹、生命の復活、淀んだ空気が入れ替わるような、縛っていた鎖が切れたような、蕾が弾けたような、鮮やかで華やかな覚醒。

 これで里も時間を取り戻す事が出来ると思い、里の方角に目を向けていた。

 するといつの間にか手にしていたはずの鸞鏡の核の感覚が無くなっていた。視線を戻すと光胤の手元には、白い女性の手が乗っていた。その手を辿って隣に視線を向けると、そこには美しい女性が座っていた。

 月光を浴び淡い光を湛えた蒼白い長い髪は絹のように輝いていた。青磁のような肌に、薄い衣を纏い、その裾からのぞく小さな足と羽が目に入った。赤に五色を交えた鮮やかな羽だった。

 『光胤』

甘い響き。

 「蘭…なのか?」

光胤を見つめる目の宝石の如き煌き。

 『ありがとう。光胤のおかげで母が戻り、父の怒りは鎮まった。』

蘭は両手で包むように光胤の手を握った。

温度のない『夜』の手、柔らかい女性の手、儚い鸞鳥の手、愛おしい少女の手、光胤はその手を優しく握り返した。

 「いや、ごめんな。元はと言えば俺様達地龍が起こした事だ。」

言うと蘭は首を振り微笑んだ。花が咲くような笑顔だった。

 『違うよ。光胤は優しい人。光胤のおかげで優しい人間もいるって分かったよ。さようなら。光胤の事忘れない。』

蘭の手が月灯りに溶けるように少しずつ消えていく。

 「蘭…。」

鸞鳥は平和な時代に現れる。

今の世は、三年前の戦の影響もあり決して平和とは言えない。蘭が消えるのは当然だ。

 「また、会おう。」

光胤は無意識に言っていた。

 「俺様が、絶対平和な世の中にすっから、そしたら、また会おう。絶対、また会おう。」

平和の定義も分からないままに、ただ思うままに言っていた。人が死なない事が平和なのか、『昼』『夜』が揺らがない事が平和なのか、戦が起こらない事が平和なのか、それとも全然違うのか。光胤はどんな綺麗事を実現しても、それが平和だと胸を張って言える気がしなかった。それでも、蘭が生きられる世が平和なのだという事だけは分かった。それならば、それを作ろうと心から思ったのだ。

 『そうだね。』

今度は束の間ではなく、平和な未来で再会しようという約束。

 「絶対だぞ。」

 『うん、絶対、だよ。』

光胤の選んだ愛が、新しい道を指し示す。

 きっと人と『夜』の血を持つ光胤だからこそ開ける道がある。そのために、今までがあったのだと、勝手に確信して、勝手に決意した。自分が認められるために振るった刀も、甘さを貫くために生かした命や、失った友や、得た仲間、そういうものはただの時の流れではなく、きっと来るべき時代のための礎であり道程のはずだ。

 蘭の存在は光胤にとって全てを購うものであり、また全てを救済するもののように思われた。

 「またな。」

 『またね。』

蘭の笑顔が月灯りになって地面に降り注いだ。

光胤はその光に手を翳して、誓いを体内に取り込むようにじっとしていた。

月光は微かに馨しい蘭麝(らんじゃ)の香りがした。

 見上げると、月は見たことがない程に大きな、胸に迫る程に美しい満月だった。

 「またな。」

もう一度呟くと、光胤は立ち上がった。

未来へ向かってその一歩を踏み出した。

再び少女と出会うために、満月を背に山を後にしたのだった。



 そうして一夜の内に人形師の里には地龍当主の命令により調査が入り、同時に解体される事となった。

 人形師たちは皆放心状態で牢へ入った。生まれてから一度も里の外へ出た事がなく、古いしきたりに縛られて生きてきた彼等は人形師として生きる以外の知識が何も無かった。優れた人形を献上する事が仕事だと思っており、人形を地龍当主が待ち望んでいると信じて疑っていなかった。それゆえ人形師は揺らぎだなどという裁きが下った事は正に青天の霹靂であり、衝撃は並ではなかった。その様子を知った恭は、事情聴取の済んだ者から順にセラピーを受けさせ社会復帰させるように命じた。

 ただ一人、(そう)(うん)を除いて。

 奏雲は工房の調査に入った者達を排除せんと暴れ捕えられた後も、鸞鏡への執着を訴え続けており事情を聴くどころでは無かった。このまま精神の錯乱状態が続くようならば記憶に手を付け黙らせるしかないのではないかとの声も上がっていた。どちらにしろ、奏雲が守ってきたものは工房そのものと多くの作品であり、それ以上のものは知らないという事が真実なのだろうと思われた。あまりに哀れで、そして何処までも人形師として貫く姿は尊敬さえさせるものだった。

仕方ないので奏雲の証言は無いまま工房内を隅々まで調べる事となった。

 「出たか?」

恭は工房から出た物を鎌倉へ運ばせた。それらは、人形やその部品や『夜』の死骸などばかりで、一見して普通のものは何一つ無かった。

 「こりゃ本当にカルト教団と呼ぶに相応しいな。」

義平が顎を撫でながら並んだ物を品定めするように見ていた。重盛は扇の先で人形の頭を突いて顔をしかめていた。

 「まともやないとは思うとったけど、ここまで来ると悪寒がするわ。」

 「して、地龍様のお探しのものはありましたか?」

幸衡が押収した物のリストを見ながら訊くと、恭は目を細めた。

 「さあな。」

 「さぁって…どのような物をお探しなのですか?」

幸衡が恭の言うものをリストから探そうとすると、恭は並んだ物の中から古く変色した人形を睨んだ。

 「鸞鏡、だ。」

恭の視線を追って、全員が同じ物を見た。

 「鸞鏡…ですか?」

幸衡がその視線の集中した人形をリストから探しながら訊き返した。

 「そう、おそらくあるとすれば鸞鏡だ。今回出てきたより古い、平安時代の鸞鏡。」

 「…その人形は奏雲殿の部屋の地下から出て来たようです。」

恭が人形の頭部を慎重に掴むと検めるように見た。義平と重盛はそれを覗き込んだ。人形の額には薄く何かの印が刻まれていた。

 「これは?」

 「五芒星か?」

 「よう見えへんな。」

古い人形には既に鸞鳥が死んでいるのか入っていないのか、全く生きていなかった。ただの器であり、ただの人形だ。しかし妙に不気味だった。

 「光胤くんによると、その人形と同じ印らしきものは工房の至るところに刻まれていたらしいです。処理班の報告では、現在では使用されていない術の残骸のようなものではないかとの事でした。」

リストの調査結果を読み上げる幸衡が恭の表情を窺うと、恭は目を細めたままで頷いた。

 「つまり、今は使われていない、もしくは、過去発見されていない術の可能性が高いという事だな?」

 「…ええ、そうですね。」

幸衡は浅く頷くと、恭が人形を置いた。

 「これと良く似たものを、地下迷宮で見た、と言ったら?」

恭の言葉に、義平と重盛が目を見開いた。

 「じゃあ…。」

 「間違いないな。人形を祥子さんに調べてもらおう。幸、手配を頼む。」

 「はい。しかし、この人形が何に間違いないのですか?」

幸衡の当然の問いに、重盛が答えた。

 「鸞鏡いうんは強い『夜』を使って、そのエネルギーを電池にして人形を動かすいう高等術の事や。この構造、転生システムと同じやと思えへんか?」

 「…龍脈のエネルギーを使って、転生を繰り返すシステムを動かし続ける…確かに、似ていますね。」

 「せやろ?恭くんは、鸞鏡が謂わば転生システムの鋳型やと考えた訳や。」

 「鋳型?」

 「せや、この構造に何らかの手を加えて転生システムに応用しとるはずや。もしそうなら、一番怪しいんは人形師や。」

『夜』を電池にするという構造は人形師の十八番だ。これを利用するならば、人形師の手を借りなければ不可能だ。少なからず人形師の手を借りた事は、まず間違いない事だった。

 「もしその鋳型があるとすれば、人形師の里しかない。長老会が何故か、長年守ってきた隠れ里だ。転生システムの管理者は、執拗に祥子を戦線から排除したがって来た事から考えても、人形師の里を隠し続けて来た行為は臭いだろ。叩かれたくないって言ってるようなもんだ。」

 幾度となく祥子を邪魔者にしてきたシステムの管理者は、祥子のもつ何かを危険視している。それが、優れた能力なのか、それとも別の何かなのかは未だ分かっていない。それでも、数少ないヒントだった。

 「それで今、人形師の里だったのですか…。」

『夜』の侵攻や地龍への不満あっての政策ではなく、否、兼ねながら行うからこそ周囲から怪しまれないで里へ手を付ける事が出来たのだ。そのどれだけの事が恭の思い通りなのか、幸衡は感心を通り越して尊敬した。いつから、どうやって考えて来たのか。多くの時間を共にしてなお、恭は底知れない存在だった。

 「幸、事は内密にな。」

恭が念を押すと、幸衡は微笑んだ。

 「勿論です。」

 その鋳型と呼ばれた鸞鏡は幸衡の手によって極秘裏に新田祥子の元へと運ばれた。

 祥子は三年前呪いを受け自主的に隔離生活を送っていたが、今は源義平の居にて療養しつつ転生システムについて調査研究を進めていた。

 

 

 ようやく全てが片付き京都へ戻った光胤は、黙ったままの重盛の前に座っていた。

 「あの〜…、主?」

思えば命令は不明瞭だったにしろ、随分勝手に動いてしまった。結果オーライだったとしても、重盛がどう受け止めているかは未知数だった。というか、どういう結果が望みだったのかイマイチ理解できていない。今回の顛末は重盛的には有りなのか無しなのか。黙ったままの重盛の表情を覗き込むように身を屈めると、重盛が肩を震わせた。

 「えっ!」

何が起こったのかと光胤が動揺すると、重盛が我慢の限界と言わんばかりに笑いだした。

 「あはは…嘘や。怒ってへんで。むしろようやったわ。ほら、たんと食べ。」

用意していたらしい大量のお菓子を光胤の前に出すと、面白そうに笑った。

 いつもなら「ですよね〜!」などと調子を合わせて、目の前に積まれたお菓子にすぐに手を付け始めるものだが、今回の光胤は少し様子が違った。じっとして、座っていた。

 「どないしてん。腹痛いんか?」

 「あの、すみませんでした。俺様今回は自分でも結構勝手な事したって思ってます。」

 「何言うとるんや。光胤にやって欲しない事があったら具体的に指示しとる。俺が何も言わんいう事は、光胤の自由にやってええっちゅう事や。せやから何も問題ない。むしろ、ほんまええ働きやったで。」

重盛の言葉は幸衡の言った通りで、全面的に光胤に任せていたという事だった。

 「でも、今回の作戦って結構重要だったんですよね?」

 「せやから、光胤に任せたんや。」

光胤は当然のような表情をした重盛を見てから、そっと目の前の箱からドーナツを取り出して食べ始めた。

 「意味、分からないです。でもいいです。主がいいなら、いいです。」

 「あはは、ええ事ないで。意味は簡単や、俺がお前を気に入っとるさかい仕事まかせるいう事や。」

 「はぁ、ありがとうございます。俺様も主の事好きですよ。こうやって主に甘やかして貰うために仕事してますから。」

ドーナツを食べながら気もなさげに言う光胤に、重盛は微笑んだ。

 「真に受けとらんやないか。ほんまやで。何かが起こった時、光胤は自分の甘さを取る。俺はそれが大事な事やて思うとる。そう上手く行かれへんことも多いけどな、めげへん所がええんや。気張りや。」

重盛が珍しく言葉を多く紡ぐので、少し驚いた光胤は、その動揺を誤魔化そうともう一つドーナツを取った。それをもそもそと咀嚼しながら、告白するように言った。

 「蘭と、約束したんです。また会おうって。」

重盛は父親のような目で光胤を見た。

 「ほうか。せやったら、是が非でも成さなあかんな。」

重盛が口にしたのは、光胤が約束を果たす、という意味の成さなければならない、ではなかった。けれど光胤は気が付かなかった。

 「はい。」

 「光胤の約束は、今皆が目指しとるもんの先にある。ほんま一粒でどこまでも行くなぁ、光胤は。」

転生組である重盛は、新世代の子供たちにどれだけの期待をしているのだろうか。新しい時代を担って立つ者たちの台頭を、誰より望んでいるのは今この世に徒に転生された多くの転生組その人たちなのだ。けれどその事を多くの者が気が付いてはいない。いつか転生システムを失って、この地龍はどうなるだろう。そこには不安があり、また期待がある。そして転生システムを失ってはその未来を知る事が出来ない事を残念に思う矛盾が、重盛は我ながら可笑しいのだ。

 ドーナツを頬張りながら光胤は首を傾げた。

 「俺様ってば燃費が悪い事には定評があるんですけど。」

 「せやな、食べ過ぎには気付け。その分仕事まわしたるさかい。」

 「飴と鞭!」

重盛の見事なまでの飴と鞭にたじたじの光胤は、苦笑しながらケーキの箱の蓋を開けた。

モンブランにするか、いちごタルトにするか迷っていると、ふと思い出した。

 「そう言えば、山の中で変な人に会ったんですよね。今思い返してみると、あの人が俺様を蘭に引き合わせてくれたような気がします。一体誰だったんでしょうねぇ。」

重盛が怪訝な顔をすると光胤は「間を取ってミルフィーユだな。」と言って箱に手を入れていた。

 「それは人か?」

 「…多分、違います。そう言えば、琵琶持ってました。」

 「琵琶?」

重盛は眉間にしわを寄せたまま、光胤が食べている所を眺めていた。



琵琶の音が大気を奮わせて、詠う。

 「君君たらずと云うとも、臣もって臣たらずんばあるべからず。父父たらずと云うとも、子もって子たらずんばあるべからず。君のために忠はあって、父のために孝あり…。」

盲目の法師の姿をしたそれは、ただ風に漂泊するように続けた。

 「国に諌むる臣あれば、其国必ずやすく、家に諌むる子あれば、其家必ずただし」

遥か昔の物語を、まるで今に重ねるように、詠っていた。

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