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5 業風の事

 雷鳴が轟いたと思ったら雨が降り出した。

 「台風が来てるんだって。鎌倉は大した事無いけど…光さん大丈夫かな。」

屋内から空を窺う恭に向かって訊かれてもいない事を言う晋は携帯端末で天気予報を見ていた。午前中は天気が良かったというのに、昼を過ぎた頃突然の悪天候となった。人形師の里は鎌倉より台風の影響がありそうな予報となっていた。恭は里へ向かわせた(みつ)(たね)に、天候による影響が無い事を願った。

 「そうか。大事ないと良いのだが。」

 「風吹いて来たね。」

晋が木々が揺れる様を眺めていた。気候や天災など『昼』の隙を『夜』はいつも狙っている。特に何か漠然としたものへの恐怖、なんてものが一番の好物なのだ。何か出そう、何かいそう、何か不気味、人間たちがそう思う時『夜』は既にそこにいるものだ。こんな天気の日は特に『夜』への警戒が必要だ。

 「義将(よしまさ)出動してんのかなぁ〜。」

地龍の武士は殆どが部隊に所属している。そして全てが揺らぎの討伐という仕事を担っている。こういった『夜』の活発化する可能性の高い日は、あらゆる部隊が動いているものだ。部隊経験のない晋には関係ない事だが。

 「どうだろうな。羨ましいなら、お前も行って良いぞ。」

 「こんな雨の日に仕事なんて御免だよ。こんな日は恭の隣で辺り構わずガン飛ばしてる方が楽チンさ。」

 「番犬として威嚇する仕事は否定しないが、お前を見て委縮する者は多い。その上睨みつけるのは気の毒だ。」

 「あ〜ら、お優しい事。じゃSP風にグラサンでもかけますか?」

 「それ殺し屋だろ。逆効果だよ。」

 「あはは、そりゃ失礼。しかし、見るだけで委縮って恐がり過ぎでしょ?取って食う訳じゃあるまいし。ここまで来ると俺の業の深さが万人に分かっちゃうのかな〜。」

 「お前が本当に取って食いそうな顔してるからだろ、それだけだ。」

業が深いなどと言う晋を否定しながら恭も外の様子を眺めた。風は木々を揺らし、唸るような音を響かせていた。嘆くような、悲しい声に聞こえた。

 「業風(ごうふう)、か。」

恭が呟いた。

 「地獄で吹く風か。それって、この世は地獄より酷いって事?」

 「業風が悪行の報いだとしたら、地龍はそれを受けるに足る存在なのかも知れないな。」

 地龍という組織は決して正義の味方ではない。その上、信念や矜持を貫いて来た訳でもない。あらゆるものの思惑によって随分と揺れ、破壊に破壊を重ねながら歩んできた。それでも傲慢に、この日本がこうして存在しているのは地龍が在っての事だとのたまう。それを正しさだと言って、また刀を握る。その生き方に業風が吹くのは道理かも知れないと、恭はぽつりと呟いた。

 「誰が言っても、恭が言ったら駄目なヤツでしょ。当主が組織を否定するなよ。」

 「いや、俺しか出来ない事だよ。これから変えていくんだからな。」

言う恭の目は鮮やかな色彩。

 「手始めが人形師なの?」

 「…この三年間それなりに変えて来たつもりだよ。でも、そうだな。人形師は体の良いみせしめと言った所だな。」

 「これが上手く行けば、旧体制にしがみ付いてる連中も表立って反対は出来ないって事?」

 「それも有るけどな。それよりも口を噤んできたもの達を起こしたいんだよ。」

晋が沈黙で疑問を現した。

 「人形師たちは地龍にとって決して珍しい連中じゃない。ああ言った輩は昔から多くいて、根深く蔓延っている。地位や名誉のために自分以外のものを犠牲にする事を厭わない。強さや優秀さを誇示して得意になる。向上心も意地も大事だ。それらが進歩の原動力ならば寧ろ必要なのだろう。けれど、視野や価値観を狭めては本末転倒。それらの所為で揺らぎの討伐に私情を挟んだり、ただ『夜』を斬って解決しようとする安易で軽率な判断は、逆にバランスを揺らがせる元となる可能性がある。」

 「形骸化されたルーティンワークの揺らぎ討伐は、もはや揺らぎそのものって事?」

 「実際『夜』側の地龍に対する怨念は膨れ上がっている。歪みが今こうして現れたのだ。」

 「そうは言っても、武士たちは皆自己判断じゃ動けないだろ?部隊に所属している以上、判断や方針は全て上司による所が大きい。上司の顔色窺いながら、そつなく業務をこなす事が一般的な一兵卒ってもんじゃない?頭脳はひとつ、手足は無数に、部隊ってそういうものでしょ?」

 「まぁな。それが悪いというのではない。けれど必ず自分で決断しなければならない場面が来る。そういう時、頭だけでなく心で考えられるようにしたいんだよ。皆人死には御免だろう。『夜』とてそうなのだ。兄さんが集めた仲間達は、そういう心を持った人たちだ。地龍内には他にもそういう思いを口にする事が出来ずにいる者たちが少なからずいる。彼等が立ち上がれる組織にしたいんだよ。」

 『昼』と『夜』が存在する以上地龍なしにバランスを保ち続ける事は不可能だろう。揺らぎはなくならない。すべてが偶発的な揺らぎならば綺麗事で片付くだろう。けれど多くはそうはいかない。その事を百も承知で、たまにある救済の余地ある案件を見逃さないようにしたいと言うのだ。命を形骸化する事はあってはならないと、恭の理想が言うのだ。

 「ガッチリ縦社会の地龍でそんなに皆良い人になれって言うのは都合良すぎやしないかい?俺には、手柄を上げて地位を上げて皆に尊敬されて給料アップして良い思いしたいって言う方が健全な気がするけどねぇ。」

 「まぁ、そうだろうな。つまり、平穏を望む事を共通認識とするならば、必要なのは己が利ではなく、皆の利だという事だ。」

 「つまり?人形師をみせしめにして旧体制を牽制すると、新世代が目覚める?その上で旧体制と新世代双方に利のある新体制を作るって事?」

 「まぁ、そんな所だ。」

 「無理じゃね?」

 「だが転生システムの破壊に成功すれば、どうだ?」

 「え?」

 「過去の軛が解き放たれれば、否が応でも前に進むしかなくなる。」

朝廷復活だの大政奉還だの長老会だのといつまでも言っては居られなくなる。何を言ってもそれらを知る者がいなくなるのだから、それらに対する理想は継承されない。

 「幸さんみたいな事言ってら。三年間で毒されたんじゃないの?」

 「幸の言う事も一理あるって事だよ。それより何より、転生システムの破壊・龍脈の調整は俺達の命題だ。正に命をかけて取り組む問題だ。」

恭が晋の肩を掴むと、晋はその恭の手に自身の手を重ねた。

 「もうあんな事は御免だよ。俺は恭を殺したくない。たとえそれが世界を滅ぼす事になったとしても、したくない。」

 「ああ、そうだな。」

外ではいよいよ風雨が激しくなり、窓を叩きつける雨がノイズのように鳴り続けていた。



 人形師の里では台風が本格的に近付いているらしく、光胤は風雨の所為で外出も出来なくなってしまった。監視の気配は未だに途絶えない。工房は台風の対策のためか賑やかだった。朝はあれだけ静かだったというのに、やはり時間帯だったのだろうか。

 蘭は大丈夫だろうか。怪我をして、台風に遭って、あの小さな体を震わせているのだろうか。光胤はそわそわとした。

 そう言えば、光胤は今まで数多くの『昼』と『夜』を殺しても来たが、助けても来た。しかし蘭のようにいつまでも尾を引いていた事があったろうか?珍しい『夜』だったからだろうか、それとも蘭の母があの不気味な人形の核となっているからだろうか。光胤の好む甘さの付け入る隙間のありそうな案件だから?どうにもどれもしっくりとは来なかった。

 「好きだから…。」

最もシンプルな答えが、最も相応しい理由のような気がした。

単純に好きなのだ。蘭という少女の事が、好きだと思った。

 どういう好きとかは無い。今はただ好きだと認識した。

そう結論付けてみると、いよいよ命令も忘れて蘭の元へ行きたいという衝動が沸き上がって来た。(らん)(きょう)から蘭の母親を取り出し、今すぐにでも返してやりたい。それがあれば、山神が目覚め蘭は笑顔になるかも知れない。

 それは見たい。

光胤は人形の箱に手をかけた。

人形は餌だと重盛(しげもり)は言った。その餌を、光胤は自分の勝手でどうしようと言うのだろうか。命令違反かも知れない。そう思うとどきりとした。

命令違反をして、重盛に怒られたら、嫌われたら、首になったら、今持っているもの全てを失うのではないか。立場や居場所を失って、友との縁が切れないと言えるか。そのリスクを負ってまで、よく知りもしない蘭のために何をしようというのか。

 「それでも、それが俺様だ。」

 甘い世界を望む光胤の、甘さの実現。欲しいものを、まず与えられる自分でなければ、一体何が出来るというのか。ここで臆してどうする。取りこぼしたものに苛まれて生きるのは御免だ。

 光胤は改めて人形に手をかけた。

 

 鎌倉の台風はやはり予報通り大した事はなく、降り続いている雨も、海や山や交通や作物に影響を与える心配はなさそうだった。

 幸衡(ゆきひら)は恭の命令で、過去の揺らぎ討伐の統計調査の書類仕事などをしていたが、ずっと同じ姿勢をしていたため体が悲鳴をあげていた。少し肩を回して休憩をしていると携帯端末が鳴った。

 「光胤くんか、珍しいな。君から連絡など。」

幸衡に光胤から連絡が入ったのは初めてだった。

 「おう、幸、ちょっと訊くけどさぁ、仕事と愛だったらどっち取る?」

 光胤は蘭の事を敢えて愛などという言葉選びをした。例えばそれは人類愛とか隣人愛とかいう博愛の類であるかも知れない、そうでなければ家族愛や友愛か。一度会っただけの少女の、しかも『夜』に対する好意など、一時の気の迷いでなければ何だと言うのか。自問しながらも、その感情を愛と言ってみたのだ。

 「…訊く相手を間違えていないか?もし敢えて私を選んで問うているのならば、仕事と言われたいとしか思えない。故に愚問だ。」

 「あはは、やっぱ?」

いつもの調子で想定通りの結論を返す幸衡の揺らがなさは安心する安定だ。

 「だが、光胤くんは愛を取るのだろう?で、私にどうしろと?」

 「話しが早くて助かる。」

光胤は、幸衡に簡単に説明をした。道中蘭に出会った事、(そう)(うん)という人形師の事、(らん)(ちょう)と山神の事。幸衡は時折落ちついた相槌を返しながら、じっくりと話を聞いていた。

 「ふむ、つまり、君が出会った『夜』の少女は鸞鳥で、その少女を助けるのに手を貸せと。」

 「ああ、人形から核になってる蘭の母親を取り出したいんだけど、鍵の解き方が分からねぇ。教えてくれ。」

蘭に母を返そうにも、人形のまま運ぶのは大変だし人形師たちに見つかってしまう。中身を取り出してそれだけを隠し持って行くのが最善だろうと思われた。けれど、奏雲が簡単に開いた蓋が、光胤にはどうやっても開かなかったのだ。

 「善処しよう。」

 「…意外だな。断られると思ったのに。」

駄目元で、こういう事に長けていそうな幸衡に連絡をとったのだが、思ったより簡単に助力を得る事が出来そうだった。

 「勘違いするな。その蘭という少女が鸞鳥ならば、助けるのは悪い事ではないと思っただけだ。」

 「どゆこと?」

 「鸞鏡はずっと動かなかった。それは核たる鸞鳥が眠っていた所為なのだろう?原因として最も簡単に想定されるのは、この世が平和でないからだ。嘘か真か鸞鳥とは平和な世にしか現れないとされているのだからな。そうだとすれば、蘭という少女は鸞鏡と山神同様にずっと眠っていたのだろう。蘭は光胤くんが人形を運んだために、鸞鏡の気配が近づいてくるのを感じて目覚めたのではないか。そして、山から降りて来たところをバイクにひかれてしまった。そうは考えられないか?」

幸衡は光胤の少ない情報から全体像を組みたてようとしていた。光胤はその思考に感心した。

 「蘭はたまたま母親に共鳴して、目を覚ましただけって事か?」

 「否、それだけではないだろう。光胤くんの話を聞いて私は、それを兆しではないかと思ったのだ。平和な未来の兆しではないかと。恭くんの治める世の予兆。」

 幸衡の言葉はいつもの冷静な温度だった。けれど、らしくない内容だった。利を重んじる幸衡に信心などないと思っていたし、展望は自らの手で作ると言うと思っていた。それを、漠然とした未来の幸福を祈るような事を言うとは。

 「幸って案外ロマンチストなのな。」

 「愚弄するらならば手は貸さん。」

 「ちょっと、褒めたんだって!」

 「鸞鳥を捕獲した事で、山神は眠り里は時を止めた。それが人形師をカルト教団たらしめる原因であるというのならば、そもそも鸞鳥とは人が手を触れてはならない神聖な生き物なのだろう。過去の過ちを正すのは道理。故に君の愛は仕事の完遂に沿うものだと判断した。」

すべては鸞鳥から始まったというならば。

 「悪いね、主に相談もなしにやる事だから後で怒られるかも知れねぇ。そん時は俺様の所為にしてくれ。」

 「重盛殿は光胤くんに具体的指示を出さなかったのだろう?それは君に委ねていると言う事だ。意に沿わない結果となったとしても、それは重盛殿自身の判断ミスだ。光胤くんが叱責を受ける事ではない。」

 「いや〜、何もするなって意味で指示が無いのかもよ?」

 「現場は予測出来ない事が多い。例え何もするなという命令があったとしても、何もしないでいられない状況というのもあるだろう。そういう時、直面した本人の判断で動かなくてはならない。重盛殿はそういう事が分からない御人ではない。何も言わないのであれば、全て込みで全面的に光胤くんを信頼しているのだろう。」

 「それは思い上りってもんでしょ。」

 「そんな事はない。愛と仕事に揺れる君の、頭でなく心で考えられる所は尊い。故に信頼に足るのだ。」

 幸衡自身の、ひいては奥州の利が何より一番だと言って来た幸衡らしくない言い分に、光胤は驚いた。けれど、とても嘘をついているようには聞えなかった。

 「では、蓋を開けよう。」

幸衡は光胤の驚きなど意に介さぬように話しを先に進めた。


 台風は山を唸らせ、家を薙ぎ倒しそうな勢いで吹き荒れていた。それはまるで何かの怒りや、報いのように、渦巻いて、全てを内包して掻き回すように見えた。

 己が名誉のために鸞鳥を捕えた人形師、報復のために山を眠らせた神、強さを求め『夜』と交わった『逢魔の血』である光胤、安易に『夜』を駆逐する事を揺らぎの討伐だという武士達、『昼』へ侵攻したい『夜』、自分勝手に『夜』を脅かす『昼』、実の父親を殺した晋、その晋を利用して地龍統治を進める恭、転生を繰り返す過去の魂、システムを司る(かね)(さね)、それぞれの業がぶつかり合って強風となる。

 あらゆる愚かさが、悪行の行く末が生み出したもの達が、業風となり吹き荒れる。

 いつの間にか嵐の中に身を置いていたのだろうか。光胤は、その地獄の風を頬に受けながら前を見る。その腕の中には鸞鏡の核が穏やかな光を湛えている。ひるまず進めと心の中で鼓舞するような鼓動が聞こえる。衝動に従え、前に進め、と。

 光胤は山を睨んだ。


 光胤が人形師の屋敷を出る所を、物影からじっと見つめている目が無数にあった。平素耳鳴りがする程に静かな里だが、台風のお陰でちょっとやそっとの物音を立てても気付かれないだろうと思われた。

 屋敷の中から奏雲は呟くように命令を下し、弟子達が直ちに動き始めた。

 「ようやく動いたか。早く私を鸞鳥の元へ導いておくれ。」

奏雲は一体の人形を前に座っていた。一瞬死体かと思う程に人間そっくりな作りをした人形。しかし全く生気がなく、かつて魂があったという気配もない。ただの器であり、ただの作り物、贋作の人間。

 「このボディが人となる事をどれ程夢見ただろうか。鸞鏡は人形師の至高の極み。これを成せば正に私は人形師の伝説となる。人形師の最高峰、歴史となるだろう。何という運命、何という導き、世は私を歓迎している。さぁ、早く鸞鳥を、この手に。」

 伝説の人形である鸞鏡。それは人形師を狂わせる程の絶対なる作品だ。誰もが求め、憧れ、熱望する。けれど成らない。何故か、それは最も必要な部品である鸞鳥が手に入らないからだ。何百年と、人形師たちは鸞鏡を作る事を諦めきれず、空の器を作り続けた。それも結局は鸞鳥が手に入らず、ゴミとなった。何人もの優秀な人形師たちが志を遂げる事無く無名に散った。全ては鸞鏡が成らないがために。

 「鸞鏡さえ成れば、地龍様も認めてくださる。何せ至高の献上品なのだから。」

長老会が実質的に無くなり、今まで長老会の庇護下で黙認されてきた人形師の里が、あやうい立場となった事は、時勢に疎い奏雲でも分かっていた。

 人形師は時代遅れの存在だと理解していた。しかし、それは誰も本当の人形を知らないからだ。本当に素晴らしい人形とは、人と寸分違わぬものだ。その精緻さを知って感銘を受けないものがいようか。この素晴らしい伝統と芸術を失ってはならないのだ。奏雲はとことん人形を愛していた。そしてこの歴史ある人形師の里を。

 「この里には守るべきものが多くある。決して踏み荒らされる訳にはいかぬ。」

長老会が、否、長老会の名を騙る者が里を守ってきただけの価値が、確かにあるのだ。けれど奏雲は本当の意味でそれを知る事はない。



 「動いたか。」

重盛が言うと、(よし)(ひら)は腕をまくった。

 「よっしゃ、じゃあ出動だな。」

 「何張り切っとるん。義平が行く訳やあるまいし、落ち付きや。」

 「…それもそうか。で、こっちも動くんだろ?恭。」

 部屋に居るのは、恭・幸衡・重盛・義平の四人だった。

 体制の変革を経て、このメンバーでこそこそするのは対外的に心象が悪過ぎる。先の戦にて長老会が瓦解した事をしても明確な事の成り行きを公表はしていないのだ。何せ龍種に関わるトップシークレットが根幹にある戦だったのだから。手にした者が覇者となるだけの力をもつものが存在しているなどと公になれば地龍内は荒れるだろう。ただでさえ出世欲が渦巻き揉め事の絶えない組織内だ。無用な争いは避けたい上、邪魔者を増やすのは面倒だった。と言う事やなんやかんやで恭を中心とした上層部が隠している事は多い。その気配を察知している者達も決して少なくはないのだ。それを分かり易くこそこそとするのは避けたい所だった。折角まとまり始めている新体制に反感の芽を生むのは得策ではない。

 しかし、それらをおしてなお、そうするには理由があった。

 「ああ、動く。既に晋を行かせた。追って小隊と処理班を向かわせろ。」

 「晋くんも、戻ったばかりで、しかもこの台風の中ご苦労な事だ。だが、今の光胤くんには強い味方となろう。」

幸衡が頷いた。幸衡は光胤からの情報を全て開示し、その上で当初の作戦を変更なく実行するという案を出していた。

 「愛をとる…なぁ。どっかの義平にそっくりな事言うなぁ?」

 「ああ?どっかのって言っといて名前を出すな。どこの義平だ、どこの。」

祥子(しょうこ)への愛に殉じる事が生き方だと明言している義平を、まるで馬鹿を見るような目で言う重盛だった。

 「ええやんなぁ?人生そやないと損ちゅうもんや。さすが光胤。伊達に甘党ちゃうわ。」

 「褒めてんのか?」

 「そら褒めとるで?愛と仕事の両天秤かと思いきや、人形師を一網打尽にする最高の餌になっとる。これで作戦が成功すれば、いよいよあの怪しい里のガサ入れや。ほんま、こないな一粒で何度うまい愛があるか?これが褒めずにおれるか?」

 「恐えよ。」

重盛の言い分に引きながらも納得する義平は、恭を見た。

 「何か出てくるんでしょうか。」

幸衡が訊くと、恭は確信しているように答えた。

 「出るさ。そうで無ければ、こうしてリスクを負ってまで皆で話し合った意味がない。リスクには、それに見合うだけの見返りが無ければな。」

 そう、恭達の目的は人形師をみせしめにした画策だけではない。人形師の里に隠されたものだ。

 奏雲がそうとも知らずに守り続けてきたもの。

 歴史の闇の欠片。



 車の中で晋が靴紐を結び直すと、運転席から手が伸びた。

 前を向くと笑顔の千之(せんの)(すけ)が、何かを差し出していた。

 「(みつ)に会ったら渡してよ。」

 晋はそれを受け取った。

 さっきまで鎌倉にいた晋は、唐突な恭の命令で再び山に囲まれた辺鄙な土地に降り立った。小鳥遊(たかなし)がしゃしゃり出て来て転移された所為で、どこに飛ばされるのかと不安になったが、予定通りの里の入口だった。そして想像通りの大嵐だった。

 山への入口を探そうとした所、何故か先に着いていた処理班の車が数台見えた。中で千之助が手を振っていたので一旦お邪魔した次第だ。

 「それにしても、早くないっすか?」

 「いや〜、光の奴昨日何かやけに真面目くさった声出しててな。気になって、飛んで来ちまった。ま、俺がいても意味無いんだけど。」

 「そんな事ありませんよ。千さんは頼りになります。」

 「ま、俺は俺の仕事をやるさ。」

晋は千之助から受け取ったものを見た。

飴だった。

 「光は甘いものがないと駄目だからな。」

 「ですね。」

二人で笑い合うと、晋は車から降りて山へ向かった。

風雨が吹きつけ、視界が悪く、暗く足場の悪い山道は何かの刑罰のようだった。

これが業風ならば、ここは地獄だろうか。

 ならば大した事はない。

晋が立ち向かっているものは、こんな程度のものではないのだ。運命は。

晋は千之助から預かった飴をポケットに押し込んで、先を急いだ。

時刻は既に夜と呼んで良い頃となっていた。

今夜中に通り過ぎる予報となっていた台風には、未だおさまる気配というものがない。

 木々をへし折らんばかりに吹き荒れる嵐に紛れて、別の気配が無数に。晋は気配に近付きながら、進んでいる方向に間違いが無い事を確信した。気配達は晋の存在に気が付いていない。おそらく光胤の追跡に夢中になっていて、逆に狙われるなどとは思っていないのだろう。この嵐も都合良く晋を紛れ込ませる。あまり殺気立たないように気を付けながら、木々に紛れてギリギリまで近付き、そっと息を吐く。()(がすみ)の柄を握り、そうっと抜く。そのまま一気に踏み込み気配達を一刀両断。

 山道に転がったそれらを見ると、まるで案山子のようなはりぼての人形だった。

 「ありゃ、ハズレ…かな?」

晋は頂上へ向かう光胤を追うように見上げた。



 刀を振ると、雨水が散った。

 光胤は鸞鏡の核を二重に着たTシャツの間に押し込み裾を縛ると、空いた両手で刀を振った。追いかけてくる不出来な人形達を排除する。人形は見た目だけでなく性能も大した事は無かった。戦闘能力は殆ど無くただ追ってくるだけだった。おそらく目だ。人形を通して位置を把握しているのだろう。けれど人をさくのではなく、このようなガラクタを寄こすのは何故だ。

 光胤は刀を握ったままで先を急いだ。山の斜面はぬかるんでいて登り難い。これで土砂崩れでも起ころうものならば最悪だ。用心して登る光胤は、木々の隙間から見える里の灯りを視界に入れた。静かだった。

 里へ入った時の活気、翌朝の静寂、そしてハリボテの人形達、よく考えれば簡単に分かった事に今気が付いた。

里にはおそらく、そう多くの者がいないのだ。光胤が感じた多くの気配はあの出来の悪い人形達だったのだろう。

 衰退している。

 それは当然のように思われた。停滞した里で今の世まで受け継がれて来た事すら奇跡だ。鸞鏡を作るという一世一代の好機に満足に差し向ける追手もいないのだ。もう、この里は駄目だろう。長老会という後ろ盾も無く、変化を拒み続ける、まるで生きる遺物だ。もう死んでいるのとどう違うだろうか。光胤は里の灯りが儚い命の蝋燭のように感じた。

 まるで…

 「風の前の塵に同じ。」

唐突に声がした。光胤の思考を読んだように、平家物語の一文を読んで見せたその声は、この嵐の干渉を受けないかのようにはっきりと響いていた。

 「誰だ!」

声のする方を見ると、そこには薄く光る法師の姿があった。俯くその目は閉じたまま、手にした琵琶を弾く。

 「民間の憂ふるところを知らざりしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。」

詠い続ける法師の衣服は濡れていない。視界を阻む程の風雨だと言うのに、法師は無風だ。その衣を揺らす事もなく、ただ凛と立っている。鸞鏡の核とよく似た淡い光を帯びて、詠っていた。

 光胤は呆然としてその姿を見ていた。

 『夜』だ。人ではないという確信を持った。けれど、ただの『夜』ではない。何かの神格に違いない。でなければこれ程に畏れない。

 「あんた…。」

 光胤は何かを言おうとしたが、法師の体はすうっと遠ざかって行く。光胤は反射的にその光を追った。光は琵琶の音色を奏でながら山の上の方向へ進んでいく。光胤は無心になってただその光を追った。光胤のTシャツの中で鸞鏡の核が光を増していたが、その事にも気が付かないままで登った。

 そして山の頂上まであと少しだろうと思われるところまで来た時、法師はまるで投影されていたかのように光を失い姿を消してしまった。

 「何だったんだ…。」

 法師が消えた場所を見渡しながら、光胤は呼吸を整えた。

 『みつたね?』

不意に聴き覚えのある可愛らしい音色がした。

 木の影から蘭が覗いていた。

つぶらな瞳、美しい羽を濡らし、怯えたように覗いている蘭の姿は、淡く光っていた。

 「蘭…。」

光胤が呼ぶと、蘭ははにかむように微笑んだ。


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