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43 会談の事

 俺はどれだけ報いることができているだろう。

貴也の思考に強迫観念のようにこびりついて苛み続ける問いは、いつしか貴也を突き動かす原動力のようになっていた。


 「重盛(しげもり)、お前恭に会ったろ。」

唐突に貴也が言った。

 全国各地で戦火があがり、既に多くの被害報告がされていた。そんな中、地龍本家側の当主と主要メンバーが揃いも揃って本拠地を離れ、敵である長老会の懐である京都へ入った事は極秘事項だった。

 京都も例外ではなく戦場と化していたが、貴也がいる長老会の本拠地にあたる建物には未だその気配はなかった。長老会の警備も去る事ながら京都守護の春家(はるいえ)の指揮により、被害は最小限に留められているのだった。

 「…。」

貴也に問われた重盛は何と答えたら良いか分からず沈黙を返した。それを横目で見る(よし)(ひら)も、何故今このタイミングでそのような問いをするのか理解出来ない表情をしていた。

 三人は既に「会談」の準備の整った一室へ向かっていた。

長老会の用意した儀式の場へ。死地へ。

 「お前はずっと俺にかける事に迷ってたろ。今は違う。」

貴也はずっと黙っていたけど気付いていたよ、と言うように優しく言った。重盛は戸惑った。

 「俺は友としてお前と…。」

 「恭に直接会ってそれを言うのか?お前も焼きが回ったな。」

この期に及んで嘘を付くな。そう言われた気がした。貴也の前で嘘は通用しないという事は、始めから分かっていた。

 平素貴也という男は、相手の用意した表の顔を相手の理想通りに受け止めて関わる。見られたいと思う姿、理想とする姿、それを実現させてくれる。それをやられて気持ちよくない人間がいるだろうか。相手を気持ちよくさせて懐へ入り、貴也の意のままにしようとしてくる。それを見た時重盛は何て可愛くない奴だと思った。それと同時に、よく人間を見ていると感心したものだ。

 「…せや。俺は恭殿に会うた。そんで、お前が隠してきたもの、やろうとしてる事、何となく分かってん。そんでようやく腹が決まった。」

重盛はずっと貴也に対して懐疑的だった。それは貴也が事を急ぐ訳や秘めたものが分からなかったからだ。しかし、恭に会って迷いは晴れた。貴也が繋ぎたい未来は、恭そのものだと確信したからだ。

 「俺じゃなく、恭を選んだんだろ。」

確認だった。

 「せや。俺は恭殿にかける事にしてん。」

重盛の告白に、貴也は満足そうに頷いた。

 「それでいい。」

―――それでこそ報われる。

ひとりごちた貴也の声を重盛は拾う事が出来なった。そしてゆっくりと扉を開けた。

 


 恭と師房(もろふさ)は刀を交えながら数十メートル程移動していた。

殆ど恭の刀を受けるだけの防戦一方で後退していた師房は、口で言う程に腕に覚えがあるようではなかった。恭は違和感を覚えながらも師房への攻撃を続けていた。そして、大きく一歩前に踏み出した瞬間だった。師房の口が笑ったように見えた。恭の足が地面を離れる瞬間、妙なスイッチ音と共に地面が爆発した。爆風に誘われるように師房が笑い声を上げた。

 「あははは!ひっかかってやがる!間抜けのカスが!」

爆風がやむと、恭は反射的に無理矢理防御結界を張って間一髪至命傷を避け構えなおしていた。

 「そりゃそうか、そんな罠であっさり死ぬ訳ねぇよなぁ。」

 「罠?」

 「そうだ、罠だよ。はじめから、何もかも俺の筋書き通りなんだよ。今、こうして、此処で、お前と対峙している事すら全て、俺の予定通りなんだよ!」

 「だから、ここは罠だらけって訳か…。」

恭が地面を見た。具体的には感知できないが、同じ様な地雷が他にもいくつかあるようだった。

 「俺はな、戦闘能力でお前に勝てるなんて自惚れちゃいねぇんだわ。俺の売りは頭脳であって力じゃないんでな。だから勝つために準備して来たんだよ。確実にお前を殺すためにな。」

師房の罠が何処にあるか分からない以上、恭も不用意に動く訳にはいかなった。もしかしたら、今立っている足の下にも罠はあるかも知れないのだ。

 「何故だ。」

 「あん?」

師房は予め用意していたと思しき術式を編みながら訊き返した。

 「何故、俺に拘る。貴様の目的が全ての破壊ならば、京都にいるべきだろ。今、この世の中枢は間違いなく京都で行われる儀式のはずだ。」

京都で行われる「会談」。長老会が矢集(やつめ)(ひろむ)を使って貴也から龍の心臓と卵を取り出し、法皇を復活させようとするその儀式を破壊すれば、師房の望みは叶うはずだ。日本は龍の心臓失くしては存続できないのだから。

 「はぁ?そんなもん、もうとっくに対応済みだよ!」

 「対応済み…?」

恭の問いを心底嬉しそうに聴き、師房は嗤った。



 部屋の中は昼間だというのに薄暗く、いくつかの蝋燭によって灯りを確保していた。入っていくと、空いている席があり自ずと自身の座る場所を理解する事ができた。貴也が座りながら見渡すと、対面に長老会の面々が座し何かを待っていた。誰もが俯き貴也を直視しようとはしなかった。上座には大きな御簾がかかり奥を窺い知る事は出来なかった。

貴也が御簾の方に注意を引かれている時だった。

 「ようこそ地龍殿。」

目の前に座っていた男がようやく顔を上げ貴也を見た。和装の中年男性で、物腰の穏やかさが気品を表しているように見えた。

 「私は一条(いちじょう)長成(ながなり)と申す者。本日の長老会側代表です。この者達は護衛です。」

長成の後ろには十人程の武装した男たちが座していた。

 「貴族様主催の会談の場には似つかわしくない随分無粋な者達がいるんだな。」

貴也が肩を竦めると、長成は微笑をたたえた。

 「まぁ、昔やったらありえへん事やったやろうけど、時代も変わった言う事です。武士を御迎えするんや、こちらも丸腰なんは些か不用心やさかいな。」

 「それはそうだ。俺も、ボディガードを二人連れて来た。そちらが護衛を百人用意しても敵わない一騎当千を。」

穏やかに毒を吐く長成とは対照的にニコリともせず貴也が答えると、長成は分かり易く渋い顔をした。馬鹿にされたと感じたらしい護衛達も一触即発の空気を作っていた。

 「やめ。」

長成が護衛を制止し、空気が張り詰めた。貴也は全く空気が読めないのか平然とした顔で言った。

 「では、メンツも揃った所で『会談』を始めよう。」

貴也の言葉に長成は少し驚いたようだった。

 「俺が呼ばれた理由であり、目的だ。随分前から招待状をよこしていたろ?地龍当主と長老会で『会談』の場を設けようってな。違うか?」

貴也が責めるように言うと、長成は暫く黙って貴也の目を見ていた。そしてようやく皮肉を言われているのだと気が付き苦笑した。

 「人の悪い事を言わはる。まさかほんまに『会談』なんてものが開かれる思うとるんちゃうかて心配になりました。」

 「思っていたら何だと言うんだ?」

 「阿保言うたらあきまへん。そちらの諜報活動はこちらも分かっとるんです。全て分かっとって、それでも来はったんやろ?」

 「全て、ね。どうだろうか。」

貴也が首を傾げた。長成はまだ何かを待つように目を伏せた。

 「俺の心臓は龍の心臓だ。しかも、龍神との契約の証である龍の卵を保有している。それを手にすれば、実質地龍当主としての資格を得る事になるだろうな。地龍は今はバランスを整えるための機能として存在する事を選択しているが、その気になれば『昼』も『夜』も、地龍の統治下におく事は容易い。つまり、地龍当主になる事は、日本そのものを手にできる。と言う事だ。」

貴也が一つ一つの言葉を確認するように長成に押し付けた。

 「せやから、地龍当主が暴走せんように長老会言う組織があるんと違います?」

 本来の長老会の立場は地龍当主の独裁を防ぐための抑止力だったはずだ。

 「ほう。それをお前が言うのか?長成。その存在理由を覚えてる奴がまだいたとは思わなかったな。既に長老会は全く別の組織じゃないか。否、転生組のお前が舵を取る一人だと言うなら、初めから違っていたのか?」

 「いつから?随分下らない問いやないですか?長老会は元より天皇家と朝廷によって造られたもの。地龍当主を頭に据えた組織図の過ちを正すために。この国の最上階は神たる天皇家の他にあったらあきまへん。その力、神に差し出して然るべきなんと違います?」

 「そうか。そのための組織だったのか。道理で空洞な訳だ。主が不在の幽霊組織だったって訳だ。」

 「それも今日までの事。」

 「準備万端って訳か。」

 「こうして地龍殿に機会を与えたんは我等の厚意や。己が手で神にその身を献上させたろうて言うんやからな。」

 「その御簾の向こうにいるのが神様か?」

 「龍の心臓と卵は本来法皇様が持って然るべき、国の至宝とも言える重要なもの。当然、法皇様に差し出すやろ?」

 長成が口上を述べるのを、まるで繰り返し流れるテレビコマーシャルのように飽きた視線で汚しながら黙殺した。

貴也の態度に不快感を表し何か言おうとした長成の耳に、肉を裂き血が噴き出す断末魔な音が届いた。それは、徐々に部屋に近付いていた。護衛達は身構えて扉を見た。長成が伏せていた目をようやく開いた。

 ゆっくりと扉が開き、長成が待っていた人物が入って来た。

 細長い精悍なシルエットが部屋に入ると、一瞬にして室内の空気が変った。今までの互いの言葉のぶつかりあいに注意を向けていた緊迫感は失せ、男が纏う圧倒的な殺意に体の芯が冷えた。

 「遅かったやないか。」

長成が言うと、男・矢集裕は刀を血振りして一瞥した。

 「何をやっとったんや。」

明らかに部屋へ辿り着く前に人を惨殺して来た姿だった。多くの血を浴び、まだ足りないと言わんばかりの余裕。建物内にいるのは長老会の人間だ。長老会に与している矢集裕が、何故それらを斬るのか。長成は疑問を口に出そうとしたが、裕の視線が動くのを見て押し黙った。

裕が貴也を見た。

 義平と重盛は反射的に刀を抜こうとした。しかし、貴也がそれを止めた。

 「御久し振りです。おじさん。」

裕が貴也の方へ向かって少し前に出た。夜霧(よぎり)の長い刃が床を傷付ける厭な音がした。

貴也がまっすぐに裕の目を見ていた。

 「おじさん、昔言ってた事、覚えてますか?」

裕の足が止まった。

 「俺も、やるべき事をやらなければなりません。」

貴也の言葉を聞いて、裕は視線で頷いたように見えた。

 長成は、おかしいと思った。

 何かがおかしいと。

 万事上手く行っていた。全てのパーツが揃い、二度と無い正に千載一遇の機会だったはずだ。しかし、この状況は何かがおかしい。どこかでボタンを掛け違えたような感覚がした。

 長成が違和感に気が付いた時、貴也がゆっくりと立ち上がった。(あけ)()を杖代わりにして立つと、ゆるやかな動きで鞘から抜いた。朱烏の刀身は赤みがかった鈍い輝きで、しなやかなラインなど誇り高さすら覚える程美しかった。

貴也が抜刀した事で護衛達が警戒して立ち上がった。義平と重盛がそれを止めようとしたが、それより早く裕が貴也へ向かった何人かを斬った。声も上げずに骸となり床に転がったそれを、まるで塵芥を見るように見下ろす裕の冷徹さに、誰も動けなくなってしまった。

 「…矢集、何しとる…。」

長成が上体を動かした時、裕は切先を向けた。

 「動くな。」

長成が動けないでいると、貴也が歩き出した。

貴也は何の敬意も払わず歩いて行くと、いきなりその朱烏で上座の御簾を切った。

 「な…何を…。」

長成が驚きのあまり言葉を発せずにいると、御簾の中から人影と小さな壺が姿を現した。

 御簾の中に座していた人影は、よく見ると既に魂の無い体だった。骨に変色した体の組織が沈着するようにくっ付いているだけの痩せた人型をした何か、所謂ミイラだった。そのかつて人であったものに豪華な着物を着せ座らせている姿は、あまりに異様だった。その禍々しい異彩を放つ玉座は、一目見て法皇の器なのだろうと想像する事が出来た。そしてその器の傍らに置かれた小さな壺は、複雑な呪術式が記されていた。

 「(たましい)(つぼ)か…。」

魂を輪廻の輪から隔離し保管する禁術中の禁術だ。このようなものが存在する事それ自体が、そもそも法皇崩御の折に既に、この蘇生させるという計画は始まっていたという事の動かざる証拠だ。貴也が歴史の闇を嫌悪するように見下ろすと、ある事に気が付いた。



 「法皇の魂壺を、破壊しただと?」

それは、法皇復活の完全阻止を意味した。

 「ああ、そうだ。今更別の器で儀式をする準備なんて間に合わねぇ。だから残るは正当継承者たるお前だけなんだよ。お前を壊せば、この世は終りだ!」

師房(もろふさ)が術式を完成させると、円陣から召喚された大量の虫が噴き出すように飛んで行った。恭がそれらが虫であると理解するより早く、首筋に痛みが走った。

 「あはは!それは(ため)(あき)特製の猛毒だよ!虫に仕込んで散布して、この霧に乗じてどいつもこいつも殺してやろうと思ってなぁ!正に大量虐殺って訳だ!躯の山を築けばあの世で為顕も喜ぶぜ!」

既に為顕の気配が途絶えて暫く経っていた。師房はそれを大した事だとも思っていないようにただ嗤っていた。

 「敵も、味方も、なしか…。」

恭がよろけて膝を付いた。首筋は既に変色を始めており、体の動きも鈍くなっているようだった。恭は眩暈を覚えた。

 「最初からいねぇんだよ、敵も、味方も。世界はただ終わるためだけにある。それだけだろうがよ。」

師房が始めから決まっていた事を告げただけだと言わんばかりの顔で、用意していたボーガンを恭へ向けた。恭は朦朧とする視界のままで、それを避ける事も出来ずに見つめた。

 「さすが、まだ意識があるか。その毒は弱い奴程早く死ぬ。『昼』の人間なら即死だろうなぁ。だが、それも想定済みってなぁ!」

ボーガンの矢が狙い澄ましたように恭の肩を貫いた。その反動のままに恭が倒れた。

 強烈な痛み、熱さ、痺れ、恭は肩に刺さった矢を掴んだ。硬く冷たい鉄の感触がした。引き抜こうとした時、鏃が引っ掛かり痛みが走った。

 「カスが!抜かれちゃ困るんで細工したんだよ!」

恭を貫いた後で鏃が変形し抜けないようになっていた。その上矢は鉄製で途中で折れない。羽側にはワイヤーが付いていた。恭は肩を庇いながら起き上がり、その電線のようなワイヤーに、無理やり黒烏を当て切ろうとしたが、恭の力が足りないのか特殊な素材なのか全く刃が立たなかった。

 「準備完了!いくぜ!」

師房が嬉しそうに叫びを上げながら術を展開させると、師房と恭を取り囲む十五メートル程の箱型結界が現れた。それと同時に恭が再び膝を折った。

 「何だ…力が…。」

 「さっすが地龍本家直系!これ程強固な結界になろうとはね。いやいや上出来上出来!」

嬉しそうに結界の壁を叩くと、師房は刀を鞘に収めた。

 「この無駄に丈夫な結界は、お前が作ってるんだよ!お前に打ち込んだ矢から、お前の術力を吸い上げて展開した術だ!俺が作った回路に電力供給してるんだよ!折角のでかい電池だからよぉ、思いっきり燃費悪い設計にしてやったよ!これだけ厚い結界なら外部からの干渉はまず無理だな!お前は毒に侵されて衰弱した上、術力を絞り取られて死ぬんだよ!」

恭は肩を押えながら唇を噛んだ。

 「こんな所で…。」

 「あん?」

 「兄さんが大変な時に、こんな所で足止め食ってる場合じゃないんだよ。くそ、抜けろ、抜けろ、うわぁああああ!」

恭が無理矢理矢を引き抜こうとしたが、傷が痛むばかりで矢はびくともしなかった。

 「あはは!無様!最高に無様だな!良い眺めだぜ。お、ようやくギャラリーが来たぜ。見せてやれよ、お前の情けなく死ぬ姿をよぉ!」

師房が顎で指すと、結界の外には(さね)(ちか)直嗣(なおつぐ)が立っていた。

恭は痛みに耐えながら師房を睨んだ。

 「おお、恐い恐い。どうせお前は俺を睨むくらいしか出来ないんだよ。」

 「来い。」

恭が呟いた。

師房は意味が分からず、恭が毒で気が触れたのだと思った。



 「ふ…あはははっ!」

唐突に声を上げて笑う貴也の場違いさを咎めるように長成が見た。そんな長成に貴也は壺を手に取り見せた。

 壺は既に割れ、大きな亀裂からただの壺の内側を曝していた。

 「長老会の中にも、この計画の愚かさに気が付いている者がいたようだな!」

長成はしばらく息をする事を忘れた。眼前に突き付けられた真実を、脳が理解する事を拒否していた。

 「法皇様にご帰還頂くには、肉体と魂とそれを蘇生維持する莫大なエネルギーが居る。その全てを揃えるために、どれだけの歳月を費やした思うとるん…こないな…何でや、何でや…。」

長成の体から力が抜けて行くのが目に見えて分かった。絶望。魂壺の破壊により魂は失われた。儀式の失敗、そして未来永劫やり直しはきかない。あまりの事態に護衛達が動揺したが、裕に睨まれては動けない。

 「俺が手を下すまでもなく、事は破綻してたとはな。拍子抜けだぜ。」

言いながら貴也はミイラを斬った。軽い体は簡単に両断され倒れた。

その姿を見て長成は発狂し叫んだ。

 貴也は懐から祥子から貰った巾着袋を出し、そこから真っ黒な炭の塊のようなものを取り出した。義平はそれを見て立ち上がろうとした。しかし、その腕を重盛が掴んだ。

 「あかん。邪魔したら、あかん。」

 「…でも…。」

貴也がその塊のようなものをいくつか掴み部屋中にばら撒いた。そして塊が空気に触れて暫くすると、蒼い色の炎となり燃え上がった。

塊は、祥子が受けた炭化の呪を改造強化した術の塊であり、祥子が貴也のために作った特別製だった。ただ空気に触れれば燃え上がるだけだが、普通の炎ではないのであらゆるものを焼き、また簡単には消えない。

いつの間にかミイラは炎の中で形を失い始め、部屋の中は炎に包まれていた。



 「幸さん、前言撤回。」

晋が言った。幸衡(ゆきひら)はやけに飛んで来る虫を払いながら晋を見た。

 「恭が呼んでる。行かなきゃ。」

 「え?」

先程まで霧の中は危険だと落ち着いていた晋が、唐突に全力で走りだした。まるで霧などないかのように、目的地に向かって迷い無く。

 「晋くん!」

幸衡がその速さに何とか付いて行くと、晋が叫んだ。

 「あそこに、恭がいる!」

晋が指さした霧の手前には、宗季が同方向に向かっていた。先を急ぐ晋の後に付きながら、幸衡と宗季は合流し走った。

 晋の掌が厚いガラスを叩くような音を立てた。

 「お〜、ギャラリーが増えたなぁ!」

晋が叩いた結界の壁の中で師房が拍手して喜んだ。

 「遅かったじゃないか、矢集晋!恭はもうすぐ死ぬ。良かったな。死に目に会えて。」

 「てめぇええ!」

晋が怒鳴ると空気が振動した。獣、かつてそう呼ばれていたことを思い出させるような気迫。しかし結界には何の影響も与えなかった。

 「あはは!藤原幸衡、平宗季、菊池実親、那須直嗣、か。証人にしちゃ思ったより少ないけど、どうせ全員死ぬんだし良いか。どうかな、目の前にいるのに手も足も出ない気持ちは。あははは!」

 結界の中では恭が何とか自我を保っているように見えた。肩の傷から血が流れ、首の刺し傷から感染し、体から術力が奪われ、外部からの干渉が絶たれ、忌々しい笑い声が響く不愉快な密室に閉じ込められ、怒りがどうにか恭を奮い立たせている状態だった。

 「これは…。」

幸衡が訊くと、先に着いていた実親と直嗣が答えた。

 「アイツが毒虫を散布したようだ。それにやられた死体を見た。この霧に乗じて一網打尽にする腹らしい。」

実親が自らの変色した腕を出して言った。

 「恭くんも刺されてるみたいです。あと、あの矢から術力を吸収して結界を無理やり張ってるみたいで、こちらからは手出し出来ないんです。」

 「そんな、それでは死んでしまう。」

宗季が言うと、結界に張り付いたままの晋の肩が震えた。

 「どうする?」

幸衡が考えながら問うと、晋が『波形』を燃え上がらせながら言った。

 「幸さん達は毒の方をどうにかして下さい。俺は、恭の所へ行きます。」

 「行くったってどうやって…。」

実親が訊き返そうとした時、晋の体が闇色の『波形』をゆらめかせて消えていく所だった。

 「な…に?」

師房は動揺するしかなかった。

晋が恭の膨大な術力を原動力にした強固な結界を易々と越えてしまうなど、想定外中の異常事態だったのだ。

晋が恭の元に転移すると、晋のピアスのひとつが消えた。

晋が使用したのは、強制転移用の『封縛樹』だった。これは以前地下迷宮に転移する時の補助に一つ使用していたので、持ち合せる中では最後のひとつだった。

恭がわずかに笑い、晋の腕を掴んだ。晋はその腕の感触の弱さに、怒りを爆発させたように師房に向かって行こうとした。しかし、恭がそれを制止した。

 「よせ。罠がはってある。」

 「罠?」

 「地雷だ。こんな密閉空間で爆破したらこちらもただでは済まない。不用意に攻めては奴の思う壺だ。」

晋が地面を見た。イレギュラーの晋が現れても師房の方から攻めて来る様子がない事からも、罠の存在は間違いないだろうと思われた。

 「だったらどうすんだよ!」

恭が肩の矢を掴んだままで晋を見た。久し振りに見る、『夜』に近い『波形』だった。思えば随分人間らしくなったものだと、場違いながら思った。以前は常にこんな殺気立った『波形』をしていて周囲を恐がらせていたのに、と。

 「それ、あといくつある?」

恭が晋の指輪とピアスを指さした。

 「四つ。火炎系と電気系と氷結系と…。」

晋が指折り数えるように言った。

 「あと一つは?」

嫌な予感がした。恭は晋を責めるように訊いた。晋は押し殺したように低く言った。

 「…自害用。」

言い終わると同時に、恭が殆ど体重で晋の頬を殴った。晋は衰弱した恭の拳を甘んじて受けるかのように黙って殴られた。恭は晋に馬乗りになるようにして、胸倉を掴んだ。晋は自嘲気味に笑って言った。

 「元気出たね。」

その態度に堰を切ったように恭が晋を地面に押し付け胸倉を掴んだままで叫んだ。

 「ふざけるなよ。この期に及んでそんな…そんなものいつ使うんだよ!」

恭の肩から流れる血が晋を濡らした。恭の血液の熱さと、殴られた痛みが、晋の心を抉るように感じられた。

 「分かんねぇよ!」

 「じゃあ何で持ってるんだ!」

 「どうしようもなくなった時のためだよ!」

 「どうしようもなくなった時って、例えばどういう時だよ!」

 負傷して毒を受けてふらふらになってまで、晋の事で全力で怒る恭を見て、晋は無性に泣きたくなった。恭は強い、その所為かいつも呼ぶのが遅いのだ。いつだって、一歩遅い。もっと早く呼んでくれれば、傷一つだって負わせたりしないというのに。

 晋の命に変えても。

 「お前が死んだ時だよ!」

 「…っ。」

恭が息を飲むと、辺りは水を打ったように静まり返っていた。

それを見て師房は肩をすくめた。

 「やれやれ、人間ってもんは土壇場で本性が出るもんだからなぁ。ぎりぎりの状況でもめるなんて本当醜い生き物だな。良いぜ、おもいっきりやれよ。どうせ死ねば出来ないんだ。」

師房の言葉が聞こえているのかいないのか、晋が恭を見上げたままで言った。

 「お前が俺を生かしたんだ!お前がいなかったら俺はとっくにどうにかなってた!そのお前が、いなくなったら、どうしようもねぇだろ!」

 「何だよそれ!そうやって俺を通して世界と関わるのはもうやめろよ!俺がいなくてもお前は十分やっていけるだろ!」

 「ふざけんな!俺を捨てるのかよ!お前が死んだら俺は死ぬ!それが嫌なら生きろよ!出来る事限界まで、何もかもやってみせろよ。こんなとこで犬死にすんのかよ。恭、お前がそうするっていうなら俺はもっと惨めに死んでやる!」

 「くそ――――っ!」

晋の訴えに、恭が絶叫した。怒りや悔しさを吐き出すような叫びだった。

俯く恭から滴る雫が、涙なのか汗なのかは周囲の誰にも判別できなかった。ただ晋の頬に落ちた雫は、決意の合図だった。

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