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40 饗宴の事

 母親は長老会のそれなりに良い家の生まれだった。しかし、父と駆け落ち同然に結婚して実家とは縁を切られたという。その所為で(これ)(たか)はどれだけ苦労してきただろうか。母方の祖父小鳥遊(たかなし)(おう)と維隆が会ったのは丁度二年前程の事。本当に偶然だった。家名で絶縁するくらいの男だ、当然蔑まれると思っていた。しかし、想像に反して祖父は優しかった。維隆に目をかけ、人には内緒で良くしてくれた。聴いていた母が恐れた小鳥遊翁という人とは別人だった。

 一度訊いた事があった。

 「おじい様は何故、私によくしてくださるのですか?私はおじい様が最も嫌う血統です。」

今思い出しても厭味な言葉選びだったと思う。一旦絶縁しておいて、どの面さげて近付いて来たのか。とはっきり言った方がまだ可愛気もあったものを、と。しかし、小鳥遊はいつものように優しく微笑んでいた。

 「わしはこの年になるまで物事の本質というものに気が付くことがなかった。恥ずかしい事だがな。」

そう言って小鳥遊は維隆に京都七口潜入を依頼した。

 「今に時代は変わる。それまで待っておいで、必ず道は切り開かれる。」

予言めいた言葉を信じる気にはならなかった。小鳥遊は所詮権力至上主義の長老会の飼い犬だし、甘言で維隆を利用してほくそ笑んでいるに違いないと思った。そして、ならばこちらも利用してやろうと思ったのだ。利用できるものなら全て利用して、上へ上へ。ただ勝つためだけに刀を我武者羅に振り続けようと。

 「なのに、何ですか、これは。」

維隆は携帯端末のメールを見ながら呟いた。

 『京都七口の目を盗んで避難せよ。わしは恭殿をお守りする役目がある。命あらば再会せん。』

利用、されていたのだろうか。維隆は胸が震えた。

家名に縛られ卑屈になって、出会う者すべてに敵対心を抱き、人を信じることをせず、被害妄想に踊らされて、何もかもを悪い記憶に置き換えて、好意や善意を嘘にして、自分を守るために他人を傷付けて勝った気になって、他人を出しぬいて自分だけが良い思いをしようとか、どこまでも汚れていた性根に心底嫌気がさした。

 「逃げろですって?そこは自分のために戦えと言うところでしょう?何故私の身を案じたりするのです。」

小鳥遊の優しさは、腕の立つ者を起用するためのものでも、都合良く手駒を使うためのものでもなく、祖父の孫への愛情だったのだろうか。

 「誰が、そんなものを欲しがったと言うのですか。私が欲しいのは勝利です。勝利のはずだったんです。」

 汚され続けた人としての尊厳が、いつの間にか定義の無い勝利への執着へと変貌し、愛情や幸福を忘却させた。けれど、本当に欲しかったものは、この温かさだったのではないか。本当の意味で心満たすものはそういうものだったのではないか。

 『おじい様が気が付いた本質とは違うかも知れませんが、私も気が付いた事があります。それは、他人のために振るう刀もあるという事です。』

維隆はそれだけを小鳥遊に返信し、刀の柄に手をかけた。

前方には、師房(もろふさ)からの命により(みつ)(たね)を追う(ただ)(やす)がいた。

 「すみませんが、光胤くんの邪魔をさせる訳にはいかないのですよ。伊康くん。」

維隆は伊康が振り向くより先に、その腹に刀を刺した。

伊康は声もなく倒れた。

 「私が認める、私を認めてくれる人を、失う訳にはいかないので。」

言いながら先を急ごうとした維隆の背後から、致命傷を負って倒れたはずの伊康が糸で吊られるように不自然なバランスで立ち上がると、音もなく刀を振った。

刀は、維隆の背を深く斬った。


 唐突に(ため)(あき)が笑った。

 「素晴らしい。これ程までに師房の言う通りになろうとは。伊康だけでなく維隆までも我が屍人形になろうとは、実に愉快だ。さて、次は光胤、か。ヒヒヒ。」

 「何を笑っている?とうとう頭の中に蛆虫が湧いたか?」

幸衡(ゆきひら)が為顕の隙を突いたが、為顕はひらりとかわしてから、その白衣の内ポケットから試験管を取り出し投げた。試験管が地面に落ちて割れると、中の液体が気体となり一帯は霧に包まれた。

 「ただの煙幕、ではあるまいな。」

幸衡が周囲を見渡すと、為顕の下品な笑い声が響いていた。

 「美しい白猫くん、君の美しさは格別だ。その骸は出来るだけ無傷で手に入れたい。」

幸衡が声のする方を見ると、微かに為顕のシルエットが揺れていた。

 「変態が。死体愛好趣味とは、何処までも馬鹿にしている。我が骸が欲しくばくれてやろう。ただし、お前が死んだ後でな。」

言いながら影に向かって跳躍した幸衡は、霧を斬って周囲を見た。するとまた前方に影が揺れていた。完全に誘いこまれていると感じたが、行くしか無かった。



 「何だこの霧は…。」

恭が呟くと、師房は肩を回しながら言った。

 「為顕だ。これでより混戦になんだろ?さぁ、楽しもうぜ。敵も味方も忘れて、史上最高最狂の饗宴だ。全てが土に還るまで踊ろうぜ!なぁ、恭!」

師房は嬉しそうに怒鳴った。

 「この霧はただの霧ではありませんぞ、恭殿。方向感覚が曖昧となります。判断力にも影響が出るかも知れませんな。」

 「地下迷宮の瘴気と似ているな。」

小鳥遊の指摘に、恭は空気を斬るように黒烏(くろう)を振った。すると、その斬撃の通り道の霧が晴れた。

 「御名答。(かね)(さね)公よりお知恵を賜ってな、為顕に造らせた特別製の霧だ。こいつなら敵味方なく殺し合うようになるってな。ま、ここは外だからな、地下迷宮とまでは行かないが、戦場での効果は期待できるぜ。」

しばらくすると、恭が作った霧の無い道も、再び霧に包まれてしまい、徐々に視界が阻害されてきた。周囲からは無数の殺気や戦闘の気配が交錯していた。距離感のつかめないそれらに疑心暗鬼になる。

 周囲に意識を集中しながらも、師房の出方を見る恭の横から不意に兵が襲いかかった。小鳥遊は反応がほんの一瞬遅れ叫んだ。

 「恭殿!」

その時、一直線に迷いの無い軌跡で飛んできた矢が兵を討ち抜き、兵は地面に倒れた。その矢が通った道は、先程恭が振った刀の斬撃の道より遥かに広く霧を払って静謐とも思われる浄化された空気を漂わせていた。その上霧の侵攻も遅く、澄んだ空気が惑わせていた思考を清浄にした。

 「恭くん、大丈夫?」

屋上から恭に掛けられた声は、懐かしい可愛らしい声だった。

 「さくら?」

 「久しぶりだね。」

約五年ぶりに会うさくらは、かつてより完成度の高い美しい『波形』を持って恭を見ていた。

 「何で、ここに。」

 「また会おうって約束したでしょ?柄にもなく頑張っちゃった。援護するね。」

弓を構えるさくらの姿は、直嗣の美しいフォームを彷彿とさせた。教えを忠実に実行するさくらの素直さと無垢さが成せる技だと思った。柄にもなく、などと謙遜をするがさくらの実直さが苦労をそう感じていないだけで、いつも努力を怠らない人物だ。恭は深く頷いた。

 「彼女は?」

小鳥遊は唖然として見上げると、恭は笑った。

 「多田さくら。友だ。『波形』を鍛え上げたさくらの矢ならば、この霧を払うだけの破魔の力を持つやも知れん。小鳥遊、さくらの元へ行き手を貸してやれ。周囲の混乱を収めよ。」

 「しかし、恭殿がお一人に…。」

 「俺の心配はいらん。敵軍の将・梶原景(かじわらかげ)(とき)は死んだ。しかし京都七口を捨て置けば混乱は収まるまい。狙いは七口に絞れ。無駄な混乱は避け被害は最小限にな。」

 「御意。」

小鳥遊は恭しく頭を下げると、さくらの元へ向かった。

 「作戦会議は終わったかよ?」

霧の中から師房が姿を現した。

 「俺に指示を出す時間を与えるとは、相変わらずの余裕だな。後悔するぞ。」

 「ははは、いいねいいね。本気出す気になったかな?」

屋上からは各地へ無作為に飛ぶ、さくらの破魔の矢が見えた。さくら一人の矢が既に広範囲に広がっている霧をどれだけ晴らせるかは難しいところだったが、恭は感謝した。

 片腕で刀を振るっているとは思えない師房の攻撃を受け流しながら、恭は訊いた。

 「七人、否六人で何が出来る?これだけの混乱の中、せいぜい事態をかきまわすのが関の山だろう。」

 「あはは、裏切り者の(みつ)(たね)を引いて六人か?心配には及ばねぇよ。(なり)(ちか)は鎌倉、(ただ)(やす)(これ)(たか)は死んだ。ま、光胤のカスが同じ道を辿るのも時間の問題だがな。」

 「何?」

 「だが(ため)(あき)の変態カスのおかげでまだ使いものになるんだわ。死にかけの体さえあればな。」

 「何を言っている?」

 「真実さ。為顕は死にかけの体さえあれば、意のままに出来る。故に我らは死なない。たとえ窮地に立たされても、てめぇ等カスを埋めるまで何度でも立ち上がるって事だ。」

 「死んだ仲間を、使役していると言うか。」

 「否、使役するために殺したんだよ。奴等馬鹿カスはこの師房の命令をきけない無脳だったからな、屍人形の方が遥かに役に立つ!ははは…。」

 「どこまで卑劣なんだ、下郎が!」

恭が師房めがけて振るった斬撃が空気ごと斬りながら師房に向かって行ったが、不気味な笑顔の師房が張った防御型結界と相殺して散った。

どこまでも最低な笑顔で恭を見る師房に、恭は怒りに震えた。



 「何だか厄介な事になって来たな。おい戦鬼、視界が悪いからって俺様に刀向けたら真っぷたつにすっからな!」

 「馬鹿言え、そっちこそこの霧を良い事に俺を狙うつもりだろ!虫歯で死ね!」

視界が悪い分、会話をしながらお互いの位置を把握し戦う光胤と晋だったが、先が見えないとなると敵兵の数が分からないため戦い方やペース配分が心配になった。

 「増援要請してあるんで、多分こっち向かってたと思うんすよ。間違えて殺さないで、失敬、殺されないで下さいよ。」

 「てめぇ、本当可愛くねぇな。おっと…。」

呆れた光胤の脇から殺気と共に刃が現れ、間一髪で光胤が刀で受けた。

それを横目で見ていた晋が、刃の主を確認すると、鎌倉七口・平宗(むね)(すえ)だった。

 「あ、宗季さん!それ一応仲間なんで殺しても労力の無駄使いです…よ?あれ?」

増援要請していた戦力であろう宗季の到着に嬉しそうにした晋だったが、刀を合わせたまま離れない二人の様子に首を傾げた。

 「兄さん…?」

 「宗…季。」



 突如霧の中に飲まれた状況でも、(さね)(ちか)直嗣(なおつぐ)は冷静だった。

 「何か、懐かしいですね。」

 「同感だな。」

実親が迫ってくる敵兵を斬りながら周囲を見渡した。二人は、京都七口の一人・藤原(ふじわら)(まさ)(のり)との交戦中だった。雅憲がこの霧の中どのような手に出てくるか、分からない。ただ、この霧に対処する手段を持っていない限り、敵も同じ条件で戦うはずだ。実親は冷静に分析をした。

 「直、やれるか?」

 「ええ、ただ戦況の長期化を懸念して面積は取れませんが。」

 「そうだな。敵がこの先どんな手でくるか分からない以上、ある程度余力は残しておくべきだ。そうだな…十メートルは欲しい。」

 「直径十メートルですね。その程度ならお安い御用です。」

にっと笑うと直嗣は足元に一本、上空に一本の矢を射た。上空に射た矢は五メートル程の高さで止まり発光した。そして空気中で小さくスパークするようなバチバチという音を立てたかと思うと、一瞬にして霧を払った。気が付くと、矢を中心にドーム状に霧のない空間が出来上がっていた。

 「上出来だ!」

敵が状況を飲み込めないでいる間に、実親は高スピードで駆け回り敵兵を斬って行った。ほんの短い間に、ドーム内には雅憲と実親・直嗣だけが残されていた。

 「びっくりした。何これ。結界?」

雅憲がドームを見まわした。

 「地下迷宮で学んだ結果です。球体型なのは僕の修行不足ですが。」

地面の矢と上空の矢は半径の距離であり、ドーム型ではなく地下含め球体型に直径十メートル程の清浄な空間を作り出しているのだった。直嗣としては、無駄な地下空間の分の力を地上で使用出来るように箱型を理想としているのだが、最低六本の矢を使用するため維持に多少調整が必要となり未完成だった。それでも、実親は満足そうに微笑んだ。

 「馬鹿、これだけ出来れば上等だ。」

実親に褒められ照れる直嗣に、雅憲は舌打ちした。



 霧の中で、平宗季は失踪していた兄光胤と刀を合わせていた。

 「兄さん、何でこんな所に…。」

 「それはこっちの台詞だっつーの。」

 最後に会った時はお互いにまだ子供だった。しかし確かに面影があり、想像していた成長を遂げた大人の顔をしていた。

 二人は自己申告しなければ誰も兄弟だと分からない程に似ていなかった。光胤は一般水準より小柄で童顔。宗季はすらりとした体格に眼鏡の奥の涼しい目元が大人びた印象を与えた。

 「今まで、何処でどうしていたんだ。」

光胤に対して言いたい事が沢山あったはずだった。けれど、宗季は肝心な言葉は全く見つからず、結局責めることしか出来なかった。

 「お前に答えるつもりはねぇよ。それに今は他人だ。」

顔に比例したやんちゃな声で否定する光胤は、宗季程の動揺を表さなかった。

 「何だと?」

 「俺様は葉室光胤。もう平家の人間じゃねぇのさ。他人の俺様に、今更何の用もねぇだろ?」

 「何で…家名を捨てるなど…。どうしてそんな事を。平家の誇りを捨てたと言うのか!」

何故か宗季を逆なでするような物言いをして、出会い頭にもめ始める二人に、晋は戦闘中ながら口を挟んだ。

 「あ〜、ちょっと待ってよ宗季さん、この人は重盛殿の命令で京都七口に潜入するために名前を変えただけで、別にそういうんじゃないと思いますよ?ね?あんたも、意地悪言わないで下さいよ。この状況でややこしいのとか本当勘弁して下さい。」

 「重盛様の…?まさか、そんな近くにいるなんて…。」

宗季は愕然とした。行方不明だと思っていた兄が、まさか自分と同じ主の元で働いていたなどとは思いもよらなかった。

 「俺様の居場所なんざ、知りたきゃ親父も重盛様も知ってたんだよ!」

 「え…。」

突然姿を消した光胤の行方を、勝手に誰も知らないのだと思い込んでいた。否、誰も知らなかったはずだ。宗季の記憶では皆が口ぐちに「逃げた」「弱者」などの悪口を並べていた。それがたまらなく辛くて、耳を塞ぐ内、口にしてはいけない出来事になってしまっていた。

 「探そうと思えば簡単に分かった訳。結局お前は俺様を探さなかったって事だろ?会いたくなかったって事だよ!」

 「…何で!何で俺だけっ!そんなに嫌いだったのか!」

 「それはお前だろ、宗季!」

刀を合わせたまま、会話同様に力で押し合い続けていて全く埒が明かない。

 「…そんな事ない!」

 「そんな事あるだろ!だったら何故会おうとしなかった、俺様がいなくなって安心したんだろ!本当はもう二度と会いたくなかったんだろうが!」

宗季には光胤の言葉が、嫡男でありながら後継ぎではない兄など面倒で煩わしいだけの存在だったのだろうと、聞こえた。

 「あの、本当に止めてくださいよ、心底迷惑なんで。全部終わってから二人だけでやってくれませんか?」

二人が完全に再会に集中してしまった分の戦闘を一人で受け持ちながら、必死に訴える晋を、全く悪いとも思っていないのか二人ともが聴く耳を持たない。

 「いんや、戦場で会ったのも何かの縁だ。今此処ではっきりさせようか?次期当主に相応しい強さを持つのがどっちかって事をよう?」

 「兄さん、何を言い出すんだ…。」

 「それがお前の望みかと思ってさ。俺様を倒して心置きなく家を継ぎたいんだろ?俺様はお前にとっちゃただの目の上のたんこぶなんだろ?」

光胤が挑発しながら押したので、宗季は一方的に受ける立場となった。

 「本当にこれ以上やるなら帰ってくれないかな。」

半ば呆れ気味の晋は、霧の中での戦闘方法について集中し直そうかと考え始めていた。

 「どうしてそんな事を言う…。」

動揺した宗季が肩を震わせたその瞬間だった。霧の中から殺気もなく刀を振った者があり、宗季の背を斬った…かのように見えた。

 「え…兄さん?」

宗季が振り返ると、そこには宗季を庇って刃を受けた光胤が立っていた。

 「今のに対応出来るとか、本当ここ一番って時のスピードは俺も追いつけないわ。高速の甘党って通り名にしねぇすか?」

晋が見物客のように嬉しそうに言うと、光胤は緊張した様子で答えた。

 「うるせぇ、変な名前付けてんじゃねぇよ殺人中毒末期患者が。ま〜た鞘壊れたじゃねぇか、今回こそ弁償しやがれ。」

いつかのようにとっさに鞘を盾にしていたものの、至近距離だったため完全には防御出来ず、肩を斬られていた。見ている内に出血し、光胤が少しよろけた。その隙に人影は再び刀を振り上げた。今度は宗季が反応し刃を受け止めた。霧の中から人影が姿を表すと、それは一条(いちじょう)(これ)(たか)だった。

 「維隆?」

維隆は背に明らかな致命傷を負っていながら、全く何も感じていない様子で立っていた。

 「兄さん、どいて!」

宗季が叫びながら繰り出した一撃を、光胤が刀で受けた。その衝撃で肩から更に出血した。

 「何で…止める?」

 「こいつは俺様のダチだ。手ぇ出すな。」

言いながら宗季の刀を押し返し、維隆の腹部を蹴り飛ばして距離を取った。

 「何を言っている。そいつは敵だ。兄さんを傷付けた。何故庇う!」

 「俺様は傷付けられてダチやめる程厳しくねぇんだわ。良いか、矢集、てめぇも手出し無用だ。」

 「了解っす。じゃあ光さんが死んだら、その死んだ目のお友達は俺の獲物って事で。楽しみにしてるんで、よろしくお願いします。」

 晋は投げキスしながら霧の中の敵達に目を向けた。すると、先程からの雑兵とは明らかに別格の太刀筋が迫ってきた。舌舐めずりしながらそれを受け、野球のバットのように刀を振り力で押し返すと、相手は身軽に宙を回転してから体勢を直し地面に着地した。見れば、その人物もまた維隆と同様無表情の虚ろな目で、腹部に明らかな致命傷がありながら何事もなかったかのように戦っていた。それは高倉(たかくら)(ただ)(やす)だった。

 「何だ、コイツ…。」

晋が()(がすみ)を逆手に構え身をかがめると、上空から戦闘の気配と共に為顕と幸衡が現れた。

 「晋くん!無事か?」

澄んだ殺意を纏った幸衡を、晋はいつ見ても美しいと思った。そして、この込み入った状況に颯爽と現れたヒーローのように思えて縋るように言った。

 「幸さん。俺の身心は無事です。でもある意味では修羅場です。」

 「何があった?」

 「光さんと宗さんの兄弟感動の再会がド修羅場で、そこに死んだ目の京都七口が来たんですが、光さんが友達だって庇うんです。」

 「それは面妖な。」

晋の雑な報告を理解したのかしないのか、幸衡は眉をひそめた。

 幸衡と共にこの場に乱入して来た為顕は、唐突に大きな声で言った。

 「な〜んだ。まだ生きていたか、光胤。維隆、早くその裏切者を殺せ。」

為顕は霧を発生させた後、のらりくらりと幸衡を誘い込むようにこの場にやって来たが、目的は幸衡を仕留める罠ではなく、光胤だったようだった。

 「為顕、何言ってやがるっ!おい、維隆、どうした!」

為顕が命じると、意識の無い顔をした維隆が戦闘モードに入り光胤を狙った。

 「兄さん、どけ、俺がやる!」

 「やめろ、宗季。」

兄弟は揉めながら、維隆の攻撃をギリギリで受け流した。

 「ははは、その維隆はもう俺の操り人形だ。」

 「何だと?」

 「死にかけのボディに俺の最高技術を施したんだよ!」

 「な…まさか、伊康も、なのか?」

伊康は維隆と同じように、生気のない様子で交戦しようとして来る。

 「何を今更驚く事がある?あの煩い熱血が最近一言も言葉を発しない事に気が付きもしないお前が、まさか今更悲しんだりもしまい?」

 「まさか、ずっと?」

 「ああ、こいつは前から気に入っていてな。数日前に殺して人形にしたんだよ。やっぱり生きている頃よりずっと良い。そう思わないか?」

 「仲間を殺したのか!」

光胤が激昴した。

 「裏切り者が何を言うかと思えば、犯すぞ光胤。」

為顕は刀を握っていない方の手で、何が入っているのかよく分からない試験管を弄びながらニタニタと厭味な笑顔を作っていた。

そこに割って入るように晋が訊いた。

 「なぁ、為顕さん?結局この人達、死んでるの?生きてるの?」

 「良い質問だ、矢集。殆ど死んでいる、が正解だな。死者は肉体の維持に難があってな、瀕死の体でなければ俺の術は完成しない。つまり、死にかけだな。だが、勘違いするなよ。俺の術があって動いている状態だ。術が解ければ間違いなく死ぬ。助かる見込みはゼロだ。」

とことん人を絶望の淵に立たせる事に悦びを覚えるらしい為顕を、晋が指指しながら訊いた。

 「ふーん。優秀で悪趣味な人だな。あれって幸さんの獲物ですか?」

 「不本意ながら。」

 「じゃあ、俺はこっちの死にかけの戦闘マシーンって事ですね!」

十分体は温まっているはずだが、アキレス腱を伸ばすような動きをして、晋は確認した。

 「不覚ながらあの変態の所為で恭くんから離れてしまった。早く片付けて戻らねばならない。」

 「ふ〜ん、了解。じゃあ第一希望は一網打尽的な効率のイイヤツですね〜。」

晋は、殆ど義将と映画で見たゾンビだなと思いながら、戦い方を思案した。

幸衡と晋が作戦会議をしている間も、再会したばかりの兄弟と、七口は揉め続けていた。

 「聴いたろ、兄さん。その人は既に兄さんの友ではない!」

 「いいや、ダチはダチだ。下がれ宗季。」

 「兄さん!」

 「ヒヒヒ、この状況でまだ仲間だ友だと言うのか!本当に貴様は甘い男だな!じゃあ、その友の手で死に、俺の屍人形になれ!」

元より光胤を自身の人形とする事を目的の一つとしていたらしい為顕の舐め回すような目は、光胤に纏わり付くような気色悪さがあった。そんな為顕を責めるように光胤は叫んだ。

 「京都七口は皆、ただ認められたいだけだったはずだろ!同じ目的のために集められたはずだろ!何でこんな事をする?」

 「愚問。生まれながらに否定され続け、否定し続けて生きてきただろう?いい加減気付いたはずだ。この世は人を等しく承認しないと。だがそんなこの世の偏った理の中にも、唯一等しいものがある。それが死だ。人は死して初めて等しく承認される。維隆もさぞ満たされたろうよ。」

為顕の語るものは最早理屈ではなく破壊衝動のようだった。

 「貴様は本当に狂っているな。」

幸衡は興味も無さ気に言った。

 「盲目な武士共には理解が適わぬ真理だろう。」

 「そうまでして一体何に認められたかったんだ?」

光胤の問いかけに、為顕は不快を示した。

 「あん?」

 「世界か?社会か?地龍組織?それとも長老会?親兄弟かよ!てめぇを認める存在なんて一人いりゃ十分だろうが!維隆はもう認められてたんだよ。この、俺様に。こんなやり方で自己証明する必要なんて無かったんだ!なのに、お前は…為顕…。」

光胤は、維隆と交わした約束を思い出した。認めてほしいと、切なる願いを口にした維隆の想いを。それに答えたいと、本当に思っていたというのに。

 「光胤に認められたからって何だと言う?底辺同士で傷の舐め合いなど惨めで滑稽なだけだろうが!この裏切り者が。我らを裏切っておいて、いつまで仲間面するつもりだ?不愉快過ぎて惨殺してぇな、光胤。」

為顕の発言に、光胤は完全に怒りを制御しきれなくなったのか殆ど怒号のように名乗りを上げた。

 「裏切り裏切りってうるせぇな。俺様は最初から裏切ってなんかいねぇんだよ。俺様の名は平光胤。平家当主重盛様より京都七口潜入の任を賜りし者。廃嫡の身なれど、武士の誇りは一時たりとも忘れちゃいねぇ。頭が高けぇんだよ、没落貴族が!」

光胤の名乗りを聞いた宗季は目を見開いた。何か口にしかけた時、為顕が喉が破れそうな奇妙な音で訊き返した。

 「平家だと?武家だとぉ!光胤ぇ!」

 「武家だ公家だといつまで旧石器時代の話持ち出してんだ古代人が。為顕、てめぇ維隆って男の事を知らねぇみてぇだな。」

光胤は、家名を排除した後に残る、維隆という人間の事を訊いた。

 「あん?」

しかし為顕には質問の意図さえ理解できないようだった。

 「維隆は誇り高い男だ。生きるのは勝者のみ、負けて生きるは恥だと心に決めていた。ダチに恥かかせる訳にいかねぇんだわ。維隆が認めた俺様が認めたダチを、死して生かす訳にはいかねぇんだよ!」

言いながら、維隆の刀を受けた光胤の目は、不屈の光を宿していた。


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