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4 桜の事

恭の季節を少し遡る。

春の麗らかな日差しを肌で受け止めるように見上げた少女の姿が目に入った。校舎を繋ぐコンクリートの渡り廊下に射す柔らかな陽光に目を細める、小柄なその少女は、見たことのない美しい『波形』をしていた。一目で釘付けになり、ずっと眺めていた。

 「きれいだ。」

ほとんど無意識に呟いた。その声に自身で驚いた程に自然に口にしていた。

晋が何か言おうとしたその時に、恭はまた無意識に足を踏み出していた。

その、一見ごく普通の少女の元へ。

近づくと、少女は思った以上に小柄だった。少しくせのある黒髪を後ろで一つに束ね、制服のスカート丈は膝、まるみを帯びた輪郭とどんぐり型の瞳が少し幼く見えるが、特筆した所のない同級生という感じだった。

恭は少女と話した事はない、見たことも初めてだった。ただ、上履きの色で同学年だと認識しただけだった。きっと離れたクラスなのだ。少女の方も近づいてくる恭を見て動揺していた。表情は。

 「きれいな『波形』をしているな。」

恭は何も衒う所のない、まるで知り合いに声をかけるように言った。

少女はぼんやりとした目で恭を見上げていた。

 「名は?」

 「鈴木、さくら。あなたは?」

純粋な、生まれたばかりの魂の無垢を映したような瞳だった。

 「知らぬか?」

 「有名人なの?」

嘘のない鈴の音のような声だった。

あまり話したことのない感覚だった。まるで自分と違う世界の音を口にするように見えた。それは、『昼』の人間が持っている独特の旋律だ。学校で教師などと話をする時に感じる違和感、平行線の交わらない感覚。

 「そうか、地龍の者ではないのか。」

 「地龍…あなたは地龍の人?」

さくらが意外そうに訊いた。

 「地龍の者ではないのに地龍を知っているのか?」

 「祖父が言ってたの。うちは元々は地龍の家系だったって。」

木々のざわめきと共に予鈴が鳴った。

行こうとするさくらに、恭は反射的に言った。

 「さくら。また、話せるか?」

驚いたように目を見開いたさくらは、躊躇いがちに顎を引いた。

 「恭。1組だ。」

 「恭くん。またね。」

恭は、ぱたぱたと軽い足音で去って行くさくらの後ろ姿が見えなくなるまで、じっと見つめていた。

 「きれいだ。」

うっとりとした言い方だった。

恭の後ろで気配を消していた晋が眉をひそめた。

 

 それからしばらくしたある日の放課後、恭は中庭でさくらを見つけた。一度さくらを知ってしまえば、目視できる範囲ならばどこにいても目が追ってしまう。その時も当たり前のように見つける事ができた。さくらは中庭で植物の世話をしていたが、他に人はいなかった。委員会の当番かも知れない。中庭横の廊下を通る時、よく誰かが水をくれたり草を取ったりしていた気がする。

 「さくら。」

親しみさえこもった優しい声音で呼んだ。

 「…恭くん。」

立ち上がり、スカートの汚れを払うと、さくらは恭の方へ近づいてきた。

 「どうしたの?」

 「話がしたい。」

恭が相変わらず単刀直入に話すのを見て、さくらは中庭にある木製ベンチを指さした。

 「あそこでいい?」

 「うん。」

木漏れ日が優しい水玉模様を描いていた。出合った日から少し季節が変わり始めていた。さくらは陽光を手でつかむ仕草をして微笑んだ。

 「祖父はね、ウチは地龍の家系だったんだぞっていつも自慢みたいに言ってたの。昔は有名な家だったんだって。でも能力を持って生まれる人が減っていって、衰退して、今では殆ど『昼』の人間だって。死ぬまでずっと、残念がってたの。だから、私地龍って何なのか全然分からない。『昼』って、能力とか関係ない普通の人々の営みの事だってきいた。合ってる?」

 「合ってる。」

 「能力っていうのも良く分からないの。祖父が幼い頃には少しあったんだって。どんなもの?恭くんもあるの?」

 「うん。あるよ。能力は基本は観る力なんだ。よく、幽霊が見える人っているだろ?あれが基礎だよ。強い人になってくると、話せたり触れたり、?うことが出来たりするだろ?丁度そういう感じ。いろんな術や技術があって、得意分野も人それぞれだから、色んな術者がいるけど。」

 「そうなの。すごいんだね。」

 「さくらもある…よね?」

 「…そうなのかな?やっぱり。」

 「違うのか?」

 「両親は完全に『昼』の人なの。祖父が言う地龍の話なんて全く信じてなかった。だからよく分からないんだけど、祖父は私は能力があるって言ってて。それで、祖父の知り合いの先生の所へ通ってるの。」

 「へぇ。いつから?」

 「何年か前から。両親は変な宗教かも知れないって嫌がってたけど、別にお金払って教わってる訳じゃないの。祖父の知り合いだし、それで何も言って来ないの。」

 「どんな事を教わるの?」

 「う〜ん。なんか瞑想みたいな感じのことをずっとするの。何の意味があるのか、何度説明されても全く分からないんだけど、でもね、それのおかげで集中力が養われた気がする。どんな所でも集中できるんだよ。うるさい所でも勉強できるし考え事も出来る。」

 「そうなんだ。」

 「ねぇ、地龍ってどんな所なの?」

 「地龍は『昼』と『夜』のバランスを保つ機関だよ。昔、平安とも平城とも言われてる、大昔を起源としている。その頃は、妖怪とか霊とか人間や動物、いろんなものが混在していて無秩序な世界だった。弱い人間や妖怪が虐げられ、正に弱肉強食って感じだったらしい。そんな時に、その世の在り方に憂いた一人の男と龍が出会った。男は人が安心して暮らせる世の中を、龍はやがて生まれ来る子供の生きやすい世を、お互いの利害が一致して、契約をした。龍は男に力を与え、龍の子供が無事に生まれることを約束させた。男はその力で、人間も妖怪も平和に暮らせる世の秩序を作り保つようになった。その男の子孫が俺たち地龍ってことらしい。」

 「お伽噺みたいだね。龍の子供は無事に生まれたの?」

 「さぁ?」

 「テキトーなんだ。」

さくらが声をあげて笑った。

 「大昔の事だからな。俺もよくは知らない。今度よく調べてみるよ。」


それからはたまに同じベンチで二人は話した。

すっかり暑くなった陽気と蝉の音が、時の経過を感じさせた。何度もこうして恭とさくらは二人きりで放課後を過ごしてきたが、さくらには疑問があった。

 「なんで、私に声をかけたの?」

 「『波形』がきれいだったから。」

 「『波形』?」

 「さくらの先生は言っていない?『波形』は、簡単に言うとオーラみたいなものかな。誰でも持っていて、ひとりひとり違うものなんだ。」

 「へぇ。私はそれがきれいなの?」

 「そう、俺はそんなきれいな『波形』を初めて見た。」

 「地龍の人は誰でも見えるの?」

 「いや、これも個性だけど、見える人は沢山いるよ。地龍の中には争いがあって、地龍同士で戦うことがあるんだけど、そういう時相手の『波形』を見るのは基本的なことなんだ。例えば『昼』の人の『波形』は性格や感情そのものを表している。見れば、機嫌なんかは一目瞭然だし、何を考えてるかまで解る場合もある。」

 「すごい!」

 「だから地龍の術者は『波形』をいじる。」

 「いじる?」

 「そう、修行して、自分の『波形』を隠したり、読まれにくくしたりするんだ。そうすれば『波形』を読まれて負けることはなくなるだろ。」

 「そんなことが出来るんだ。」

 「出来るんだ。でも、いじった『波形』はきれいじゃない。解り易く言うと、本来の『波形』にモザイクをかけてるみたいな感じなんだ。俺は昔から『波形』を見たり、座標を固定したり、そういう感覚的な能力に長けてたから、イジッた『波形』だとしても本来の形がよく見えたりするけど、さくらほど美しいのは初めて見た。」

 「それって私が『昼』の人間だからってことじゃない?」

 「違う。さっきも言ったが、修行しなければ『波形』はひととなりをそのまま映すようなものだ。皆どこかしら歪だし、安定しない。さくらの『波形』には乱れがない上、整っている。もちろん地龍の術者は『波形』を見せないことに重きを置く訳だからこんなことはあり得ないが、実際に修行してもさくら程きれいにはならないはずだ。」

 「うん?」

 「さくらの『波形』は特別に修行した術者のそれだってこと。だから地龍の人間だと思った。」

 「え…?」

 「さくらは先生の所で瞑想してるって言っただろ?それってどんな瞑想なの?」

 「え〜っと、万華鏡…をね、覗くみたいな感じで、頭に思い浮かべるの。万華鏡を回して柄が変わる感じを。こうっ…」

さくらが少し実演して見せると、恭は息を飲んだ。

さくらの『波形』がまるで計算し尽くされた精密さで美しい形を作っていた。

 「すごい…。」

 「え?」

 「こんな美しい『波形』を持ってる人は初めて、否、地龍中探してもさくら以外にはいないよ。」

 「そうなの?…祖父がね、私に力があるって言ったのは生まれた時に一目見て分かったんだって。それって『波形』のことだったのかな?」

 「そうか、天性だったのか。そうかも知れない。それを修行でここまで整えたんだな。」

恭は不意にさくらの手を掴んだ。

 「なぁ、俺をさくらの先生に会わせてくれないか?」

さくらが恭の手を放そうとしたが強く掴まれていて無理だった。

 「え…でも、先生は人が嫌いみたいなの。」

 「邪魔はしない、先生が嫌ならすぐに帰るから。」

恭があまりに真剣な目でさくらに訴えかけてくるので、さくらは了承せざるを得なかった。

 「…分かった。今度、一緒に行こう。」

ようやく恭が手を放した。


先生の家は住宅地からは少し離れた管理されていない鬱蒼とした山中の廃寺なのだと、さくらは歩きながら説明した。地龍という組織に愛想を尽かせて一人で生きているといいう話だった。恭はそれを訊いて怪訝な顔をしたが、さくらはその意味が分からなかった。その時は。

 「案内を渋った割に機嫌がいいな。」

恭が声をかけると、先を行くさくらが苦笑いを浮かべながら振り返った。

 「うん。何かデートみたいだよねって思ったりして。」

 「え?」

 「いや、ごめん。男の子と出かけるの初めてだったから。」

 「そうか…。」

素気ない返事をして顔を伏せた恭を、さくらは気を悪くしたのだと思って黙って歩き始めた。しばらく気まずい気持ちで歩みを進めていたが、後ろから妙な息使いを感じで振返ると恭が顔を伏せて肩を揺らしていた。

 「ちょっと!笑ってたの?怒ったのかと思ったじゃない。」

 「ごめ…ごめん。だって…。あははっ。おかしい。」

 「そんなに笑うことないでしょ?恭くんにとっては大した事じゃないかも知れないけど、私は」

 「いや、俺も女の子と二人で出掛けるのは初めてだよ。ただ、そういう考え方をするのか、と思って。『昼』の人とこんなに関わるのは初めてだから。」

 「そっか、全然違うんだよね。」

恭があまりに笑うのでさくらは気恥ずかしくなり、目をそらした。

 「俺は地龍の枠組みの外を知らないんだ。さくらは地龍の血筋だけど『昼』の人間だろ。さくらと話すのは面白い。だから『昼』は面白いと思った。笑って悪かった。」

 「何か意外。クラスの子に訊いたら、恭くんってもっとクールで取っ付きにくい人みたいだったから。地龍ってやっぱり古い慣習の厳しい組織なんだなって思ったの。でも…。」

 「良いんだよ、本当は。お気楽に自分の好きなようにしても、良いんだ。俺は二男だから、継ぐ家も周囲の期待もない。俺ばっかり杓子定規に決まりに捕われる必要は、本当はないんだ。さくらを見て、少し肩の力を抜いてみたくなったよ。」

恭が微笑んだ。言葉で言うような楽観したものではなく、むしろ寂しさを感じさせる笑みだった。

 「私がワルみたいじゃない?優等生を悪の道に引きずり込むの。」

 「随分可愛い不良だな。」

可愛い、という言葉に他意がないのは明白ながら、さくらは少しだけ照れた。

 「ね、これもクラスの子に聞いたんだけど、晋くんって初めて会った時一緒にいた子だよね?いつもは一緒なんでしょ?恭くんが私といる時にはいないね。」

 「たまたまだ。よく暴れる奴でな。秩序を乱すんで牢屋に入れられたり、反省するまで食事を抜かれたり、とにかく今は外に出られない。」

 「…え?なにそれ、恐…。」

 「安心しろ。そんな目にあう奴は滅多に見たことがない。地龍は封建社会だが今は平成だぞ。」

 「イマイチ説得力がないよ。まぁ、その、晋くんは多分私のこと嫌いだから、いなくて助かったよ。」

さくらは晋の不愉快そうな表情を思い出した。折檻部屋に入れられているかも知れない所悪いが、あの今にも喉を噛みちぎりに来そうな獣の目を見ずに済んでよかったと安堵した。

 「そうか。そうかもな。あれは敵味方の判断をつけるのに慎重でな。さくらのことを警戒しているんだろ。」

 「私に警戒する意味あるのかな?」

 「さくらが考えてるより、さくらはイレギュラーの脅威を感じさせるんだよ。」

さくらには全く理解できなかった。



 「また来たのか。」

さくらの先生の第一声は意外なものだった。

ようやく寺が見えてきたと思った時、寺の前にいた先生はすぐにさくらと恭に気が付いて、その場で睨みつけてきたのだ。

意味が分からな過ぎて、さくらと恭は二人でお互いの顔を見合せて言葉を探したが、適切なものが見つからなかった。

 「さくらを使って俺を陥落させようなどと卑怯な手段を。俺は卑怯な輩は例え誰だろうと好かん。決して膝を折ることはない。帰れ。」

先生が矢継ぎ早に言う言葉はどれをとっても身に覚えが無い上に想像も及ばない状況だった。

 「あの…。」

 「さくらは黙っておれ。お前を『昼』の人間として育ててきたのは俺の意志でもある故強くは言えぬが、お前には警戒心というものが欠如しているようだ。地龍はお前の味方ではないのだ。油断するな。」

 「あの…。」

 「あんたも、共も連れずに来るとは良い度胸だな。俺があんたに刃を向けないと何故思う?奢りではないのか?」

先生は猛烈に怒りながら大太刀を抜いた。恭は慌てて、さくらを自身の後ろに下がらせると刀の柄に手をかけ構えた。先生の眼光が矢を射るように鋭く駆け抜けた瞬間に、刀身がさくらより大きな刃が風を切る豪快な音が響いた。先生はその二メートル近い身長と全身の鎧のような筋肉で大きな刀を鈍器としてふりまわし、空気を切り裂きながら恭にせまってきた。驚いたさくらは後退りしようとしたが、動揺のあまり足が動かなかった。先生が本当に殺さんばかりの形相でやってくるのを、成す術なく恭を見ると、恭の周りの空気が変ったのに気が付いた。真空の円のように静謐で研ぎ澄まされた感覚がして、脳がびりびりと痺れた。先生が大きな鉄の塊を恭に振り下ろしたその時、恭が無駄のないゆっくりとした動作で刀を抜くと、左手で鞘を持ち刀身が全て抜けきらないまま先生の刀を受けた。何か、金属同士がぶつかったというより、張り詰めた弦を弾いたようなかん高い音がして、波紋が広がるように空気が振動した。さくらには信じられなかった。先生の持つ大きな刀は先生が振り回した遠心力や先生自身の大きな体の重さとか色んなものを乗せた一撃だったというのに、恭の細い刀と腕が止めてしまったことが。特に力の入っていないリラックスした体勢の恭が涼しい顔をして受けた刃は、先程まで何もかもを薙ぎはらう勢いだった言うのに、まるで無重力を感じさせる程軽く見える。

 「あんた…。」

先生が目を見開き、額に汗を流しながら何か言おうとしたが、恭の言葉が遮った。

 「人違いをなさっておられるようだ。俺はさくらさんの同級生です。」

 「…は…何を言って…その刀…。黒烏(くろう)だと…何故。」

 「(あけ)()と、間違えたのですか?兄と。」

 「弟…なのか。」

 「兄が貴方とどういった関係なのか存じ上げませんが、俺には関係のないことです。刀を収めて頂けませんか?」

しばらく恭の目を見つめると、先生は静かに刀を下ろした。



 「申し訳ないことをいたした。弟君とは存じ上げず。」

先生は近くで見ても大きな男だった。良く焼けた肌や古い傷が、鍛え上げられた隆々とした肉体を飾るように誇らしい。剃った頭部と眉に大きな一重の目は般若のような強面で一目でかたぎではないと思わせる。

廃寺の一室で三人は向き合っていた。

先生は苗字を既に捨て、地龍からは離れて生きていると説明し、(かね)(とら)と名乗った。

 「人違いであることを謝罪してるんですよね。」

 「そうですが。」

 「なら弟君はやめてください。当主本人に刀を抜いたという事なら、弟であることを敬うつもりなんてないんでしょう。」

 「なるほど。では恭殿。何の御用向きでいらしたのか。」

 「あ、あのね、恭くんは私の『波形』がきれいだから、修行を見たいって言って。先生に会いたいって言って。先生は人と会わないって言ったんだけど、それでも良いって言うから私…。」

 「さくら、落ち付きなさい。お茶でも入れて来てくれ。」

 「でも、私がいない間に喧嘩しない?」

 「せん。とは言い切れぬが。」

 「兼虎殿には俺は斬れないから大丈夫だ。」

無表情で言う恭の言葉が挑発ではなく事実を告げているのだということは、兼虎だけでなくさくらにも理解できた。あの一撃のやり取りを見た今では。さくらは仕方なく不安気な様子で部屋を後にした。

 「さくらの『波形』に目をつけられたとは。」

 「昔から無類の『波形』好きでして。」

 「変態ですか。」

 「何とでも言って下さい。『波形』は嘘をつかない。俺は『波形』を見て人を判断するのです。」

 「随分用心深いことだ。地龍当主の直系ともなると普通なのでしょうか?それともそれだけ物騒な世だと?」

兼虎は恭を揺さぶるつもりで言ったのだが、恭は少し微笑んだだけだった。

 「さくらを、何故『昼』の人間として育てたのですか?」

 「さくらからさくらの家のことは聴きましたか?」

 「はい。ほとんど『地龍』の血が薄まっている末端の家系だと。」

 「そうです。さくらの祖父という人は、能力を持って生まれたが大人になるにつれ失っていきました。」

 「血の薄い家系ではよくあることだと聞きます。」

 「さくらもそうだと思っていたのです。さくらの家は殆ど『昼』で地龍を知らぬ故、能力を持ち生まれたからと言い地龍で生きるようになろうとも、時を経て能力を失ったとしたら。地龍での居場所を失い、『昼』の人間として生きることになりましょうか?その順応力があろうか、武士として育った魂はどこへ行くのか。地龍に残ろうとも風あたりはあろうし出世も望めぬ、苦しい生涯になろう。様々なことを考え、結局私が預かることになった。能力を鍛えながら『昼』の生活を送らせることで、選択できるようにと。」

 「選択ですか。」

 「甘い言葉ですな。選ぶのは能力であってさくらではないのですから。」

 「能力が本物か偽物か分かるまで、兼虎殿がさくらを『夜』から守るのですか?」

 「亡きさくらの祖父との約束故。ある程度は自身で何とかできるよう鍛えているつもりですが。それでも能力者が一人で生きることは、能力の大小に関わらず不可能。それが地龍の定説です。」

能力を持つということは大きなリスクがあった。地龍での地位向上のためには能力は無くてはならず、かつ強ければ強い程良いものだったが、大きな力には『夜』が寄せられる。街灯に群がる蛾のように、『夜』は集い能力を食むために術者を襲う。能力の大小ではなく、『夜』はやってくる。強ければ強い程に、多くのそして強い『夜』が来るのだ。だから能力者は一人で生きることは出来ない。不可能とされてきた。

 「貴方は一人で生きているようだ。兄もそのことに興味があったのでは?」

 「…私は『夜』を飼っております故、一人ではありませぬ。」

『夜』を飼う。地龍では珍しくない方法だ。妖怪の類と契約などを交わし使役することで自身の戦力とする方法で、剣士タイプの術者が使うのは稀だ。『夜』を使うことは、お家芸的な要素があり、家系で系統などが分かれている。例えば月夜家が有名だ。札師という特別な札に文字を書く事で書いたものを具現化させる術を使う一族だが、十六歳になると『夜』と契約するというしきたりがある。

 「生家はそういう…。」

恭が兼虎の過去を口にしようとした。

 「俺は元々平家方の血筋です。この鎌倉で隠居しているのにも色々な理由がありますが地龍の古い体制は俺の肌には合いませぬ。たとえリスクを負おうとも一人で生きようと決めたのです。」

もし特別な術を使う家系ならば閉鎖的で古い観念に囚われた環境だろうことは想像に難くなかった。その中での軋轢や摩擦が人の精神を疲弊させるものであってもおかしくない。たとえ『夜』を使役することで、その能力に集るハイエナのような『夜』達を排除する事が出来たとしても安全ではない。『夜』は尽きないし、使役する『夜』もまた『夜』なのだ、何があってもおかしくない。それだけの危険を承知で選んだ地龍からの脱出だ、生半可な覚悟ではない。

 「さくらの能力が本物だった時、貴方はどうするのですか?このまま、貴方が守るのですか?貴方のように一人で生きられるようにするのですか?」

 「…俺は自分で決めてこの危険な生き方をしています。だが、さくらを巻き込むつもりはありません。それでもさくらが選択するならば、協力はします。」

 「さくらの能力は本物ですよ。」

 「根拠はありますか。」

 「言いましたよね。『波形』は嘘をつかない。」

 「そうですか。恭殿はどうしたいのですか?地龍で生きるべきだと、そう言いに来たと?」

 「当然です。ただ、個人的には『昼』の人のままでいて欲しいと思う気持ちもあります。純真無垢で素直、屈託のない所は、正直好ましい。それにそれこそがあの美しい『波形』の源だとしたら、地龍で生きることで失くしてしまうかも知れない。それは惜しいと、思います。」

 「随分と感傷的なお人だ。戦場で情をかければ命を落としますぞ。」

 「刀は極力抜かないのが俺の主義ですよ。『昼』と『夜』のバランスと同じく、人にとって光と闇は必要なものです。光を否定してはやがて人ならぬものとなりましょう。逆もまた然るのですが。」

 「確かに。」

兼虎が意味深に頷いたところで、さくらがお盆に湯呑を乗せて部屋へ入ってきた。



帰宅したのは夜になってからだった。恭が一人で学校帰りに寄り道したことは過去一度もなく、自身でも新鮮な気持ちがした。恭は自宅の廊下で貴也の顔を見るまでは、高陽感があったくらいだった。

 「遅かったな。共も連れずに、感心しないな。」

貴也は明らかに恭を待っていた。恭が一瞬どきっとする程に保護者の顔をしていた。

 「すみません。ちょっと友人の所へ。」

 「友達?お前が?それは気になるな、今度うちに連れてこいよ、俺が見定めてやる。お前に相応しいかどうか。」

 「俺の友人の面接でもする気ですか?やめてください、友くらい自分で選びますよ。」

 「晋も連れずに行く友達なんて、気になるだろ。捨てられた犬みたいな顔してたぜ、可哀想に。」

さくらには晋はいないと言ったが、実際恭はさくらと会う時は晋を遠ざけていた。

 「『昼』の人です。誰かれ構わず殺気を向けるから、晋を恐がってる。」

 「『昼』の人間と関わってるのか?おまえ、俺達地龍は『昼』の人間と深く関わるべきじゃない。分かってるだろ?」

 「ええ。」

 「じゃあ何で。」

 「兼虎殿の弟子です。」

 「は?」

 「彼女は、地龍と縁を切り廃寺で天狗と呼ばれて恐れられている兼虎殿の、弟子なんです。知っているでしょう?会うなり兄さんに間違われて斬りかかって来ましたよ。」

 「な、あのハゲ野郎、俺の大事な恭に刀を抜いたのか?…ん?待て、『昼』の人間が何で兼虎の弟子なんだ?」

 「末端の家系で殆ど『昼』の人間として生きているんです。でも能力がある。大人になれば消えると思われていたが、俺が見たところ消えない。あれは本物です、鍛えれば相当な術者になる。」

 「…その子が弟子?」

 「ええ。美しい『波形』です。」

 「成程、で、何しに行ったんだ?」

 「彼女は遅かれ早かれ地龍で生きなければならなくなる。環境を確かめに行ったんです。そして、多分、あまり良くない。」

 「そうだろうな、あんなアウトローな師匠じゃあ、まともな術者にも地龍の武士にもなれない。下手をすれば『夜』に食われて死ぬ。」

 「兄さん、兼虎殿は『龍の爪』のメンバー候補なんでしょう?」

兄が会いに行く相手として兼虎は普通じゃない。恭は貴也の目的の見当がついていた。

 「そうだ。だが、靡かない。恭に刀を抜いたとあっちゃあ、ますます厳しいだろうな。」

 「そうでしょうね。だから俺と取引しませんか?」

 「?何だって?俺がお前と取引だと?」

 「そうです。俺が兼虎殿を仲間にする有利な状況を作ります。その代わり、俺の願いを聞いて欲しい。」

 「へぇ。恭の頼みならなんだってきいちゃう、このお兄ちゃんに、取引を持ちかけるとは。かわいくないね。」

貴也の目は笑っていなかった。だが恭も同じだった。

 「俺は本気です。」

 「…俺だって、本当に帰りの遅いお前を心配してた。」

 「すみません。」

 「取引しよう、帰りが遅かった事は許すから、その彼女とお前の関係を教えて。」

 「…友人です。」

 「本当?『波形』が綺麗な女の子なんだろ?お前の好みじゃん。本当に彼女じゃない?」

 「本当に違います。友達は自分で選ぶけど、恋人はきちんと紹介しますよ。」

 「約束だ。」

 「…ええ、約束します。」

 「オッケー、取引成立だ。俺がお前の願いを叶える代わりに、お前は兼虎を仲間にする協力をする。あと、好きな子が出来たら報告すること。」

 「ちょっと、恋人を紹介するって言ったんです。」

 「結局は同じだろ。俺の愛する弟に相応しくない奴は認めない。」

並の頑固オヤジを凌ぐ貴也のブラコンぶりに、恭は心底嫌気がさしたが何も言わなかった。

どうせこれ以上話しても貴也のペースに飲まれるだけだ。そうすれば折角イーブンで持ち込んだ取引が駄目になる。恭は我慢して部屋へ帰ろうとした。それを引きとめるように貴也が言葉を放った。

 「晋は仕事へ行かせた。しばらく戻らないよ。」

恭が振り返ると、貴也は困ったような笑みを浮かべていた。

 「でも丁度良かったろ?お前にとっては。」

 「…そんなことありません。」

貴也の目が全てを知っていると物語るように見えて、恭は直視できなかった。さくらに会うために晋を遠ざけていたことは決して邪魔にした訳ではない。しかし晋はどう思ったろうか。後ろめたさのようなものが湧きあがって来て、目を伏せた。

 「晋は分かってくれます。」

確信と言うよりは願いのように呟いた。


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