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35 内通の事

 一夜明けてみると、昨夜の事が嘘のように当たり前のような穏やかさを取り戻していた。皆は傷だらけの体をひきずっていつもと変わらぬ朝を過ごしていた。

 大学に雷が落ちて、何故か一階の廊下のみ焼けたという奇妙な事件は翌日から大きく報道に取り上げられた。

 「すこし派手にやり過ぎた、ようですね。」

反省している風でもなく幸衡(ゆきひら)が言った。今回の件は地龍として揉み消す様なこともせず、ただ知らん顔をする事になったらしく、知将(ともまさ)もいつもと変わらぬ様子でニュースを見ていた。恭が新聞を開くと毎度の事ながら義経(よしつね)がその上に乗ろうとしていた。

 「いたた。あいつとんでもない石頭か?」

晋が足を引き摺りながら歩いていると、槍を携えた義将(よしまさ)が首を傾げた。

 「昨日は痛がってなかったじゃん。」

 「戦闘中はアドレナリンが出てるせいか麻痺してるんだよね。冷静になってみたら結構やられてた。いたた。」

(みつ)(たね)の頭部を蹴った足が腫れていた。蹴った方が負傷するなんて、甘いものを食べると強靭な石頭が手に入るのだろうか、と真面目に考えてしまった。

 「調子に乗るなといつも言ってるだろ。」

恭は義経を下ろして新聞を読みながら冷たく言った。

 「はいはい。義将、もう行くの?」

 「うん。早めに出るよ。」

すっかり戦闘服を着こなした義将が、やけに落ち着いた面持ちで返した。対してそわそわと落ち着かない様子で知将が言った。

 「義くんも怪我人なんだから、試験は別の日にして貰ってもいいのよ。」

 「大丈夫だよ。これくらいで休んでるようじゃ、実践なんて無理だよ。じゃ、行ってきまーす!」

知将の心配を明るく笑い飛ばしながら、義将は家を出ていった。

 「立派なご子息だ。」

幸衡が褒めると、知将は何故か感極まった様子で洗面所へ行ってしまった。意味が分からないという顔で恭と晋を見る幸衡に、義経がご飯をねだって絡み付いていた。

 「息子の成長に感動したんじゃん?」

 「知将殿の事は分かる気がしない。」

幸衡は真顔で呟きながら、義経の餌を用意した。

 「あ、そー言えば、昨日の奴が何かポケットに飴入れてきたんだけど。」

言いつつ晋が机の上に飴を置いた。恭が新聞を畳んで、その飴の包みを開くと、そこには飴とメモリーカードが入っていた。

 「恭、これ。」

晋が飴の包みの方を指した。そこにはボールペンで小さく何かが書かれていた。

―――君がため日向路灯す灯籠の示す未来はありやなしやと

 「重盛(しげもり)殿…?」

恭は眉を寄せた。灯籠の和歌は、重盛を呼び出すために恭が送ったものだ。これは返歌だろうか。

 「その男、恭によろしくって言ってたよ。」

晋の蹴りをくらって倒れ込んだ時、晋にそっと囁いて飴を渡したのだった。恐ろしい石頭の男。

 「中を見るか?…何かのウイルスなどと言う事は…。」

幸衡はメモリを持ってパソコンに入れるか否か迷っていた。しかし恭は確信したように強く言った。

 「その心配はないだろう。頼む。」

三人は頭を寄せてパソコンのディスプレイを見た。



 「これ、見舞いや。」

小松邸では頭部に包帯を巻いた光胤が嬉しそうに、重盛(しげもり)が差し出したバウムクーヘンの箱を開けようとしていた。

 「やった!怪我の光明とはこの事ですね!」

 「頭やられたにしては元気やな。」

早速丸ごとのバウスクーヘンに齧りつく光胤を、重盛は薄目で見ながら言った。

 「や、あれ咄嗟に鞘に当てたんで、正確には頭やられてないです。でもやられたふりでもしない限り、矢集晋に近づくなんて出来そうにないんで一芝居打ちました。ま、鞘割れましたけどね。鞘代、経費で落ちます?」

 「なんや、そしたらその包帯は嘘なん?」

 「一応七口の連中には病院で精密検査受けるって言って出てきたんで、こうでもしてなきゃおかしいでしょ?しっかし、あの蹴り完全に決まってたら首逝ってますよ。俺様あの世逝きの巻ですよ。これ美味いですね。」

光胤は美味しそうにほうばりながら報告した。

 「そんなに強いんか、晋くんは。」

 「強いって言うか、野性ですね。あれは。ほとんど脊髄反射でやってる感じですよ。しかも楽しそうなんだ、これが。(ただ)(やす)(まさ)(のり)も結構ビビって、あれはバーサーカーだとか言ってました。」

 そもそも、発火の術を教えたのが晋ならば、晋がやれば時間もかからず精度に不安もなかったはずだ。義将に炎を出させたのは明らかに、義将に花を持たせるためだっただろう。あの場合、晋が全員殺すつもりならば肉弾戦を選択する事もなかった。最初から適当にあしらって帰す腹積もりでいた、その上で義将の力試しの場を与えた。何から何まで余裕のそれだ。伊康と雅憲は後になってそれらを考えれば考える程に苛立ち、今すぐにでも再び殺し合い、今度こそその首を手にしたいという渇望が沸き上がったようだった。光胤も、晋の舐めた態度には怒りを覚えた。けれど三人がかりでいなされた事実と、あの猟奇的な嗜好に高陽する笑顔を思い出すと、今でも戦慄した。

 「とんだ戦鬼やな。せやけど頼んだ物は渡せたんやろ?」

 「ええ、ちゃんと。」

 「恭くんを偵察やなんて、どうにか止めたいとこやったけど、どうにも出来へんよってちょっと乱暴な方法になってもうたな。」

七口が恭とその周辺の偵察を命じられた事を受けて、重盛は、光胤に状況を攪乱して偵察出来ないようにする方法を指示した。そして、恭にメモリが行くように取り計らえと。

 「そりゃ主が言えば何でもやりますけどね、偵察中に見つかって戦闘に持ち込めなんて、俺様の失態だって後で責を負わされれば今までの努力水の泡ですからね。何とか誰の所為で見つかったか有耶無耶になりましたけど、本当ひやひやもんですよ。その上、恭殿に渡す物まであるんじゃ、ハードル高すぎです。矢集(やつめ)晋は強すぎて間合に入れないわ、七口は暴走するわ、本当大変だったんですからね。こんなもんじゃ割に合いませんからね。鞘弁償して下さい。」

ひたすら食べながら文句を言う光胤に重盛は、今度はケーキの入った箱を出した。

 「分かった分かった。ようやったよって、仰山食べ。」

 「やった!だから主好きっス。甘いものいっぱいくれるし、甘やかしてくれるし、最高です。」

 葉室(はむろ)光胤という男は元々平家の生まれだった。

 本家筋で一応長男だったが、ある事情によって弟である(むね)(すえ)が正統な跡取りとして育てられた。宗季は優秀で、周囲の期待に応えるように文武に秀でた跡取りに相応しい成長を遂げた。光胤はそんな宗季に、弟としての愛情を持ちながらも、どこか寂しい気持ちを抱いていた。光胤自身も優秀であったが誰も関心を示す事は無く、自尊心から不遜な態度で自己を主張したが無駄なあがきだった。自ずと心は乾いていき、いつしか宗季を持て囃す周囲の甘い言葉を羨むようになった。

 そんな己を持て余し家を出た折、光胤に手を差し伸べたのは平重盛だった。重盛は光胤自身を見てくれる数少ない人で、そして平家当主だった。

 重盛は光胤の実力が、事情があるとは言えこのまま埋没していくのは忍びないと言い、特別な役割を任せた。光胤は重盛から生きる意味を与えられた。そして重盛の言うまま、影に潜んで情報を収集したり人を討ったりして来た。

 今回、京都七口に潜入するためには、周到な準備と労力を要した。平の姓を捨て、複雑な裏ルートを駆使して葉室家の養子となり、朝廷に深い忠を抱き武家政権を心から憎んでいるという設定を叩きこんだ。自身が七口に選ばれるために、他の候補を排し、より鬱屈した闘志を演出してみせた。重盛の望む成果を挙げるためならば手段を選ばず、努力を惜しまなかった。重盛に認められ、褒められる事こそが、光胤にとって何よりも心満たす甘い果実だった。

 「でも、恭殿は本当凄いですね。偵察中に戦闘にさえすれば何とかして七口を追い払うっていう、主の言った通りの事をやってのけるんですから。正直俺様あの状況でどうするんだって思いましたよ。」

 「雷なぁ、そないな凄い術、見たかったわ。」

本当に悔しそうに言う重盛を見て、光胤は仄かに嫉妬した。

 地龍本家直系である恭は生まれつき特別な人。光胤とは違う。

 重盛を夢中にさせる存在。

 けれど、特別であるという者の背負う宿命は決して甘くはない。

特別な力と過酷な宿命を持つ事と、平凡という不遇に甘んじて生きる事。

 「己が特別なんを疎んでも、戦わなあかん時、その力は必要になる。己が凡夫たるを疎んでも、平穏を手に出来るんは凡夫たる故やとしたら、複雑なもんやな。」

重盛は意味ありげに微笑んだ。

光胤は、自らの生まれを選択出来たなら、どんな人生を選ぶだろうと考えてみた。正統な立場への憧れは確かにあった。けれど、それぞれに負うものがある。選択肢がないからこそ、今自分の目の前にある人生に集中出来るような気がした。自分の生く道は、ひとつだ。果実を手にするためならば、何だってやる。それが光胤だった。



 京都に戻った七口は、それぞれの怪我の手当を済ませると、師房(もろふさ)に呼び出された。

 「何故こんな事になった。」

師房の肩からは怒りが湧き立つようだった。問われた七口の面々は顔を見合わせた。

そもそも、偵察中に和田親子に遭遇してしまったのは何故だったろうか。お互いの顔を見ながら目で記憶を照らし合うが、上手くいかなかった。

 「偵察だと、言ったはずだろ。」

今日という今日は本当に埋めそうな勢いで問う師房に、弁明するように口ぐちに言い始めた。

 「いや、何でだっけ?」

 「光が飴を落として…。」

 「え?そうだっけ?」

 「いえ、確かに、光胤くんが…。」

 「カス共、この場に居ねぇ奴の所為にしようとしてんじゃねぇだろうな。」

光胤は頭部への攻撃を受けたため病院へ行ったまま帰って来ない。欠席裁判はフェアではない上、返って事が有耶無耶になる危険性があった。故にそう問われると、誰も確信が持てず黙った。

すると、(ため)(あき)が口を開いた。

 「そうは言うが師房、お前も恭が何かをしようとしていると知りながら放置していたではないか。お前が恭を止めていれば、事態は防げていたのではないか?」

全員が戦闘をしている時、師房はそれを眺めているだけだった。為顕の言葉に一同は息を飲んだ。

 「成程。一理ある。」

師房は深く頷くと、しばし思案してから刀を抜いた。

 「では、こうしよう。今回の責はこの師房が負う。」

言いながら師房は刀を左脇に入れ、勢いよく引き抜いた。筋肉や骨の切断される凄まじい音が響いて、床に師房の左腕が転がった。

誰も微動だに出来なかった。

 「正しさとは勝利した者のみが手にする称号。負ければ悪に貶められるが世の常。勝利し身の証を立てんと望むならば、余計な事は考えるな。無駄な事は死んでからやれ。今はただ、戦い、勝つのみ。」

師房は刀を床につき、体を支えながら叫んだ。痛みに耐えているのか、状況に激昴しているのか、血走った目と血管の浮いた額から流れる汗が全員の目に焼き付いた。


 その夜、師房は治療を受け自室にいた。七口には療養と、次の命令があるまでは待機期間と命じて、再び隠れ家に引き籠るように促した。七口の伝達役となっていた師房は、実質的なリーダー格だった。メンバーは我が強くまとめる事は困難であると同時に、協調させる事で個が損なわれる事は本意では無かったため、リーダーを決める事は無かった。それでも策を立てるのは師房であり、結局は皆何となく師房を中心にして成る部隊だと認識していた。しかし、師房の行動で部隊の事情は一変した。師房に引っ張られるように、全員がまとまったのだ。

 次の算段を立てているのか、じっと空を見つめたまま動かない師房に、為顕は既に開けた扉をノックする事で主張した。ゆっくりと為顕を見る師房は、昼間の怒り狂った様を忘れたように落ち着いていた。

 「何故そこまでした?」

全員に圧倒的な印象を与えた師房の行動は、衝撃的過ぎた反面、為顕には意味不明な行動に見えた。

 「俺の腕を嬉しそうに持ち帰っておいて、今更何を。」

 「それは、そうだが。」

 為顕はネクロフィリアで人体改造術を専門とする変わった術者だった。強い敵と見るや研究したがり、よく「犯す」と言うが性的な意味ではなく解剖したいという意味らしかった。七口に入ったのは、より多くの死体と強者を得る事が出来ると考えたためだと言う。メンバーの中では唯一師房と対等に付き合おうとしていた。

 「カス共は、この断面を見る度に思い出すだろう。屈辱を、そして勝利を渇望する。いかに愚かなカス共とは言え、同じ過ちは繰り返さないだろう。そのためならば安いものだ。」

強烈な勝利への執着。師房の腕は勝利の女神への供物となったのだろうか。

 「俺はお前が恐いよ。」

為顕は、師房が腕を犠牲にする事で七口の結束力を得られると計算していたのだと思った。全員が師房をリーダーだと認めていれば、今回のようなまとまりの無い失態は起こらない。個を失う事無く協調を手に入れるための策だったのだと。

 「ふん。カスが、お前は生きてる者全てが恐ろしいんだろう。」

物言わぬ死体を愛する為顕を嘲笑うように言う師房に、困ったように肩をすくめた。

 「勝者は屍の上に立つ。お前の進む先にこそ、俺の望むものがあると確信した。」

為顕は師房の反応を待たずに部屋を後にした。

師房は痛む腕を庇うように目を閉じた。



 七口の面々が寝静まった後で、光胤は一人ラウンジに腰掛けた。電気は付けずに、なるべく物音を立てないようにしながら重盛へ連絡を入れた。昼間、光胤が重盛に会っている間に事態の責任を追及する状況となっていた事。そして責任を取って師房が腕を斬り落とした事。それによって全員の目の色が変わっていた事。今までまとまりが無かった七口に、強固な結束力のようなものが生まれつつあるように感じた。今後はより慎重に行動する必要があると、なるべく簡潔に報告した。そして報告を終え、買い貯めた駄菓子に手をつけた瞬間だった。

 「光胤くん。何をしているのですか?」

いつの間にか(これ)(たか)が背後に立っていた。

 「…維隆。何って…?」

 「隠しても無駄ですよ。」

維隆は真顔で光胤を見据えていた。まさか、内通者である事がばれたのではないかと息を飲んだ。もしそうならば、どうする、ここで殺すか。それとも逃げるか。光胤は頭をよぎるいくつかの策をまとめようとした。

 「またこんな時間にお菓子を食べて。」

 「え?」

 「こんな事続けていたら、いつか本当に病気になりますよ。」

真剣に注意する維隆に光胤は一瞬唖然とした。その隙に維隆は光胤の手からお菓子を奪い取った。いつもならば怒鳴るタイミングだったが、今まさに殺すかとまで考えた自分の間抜けさに対する緊張と安堵で何も言葉は出てこなかった。そんな光胤を見て、維隆は勝手に別の解釈をしたようだった。

 「光胤くんも眠れないのですか?」

 「…え〜っと。そう、かな。」

 「正直、恐くなりました。師房が片腕を落とした時。自ら健康を損なうなど、私には考えられません。そこまでの覚悟が必要って事ですよね。私は今まで、負ける事は死ぬ事だと思っていました。私達は生まれつき敗者です。負けて生きる事の苦しさや憤りをよく知っています。生き恥をさらすくらいなら、死んだ方がいい。だから、負ける時は死ぬ時でなければならない。そう、思ってきました。」

 京都七口は敗者の家系の末裔の集団だ。生まれつき地に落ちた家名を背負って生きてきた。長老会の犬として、陽の下では嘲られ、月の下では飼い殺される。先祖の失態を我が身として苦境に耐えて生きてきた。いつか復讐し、陰と陽をひっくり返す事だけを目的として、ただひたすらに牙を研いで来たのだ。

「けれど、今回は作戦に失敗したにも関わらず、生き残ってしまいました。」

 負ければ死ぬだけ。最初から負け組だったのだ、今更失うものなどあろうか。そして勝つ事は敵を全員殺し尽くす事。負けて生きる事は地獄。

 維隆の思想は付け入る隙の無い、生と死・勝利と敗北の二極化だった。維隆は生きる事と殺す事に徹底して拘って来た。勝利し生きることと、敗者を殺すこと。二つは同義で、そしてそれ故に勝利即ち生きる事への渇望は原動力となっていた。それが維隆の、健康オタクで殺人鬼だと周囲から言われる所以だった。

 「考えすぎじゃね?」

務めて明るい声を出した光胤だったが、正直「生まれながらの敗者」という言葉には共感する所があった。光胤は、自らの腕を斬り落としたと言う師房の凄まじさといい、維隆の勝利に対する渇望といい、つくづく七口の面々は似ていると思った。正気の沙汰ではない程の、承認欲求。ただ、認められたいだけなのだ。この世の中に、自分が存在している事を、肯定されたいだけなのだ。その欲求ならば光胤自身痛い程に理解できた。

 「生きてれば何度だってやり直せばいい。生きてる限り、勝つまで、何度でも、やり続けられる。それだけだって。」

光胤の言葉に、維隆は複雑そうに呟いた。

 「そう甘くはありませんよ。」

 「俺様は世界は甘いくらいが丁度良いと思うけどな。」

もっと誰にでも甘い世界ならば良かったのに。光胤の願望は口にすれば鼻で笑われるような馬鹿らしい言葉にしかならないけれど、いつだって本当にそう思っていた。

 「なぁ、それより、敗者敗者言うの止めろよ。歯医者に聴こえてソワソワするだろ。」

 「なんですか。光胤くん虫歯でもあるんですか?」

 「ばっ…ねぇよ。そんなん!」

 「ならば大人しく見せなさい!」

維隆が光胤の口を無理やり開かせようとして、殆ど格闘になった。そうしている内に何だか楽しくなって来て大声で笑った。もしほんの少しでも何かが違えば、宗季ともこうして普通の兄弟のようにじゃれ合ったりしただろうか。光胤は、甘いもしもを想像する度に、現実の世知辛さを実感して切なくなった。それでも想像してしまう、何度でも。結局は乾いた心を満たすために、歩き続けるしかないのだと再確認するだけだとしても。



 重盛からのメモリにはパスワードが設定されていた.恭は迷わず「DRAGON SEED」と打ち込んだ。貴也が名付けた龍の卵の名だ。これを知る者は少ない。灯籠が導く、と歌にあった通り、恭は重盛に導かれるようにメモリの中身を手にした。そこには光胤が集めた京都七口や長老会の情報が入っていた。今分かる限りの関係者名や、戦闘スタイルなど、詳細な情報だった。

 「これだけの情報を…。」

光胤自身が重盛の送り込んだ間者である事と共に、七口での葉室光胤としての顔をきちんと記載されていた。

 「凄い有能な人っすね。味方とは知らず俺思いっきり蹴っちゃったんだけど。」

晋が動揺すると、幸衡は疑問を口にした。

 「その足、おそらく人体を攻撃したのではないと思うが。とっさに何かで身を守り、攻撃を受けた演技をしていたのではないか?」

 「マジで?凄い!俺全く気付かなかった!」

 「晋の速さに対抗するか。さすがは重盛殿。優秀な人材を持っている。」

恭が頷くと、義経がパソコンのキーボードの上にどっしりと体を横たえた。その所為で、別のウインドウが起動した。そこには私信のようなものがあった。

 『先日はお招きありがとう。この様な面倒な方法を取った事を疑問に思うかも知れないが、事態は慎重に慎重を重ねても足りない程に油断できないものである事を理解して欲しい。既にデータを見て理解しているとは思うが、葉室光胤は俺が京都七口に送り込んだ刺客であり、有能な術者である。ここに収められている情報はすべて彼の功績である。今後接触する事があれば、その辺りを踏まえた上での行動が望ましい。この情報から、俺が想像している事を伝えておく。飽くまで想像に過ぎないながらも、ほぼ確信している。それは、長老会の目的は政権を朝廷へ返還する事ということだ。長老会が空洞である事は先に伝えたが、その核たる存在こそ朝廷である。長老会の舵を取る転生組は、かつて天皇に忠誠を誓い、つくし、それにより権力を手中にしてきた者達である。』

 「どうやら、長老会は何人かの転生組によって動かされているようだな。」

内容を見た幸衡が納得したように言うと、恭は先を促した。

 『しかしながら、現天皇家は、『昼』の傀儡と化し、我等地龍を牽引する者ではない。』

 「そうだよな。今更そんな事言われても、糸を持つ者が『昼』か長老会かの差だよな。」

 「それに、龍種を必要とする理由はない。」

長老会が大政奉還したいなら龍種に拘る必要はない。執拗に龍脈と龍種を奪おうとしてきた事の目的を知りたいのだ。

 『では長老会の望む皇とは何か。長老会の、否、転生組の望む皇とは、かつての天皇ではないだろうか。龍脈をエネルギー源として成る転生システムを、魂を復活させる術と捉えてみるならば、それも不可能ではないのではないか。』

通常流転する魂は前世の記憶を持たない。しかし、転生組は記憶を引き継ぎながら流転しているものと考えられてきた。けれど、今、転生組ではない者の魂の記憶を呼び覚ます事が出来れば、それは復活する事と同義ではないか。かの人物の魂を、蘇らせる。

 「何て事考えるんだ…。」

 「しかし、では誰を…。」

 「おそらくは、後白河院、だろうな。」

恭が断言した。転生組の多くが今尚初めの生に捕われている。始まりの時、玉座にあったのは後白河院だ。過去の栄華を望むならばまず間違いなく、この時代だろうと思ったのだ。

 「…その時代に拘る所が転生組らしい。」

幸衡は秀衡を思いながら言った。

三人は画面をただ見詰めた。想像していたより遥かに事は壮大な企みが渦巻いていた。長老会と地龍本家の代理戦争でも、源平の争いでもない。長い長い時をかけ、長老会は来る時を待っていたのだろうか。息を潜め、力を貯え、虎視眈眈と時を読み、望みを叶えるためだけに存在し続けて来たのだろうか。

 『長老会は貴也を京都へ呼び寄せるために会談を開く事をしつこく要求してきている。すべての準備は整っていると見て間違いないはずだ。龍種を手に入れた後、天皇の魂を復活させる方法も整っているだろう。俺は引き続き、調査を続けるつもりだ。恭くんも気を付けて。』

天皇を復活させる。

そして再び朝廷を政の中心とする。

それこそが、長老会の思うあるべき形だろうか。正しい世界のあり方。おそらく、世界を正しているつもりなのだ。本来の姿に。

恭と晋が黙ったままで画面を見つめていると、幸衡は笑った。

 「はは…。また出遅れたか。」

政権を奥州に、それが幸衡の野望だった。長老会の壮大な計画に、悔しそうに笑う幸衡が現状に一番着いて行っているように見えた。

 「国取り。」

恭は重盛の言葉を思い出した。戦とは国取りだと。正に今これから迎えんとする戦は、国取り合戦だった。最早地龍の存在意味は忘却の彼方だった。本来は、『昼』と『夜』とのバランスを取る中立たる組織であるべき地龍が、龍との契約を反故にして世を再びの乱世とするのだろうか。ただでさえ龍脈は尽きかけ、日本は沈みかけていると言うのに。その亀裂をチャンスとばかりに群がる欲望が、事態を悪化させている。

 「これでは兄さんの望みは叶えられない。」

恭が唇を噛んだ。

貴也の、地龍本家代々の望み。龍との契約の履行。世の平安。

あるべき流れを断つ事なく、引き継がれていく事。

今の恭は、自身でどうにか出来ない己が無力への憤りを、貴也の望みを叶える事への覚悟へ変えて行くしかないと考えていた。

 長老会の思い通りにする訳には行かない。邪魔をさせる訳にはいかない。

眼力でパソコンのディスプレイを割りそうな程に睨みつける恭に、晋も幸衡もかける言葉を見つけられずにいた。

 パソコンの上の義経が寝返りを打つと、画面はスクロールされ、隠れていた文章が出た。

 『追伸 転生システムを作り、地下迷宮に身を隠し、長老会に知恵を付けている人物は、おそらく九条兼(くじょうかね)(さね)公である。矢集裕(ひろむ)は現在彼の元にいると思われる。』

 九条兼実。

今まで転生者として確認されることの無かった人物だった。


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