34 前夜の事
季節は秋を目前に控え、今年も再び揺らぎの増える時期を迎えようとしていた。
義将の試験は翌日にまで迫っており、あとは半年近く特訓をしてきた成果を出すだけだった。この試験に受かれば、揺らぎの討伐メンバーに加えられる事になる。初陣だ。そして、年内は揺らぎ討伐スパイラルに馬車馬の如く働かされる事になるだろう。そうなれば、のんびり年末を過ごせたのは去年までとなる。恭は義将の成長は喜ばしいながら、少し寂しい気もした。
そんな恭に晋はテレビのリモコンを弄びながら言った。
「でも、今年は幸さんもいるし。ねぇ?」
「ええ、謹慎で家にいるしかない晋くんもいるし。」
「そーゆー言い方するかな?意地悪かな?」
晋をからかうような言葉を無表情で投げてよこす幸衡に、晋は面白そうに訊き返した。そんな晋のリアクションを完全に無視して幸衡は恭に話しかけた。
「寂しいなら静も呼べばいいでしょう?」
「それイイネ!ってか静姉と幸さんてどういう関係なんですか?」
何となく気になっていた事を晋が訊くと、恭も目を向けた。静の事となると流石に興味があるらしい。
「昔の見合い相手だ。ご覧の通り相性最悪で決裂した。それでも、いつまでも独り身なのは可哀想だと思っていたが、相手が地龍当主の直系とは。俺では見合わない訳だ。」
幸衡に似合わず憎らしげに言う所が、逆に気があったのではないかという疑惑を持たせた。どうも完璧超人にしか見えない幸衡の人間らしい側面は興味をそそられるが、切り込む隙はなかった。
「玉の輿狙いみたいに言わないで下さいよ。ちゃんとした恋愛ですよ。」
晋が念を押すように言うと、恭は照れたように呟いた。
「ちゃんとしたって何だよ。」
三人は少し笑った。
「それにしても知さんと義将遅いね。幸さんの美味しいごはんが冷めちゃうよ〜。」
その日は、知将が少し遅くなると言うので幸衡が夕飯を作って待っていた。しかし言われた時間は過ぎていた。義将は道場へ行ったままだ。こちらはおそらくもうすぐ帰ってくる頃だった。
「二人とも同時くらいかな。」
時計を見ながら呟く晋は、言い終わるとほぼ同時にだらしなく伸ばした足を素早くたたみ、膝立ちになって耳をすませた。
「何かいる。」
晋の警戒した声とは裏腹に、幸衡は表情も変えずに静かに立ち上がった。
「義経。」
呼ばれると義経は、尻尾を優雅に振りながら出て行った。
幸衡の落ち着いた様子に合わせるように、恭と晋は刀を手に取った。
「上、の様だな。」
幸衡が言うと、三人は黙って屋上に向かった。
屋上は月光が曇天に阻まれ薄闇に包まれていた。義経は尾を立てて上空を見つめていた。
その視線の先には不自然に宙に浮いた人影が二つ。
「おや、偵察対象に見つかったようだが、どうする師房。」
白衣の糸目の男・河野為顕がにやにやしながら訊くと、不機嫌そうに眉間にしわを作っていたもう一人・大江師房は心底軽蔑したように言葉を吐き出した。
「嬉しそうに言うなカスが。」
「カスって言うな犯すぞ。だがこの場合、正体がバレる前にずらかるか、相手を殺すかの二択では?」
二択と口で言いながら既に刀を抜いた為顕が刃に映る己が殺気に陶酔していた。
「うるせぇ埋めるぞ。勝手に刀を抜くな。」
何を言っても意味の無さそうな為顕に師房が溜息をつくと、為顕は弁明するように大学校舎の方を見やった。
「他の連中はもう始めているようだが?」
大学の校舎の方角からは既に交戦を開始しているらしい気配がしていた。
「カス共が、勝手な事を…。偵察は交戦を指さない事も知らぬとは、見上げたポンコツだな。帰ったら埋めるしかないな。」
上空で言い合う男を見上げながら、恭は晋に目配せをした。
晋は恭と視線で会話した後、屋上の高い柵に立った。
「あとヨロシク。」
言うなり晋は屋上から飛び降りて、夜闇に姿を消してしまった。
「一人逃げたな。」
「逃がしてんじゃねぇよ、カスが。」
「じゃあ追いかけると?」
為顕が言うと、宙を浮遊していた二人が息を止めた。
「追いかける?つれないな。もっとゆっくりして行きたまえ。客人は丁重にもてなすのが私の主義故に。」
幸衡が美しく微笑みながら刀を抜いた。白い、模造刀のような輝きを持った刀だった。軽く、嘘のように華奢で、とても戦うために生まれてきたとは思われない、飾り物のような姿。しかし宙の二人が一瞬でも呼吸を忘れ、目を見張る程の、只ならぬ気配を放っていた。殺気というには純真すぎる程無垢な、汚れのない生まれたままの欲望のような気配が、産声のように斬りたいと泣く。
「師房、私は彼が気に入った。全身の隅々まで犯し尽くすと今決めた。止めても無駄だぞ。」
為顕は沸き上がる恐怖心を快楽に変換し、狂気に歓喜した。
「変なのが来たな。」
恭が黒烏を抜くと、その場の誰一人として理解出来ない演算を始めながら呟いた。
「恭くん、どうする?」
幸衡は何かを始めた恭を庇うように立ち訊いた。
「考えがある。時間を稼げ。」
「御意。」
そのやり取りを聞いていた為顕は不快を露わにした。
「時間を稼ぐ?誰相手に言ってる、愚弄するな。犯し殺すぞ。」
「為顕、殺すな。あれは神門恭だ。器の破壊は許可が要る。」
「…ほう。では、手足は不要という事で。」
空中から急降下し、そのスピードを乗せた剣筋を恭目掛けて振り下ろした為顕の刃を、純白の殺意が受け止めた。
「そうか、君は手足を必要としないのか。了解した。」
為顕と幸衡の視線がぶつかった。
「藤原幸衡か。また厄介なSPだな。為顕、そいつは許可不要だ。殺せ。」
師房は戦闘の意志がないのか刀の柄に手をかける様子もなく指示を出した。為顕は師房の言葉に嗤い、それを合図に二人は殺し合いを始めた。二人の激戦に興味を示す事なく、師房は大学の方を見遣った。
「…つまり、逃げた方が矢集晋か。あれも破壊には許可が要るのだが…カス共が殺してしまわねば良いが。」
大学の庭は、大学の敷地内にある知将の家に帰るための最短ルートとしては非常に便利だった。あまり学生のいない時間帯はよく利用する近道だったのだが、その日は心の底から後悔した。仕事の帰りに帰宅途中の義将と会い、空腹の二人で幸衡の夕飯目当てにちょっとした出来心的なもので、この近道を選択した事を、これ程後悔する事になろうとは。急がば回れという言葉は本当に真を捉えた言葉だと感心した程だ。
「中年男性にしては張りのある良い筋肉を御持ちだ。けれど筋肉も酷使すれば良いというものではありません。それ以上の無理はおススメしませんね。」
一条維隆が機械のような目で知将を分析した。
「あら、お気遣いありがとう。じゃあ帰ってくれないかしら?」
語尾を荒げながら知将は大槍を力任せに振り切ると、空気を切り裂く豪快な斬撃が走った。
「やだなぁ。大雑把な技は美しさに欠けるよね。これだから男、特に筋肉中年は嫌なんだ。俺、女の子以外には痛めつけられたくないんだよ。本当、消えて欲しい。この世からムサイ親父がいなくなれば万事上手くいく気がするよ。」
勝手な理論展開で知将に憎悪を向ける源業周は、刀を一振りして知将の斬撃を霧散させた。
「ちょっと、私だって好きでこんなマッチョマンになった訳じゃないのよ。」
「気持ちわりーな、おっさん!男なら男らしくしやがれ!俺は白黒ハッキリしねーもんが大っ嫌いなんだよ!殺すぞ!」
業周に気を向けている間に藤原雅憲が攻撃を仕掛けて来た。雅憲は乱暴な口調で精神面にまでも潔癖さを発揮していた。
知将は休む間もなく槍を振ったが、三対一では分が悪すぎた。連携などない三人だが、代わる代わる攻撃されては考える間も息をつく間もない。そして一瞬気を散らせたその時だった、ほんの刹那、間に合わなかった。急所ばかりを狙った維隆の切っ先が皮膚を切り裂こうとした、その瞬間、刃霞がそれを受けた。
「知さん、俺抜きでパーティーなんて水くさいっすね。」
軽口で維隆を一気に間合いの外まで下がらせる晋に、知将は感謝する間も惜しんで叫んだ。
「此処はいいわ、義くんの所へ行って。校舎の方へ行ったわ。」
知将と義将は近道の途中で、京都七口に会い交戦となった。その際知将が敵を引きつけている内に義将を逃がすつもりだったが、その義将を追った者があったようだ。
「了解!」
すぐに身を翻した晋を、業周が行かせまいと刀を振ったが、知将が妨害した隙に晋はその場を後にした。それを舌打ちしながら雅憲が追って行った。
「まさか僕の相手が君みたいな子供だとはね。複雑だよ。でも、どんな相手にでも全力投球しろって、僕の熱いハートが言うんだ。君もそうだろ?例え相手が自分より遥かに格上だったとしても、決して心折れたりしない。それが武士ってもんだろ?」
高倉伊康は、義将が窓を割って逃げ込んだ大学校舎の、暗い廊下をひたひたと歩きながら持論を説いていた。まるで兎を狩る猟師のような伊康に、葉室光胤は口の中で飴を転がしながら鼻で溜息をついた。
「つまんね。俺様の相手がこんな小者とか、マジでつまんね。もうお前の好きにしろよ、伊康。俺様舐めるのは好きだけど、こういう舐められてる展開とかマジウンザリだわ。」
「光胤ってばやる気ないな。甘いもの食べ過ぎてお腹壊したんじゃないよね?師房に埋められても知らないよ。」
伊康が言いながら刀を軽い仕草で振ると、その軽い仕草に似合わない大きな斬撃が走った。熱いハートなどと言いながら完全に計算し尽くされた繊細な斬撃。無駄のない動きと、思い通りの斬撃。義将は腹筋に思い切り力を入れ槍で受けたが、明らかな力負けだった。透明な巨大な壁を全身で受け止めているような状態で、一瞬でも気を抜けば吹っ飛ばされてしまう。このような狭い屋内で飛ばされれば、体は壁に叩きつけられ全身の骨が粉砕するだろう。
「…っく。」
もう駄目だと思い目を瞑った時、聞きなれた声が義将の耳元でした。
「遅れてごめん。」
義将が目を開くと、透明な壁のようなものはなくなっており、その代わりに肩をぽんぽんと励ますように叩く晋の姿があった。
「晋兄ちゃん!」
「間に合って良かった。一人で頑張って、偉いぞ。」
義将が晋を見上げると、いつもの優しい微笑みがあった。ついさっき死ぬと思ったばかりの義将は呼吸も整わず、胃のあたりが冷えてヒリヒリしていた。晋の手が義将の肩を抱いて、ようやく我に返ってきた。
晋が現れた事で、伊康が柄を握り直した。光胤が口の中で転がしていた飴を奥歯で噛んだ音が響いた。
「へぇ、いんじゃん。強そうな奴。伊康、こいつ俺様にやらせろよ。」
「待った待った、そいつは俺のだ!手出したら殺すぞ、光。」
晋を追いかけて来た雅憲が光胤に噛みつかんばかりの勢いで言った。
「あんだよ雅憲、俺様のだって今決めたんだ、俺様のために引けよ。」
刀を抜きながら言う光胤に、晋は刃霞を逆手に持ち変えながら笑った。
「わ〜お、俺ってばモテ期到来?そういう時は、早い者勝ちって事で良くない?」
晋の言葉に目の色を変えた光胤と雅憲は明らかに先程までとは違う殺気を帯びて晋を見た。晋は身を屈め戦闘態勢に入ると、義将に言った。
「義将、アレやろう。」
「え、今?此処で?」
「そう、タイミングは俺が出す。時間稼いでやるから準備しな。」
義将は狼狽して泣きごとを言いたくなったが、戦闘モードの晋の湧き上がるような笑みに気圧されて頷くしかなかった。
「なぁ、どうせならそこの君もどう?子供相手で物足りなかったんだろ?」
安い挑発に伊康は冷ややかな目を返した。
「何調子こいてんの?いくら君に熱いハートがあっても、僕に敵う訳ないじゃない?しかも僕等七口の内三人を相手にだよ?僕こんなに馬鹿な人を初めて見たよ。」
伊康が先程と同じように軽やかな太刀筋で斬撃を放つと、晋がいかにも人をおちょくったような口調で叫んだ。
「はじめましてっ!」
晋は薄い結界を伊康の斬撃にぶつけて爆発させ相殺させた。その爆発に乗じて雅憲との距離を詰め、刃霞を振ったが雅憲の刀がそれをあっさりと受けた。そこを間髪入れずに光胤の刀が狙っていたが、晋が口の中で何か唱えると無数の拳大の爆発が空中で連続的に発した。一瞬気を取られた隙に雅憲の腹を蹴り、光胤の胸を鞘で突き、伊康の刀を刃霞で受け止めた。
晋達が目にも止まらぬ速さで戦闘を繰り広げる間、義将は額に汗を流しながらアレの用意をしていた。
「本当に素晴らしいな、その身体能力、そして冷静な頭脳。ますますバラバラに犯したくなった。」
為顕が斬られた腕を白衣の袖で縛り止血しながら、うっとりと言った。
「そうか、君はバラバラにされたいのか。了解した。」
アンドロイドのように機械的な声音で歩みを進める幸衡は、あくまで恭の周囲を守るように立ちまわっていた。義経は恭と空中にいる師房との間に立つようにして、尻尾を逆立てていた。一応守っているのだろうか。
戦闘が開始されてから大した時間は経過していなかった。全員が高速戦を始めたため、体感と実際の時間経過には大きな差があった。
「しかし…、神門恭、君はさっきから何をしている?」
恭は立った位置から一歩も動く事なく、黒烏を垂直に構えたままだった。誰も見た事のない術式を構築し始めてから数分が経過したが、それでも誰一人心当たりのない術式だった。ひとつだけ分かる事は、教えられても出来ない複雑で難解な複合演算であると言うことだ。
「貴公等京都七口にお帰り頂く方法を、実践中だ。」
敬っているのかいないのか解らない言い方をしながら、恭はようやく顔を上に向けた。師房の方へ…ではない。上空だ。空。
「ほう、我等を京都七口と知った上か。かわいくねぇな。そうだな、この際だからお前の平伏す所とか見てから帰るってのも良いよな?どうせもう見つかって、戦闘おっ始まってる訳だし?」
師房が宙を歩きながら刀を抜いた。宙にアクリル板があるような歩き方。おそらく晋と同じ様な原理の空中散歩だった。師房が丁度恭の間上あたりに立った。
「そこは危険だぞ。」
見上げる恭が注意すると、師房は不愉快に顔を歪めた。
「ああ?誰に言って…。」
言いかけた師房は、背後、はるか上空から嫌な気配を感じた。
初めから薄曇りだったが、いつの間にか厚い雲に覆われ、今にも降り出しそうだった。師房が見上げると、丁度上空にはまるで龍がトグロを巻いているような、大きな渦状の雨雲が形成されていた。
「何だ、あれ…。」
「そこにいると、失敗した場合、黒焦げになるぞ。」
意味の分からない言葉を投げてよこす恭に、何か恐ろしいものを見るような目で足をすくませた師房が、間上から恭の術式を見た。
おそらく完成していた。
「幸衡、目を瞑れ。」
恭はよく通る落ち付いた声で言った。
雅憲が口内を切った際の血を吐き出した。
「てめぇ、何でもアリか。」
伊康は右手で刀を構えたまま、左手で脇腹をさすった。おそらく肋骨が何本か折れていた。
「刀持ってるのに肉弾戦とか、本当熱いね。」
晋に蹴られたり殴られた傷を憎らしげに撫でながら再び体勢を立て直す二人を、光胤が制止した。
「手負いは休んでろって。初めからコイツは俺様の獲物だって言ってるだろ。」
刀を構えたままで晋との間合いを取る光胤は、いつの間にか新しい飴を口に放り込んでいた。カランと飴が歯に当たる音がして、それを合図に再び晋の間合いに入った。
「君だって手負いじゃないか。」
晋は言いながら光胤の刀を後方へ避ける事でかわすと、その反動で光胤に突進した。先程から刀を振る以外にトリッキーな攻撃を仕掛けてくる晋に警戒して、光胤は間合いを取り直そうと横に避けた。晋は突進した勢いを助走にして、大股で壁に足を付きその勢いで間合いを取ったはずの光胤の頭部を蹴りつけた。手応えのある嫌な音がした。
「ありゃ、やりすぎたかな?」
晋が言いながら首を捻ると、光胤は脳振盪すれすれのふらつく足取りで晋に近づいた。そして晋に向かって倒れ込んだ。それを受け止める形となった晋が、光胤の横顔を見た。その口が何かを囁くのを、スローモーションのように凝視した。倒れ込むまでの、ほんの一瞬の出来事だったが、晋は目を見開き少し動揺していたようだった。
その様子に気がつく事もなく、雅憲と伊康が攻撃を仕掛けに来た。晋は光胤の襟首をつかむと、引きずるように反動をつけて二人に投げた。二人はそれを受け止めながら後方へ倒れた。
「残念ながら、この楽しいパーティーもそろそろお開きです。」
にっこり微笑む晋も決して無傷ではない。けれど全くダメージを感じていない様子で三人を相手にしていたのだ。三人がかりで敵わないとは感じなかった。けれど、晋の全く痛みを感じていないような様子と、追い詰められて笑う狂気に、不気味さを感じ気圧された。
「この状況で笑うとか、マジできもいんだけど。」
「しかもお開きとか言って、僕たちを倒せる気でいるの?」
「何か秘策でもあるのかもな。甘くないぜ。」
晋が満面の笑みで刃霞を弄ぶ姿は、本来の面々であれば舐めるなと逆上しただろうが、今は何故か鳥肌が立った。もしかしたら、本当に三人を殺すつもりなのではないかと思わせる不穏さがあった。
「義将、そろそろいけそう?」
後ろにいた義将に晋が問うと、義将は緊張で心臓が口から出るのではないかと思う程張り詰めた声を出した。
「うん、大丈夫。」
「さすが義将。いくぞ、いち、にーの、さんっ!」
晋のカウントが響いた。
知将と業周と維隆の三人は耐久バトル化した斬撃のぶつけ合いに、集中していた。先に精神力が尽き、ガス欠になった方が、死ぬ。鎬を削る限界へ挑戦のような戦い。
「おっさん、いい加減見苦しいよ。早く諦めなよ。」
「アンタこそ、こういう場は年長者に花持たせなさいよ。気が利かない子はモテないわよ。」
「すっかり本日の予定していたカロリー消費量を越えてしまいましたよ。殺戮は軽い運動程度が最も好ましいと言うのに。」
「軽い運動程度の殺戮って何よ?」
そろそろ決着が着く、そう思った時だった。
いつの間にか曇天となっていた空から、一筋の光が走った。
雷の轟く音が街中に響いた。
空気を振動させ、内臓を震わせる、魔獣の慟哭のような迫力。
何が起こったのか理解するより先に、校舎から火災報知機の警報音がけたたましく鳴り響いた。
「な…何だ?雷、落ちたのか、今の。」
業周が呟くと、知将は槍を下ろした。
「此処は消防署が近いわ。」
知将の言葉に維隆が狼狽した。
「すぐに来るでしょうね。多分の近所の野次馬も集まって来るわ。貴方達がどこの誰だか知らないけど、騒ぎになって困るのはどちらなのかしら?」
舌打ちをした業周と維隆は地団駄を踏むように地面を蹴って知将の目の前から姿を消した。
晋はカウントと同時に刀の柄で火災警報器のボタンを押した。窓の外で何かが強烈に発光して、暗い校舎が一瞬眩い光で包まれた。七口の三人がその光に目を奪われている内に、義将がアレの術式を発動させた。晋のタイミングに合わせて、義将は槍を床に擦りつけるようにして振った。するとその接地面から発火し、まるでマッチのように瞬く間に廊下は火の海になった。廊下のスプリンクラーが作動し、三人はようやく息を飲んだ。火の勢いの中、いつの間にか晋も義将もいなくなっていた。
「逃げられた!」
「そんな事言ってる場合か!焼け死ぬぞ、出ろ!」
「っち!こんな終わらせ方で納得できる訳ねぇだろ!」
怒りながらも、燃える校舎から脱出するしかない三人は、外に出ると消防車や近隣住民が集まりつつある事に気が付いて身を潜めた。そしてそのまま姿を消すしかなかった。
「か…雷?」
師房の上空から落ちた雷は、鮮烈な光を放ちながら轟音を響かせたがそれ以上には何もなかった。
「稲光だ。」
「光るだけだというのか?」
師房が怪訝な目をしたが、すぐにその意味を知った。
校舎から警報の音が鳴り、消防車やら野次馬の気配が近づいていた。
「本当に、帰らせる事が目的とは…。」
師房が呆れると言うよりむしろ恐れに近い言い方をした。それはそうだ。恭は、失敗した場合は危険だと言った。つまり稲光ではなく雷を落とす事が出来ると言うことだ。意図的に稲光を起こしただけで、その気があれば雷を落として七口を殺す術があったというのだ。あの見た事もない複雑難解な術式の正体の凄まじさに言葉を失った。難しい複合演算なんてものではない。人の可能領域を超えている気がした。
「そうだ。ここは龍脈。聖なる地での争いは俺が許さない。帰れ。」
恭が黒烏を構えようとした。師房はその動きに慄くように慌てて為顕を呼んだ。為顕は稲光を直視したらしくよろけていた。
「君の望み通りバラバラにするならば今、だとは思うが今宵の宴は幕だ。故に次回にとっておこう。」
「ってめぇ…絶対に犯す。細胞クラスまで徹底的に犯し切ってやる…。」
為顕はまだ何か言っていたが、師房が無理矢理に掴んで連れ去って行った。
七口が完全に去ってしまうと、空は元の薄曇りに戻り、しばらくすると雲の合間から星が顔を出していた。
その後すぐに大学は消防やら警察やらマスコミやら野次馬やらで大騒ぎとなった。そうなる前に全員が現場から去り、知将の家に戻ったため目撃される事もなく事無きを得た。だが、全員無傷とは行かなかった。
「本当にありがとう。義くんが無事だったのは晋ちゃんのおかげよ。」
幸衡から手当を受けた知将が頭を下げた。その後、大したことは無いと訴える晋を無理矢理に手当し始めた。幸衡は、一対一で手一杯の七口を三人同時に相手にしていたのだから大したことが無い訳がないと思ったが、晋の古傷だらけの体を見て納得した。大したことの価値観が違うのだ。
「いやいや、義将が頑張ったからですよ。」
晋に言われて恥ずかしそうに肩をすくめた義将が恭の顔を窺うように見た。
恭は七口が去った後、突然膝を付き幸衡を呼んだ。さも何事もないように術式を発動させて涼しい顔で会話していたのに、敵が去った後になって結構無理をしていたと言うのには幸衡も肝を冷やした。あのような異常な技を使えるだけでも化け物じみていると思ったのに、それを全く平気というのでは流石に正気の沙汰ではないので、倒れてくれて返って安心したのだが。
そんな訳で居間のソファーにもたれるようにして肩を上下させる恭は、嬉しそうに義将に言った。
「あれは元々ゾンビ撃退法として考案したものだったが、実践に役立ったなら何よりだ。」
「うん、晋兄ちゃんが目が見えない間に教えてくれたんだ。」
義将の発火の術は、修行の約束をしていたにも関わらず視力を失った晋が苦肉の策で伝授した術だった。元は義将が恐いと言ったゾンビ撃退用に恭が考案した術だったが、晋が手を加えて実戦向きにした改良版だ。
「でも義くんがあんな難しい術使えるなんてビックリだわ。複合演算なんて私でも出来ないわよ。」
「あはは、あれ丸暗記させました。」
「え?丸暗記?あの複雑で長い計算を全部覚えてたの?」
「だって義将ってば計算苦手なんだもん。手っ取り早く暗記させたんですよ。あ、でも他にも色々暗記させたら、法則とか分かって来たみたいですよ?な。」
「うん、何となくだけど。」
「…呆れた。」
地龍の武士・術者は剣術以外の術を体得しているものだが、義将のやった発火などは上級の術だった。術式に必要な演算は複雑でいくつもの計算を複合して発動させなければならない。他にも、水を凍らせたり、電気を発生させたりするものもあるが、まだ使えるのは発火一つだけだった。
ちなみに恭の稲光もこう言った複合演算の進化系にある。より複雑で難解な術式を展開させ、より消費エネルギーを必要とする。全てにおいて高位の術者の中でも一握りのものにしか出来ない術だ。
どちらにしろ、知将のような肉体特化型の術者にはまず使えない高等術だ。それが出来る恭と晋も、子供に教える事も、そのまま暗記させ、暗記できる事も、全てが知将にとっては呆れるしかない突拍子もない事だった。
「しかし、何故あの状況であの方法を即座に判断できたんだ?恭くん。」
晋の手当が終わり、今度は逆に晋に手当される身となった幸衡は気だるげな恭に訊いた。
「ああ、奴等『偵察』と言ったからな。他にも仲間がいて、既に交戦中だとも言った。」
「それだけで?」
「まぁ、人数だけでもこちらは不利だった。なるべく戦闘は小規模に収めて帰って貰うのが最善だろう。」
恭の落ち着いた様子に、幸衡はこれ以上ない程に感心した。
「否、これは敬服だ。御館様が忠誠を誓う訳だ。君は将たるに相応しい方だな。」
心底惚れ込んだと言わんばかりの言い様に、恭は瞑目し溜息をついた。
「ま〜たファンが増えちゃったね〜、恭。」
「知るか。」
興味なさそうに言う恭だったが、重盛の言う「準備」と言う言葉がよぎった。武力・精神力共に信頼できる者をより多く手の内につくっておく事は、必要な事なのではないかと思ったのだ。
「幸衡、よくやってくれた。」
「いいえ。恭くんのためならば、この幸衡どのような死地にでも赴く覚悟。」
取って付けたように褒める恭に対し恭しく礼をした幸衡は、本当にそう思っているように見えた。
「…奥州のため、ですよね?」
「嫉妬か?晋くんは狭量が玉に瑕だな。」
確認するように問う晋に微笑む幸衡は、利と忠を天秤にかける打算を忘れた澄んだ目をしていた。
「ちょっと。恭、俺も褒めてよ。俺だって一人で三人も相手にしたんだからね。褒められても良いと思う!」
「うるさいな、はいはい、偉い偉い。」
ぞんざいに言い捨てる恭に追いすがる晋だったが、恭は目を瞑ったままで無視していた。その様子に、皆は先程までの激戦を忘れて笑った。
「あら、もうこんな時間。義くん、ご飯食べて寝なさい。明日試験でしょう?」
「あ、忘れてた!」
ばたばたと支度に向かった和田親子を見送った。
「義将くんならば合格確実だろう。」
「当たり前でしょ。俺の弟子だよ。」
まだ幸衡に張り合うように言う晋に、弟を見るような優しい笑みを向けた幸衡が頷いた。不意に見せる幸衡の温かさに、晋がくすぐったそうにする様を、恭は嬉しそうに見ていた。
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