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26 羅刹の事

 (しゅう)()(ひろむ)の姿を見るなり気を失ってしまった。恭が飛びかかった時頭を打っていたのかも知れない。否、『昼』の人間があれだけの瘴気に触れれば当然だったのかも。

 「晋は?」

 「一緒じゃ、ない。」

恭が答えると裕は舌打ちをした。

 「やるべき事をやれと、あれだけ…。」

恭は裕が魔物を引きつけている間に修吾を抱えて部屋を出ようとした。すると裕は一振りで魔物を怯ませると、修吾の体を軽々と持ち上げて走り出した。恭もその後に続いて走って行った。魔物の部屋を出た後も、裕は無言のまま走り続けていた。恭はどうすればいいのか解らないまま、その後ろ姿を見つめていた。

 昔のままの背の高い、大きな背中だった。晋の愛した強さを持った、大きな背中だった。

唐突に裕が足を止めると振り返り、修吾を下ろした。

 「やはり出入り口の場所が変わっている。」

裕が言いながら恭を見ると、恭としっかりと目が合った。十年も見ない内に忘れていた顔だと思っていたのに、裕の顔は見覚えがあった。晋とよく似ている、と思った。

裕がじっと見つめていたが何か言おうとする気配はなかった。

 恭は奥歯を噛みしめると、思い切り拳を振り切った。唐突に、拳は裕の頬を打ち、肉の感触より歯の堅い感触が恭の拳にダイレクトに伝わった。体重を乗せた重い拳を、そのまま受けた裕は何歩か後退りしてから恭を見た。

 「気が済んだか?」

 「全然。」

殴られた頬は確かに負傷しているのだが裕の表情には全くその様子が現れていない。恭は、自分の拳の方が痛んでいる気がした。

 「おじさんは、どうして…」

恭が何か言いかけた時、修吾が叫んだ。

 「ヒロさん!」

がばっと起き上ると、じゃれつく犬のように裕に纏わり付き、「ヒロさん、ヒロさん」と連呼していた。

 「やっと会えた、ヒロさん。」

 「シュウ、何故俺の場所が分かった?」

裕の至極妥当な問いに対し修吾は面喰ったように動きを止めたが、しばらくしてのろのろと裕のポケットを指さした。裕は指さされるままにポケットに手を入れ、中から修吾のスマートフォンを取り出した。裕は少しそれを見つめてから、修吾の手にそっと乗せた。

 「怒らないの?」

裕は無言のまま、上目使いで問う修吾のズボンの後ろのポケットに強引に手を入れると、中からクシャクシャになった紙を出した。

 「何それ、レシートの屑?」

修吾が自分のポケットから取り出されたゴミにしか見えないものに興味を示さなかったが、恭が裕の手から奪い取って広げた。

 「これ…探知型。」

紙クズを広げると人のような形をした紙で、中心に的のような模様が描かれていた。

 「それ何?」

 「位置情報・盗聴・盗撮、何でも有りの術だ。こいつに比べれば修吾のGPSなんて可愛いものだ。」

探知系の術は大概逆探知されるリスクを孕んでいるので、こういった単純な方法で仕掛けることはまず無い。修吾が『昼』の人間であるが故のやり方だった。

恭は裕を見た。裕は無言のままだったが、何故裕が修吾にこんなものを仕込んだのか、恭にはまるでキッズ携帯を持たせる親の所業のように思えた。

 「ふうん?じゃあつまりヒロさんもボクの事探してたってこと?」

 「少なくとも、俺達が思っている程無関心じゃなかったって事だな。」

裕が修吾を必要以上に気にしていたのだろうと思うと、恭は無性に確認したくなった。

 「おじさん、シュウが晋に似てるからこんなに気にするんですか?」

修吾は目をぱちくりさせて様子を見ていたが、おそらく状況を把握してはいないだろうと思われた。恭は問い詰めるような目で裕を捕えたまま動かなかった。裕は黙ったままで昏い目を恭に向けた。ゆっくりと、眼玉だけを動かして。

 「アレを人にしたのはお前だ。」

責めるような顔だった。

 「もし、シュウと晋が似ているとすれば、それは恭、お前の存在がそうさせたと言う事だ。」

裕が創り出そうとした羅刹のような破壊者を、ただの人間にしたのは、紛れもなく恭だったと。

 「俺は間違った事をしたとは思っていません。」

 「是非の問題ではない。恭に出会う事は必然だ。器同士が引かれ合うも当然の事。けれど恭は地龍であり、晋は八つ目。不要な契約は主旨を違える元となる可能性がある。お前達の主従契約は、後の苦しみを生むだけだ。」

 「…え?」

 「俺のような苦しみは、不要だった。」

独白のように言うと裕は元来た道を戻り始めた。

 「お前たちはここに居ろ。出口を探して来る。」

恭がまだ何かを言いかけていたが、無視するように裕は去って行った。

 「ちょっと、何の話してたの?全く理解できなかったんだけど。」

 「…俺もだ。」

 「え〜?」

恭は呆然と裕の去った方向を見ていた。修吾は困ったように横目で恭を見ると、歩き出した。

 「おい…。」

 「ヒロさんを追いかける。」

 「待てばいいだろ。戻って来る。」

 「もう待つのは止めたんだ。ボクの方から行かなくちゃ、駄目なんだ。」

修吾は恭が止めるのを聞かずに裕が去った方向へ歩を進めた。恭は仕方なくその後をついて歩いた。



 「出口ってこっちじゃなかったでしたっけ?」

直嗣(なおつぐ)が恐る恐る訊くと、(さね)(ちか)が低い声で返した。

 「お前、方向音痴じゃないよな?」

 「いや、そういう自覚はありませんでしたけど、たった今発症したヤツだったらそうです。むしろそうであって欲しいです。」

 「…悪い、多分それじゃないわ。」

実親は道の前後左右を見渡しながら息を吸い込み、そしてゆっくり吐いてから言った。

 「出口、なくなってるな。」

 「え〜!やっぱりそうですか?そうなんですか?どうしましょう、だって出口ここしか知らないですよ?それが無くなったって事は閉じ込められたって事なんですか?僕達ここから出られないんですか?どうしよう、餓死でしょうか、それともあの魔物に食べられて…わ〜親さん、どうしようどうしよう!」

 「落ち付け。」

実親は直嗣の脇腹を軽く殴ると、直嗣が悶絶の末黙った。

 「おそらく俺達がさっき見つかったから出口はどこかに変更されたんだ。ここじゃない場所に、必ず出口はあるはずだ。」

 「何でそう言いきれるんですか?」

 「さっきの奴にしろ亡霊にしろ、ここから出ないで暮らしてる訳じゃないだろ。実際亡霊は外へ頻繁に出現してるし、さっきの奴に会った部屋は書物だらけだった。外との関わりが無ければああ言う物はないはずだ。」

 「さすがです。」

実親の分析に歓喜の声を上げながら、直嗣は自身の顔を軽く叩いた。

 「じゃあ…。」

直嗣が何か言いかけた時だった。近くで豪快な破壊音がした。何かが転げまわるような、壁を破壊するような音だった。実親と直嗣は顔を見合せてから頷くと、そうっと音のした方向へ向かった。実親が抜刀し構え、直嗣は小さな隠し拳銃を手に納めると、丁度角になっている場所の前で三つ数えた。息を思い切り吸い込んでから直嗣は銃を構えながら角から体を出した。

 すると角の反対側から現れた人影が、直嗣とほぼ同時に飛び出して来た。人影が構えた刀の切っ先が直嗣の首すれすれで止まった。直嗣の小銃も銃口が完全に相手の眉間に当たっていた。

 息を呑んだ。

 「直さん?」

 「す、晋くん?」

直嗣に刀を向けていた人影をよく見ると、よく知った顔だった。直嗣の指は引き金を引く寸前だった。

 「あっぶね〜。こわっ。俺頭に風穴空く所じゃないっすか!」

晋が刀を収めながら言うと、直嗣が深呼吸してから銃を下ろした。

実親も刀を鞘に収めた。実親の目から見て、晋の脳天に風穴が空いたとすればそれは同時に直嗣の首が胴から離れる事を意味しただろうと思った。

 「矢集か、何故ここにいる。ここは地下迷宮だぞ?」

 「あ、やっぱここ地下迷宮っすか。」

とぼけた回答をする晋に直嗣は戸惑いを隠さずに言った。

 「どうして…いや、どうやって来たの?」

晋が亡霊に関与するのは禁止事項であり、現在出入口の場所は不明だ。

 「恭が、ここにいるはずなんです。それで追って転移して来ました。や〜、俺下手なんですよ、やっぱり案の定ズレてますね。」

ズレたとは言うが、空間の捻じれを飛び越えて来たのだから精度は高い方だった。実親はとぼけた態度で自分を下に見せる晋に対し鋭い視線を向けていた。

 「転移してって、どうやって帰るつもりで。」

 「元居た場所に一応座標固定して陣作って来たんですけど、多分無意味かなっと思ったんで、即席で俺の分身作って来ましたんで、恭と合流できれば転移出来るはずです。」

人型に髪の毛をつっこんで術をかけただけの本当に即席で簡易的なものだったが、恭ならばマーカーに出来るはずだった。晋自身はそこまでの実力はないが、恭ならば。

晋がさっぱりとしたうなじを二人に見せつけるようにして言った。長かった襟足の髪の毛がなくなり、軽薄そうだった見た目が少し改善されていた。その代わりに首の傷痕は痛々しく姿を表していたが。

 「わざわざ迎えに来たのか。しかも一人で。」

 「丸腰で何かあったらと思うと居ても立っても居られなくなって。作戦待ちしてらんなくて、来ちゃいました。」

てへっ。と笑う晋の軽いリアクションに、直嗣は魔窟が随分軽く思える気がした。

 「で、親さんと直さんは何でここに?ハイキング…じゃないですよね?」

挑発的に笑う晋のふくらはぎあたりに実親は軽く蹴りを入れながら言った。

 「説明は後だ、恭殿を探すのだろう?行こう。俺達は出口を探している、もし恭殿が脱出手段を有しているのならば渡りに船だ。」

 「親さん、出るんですか?」

 「直、俺達は探索に来ただけだ。敵が俺達の存在を知って出口を隠したんだとすれば、他にも手を講じてくる可能性がある。こうなった以上、脱出を優先させよう。」

 「はい。」

二人を見ながら晋は微笑んだ。

 「やっぱ、命あっての物だね〜なんて。」

晋がくだらない事を言うので実親はもう一発蹴りを入れた。

 そして暫く直嗣が周囲の様子を見てくると言い出し、二人はその場に残った。

実親は現時点で分かっている構造について書き記し、晋はその地図に沿って恭の気配を追ってみる事にした。しかし気配の方角と地図との不一致は明白で、構造は迷宮と呼ぶに相応しいと解っただけだった。直嗣が戻り次第、晋が感じている恭の気配を頼りに進んで見る事にした。

 ある程度方針が固まった頃、実親が唐突に言った。

 「悪かったと思っている。俺自身が実力で成り上がれると信じていたのに、家名で君を蔑んだこと。俺の信念に反していた。」

随分昔の事のような気がした。まだ弁天が生きていた、そして皆鎌倉にいた頃の事だ。

 「意外です。随分変わったんですね。」

 「ようやく最上階の常識を受け入れ始めた所だ。」

一般兵では分からない、最高峰部隊の在り方が。

 「ここからの眺めは雲海ですからね。下からは見えない。」

 「下から雲の上を知らぬように、上から雲の下を知らぬのだ。下から来たので無ければな。」

 「成程。別世界ですか。」

 「本当に。けれど今までの俺を間違っていたとは思わない。再び下へ戻ることがあるなら、きっと俺はまた下の常識に染まるんだろうな。それでいいんだ。」

 「随分すっきりしたんですね。」

 「俺は荷物が多過ぎた。少し下ろしただけだ。君は逆だな。」

 「え?」

実親は晋の首の傷痕を見ながら言った。

 「仮にも恭殿のものだと言うならば、軽率な行いは控えるべきだろう。」

 「俺のどこが軽率なんですか。」

 「君は恭殿の許しなくして死ぬことも出来ない身のはず。捨て身の戦いは、恭殿を軽んじている事と同義。軽挙妄動は主への離反と心得よ。」

 「…そうっすね。」

晋の戦い方は防御に重きを置かない。肉を切らせて骨を断つ、リスクの大きいスタイルだった。直嗣の銃口を頭に当てられた時も、その引き金を引かれる事を防ごうともせず、ただ敵を排除する方を優先しようとしていた。刺し違えても、敵と認識した相手を殺す事を最優先とする価値観の現れ。実親は危険視していた。己が身を軽んじれば、それは他への冒涜となる。そんな当たり前の人間関係を、晋は理解していないのだ。

 「もっと荷物を増やした方がいいのだ。自身の命の価値を、他人との繋がりによって高め、繋ぎとめておかなければ、君は簡単にその身を差し出すだろう。それでは恭殿がかわいそうだ。」

 「かわいそう?」

 「身近な人を失うのは、誰だって辛い。それが犬でもな。」

それが本当に分からない訳ではあるまいに、実親は晋の目の奥を見つめた。その先に居るのは、鬼神と言われた亡霊の遺伝子を継ぐ羅刹が住むのか、それとも恭が心許した友がいるのか。

 「俺を勝手に殺さないで下さい。」

 「ふっ。殺しても死なぬような顔をして。だから君は駄目なんだ。」

 「何ですかそれ。」

 「少しは相手の立場に立ってみろ。心配するのも楽じゃない。」

 「それは今回身に沁みましたよ。」

恭が勝手に突っ走って行ってこれほど困った事は無かった。いつも思い付きでフットワークが軽くて、何でもやってみないと気がすまない実験好きの好奇心を抱えていたが、ここまで危険な事態に陥った事があったろうか。いつだってそれなりに退路は用意していたし、臨機応変に対応できるだけの自信があった。けれど、こんな突然、不用意に、まして丸腰で一人で。正直晋は不安が胸の中で膨張するのを抑えきれないでいた。

 「主なくして犬に帰る家は無いですからね。」

実親は晋のつぶやきに焦燥のようなものを感じ取ったが、きっと本当の意味では実親の言葉を理解してはいないように思えた。どうせ、空の犬小屋を見る主の虚しさなど考えもしないのだ、と。

 そんな話をしていると、直嗣が戻ってきて別の道を見つけたと言ってきた。実親の地図で確認すると、晋が感じる恭の気配と同じ方角だったので行ってみることにした。



ゆらゆらと揺れる蝋燭の火に照らされながら、二つの人影が揺らめいた。

 「何故出入り口を変えた?」

裕が言いながら男に近づくと、男は本のページを捲りながら答えた。

 「ゴキブリが出たんや。駆除しよ思てな。出口塞がな逃げられてまうやろ。」

 「…駆除?」

 「害虫駆除言うたら、殺虫剤撒くに決まっとるやろ?」

裕は躊躇いがちに息を飲み、そして言った。

 「あの化け物の瘴気を撒くつもりか?」

 「化け物とは失礼な呼び名やな。俺の可愛いペットやで。大昔から戦で死んだ無念な残骸を飲み込みながら膨張してきたよってな、あれが放つ瘴気は猛毒のガスみたいなもんや。こんな穴倉に入って来よる害虫くらい、ひとたまりもないわ。」

 「…待ってくれ。今はまずい。」

 「何?まさかヤツメくん、お友達招待したんちゃうやろな?」

 「俺の意志ではない。だがすぐに外に出す。だから少し時間をくれ。」

 「あかん。もう出入り口は移動させた。それに、此処は『一度入ったら生きて出られない♪』がキャッチコピーなんやで?嘘はあかんな、嘘は。」

男の人を食ったような態度に対し、裕は舌打ちをするしかなかった。

 「せや、ヤツメくんが害虫をどうしても助けたいんやったら、急いだ方がええで?さっきヤツメくんが刺激したさかい、ペットが暴れ始めたで。」

 「何?」

 「外敵を排除しよ思て、ものっ凄い瘴気を吐き始めたわ。ま、元々やってもらおう思とったさかい、俺は構へんのやけど、ヤツメくんには都合が悪いんやろ?あれに飲まれたら一生悪夢の中から出て来られへんやろな。亡者の怨念が体を蝕んでいく恐怖に飲まれて死ぬんやろな。狂っていく所が近くで見られないんがホンマ残念やで。そう言えば昔、(みなもとの)悪源(あくげん)()(よし)(ひら)があの瘴気の中で死んだ事があったな。あれは見ものやったわ。」

裕は愉快そうに笑う男に掴みかかった。

 「何を考えている。あそこには…。」

 「心臓の器があるなぁ。せやけど、心配なんは器なん?」

男は理解していた。恭が、晋が、修吾がこの魔窟の中にいる事を。解っていて殺そうと言うのか。裕は男のにやにやとした顔を見ながら、内なる羅刹が立ち上がろうとするのを抑制していた。今ここで男を殺すことは解決にならない。

 「っ…。」

 「早よせな、かわいい息子が死んでしまうで?」

裕に睨まれたままでなお、全く臆する様子のない男はまだ挑発をやめない。

裕は突き飛ばすように男を放すと、走りだした。その床中、壁中に陣を描きなぐったような不気味な空間から、全速力で走りだしたのだった。



 実親は直嗣が壁に触りながら歩くのを後ろから見ながら、相変わらず気味の悪い壁に嫌悪しながら歩いていた。直嗣が見つけてきた道は、元いた道より幅が狭かった。元の道をメインロードとするならば、脇道のようなものだろうか。三人は一列になって周囲に警戒しつつ進んだ。

 「この変な壁と言い、変な空間と言い、完全に管理してる人に掌握されてるって感じですよね。監視されてると考えておいた方がいいんじゃないですか?」

 晋が緊張感のないもの言いで言うと、直嗣が泣き声で反論した。

 「ちょっとー!じゃあ何やっても無駄じゃないか。向こうにしてみたら、飛んで火に入る夏の虫なんじゃないか。」

 「絶対絶命、四面楚歌、五里霧中、魑魅魍魎、風前の灯、背水の陣って感じですね〜。」

取り乱す直嗣に、晋は明るい声で返した。晋の嫌な言葉の羅列に直嗣は身を震わせた。

 「初めから分かっていた事だろ。虎穴に入らずんば虎子を得ず。鬼が出るか蛇が出るか分からないにしろ、覚悟を決めて来たはずだろ。武士たる志があるなら今更尻込みをするな。」

実親が一喝すると、直嗣は顎を引き前を見た。

 「そうでした。すみません。」

 「矢集、君は危険を愉しむような不謹慎な態度を取るのをやめろ。」

直嗣が黙って進むと、実親は後ろを歩く晋を睨みつけた。

 「え〜、俺っすか?でもこれが俺のスタイルなんで。親の教育が良かった所為か、危険が高まると興奮しちゃって。」

 「悪趣味な。笑うな。」

 「反射ですって。恭が心配なのは本心なんですけど、条件反射って自分じゃどうにもなりませんよね。」

晋は両頬を触りながら答えた。確かに頬の筋肉が上がっているな、と思った。

 「危険が高まるとってあたりが恐いよ。つまり晋くんが笑ってるって事は危険な状況って事でしょ?」

 「あれ?俺の表情筋をそういうパラメーターにします?新しいな〜直さん。親さん、俺、役に立てそうですよ。」

 「立つか!緊張感がなさすぎる!」

実親が二人の頭を刀の鞘で殴った。晋は「脳細胞が…。」と呻いていたが、「君に死滅して困る程の脳細胞があるとは思えない。」と実親は相手にしなかった。

 「お二人共、どこかに出ました。」

直嗣が言って、道の先を見ると、そこは大きな空間だった。三人が歩いて来た道の出口は、大きな空間の五階くらいの高さにあたる場所だった。吹き抜け構造のように、壁に穴が無数に空いており、それぞれが脇道のようにどこかへ続いているようだった。

 「広いけど…よく見えませんね。霧でしょうか、もやもやして…。」

直嗣が言いながら身を乗り出した。空間は灰色の雲のようなものが風もないのに浮遊しながら晴れたり曇ったりを繰り返しており、下の様子がはっきりとは伺えなかった。

実親は既視感があった。

 「直、これは始めの場所だ。」

 「え?あの魔物のいた部屋ですか?」

 「ああ、間違いない。見ろ、俺達はあの扉から入ってきた。」

実親が指さすと、晴れ間から大きな出入り口が見えた。

 「…て事は、このもやもやしたのって、魔物ですか?」

 「…あれはとんでもない瘴気を纏っていた。おそらくこの中に本体があるんだろう。」

二人が少し後退りしながら話していると、後ろから身を乗り出して晋が訊いた。

 「何ですか、魔物って。」

 「催眠術で誘拐された武士達がいたでしょ?あの人達、軍備増強に使われてたんじゃなくて、魔物に食べさせるために連れてこられたらしいんだ。」

 「え?じゃあ父さんが集めてたのって、この黒靄の餌って事ですか?」

眉を顰めながら覗き込む晋の「父さん」という単語に、二人は言葉を失った。亡霊は、晋の父親だった事を失念していた。

 「晋くんは、ここでお父さんに会っちゃったら…どうするの?」

直嗣は躊躇いがちに訊いた。疑惑ではないけれど、敵対することになった肉親がどうするのか訊いておきたかった。言いながら不思議な感覚がした。直嗣が裏切っているかも知れないと思った時の仲間達も、同じように不安を抱いたろうかと。

 「どう…するんでしょうね。正直、分からないですね。でも、俺の目的は恭を連れて脱出する事ですから、関係ないって思いたいです。」

困ったような笑い方だった。

 「君は本当に愚かだな。」

実親が晋を見ずに吐いた声は侮蔑に似た音だった。晋は笑顔を消して実親を見下ろした。

 「君の話を訊くに、脱出するのは恭殿の力頼みなのだろう。君が連れて脱出するのではない、我らを連れて脱出して頂くのだ。」

 「…そこ?」

 「放置出来ぬ間違いだった。」

 「そっすね。恭がいなきゃダメですね。」

二人の間の空気が何となく和らいで、直嗣は少し肩を撫で下ろした。

 「恭の気配、近いです。」

晋が壁に爪を引っ掛けるようにして体を支えると、限界まで身を乗り出した。晋の目は恭の持つ固有の波長を探すような動きでじっと出入り口の方を見つめていた。

 「あそこだ。」

晋はつぶやくように言うと、穴から飛び出した。

 「え…。」

直嗣と実親は何十メートルあるかと思われる高さから突然飛び降りた晋に唖然として見下ろすと、晋は空中に箱型結界を展開させ器用に足場を作りながら下まで降りて行った。

 「あんな使い方初めて見ました。すごいですね。」

 「追いかけようにも真似できん。」

一人で行ってしまった晋を見送るしかなく二人はその場で状況を見守っていた。すると、雲のように浮遊していた魔物の様子に異変が起こり始めた。雲を吸収し始めたため、靄のように部屋中に立ち込めていた視界の悪さが改善されてきたのだ。

 「なんでしょう…。」

 「あれを見ろ。」

直嗣が不安気に見渡すと、実親が指さした。先には恭の姿が見えた。晋が着地した場所から少し離れた場所だった。雲の変化に気を取られている内に、出入り口から入ってきたようだった。恭は先を行く人の後をついて歩いているようだった。数メートル先に晋がいる事にまだ気が付いてない様子であった。

 「良かった、会えそうだな。」

実親が少し安心したように言うと、直嗣が実親の肩を掴んだ。

 「親さん、あれ何でしょうか?」

直嗣の目は、雲を吸収した魔物が下の方からどす黒い気体を発し始めているのを見ていた。墨を気体にしたような、何か禍々しいものが床を侵食するように充満し始めていた。

 「あんな濃度の瘴気に当たったら…。」

逃げろ、と叫ぶ暇もなく晋も恭も瘴気に飲まれて見えなくなってしまった。



 魔物が放つ瘴気がすべてを飲み込もうとした時、晋は恭を見ていた。黒い気体が形を変え、醜い亡者の手となって恭を掴み引きずり込むように見えた。

 「恭―――!」

叫んだ声は闇に飲まれて音にならず、晋を包んでしまった。


 恭は、迫る瘴気に当てられたのか再び気を失った修吾の体を抱き締めると、何とか障壁となる結界を張った。けれど相手は実体のない思念のようなもの。高濃度の邪気が悪意が、恭の作った壁のあるばずのない隙間から忍び寄って来た。闇は何かをささやいていた。その声を聞いた途端、意識の無かったはずの修吾が暴れ出した。「殺してくれ、殺してくれ。」と声にならない叫びを上げながら暴れ、恭はそれを何とか抑え込むように抱き耐えていた。しばらくすると結界内の空気が闇に包まれ、修吾は糸の切れた人形のようにパタリと動きを止めてぐったりとしてしまった。恭は成す術なく修吾を抱き締めたまま闇の中を見た。

 そこには幼い少年が恨めしそうに立っていた。

 恭のよく知る顔だった。

 「…俺…?」

幼い顔をした、自分との邂逅。

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