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133 瑠璃虎尾の事

――――キンっ

聞いたことのある音がして目が覚めると、視界は知らない和室だった。床の間に置かれた香炉がやけに異彩を放っていて、音はあの香炉からしたのだろうと在仁(ありひと)には分かった。

 「(あるじ)、目が覚めたのか?」

話しかけられて視線を移すと、真横に白蓮(びゃくれん)が座っていた。

 「ここは?」

そう言えば先ほどまで養殖場討伐をしていたのだったと思い出し、その前は工藤家を断罪していたのだと思い出した。変な一日だなと呑気な感想を抱くと、そんな一日ももう終わるなと気が付いた。

 「一旦工藤の屋敷で休ませてもらっている。今現場確認中だが、もうすぐ処理班が来るはずだ。そうしたら撤収になる。今茉莉(まつり)が状況を確認に行った。」

あれから然程時間が経っていないと分かり安堵した在仁に、隣にいた紅葉(もみじ)が確認した。

 「葛葉(くずのは)様、お加減はいかがですか?」

言われてから確認するようにゆっくりと起き上がると、頭がずしっと重かった。座ったまま項垂れるように頭を落とすと、斬首を待つ下手人のような姿勢になった。

 「…主、ゾンビみたいな顔をしているぞ。」

下から見上げている白蓮が心配そうにした。在仁は力なく笑ってから両手で顔を覆った。

 「…ゾンビとはこのような気分なのでございましょうか。これが、死してなお生きる異形の苦しみ…。」

憂入るように言うので、白蓮は申し訳なさそうに紅葉を見た。紅葉はそれで在仁の体調が決して良くないと分かった。

顔を覆ったままで動きを止めた在仁に、白蓮が言った。

 「主、無事か?主の体の調子は本当に二日酔いなのか?とてもそうとは思えないぞ。」

 「確かに…茉莉様の血は術力の相性が良いはずでございますので、酔っ払いはしても、ここまで体調が悪くなる事は考えにくく…。」

覆った手を通してくぐもった声が返ってきた。その声が憔悴していた事で、紅葉が言い難そうに訊いた。

 「葛葉様、今回はもう奥州に帰りませんか?慰問の予定が残っている事は分かっていますが、無理をしてする事でもありません。皆分かってくれますから、また今度にしませんか?」

工藤の裁定は終わり、在仁が待機拘束される理由はなくなった。体調が回復すれば予定を消化できるが、そうでないならば帰る方が良いだろう。

 「…はぁ…。」

是とも否ともしない在仁の吐息に、白蓮と紅葉は困ってしまった。

 「どうして俺はいつもいつもこうなのでございましょうか。しっかりとお勤めを全うすべく尽力させていただいているつもりで、結局は上手く参りません。皆様のご期待に副う事も適わず、情けないばかりでございます。そもそも、俺が媚薬などを飲まなければこのような事にはなりませんでした。全ては俺の脇の甘さが招いた事に外なりません。そして大体がこうして体に不調をきたしご迷惑をおかけするばかりでございます。本当に、どうしてこう、俺は愚かなばかりで成長する事無く、毎回皆様のご好意で何とかしていただいて…毎回反省はすれど生かされず、一体何時になりましたら俺はまともな大人になれるのでございましょうか。」

元々今回の和田家訪問は、後ろ盾となって貰ったお礼をしに来たのだ。その一環として慰問があった。困窮を脱したばかりの和田家はまだ大変だろうに、温かく在仁を歓迎してくれて、お礼のつもりが返って貰うものばかりであるように在仁は感じていた。それが故に、より和田家の力になるべく、今回のスケジュールを心を込めて向き合って行こうと思っていた。そして喜んでもらえるならば、どんな事でもしたいと思い、今後も和田家に寄り添って行きたいと思うようになっていた。そんな折、すべてをぶち壊しにする、工藤の愚行。だが、そんな愚かな罠に嵌るのは、在仁にも責任があると思った。清め人であるという責任や立場に対する自覚がまだまだ足りていないから。それを思えば、やはり未熟であり、愚かであると自覚するしかない。そんな在仁の所為で、多くに迷惑をかけたことはあまりに申し訳なかった。すべての決着がついたと分かった今、ようやく肩の力を抜くと、溜め込んでいた全ての自責の念が止めどうもなく溢れて来た。

 「あ…主?」

 「葛葉様…?」

突然反省を連ね始めた在仁に、白蓮と紅葉が狼狽した。

そこへ、茉莉が晋衡(くにひら)義将(よしまさ)を連れて戻って来た。

 「在仁起きてる?撤収前に…どうしたの?」

三人は、顔を覆って項垂れる在仁を見てぎょっとした。紅葉は困った顔で縋るように三人を見て、白蓮が困惑気味に言った。

 「主が闇落ちした。」

 「はぁ?」

意味が分からず三人が見下ろすと、在仁はまだ続けていた。

 「武士としても男としても足りぬ者でございますれば、せめてこの後は清め人として一人前にならんと努力しておりますつもりでございました。しかし、それも足りぬばかりで心苦しく思われます。如何にお心広くお優しい皆様でございましても、このような俺ではいつか愛想を尽かせておしまいになられます。これ以上皆様を失望させてはなるまいと思ってはおりますが、未熟なばかりで何も変わらず。言い訳の言葉も浮かびません。このような俺では、皆様に合わせる顔がございません。」

ぶつぶつと言う言葉を何とか拾うと、三人は怪訝な顔で目を合わせた。それから茉莉は項垂れる在仁の腕を掴んで引いた。

 「在仁、そんなことないよ。来て。」

無理矢理引き起こされて立った在仁が、覚束ない足取りで茉莉に連れられて部屋を出て廊下を行くと、縁側から広い庭に繋がっていて、そこには七曜隊が整列していた。先頭には(すけ)(なが)(はる)(おみ)がいて、皆無傷ではないが大きな怪我をした者もなく精悍な顔つきで並んでいた。

 「皆様…。」

その頼もしい姿に、在仁が顔を上げた。茉莉がその腕を支えて言った。

 「撤収の前に、皆が在仁に会いたいって。」

言われた在仁は、しっかりと全員を見渡した。その凛とした頼もしい姿は、誇り高い(つわもの)そのものだった。

苦境を乗り越えて笑う強い心を持った男たち、そして鬼を斬る勇敢な武士たち。この優しく強い者たちの力になりたいと望みながら、結局は助けられてしまった。在仁はじんわりと涙が込み上げてきた。

 「み…皆様、この度は、俺の我儘にお付き合いくださり、まことにありがとうございました。皆様におかれましては…きっと、複雑なお気持ちであられた事でございましょう。本来でございますれば、皆様にはこの地をお守りになる由など無きところを、御命を賭して戦ってくださいましたこと、どれだけ感謝をさせていただいたとて足りるものでは、ございません。」

ぽろりと零れた在仁の涙を、七曜隊はまるで美しいものを見るような目で見た。そして佐長が一歩前に出た。

 「礼には及びません。我々は工藤憎さの余り我を失っておりました。しかし葛葉様は、我々の目を覚まさせてくださった。葛葉様のお陰で、我らは誇りを失わずに済みました。我々の本来の使命は、この世の均衡を守る事です。その使命と誇りを取り戻してくださいました。そして、辛いお体を押してこのような危険な戦場へ赴いてくださり、自ら清めてくださいました。その強き生き様、まこと感動いたしました。貴方様は、我々の紫微星(しびせい)です。我々を導く光です。」

声高らかに言うと、全員が同時に礼をした。北斗七星を示す七曜隊にとって北極星だと宣言した。中心にして標たる星だと。

在仁は信じられない光景を見るように目を見開くと、自然と込み上げる涙が次々に零れた。そして崩れ落ちるように床に膝を付くと、嗚咽を漏らしながら言った。

 「皆様、ありがとうございます。このような、未熟な俺の事を、お認めくださいました事、本当に、嬉しく存じます。弱くて、愚かで、少しばかりたりとも皆様が理想となされるような聖人になど成れぬ俺を、こんなにも、温かくお受け入れくださり…まことに、皆様のお心に救われております。俺がもっと、しっかりしておりますれば、体調を崩す事もなく、皆様にご心配もご迷惑もおかけすることなどございませんでした。このような情けない俺でございますが、皆様のお心を裏切る事のないよう、励んで参りますので、どうか…この後も、共に戦わせてくださいませ。」

泣きながら顔を上げると、佐長を始め七曜隊もまた涙を流していた。

 「良かったね、在仁。」

隣で茉莉が在仁の肩を撫でると、在仁が茉莉を見上げてから更に号泣し始めた。

 「皆さん、良い人過ぎる…。」

 「それ、在仁が言う?」

茉莉と晋衡が可笑しくなって笑った。だが、晋衡が見ると隣で義将も号泣していて、気が付くと場は男泣きの嵐だった。

 「おいおい、これどうすんの?」

苦笑した晋衡は、何だか嬉しそうだった。


 ◆


 結局、媚薬を飲んで以来断食状態だった事もあり体力の限界だったのか号泣した在仁が案の定気を失い、紅葉に運ばれて帰る事になった。

脱力した人間は重いはずだが、紅葉はいつもより軽いような気がした。

紫紺(しこん)は既に撤収し、残ったのは晋衡だけで、処理班も来た事で七曜隊も全員撤収となった。在仁を抱いて歩く紅葉と、足元に白蓮、隣には茉莉と晋衡と義将、そして警護として志願した佐長と春臣が共に帰路についた。

紅葉に抱かれている在仁の顔色は白蓮が比喩したように死人に似ていて、佐長はこのような体調でよく戦ったものだと感心と敬意を抱いた。

勇敢に鬼に立ち向かう事もさることながら、工藤裁定の場での在仁は堂々たる姿だった。この華奢な体のどこに、あれだけの力が眠っているのだろうかと思う程に強い意志を示した。

 「葛葉様の怒声は、迫力がありましたね。」

工藤に対して在仁が怒りを見せた事を思い出すように佐長が言うと、茉莉と晋衡も同意した。

 「私、在仁が怒鳴るの初めて聞いたわ。」

 「在仁が怒る事自体がそもそも初めてじゃないか?」

普段から怒って良い所でも怒らない。今までも怒りを垣間見せた事もない。二人は思い出すだけで驚きが蘇る。

 「そうなのですか?」

紅葉が問うと、白蓮が申し訳無さそうに言った。

 「主は俺にすら怒った事はない。」

猫にすら、まして蠣崎樒(かきざきしきみ)にすら。茉莉はそれを見下ろしてから付け足した。

 「石川(いしかわ)(あざみ)にすらね。」

どれだけ酷い目に遭っても、誰かに怒りや憎しみをぶつけた事はなかった。

それを聞いた義将と春臣は理解不能を示すように明後日の方を向いた。

 「それは凄い。」

 「うっへー、まじで?」

皆で死人のように気を失っている在仁を見た。そして佐長は敬服するように頭を下げた。

 「ご自分のために怒りを抱かない人なのですね。それならばきっと俺達のために、怒ってくださったのでしょう。」

茉莉はそれならば得心が行く気がした。在仁は怒りや憎しみを抱かないと誓っている。それはきっと自身のための感情で、その誓いはきっと今も守られているはずだ。あの時の怒りは、和田家門の怒りに外ならない。あの時在仁が怒らなければ、きっと和田家門の怒りは収まらずに工藤に向いていた。あの場で八つ裂きにし、養殖場も他部隊に任せたかも知れない。在仁の怒りがなければ、今頃どうなっていただろうか。その事に、皆が気が付いたようだった。茉莉は、そんな佐長を見て笑った。

 「きっとそうです。人のためが大好きな人だから、人のためじゃないと怒れないんだと思います。在仁が和田家のために怒ったんだとすれば、きっとそれだけ和田家を大切に思ってるって事ですよ。」

 「光栄です。」

滅多に開かない感情の扉が開く程に、在仁にとって心許せる存在なのだろうと茉莉は思った。

 「在仁ね、東京に来るのずっと楽しみにしてたんです。皆に喜んでもらいたいって、色々考えてました。皆の理想を壊さないように、イメージ通りの清め人になりきらなきゃって、張り切ってました。だから、本来のスケジュールが崩れてしまった事、凄く責任感じてるんだと思います。きっと誰より残念に思ってるのは、在仁本人です。多分リベンジしたいって言うと思います。本当の在仁は、佐長様や皆さんが思う程やわじゃないし、仕えられるより仕えるのが好きな根っからの家臣気質だけど、心根の清さは本物です。だから、今回の事に懲りずに、これからも在仁の事迎えてください。できたら、ありのままの在仁を、見てあげてください。理想の聖人より、きっと素敵な人だと思うので。」

婚約者のプレゼンに、佐長は破顔した。

 「茉莉様は本当に葛葉様の事がお好きなのですね。」

 「もちろん。在仁は私のものです。誰にも渡しません。」

はっきりと言う笑みは、とても清々しく美しかった。佐長はその笑顔を見て確信を深めたように言った。

 「既に俺達の想像を遥かに凌駕して素敵な方ですよ。」

佐長に同意して春臣が笑った。 

 「そうそ。そもそも清め人って偉くて偉そうなんでしょ。しかも葛葉サマって人は、綺麗な場所でしか生きて行けない希少種だって話だったよね?そんな綺麗なばっかりの人に何言われてもさ、俺達みたいなダークサイドばっかり見てる俗世の人間には何も響かないって話だよ。でも俺達にとっては大恩人でしょ?失礼のないように大事に大事にお迎えしましょうね〜って話だった訳。でも会ってみたらどうよ?全然違うじゃん。俺、葛葉サマの目を見てぞっとしたもん。俺達の誰よりも闇を知ってる深い色してる。この人のどこが綺麗なだけの生き物だって?って思ったよ。そんな人の言う事が説得力ない訳ないっしょ。しかも俺達の事ここまで考えて寄り添ってくれるなんて、俺達が嬉しくない訳ないっしょ。もう俺達全員骨抜きだよ。メロメロです。」

ケラケラと笑って言うが、義将はそれが本心だとよく分かっていると言わんばかりに深く頷いた。七曜隊へ出動命令を出すだけで良いのに、在仁は自身の言葉に責任があると病体に鞭打ってここまで来た。その姿がまた義将をはじめ七曜隊の心を掴んだ。

 「本当にね、メロメロだよね。今度はもっと気楽に遊びに来て欲しいな。僕たちも、あんまり仰々しくしないようにするからさ。」

大袈裟に歓待すれば在仁が空気を読んで清め人らしく振舞おうとしてしまうだろうから。

義将がそう言うと、晋衡は嬉しそうに言った。

 「それは喜ぶと思う。在仁は基本的に理想像を外れない性格してるけどな、でも昔の俺に負けず劣らず陰気な所があるから、和田家のポジティブさで更生してくれると有難い。」

 「はは、晋衡兄ちゃんみたいに?」

 「そ、俺を更生した和田家の手腕で、どうかお願いします。」

おどけて言う晋衡を見てから義将が、佐長と春臣と紅葉を見て笑った。

 「そういうのは特に得意だよね、僕たち。」

 「はい!まかせておいてください。」

 「何事も楽しくなきゃね!」

 「もちろんです。」

ようやくの復興、そして立ち直ってきた所だった和田家が、一気にエンジンがかかってきた。これからが本領発揮だ。

明るく笑う和田家の者たちを見て、奥州勢は心から安堵した。


 ◆


 翌日、在仁はお世話になった和田家に誠心誠意謝罪と感謝を伝えて奥州へ戻った。

予期しない事ばかりが起こり、また予定より長期滞在となった事で、晋衡は仕事が溜まっているらしく(かさね)へ向かった。在仁はたいへん申し訳なかったが、これ以上謝罪を口にしても返って失礼になるだけだと気を遣って口を噤んだ。

それから諸々の確認があると幸衡(ゆきひら)に呼ばれたため、荷ほどきもせずに未だ冷めやらぬゾンビ顔を引きずって藤原本家へ赴いた。

当然のように茉莉と紅葉と白蓮がついて来たが、この三名にも随分と迷惑をかけたものだと自覚した。思えばずっと看病をさせていたように思う。健康な人間の軟禁生活は、不調の在仁よりずっとストレスが溜まっただろうと思うと、更に申し訳なく思えた。

 幸衡と智衡(ともひら)が待つ部屋へ入ると、中には宇治山(うじやま)が恐い顔をして待ち構えていた。それを見た在仁が一瞬震えてから、茉莉と紅葉に言った。

 「俺、しばらくこちらにおりますので、お二人はご自由にお過ごしください。お迎えに来られるまで大人しくしておりますので、ご安心ください。」

言われた茉莉と紅葉が、在仁の主治医とも呼べる宇治山の存在を見てから納得したように頷いた。何故いるのかは分からなかったが、医療術者がいるならば安心だと思ったようだ。そして二人でストレス発散に体を動かして来ようかと話ながら出て行った。もちろん智衡は茉莉をひとしきり抱擁してから見送った。

 「色々あったようだな。晋衡と知将(ともまさ)殿から報告は受けている。体が回復していない所悪いが、確認したい事があってな。と言ったものの、酷い顔色だな。大丈夫なのか?」

一目で具合が悪いと分かる見た目に、宇治山の鋭い眼光が向けられた。怯んだ在仁が足を止めたが、幸衡が視線で座れと言うので丁寧に礼をしてから座った。

 「はい、何とか。」

部屋は二人掛けソファが向い合せに置かれており、その間にローテーブルがあった。幸衡と智衡が並んで座っていたので、当然在仁が座った場所は宇治山の隣だ。宇治山のもの言いたげな視線を食らいながら座った在仁の膝に、白蓮が当然のように座った。幸衡はそれをじっと見つめていた。すごく猫を見ているな、と思いながら在仁が幸衡を見ていると、隣から宇治山が口を開いた。

 「葛葉くん、何で俺がここにいるか、分かってるよね?」

 「…宇治山小隊長様、ご無沙汰しております。えっと、俺に会いにお越し下さったのでしょうか?あはは…。」

 「笑うな。」

 「すみません。」

ぴしゃりと言った宇治山に、在仁は口を閉じた。宇治山は、黙った在仁の腕を掴むと脈を計り、診察を始めた。

 「葛葉くん、媚薬を盛られた時の対処法が、茉莉ちゃんの血を飲むっていうのは、どういう事なの?馬鹿なの?君が術力酩酊起こしやすいのは自覚してるはずだよね?劇物に劇物合わせて何がしたいの?体壊したいの?自傷行為なの?ねぇ?」

責めるように畳みかけて来るが、在仁は何も答えなかった。これに反論してはいけないのだ。

大人しくされるがままになっている在仁が智衡に視線だけを向けると、智衡が黙ってテーブルに置かれていた紙を一枚差し出した。宇治山の邪魔にならないようにそっと受け取って目を通すと、そこには媚薬の成分分析が書かれていた。

白蓮が背伸びして一緒にそれを見ていた。二人で上から順番に目を通していくが、そんな専門的なものを見ていても理解は及ばなかった。だが、ちらりと視線を向けた宇治山が言った。

 「言っとくけどそれ、マジでやばいやつだから。葛葉くんがお茶を全部飲んでたら致死量だから。」

 「「えっっ!!!」」

在仁と白蓮の声が同時に驚きを表した。宇治山は診察を終えて、在仁の体から手を離した。

 「と言う事は、媚薬ではなく、本当に毒…?俺は本当に殺されかけたのでございますか?」

 「いや、成分的にはそういう効果はあるよ。実際媚薬だと思ってたと思うよ。でもその濃度で媚薬はないでしょうよ。媚薬の入手ルートは妻の方だったみたいだから、ヤバイ代物が出て来てもおかしくない。とにかく、君が思ってる程軽い出来事じゃなかったって事だよ。」

工藤の妻は本物のテロリストで、少し話しただけでもとても正気とは思えなかった。滅ぼすつもりの和田家を救った清め人や奥州を憎く思っていたようだったので、殺そうとしたとしても疑問は無かった。だがそうだとすれば、あの裁定で公表された事は本当に嘘偽りのないものだったという事だ。

 「…俺、何も存じ上げず…。」

 「葛葉くんが寝ている間に、俺東京まで行って診察して検査したんだけど。まぁ、葛葉くんは酩酊状態だったし、皆余計な事は言わなかっただろうね。」

そう言えば、謎の媚薬を飲んだのに医者に診せなかったなと今更気が付いたが、そういう事だったのかと在仁は思った。ようやく留守だった思考回路が戻りつつあるが、酩酊中に何を言われても意味はなかっただろうと思えば、宇治山の来訪を知らなくても仕方がなかった。

 「それは、ご足労をおかけし、大変申し訳ございません。」

丁寧に頭を下げて気が付いたが、最初の「何で俺がここにいるか、分かってるよね?」とはそれを確認していたのだろうかと思った。未だにいつもより反応にキレのない在仁を見た宇治山が、在仁が持っていた成分表を奪って言った。

 「葛葉くん、君、瘴気耐性もあるけど、毒への耐性もあるよね。お陰で術力酩酊と見分けがつかない程度の不調で済んでるけど、これ、俺が飲んだら危篤だから。」

紙を指で弾いた音が部屋に響いた。

 「わお。」

間抜けなリアクションしか取れなかった在仁に、宇治山がイラっとした。

 「ふざけんなよ。猛毒飲んで酒飲んでんじゃねぇ馬鹿たれが!死にてぇのか!殺すぞ!」

 「ごめんなさい。」

未だかつてない怒りをぶつけて来たので、在仁は肩をすくめて謝った。そこへ幸衡が口を出した。

 「宇治山、そのくらいにしておけ。それで、葛葉の具合はどうだ?」

 「…見た目通りですよ。大人しくしてれば自然に回復すると思います。けど、水分はちゃんと採っているのか?体に残っている毒を排出しないと良くならない。今の君は二日酔いではなく、毒による不調なんだ。自覚しなさい。君また痩せたよね、もしかして絶食してる?いい加減にしないと監禁するよ。」

監禁とは入院の意だろうか。宇治山の波形が結構マジだったので、在仁は怯えて言葉を失った。

そして智衡が白蓮を睨むように見た。

 「これからは奥州の外で食事をする時は白蓮に一度確認させろ。猫の嗅覚なら異臭がすれば分かるだろ。」

 「確かに、今回も一口で済みましたのは白蓮が違和感に気が付いてくださった故でございます。」

 「任せろ。」

白蓮は胸を張った。実は今回の事で白蓮は命の恩人となっていたのかも知れないと知った在仁は、感謝を伝えるように白蓮の背を撫でた。そこへ白蓮が首を傾げた。

 「だが…(あるじ)に媚薬ではなく毒だったと教えなかったのは何故だ?」

在仁は今の今までただの媚薬だと思っていた。だが思えば確かに茉莉の血液による術力酩酊にしては体調が悪すぎた。晋衡はこの事実を知っていたはずだ。何故隠して裁定の場に臨ませたのか。すると智衡が呆れ半分怒り半分の微妙な表情を見せた。

 「工藤親子が本当に媚薬と思い込んで毒を仕込んだと知れば、在仁は工藤親子を被害者と認識して裁きに手心を加えるだろう。それを避けるために、本当の事は伏せたんだ。」

 「確かに、主ならばやりかねん…。」

白蓮が見上げると、在仁にも心当たりがあるらしく苦笑した。在仁に伏せるという事は、芝居の下手な茉莉にも伏せるべきだし、常時傍にいる紅葉と白蓮にも話す機会はなかったという事だ。おかげで見事に全員が軽く見ていたという訳だ。

 「ちゃんと療養してるなら伏せておいても良いと思ったけど、葛葉くんときたらただの二日酔いだと思って無茶してるみたいじゃないか。」

ギロっと睨んで来た宇治山にビクっとした在仁だが、討伐参加は晋衡の許可を得た正当なもののはずだ。責められる覚えはない。だがそうと言える空気でもなかった。

 「申し訳ございません。この後は大人しくしております。」

何もかも上手くいかないものだと、再び去来する無力感を抱きつつ在仁が重い頭を下げた。その弱った姿に、宇治山は嘆息すると肩に触れて労わるように撫でた。こうして皆に心配をかけていたのだと自覚した在仁が反省の色を示すと、幸衡は話を切り替えた。

 「確かに予期せぬ事が起こったが、結果としては上々と言えよう。葛葉は自らの言葉で工藤を断罪し立場を示した。そして和田家の心を掴んで七曜隊を掌握したのだから。今回の事件は司法局の立ち合いの元で裁定され、工藤の身柄はそちらに移送された。近い内に全てが白日に晒される事となろう。また一つ、足場を固めたな。」

 「ただの訪問がこうして大きな利を持ち帰る事になるのだから、まったく在仁はいつもやってくれるよな。」

幸衡と智衡はこの結果にとても満足だと言わんばかりに褒めて来るが、在仁は複雑だった。

 「どれも俺の意とした所ではございません。むしろ、トラブルメーカーなのではございませんか?」

 「主は不可避のトラブルが多いのは確かだが、すべて自力で解決しているではないか。」

 「まさか。すべて皆様のご尽力あっての結果でございます。俺など、毎回じたばたとみっともなく足掻いているばかりでございます。まこと情けなきことでございま…す。」

滅相も無いと否定して感謝を口にする在仁に、皆は謙虚な事だなと思っていると、在仁が気を失うように脱力した。驚いた白蓮が見上げると、宇治山が落ち着いた様子で在仁の肩に触れた手を離して、在仁をソファの背にもたれさせた。

 「主に何をした?」

 「眠らせただけだ。これ以上自主療養に任せておけない。しばらくは本家に預かってもらう。」

宇治山が労うように触れていた手は在仁を眠らせるための術をかけていたのだと気が付いても、既に在仁は夢の中だ。白蓮は不安げに見上げていると、智衡がやってきてその体を抱き上げた。

 「安心しろ。何もしない。不安ならば見張っていればいい。」

 「当然だ。」

絶対に離れない構えの白蓮を見下ろした智衡が、僅かに目を細めた。

 「お前も、ご苦労だったな。」

 「(あるじ)程ではない。」

言った白蓮の尾が揺れていた。

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