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131 唐桃の事

 どういう事だ。

工藤(くどう)は焦っていた。

 昨年の百鬼の一件で弱体化した和田家が、清め人の後ろ盾となったと聞いた時、耳を疑った。だが、その立場を得てから和田家は奥州との繋がりを使って急速に復興を進め、今ではすっかり持ち直している。家門ばかり大きいだけで、大した功績もないまま先祖代々の土地と役割を守っているのみの和田が、昨今急激に変化している時代の流れについていけるはずがないと思っていた。人が好いだけの当主に、体躯が良いだけの部隊、取り立てて優れたところのない一門である故、いずれは衰退するに違いないと思っていた。工藤は坂東の中の自身の守る小さな所領をより広げ、いつかは坂東武者に名を知らぬ者のない程の地位を手に入れてやろうと思っていた。それ故に時勢に重きを置き、攻め時を読んでいた。いつか和田の足元をすくって、あわよくば和田が持つ領地も役割も掠め取ってやろうと。

 それがよもや清め人を手中に収めたなどと、青天の霹靂だった。しばらくは現実を受け入れられなかったものの、その内にむしろこれは好機ではないかと気が付いた。和田家が清め人の後ろ盾であるならば、清め人は和田家に現れるはずだ。奥州にいては一生機会が訪れないが、坂東に来るならばそこに工藤が清め人に関わるチャンスはあると。挨拶をして、関わりを持つ事が出来れば、上手く懐に入る事が出来るかも知れない。和田家のある事ない事吹き込んでやれば、工藤の元へ流れて来るかも知れない。そう思った故に、密かに娘を和田家に送り込んだ。和田家の内情が分かれば策も立て易い。そうして娘からの情報で、いつ清め人が和田家を訪れるのか、そしてどのようなスケジュールで行動するのかが分かった。

 工藤は清め人という人間より、その付加価値にしか興味がなかった。それ故にどんな人物なのかを失念していた。意気揚々と慰問先へ挨拶に行ったが、鉄壁のガードで拒絶され叶わなかった。結局遠巻きに見る事しか出来なかったが、在仁(ありひと)は清めの名の通りの聖人ぶりで、見る者皆を気遣うように慈悲深い笑みを向けていた。隣には奥州藤原氏の姫と噂される絶世の美女・茉莉(まつり)がおり、二人はとても仲睦まじい様子だった。和田家とも良好な関係が見て取れ、工藤はこのままではいけないと思った。

 そして工藤は、きっと奥州は茉莉の美貌を使って在仁を手中に収めたに違いないと推察した。とすれば、いくら清め人といえど所詮ただの男だと知れる。ならば方法はあった。和田家に忍び込ませている娘の存在だ。娘はそれなりに器量良しだし、頭も悪くない。美人は三日で飽きると言うのだから、上手く篭絡すれば婚約者の座を奪う事が出来るかも知れないし、駄目でも愛人になれるかも知れないと考えた。多くの権力者が美女を囲うように、清め人もただの男だとすれば同じだろうと思った。

 そこで娘によく効くという媚薬を渡した。それを上手く飲ませて迫れば、既成事実は出来るだろう。それさえあれば、あとはこちらのものだと。

 工藤は翌日の娘からの報告が楽しみで眠れなかった。

 けれど娘は音信を断った。

 そして、何故か在仁が毒を盛られて瀕死だという知らせが届いた。 

 「どういう事だ。」

工藤は全く意味が分からなかった。ただ、とてつもなく嫌な予感だけはしていた。


 ◆


 在仁が東京へ来て七日目の午後の事だ。和田全家門が集合した大きな部屋は、廊下のみならず建物の周りにすら様子を窺う家臣達が詰めかけた。

部屋には七曜隊(しちようたい)に取り囲まれて床に座らされている工藤親子がおり、その正面に和田(わだ)知将(ともまさ)、隣に義将(よしまさ)がいた。傍には司法局からやって来た黒い服の男がおり、この沙汰の行方を静観していた。

 「工藤、自白するなら今だぞ。」

見下ろした知将が言うと、工藤は冷や汗を流しながら噛み付くように叫んだ。

 「何が自白だ!嵌めやがって!和田家は俺を冤罪で消すつもりだ!」

公正公平である司法局の黒服に必死に訴えたが、黒服は無反応だった。工藤は全員がグルなのかと思い、悔し気に歯を食いしばった。隣を見ると、娘がやけに怯えて憔悴した様子でただ蹲っていた。よく見ると、夜這いに行ったままの服装に申し訳程度に上着をかけられていた。それを見て、工藤は娘が現行犯で掴まったのだと理解した。

 「工藤殿の妻は逃亡を図り、現在捜索中です。捕縛次第こちらに。」

七曜隊の隊員が報告すると、知将は頷いた。それを聞いた工藤は、これから裁定だというのに「捕縛」とは、既に罪が確定しているようではないかと憤った。

部屋の中はこれから起こる事を見守る者たちの緊張で張りつめていた。そこへ知将がわざとらしくため息をついてから言った。

 「そうか、言わぬか。ではこちらから説明しよう。」

知将が厳格な落ち着いた声で言うと、義将が手元の資料を大きな声で読み上げた。

 「四日前の夜半、工藤家のご息女が、清め人・葛葉在仁(くずのはありひと)様の客間へ忍び込み、お茶に毒薬を仕込み殺害を試みた。葛葉様は一口で異常に気が付き、幸い一命は取り留めたものの、昨日まで意識が戻らず、現在も療養中である。ご息女の証言によれば、父親である工藤殿の指示によるものとの事。これがまことであれば、立派な謀反である。」

 「馬鹿な!!俺がそのような事をするはずがない!!デタラメを言うな!!」

絶叫するように否定する工藤を、隣に立っていた七曜隊の隊員が無理矢理押さえつけ黙らせようとした。だが知将は片手を上げて制止した。

 「よい。反論があるならば聞こう。」

ここが公正な裁きの場であると言わんばかりの態度に、工藤は苛立った。

 「反論?このような一方的な裁きがあるものか!俺も、娘も、無実だ!こんなものは事実無根!一体何の証拠があって言うのだ!」

声は響き渡り、外まで聞こえた。そこで義将が質問を始めた。

 「ではまず、工藤殿のご息女は、どうして我が屋敷で務めを?」

 「社会勉強のためだ。真面目に働いていたはずだ。何も悪い事はなかろう。」

 「では、工藤殿が葛葉様の慰問先まで乗り込んで来たのは、どうやってそのスケジュールを知り得たと?」

 「…それは、たまたま耳にしたのだ。」

 「慰問先ならまだしも、休憩場所を?それは機密情報だ。知るはずがない。ご息女から情報を得ていたのではないのか?」

 「違う!!偶然だ!慰問先を知り得れば、休憩場所の見当くらいつくだろう!!」

工藤がしらをきる事くらい初めから分かっていたように、義将はそこで追及を止めた。工藤は逃げ切ったと思ったのか僅かに口角を上げた。

 「だが、工藤殿。ご息女は現場で取り押さえられている。現行犯だ。これについては如何に?」

言われた工藤がキッと睨むように見ると、娘の肩が跳ねた。やはり現行犯だったと分かった工藤は、どうしたものかと迷ったものの、すぐに言った。

 「娘が毒を仕込んだという証拠があるのか?」

 「もちろんだ。まず、御息女の持物から同じ毒が見つかっている。そして先程も申したが、自供もあり、工藤殿が指示したという証言がある。」

 「デタラメだ!!娘が勝手にやったのだ!」

叫んだ工藤を、娘が驚いた顔で見た。その目は絶望のような色だった。

 「毒は工藤殿が用意したものだという証言から、そのルートも調べがついている。それでもしらを?」

 「嘘だ!でっち上げだ!!俺は嵌められたんだ!」

完全に状況も物的証拠も押さえられていて逃げ道が無かった。だが工藤が食い下がった。当然だ。ここで負ければ謀反人となってしまう。二度と地位を望めないどころか、二度と太陽の光は拝めなくなる。だが、そこで娘が震える声で言った。

 「酷い、お父様。私はお父様の言う通りにしただけなのに。どうして、私が勝手にやっただなんて言うの?あの薬も、お父様が媚薬だと言ったから、仕込んだのに…。」

 「黙れ!!!」

工藤が怒鳴りつけると、娘は怯えたように口を噤んだ。このまま娘に余計な事を話されては完全に終わってしまうと工藤が焦った所に、黒服がぽつりと呟いた。

 「媚薬?」

その声を聴いた工藤が活路を見出したように目を見開いて黒服に訴えた。

 「そうです、あれは毒薬などではない!ただの媚薬、精力剤ですよ!それを毒薬だなどと騒ぎ立てるなんて馬鹿げている!」

唾を飛ばしながら叫ぶ工藤と真逆の冷静さで黒服が義将を見た。

 「と、言っているが?」

 「ええ、成分はそういったものでした。ですが濃度が相応しくない。葛葉様は元よりお体が丈夫でないという事は周知です。強い興奮作用のあるものを摂取すれば命に関わる事は誰でも分かる事。実際、飲まれたのは一口であるにも関わらず生死を彷徨われた。これが一杯飲み切っていたならば、どうなっていたでしょうか。工藤殿は、後で調べられた時に媚薬だと言って言い逃れするつもりだったのでしょう。本当にあさはかな事です。」

侮蔑の眼差しで言い切った義将を、工藤は信じられないものを見るような目で見上げた。

工藤は在仁が媚薬を飲んで倒れた所を見た訳ではないので、俄かに不安になってきて、隣で震える娘を見た。真偽を知っているのは現場にいたはずの娘だけなのだから。だが娘はただ震えているばかりで役に立たなかった。工藤はまさか本当に媚薬程度に死にかけたのかと動揺し始めた。

 「工藤殿、ご息女が勝手にやられたのではなかったのか?毒でなく、媚薬だと、どうして知っている?」

知将が問うと、工藤はギクリとして口を奮わせた。

 「し、知らない。俺は、清め人様が、体が弱いなどと知らなかったのだ。ただ、折角だから一晩良い思いをさせてさしあげようと…。」

しどろもどろになった工藤に、義将が追及した。

 「工藤家直系のご息女が?」

専門の商売女ではなく。今後正当な政略婚を持つはずの血統の娘に、体を使った接待をさせるのは不自然では?と投げかけられれば、工藤は答えに窮した。

 「どちらにしろ、和田家の屋敷内で工藤殿がご息女に、葛葉様を接待させようとする事自体、大いに問題なのだ。それに媚薬を使用する事は、(はかりごと)に違いない。ましてや、媚薬と偽った毒薬であると判明した以上、これは捨て置ける愚行ではなく、謀反に違いないのだ。」

決定的なまとめを突きつけられた工藤が、怯えながらなんとかまだ逃げ道を模索していると、娘が言った。

 「死にかけてなど、いません。」

ようやく状況を口にした娘を見て、工藤は希望を見た。だが、娘は続けた。

 「私は、見ました。あれは、人では無かった。」

 「…は?」

在仁が飲んだのは媚薬で、死にかけてなどいないと証言するのだと思ったのに、何を意味の分からない事を言い出すのだ?と工藤は冷や汗をかいた。

 「鋭い牙で、私の腕に噛み付いたの!あんなものが清め人であるはずがないです!化け物よ!」

 「…何を言っている?やめなさい。意味の分からない事を言えば、証言の信ぴょう性が無くなる。黙りなさい。」

 「お父様の所為よ!こんな事になったのは!私が化け物に殺されそうになって、しかも化け物の仲間にまで殺されそうになったのよ!!全部お父様の所為よ!」

 「黙れと言っている!!!見ろ、娘がこんなに怯えているではないか!和田に脅されて無理矢理証言したのだ!そのショックで気が触れてしまったではないか!」

二人が激昂し始めたので、七曜隊が手荒に押さえつけて黙らせた。しかし、娘の意味不明な証言の所為で場の空気がおかしくなってしまった。

 そこへ、知将が大きな声で言った。

 「では、本人に聞いてみれば良い。」

ざわざわっとした空気が波のように広まると、上座近くの扉から、ゆっくりと在仁が入って来た。


 ◆


 工藤親子の裁定の場にやってきた在仁は、茉莉と晋衡(くにひら)に介助されてようやく歩けるという様子で何とか中央まで辿り着くと、使用人が持って来た椅子にゆっくりと座り手摺に寄りかかった。茉莉と晋衡は在仁の隣に、後ろには紅葉(もみじ)が立っていて、白蓮(びゃくれん)は在仁の足元に座っていた。押さえつけられたままで工藤が見上げると、在仁は寝間着の浴衣姿のままで、薄い体と細い手足がはっきりと分かり、肌は青白く死人のようだった。椅子にもたれて体を支える姿は、ここにいるだけで精一杯という風に見え、あまりにも儚かった。青白い顔に直毛の黒髪が暗い影を落とし、生気のない唇と細められた闇色の瞳が今にも死にそうに見えた。透けているかと思う程に頼りない姿に、部屋中の者が息を飲んだ。

在仁は工藤に視線を落とすと、憐れむように眉を寄せた。それを見て工藤は、どうしてか間違いなく死にかけたのだと思った。本当にあの媚薬程度で死にかける程に体が弱かったのだと思った。

 この時、在仁が眉を寄せていたのは、部屋の外で待機していた時から工藤の声が頭痛に響いたからだ。そして今日ここまで痩せたのはあれから断食状態だからだ。ついでに歩行に介助を要したのは事実だが二人がかりは大袈裟だった。服装を整えなかったのもただの演出だ。

 「在仁、話せるか?」

知将がなるべく柔らかい声音で問うと、在仁は吐く息にまぜて「はい。」と言った。頭痛の所為で頭を振りたくないだけだ。

 「あの夜、何があったか覚えているか?」

 「はい。お風呂をいただき、就寝前にお茶を頂戴いたしましたところ、妙な感じがいたしました。そこへ、そちらの女性が部屋へ訪ねて参られました。」

媚薬で死にかけたと思い込んでいる工藤は、もう詰んだと思った。

 「どうだ、工藤。白状する気になったか?」

知将が問うと、工藤が項垂れた。

 「違う、殺すつもりなど、なかった。俺は謀反人などではない。」

そう、謀反人ではなくただの下衆な愚か者だ。そんな事は百も承知の知将は素気無く言った。

 「黙れ、ここまで来てまだ言うか。往生際が悪いぞ。」

だがこういう輩の諦めが悪いのは定石だ。工藤は全力の命乞いにシフトした。

 「信じてください!俺は謀反など、全く寝耳に水です!俺はただ娘と関係を持って頂ければ、我が工藤家との繋がりも生まれると思っただけの事、それだけです!」

正直に白状したのだが、その音量が在仁の頭痛には苦痛だった。在仁が我慢できずに顔を歪ませると、周囲が心配するように見た。欲心アレルギーが発症しているのではないかと部屋の中がざわついた。

 「工藤様、もう少し、小さなお声でお話ください。」

弱々しく言うと、工藤はようやく口をきいて貰えたので、何とか食らいついた。

 「俺は殺そうとなどしておりません。本当です!!!」

 「工藤様…お声を…。」

何故小さな声で話してくれと言ったのに、より大きな声を出すんだよっという憤りを抑えて呻くように言うと、七曜隊が工藤を黙らせた。ところが入れ替わりに娘が叫んだ。

 「何が清め人よ!この化け物!皆騙されてるのよ、これは人間じゃない!」

それを聞いた茉莉が動き出そうとした所を、在仁が何とか腕を掴んで止めた。茉莉は納得しない顔をしていたが、在仁は僅かに首を振った。

 「工藤様の御息女様。俺を誤解していらっしゃるようでございますね。」

 「何が誤解よ!鋭い牙を私は見たわ!」

発狂したように叫んでいるので、工藤の様に気が触れたと言えば十分に通用するように見えた。だが、在仁は言った。

 「俺を篭絡する事適わなかったとして、今度は謗られるとは、まこと品性の欠落なさったご様子、残念でございます。」

憐れむような視線を送ると、娘は震えながら恨みがましい視線を返した。

 「例え俺が何者であろうと、貴女がなさった事は、立派な犯罪でございますよ。ご自覚なさってください。」

 「人間ぶって、それらしい事を言わないで!アンタが化け物だって知ってたら、たとえお父様の命令であっても抱かれようなんて思わなかった!私はあれがただの媚薬だと思ってたけど、もし本当にあれでアンタが死にかけたなら惜しい事よ。死んでいれば良かったのに!」

在仁は、やはりどの角度からも反省する様子はないなぁと呑気に思うと同時に、この金切り声親子の所為で頭痛が孫悟空の頭のアレくらい酷いんだけど!と痛みに耐えた。娘の言葉と、在仁のその苦悶の表情を、人々は固唾を飲んで見ていた。娘が言い切って肩で息をしているのを見ながら、在仁は頭痛が少しでも収まるのを待っていると、茉莉が殺気を放ち始めた。これはいかんと思った在仁は頭痛が全く収まらないが口を開いた。

 「俺が龍神様の契約者でございます事は、地龍様のご紹介にて周知の事と思うておりました。」

それを言うと、知将も義将も頷いた。そして部屋中の和田家門の者たちも、まして黒服までもが頷いた。工藤もその言葉は聞いたことがあったが、肩書の一つとしてしか理解していなかったので、ぽかんとして見た。娘は全く知らなかったのかキョロキョロとしていた。

 「工藤様、俺は龍神様と契約し、辰砂を回収するお役目を賜ったのでございますよ。それが故にこの身は人にありて人ではないのでございます。」

部屋中の者もまた、その肩書にどんな意味があるのか理解していなかったため、在仁が語る言葉に真剣に耳を傾けていた。

 「それが証拠の一つとして、確かに牙がございます。なれど、これは龍の牙と呼ばれるものでございますよ。」

龍の牙は地龍当主が持つ刀で、何でも斬れると言われている。地龍の者で知らぬ者はない。皆が驚きを示すように息を飲んだので、在仁は工藤の腹辺りを指さした。

 「試してご覧に入れましょうか?例えば、工藤様の懐にございます小刀、そちらは鋼でございますね?」

 「!!!」

聞いた七曜隊が慌てて工藤を押さえて懐を探った。

 「工藤殿!この場に刀を始め武具の持ち込みは禁じたはず!」

 「離せ!このような場に丸腰で来られるか!俺は無実だ!」

暴れる工藤から無理矢理小刀を奪った七曜隊が、訝しみながら在仁に小刀を差し出すと、在仁はその小刀を抜いた。刃に何も塗られていない事を確認してから、その鋼に牙を立てると、まるで煎餅でも割るようにバリンと音を立てて折れた。それを見た人々が唖然とした。両脇で見ていた茉莉も晋衡もびっくりして見ていたが、何より驚いたのは在仁が小さな声で「本当に割れた。」と言った事だった。行き当たりばったりにも程がある。

そして折れた刀を使用人たちが片付けて行くのを見送ってから、在仁は驚いたまま固まっている娘を見た。

 「牙がございますのは獣か鬼のみと決めつけておられませんか?俺の人外としての立場はこれでも神に類するものでございます。一口に神と申しましても格のお話でございますので、善悪に言及させていただく事は控えさせていただきますが、人としての俺は善たろうと努める者でございますよ。また、俺の身が何者であろうと、俺が清め人である事もまた事実でございます。」

あまりの出来事に誰も何も言えなかった。だが在仁は動じた様子もなく続けた。

 「とは申しましても、何もご存知ない御方がご覧になれば恐ろしく思われる事でございましょう。恐がらせてしまい、とても申し訳なく存じます。」

申し訳無さそうな憂い顔で娘に頭を下げると、在仁は再び椅子にもたれで深く息を吐いた。娘はただただ驚きのままだ。

人々には無理をして何とかこの場にいるであろう在仁を心配する様子もあった。だが在仁が呼吸を整えたのは、刀を歯で折った時の振動がなかなか頭蓋に来たため、頭痛が増したからだ。まぁこれは自爆なので仕方がない。しかしこうなって来ると脳内を浮遊している思考が上手く掴めなくなってくる。とっ散らかりそうになりながら、次は何を言おうと思っていたのだったかなと視線を泳がせた。

 「なれど、この際でございますので、皆様にも俺の事をご承知おきいただきたく存じます。こちらが、龍神様の契約の証でございます。」

言って浴衣の合わせを開くと、痩せた胸に太極図紋がはっきりと見えた。

 「俺には、辰砂を龍脈へ還す使命がございます。俺と共にあるという事は、最後まで鬼と戦うという事でございます。その厳しき道を行く事は、並大抵の事ではございません。」

だが、人々の目を引いたのは太極図紋よりも、その周りにある痛々しい傷痕だった。国宝級であるはずの清め人にあるはずのない、致命傷のような傷痕。それを見た工藤親子が息を飲んだ。その視線の意味に気が付いた在仁が合わせを閉じてから、伏し目がちに言った。

 「俺は旧石川領の唯一の生き残りでございます。現在一級侵犯にてお尋ね者となられた旧石川家御当主(あざみ)様は、今なお俺の命を狙っております。俺を…俺と言う清め人を庇護くださるという事は、薊様から狙われるという事でもございます。」

石川(いしかわ)(あざみ)(うつ)()鴎音(おういん)という一級侵犯の犯罪者が、辰砂を持ち、鬼を造り、(じゃ)を使い、世を乱している事は皆が知っている事だ。つまり、薊から狙われるという事は、鬼から狙われると言う事だ。工藤は絶句した。

 「奥州藤原氏が俺を留め置こうとなされたのではございません。俺が、奥州藤原氏に守っていただいているのでございます。もし、この先、俺の身を欲する御家門様がございますれば、すべての鬼を廃するだけの武力とお覚悟をお持ちいただく事となります。」

それを聞いた工藤は、完全なる己の失策を理解し、成す術無く崩れ落ちた。娘は自身の手に負えないスケールになったため思考を放棄していた。

 「和田家の皆様にも、この先俺の身が御迷惑とならぬ事を願っておりますが…ともすれば、俺は救世主などではなく、疫病神でございましょう。それを思いますと、たいへん心苦しく存じます。」

寂しさを滲ませるように語尾を萎ませた在仁に、和田家門の人々がまっすぐに顔を上げた。そして七曜隊を率いる(すけ)(なが)がはっきりと大きな声を出した。

 「いいえ、葛葉様は我らの救世主です。苦境にあった我らを救ってくださったのは、間違いなく葛葉様との御縁です。その葛葉様が背負われているものを、我ら家門が目を逸らす事などあり得ません。まして我ら、昨年の百鬼の一件にて、石川薊等がどれ程残忍な者であるかを痛感し、そして今後その被害を無くすと固く誓っております。鬼を駆逐し、辰砂を還し、世の均衡を取り戻す事は、元より我ら地龍の使命です。何を臆する事がありましょう。共に戦う覚悟はとうに出来ております。奥州が持つ戦力に比べれば足りぬ事は自覚しておりますが、どうか我らを信じ、共に戦わせてください!」

佐長が言い終わると、和田家門全員が敬意を表すように背筋を伸ばして在仁に礼をした。その誇り高く勇ましい姿に、在仁ばかりでなく茉莉も晋衡も白蓮も驚きと感動で胸が詰まった。在仁の後ろに控えている紅葉も、和田家と同じように礼をしていて、気が付くと知将も義将も頭を下げていた。

 「皆様、まことに、ありがとうございます。」

ぐっときた在仁が涙を堪えた。

場に一体感が生まれ、完全にアウェイ状態になった工藤親子が、もうここからどうやっても状況を覆せないと理解して頭を垂れた。

 「工藤様、人を嵌めようとなさる事は、それ相応のご覚悟を要するものと存じます。」

在仁が工藤を見下ろした。人を嵌める時は、反対に嵌められる危険があるんだよ。と忠告されてももう遅い。

 「貴女様も、欲するものを手に入ようとなさる時、それを貶めるのではなく、ご自身が相応しき身とならんための努力をなさらなくてはなりません。間違った方法では、何も手にする事はできません。」

恐い目にあってなお「化け物」と罵倒してくる娘は、案外と度胸があったが更生可能なのだろうか。在仁は疑問に思いつつも、付け足した。

 「もうお分かりの事と存じますが、茉莉様の美貌が俺を奥州に留めているのではございません。茉莉様は俺が何者であろうと愛して下さる、俺の女神でございます。その女神への忠こそ、俺の生きる慶びに外なりません。例え毒の効果がございましても、俺の熱は茉莉様以外の御方に向く事はございません。今回の事で、茉莉様を深く傷付けられた事は、罪深き事でございます。その罪をご自覚なさり、罰をお求めください。」

冷え冷えとした在仁の視線が娘に向けられると、呆然自失だった娘が目を見開いた。目が合った瞬間、在仁が娘に聞こえる程度の小さな声で言った。

 「化け物にすら見向きもされぬとは、哀れな事でございますね。」

囁くように言われると、娘の自尊心が壊れた。美しく、器用で、それなりの家格で、父親に似て野心がある。その娘のプライドが粉砕して、力無く伏した。

茉莉は在仁のその冷たい横顔を、熱の籠った瞳で見つめていた。


 ◆


 いよいよ裁定も終わろうという時だった。バタバタと大きな足音をたててやってきた七曜隊の隊員が報告した。

 「工藤殿の妻を捕縛いたしました。」

縛られて無理やりに連れて来られた妻は、どのようにして逃亡していたのか汚れた姿だった。

 「離しなさい!この死に損ないどもめ!」

死に損ないという言葉が、昨年の百鬼の案件で生き残った事を指しているのであればあんまりだ。けれどここに来るまでもそうして罵詈雑言を発し続けていたのか、隊員達は全く気にした風ではなかった。

 「お前…。」

工藤が逃亡していた妻を軽蔑するように見たが、妻はまったく目を合わせることもなく顔を背けた。隊員に強引に工藤の隣に座らされた妻は、在仁の姿を見ると乞うように言った。

 「夫のしでかした事に、私は一切関係ありません。どうかご慈悲を。」

眉を下げた在仁に代わり、黒服が妻を見た

 「工藤殿は清め人を殺害しようとした嫌疑がかけられている。このまま罪が確定したならば、一級侵犯に当たるため、一家郎党に至るまで処罰の対象となる。もちろん、配偶者である貴女も。」

 「そんな!!」

絶望の悲鳴を上げた妻が何か言い募ろうとした時だった。

カツンと窓に何かがぶつかる音がした。皆が目を向けると、それは在仁が放った辰砂探知鳥だった。

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