130 花槙の事
東京滞在四日目の在仁の慰問スケジュールが急遽中止になった事で、警護につくはずだった七曜隊や楽しみにしていた者たちが何かあったのではないかと不安になった。だが、その理由は明かされず、在仁も姿を見せる事は無かった。それにより、清き水でしか生きられない虚弱の在仁が体調を崩したのではないかと噂になり、和田家の歓待が間違っていたのではないかと皆肩を落とした。
そうとは知らない在仁は四日目は酩酊状態のまま茉莉の客室で待機していたが、五日目になってもっと警備の厚い別の場所に移った。
在仁はいつまでも赤い顔で胡乱な言葉を発していて、やはり外には出せない状態だった。紅葉と白蓮が見張っているが、別に暴れる訳でもないので基本的に暇な付添だ。茉莉はそれに付き合いながら、たまにやってくる晋衡に状況を確認した。
「こんな警備体制の場所に閉じ込めなくたって、そんなに何度も狙われないでしょ?」
茉莉が晋衡に問うと、晋衡は悪い笑みを向けた。
「ああ、まあな。これはこれから、在仁が毒を盛られて生死を彷徨っていると広めるからだ。」
「ええ?」
確かに一服盛られたのは事実だが、それは媚薬であり名誉には関わるが命に関わるものではないと聞いていた。
「びっくりするだろうな、工藤の奴。媚薬のはずが、猛毒って事になって。清め人殺人未遂の犯人の出来上がりだ。」
「でもまだ捕まえてないんでしょ?」
実行犯である娘は捕えているが、父親の方はまだ押さえていない。
「泳がせてんだよ。ま、まだ媚薬の成分調査の結果も出てないし、その他にも媚薬の入手ルートとか、色々細かい証拠固めがある。」
「やけにしっかり調査すんね。」
犯人は確定しているのだから、適当に裁いてしまえばいいのでは?と茉莉は首を傾げた。
「この際しっかり公にして裁いて貰った方が後に続く者も出ないだろ。」
「でもでっち上げじゃん。」
毒ではなく媚薬なので。
「いやいや、実際あの媚薬結構強いって話だし。それに在仁は体が弱いから、普通の人にとってはただの精力剤でも、在仁にとっては命に関わるものだったんじゃないかなぁ〜。」
「心臓の弱い人は飲まないでください的な?無理矢理すぎん?それじゃ殺意があったって証明できないし。」
あくまで媚薬ならば。茉莉が何がしたいんだよと言う目を向けると、晋衡が悪い笑みを深めた。
「在仁の酩酊状態が明けるまでに証拠固めをして工藤を捕まえる。皆の前で在仁に裁かせようと思ってな。これだけ在仁を心酔している和田家門を全員敵に回したらどうなるかって事を、しっかりと見せつけてやらないとな。」
在仁には和田家が、そして和田家には在仁がついているのだという事を、この際思い切り見せつけてやろうではないかと。
「でも、お父さん。在仁が元に戻るのはかなり時間がかかるんじゃないの?」
「死にかけた設定だから、適当な所で良いんだよ。ちょっとしんどいかも知れないけど、その時だけ頑張って貰えば、あとは寝てて良いから。」
「大丈夫かなぁ。在仁なんて絶対何でも赦しちゃうじゃん。裁けると思うの?」
「…じゃ、いるだけで良いか。」
晋衡は脳内のシナリオを少し修正しつつ、再び出て行った。
茉莉が生死を彷徨っている清め人の様子を見ると、在仁は窓辺にもたれ掛かって空を見ていた。紅葉と白蓮はその傍にただ侍っていた。
流石に退屈だろうと思ったが死にかけている設定らしいので部屋を出る訳にも騒ぐ訳にもいかない。茉莉が在仁の隣に座ると、在仁はほんのりと赤く染まった頬以外は真っ白の肌で、だるそうに窓辺に預けた姿勢の所為で浴衣から覗く腕や脚は、細く見えやけに色っぽかった。
「何見てるの?」
「とり。」
在仁の視線の先には、辰砂探知鳥が飛んでいた。あれが在仁のものだと知っていれば、死んでいないと誰でも理解できるが、と茉莉は一緒に鳥を見た。
「辰砂の気配しないでしょ?」
「…ん。でも頭がぼんやりして、考えがまとまらない。茉莉からもらった術力がありあまってるから、つかった方がはやく治る気がしなくもないけど、だるい。」
「それあんまり関係なくない?お兄ちゃんの血飲んだ時だって使いまくってたけど寝込んだじゃない。」
「あれは相性があわなかったからだと、思ってる。今回のほうが、はやく治るよていなのになぁ。おかしい。」
言いながら在仁は窓から鳥を放った。
「まだ飛ばすの?何で?」
「何か、飛ばしたい。」
飛ばしたいと言って飛ばすのが酔っている所為なのかよく分からない茉莉は、ただその様子を眺めていた。在仁はまた一羽放していた。
◆
翌日、在仁は枕に顔面を埋めたままで動かなかった。
「主!大丈夫か!!」
心配する白蓮に、死にそうな声で答えた。
「おおきな…声を、出さないでください。頭が、いたいです。」
「二日酔いなのか…?」
白蓮が心配してはいるものの、どうする事も出来ないと分かったようで、付き添うように在仁の隣に座った。在仁は動く事も出来ずただ撃沈したままだったが、呻くように訊いた。
「茉莉様は?」
白蓮が見まわすと茉莉はいなかった。紅葉が気遣うように言った。
「葛葉様、茉莉様も休息が必要でしょう。」
酩酊してから在仁は片時も茉莉を手離そうとしなかった。居なくなるとすぐに呼んで、絶対に離れないという強固な態度だった。だが、体調の悪い在仁と違って茉莉は元気なので、この部屋に拘束されていてはストレスだろうと紅葉は思っていた。少しは外の空気も吸わなければ、と。だが、在仁は不満げにした。
「茉莉様を、探して来ていただけませんか。」
うつぶせのまま顔を上げないのでくぐもった声だが、茉莉の不在に納得のいかない様子だ。隣の白蓮は溜息をついた。
「主、茉莉は放っておいてもすぐに戻るだろう。」
「…白蓮。」
我儘を言う子供のように扱おうとしていたのだが、在仁の声音が少し変わった事に気が付いて白蓮は目を細めた。
「お父さんに、茉莉様がいなくなったとお伝えください。」
「…晋衡に?」
白蓮と紅葉が、在仁の意図を理解出来ずに眉を顰めた。
「お急ぎください。」
珍しく強い口調で言うので、白蓮は意味を理解しないままで部屋を出て行った。
紅葉はそれを見送ってから在仁の傍に寄った。
「何故です?」
問われた在仁が、僅かに顔を傾けて紅葉に視線を向けた。頭痛からか眉間に皺が寄っていて目は薄く開かれているだけだった。
「俺に手を出そうとなさった御方を、茉莉様が御赦しになられると、思われますか?」
その言葉を聞いて紅葉は驚いた。
在仁がずっと茉莉を拘束していた理由は、ただの茉莉恋しさではなく、在仁に媚薬を盛って迫った女性を守るためだったのだ。独占欲の強い茉莉が、在仁に手を出そうとした女を赦すはずがない。最悪、茉莉は女性に暴力をふるうのではないかと。
「そんなこと…。ですが、どうして葛葉様を害する者を庇い立てするのです?」
在仁が今こうして苦しんでいる元凶となった者を守る必要はないと紅葉は思った。婚約者である茉莉が復讐をするならばそれも相応だろうと。何でも赦す在仁だが、相応の罰が下るならば認めるだろうと思うと、どうして茉莉を拘束してまで守ろうとするのかと疑問を抱いた。
「お父さんも、お爺様方も、この件をご利用なさって他家を牽制なさる筋書きをお考えのご様子。公になさるおつもりでございますれば、あの女性は重要な実行犯でございます。こちらは飽くまで被害者という正当な立場を主張するためにも、こちらが危害を加えてはなりません。」
「…酔っ払いかと思っていたら、そんな事を考えていたのですか。」
赤い顔で茉莉に甘えてばかりいる腑抜けた在仁に、紅葉は僅か見損なったのだが、その実その態度にも真意があったと知ると後ろめたくなった。
「…分かっております。理想の清め人でない事くらいは、自覚しております。しかし、これが俺でございます。紅葉さんもお早く理想から御目覚めになられ、本来の俺をご覧になって下さると、ありがたく存じます。」
また顔を枕に埋めてしまった在仁のサラサラの髪が乱れているのを見下ろしながら、紅葉は反省した。紅葉がいつまでも理想を押し付けていては在仁が休まらない。紅葉の存在が在仁のストレスになる訳にはいかない。清め人である在仁への理解を深めると共に、等身大の青年としての在仁の事も認めて行かなくてはならないと知った。
「ごめんなさい。」
素直に伝えると、在仁が僅かに息を漏らしたのが聴こえた。力なく笑う様子に、紅葉は心配になった。
「しかし、葛葉様はその実行犯の女性を、赦してしまわれるのでしょう?」
白蓮を赦すならば、他に赦せないものなどないように思えた。在仁は苦しそうに答えた。
「…己の罪をお認めになられるお心がございますれば、赦しは時として罰となりましょう。なれど、己が罪を自覚なさる事適わぬ御方でございますれば、まずはそれを成さねばなりません。それには、痛みが伴うかも…知れませんね。」
工藤もその娘も、やり方が汚い。この罪を素直に認めるだろうかと思うと、在仁は疑問だ。こういう姑息な輩は面の皮が厚いのが定番だ。自分は悪くないと主張するような者は、命乞いだけは一人前だが、拾った命でまた悪事を繰り返す。それでは赦しは別の不幸を呼ぶばかりだ。まずは自分の罪を認める所から始めなくてはならないが、この種類の人間が心から罪を認める事は期待できない。そのためには、少し荒っぽい方法が必要になるかも知れないだろう、と在仁は思った。
それを聞いた紅葉は、在仁という人がただ全てを赦すだけではく、もっと広く深く考えているのだと分かった。
◆
和田家の堅固な地下牢は、見張りが二人立っていたが、茉莉が行くとあっさりと通した。茉莉を通さないように命じられていなかった事に幸運を感じつつ、茉莉は牢の前に立った。中には乱れた髪で顔は良く見えないが女性が一人座っていた。女性は薄いガウンに、卑猥なランジェリー姿で、捕らえられてからそのままの格好だと分かった。茉莉はその服装を見ると、分かり易く顔を歪めた。
「アンタ、自分が何したか分かってんの?」
茉莉が怒りを隠さずに問うと、女性は乱れた髪の隙間から目だけをぎょろりと向けた。
「人のものに手を出す時に、誰のものなのか、確認しないの?」
薄暗い牢の前に立つ茉莉は、暗がりでも全く損なわれる事のない美貌で女性を見下ろした。
現在地龍で最も大きな力を持つ家門である奥州藤原氏の当主幸衡のお気に入りで、重大隊大隊長の愛娘。このお姫様のものに手を出す事の意味が分かっているのかと問うと、女性は吐き捨てるように言った。
「どうせその美貌で骨抜きにしたんでしょう。清め人を留めるために。」
茉莉と在仁の婚約を知った者の中に、茉莉の美貌を使って在仁を奥州に留めたという見解が一定数あった。確かに茉莉はそれだけ美しい。
「アレの婚約者なんて、あなたも可哀想ね。どんだけ強くても結局は女。家のために好きでもない男と結婚するしかない。」
いくら最強に名を連ねる武士でも武家の女は政治の道具だと、女性は自嘲と同情と共感を混ぜて言った。
茉莉は急に何を言い出したのかと訝しんだ。
「でもアレはやめなさい。」
女性が肩を震わせて目を伏せた。そして茉莉に親切に忠告するかのように言った。
「アレは化け物よ。あなただって命の方が大事でしょう。だから、やめておきなさい。」
最後まで言い切るか否かというタイミングだった。茉莉が牢の格子を思い切り蹴って、激しい音と振動が女性に衝撃を与えた。顔を上げて茉莉を見上げる女性に、茉莉は殺意を込めて見下ろした。
「黙れ。」
藤黄色の茉莉の瞳が、女性を視線だけで殺してしまいそうな程鋭く捕らえていた。
「在仁は化け物じゃない。」
辰砂を持つ鬼を単騎討伐する程強い茉莉が放つ圧に、常人が耐えられるはずがない。女性は息も出来ずに茉莉に射すくめられたようになっていた。
「在仁は私のものよ。私は誰の命令でもなく、私の心で在仁を求めた。それを否定する者は、誰であっても赦さない。私の在仁を傷つける者を、私は絶対に赦しはしない。」
茉莉の手が格子を掴んで、その手から冷気が出始めると、格子に霜が張った。そしてそのまま格子全体に霜が付いた頃には、床が凍り出して女性の方へ氷が広がった。
殆ど裸の女性は寒さに震えて、そして茉莉に対する恐怖で身を縮こまらせた。
「誰のものに手を出したか、分からせてあげる。」
冷淡な目が、殺意だとはっきりと分かった。女性は声を上げようとしたが寒さで顎が震えて喉が痺れて、声が出なかった。足元まで迫った氷が肌に触れれば、体が凍り付き死んでしまうだろうと思った時だった。
「やめろっ茉莉!!」
晋衡が突入してきて茉莉を格子から引き離した。
「止めないでっ!こんな奴殺してやるの!」
「止めろって。殺しても何にもならない。」
晋衡に抱きしめられるように拘束された茉莉が一生懸命藻掻いて女性を睨んだ。そこへ茉莉の足元へ白蓮が来て言った。
「茉莉、主が呼んでいる。」
それを言われた茉莉は動きを止めて白蓮を見た。
「お父さんを、ここへ連れて来たのは、在仁なの?」
「そうだ。」
茉莉は泣きそうに顔を歪めて抵抗を止めた。
茉莉は、在仁が茉莉が女性に危害を加えるだろうと考えていたのだと分かった。そしてそれを危惧して茉莉の様子を窺っていたのだと。だから姿を消した今、晋衡に報告したのだと。
「何で…。」
何故卑劣な人間を守るのかと。悔しそうに顔を歪める茉莉を、晋衡と白蓮は外へ促した。
「行こう、茉莉。」
茉莉は怒りや悔しさが込み上げてくるのを必死で耐えながら、地下を後にした。
地下牢は茉莉が出した氷に囲まれていて、中に残された女性がただひらすら震えていた。
◆
和田家門内は、在仁が毒を盛られて死にかけているという知らせを受けて騒然としていた。昨年の百鬼の一件で苦境に立たされた和田家にとって、清めの後ろ盾の立場に伴う奥州との関係は救いに他ならなかった。清め人という存在と相まって本当に救世主といっても過言でなく、和田家門にとって在仁はどれだけ感謝を伝え歓待をしても足るものではなかった。それが、その心からの歓待の最中に毒を盛られたというのはあまりの衝撃だった。
七曜隊のみならず、家臣一同、それこそ文官から使用人に至るまで全員が憤慨した。それから在仁の無事を祈ると共に、犯人捜しに躍起になったのは言うまでもない。
そのためか、事件が起こる前までは穏やかで明るい雰囲気だった屋敷内も随分とピリピリとした様子だ。
茉莉はその雰囲気を肌で感じながら、在仁のいる部屋に戻った。牢で実行犯である女性に復讐してやるつもりだったところを止められて、明らかに不機嫌な茉莉の様子を、屋敷の者たちは婚約者を殺されそうになって怒っていると見て共感した。
部屋に入ると、在仁は布団に座って茉莉を待っていたが、顔面蒼白で明らかにやつれていた。見れば眉間にしわが寄っていて目は細められていた。茉莉はその表情に僅か怯んだものの、自身の怒りの正当性を主張しようと負けじと顔をしかめた。
茉莉が在仁の前に空間を開けて座ると、在仁は何も言わずに茉莉を見つめていた。しばらくそうして睨み合うような時間があり、部屋にいた紅葉はさることながら茉莉と一緒に入室した晋衡と白蓮までが固唾をのんだ。紅葉が晋衡に視線を向けて「喧嘩ですか?」と口パクで尋ねたが、晋衡は困ったように首を振った。二人が本気で喧嘩をした事はまだ一度もない。晋衡もこれがどういう状況が読みあぐねた。
「茉莉。」
先に口を開いたのは在仁だったが、声はかすれていて小さく、それだけで弱々しく感じられた。茉莉はその様子に胸が痛かったが、だからこそ在仁がこうなった犯人である女性を赦せないという思いが強くなった。
「どうして、俺の傍にいてくれないの?」
何故離れたのかという問いは、つまりは何故勝手に犯人の元へ行ったのかと聞こえた。
「在仁が、私に一緒にいてって言ったのは、私を足止めするためだったの?」
弱った在仁が茉莉を求めたのは、恋しさではなく復讐させないためだったのか?それならば騙された気もした。
在仁はゆっくりと首を振ると顔を歪めた。それから細い腕を伸ばした。茉莉が距離を置いて座ったために手を伸ばしても届かないことは一目瞭然だが、在仁が無言で手を伸ばすので茉莉は仕方なく目の前まで移動して座りなおした。すると、在仁は茉莉の手を握ると確かめるように撫でた。手のひらを見て、それから裏返して甲を見た。
「なに?」
「殴ってないよね?」
訊かれた茉莉は苛立ったように顔をしかめて言った。
「相手は牢の中だもん。」
格子が無ければ殴っていたと言わんばかりだ。在仁はため息に似た深い息を吐いた。
「あのね、今回の件は、和田家に任せようよ。」
「それじゃあ私の気が済まない!あの女は私のものに手を出したのよ!在仁を害するものを私は許さない。」
突然大きな声で反論した茉莉に、在仁は苦しそうに目を閉じた。それからその声の余韻が収まるまで沈黙して、ゆっくりと目を開くと言った。
「これは和田家の屋敷で起こった事だから和田家に委ねるのが筋だと思うし、お父さんと和田家が今回の事を上手く利用して他の芽を摘もうとお考えならば、俺はそれに従う方が良いと思う。」
「…理詰めで来られると、ムカつく事ってあると思う。」
飽くまで感情論で話す茉莉が、在仁が触れたままの手を見下ろして言った。在仁はそれを聞いてまた顔を歪めた。
「在仁、怒ってるの?誰に?犯人?それとも私?」
苛立ちをそのままに問うと、在仁が苦し気に答えた。
「怒ってない。頭がすごく痛い。考えが全然まとまらないから、何を言って良いか分からない。」
目を細めて茉莉の手首にある鎖模様を指で辿るように撫でた在仁に、茉莉は二日酔いかと理解して少しの安堵を覚えた。今まで在仁が怒ったところを見た事が無かったので、もし本当に怒っていたとしたらどうすべきか分からなかった。
「そう。なら、まとまらなくて良いよ。思った通りに言って。」
「分かった。じゃあ、言うけど…茉莉のやり方は温いと思う。」
小さくかすれた声だが、その意外な意見が部屋中の者に驚きを与えた。茉莉は驚きで丸くした目で続きを促した。
「ああいう人は、反省しない。暴力に訴えて痛めつけたくらいじゃあ、恨まれるだけだ。」
「…じゃあ、殺す。」
端的に言って睨むと、在仁は思考をつかみ取るのに時間をかけてから再び口を開いた。
「シンプルな方法だね。でも多分その時は溜飲が下がるかも知れないけど、すっきりはしないと思うよ。苛立ちをぶつけたいなら鬼を斬った方が余程良いよ。」
「じゃあ、何なら良いのよ!」
「ごめん、ちょっと声のボリューム落としてくれる?」
再び目を閉じた在仁が頭痛に堪えるようにしてから続けた。
「今の俺って、毒を盛られて死にかけてるって事なんでしょ?それって、単なる殺人未遂じゃないって分かってる?テロリストって事だよ。媚薬を盛って既成事実を作ってあわよくば懇意になろうとしただけなのに、テロリストの容疑をかけられてるって事。」
清め人を殺すという事は、テロなのだ。瘴気だの邪だのが溢れる今のこの世を浄化できるのは清め人しかいない。それを地龍当主が認め、地龍をあげて保護しているというのに、これを手に入れようというならわかるが、殺そうとするものは敵に与する者に他ならない。この世を乱そうという危険な者だ。
茉莉はそこまで理解していなかったのか驚いた顔で一度晋衡を見た。晋衡は真剣な顔で頷いた。
「立証されれば一級侵犯になるだろうね。和田家で証拠をそろえて片を付けてから、司法局に身柄を引き渡せば、それから一族郎党に至るまで厳しく調べられる事になる。それは多分、今日茉莉に殺されていた方が楽なものになると思うよ。お父さん達が司法局を利用すると決めた地点で鉄壁の証拠作りの算段は付いているのだろうし、そもそも工藤様は所詮小悪党だよ。それは工藤様を知る人なら皆知っていることだと思うし、テロなんて出来っこないのは誰でも分かる。それが司法局を通してまでもテロリストだってことになれば、和田家を怒らせるとどうなるのか知ることになるってことだよ。」
まとまらない考えを何とか形にして話した在仁は、しかめた顔のまま茉莉を見た。ようやく目が合うと、在仁が僅かに安らいだように微笑んだ。
「酔っ払いのくせに、何でそんなに分かってるのよ。」
「時間だけはあったから、何とかそこまでは思考が追いついた。」
ぼんやりとしているように見えたが、その間状況を把握しようと思考を巡らせていたらしかった。茉莉が言うように、紅葉も白蓮も驚いた。そして話を聞いていた晋衡が口を挟んだ。
「在仁、そこまで理解してるなら、在仁の仕事も分かるよな?」
言われた在仁に視線が集中した。
「皆様の前にて、証言させていただく事でございますね。」
何とか一命を取り止めた設定で。まぁ今の見た目ならば誰も疑わないだろうと晋衡は確信した。
「できるか?」
「もちろんやらせていただきます。元より、俺自身の事でございますので。」
とてもゆっくりと頭を下げた在仁に、晋衡はシナリオに変更はなさそうだと安堵した。
それから在仁が茉莉を見ると、茉莉はまだ納得しないような目を向けていた。
「まだ、何か不満?」
在仁が問うと、茉莉は何かを堪えたようなしかめっ面で言った。
「あの女、在仁の事、化け物って言った。在仁が良くても、私は良くない。」
「…茉莉。」
皆が思う程その事を在仁は気にしていないが、それが茉莉を深く傷付けた事だけは分かった。
「在仁は化け物じゃない。絶対に、赦さない。」
歪んだ顔から、涙が零れた。驚いた在仁が反射的に出した手に雫が落ちたのを感じてから、在仁はじっと茉莉の泣き顔を見た。茉莉は悔しそうに声を殺して泣いていた。
「茉莉…。」
ゆっくりと身を寄せて茉莉を抱擁すると、在仁は茉莉の背を撫でた。
「罰は、罪を自覚しなければ成らないものだよ。だから、俺が自覚させるよ。茉莉を傷付けたという罪を…俺が。だから、ブラッディ・ジャスミンはお預け。いいね?」
「在仁、どうするの?」
在仁が纏う空気が少し変わったのを感じた茉莉が見ると、在仁の目は見た事がない程冷ややかだった。
「後悔させる。」
端的に言った顔は弱って酷く頼りないもののはずなのに、どこか圧があってひやりとさせるような波形を纏っていた。




