128 浅黄水仙の事
和田家訪問の二日目。
この日は一日をかけて四か所を回る予定だ。昨日回ったのは七曜隊の拠点が主だったが、今日は被害の大きかった土地の浄化や死者の慰霊を目的としていた。
「これは慰問でございますね。」
行く先行く先崇められている在仁が、丁寧に頭を下げたり笑みを返したりしながら言うと、いつも通り後ろをついて歩く紅葉が言った。
「昨日回られた事で話題が沸騰していて、和田家門以外にも一目見ようと駆け付けているようですから、今日は渋滞するかも知れません。」
「芸能人…。」
呆れたような困ったような言い方だが、表情は崩さない在仁に、茉莉が隣で笑った。
「や、芸能人どころの騒ぎじゃないから。」
今日も在仁の後ろから、晋衡・義将・知将が付いて来ていて、周囲を取り囲んでいる七曜隊は昨日と違うメンバーだ。正面を守るのは隊長である佐長ではなく、副隊長である北条春臣だった。
「あはは!俺達芸能人なんて興味ないですよ!面白いっすね、葛葉サマは。」
最強十二人に名を連ねる者の中で最もマイナーな男である北条春臣は、北条家直系の立場を捨てて和田家へ出仕した異例の武士だ。家格の低い家へ仕える事自体が意味不明だが、それも義将に惚れこんだためだというので、在仁はやはり義将の器に感心した。
「春臣様、失礼ですよ、その態度は…。」
周囲の者が咎めたが、春臣はどこ吹く風で明るく笑っていた。その様子はどこか春家を思わせた。
「北条家直系三兄弟の中で春家様に一番似ていると言われているのが、この春臣様です。実力もさることながら、性格がその…自由なのです。」
そっと紅葉が耳打ちすると、茉莉も同調した。
「何でも、去年の百鬼の案件を解決したのは、春臣様一人の実力だって言う人もいるくらい強いんだって。」
「一人…それはもう…やばいね。」
語彙を失った在仁が、掴み処もなくふわふわとした様子で楽しそうに前を歩く春臣を見ていた。
よく見れば顔も春家によく似ているようだ。その視線に気が付いたのか春臣が在仁の方を振り返った。
「そう言えば、親父と六波羅探題が迷惑かけたらしいっすね。ごめんね馬鹿親父で。性根から腐ってんだからどうしようもないよね。あはは。」
自分は関係ないという他人事テンションで謝罪の気もない謝罪をするので、在仁と茉莉は笑うしかなった。だがこの礼を失した態度が何故か嫌ではなかった。茉莉は気を良くしたように言った。
「もう終わった事ですから。それに、北条には兄が思いっきりふっかけてますから!」
「あはは!いいねぇ!おもいっきり痛い目見してやってください!兄貴たちも反省して下らない継承争いを止めたんで、奥州には感謝してるくらいっすよ。」
六波羅探題の後始末でツインズの跡目問題が解決した事は最も驚いた所だ。春臣はそれに対しても軽い様子だった。
そこへ後ろから義将が言った。
「在仁、臣くんは霊弓が得意なんだよ。在仁も得意だって晋衡兄ちゃんから聞いたよ。」
「えっ!そうなんすか?葛葉サマ、いける口っすね。後で遊びましょう!」
にっかりと笑ってくる表情がいたずらっ子のようで、在仁はこの少年のような人が七曜隊最強の人物とは面白い事だなと思った。
「ええ、是非。」
そうして和気藹々と始まった二日目は、春臣のお陰で楽しく過ごしながら日程を終える事が出来た。
春臣の霊弓の腕は在仁の想像を超えていて、昼休みは二人でとても楽しく過ごす事が出来、それを見ていた周囲も嬉しそうにしていた。
◆
三日目になると、郊外の緑の多い土地をメインにして動く日程となった。だが、前日に増して観客が増えていて、在仁はどこぞの皇族の来日かと苦笑した。
「どなた様かが意図的にお集めではございませんか?」
流石に多いでしょう、と問うと、知将が申し訳なさそうに言った。
「いやいや、清め人がいらしたと聞けば皆こぞって集まるは必定。情報統制していないのは、和田家が在仁の後ろ盾だと喧伝するためだから、こうなるのは折り込み済みなんだよ。居心地が悪いかも知れないけれど我慢してちょうだい。」
そう言われれば仕方がない在仁は、こうなったら知将をはじめ和田家のために派手にやるっきゃない!と前日にも増してサービス精神を奮った。笑顔で応対をし、浄化をして、光エフェクト増し増しで頑張った。
昼休憩となった時、晋衡が心配そうに訊いてきた。
「在仁、疲れてないか?」
体力的にはそう消耗するような日程ではない。在仁がごく一般的な量(本人しらべ)の昼食を食べながら頷いた。
「はい。一番疲れているのは表情筋でございますね。帰りましたらしばらく筋肉痛で無表情になるやも知れません。」
冗談を言うと、隣から茉莉が在仁の頬に手を伸ばした。
「ず〜と笑ってるもんね。マッサージしてあげようか?」
「凄く期待の眼差しを向けてくださるから、頑張って笑ってる。無理してないけど、顔が疲れた。」
茉莉の方を向くと、茉莉は在仁の頬を包んで優しく揉んだ。嬉しそうに目を閉じる在仁を眺めながら晋衡は苦笑。
「茉莉にデレデレしないんじゃなかったのか?」
「休憩でございます。」
「休憩だよね〜。」
昼食をとっている部屋は人払いをしていて、身近な者しかいなかった。在仁が茉莉を補給していると、知将と義将が面白そうに見ていた。
「仲が良いとは聞いていたけど、本当なんだね。」
「見てるこっちが癒されるなぁ。」
二人の意見を訊いた晋衡が眉を寄せた。
「いやいや、こんなんいつもに比べたら無いようなもんだから。こいつら俺の目の前で平然とイチャイチャし始めるんだぜ?どういう神経してんのかって思うよ。二人もその内知る事になると思うけど、止めても無駄だから我慢してくれ。」
注意事項のように言われると、二人は真に受けずに笑っていた。
すると、廊下から少しばたばたとした気配がした。義将が怪訝な様子で立ち上がり扉を開くと、そこには見知らぬ男が立っていた。
「工藤殿、いかがされた?」
義将の戸惑った声が室内に聞こえると、一気に視線が集まった。扉の前では、義将と工藤と呼ばれた男が何やら言い争っていた。
それを見ていた在仁に知将が困った顔を向けた。
「和田家が清め人の後ろ盾となった事を喧伝するために情報統制してないって言ったけど、その所為で家門外から挨拶に来るんだよ。私たちは連日こうして慰問に出ているから、和田本家を訪ねても会えないだろう?出先まで追って来るのは流石に想定外だった。いくらなんでも礼儀知らずだよ。」
本来であれば訪ねる前に先触れを出し、アポを取っておくのが礼儀だ。出先まで追ってきて、人払いをしている場所に無理矢理踏み込んで来るのはあんまりに無礼な事。在仁も流石にどうかと思った。
「そこまでなさる程にお困りでいらっしゃるのでございますか?」
一応相手の事情を鑑みると、知将は首を振った。
「おこぼれにたかるハイエナだよ。」
酷い言いように、和田家からも良く思われていないのだなと理解出来た。皆すっかり昼食を終えていて、皆より少ない量を食べていたはずの在仁が最後の一口を食べ終わった時、入り口で揉めている声が一層高くなった。どうしても会わせろと騒いでいるようだ。食後のお茶を飲みながら反射でそちらを見てしまった在仁と、義将の奥にいる工藤の目が合った。それを良い事に工藤が叫んだ。
「葛葉様!どうか、少しで良いのでご挨拶させてください!」
その厚かましい様子にびっくりした在仁がお茶に咽た。
「ごほ…。」
「在仁、大丈夫?」
その瞬間に全員が立ち上がった。え、もう出発かな?と在仁が見上げると、全員が在仁を囲むように立って口々に言い出した。
「大丈夫か?体調が悪いのか?」
「ああ、空気が悪くなったから…。」
「人払いをしていたのに、申し訳ございません。」
ええ〜、また??在仁が欲心アレルギーを発症した事にされてびっくりしていると、人影で見えなくなった入り口で義将の不機嫌な声がした。
「工藤殿、葛葉様は清らかな場所でしか生きられない。貴方のような浅ましい者の気配を感じるだけで具合が悪くなってしまう。悪いが帰ってくれ。」
いくら何でもそんな人間いないでしょ〜?という抗議の目を向けると、知将が面白そうにウインクしてきた。在仁はもうどうにでもなれと思って溜息をついた。
その後少ししてから騒ぎが収まったので、様子を見ながら午後の慰問へ向かった。
午後の慰問先にも他家門の者たちが多くいて、隙あらば挨拶くらいはしたいという構えであった所を、周囲を守る七曜隊が丁重にお断りしていた。在仁はその素気無い様子に僅か悪いような気がしたものの、これも処世と思えば自身が毅然としなければならないと律した。
「知さん、思ったより他家が積極的ですよね。」
「そうだね。和田が弱っていると思って侮られているのかも知れないね。警備は増やすけれど、なるべく注意してくれる?」
「了解です。」
晋衡と知将がオーディエンスを見ながら話し合っていた。
在仁の隣で茉莉が周囲の様子を見ながら言った。
「この肉壁を越えて在仁に辿り着けるような猛者はなかなかいないでしょ。」
「肉壁…。」
ガタイの良い七曜隊に囲まれている在仁が、茉莉がそれを「肉壁」と表現した事に驚いていると、背後で紅葉が吹き出したのが分かった。
「茉莉様…ちょ…笑わせないでくださいよ。」
可笑しそうに笑いを堪える紅葉を見た茉莉が自分も可笑しくなって笑った。
「あはは、紅葉さんウケすぎ。」
最近益々仲が良くなった二人を見ながら在仁も安心して微笑んだ。茉莉は、紅葉が東京に来てリラックスしているためかいつもより明るいと感じた。元々和田家は明るい家門だというので、きっと紅葉とて例外ではないだろうと思うと、これからはもっとこの笑顔を見る事が出来るようになれば良いなと思った。
ほかほかした気持ちで歩いていると、上空から在仁の辰砂探知鳥が舞い降りてきた。在仁が手を伸ばすとその指先にとまった。
「在仁、鳥飛ばしてるの?」
「うん、一応警戒してる。」
在仁が鳥を肩に乗せて答えた。
「南木様がね、辰砂探知システムは、この鳥の情報を集積するシステムを作ったら良いんじゃないかって言ってた。地頭の鳥バージョンだね。」
美しい所作で羽織の裾を翻して歩く在仁の涼し気で清らかな姿を、オーディエンスがうっとりと見つめていた。誰が見ても二度見する茉莉の美貌が隣にあるため、並んで歩くと注目の的だ。けれど三日目ともなると在仁もこれが仕事と割り切れるようになってきて、不機嫌に見えないように微笑を湛えたままで小さな声で会話をした。
「へぇ凄い。そんな事できるの?」
「何事も挑戦だから。頑張るのは南木様だけど。」
「でも鳥を作るのは在仁じゃない。」
「そうだけど、茉莉が鬼と戦ってると思えば、鳥くらいいくらでも作るよ。どうせ俺なんて虚弱だし。」
遠い目をして言うので、茉莉が声を上げて笑った。
「地味に傷付いてるよね!」
「じわじわとね…。ここにいると大人しくしてるしかないし、流石の俺もストレス溜まる。帰ったら走り込むって決めた。」
虚弱設定のために、いつものように体作りのための運動をする事も出来ない在仁はさすがにストレスが溜まってきた。在仁が走りたがると、茉莉も晋衡も療養中の体を動かせない憤りを思い出して共感した。紅葉と白蓮は奥州に帰ったらとことん付き合うと言っていた。
「ごめんねぇ、人目を集めすぎて窮屈だよね。でも今回だけだから、次からは情報統制して静かに過ごせるようにするから、これに懲りずにいつでも遊びに来てね。」
知将が悪びれて言った。
「もちろんでございます。これも俺の役割でございますれば、きちんとこなさせて頂きます。」
ぐっと握って見せた拳の細さに知将が笑ったので、在仁はまた少し傷付いた。
そんな和田家と在仁の仲の良さそうな姿を、オーディエンスの中にいる他家の者たちが悔しそうに見つめていた。
◆
夜になり夕食を済ませると、在仁と茉莉は誰もいない中庭に出た。
和田家は奥州藤原本家と似た和風建築で、どこか落ち着く雰囲気だ。中庭は手入れされていて、歩き易くなっていた。白蓮は在仁の足元にいて、紅葉は少し離れて付いて来ていた。
「あ、北極星。」
茉莉が指さすと、在仁が西の空を指さした。
「ベガはあそこ。」
見上げる茉莉の横顔を見る在仁が、ふと呟いた。
「今回茉莉がずっと一緒にいてくれて良かった。」
「そう?私がいなくても全然問題なさそうだけど。」
皆の期待通りの聖人として決められたスケジュールをこなしている在仁には全く危なげがない。和田家の温かい歓待を受けて、比較的リラックスして過ごしているようにも見えた。
「やるべき事はやるよ。でも、心細いよ。ここは奥州じゃないし、やっぱり心許ないよ。最近また百鬼の案件が出て来たでしょう?やっぱりこのまま終わらないんだって思ったらさ、戦って行かなきゃいけないって分かってるけど、恐くない訳じゃない。ここで何かあっても、俺一人じゃどうしようもないって思うから、やっぱり茉莉がいないと…気持ちで負けちゃう。」
京都の一件を経て、在仁の瞳の闇は一層深くなったように見えた。けれどそれと同時にその清き光もまた一層強くなった。茉莉は在仁が抱えるそれらを共有するように手を握った。
「在仁、私もさ、あれ以来結構臆病になったよ。あの場面に直面してから、在仁を失うっていう現実を具体的に想像できるようになっちゃった。それを思い出す事もあるし、ふと想像しちゃう事もあるよ。在仁が恐いって言う気持ち、よく分かるようになった。でも、だからこそ守りたい。私、在仁と出会った頃よりずっと強くなったんだよ。私がいて在仁が勇気を振り絞れるように、私も在仁がいて強くなれる。だから、私達は一緒にいなくちゃ駄目なの。ずっと、一緒にいなくちゃ駄目。」
石川薊の手が在仁の胸に突き刺さった時のビジョンは、茉莉の網膜にしっかりと焼き付いている。いつだって思い出せてしまうし、夢にだって見る。それがどれだけの恐怖かは伝えきれない。茉莉はこの戦いに負けるという事の真実を見たのだ。在仁を失うと言う事が茉莉にとってどういう事なのかを知った。そのリアルを感じれば、恐怖に急き立てられるように強さを求めるしかない。
「うん。そうだね。」
恐いのは死ではなく、失う事だ。在仁が茉莉の手を握り返した。明るい月が二人を照らした。茉莉の藤黄色の髪と目が月光を受けて金色に見えた。在仁がそれを見ると、茉莉が真っ直ぐに見つめ返した。
「…助けて。」
在仁がその瞳に引き込まれるように言った。初めて会ったあの夜と同じように、救いを求めた。すると茉莉は得意げに笑った。
「私のものになると、言いなさい。そうしたら、助けてあげるわ。」
あの日と同じように、茉莉が言うと、在仁は泣きそうな笑みで返した。
「貴女様のものに、なりたい。どうか、助けてください。」
強く手を握ると、茉莉が在仁の体に身を寄せた。
「約束。」
「うん、約束。」
再確認するように交わすと、月光が地面に映す二人の影が一つに見えた。
永劫を誓った二人を表すように、二人で一つの影が佇んでいた。
◆
就寝時刻となり、風呂上りの在仁が部屋に戻ると、ハーブティーのセットが置かれていた。
知将の細やかな気遣いが有難い。初日から置いてくれるハーブティーは知将のこだわりのオリジナルブレンドらしい。リラックス効果があると言われていたので、有難くいただいている。この滞在期間の在仁のささやかな楽しみとなっていた。
ティーポットにお湯を入れてから、蒸らし時間を利用して明日の支度をした。着替えの確認やスケジュールのチェックをして携帯端末のアラームを起床時間にセット。その間白蓮はいつも布団の上にいるのだが、今日はやけにそわそわと部屋の中を歩いていた。
「白蓮、どうかなさいましたか?」
ハーブティーをカップに注ぎながら問うと、白蓮は訝しむような声音で答えた。
「何か妙な感じがする。昨日までと違う。」
「何がでございますか?」
「それがよく分からない。匂いか、気配か…。」
うろうろしながら言うので、在仁は何だろうかと考えながらカップに口を付けた。丁度その時白蓮がティーポットに辿り着いた。そして鼻を寄せてから言った。
「これだ…主、これ…。」
ふっと顔を上げると、在仁がハーブティーを一口飲み込んだ所だった。それを見た白蓮は声を荒げた。
「飲むな!毒だ!」
「え??」
びっくりした在仁がカップを置いた。それからゆっくりとカップの中に残ったハーブティーを見つめた。
「毒…まことでございますか?」
白蓮が在仁と一緒にカップを覗き込んだ。
「種類は不明だが、ただのお茶ではない。昨日までと香りが違う。」
「猫の嗅覚でございますか…。」
何倍なのかは知らないが猫はきっと人間より嗅覚が優れているはずだと在仁は思ってから、飲んでしまったお茶に意識をして胃の辺りに手を置いた。
「俺、飲みましたけど…。」
「飲んだな。」
二人は顔を見合わせた。
「即効性のものではなさそうでございますね…。」
「…遅効性。」
二人が即効性でない事に緊張感を高めたのは、薊が使う毒が遅効性の致死毒だからだ。
過去殺されてきた多くの人が薊の使う遅効性の毒で死んでいる事が判明している。在仁もその事は知っているし、樒も当然その手口を熟知している。
だが白蓮は首を振った。
「待て、気が早い。そもそも何故このお茶に毒を仕込む必要があるんだ?和田家が主に手を出す動機がないだろう。」
「つまり、何者かが忍び込んでいると?俺を殺すためか、和田家を陥れるためか、それとも何か別の…。」
思案するように在仁が言葉を切った時、白蓮が在仁をじっと見て言った。
「主、顔が赤い。まずこのお茶の成分を調べて貰おう。」
和田家の謀であれば、どのように訴えても揉み消されてしまう可能性はあった。だがやはりこの状況で和田家がこのような事を仕掛ける事は有り得なかった。白蓮の言う通り、この事を言って助けを求めるのが一番だろう。在仁はどうするべきか迷いながらもそう決めた。
白蓮に言われて頬に触れるとやけに熱くなってきた気がした。四月末なので、寝間着の浴衣が寒い事はあっても熱いはずがない。とすれば、毒の症状だろうかと思っていると、扉を叩く音がした。
「白蓮。」
在仁が小さな声で呼ぶと、白蓮は物陰に隠れた。既に就寝時刻を過ぎている。この時間に訪ねて来る者が身内でない場合は怪しい。二人は警戒しつつ扉の向こうへ声をかけた。
「どなた様でございますか?」
「夜分遅くに大変失礼いたします、葛葉様に一目お会いいたしたく参りました。厚かましい事は承知しておりますが、どうか、お目通り願えませんでしょうか。」
声は若い女性のものだった。だが姿を見なければ分かるまい。ここは和田家の屋敷の中である事を考えれば、厳しい警備の目を盗んで忍び込んだ者がタダ者でない事は確かだ。もしくは、声の通り無力な女性なのか。考えながら在仁がゆっくりと扉に手をかけた。自身の体がやけに熱く、息が苦しいような気がしてきたのは、毒を飲んだと自覚している所為だろうか。しっかりしろと念じて、ゆっくりと扉を開くと、そこにいたのは声の通りの若い女性だった。
「どのようなご事情にせよ、このようなお時間に訪ねて来られるのは非常識でございますよ。」
見下ろすと、女性は薄いガウンの下にレースのランジェリーが見えた。あまりに大胆な格好なのに気が付くと、在仁は状況を飲み込んだ。
これは夜這いだ。このタイミングでやってきた事を思えば、毒は媚薬。この体の熱はそういう事なのだろうと理解した。
火照った顔で見下ろす在仁に、女性は蠱惑的に微笑んだ。そしてずいっと部屋に入り込んで扉を閉めた。
「それは申し訳ありません。けれど、葛葉様が私をお部屋に招き入れてくださいました。」
得意げに言って薄いガウンに手をかけた。在仁は熱っぽい瞳で女性の腕を掴み引き寄せた。
「積極的なのでございますね?どなたの御計らいでございましょうか?」
女性の手首に唇を寄せながら問うと、女性はうっとりとした表情で言った。
「そのような事は後でよろしいじゃありませんか。今宵は楽しく過ごしましょう。」
在仁の熱を帯びた視線と、女性の誘うような視線がつながった。




