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22 呪詛の事

 信州の秋は風光明媚な色彩で春家(はるいえ)を迎えた。

 落ち葉を踏みしめながら歩くと、かさかさと乾いた音がした。それは丁度、春家の心のように乾いていて触れれば剥がれ落ちる脆さに似ていた。

 あれから、弁天が死んでからの約四ヶ月は春家にとって未だかつてない種類の戦いだった。

 

 あの直後、弁天の遺言通り祥子(しょうこ)に十字架を返そうと思い、(よし)(ひら)に祥子の居場所について尋ねたが、義平は決して教えてくれなかったのだ。

 「じゃあ、隊長からこれ渡してくれよ。弁天の遺言も。」

春家が差し出した十字架を、義平は一瞥しただけで受け取らなかった。

 「駄目だ。祥子には弁天の死を伝えない。」

 「は?何でだよ!」

 「弁天の死を知れば、祥子は何が何でも戻って来る。今はまだ隠れていて貰わきゃならない。」

 「今はって…いつ教えるんだよ。何年も経ってから、実は祥子がいない間に弁天が死にましたって言うのかよ?それがどんだけ祥子を傷付けるか分かって言ってんのかよ?」

 「祥子の気持ちは関係ない。」

 「関係ねぇ訳ねぇだろ!」

春家は義平の胸倉を掴んで迫ったが、義平は暗く深い闇の底から沸き上がるような重い目をして突き放した。

 「関係ない。俺にとっては、祥子の存在こそが何より守るべきものだ。」

 「ああ、そうかよ。解ったよ。もう聞かねぇよ!けど、俺は絶対に祥子を見つけ出してやる。隊長に止められても、どんな罪に問われてもだ!」

春家は掴んだ胸を殴るように押して放すと、義平の強固な態度に喧嘩を売るに等しい言葉を残して部屋を出た。

 そして春家は仕事を他の者に押し付けて家にも帰らず、祥子を探し始めたのだ。思えばこの地点で弁天が死んでから一度も家に帰っていなかった。源氏本家に泊まったり、後処理に駆り出されたり、理由もなく鎌倉中を歩き回ったり、とにかく弁天がいない事を実感することを避けて過ごしてきた。そんな春家に苦言を呈する者は無かった。皆春家の胸中を思えばこそ何も言えなかったのだ。半身を失ったような痛みを癒す方法など、誰も知りはしなかったのだから。

 そうしてどれだけの時を費やしたろうか。春家は蝉の鳴く真夏の道を歩きながら、弁天の優しい笑顔を思い出していた。その声を思い出せば、いつだって母親の如く世話を焼くばかり。

 「さやかさんと仲直りして下さい。」

最後の最後までつまらない事を言わせてしまった。情けないような悔しいような気持ちがわき上がって、衝動的に走りだした。春家は何も考えず走り、そして自宅の門を越えると、家の世話をしている者達や、北条家臣下の者達が驚いた顔をして春家を見ていた。しかし声をかける間もなく春家は走り過ぎ、廊下を音を立てて行き、ある部屋の襖を開けた。

確信は無かった。駄目で元々で、確認するような気持ちで開いたのだ。しかし、そこには見なれた姿があった。

 「さや。」

着物の裾を美しく畳に流し、振り返る姿は浮世絵のようだった。黙っていれば誰もが見惚れる女性だと多くが言ったその容姿は、意志の強い眉と物怖じしない黒目勝ちな目が印象的だった。

北条さやか。春家の妻だった。

さやかは春家の来訪に動揺も見せずに、体を向き直すと言った。

 「おかえりなさいませ、殿。」

弁天が死ぬ前に喧嘩をして出て行ったさやかが、北条家に戻っているかどうかは春家にとっては賭けのようなものだった。

 「戻ってたのか…。」

春家が言いながら、さやかの前に膝を付くと、さやかは春家の手を取った。

 「…(どう)(げん)様の事、うかがいました故。…殿、大丈夫ですか?」

 「…弁天が、最期に、お前と仲直りしろって言ってたの…思い出して、それで…。」

切れ切れに言う春家の手をさすりながらさやかは穏やかに子守歌を歌うように言った。

 「まぁ、それで来てくださったの?お優しい道玄様らしい御配慮ですこと。でも、きっとそれは殿のためにおっしゃったんですわ。殿が、ちゃんと帰って来られるように。殿が、ちゃんと今まで通り暮らして行けるように。殿が一人ではないと教えるために。」

 「さや…。弁天は…。」

 「道玄様はお亡くなりになられました。殿、お亡くなりになったのですよ。」

さやかは念を押すように言った。さやかは春家の手をさやかの胸元に寄せ、しっかりと握り締めた。

 「分かってる…。」

 「本当に?」

さやかが春家の目を覗き込んだ。春家の目は震えるように揺れ、そして雫をこぼした。

 「…分かってない。」

 「段々とお分かりになりましょう。今は少しお休みくださいませ。道玄様のためにも。」

 「…でも…。」

春家はさやかの細い肩に額を押しつけると、その鼻先へと涙が伝って、握り締めた手に落ちた。

 「弁天が最期に、祥子に十字架を返してくれって…謝って、愛してるって、伝えてくれって言ったんだ。」

 「では祥子様を探さないと。」

 「隊長が絶対に教えないって…。」

 「それで、すごすごと引き下がって来ましたの?」

 「…隊長がなんて言おうと探し出すって啖呵切って来た。」

 「さすがは我が殿。」

 「そこ褒める所?」

今までさやかに褒められた事があったろうか。春家は不思議な気持ちになった。

 「信念を曲げるような軟弱な御方に嫁いだ覚えは御座いませんわ。」

 「お前ね…。」

源氏当主に背く発言をした主を諌める所か褒めるとは、やはり変わっている女だと思った。

 「それで、見つかりましたの?」

 「全く手掛りなし。」

 「…分かりましたわ。私が殿のために一肌脱ぎましょう。」

 「…え?」

北条さやかは結婚前は後方支援型の術者として部隊経験のある男勝りの女性だった。さやかの勤めていた後方支援型の仕事とは、飛行機の管制塔のようにあらゆる情報を収集し処理するもので、さやかの専門分野は探知だった。しかも当時その道では、さやかはトップクラスの腕を誇っていた。人や物を探すことは、さやかの得意分野だったのだ。さやかの実家はさやかを武士としてではなく武家の女として生きる事を望んだため、春家と結婚したのだった。春家はその事を完全に忘れていた。

 「でもお前、前線を退いて十年以上経つだろ…。」

 「あら、今でも鍛錬は怠っておりませんわ。いつ殿に愛想を尽かしても生きて行けるように、手に職は持っておかないとなりません故。」

さらりと恐い事を言うさやかの堅実な所は、春家にない女性的な部分だった。いつもならここで大喧嘩に発展する流れだ。

しかし春家はさやかを強く抱き締めると耳元で言った。

 「いや、お前を手放す事はないよ。」

さやかは春家の背に手を回しながら答えた。

 「結局、私は一生殿のお守ですの?」

 「…どうして弁天もお前も、そういう事言うかね。」

器用に何でもこなす春家に対し、手のかかる子供のように言う所は、弁天とさやかのよく似た所だった。春家は観念したようにさやかに心を預けた。


 さやかはすぐに祥子探しを始めてくれた。しかし、義平は祥子を探知出来ないように何重にも手段を講じており、一筋縄には行かなかった。春家は裏から手を回して、携帯の位置情報なども探ったが分からず終いで、祥子はある日忽然と姿を消したことになってしまった。



 「春家が祥子の居場所を探してるらしいな。」

貴也があぐらをかきながら言うと、憮然とした面持ちで義平が相づちを打った。

 「ああ。」

 「一度会わせてやれば良いものを。これでは返って拗れるんじゃないか?」

客観的には、色々あった今のタイミングで、仲間同士で祥子をめぐって争うより、一度会わせておけばそれで万事解決するように思われた。

 「駄目だ。」

 「何故そこまで頑なに隠すんだ?独占欲もそこまで行くと病気だぞ。義平。」

 「そうではない。敵は、祥子を狙っているんだ。」

貴也も初めてきく話だった。

 「祥子を?敵とはそもそも何だ?」

 「それは不明や。ただ、祥子さんを狙うんは大きな理由があるんやろな。」

待ち合わせ時間より少し遅れて平重盛(たいらのしげもり)が現れた。

弁天が死に、首謀者平景(たいらのかげ)(きよ)の首を送りつけて一方的に事を終わりにして以来、初めて会う瞬間だった。義平は重盛に対し不審感を募らせ、今にも殴りかかりそうな目で重盛を見つめていた。

 「てめぇ、重盛。」

 「久しいな。義平。」

 「どの面下げて…詫びのひとつも無しか!」

 「詫び?何の詫びや。それより義平こそ、俺に礼が有って然るべきなんと違う?」

 「礼だと…?」

 「せや。安達(あだち)(どう)(げん)が命掛けで阻止した戦を、お前が起こす訳にはいかんやろて思て策を講じてやったんやないか。」

 「何が『やった』だよ!お前は身内の錆びが露呈するのを避けるために蜥蜴の尾を切っただけだろうが!景清がお前の差し金じゃなかったって言えるのかよ!」

 「俺の差し金やった言う証拠もないやんな?」

 「重盛っ!」

 「何を怒っとるん。冷静になってみ、こうして源平の当主が非公式とは言え話す場を設けるようになった今、何で裏から手回してお前の腹探る必要があんねん。戦する気ならこんな会合よう出んわ。全部、貴也あっての事やろ。その貴也の顔に泥塗るような真似せんて。」

 「じゃあ、景清を尋問せずに殺したのは何でなんだよ。」

 「それは、あれや…。ぎゃんぎゃんうるさいよって、つい…。」

 「ふざけんな!」

 「…景清に訊いても無駄や。おそらく景清は長老会を隠れ蓑にしとる何者かの息がかかっとった。せやけど、景清自身はそれを長老会そのものやと認識しとったはず。どうせ行き止まりやったんや。それやったら下手に生かしておくより、事態の収拾のために首切った方がええて思たんや。あれだけ戦を望んだ景清の首が戦を防ぐなんて、どれだけ屈辱的な事か…どんな拷問よりええお灸になるやろ。」

 「お前のそういう姑息な所、本当虫唾が走るぜ。」

 「おや、ようやく意見が合ったな。俺もお前の短慮で猪突猛進な気性、本に阿呆の所業やて思とるわ。」

 「てめぇ…。」

一触即発の空気。『波形』同時が触れる度にビリビリと静電気が走るような火花が散った。それを呆れ顔で静観していた貴也がようやく口を出した。

 「もう止めろ。それより、祥子が狙われてるってどういう事なんだ?」

元の話題に戻った。春家に祥子を会わせない理由。そして祥子を狙う何か。

 「祥子は過去何度も狙われてる。相手は不明だが、長老会に近い者だろうと思う。」

 「景清を雇うとった者かも知れんし、違うかも知れん。とにかく、祥子さんの何かが敵にとって脅威なんやろな。」

 「脅威?」

 「龍脈の事にしろ地下迷宮の事にしろ、全部祥子が調べ上げたことだ。もしかしたら転生システムを司る何者かは、祥子なら真相に迫るかも知れないと思ってるのかも知れないな。」

 「そして、システムを破壊し得ると思とるんやろ。」

 「祥子にしか出来ない何かがあるって事か?」

 「さぁ?敵さんがそう思ってるんなら、そうなんだろ。」

 「じゃあ景清の雇い主とその謎の敵が同一人物だった場合、景清が鎌倉で探っていたのは、祥子の居場所だったって事も…。」

 「十分ありうるだろうな。」

 「実際がどうあれ祥子さんを隠しておく言うんはそれだけの理由がある言うことやね。北条春家が祥子さんを見つけ出してしもたらどないするんや?」

 「祥子には護衛をつけてある。何かあれば転移するように言ってある。もしもの時は俺が必ず守るさ。今度こそ、絶対に。」

義平の闘志に燃えた目は、過去に何度同じ事を繰り返して来たのかという残酷な問いをよぎらせた。



 そうしてどれだけの時間と労力を費やしたろうか。

 季節はすっかり夏から秋に移り変わってしまった。

 春家はようやく祥子の居場所の手がかりを追って信州まで辿り着いたのだった。信州は木曽(きそ)(よし)(なか)が子孫であり転生組の(みなもと)(よし)(たか)がいた。源氏同士とはいえ、かの戦で拗れた関係が修復するのには長い年月を費やした。利発な義高が恨みを風化させるまでに掛った時を思えば、どれだけの苦しみがあったか測り知る事が出来た。

 春家が向かった先は義高の居から北に離れた場所だった。転生組・佐々(ささき)四郎(しろう)高綱(たかつな)が最期の地にして今尚暮らす場所。別名高綱(たかつな)(はら)と呼ばれるその地に、祥子がいるというのだった。

 ある寺に足を踏み入れると、清らかな空気が体を包んだ。清浄な空気、淀みの無い、澄んだ空間だった。春家は、こんな神聖な場所があったのかと思った。そしてその中で足を進めて行くと、そこには美しい黒髪を流した見なれた後ろ姿があった。

 「祥子。」

春家がつぶやくように呼ぶと、祥子が振り返るより先に大きな体をした修行僧のような男が割って入った。春家を警戒するように睨みつけると、唾のない日本刀に手をかけた。

 「高綱殿、そちらは北条家嫡男・春家殿ですわ。」

鈴の音のような、よく通る優しい声音で祥子が言うと、男は刀を収め礼をした。

 「失礼、輩は佐々木四郎高綱と申す者。鎌倉殿より北の方様をお守りする命を受けております故…お許しを。」

高綱が堅く頭を下げると、祥子が春家に駆け寄った。春家は長い時を費やしてようやく辿り着いた祥子を確かめるように見つめた。

 「春…?どうしてここに。」

 「…祥子。本当に、祥子か?」

 「久しぶりね。どうやって此処が分かったの?殿は決して話さなかったでしょうに。」

 「さやに協力してもらって、探したんだ。」

祥子が目の色を変えた。

春家がさやかの力を借りてまでも祥子を探しだした事に、余程の緊急性や異常性を感じざるをえなかったからだ。

 「…何か、あったの?」

祥子は一歩後退りした。

春家は、ポケットから十字架を取り出すと、祥子の目の前に突き出した。そして、なるべく何の感情も込めないようにして言った。けれど声が擦れて上手くいかなかった。

 「…弁天が、死んだ。」

目の前で揺れる古い十字架を見た瞬間から、祥子は動きを止めた。そして春家の言葉が聞こえているのかいないのか、目を見開いたままで立ち尽くしていた。

春家は、動かない祥子の手に、無理やり十字架を握らせると、囁くように言った。

 「これ、返してくれって。謝ってた。」

祥子の指は冷たかった。

 「それから、愛してるって。」

その言葉を聞いて、祥子の見開かれた目からは一筋の涙が流れた。

そうしてしばらくそのまま黙ったままでいた祥子が、ようやく微かな声で言った。

 「いつ?」

 「七月。すぐに知らせなくてごめん。探すのに手間取った。」

 「…そう。殿は私に知らせないつもりだったのね。」

 「…ああ。」

祥子は寺の方へ歩きながら春家を誘導した。

 「詳しく聴かせて。」



 新田(にった)祥子(しょうこ)は主・義平から半ば強引に疎開させられてから、高綱の元密かに日常を送っていた。それはかつて、戦に赴く義平を家で待っていた生活に似ていた。静寂と平穏、そして不安。祥子は紀大の陰陽師としての腕を持ちながら、武家の妻である事を望まれ続け、その狭間で幾度となく己れを押し殺してきた。けれど、それでも自身に出来る事があると信じ、時を占ってきた。七月は、やけに胸騒ぎがしていた。けれど何の報告もなかったので杞憂だと思っていた。まさか、弁天が命を落としていたとは。

祥子は寺の建物の一室、おそらく客間として使われているであろう和室に春家を案内した。

春家は祥子が去ってから起こった事を細かく説明した。弁天の死に至る流れを。

 「これを見て。」

 「これ、弁天が。」

祥子が差し出したのは、べっこうの簪だった。ふたつに割れていたが、かつて弁天が祥子に贈ったものだった。

 「割れた時、気付けば良かった。何かあったんだって。これは弁天が想いを込めた物だもの、何もないのに割れる訳がなかった。」

 「でも、祥子が来てももう何も出来る事はなかったよ。隊長と揉めるだけだ。」

 「そうね。」

祥子は黙り、再び涙を流して目を伏せた。

 「私が弁天に優しさを押し付けたせいね。」

 「それは違う。弁天は祥子が好きだった。ずっと。だから祥子の望む姿を望んだ。それだけだ。祥子は悪くないし、弁天は自分の死を誰かの所為になんてしない。俺にだって、直を恨むなって最期まで言ってたんだから。」

春家が祥子に訴えると、祥子は困ったような顔で少し微笑んだ。

 「そうね。弁天らしい。」

祥子は十字架を握り、祈るように目を閉じた。

春家は、転生組は幾度となく人生を生き幾度となく出会いと別れを繰り返してきて、大切な人の死に際して何か特別な乗り切り方を知っているのかと思った。実際、義平は切り替えが早いように見えた。あれだけ景清を殺すと騒いでいたのに、事が治まるや否やいつもの義平に戻ってしまったように見えた。祥子の居場所を教えなかったことも、やけに冷たい態度のように思われた。

 「転生組って、人の死に慣れてるよな。」

 「え?」

 「俺は未だに弁天が死んだって事がよく分かってない。でも、隊長も、祥子も、もう受け入れて、何か先を見てる気がする。」

 「私達は多くの人を殺してきた。それなのに、自分の大切な人の死は特別なものよ。自分勝手よね。でもそれが当たり前だわ。決して慣れたりしない。」

 「でも…。」

 「ねぇ、春、魂は流転しているのよ。言葉で言っても信じられないけど、私達転生組は実際何度でも生まれてくる。弁天の魂も、もう次の人生へと向かっているの。いつまでも引きずっていると、心配して弁天も転生が遅れてしまうわ。」

目に見えない大気の中の粒子のどれかが、もしかしたら弁天の魂で、春家が認めない限りいつまでもそこで浮遊し続けているのかも知れないと感じた。それはきっと束縛で、弁天にとって良いことではない。春家は自分の感情で弁天を振りまわすのはもう止めてやらなければ、死んでまで春家のお守ではあまりにも不憫だと思えた。

しばらくすると祥子は立ち上がり、春家を見下ろしながら訊いた。

 「春、ここへ来ることはさやか以外に知る者はいないわね?」

 「ああ。いない。」

 「じゃあ、つけられたりしてないわね?」

祥子は春家の『波形』を見透かすようにじっと見ていた。

 「そのはずだけど。何?」

 「いいえ、もしかしたら景清が探していた情報は、私ではないかしら。」

 「祥子?」

祥子は高綱を呼ぶと、手紙を持ってきた。

 「これを見て。」

そこには流れるような手で書かれた物語が一節ずつ。何通にも渡っていた。

 「これ、何?昔風の恋文か何か?」

 「分からないの。これが、誰に充てられたものなのかも。」

 「丁度四ヶ月程前からちょくちょく届くようになってな。意味が分からないんで、北の方様に解読をお願いしたのだ。」

高綱が落ち付いた低い声で言うと、手紙を並べ始めた。

届いた順番に並べると、春家の方を見た。

 「で、これは北の方様の居場所を探るために送られたものではないかと。」

 「祥子の居場所がこれで分かるのか?」

 「術がかかってるのよ。暗号文みたいなもので、これを解いたらきっと居場所がバレるわ。」

メールが開かれると、その事が送信者に通知されるようなものだろうか。メールを開くための術を持つ者は、優秀な者。祥子かも知れないと。

 「じゃあ、これは全国各地に送られてる?」

 「だと思う。」

鎌倉へ間者を送って調べても解らなかった結果、しらみつぶしに探りを入れる事にしたのだろうか。かなり執着している、危険な感じがした。

 「解いたのか?」

 「いいえ。でも…。」

祥子が言い淀んでいると、高綱が続けた。

 「これを解かない事が逆に存在証明になる可能性もある。」

 「何で?」

 「これを解けば居場所が知れる、だから解かない。その判断こそが、敵の判別基準だという可能性もある。普通この手紙が来たらどうする?これが何なのか調べよう?何でもなければ捨てれば良いが、これがただの悪戯に見える者が居ればそれは愚鈍の極みだ。動の能力タイプの俺でも見るからに怪しい事くらい分かる。専門家に解析を依頼するだろう。そうすれば術は解かれる。手紙を送った中で解かれない場所があれば、そこは余程愚鈍な者が捨て置いたか、そうでなければ警戒して解かなかったか、だ。」

解かない事で逆に祥子かも知れないという可能性を示すことになる。

 「つまりこれを送った奴の意図が解らない以上、解いても、解かなくても、危険?」

 「そうね。完全に思惑にハマってる。どっちが正解なのか…。」

 「移動したらどうだ?どうせこれを送って来た奴のリストには載ってる訳だろ。手紙の送られていない場所へ居を移せば…。」

 「それが目的ということも考えられる。」

手紙で危機感を煽り、隠れ場所から祥子を炙り出す事それ自体が、本当の目的である可能性もあった。

 「それじゃあ、どうしようもねぇじゃん!」

 「だから困っているのよ。ね、春、鎌倉に戻って私の刀を持って来てくれない?もしかしたら戦闘になるかも知れない。」

 「祥子の刀は今は(てつ)の所じゃなく隊長が保管してる。バレずに持ち出すのはまず無理だって。この事を隊長に相談するべきだろ。」

 「殿が動けば間違いなく居場所がバレるわ。それに、大事になる。」

祥子の事となると見境がなくなる義平の事を思えば当然と言える発言だった。

 「でもこれ以上隠しておく訳には…。」

高綱が言うと、祥子は穏やかな口調に怒りとも憎しみとも取れる棘を含ませて言った。

 「殿も弁天の事を私に隠していたわ。」

誰も言い返せなかった。大切な仲間の死を隠してまで、祥子の身の安全を優先した事を、義平の勝手以外の物に変換する機能を搭載している脳を持つ人間は少なくとも今この場にはいなかった。

 「なぁ、その手紙は何でそんなに何回も来るんだよ?」

高綱が順番に並べた手紙は十数通はあるように見えた。

 「さあな。術を解かない場所にしつこく送ることで篩にかけているのかもな。最後まで解かれなかった場所が第一候補になるのかも知れん。」

 「…そうね。確かにおかしいわね。」

祥子が呟くと、文章を並べ変え始めた。

祥子が手紙と睨めっこしている間、高綱と春家はその様子を見ていたが、庭でコトンと物音がしたので振り返った。

 「まただ。」

高綱は言いながら部屋を出て行った。どうやら再び例の手紙がポストに入った音らしい。高綱が手紙を取りに行っている間に祥子が顔を上げた。

 「分かったわ…。これは呪よ。」

 「呪?」

 「そう、これは呪に必要なプロセスを順番に送り続けていたのよ。解術通知はフェイクだったのよ。この手紙が解術通知を施した物だと知って解けば、呪は発動しないんだわ。私が相手の思惑が解らない以上、少なくとも暫くは解かないという確信があったのよ。そうして様子を見ている間に、呪に必要な部品が全部そろうって言う算段だったの。」

 「じゃあ早く解いた方が良いんじゃねぇ?」

 「そうね。…何もかもが相手の思う通りに泳がされている気がするけど、こうなったら解いた方がいいわね。」

祥子が手紙のひとつを手に取ると、春家がそれを眺めながら訊いた。

 「ちなみにそれって、どんな呪?」

 「…見たことない術だけど、多分炭化に近いのかも。全部手紙が揃ってみないとどんな術なのか読み解く事はできないけど、時間をかけて炭化させるような類のものなのかしら?」

 「何それ、こわ。燃やすって事?」

話していると、高綱が新しい手紙を持って部屋に入って来た。

 「また来たぞ。」

言いながら手紙を開封すると、中を見た。手紙を開く時に、書かれている文字が少しだけ見えた。それを見て祥子が目を見開き、奪い取るように手紙を取った。

 「駄目!」

高綱が驚いて見ると、祥子は手紙を折り曲げテーブルに叩き付け、掌で押しつぶすようにしながら口の中で何かをもごもごと唱えた。

高綱と春家が祥子に近付こうとすると、祥子が怒鳴った。

 「離れて!」

二人が足を止め、目を合わせると、じっと祥子を見守った。

祥子の周囲に円陣が現れ祥子が何らかの術を展開したのが分かった、すると、テーブルの上にあった多くの手紙から文字が動き出し、祥子が手の下に置いた手紙の方へ集まって行った。まるで何かの虫のように這うように動き出した文字が、全て祥子の手の下に納まってしまうと、祥子の手が大きく震え出した。額に、背に、みるみる内に汗をかき始めた祥子は、口の中で何かを唱えるのを止めて言った。

 「この私がっこんな…あぁっ!」

声と同時に祥子の手に文字が這い上がって来て、見ている内に全身に広がった。

 「祥子!」

春家が祥子の肩を掴むと、文字が肌に溶けるように内側に沈んで行った。

 「きゃあぁぁぁああっっ!」

祥子の悲鳴と同時に体が燃えるような熱を発した。春家は肩を掴んでいられなくなり、放すとその掌に煤が付いていた。急いで高綱が毛布を持って来たので、それに叫びながら暴れる祥子を無理やり包むと言った。

 「鎌倉へ運ぶ。一緒に来い。転移を手伝ってくれ。」

警備の厚い鎌倉へ三人同時に運ぶには春家一人の術では無理だった。高綱は頷くと素早い動きで座標を調整し、転移の陣を展開した。その間も祥子は聞いた事のないような苦痛の叫びを上げながら身悶えており、恭が居ればプロセスをすっ飛ばした速さで転移出来たのにと、春家は唇を噛んだ。

 「行くぞっ。」

高綱が大きな体で祥子を抑えつけるように抱くと、春家と共に鎌倉へ飛んだ。

 毛布の隙間から出ていた祥子の手は、まるで炭のように黒かった。


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