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17 年越の事

 外気に素肌が触れると、体の芯まで突き抜けるように冴え渡る夜だった。

大晦日だと言うのにいつも通り仕事に出掛けた晋は、自分の持ち分を消化し、呼び出しもしくは解散の連絡があるまで高層ビルの屋上で刀を肩に乗せ、東京の街を見渡していた。

 クリスマスの事件から三日もすると晋は現場に復帰したが、何年ぶりかでひいた風邪の余韻をまだ引きずっていた。長時間布団の中にいた、あの自分特有の眠りの香りがいつまでも首の回りに纏わりついているような気がしてスッキリしなかった。

 クリスマス後に二度ほど同様に自我のない武士の暴動が起こり、現在は厳戒態勢が敷かれていた。『龍の爪』からローテーションで助っ人が来ると言い、小規模ながら複数の小隊が編成され巡回していた。晋はそのメンバーには組み込まれなかったが、自発的に別の筋から大晦日の仕事を入れた。鎌倉にいた頃は、行事の時はいつも仕事だった。その名残だ。普段は矢集(やつめ)を恐れたり蔑んだりするくせに、行事の日の仕事を代わらせようと利用する者が多く、特にこの大晦日なる日は一年で最も人気者になる日だったのだ。結局大晦日に仕事納め、元旦に仕事始めが恒例となっていた。つまりは働いていないと落ち着かない、完全なワーカホリックに自分でも呆れた。

 晋が街をぐるりと見渡すと、少し遠くのより高いビルの屋上で直嗣(なおつぐ)が弓を構えているのが見えた。亡霊にしろ暴走した武士にしろ、遠距離攻撃によって捕獲する作戦を立てているらしかった。

 地下迷宮の亡霊は未だ見つからず、また暴走している武士達に共通点は少なく、暴走の原因も不明のままだった。一年の最終日だというのに何ともスッキリしない終わり方だった。溜息をつくと、携帯が鳴った。画面を開くと、恭からのメッセージだった。写真が付いていたので開くと、そこには義将(よしまさ)の寝顔が写っていた。

 「あらら、初日の出見るとか言って、もう寝ちゃったの?」

晋は写真に微笑んだ。

義将は晋が寝込んだ後、暴走した武士との戦いについてやけに訊いて来て、「ゾンビみたいだった」と言った所大層怯えていた。「ゾンビ恐い?ゾンビ。」と更に追及されて思い出したが、恐いテレビを見ると言って恭を付き合わせたのはゾンビものだった。「恐いね。」と言った所、義将はゾンビが心底恐ろしいらしく身震いしながら恭にしがみ付いていた。

仕事と大学の両立の所為で義将にかまってられなくなった間、恭が付き合っているらしく、ここ最近は二人でゾンビの倒し方について研究しているらしかった。

 「もうすぐ今年も終わるな〜。」

つぶやくと、カウントダウンの音がしていた。

その時だった。

耳鳴りに近い嫌な感覚に襲われた。

晋は刀を抜き、足に力を入れた。刀を血振りするように振りまわすと、肩を回し、目をこらした。遠くのビルで直嗣が矢を引こうとしていた。部隊に組み込まれていない晋には連絡が来ないが、何かが起こっているらしい。

 ビルの隙間に、走っている人影が見えた。どこかで見た後ろ姿だった。晋はカウントダウン終了と同時にビルから飛び降りた。簡単な術を使って宙にいくつかの足場を作ると、階段を駆け降りるように地上へ降りて、人影を追いかけた。

 人影が向かう方向は直嗣の矢を向けた方向とは違っていた。情報が錯綜しているか、もしくは同時多発的に何かが起こっているかだろう。人影はビルの隙間に消えて、晋が加速したが、追い付く前に呻き声がした。刀を強く握り直し角を曲がると、そこには二人の武士が倒れていた。一人は即死だったが、もう一人は辛うじて息があった。

 「どうした?何があったんだ!」

晋が上体を抱き抱えて叫ぶように訊くと、微かに記憶を掠める匂いがした。

 「…亡霊…。」

それだけ言うと死んでしまった。

 「亡霊?…さっきの人影が、亡霊…。」

瞳の夫を殺した亡霊。

晋は立ち上がると、意識を集中させて気配を辿った。殆ど何も感じない、生きている人間の温度も、気配も、『波形』も、殆ど何も感じなかったが、本能的に走りだした。

もうほぼ勘のようなものでひたすら走っていった。冷たい空気が喉を通ると器官が焼けるように痛かった。

 辿り着いた場所は工事現場だった。ようやく人影を視界に捕えたが、既に転移する寸前だった。晋は反射的に術を展開し、自分を起点に大きな結界を張った。計算せずに目測で張った歪な結界は、ぎりぎり人影を捕えていた。夏に恭と作った「通気性の良い捕獲型」のアレンジだった。

 転移を阻まれた人影は、ゆっくりと晋の方を振り返った。

その男を視界に入れた瞬間に、夢がフラッシュバックした気がした。内容は思い出せなかったが、あの動悸をはっきりと思い出した。鏡の中の自分の目を、他人の目のような、亡霊のようなあの目をはっきりと思い出したのだ。

そして、あの夏の夜にこちらを見つめていた目だと確信した。

―――こいつが亡霊…。俺はもう会っていたんだ。

あの時追いかけなかった事が悔やまれた。あの時仕留めていれば、少なくとも助かった命があったはずだ。

暗さのせいか姿は殆ど目視出来なかった。ただ、目が晋を捕えている。無性に恐ろしかった。

 晋は少しずつ近づいた。亡霊との距離に比例するように結界を小さくして行った。

亡霊の目は無機質で無感情、ただ晋を見ていた。

晋が刀を構え、亡霊との間合いを詰めた瞬間だった。

亡霊は殆ど引きずる様に、持っていた刀を振り上げた。地面を擦りコンクリートと刀が擦れる激しい音と共に空中に向かって振り上げられた刀は、晋が一瞬息を飲む程長い刀身をしていた。()(がすみ)より長い、そして闇を吸収して瘴気を纏うような邪悪な刀だった。亡霊の刀が天を貫くように見えたその時、晋の展開していた結界がまるでガラス窓が割れるように、勢いよく音をたてて壊れた。残滓がガラスの破片のように夜空へ散ると、晋の反応速度を遥かに上回る速さで、亡霊は転移し消えてしまった。

晋があわてて亡霊の立っていた場所へ駆け寄ったが、そこには誰もいなかった。

 けれど微かに、ぼんやりとした日向の匂いが残っていた。



 正月だというのに恭の帰省許可は出ず、元旦は知将(ともまさ)のお取り寄せおせちを食べる以外は殆ど日常と変わらないと思っていた。しかし、知将が元旦は義将を連れて和田本家へ挨拶に行くのが習わしで、今回は恭を連れて行くと言い出した。

恭は知将には大変世話になっていたが、和田本家へは行ったことがなかったので、良い機会だと合意した。晋は恭が挨拶を済ます間道場で待っていることにした。

 和田本家は道場と同じ敷地内にある大きな屋敷だった。瞳の暮らす離れは更に奥まった場所にあった。

三人は和田家当主基将(もとまさ)の待つ和室に通された。そこは代わる代わる新年の挨拶が尋ねてくる部屋と言った様子で、知将を嫡子であろうと他との区別はつけないと無言のまま宣言しているようだった。

和田基将は、和田家当主と言う名に負けない重厚感のある佇まいで挨拶した。歳を感じさせない筋肉や生命力の力強さは間違いなく和田の系譜を感じさせた。

知将はこの元旦が唯一本家への出入りの許された日で、一度は縁を切った父親との対面の日だった。しかし知将の緊張を尻目に義将にとっては他意なく祖父との対面でしかなく、全く気負いのない様子で挨拶をすると、お年玉を貰って喜んでいた。恭は、義将がどちらかというと『昼』の子供に近い色を持っていると常々思っていたが、基将も嫡流に対する厳しさより孫可愛さという態度だったので家風なのかも知れないと観察していた。そんな恭の視線を感じてか、基将は唐突に義将に提案した。

 「義将、今日は経将(つねまさ)が来ておる。道場におる故、会って来てはどうか。」

 「はい。そういたします。」

義将は嬉しそうに返答すると、一礼して出て行った。

義将の気配が完全に消えてしまうのを待って、基将は言った。

 「今まで挨拶もせず、たいへん失礼致しました。私、和田家当主・和田基将で御座います。我が至らぬ愚息の元でさぞ御不便をしておられる事と存じます。重ね重ねお詫び申し上げます。」

勢いよく頭をさげた基将は、張りのあるよく通る声で一気に言ったので、恭は少し気圧されながら礼を返した。

 「こちらこそ、世話になりながら顔も出さず、失礼しました。知将殿、義将殿共によくしてくれております故、詫びには及びませぬ。本日はめでたき元日、謝罪はやめにして下さい。」

 「そう仰っていただけますと救われます。」

ようやく頭を上げた基将の顔は先ほどの義将に向けた顔とは別人のように強張っていた。

 「恭殿のお噂が伺っております。たいへん有望な方だと。こうしてお会いできること、本当に光栄で御座います。」

 「やめて下さい。それは兄が言っているだけの事。それに俺は有名人ではありません、噂などありませんよ。」

 「そうですね。噂は大袈裟でした。しかし地龍様の縁故有る者は皆、貴方様に期待しております。さぞ御立派な将になられるだろうと。今年は丁度成人の年。元服し、いよいよ采配を振るわれることと存じます。」

一般的な地龍武士にとっての恭の存在は、地龍当主貴也が目に入れても痛くない程溺愛している弟でしかない。その実力も人物像も全くの不明だった。けれど貴也を知る中枢に近い武士の間では一目置かれていたのだ。貴也の欲目ではなく、恭その人のポテンシャルを高く評価している者が多かった。恭自身は全く意に介していなかったが。

 「さぁ、兄の真意は不明です。少なくとも大学を卒業するまでは現状のままではないでしょうか。それでも俺に出来ることがあれば限りを尽くす所存ではおりますが。」

恭がどんな将来像を描いても貴也の言う通りにしかならない身の上。出来ない事を望むより、与えられた環境で最大限を生かす方が利口だし、楽しいと割り切っていた。それなりの展望もあったが、多くを語らないのも恭という人だった。

 「それは頼もしい。貴方のような方が義将の近くにおられる事、本当に幸福に思います。どうか、義将をよろしくお願いいたします。」

 「それが真意ですか?」

恭が一言で空気を変えた。知将がぎょっとした顔で恭を見た。基将は眼の色を変え恭を見据えてから一呼吸おいて話し始めた。

 「流石。輩が始めから別の目的があると察しておられたか。それでは、本題に入ろうか。恭殿、今この東京エリアの置かれている状況は把握しておられるか?」

 「ええ多少は。地下迷宮から現れた男、通称・亡霊が追跡の手を逃れ未だ不明であるという事。また、催眠状態で好戦的になる武士が続出し、この原因も解決法も未だ不明であるという事。それらの状況から、兄が『龍の爪』を何人か送り込んで対応している事。いずれも対処的な方法であり、後手に回っている状況ですね。」

恭が淀みない口ぶりで言うと、基将は頷いた。

 「その通り。しかし、催眠状態とは。奴等が何故自我を失っておるかは不明だが。」

 「先日、矢集(やつめ)が対峙した際、中に知り合いがいたそうです。腕は記憶していたより遥かに上がっていたそうですが、その太刀筋は本人のものだったとの事。操られていた場合、操っている者の太刀筋になるはずですから、その者達は何らかの催眠状態にあり、潜在能力が引き出されてはいるが、あくまで本人であると考えました。」

 「ほう。催眠か。調べてみましょう。」

基将は感心したように何度か頷き、そして続けた。

 「して恭殿、その亡霊についてなのだが、ある噂というか、その正体についての説がありまして。」

 「亡霊が何者なのか分かったんですか?」

 「いえ、あくまでも可能性のひとつと言いますか。根拠の何もない事ですので御気を悪くされるかとも思ったのですが、一応お耳に入れておこうと思いまして来て頂いたのです。」

 「…誰なのですか?」

恭は悪寒がした。それは危険信号のような気がした。

 「それは…」


 晋が道場を覗くと、元旦の初稽古なのか今まで見たことのない人数が集まっていた。元々門下生が多いとは思っていたが、こうして見ると本当に大きな流派なのだと思った。普段は忠将(ただまさ)の許可があるとは言え勝手に潜り込んで紛れている感覚だったので、その日は道場の外から人並に隠れるようにして中を見ることにした。やはり自分は他所者で、この場には相応しくないという負い目や気遅れがあったからだ。

 見るとその日の道場には中心となっている人物がいるようだった。その者が全員に向かって偉そうに何かを言ったり、一人ずつ稽古をつけたりしていた。それを周囲の門下生は食い入るように見つめていた。

誰だあれ…と心の中で呟いたのだが、背後から聴きなれた声がした。

 「和田(わだ)経将(つねまさ)。この道場の門下生で一番強い人だよ。」

 「義将、もういいのか?」

 「うん。おじい様にお年玉もらっちゃった。」

うひひっと現金な笑いを浮かべる義将の頭を晋がぐりぐりと撫でると、義将は自慢げに話しだした。

 「僕の親戚なんだ。父さんのいとこ?で、去年の春、鎌倉の七口の直轄部隊に選ばれたんだ。道場きっての出世頭なんだ。皆の憧れだよ。」

 「ふ〜ん。七口のって、どこ?」

 「確か…化粧坂(けわいざか)。」

 「うげ。春さんとこじゃん。癖強いな〜。」

 「知ってるの?」

 「北条(ほうじょう)春家(はるいえ)殿の指揮する小隊ってことになるんだと思うけど。春さん結構無茶苦茶だからなぁ、曲者揃いだって弁天さんに聞いた事はあるけど…。本当に濃いね。」

晋が遠い目で覗くと、経将は自分の講演会を開いているようだった。太い眉を上下させ、鼻の穴をひくつかせて、ひたすら自慢話を続ける経将を、晋は嫌いだなぁと思った。

 「義将もあいつに憧れてんの?」

あれだけ男の友情を深めた義将が、あんないかにも頭の悪そうな奴に憧れているなどと言ったら元旦早々風邪がぶり返しそうな気がした。

 「え?憧れてって言うか、可愛がってくれるよ。」

 「義将は誰にでも可愛がられるに決まってるでしょ。」

義将の屈託のない笑顔、否、現金な笑顔を呆れ顔で見ながら晋は、恭が早く帰って来ることを願った。

晋が天を仰いでいると、道場の中から暑苦しい声が飛んできた。

 「おう!義将じゃないか!」

その声で門下生が道を開け、義将と晋が経将からよく見える配置になってしまった。

 「でかくなったな。どうだ、強くなったのか?」

晋はそうっといなくなろうとしたが、その裾を義将が掴んだ。

 「晋兄ちゃん、紹介するよ。来て。」

 「いや、いいよ。本当に勘弁して。俺こういうの駄目だから。」

 「いいから、いいから。経将兄ちゃん、この人僕の新しい師匠なんだ。矢集晋さん。」

 「っこらっ。義将、いつからそんなに空気の読めない子になったんだ!」

声を潜めて義将に訴える晋を、経将だけでなく多くの門下生が睨むように見た。その日は普段会わない門下生が多く、晋は針の筵状態だった。

 「ほう、矢集?あの矢集か?」

 「…どの矢集かなぁ〜?その矢集かな?」

周囲の刺すような視線を誤魔化そうとテキトーな事を言おうとしたが、どうにもならなそうなので腹をくくった。

 「…矢集晋と申します。四月より知将殿の家に厄介になっております故、義将殿の稽古に参加させて頂いております。」

今の心境の中で出来うる最も丁寧な礼をした。

しかし、その下げた頭に降ってきたのは溜息混じりの失笑だった。

 「ほう、所属はどこだ?」

経将の最大の誇りである所属部隊攻撃が早速飛び出した。初手からカウンターかよ、晋は内心唾を吐いた。

 「部隊には所属しておりません。地龍当主様が御弟君の側近を務めさせて頂いております。」

 「はっ!弟?弟って、あの地龍殿が蝶よ花よと育ててきたっていうあの飾りの弟か?」

経将はこれでもかという程厭味な声で言った。

 「だいたい、地龍殿の弟だってのに、何の経歴も聞かないし、噂と言えば地龍殿が溺愛されているというもの位。ってことは、大したことないって事だろ?その側近?はっ。ぼんくらの側近って仕事あるの?着替えさせたり、飯食わしたりすんのか?あははっ。」

義将が何か言おうとしたが、晋の気配が変ったのに気が付き躊躇った。

 「お〜、すげ〜『波形』してんね。気持ち悪っ。飼い犬がご主人さま貶されて怒ったって?でも大したことない奴の側近なんて、どうせ大したことないよな。そうだ、お前の実力俺が確かめてやるよ。光栄だろ、俺直々指南を受けるなんて。ここの門下生だって皆が皆受けられる訳じゃない。」

晋が一歩前に出ると、義将が黙って木刀を取りに行った。それを経将が止めた。

 「義将、いいよ。真剣でやろうぜ、な、矢集くんよ。その方が勉強になるだろ。」

晋は黙ったまま刃霞の柄に手をかけた。

経将はにたにたと笑いながら、自らの刀を抜き構えた。おずおずと経将の取り巻きの一人が掛け声をかけに出てきて、緊張した声で言った。

 「はじめっ!」

その瞬間だった。一瞬の出来事、まるで風が吹き抜けたかのようだった。

全員が息を呑んだ時には、晋が闇の中で兎を狙う獣のような鋭い眼光で経将の喉元に刃霞の切っ先を当てていた。

経将は何が起こったのか理解できないようで、目をぱちくりさせていた。審判役の者が勝負ありと声をかけようとした時、晋がゆっくり前に出ようとした。これ以上近付いたら、経将の首に刃が刺さる…その時

 「晋、何遊んでる。帰るぞ。」

道場の外で涼しい顔をした恭が立っていた。

晋がゆっくり刀を下ろし、経将が恭を見た。

恭の深く黒い、意志の強い目が、異常な程静かな『波形』が、背筋の伸びた美しい立ち姿が、ぱっと見ただけで何もかもが格上だと理解できた。具体的に何処というのではない圧倒的な特別だった。

今迄の殺気が嘘のような態度で晋が言った。

 「恭!ごめんごめん。暇だったからつい。」

経将は、この男が地龍当主の弟である恭だとようやく理解が追い付いた。

そして、笑いながら刀を収めてから恭の元へ駆け寄る晋を、経将は慌てて呼び止めようとした。すると、少しだけ振り返った晋と目が合った。

殺意

それ以外の何物でもない目だった。

その目を見て、経将は何も言えず立ち尽くしてしまった。

道場は静寂に包まれてしまった。


 「相変わらず短気だな。」

恭は晋と道路を歩きながら言った。

 「あっちが喧嘩売ってきたんだよ。」

 「簡単に買うなお前は。」

 「俺だって最初は大人しくしてようと思ったんだよ?でも恭の悪口言うんだもん。」

口を尖らせて言う晋に、恭は溜息をついて諭した。

 「なら尚更だ。言いたい奴には言わせておけ。」

 「御主人様を愚弄されて黙っていたら犬失格だワン。」

 「ばか。」

恭は軽く晋の頭を小突くと、足を止めた。

 「なぁ、お前、亡霊を追いかけてるよな。」

 「え?あ…あぁ、そうね。」

 「どうして…。」

 「いや、特に理由はないけど、気になって。それにほら、皆返り打ちにあってるし、腕がなるって言うか、ね。」

 「そうか…」

 「通称・亡霊さんが、どうかしたの?」

 「っ…いや、何でもない。」

 「何だよそれ。何何?何なの?歯切れが悪いのは恭らしくないよ?」

 「うん。…いや、根拠も何もないんだ。もう少し確証を持ってから話す。」

 「ふ〜ん。ま、いいけど。」

晋は横目で恭を見た。恭はまだ何か言い淀んでいるようだったが、これ以上勘ぐっても良い事は無さそうだし、言わんとしている事がそもそも嫌な感じがしたので、流しておくことにした。

そうして二人で歩く内、今度は晋が口を開いた。

 「…恭、俺昨夜の…いや、俺も、今度にするよ。」

晋は昨夜、亡霊と接触した事を言いたかった。けれど言えなかった。単純に、言えば唯一の目撃者となり色々と聞かれる立場となるのが嫌だったのもあるが、本能的に言ってはいけない気がした。晋の情報で早く亡霊が捕まれば、その分死傷者は出なくて済むかも知れない。けれど晋は亡霊について知る事が、何か恐ろしい箱を開ける事のような気がした。この不安の正体を知るまで、しばらく黙っていようと思ったのだ。

 「…そうか。」

恭は晋の指先が落ち着きなく動いているのを見て緊張しているように感じた。恭に言いたいが、言わない、良い事ではないようだった。どちらにしても晋が言える時が聴くタイミングなので何も言わなかったが、少し胸騒ぎがした。

 「知さんは?」

 「義将殿と帰るから先に行けと。」

 「あ、しまった義将のこと放ったらかしだった。大丈夫かな。」

 「知らん。後で何か言われる覚悟くらいはしておくことだな。」

晋がうげっと、おちゃらけた声と共に舌を出したが、恭は一瞥もせず笑っていた。


 「晋ちゃん、あなた何やったの?」

少し遅れて帰宅してきた知将は晋の顔を見るなり訊いた。

 「何って…あ、経将殿の事…か…な?」

 「私が行った時には青い顔して帰るとこだったわよ。いつも媚びまくってる取り巻き達が一人もいなかったし、道場の空気が変だったわ。周りの子達に訊いてみたけど、誰も要領を得なくてよく分からなかったんだけど、晋ちゃんが関わってる事だけは分かったの。」

知将の後ろから帰ってきた義将が晋を見るなり駆け寄ってきた。

 「晋兄ちゃん、凄かった!超っ強いね!僕びっくりしちゃった。だって経将さんは忠将おじさんの次に強い人だよ。それに出世して偉い人なんだ。それなのに簡単に、僕、超かっこいいと思ったよ!」

興奮以外の何一つ伝わって来ない義将の様子に、晋が受け止めかねて恭に視線で助けを求めたが、恭はやけににやにやしているだけだった。

 「いいか、経将殿は態度こそでかいが大したことはない。それより、よく覚えておけ。忠将殿と経将殿の実力は雲泥の差だ。そして、知さんはもっと強い。もう月とスッポンどころじゃないんだ。だから俺より知さんの方が凄いしカッコいいんだ」

晋がよく言い聞かせると、義将は目をまるくした。

すると知将が晋の頭をゲンコツで殴った。

 「った!」

 「やめなさい。大人気ない。訳分からない事言って攪乱しないの。つまり、晋ちゃんが経将を倒しちゃったのね?あのプライドの塊に大勢の門下生の前で恥をかかせたのね?」

 「俺は殺す気だった。」

 「なお悪いわ!」

さらにゲンコツが飛んできた。

 「まぁいいわ。経将の鼻っぱしらはいつか誰かがへし折ってやらなきゃいけなかったんだし。それは仕方ないことにしましょう。でも、あとは知らないわよ。」

知将は細めた目で晋を流し見た。

 「え?」

 「あの感化され易い門下生達が、教祖を倒されてどう出るか…私が帰る時は既に『武神の降臨』ってつぶやきが聞こえてきたけど。」

 「ぎゃああああっ。やめて!」

次の教祖に祭り上げられることは決定したようだった。

 その後の噂の広まる速度は半端ではなかった。あの日の和田道場には、元門下生で現在はそれぞれの部隊に所属している者が一同に会していたらしく、全国規模で話が広まってしまった。ただ、噂というものは尾ひれの付く物であり、また大きく変化していくものである。あらゆる人の間を転がされた結果、地龍当主の弟を貶すと飼っている獣に殺されるらしい。とか、地龍当主の弟は猛獣使いだ。とか、恭を主体にヤバいものを飼育している的な内容になったらしかった。

とは言え、現場の和田道場ではすっかり晋の地位が向上し、矢集の名に対する恐怖などがまた良い具合に助長したらしく、畏れながらも尊敬するというような態度をとられるようになった。

 そのため晋は道場に顔を出しずらくなってしまった。仕事と大学を言い訳に、ごくたまに義将の稽古に付き合う程度にした。それでも義将に悪いので、稽古の一貫と称して二人でランニングなどをするようにした。

晋はこっそり道場に行く時や、道場の近くを通る時は決まって瞳の姿を探した。瞳の細い体が見えると、少し背筋が伸びるような耳が熱くなるような気がした。

 そしてその度に亡霊の影を思い出すのだった。

晋はそうして過ごす内、二月になる頃には毎晩のように亡霊を探しに出かけるようになっていた。



年始の京都は華やかで賑やかだった。多くの屋敷で新年の挨拶を交わし、豪華な料理に舌鼓をうった。そんな屋敷のひとつでは、妖し気な面々が顔を寄せ合っていた。

 「ほんなら、奴は上手く動いていると?」

 「ええ。長い年月をかけて調教してきた甲斐がありました。今も多くの追手が奴を狙っていますが、全て殲滅しております。」

 「さすがやな。いくら催眠状態や言うてもあそこまで強うなる者はようおらんわ。素材がええ言うことやな。」

 「はい。龍の使いだけの事はあります。」

 「せやな。けど、気をつけなあかん。ほんまに奴が龍の使いなんやったら、目的は契約の履行や。奴に長老会が卵を狙とることがバレたら殺されんで。」

 「分かっております。それでも我ら長老会の長年の悲願である龍の卵を手に入れることのためには、必要不可欠な存在ですから。そのために誘拐して幽閉して薬漬けにして機が熟すのを待ってきたのでしょう。」

 「せやな。幸い貴也も義平も重盛も奴を死んだて思うとる。おかげでこっちはやり易かったわ。」

 「死んだと思っていたから、亡霊ですか?随分上手い事を言うものですね。貴也様も多少こちらの動きに勘付いておられる模様。慎重にならなければなりませんね。」

 「貴也の奴。なかなか隙を見せへん。ほんま可愛気ないわ。せやけど、もうすぐ寝首かいたるさかい、楽しみに待っときや。」

 「貴也様が当主になって以来、兵力増強や地方の編成の整理など、あらゆる改革をしておられましたからね。こちらの動きを封じるには上手いやり方でした。先代の采配からすれば大分強引ではありますが、随分変わり、組織内の風通しが良くなったように思われます。あの方の政治手腕は魅力的なので少し惜しい気もいたしますね。」

 「何や、敵に塩送ったるんか?油断すると寝首かかれるんはこっちやで。例の部隊は出来そうなんか?」

 「は。東京エリアで何度か実験を行っておりますが、いずれも死ぬまで正気に戻る者は一人もおりません。そろそろ次の段階に移行してもよろしいかと。」

 「ほうか。ほんなら、まかせるわ。忠実な催眠部隊作ってや。」

男が匂い袋を投げた。

別の男がそれを受け取ると懐へ入れた。

ぼんやりとした日向の匂いが微かに漂っていた。

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