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49 樹海の事

 毘沙門が目的の部屋へ辿り着いた時、そこには幸衡(ゆきひら)と、鬼と対峙する(みつ)(たね)がいた。

 「幸…光。これは一体。」

恭と晋も追いつき状況を見た。光胤の小さな体に対し、鬼は大きな体躯に硬い皮膚鋭い爪と牙と角。見た目だけでいけばひとたまりもないように見えた。

 「よぉ矢集(やつめ)、姫さんは助けといたぜ。お前じゃなく、俺様がな。」

振り返らず背中で言う光胤に、晋は苦笑した。憎まれ口を叩くが光胤は晋にとって恩人だ。こうして見ると、晋のために死んでみせた毘沙門も、恭を騙した幸衡も、信じて耐えてくれた(ひと)()も、皆恩人だ。どれだけ言葉を尽くしても足りはしない。それでも本人に表せるものは言葉しかなかった。

 「残念ですけど、ありがとうございます。」

晋が礼を言うと幸衡が目で合図をした。光胤に任せて先を急ごうという意思表示だった。それに従い全員で対峙する二人の脇をすり抜けて奥の部屋へ向かった。

鬼は樹海に近付く者の排除を命じられていないのか光胤を見据えたまま恭達には関心を示さなかった。

 奥の部屋に着いた時、晋は無理矢理に恭を担ぎあげた。俵でも担ぐように担がれた恭は、晋の痩せた肩が腹に刺さって痛いのを我慢して首の力を抜きじっとした。すると勝手に床が動き出し、隠されていた階段が姿を現した。晋が驚いていたが、毘沙門と幸衡が当然のように降りるので、恭を下ろして晋も先を急いだ。

 「何で担がれたんだ、俺は。」

 「俺は広元サマから恭を殺して龍種を持ち帰るように言われてる。恭を連れて来れば龍種を持ち帰った事になるし、無条件に樹海へ入れてくれるかなって。俺が恭との勝負に勝って恭を生け捕りにした的な体でさ。」

 「俺がお前に負ける訳がない。」

 「そらやってみないと分からない。」

恭が不服そうに言うので晋も負けじと答えたが、そんな様子を先を行く毘沙門が諌めた。

 「このような所で子供じみた言い合いをするとは感心しませんね。」

だがその言葉に恭は反発した。

 「このような所だが言わせてもらおう。幸衡、お前の策はかなり頭にきたが悪くなかった。かなり頭にきたので殴ったことの謝罪はせぬがな。」

 「私は常に最善策を打っているが、それに伴い私が受けるべき報いがあると自覚しているつもりだ。故にあの痛みもまた私の優れたる証として受け入れた。」

晋の家を焼いた幸衡を恭は殴った。あの頃から二人の関係はどこか微妙なバランスをとっていた。その状況を招いた張本人の晋だけがその事を理解していない。

 「え?幸さん恭に殴られたんですか?うける。」

 「いくら怒りにまかせたとて、幸の綺麗な顔を殴れるのは地龍様だけでしょうね。」

幸衡の美貌は地龍の財産のひとつだと言わんばかりの毘沙門に、さすが幸衡は呆れた。どうせまたからかわれているのだ。

 「晋くんも、君の家を焼いたのは私だ。恨みたければそうするといい。」

異常に長い階段を下りながら幸衡が言う。晋は肩をすくめた。

 「幸さんは俺の命の恩人ですよ。家の一つや二つ焼かれた所で恨んだり出来ませんって。それにあの家は降って湧いた父さんの遺産で建てたんで、どっか実感なくって。やっぱ憧れのマイホームは自分で稼いで建てないと駄目って言う神様の忠告なんだと思いました。」

晋の答えに全員が黙った。あの家はただの家ではない。建て直せば済むのであれば幸衡が責任を持ってやるだろう。けれどそれは難しいのだ。あの土地に、再び矢集の家を建てる事は、矢集晋が鎌倉に戻る事は、困難だ。これだけの怨嗟の中心にいて、後でどれだけ身の潔白を主張してみせたとしても誰の溜飲も下がらないだろう。元通り、という訳にはいかないのだ。それだけ人が死に過ぎた。直接的な関係が無くとも矢集は地龍中の恨みの対象になってしまった。

 「この先どうなるんだろうな。いっそこの夜が明けなければ良いのにな。」

一緒にいられる今は、もう来ないかも知れない。恭の不安は意識せず口から零れた。そう言いながら下って行くと徐々にその全貌が見えてきた。足元に広がる何かもこもことした広大な地形は、とんでもない広さの樹海だと理解するまでに時間がかかってしまった。

 「ここから一本の木を探せって事?」

時間が無いというのに、途方もない状況だ。全員がようやく階段を降りきると、目の前に広がるのは鬱蒼とした大きな森だった。樹海、正にそれだ。

 「ええ。双樹(そうじゅ)です。」

沙羅(さら)双樹(そうじゅ)は特別な木。

 「すべて焼き払うという訳にはいかぬか。」

 「普通の炎では燃えません。」

核を探すのは手間だ。ならば全てを一気に焼いてしまえば…。しかしそれも廃案となった。

 「じゃあしらみつぶしって事?」

 「龍脈の枯渇は夜明け。時間がない。」

方向も時間も体感から奪われてどれだけ経ったろうか。恭の中には確かな焦りが生まれていた。毘沙門はここからの道案内にと(まさ)(たか)の方を向いた。

 「雅貴殿が案内してくださいます。」

振り返るとそこには雅貴はいなかった。全員が周囲を見渡したがそこに雅貴はいなかった。



 光胤と鬼の睨み合いは長かった。光胤が刀を抜いてかまえてから、鬼もまた刀をかまえた。

 「師房(もろふさ)、なのか?」

光胤は恐る恐る訊いた。鬼は無反応だった。

 「覚えてるか?一条維(いちじょうこれ)(たか)は健康オタクでいっつもカロリー計算してさ、殺戮は軽い運動程度が好ましいってデタラメ言ってた。高倉伊(たかくらただ)(やす)は熱血で、いつも感情で動くからうざくて皆に煙たがられてた。でも憎めない奴だったよ。藤原(ふじわら)(まさ)(のり)はヤンキーのくせに潔癖でさ、いつも除菌したがって、物事に対しても潔癖で曖昧なものを憎んでた。源業(みなもとなり)(ちか)は女好きでポジティブなドМの変態でさ、被虐心が強いくせに自分の戦闘力が強いもんだからいつも満たされなくて欲求不満だったよな。河野(かわの)(ため)(あき)はマッドサイエンティストな上ネクロフィリアのとんでもねぇ危険な野郎でさ、いつも誰かを品定めしてた。あの目で見られるとさすがに鳥肌がたったわ。」

懐かしい京都七口。光胤にとっては多く経験した潜入先の一つだったが、最も寝覚めの悪い仕事だった。それ故に忘れられないのだ。最初から裏切り者だった光胤が彼等に情を持つことはなかった、ないはずだったのだ。しかし入ってみれば案外似た者同士で気は合った。居心地も悪くなかったし、維隆は光胤にとって友と呼べる存在だった。だが全員が死んだ。

 「なぁ師房。お前は今この状況を想像できたか?お前が望んだのはこの世の終焉だったろ。すべてを壊して何もかも奪って世界を終わらせるつもりだった。そうだろ。」

鬼は動かない。

 「でも今も世界はここにある。どこにだってある。」

光胤の声は、どこか悲しみが含まれていて空気の振動で自身の耳に届いた時、自分ではない他人の声のように感じられた。

 「それが…許せないのか?」

無念の内に死んだ霊魂でなければ鬼になどならない。誰にどう唆されてどんな改造を施されたとしても素質のない霊魂は鬼になどならない。つまりこの鬼が師房をはじめとする京都七口だと言うならば、それは全員が無念の内に死んだという事だ。

 それはそうだろう。誰も納得などするはずのない戦い、そして敗北だった。でも光胤は思う。きっと勝っても同じだっただろう、と。

 「理想を手に入れても、そこにあるものは、きっとお前を満たさない。もうお前って奴がそういう気質になっちまった地点で、お前を満たすものなんかこの世のどこにだってありはしない。お前は何も肯定する気が端から無いんだから、どう足掻いても満足する結果なんてありえない。」

光胤の言葉が、どれだけ目の前の人外に伝わっているかは不明だ。だが、光胤は続けた。

 「そんで、それは社会や環境や地龍や大人の所為なんかじゃなかった。」

光胤の刀・蛾眉は地下迷宮潜入時にそれとバレないように柄と鐔と鞘を変えた。元々扱いが荒いので新調を申請し続けていたので良い機会だった。繊維強化金属だか強化プラスチックだか何だかで造ったと言われたが素材には特に興味はない。仕上がりは上々だ。ブレない切っ先が鬼を捕えている。

 「お前自身の所為だ。」

光胤のかまえは鬼をまっすぐに見ていた。その内側にあるものを見通そうとせんばかりのまっすぐさで。相手の力量は不明だが、先に動いた方は不利だと察していた。一撃目は品定めだ。受ける方が攻撃を見る事が出来る。

 「その構え、ずっと気になっていた。」

鬼の口から言葉が紡がれた。

光胤は緊張した。

 「光胤は俺達とは違う、認められなかった野良犬ではない。」

起伏のない声だった。誰の声とも違う、そしてまるで複数の声が重なり合っているような不気味な響きだった。

 「光胤、お前のかまえは野良が習得しているはずのないものだ。」

光胤は元は平家の分家の中でも直系に近い家の嫡男だ。育ちは良いし教養もある。それは光胤を構築する基盤の部分であり、どう足掻いても取り払う事は出来ない。そのかまえから光胤の生まれが鬼の言う野良ではないという事は当初から感じていたのだろう。

 「お前は飢えていなかった。」

 生まれてこの方誰にも肯定された事がないというのが全員の共通点で、承認欲求が彼等を歪ませ狂気を作り出したものの正体だった。光胤は潜入のために合わせていた訳ではない、光胤自身が間違いなくその素質を持っていた。不遇による冷遇が光胤の人生を歪ませていたのだから。だが、それはまだ底ではなかっただろうとは思う。他の面々に比べれば、光胤には救いがあった。光胤には仕えるべき敬愛する主・重盛(しげもり)がいたし、家に帰れば気の置けない友・千之(せんの)(すけ)が待っていた。光胤を廃嫡にした父とて光胤を憎んでいた訳ではなかったし、多少の嫌な事ならば甘いものを食べれば忘れられた。他の六人にはそのどれもが存在しなかったのだ。何一つの灯もない闇の底を、自分自身の腐った心を抱えて歩き続けるしかなかったのだ。

確かに彼等は飢えていた。圧倒的に飢えていた。それは人の温もりや承認に対する渇望ではない。既にここまでの人生を苦痛に満ちたものにした全てに、同等かそれ以上の苦痛を与える事に飢えていたのだ。

 「光胤、お前には無かった。」

彼等は一人残らず殺人鬼だった。

一人残らず狂っていた。

 「すべてを無に帰したいという願望がお前にはなかった。」

何をも凌駕する破壊衝動、光胤はまだ感じたことがない。きっとこれからもないだろう。例え全ての愛するものを失っても、光胤はそれでも甘さを貫くだろうから。是非も無い闇においても心が望むのは光だから。それしか生き方を知らないから。光胤の飢えは、承認へのもの、そして万人に降り注ぐような幸福という甘い夢へのものだ。同じ飢えでも、他の六人とは正反対を向いていたのだ。

 「そうだな。俺様には、お前たちと同じ様に飢えてやる事はできなかった。」

 「居場所のある者には分かるまい。」

 「居場所はあったろ。」

 「京都七口、か。」

嘲笑うかのような鬼の口調に感情はない。光胤がそう感じただけだ。

 「京都七口は始めから暴走して死ぬためにつくられた。犬死にするために、野良を集めたのだ。それが居場所か?無駄に死ぬ事がお似合いという事か?」

自虐でも嘲笑でもない、問いかけてくる声はまるで哲学的難題を前にしているようだ。人はどこから来て、どこへ行くのか?と。

 「なぁ、この地下迷宮への侵攻部隊に選ばれた奴等がどんな気持ちでここへ来たと思う?ここは入ったら最期誰も戻って来ない魔窟だ。死地へ赴けって命令に、喜んで来たと思うか?」

光胤は常に戦う地龍の中で、皆死を感じながら強がって生きているのだと思う。

 「皆同じじゃねぇの?いつ死ぬか、任務はいつも死ぬ確率の高低の差でさ、いつ死んでもおかしくない。生まれつき、刀を振ると決められた俺様達は、皆同じだろ。どんな理由があっても、自分の行動を決めるのは自分だ。選択だよ。京都七口に入ったのも、そこで何をしたかも、死に場所だって、全部お前の選択の結果だろ。」

 「詭弁だ。」

 「そんな事ねぇよ。嫌だったならどこへだって逃げれば良かったんだ。『昼』に紛れて身を隠して、流れ者にでもなって辺鄙な地方部隊転々として、どっかで可愛い子見つけて結婚して養子になって過去は捨てて生きて行けば良かっただろ。そういう選択だってあった。」

光胤が感情的になって一歩前へ出ると、それを隙と見たか鬼が弾丸の如き速さで光胤に向かって来た。反射で右に避けると突きは光胤の頬を薄く斬り去って行った。

 「それは考えたこともなかった。」

大きな動きで攻撃してきた鬼の脇はガラ空きで、光胤はそこへ刃を振り抜くと切り裂かれた鬼の胴から溢れたのは鮮血ではなくヘドロのような黒い液体だった。

 「だからお前は始めから選択肢を否定して自分を追い込んでただけだろ。誰も認めてくれないって言うけど、少なくとも俺様も、九条兼(くじょうかね)(さね)大江(おおえ)広元(ひろもと)も認めてた。実力は十分だって。でなきゃ恭になんかぶつけるか?利用されてたって思うかも知んねぇけど、その利用だって雑魚じゃ出来ねぇよ。俺様達は強かった。力の使い方を間違えただけだ。」

鬼の攻撃には防御という概念がないらしく、光胤めがけて刀を突いてくる。

 「間違い?」

元々小回りのきく光胤は鬼の防御しない体に容赦なく刀を振った。

 「間違いと言うが、お前の言う選択肢の先にある平穏で平凡な人生には魅力を感じない。」

鬼が突き、光胤が避け、鬼のガラ空きの胴への攻撃。何度か繰り返した時、突きを避けた光胤が鬼の胴へ向かったところを、鬼は素早く刀を逆手に持ちなおし切り返すと光胤を襲った。

 「うあっ!」

右肩を貫かれた光胤が刀を落とし、その場で膝を着いた。悠然と光胤から刀を引き抜く鬼は続けた。

 「やはり気が付いた時には望んでいたのだ。破壊を。」

光胤は肩を押さえたが指の間から血が流れた。

 「お前が光を望むように、我等は闇を望んでいた。そこにどんな差がある?我等はそういう生き物だったのだ。それを誰に否定する権利がある?」

 「奪われる者は、抗い戦う。破壊の限りを尽くすお前等を、破壊される方が黙ってると思うのか?歴然たる差があんだろうが。そんでも俺様は、お前たちが生まれて来た事を忌み否定する事は出来ねぇ。」

膝を付いたままの光胤が鬼を見上げると、その光胤を今正に貫こうと刀の切っ先を向けていた。

 「甘いことだ。」

猛スピードで直下してくる切っ先を、光胤は躊躇いもなく右手で受け止めて反らし、懐へ飛び込んだ。貫かれた右手に刀を奪われ、空いた左は光胤の左手に掴まれた。顔面近くまで飛び込んできた光胤の顔は少し青い硬い皮膚をしていた。

 「それが俺様だよ。だから俺様はお前たちを否定しない。」

鬼の瞳に映ったのは、光胤の光をいっぱいにためたガラス玉のような煌く目と、大きく開けた口の中の鋭利な牙だった。

 言うと光胤は鬼の首筋に深く噛みついた。痛覚がないのか鬼はただ驚いただけのようだった。

 「お前たちは俺様が受け入れる。一緒に生きよう。」

光胤はそのまま鬼の体を貪った。鬼はあまり抵抗しなかった。



 春家(はるいえ)が地図中を隈なく探ってようやく最奥へ辿り着いた時、黒い血にまみれた光胤がぽつんと座っていた。見た目は人の姿だった。もし一角(いっかく)の姿だったとしても既に春家には判別がつく。そこにいたのは一角のようにも見え、光胤のようにも見える不思議な感じだった。

 「光?」

そっと呼びかけると、光胤は一度春家を見てからまた逸らした。

 「春か。遅いだろ、お前。本来なら一番のりのはずだろうが。ドンケツだよ。馬鹿。」

 「いや、迷って。それに地図中まわってたら…って、お前泣いてんの?」

春家が近づいて行くと、血まみれの光胤の目は何物にも交わらない純粋な光の粒を零していた。

 「ままならねぇよな。俺様は俺様の甘さを正義だと思ってるけど、それで傷付く奴もいて、みんな幸せになる世の中なんてないのかもな。」

その美しい輝きに春家は一瞬息を飲んだ。

 「この二十一世紀に何古臭い事言ってんの。俺達が守ってるのは境界だよ。『昼』も『夜』もどうありたいかはそれぞれが選べるんだ。俺達はその選択肢を守ってる。選ぶのはそれぞれの勝手だろ。生まれつき何もせずに手に入る幸福なんてないし、あっても一生は続かない。どこかで選ぶ時は来て、それが人生なんじゃない?」

 「春のくせに何真面目な事言ってんだよ。」

 「光のくせに、何感傷的に立ち止まってんの。」

春家が手を貸すと、光胤は強く掴んで立ち上がった。

 「この先の部屋には地下へ抜ける道がある。そこから転生システムの核へ行ける。皆もう行った。急げ。」

光胤が指さすと、春家は光胤を見た。

 「お前は?行かねぇの?」

 「俺様は帰りの経路確保。待ってるから、行って来い。」

人の姿をしてはいるが、光胤の気配は『夜』のそれで、何より目の色が人と違う綺麗な煌きを湛えていた。造り物のような宝石のような輝き。でもそれが今までよりもっと光胤らしいと思えた。愚直なまでに生き方を貫く光胤の心そのもののように感じられた。

 「おう。じゃあな!」

二人は強く掌を打ち付けて別れた。



 樹海は想像以上に深く、一本の木を探しだすなど到底不可能だと思わざるを得なかった。

 「一度階段を上って上から確認してはどうか?」

 「俺も試みましたが上からは見つける事ができませんでした。」

 「手分けして探すか?」

 「ここで別れたら二度と合流できない気がするんだけど。」

各々意見や反対意見を口にしながら同じ方向へ進んでいく。

 「遭難しそうですね。」

 「現状既に遭難と言えなくないが。」

 「これ、いっそ斬り倒していかないっすか?そしたら同じ場所は二度と通らないで済むし。」

 「成程。やってみよう。」

幸衡が刀を抜くと、目の前の木に向かって振った。その瞬間に木の枝が勝手に動き出し幸衡を叩きつけようとした。幸衡は間一髪で避けたが、それを皮きりに木々が動き出した。

 「ちょ…これやばいんでない?」

 「誰だ、切り倒せとか言った奴。」

 「良いから、とにかく逃げましょう。」

 「急げ。」

木々が暴れ出し、それから逃げるために双樹を探すどころではなく走り出した。

 「やはり雅貴殿がいなくなってしまったのが痛いですね。」

 「ここまで来て消えるとかマジでどーなんですか。」

 「自力で何とかするしかあるまい。」

 「だが今は運に頼る他、方法がない。」

何の障害物競争が始まったのか避けながら走っている内に、結局バラバラにされて、気が付くと樹海を彷徨っていた。

 「毘沙門殿…。」

 「どうやら恭と晋とははぐれてしまいましたね。向こうも二人でいると良いんですけど。」

 「何とか合流しよう。」

言いながら幸衡はポケットから何枚かコインを出した。

 「それは?」

 「あきに頼んでいくつか封縛樹(ふうばくじゅ)の試作を作って貰った。晋くんが祥子様より賜ったものは身につけられるものだったが、今回は時間がなくてな。依代は便宜的にコインを代用した。」

ろくに説明もせず幸衡がコインを木に向かって投げると、木は忽ち氷りついた。氷はどんどん広がって行き、辺り一帯を凍らせた。

 「これで動けまい。」

 「いえ…よく見て下さい。」

毘沙門の言葉に木々を見ると、氷がひび割れ鱗のように剥がれていた。

 「成程、この程度の術は効かぬと言う事か。」

 「どうします?」

 「一つ、ここは転生システムを司る場所だと言う事。つまり龍脈の力を吸い上げている場所と言う事だ。その力を流用できればあるいは…。」

 「何をしようと言うのですか?」

 「一度目にしただけだが、やってみる価値はあるだろう。毘沙門殿は巻き込まれぬようにしてくれ。」

幸衡はその場に刀を着き、立ち膝で瞑目した。何かをやるつもりなのだろう。



 恭が振り返ると、木々は静止していた。そこで多少の安堵があったがすぐに別の事態に気がついた。

 「はぐれたか。」

晋もいなかった。目的地は同じとは言え、辿りつけるとは限らない。こうなってしまうと誰か一人でも双樹に辿り着いてくれればという状態だ。

 自分一人でも双樹を探さなければと前を向いた時、一筋光がさして見えた。

その光の中に、男が立っていた。

 大江広元だった。

 恭はゆっくりと三歩踏み出してから、立ち止まった。

 「これが祇樹給孤独園か?」

恭の問いに広元は笑った。

 「左様。ここにあるのは全て龍脈の力を吸い上げて育った木だ。その力によって祇樹給孤独園は諸行無常を成す。」

無数の木々はすべて龍脈の力の貯蓄装置だというのか。これだけの樹海が、龍脈を枯渇させているのだ。それも全て転生システムのために。

 「何故、輪廻転生を拒む?」

 恭は漠然と問う事しか出来なかった。

しかしその漠然とした問いに広元は笑った。

 「『何故』、私に会ってそう言わない者はいないな。だが、私の方こそ問いたい。何故、今の生に甘んじる?」

広元の返答は問いかけだった。恭は何も答えなかった。

 「考えてもみろ、知らぬ女の腹から何度も生まれてくるなど不快だろう。私はね、魂というものは数限りがあるが、それを使用する者はほぼ無限に存在していると思うのだ。それらは自身が魂を使用できる順番を待っている。それこそ延々と、長蛇の列だ。魂を使用できるのは短い一度の生だけ。魂は輪廻の流れに乗って何度も何度も使用されていく。長く待ったが、魂を使用できるのは一度、失敗は許されない、二度目はないのだ。まるで蝉の一生だ。」

魂が輪廻する度に代わる多くの人物は、一体どこから来てどこへ行くのか。魂は輪廻するのに、そこに宿った人格は消えて行く。それとも魂を一にする人格は同じものなのか?広元は自身の魂ではなく、魂に宿る自身がまるで水泡の一粒のように水面で弾けて消えるもののように感じていた。

 「数限りある貴重な魂を、無為に使用する者に与えるより、もっと有益な事がある。優れた者が使用し続ける事だ。」

 「優れた者だと自分を思うのか。何をもって人間の優劣を決める?人間の造り出した社会に則して決めるのか?人の造り出した理と違う輪廻の摂理に関わる事を、人の理で優劣を測って決めるのか?」

恭は、事ここに至っては何を指針とし何を基準として物事を判断するのか分かる者はいないだろうと思った。

 「優れている、とはもっと簡単な話だよ。出来るか、出来ないか、だ。」

 「出来るか、出来ないか…?」

 「そうだ。魂の使用権を占有したい。それだけならば愚かな人間の傲慢な願望だ。だが、私はそれを実現させる事が出来る。だから優れているのだ。」

 「出来るから、やっただけだと言うのか?」

 「そうだ。」

 「そんな子供みたいな理屈あるか?そんな事をしたら、周囲がどうなるか考えないのか?」

 「周囲?自身に振りかかった状況を打破できない弱き者は早々に魂の使用権を放棄すべきだろう。もっと別の優れた者が使用するべきだ。」

 「世界を作り変える事になるのだぞ。世界がどうなるか、お前自身分からぬのではないか。結果破滅を導いたとしたら、どうだ?」

 「私の願望が世界を滅亡させるだけの力があるというならば、それもまた壮大で良いがな。世界を変える力があるならば、創造する事もまた可能領域だろう。むしろ私はそれをこそ望んでいる。」

 「それが転生システムか?」

 「転生システムは私が作りたかったものではない。言わば失敗作だ。」

 「ならば何だ。」

 「私の望みは単純に言うならば不老不死、と言えばつまらぬ欲と聞こえるかも知れないが。事象としてはそうだ。」

 歴史で、そして多くの物語で、数多の者が求める魅惑のそれは、あまりにもありきたりなので、恭は逆に驚いた。

 「そして全ての統一だ。本物の九条兼実は俗塵(ぞくじん)に塗れた濁世(じょくせ)を嫌い、(ろく)(じん)を捨てその身を諸行(しょぎょう)無常(むじょう)の海へ投じた。そこに真如(しんにょ)があると疑いもせず。そして塵となった。だが私はそのような愚かな真似はしない。兼実公が作られたこの理論を元に、新たな開闢(かいびゃく)(もたら)そう。」

 「それが、そんなものが真実か?」

正直、こんな狂った身勝手な思想がこれだけの多くの犠牲と悲劇を生みだしたのだなどと考えたくはなかった。何かそれだけ大きな必然があって然るべきだと思っていたのだ。

 「真実?真実というのはただの事象だ。そこに感情を介在させるならば、それはもう何の判断基準にもなりはしない。人の目は感情のフィルターを取りはらう事が出来ない。故に目の数だけ解釈が生まれるのだ。真実などというものを追い求める者は往々にして、既に望む答えを用意していて、それに合う答え合わせをしたいだけなのだ。」

かつて誰かが言った。世界も、自身も、存在しているというただ一点においてのみ同じなのだと。それはただの事象、それが真実?

 「人が生まれた、死んだ。それはただの事象だ。それを喜ばしく思うも悲しく思うもそれは主観、真実ではない。お前が行いに対する私の思想を陳腐と思うもまた真実ではない。人は本当の意味で真実など求めない。つまり真実など、ないのだ。真実に善悪の是正を委ねる事自体が無駄な事だ。お前がやるべき事はそのような事ではない。」

やるべきこと。

「守って来た卵を孵す事だ。」

広元は命じるように言った。

 「さぁおいで、双樹はお前を待っている。」

恭は黙ったまま、黒烏(くろう)を抜いた。

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