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10 射手の事

 昼間の陽光を肌で受けると春の訪れを実感するが、まだまだ朝晩は冬の寒さが抜けない春休みの早朝だった。

(きょう)(すすむ)も高校生活は残す所卒業式のみとなり、これで晴れて武士としての勤めに専念することになる。とは言え、所属する部隊もなく貴也(たかや)からも特に何もない、中途半端なモラトリアムをもやもやと肩に纏いながら季節の移ろいを見やる、そんな所在のない春休みだった。

 「おーい、恭。」

晋が恭の部屋の襖を開けると、部屋の中には本や巻物などの書物が盛大に散らかっていた。

地龍の歴史は古い。本家にはその膨大な資料が山ほどあった。恭は春に、さくらから地龍の契約は果たされたのかと問われてから、やけにそれらの資料に興味を示し、没頭することが多くなった。内容は最早古文書状態のものから、活字のものまで、とにかく沢山あった。中でも恭は、ミミズの這ったような字の巻物や、現在の常用外の漢字のオンパレードの書物の解読に夢中になって、寝食を忘れることもままあった。

 「恭、お〜い。」

晋がしゃがみ込んで、山になっている箇所の本をどかすと、もぞもぞと恭が出てきた。

 「恭、また徹夜か?」

 「いや、寝た。いつ寝たか覚えていないが。」

晋は散らかった本をどかしながら立ち上がると、恭を引き起こした。その時、恭の体重がかかった腕に痛みが走ったのか顔をしかめた。

 「まだ痛むのか?」

能通(よしみち)の銃弾が貫通した腕の傷は、未だ完治していなかった。(むね)(すえ)の話では、調整不足もあってか、銃弾を転移させる過程で本来より強い力が弾に加わり、威力が倍以上になっていたという。能通も本来の銃弾の威力では考えられないと驚いていた。兼虎の応急処置のおかげで大事には至らなかったのは不幸中の幸いだろう。

 「もう大分良いよ。傷痕は残るみたいだけどね。」

 「そうか。」

 「でも良いんだ。川崎を助けられた事が夢じゃないって思えるから。」

晋が目を細めて傷を見た。普段命を奪う事を仕事としている晋は、ちゃんと誰かを助けたことは初めてだった。特別な人を自分の手で助けられた。その事が、誇らしく、そして何より嬉しかったのだ。

 「ちょっと、恭ちゃん、何なの?この部屋。いくら恭ちゃん大好きなお兄ちゃんでも、さすがにこの部屋は引くわ〜。」

唐突に貴也が部屋を覗き込みながら大きな声を出した。

書物で足の踏み場もない恭の部屋を、まるでゴミ溜めのように嫌悪感むき出しのわざとらしい表情で貴也は恭を挑発した。

 「うるさいな。何の用ですか?兄さん。」

恭が不機嫌そうに貴也の前へ歩みよると、貴也は恭の寝ぐせを弄ぶように触った。

 「怒ってる恭ちゃんも可愛いよ。」

貴也の手を振り払い、自分では見えない寝ぐせを手で撫でつけるように隠した。

 「ちょっ…何なんですか、一体。」

貴也はにんまりした。

 「恭に、地龍本家の二男に生まれて良かった〜って思えるプレゼントを用意してあげたよ。これでお兄ちゃんの株が上がること間違いなし。」

 「何です?」

 「大学に行きなよ。」

 「え?」

 「4月から大学生になるんだ。大学も下宿先も全部手続きは済んでるから、3月中に引っ越してね。東京の大学だけど、訳あって下宿先含め全部特別な結界の中だから、まず揺らぎが起こることはない。仕事は最小限にするから、殆ど『昼』の大学生だよ。これで思う存分、勉強できるね。まぁ、部屋は片付けた方が良いと思うけど。」

 「は?」

 「もちろん晋も一緒だよ。学部は違うけど。晋には向こうの仕事を手伝ってやって欲しいんだな〜。東京は都会だろ?『昼』からの干渉による揺らぎが多くてね、結構大変なんだ。」

 「は…はぁ。」

 「あれ?嬉しくない?」

 「…いえ、興味はあります。」

 「そうだよね。恭ってばここんとこ、ずーっと書物と格闘してたからね、勉強したいんだと思った。楽しんでおいで。期間限定とは言え、自由に暮らしておいで。」

 「…はい。ありがとうございます。」

貴也は嵐のようにまくし立てると、言うだけ言ってさっさと去って行ってしまった。

 「何なんだ、ありゃ。」

地龍で大学へ行く者などまずいない。そもそも『昼』の学校というものは地龍では『昼』のくらしを学ぶための場としか捉えておらず、中学卒業までが大半、高校卒業はわずかという状態だ。そのような環境なので学力など全く関係もなく、学校の勉強はやってもやらなくても良いが、地龍の武士としての勤めに影響が出ないことが大前提だった。ちなみに高校受験は受けず本家で手を回した学校へ入る。地龍の息のかかった学校で、地龍の勤めに影響が出ないように学校生活を送る。

 そのような組織で、大学とは。恭の成績は内申含めかなり優秀だったので地龍の力が無くても進学は出来たかも知れないが、もちろん大学受験などしていない。おそらく地龍の息のかかった場所だろう。

確かに大学へ行くだなんて、地龍本家の二男なんて権力も暇も持て余している恭にしか出来ない事かも知れないと思った。

 「兄さんの考えてる事なんて分からないよ。言いだしたらきかないって事だけは分かってるけど。」

 「まぁ、そうだけど。何で急に大学なんて…。しかも東京とか…。あの貴也さんが恭を自分の側から離すなんて…。」

貴也が今までどれだけ恭を可愛がってきたかは周知の事実だ。その恭を貴也が手放すなど万が一にもあり得ないことだった。

 「俺を遠ざけたいんだろう。」

 「恭を?あの恭を目の中に入れて喜びそうな貴也さんが、恭を遠ざけたい?」

訝しがる晋をしりめに恭は訳知り顔だった。解らないと言いながらも、察しはついているようだ。

 「ああ。多分これは…」

 

 

 「実質的な疎開よね、それって。」

祥子(しょうこ)が眉を吊り上げて(よし)(ひら)を睨みつけた。

 「まぁ、そうだな。」

義平は組んだ腕を片方はずして顎を撫でた。

 「私に、すべてを放棄して一人で疎開しろって言うの?皆を残して自分だけ安全な所へ行けって?」

 「そうだ。」

義平は祥子を呼び出すなり唐突に鎌倉を離れるように言ったのだった。祥子は『龍の爪』のメンバーであり、義平の正妻だったという立場がある。鎌倉を離れることはまず考えていなかった。しかも実質的な疎開などと、これから鎌倉で何かが起こることを見越していながら、策を講じたり戦ったりするのではなく逃げるというのは、いかに主の命とは言え承服しかねるものだった。

 「嫌よ。私だけ逃げるなんて。」

 「駄目だ。これは命令だ。お前に拒否権はない。お前は今すぐに、刀を(てつ)に預けて、時期も場所も誰にも告げずに発て。いいか、誰にも知られるなよ。」

義平は既に祥子の疎開先の手続きを済ませており、近しい者にすらそれらを告げず刀を置いて姿を隠せというのだ。祥子がどれだけ抵抗しても無理矢理にでもそうするつもりなのだ。

 「殿は何も分かってない。私も『龍の爪』のメンバーなのよ?戦えるわ。」

懇願するように義平の腕を掴み体を揺すった。すると義平がもの凄い力で祥子の肩を掴み壁際に押しやると、顔を近づけた。鼻先が触れそうな程近くで、義平の瞳が揺れているのが見えた。光が回転するように揺れ、その中に祥子が映っていた。

 「分かってないのは祥子の方だろ。お前に何かあったら俺は生きていけない。お前を危険な場所には置けない。俺が気が気じゃないからだ。お前が心配でへまして死んだらどうしてくれる?」

 「…ずるいわ。」

祥子は眼を伏せた。

 「行ってくれるな。」

義平はいつもそうだった。何度転生しても、それが男でも女でも、幼くても老いていても、どんな身分でも、義平は祥子を束縛し隠してしまう。どれだけ戦えると知っていても、まず祥子を守る。祥子がどれだけ義平に尽くしたくても、ショウケースの中の花を愛でるように、鳥かごの鳥を養うようにする。義平の愛は傲慢で見返りを拒む。そして縋るように愛を囁く。

おそらく貴也を無理矢理に説得して祥子を地方に押しやることにしたのだろう。祥子は溜息をついた。

 「でも勘違いしないで。決して逃げる訳じゃない。今はまだ時期じゃないから行くのよ。解るの。その内必ず私が必要になるわ。その時が来たら、私は殿がどんなに反対しても戦うわ。殿のために、そして私たちの未来のために。」

祥子は時を詠むのに長けていた。風向きが変われば必ず祥子が戦場に立つ。それが分かっていたのだ。けれど義平は聞こえないふりをした。

 「分かった。とにかく今は俺のためだと思って行ってくれ。」

祥子が何かを言おうとしたが、義平が自身の口で祥子の口をふさいでしまった。



 菊池(きくち)(さね)(ちか)は苛立っていた。先日湘南の喫茶店で春家(はるいえ)が言った事が、頭から離れなかった。今まで自分は特別なのだと思っていた。生家の軛から解き放たれ出世する、有能な選ばれた存在で、それは自身の努力によって築き上げたものだと自負していた。けれど違っていた。矢集をその名で縛り蔑む実親を春家は、ならば実親も中流の武士として生きるべきだと言った。正直ショックだった。

 考えてみれば『龍の爪』は実力主義で無法者ばかり集めていると言われていたため気付かなかったが、皆分相応な職と言える。春家は代々鎌倉七口を守護する家系でなくてもかの北条家嫡子だし、弁天も名門安達家の嫡子。義平と祥子は転生組で、(しずか)は名門月夜家の姫君。能通(よしみち)はかの三浦(みうら)(よし)(ずみ)の子孫で、(むね)(すえ)平家当主重盛(しげもり)の選んだ精鋭だし、(かね)(とら)は平家当主と面識があるくらいだからそれなりの家系だと伺える。自分だけが、どこかの馬の骨的なソレですか…唐突に惨めになり、気後れし、苛立っていた。

 正直、実親には仲間達が、無秩序が服を着て歩いているように見えた。

それぞれの身分に甘んじて自由を謳歌し身勝手な振る舞いをする彼等を、社会性の低さから蔑んでいるように見せながら、どこかで僻んでいたのだ。

地龍の武士としての戦闘力は、簡単に言って術力の高さに比例する。そしてその能力は血縁によって継承される。故に身分の高い者たちは生まれつき才能に恵まれているのが当然で、そうでない家の者は、突然変異で能力を持って生まれでもしない限り努力する他ないのだ。歴史の長さから様々な(しがらみ)があり、例外はあるがそれは特異なケースと言えた。

実親は、仲間たちと自身の違いに絶対的な差を感じた。

埋まらない、生まれた時からの差だ。

努力ではどうしようもない。

それ故に苛立つしかないのだった。

 「恐い顔をしていますね。」

気が付くと弁天の顔が目の前にあった。弁天は実親の様子を気にかけ、よく声をかけたが、実親にはそれがどうしようもなく煩わしかった。上から目線で憐れまれているような気がして、惨めになるのだ。

 「弁天殿。何ですか?」

 「春の言ったこと、気にしているんですか?それは売り言葉に買い言葉です。気に…」

 「違います。私は、そのような事で悩んだりは致しませぬ。妙な言いがかりをするのはやめて頂きたい。失礼します。」

弁天の視線を背に感じながら早足で歩いた。

誰も悪くないのだ。頭では分かっている。かつて自由の象徴だった強さも、今では柵を生んだだけで無意味なものなのかも知れないように思えた。けれどそれに縋るしか生きる術はない。強さを求めることが実親の全てなのだから。やめる訳にはいかないのだ。

実親は拳を握りしめた。



 「直嗣(なおつぐ)、『龍の爪』に来い。」

地龍当主貴也の言葉に、直嗣は素直に首を縦にふる気持ちにはなれなかった。

 なんで僕が…

 那須与一直嗣(なすのよいちなおつぐ)はあの那須与一の名を継承したれっきとした子孫であった。那須の家は、平安時代の扇の的の一件で脚光を浴びたが、だからといって現在の地龍での地位は高くない。直嗣は小さな地方武士の家で、地域の小隊に所属していた普通の下級武士でしかもまだ十八歳だった。その名を聞けば人は、あの那須与一かと言い期待の眼差しで見るが、別段後の功績がある訳でもないし、皆が頭を垂れる程の身分もない。名ばかりが立派なだけの下級武士だった。

 直嗣は弓の家に生まれたが、様々な武術に興味を持ち、弓も刀も銃も体術も広く使いこなした。それ故か幼きより周囲の期待が高く、若くして与一の名を継いだ。けれど本人はあらゆることに保守的で消極的だった。生まれた家で、育った地域で、慣れた部隊で、期待されず期待せず、ただ平和に暮らしていくことを望んでいた。そうなると信じて疑わなかった。小さな下級武士の人生に、その上も下もある訳がないと思っていたのだから。

 それがどうして…

 「射手を探している。」

 「…射手ならば、浅利様がよろしいかと。」

現在の浅利与一の名を持つ者は四十過ぎの熟練で、その腕は地龍広しと言えど知らぬ者のない程であった。

 「弓だけでなく刀も銃も扱える者が良いのだ。」

 「…僕ではお役に立てません。期待はずれです。」

 「今はそうかも知れないな。だが、経験を積めばどうだろうな。直嗣、試してみろ。俺の所へ来い。」

断りたかった。けれど直嗣の意志など関係ないのだ。地龍当主の言葉は絶対の辞令であり断ることは出来ない。それにもし断る選択肢があったとしても、直嗣の両親や周囲は既に盛り上がっていて手が付けられなかった。那須家にとって本来ならば地龍当主など、一生顔を見ることも声を聞くことも叶わぬような天上の存在だ。その地龍当主が直々に直轄組織に誘ったのだ。今世紀最大のニュースだとお祭り騒ぎになってしまった。

 そして三月。直嗣は嫌々鎌倉へやってきたのだった。

鎌倉七口名越坂の守護として、『龍の爪』最後のメンバーとして。



 「何度言ったら分かるんだよ!」

実親の怒号が響いた。

 「…すいません。」

 鎌倉に来てから直嗣は経験不足を補うために多くの実戦にかりだされた。ようやく揃った『龍の爪』の結束やチームワークのために、小さいものから大きなものまであらゆる任務をチームであたっていたが、連携は良くなかった。それぞれの個性がぶつかっていて作戦通りに行かない上、自己判断で動くとかち合う事も多く、まったく息が合っていなかった。それでも個々の実力は間違いないので最終的に帳尻があってしまうのだが。

 その日は新しい連携についての演習で、用意した的を射るのは直嗣の役割だったのだが、色々あって上手くはいかなかった。

 直嗣は最年少なので、一番歳の近い実親がとりあえずの世話係になっていたが、この実親ときたら厳しいの何のと洒落にならない。ミスだけでなく、返事や姿勢にまで口を出してくるので気が休まる時がない。そもそもの向上心の無さを見透かしているのか、苛めまくって追い出そうとしているとしか思えなかった。とにかく怒られ過ぎて何をするのが正解なのか判断できなくなっていた。結局何をしても怒られるような気がしていた。

 「余計なことをするなとは言ったが、臨機応変に動けなければ実戦では死ぬ!お前はお前だけでなく全員を殺すつもりなのか?」

 「…すいません。」

そこへ他のメンバーがやってきた。

 「おい、親、言いすぎだろ。」

 「何ですか、春家殿こそ甘すぎるのではないですか?私は間違っていない!」

 「何だと、俺のどこか甘いって?お前が怒鳴り散らすから直が怯えてんだろ。言い方ってもんがあるだろって言っただけだろ!」

 「やめなさい二人とも。」

春家と実親の口喧嘩を割って入る事でどうにか止めようとする弁天に、兼虎が助け舟を出した。

 「そうだ、そんな事で言い争っても仕方ないだろ。」

 「直の経験不足は始めから解っていた事だろう。もう少し長い目で見たらどうだ。」

宗季が眼鏡を上げながら冷静な声音で言うと、静も頷いて同意した。

 「そうね、この部隊もまだ結成したばっかりで足並みも揃ってない事だし、直ばっかりが悪い訳じゃないわ。」

能通が長いコートのポケットに手を入れながら現れ、全員に懺悔するように言った。

 「そうですね。私も部隊経験がないのでチームワークというものをもっと学ばなければなりませんし。」

実親が全員を忌々しげに見渡し、歯を食いしばり何かを言うのを我慢しているように顔をしかめると、黙って去って行ってしまった。それを見た直嗣は肩をすくませたままで誰とも目を合わせることなく呟いた。

 「す、すみません…。」

そしてそのままどこかへ走って行ってしまった。



 直嗣が高台のベンチに座り、うつむいていると、木々の間から弁天が長い髪を春風になびかせながら歩いてきた。いつもと同じ汚れのない白いシャツが直嗣には眩しく感じられた。

 「直、ここにいたのですか?」

優しく名を呼びながら隣に腰掛ける弁天は、わざと直嗣の目を覗き込み微笑んだ。

 「弁天さん。」

直嗣がジャージのチャックを弄びながら黙っていると、弁天は勝手に話し始めた。

 「実親のこと、悪く思わないでください。親も色々思うところがあるのでしょう。直が悪い訳ではないのです。」

 「…なんで僕がこんな目に遭わなきゃならないんでしょうか。」

ずっと思っていたことだった。

自分の思い描いた平穏を壊したのは、『夜』でも戦でもなく、地龍当主だったのだ。何故、田舎の弱小とは言え主のために尽くしてきたのに、何故こんな仕打ちを受けなければならない。過大評価などいらない、ただそっとしておいて欲しかっただけなのに。どうして…直嗣は実親が自分を嫌うのは道理だと思った。選ばれるべきでない者がいるのが目障りなのだ。当然だ。自分以外の誰もが憧れる地龍最高峰部隊だ。やはり場違いなのだ。そういう気持ちがこぼれたのだ。

 「え?」

弁天は直嗣の言葉に動揺しているようだった。

 「地龍様が僕を選んだのは何かの間違いなんです。」

 「そんなことはありません。あの人に限ってそんな間違いを犯す訳がありませんよ。直には実力があります。ただ経験が足りないだけなんです。だから…」

 「実力なんてありません。僕はずっと田舎で、人に期待されたりしないで生きて行きたかったんです。出来ないことを求められたり、強い『夜』と命がけで戦ったり、身の丈に合わない任務ばっかり押しつけられて、僕には無理なんです。」

最後の方は殆ど叫んでいた。けれど、弁天は静かに言った。

 「直は自分に自信が持てないのですね。」

直嗣は自分の足元を見た。何故こんな所にいるのか、寂しくなった。

 「僕は、強くなんてないんです。もう帰りたいです。」

 「直は信じられないかも知れませんが、直には力があるんですよ。直の弓は破魔の力を持つでしょう?その上刀や武術も使いこなす事が出来る。なかなか出来ることではありません。」

 「全部、実戦では役に立ちません。スポーツとしては良くても、本番では駄目なんです。それを誤解されて、かいかぶられて、僕には何もないのに。」

泣き声混じりで訴える直嗣に、弁天は意外な言葉を放った。

 「直、貴也が作ったこの部隊は随分若いと思いませんか?普通の部隊にはもっと年齢幅があるものでしょう?」

 「え?」

 「貴也はきっと、今ではなく将来のためにこの部隊を作ったんです。だから、若くて個性が強い。今は難しくても、将来的に凄いチームにしたいって思ってるんだと思うんです。」

 「将来の…。」

 「はい。だから、頑張りましょう、一緒に。」

眩し過ぎる。何もかもが直嗣とは違う、弁天は清く眩しい存在だった。優しくされても一層気遅れするだけだ。

 「…でも、それでも僕」

 「どうしても自分を信じられないなら、私のことを信じて貰えませんか?安達(あだち)(どう)(げん)のことを。もし間違っていたならば私を恨めばいい。とにかく騙されたと思って一緒に頑張りましょう。」

『龍の爪』でも鎌倉七口の武士でもなく、一人の男・安達道玄を信じろと言ったのだ。生まれや肩書でなく、一人の人として直嗣の事を信じると太鼓判を押したのだと感じた。

 「皆の期待など、直には関係ないじゃありませんか。期待はずれならそれで良いんです。でも、手を抜くのは違います。出来るだけの事をしましょう。それで同じ結果なら、直が正しかったということです。私が謝ります。ね、直。」

直嗣は口角を下げたままでゆっくりと頷いた。

子供みたいだと思った。子供みたいに周囲を困らせて、言いくるめられて、馬鹿みたいだと思った。

 それでも、やるしかないのは事実だった。

 なんで僕が…それが分かった所で、やるしかないのだ。

直嗣は意を決したように立ち上がり弓をかまえる体勢をとった。

すると持っていなかった弓と矢が現れた。術力で具現がした武器『(れい)(きゅう)』と呼ばれる高度な術。そして当然のように矢を?える。

高台から何キロか離れていたろうか、先程の演習で射損ねた的がある方角へ向かって引いた。弁天は的を見たが、肉眼でははっきりと見えなかった。しかし直嗣の目は確かに的を見ているそれだった。まるで目自体に照準アシストがついているかのようにはっきりとした眼光で矢の先と的を見つめた。その目は何かの演算をしているようにも見え、転移する時の座標を固定する恭を連想させた。風や矢の軌道を読んでいるのだろうか。

少し風が吹いて、それが止んだ瞬間だった。

 「南無八幡大菩薩…」

直嗣の手から矢が放たれた。

弁天は目を離せなかった。凛として、美しい姿だった。直嗣自身に見せてやれば、きっと今より自信を持てるようになると確信したのだった。



実親が演習で失敗した的の近くを歩いていた。作戦は悪くなかったのだ。高々演習であの体たらくでは、本番ではどうなることか。実親は作戦の中に直嗣の使え無さまで組み込まなければならないのかと、溜息をついた。しかしそんな事を提案したら他のメンバーに何を言われるか分かったものではない。実親一人を悪者扱いして直嗣を庇うようなあの態度は、さすがに解せなかった。

嫌われている。

自覚はあった。悪態ばかりを付いておいて、さすがに好かれる訳がないのだから。

その時だった。高速で何かが横切り、空気を切り裂くような音と共に的に矢が刺さった。

実親が矢の放たれた方向を見ると、高台に二人の人影が見えた。どれだけ離れているだろうか。

的に刺さった矢に触れた。正に屋島での扇の的のようだと思った。

 「何故さっきこれが出来なかったんだ…。」

正確無比な軌道で力強く射られた矢は、まるで予め的に当たると定められていたかのように、吸いこまれるように的に刺さった。常人ならば到底届かぬ距離を、直嗣の込めた術力は距離も風も物ともしない迷いなさで越えてきたのだ。

これが貴也が惚れた力。周囲が期待する可能性。

矢を握りしめた。

実親は直嗣が嫌いだった。

実力に見合わないからではない。

その実力は貴也がかったものだ、実親が疑ったりはしない。けれどそれを直嗣自身が受け入れていない。それが許せなかった。

那須与一の名ばかりが有名なだけで田舎の下級武士だというのに『龍の爪』と鎌倉七口に加入するなど、実親以上の大出世だ。それなのに直嗣自身はまったくやる気がない。それがどうしようもなく許せなかったのだ。

嫌々加入して嫌々任務をこなす。実親がどれだけ言っても聴いているのかいないのか軟弱な態度ばかり。作戦通りに動かない上、予期せぬ事に対応する気がない。死にたいのかと思う程に投げやりでイイカゲンな態度には呆れ果てる。

何故、力があるのに自身で否定してしまうのか。それをどれだけ欲する人がいると思っているのか。無欲であることが美徳だとでも思っているのか。実親にとってはただ甘えているだけのように見えた。戦うことから逃げている、自分を知ることから逃げている、臆病な子供のように見えた。そんな未熟な精神にとにかく苛立ち、そしてそれを直嗣にぶつけるしか実親には出来なかったのだ。

一番歳が近いからなどと言うテキトーな理由ではなく、もっと面倒見の良い人が世話役をすればいいのに、どうして自分があの甘えた子供のお守なのか、実親は怒りの全てを刀に込めて振り下ろす他なかった。一人になり、ただひたすら刀を振り続けた。

強さとは何なのか。求めれば求める程に強さの概念は惚ける。

実親は直嗣が来てから苛立ちが増した。まだ数日しか経っていないと言うのに、これから先やっていける気がしなかった。



 「ところで祥子(しょうこ)さん知りませんか?」

春家との帰り道で弁天が思い出したように問うと、春家は首をかしげた。

 「さぁ。見ないな。メンバー全員での実戦訓練って言っても一回も顔出さないしな。そもそも祥子の奴、直嗣に会ってなくないか?」

 「どうしたんでしょうか?」

 「隊長に訊いたか?」

 「少し前に訊いた時は、別の仕事で出張って言われたんですけど…長いですよね。それに内緒にすることじゃないでしょう?」

 「隊長が分かってるなら心配いらねぇだろ。」

 「そう…ですね。でも気になるんです。」

弁天が胸の十字架を撫でながらうつむいた。

 「直嗣と実親の事だって、隊長と祥子さんがいたらもっと何とかなったんじゃないでしょうか?」

 「…そうかもな。でも、まとめ役がいなくても息を合わせられるようでなきゃ、いざと言う時戦えないだろ。」

いつ戦いが始まるか分からない。揺らぎの発生にしろ、源平の戦にしろ、何がいつ起こるとも限らないし、その時指揮官がそばにいるとは限らないのだ。そのための信頼関係であり、経験だった。今はとにかく全員が貴也の手足となれるように訓練するしかないのだ。

 「以前の能通が仲間になった時は、もっと上手くいく感覚がしたんですけど…実親の様子がおかしいのも気になりますしね。」

 「あいつのは根性が曲がってるからだろ。弁天が気にするような事じゃねぇよ。」

春家が吐き捨てるように言って分かれ道を行ってしまった。

一人残された弁天は暗くなった道路の先を見つめながら、不安を拭いきれない様に立ち尽くした。


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