プロローグ
ゴーゴン大陸の北東の辺境地域にある、ここガルーダの村で、ある若い夫婦が子供達が寝静まった夜更けに話し合いをしていた。暖炉の明かりだけが部屋を微かに揺らしていた。夫は眠っている子供達に聞こえないように気をつけながら妻に向かって口を開いた。
「ヴィラ。今年は去年より魔獣が増えていると思わないか?これまで魔獣達は森の中で活動する事はあっても里までは降りてこなかった。だが今年は違う、村に降りてきては畑を荒らし、人家に侵入しては人を襲っている。村の噂では今年に入って半年の間に3人の村人が犠牲になっているそうだ。」
ヴィラと呼ばれた妻は夫の発言に同意するように頷き、それから眉をひそめながら言った。
「えぇ。ウィリアム。確かにこれまではそのような事はありませんでした。だけど、なぜ魔獣がこれまでより頻繁に現れて、人を襲うようになってしまったのかしら?」
ウィリアムと呼ばれた夫は、顎に手を当てながら絞り出すように、それまでよりもっと小さい声でささやいた。
「俺は、大いなる竜の復活の予兆ではないかと疑っている。」
ウィリアムのその目は普段の優しい目ではなく、鋭いものになっていた。
「まさか、そんな事があるでしょうか?ただ魔獣が増えているだけでは無くて?」
ヴィラは、たとえ辺境で貧しい暮らしをしているとはいえ、2人の娘の成長と共に日々を過ごす平穏な生活が壊れる事を恐れていて、大いなる竜の復活など信じたくはなかった。
ウィリアムは不安そうな妻を思いやるように見つめ、そして子供達が寝ている子供部屋の方に目を向けながら静かに話を続けた。
「俺だって信じたくは無いさ。でも2つ前の大いなる竜の復活は今から789年前、前回は412年前との2度起きていると言われている。もし大いなる竜の復活に周期があるなら、もういつ起きてもおかしくないと俺は思っている。だから…」
「あなたまさか、救世主を探しに行こうだなんて考えていませんよね?」
ヴィラは、夫の発言を遮って問いかけた。そして不安そうだった表情をさらに曇らせながら続けた。
「あなたと子供のどちらかを選択させるようなまねを私にさせないでください。」
ウィリアムは答えた。
「ヴィラ。選択にもなっていないことを気づかないと駄目だ、大いなる竜が復活したら、この大陸じゅうの命は失われてしまうのだから。」
「いいえ、ウィリアム。救世主捜しはそもそも教会の仕事のはずでしょう?あなたが、いえ百歩譲ってもわたし達がすべき事ではないでしょう?」
「それは教会が機能していれば、という時の話だ。だが今教団は機能していないと聞く。創世の神派と精霊派に分裂して激しい内部抗争を繰り広げているというじゃないか。」
そこまで話すと、ウィリアムの表情は怒りを湛えたものになっていた。
「…人類の存亡が掛かっているかもしれないというのに、やつらはいったい何をしているんだ…」
独り言のようにウィリアムは言葉を吐き出したが、その怒りは収まるところを知らなかった。
………………
ウィリアムは救世主探索の旅に出る事について、3日かけて辛抱強くヴィラを説得し続けた。
妻の説得が終わるとウィリアムは娘達を妻の妹のマリー・トンプソンの所に預ける事にし、トンプソン家に冒険者時代に夫婦が稼いだ蓄えを数年分の養育費として渡しておいた。マリーの旦那のアランが少し曲者で、怒りっぽく機嫌が悪いと息子達に暴力を振るう点が心配な所であったが、ヴィラからマリーに良く言い含めて娘達に手を上げないように気を配ってもらう事を約束させた。
あの夜の相談を始めてから5日後、まだ日が明けないうちに、そして娘達が目を覚ます前にウィリアムとヴィラは旅立つ事にした。ウィリアムとヴィラにとって娘達に別れを直接告げられない事が少々心残りであったが、別れがつらくなるだけだからだ。
夫婦は旅立ちの最後の準備、娘達宛ての置き手紙を用意していた。
『エル、ジェシカへ
父さんと母さんは、たびに出ます。
父さんと母さんは大いなるりゅうのふっかつが近いとかんじています。
りゅうがふっかつしてしまうとみんながしんでしまいます。
だから、父さんと母さんはふっかつを止める力を持っているといわれているきゅうせいしゅさまをさがしにたびに出ることにしました。
父さんと母さんはきゅうせいしゅさまを必ず見つけておまえたちのところにかえってくるから、それまでしんぱいせずにまっていてほしい。
おまえたちが父さんと母さんのかえりをまっているあいだのことはトンプソンさんにおねがいすることにしました。
このてがみをよんだら、トンプソンさんのうちのマリーおばさんをたずねなさい。
マリーおばさんにはおまえたちのことはたのんでおいたから。
トンプソンのうちの人たちとなかよくして、いい子にしてまっているんだよ。
つらいことやたいへんなことがあってもくじけないで。
えがおをわすれないようにするんだよ。
あいしているよ。
ウィリアム・ハルトマン
ヴィラ・ハルトマン』
ウィリアムが手紙を折りたたんで、娘達の枕元にそっと置いた。
ヴィラが囁くように、瞳を潤ませながら言った。
「この子たちとまた暮らせる日が来るかしら。」
「きっとくるさ。いや、必ずやってくるさ。…そろそろ出るぞ。」
秋も深まり、冬が訪れようとするある日、2人の冒険者が救世主を探しに辺境の村から旅立った。