031
―――ケリをつけようとした。
しかしふと、また余計なことに気がついてしまう。
(……すくなくとも、ここに、ひとりいるのよね)
セブンスにとって『物』ではなく『者』として捉えられる存在が、すぐそこにいる。
(バカらしい……けれど、ううん……)
「ほに?」
ふにふにとシロのほっぺを弄びながら、マリーはため息を吐く。
シロはとても愛らしい少女だ。
そう分かるからこそ、嫉妬心があおられる。
(セブンスもずいぶん甘やかしているみたいだし。お風呂でだってあんなに楽しそうにはしゃいじゃって。出てきたときのシロの顔なんてとろとろだったじゃないの……それに私が寝てる間にふたりでお喋りなんてしてたの知ってるんだから……ああもうっ、セブンスが悪いのよっ、可愛いからってシロばっかりひいきして)
「いひゃいれふぅ~!」
もちもちのほっぺをぐぃ~と引っ張って、ぽいんっと解放する。
「あぴゃあ」
べしょ、とベッドに落ちたシロのほっぺをさらにもちもちしながら、マリーは決意した。
(シロは、あれね。どこかの孤児院とか、教会とかに預けてしまいましょう。どうせこの街には危なくていられないのだし、別の国にふらっと寄って、そこでお別れね。暗殺者なんてやるんだもの。こんな小さな子を一緒に連れ歩いたりするのは危険だし教育によくないわ。学校なんかに通って、お勉強でもした方がこの子のためよ)
シロのためというひどく真っ当な理由付けがありながらもセブンスとふたりきりになれる天才的な作戦を胸に秘めるマリー。セブンスが帰ってきた暁にはそれとなく相談してみようと思いつつ、もうほぼ確定といった気分でいる。
(セブンスは私が言えばイヤだなんて言わないわ。うふふ。少し悲しむかもしれないけれど、そうしたらたくさん慰めてあげなくちゃね)
「わわっ」
「早くセブンスが帰ってこないかしらね~♪」
「です?」
自分勝手にシロを抱き上げるマリーにシロははてなと首をかしげる。けれどほっぺをすりすりされたりよしよしされていると、なにはともあれすぐに上機嫌ですりすりし返す。
マリーの胸の嫉妬はいまはすっかり奥底にしまい込まれていて、思う存分にシロを可愛がることができた。シロを遠ざけることが、自分の醜さを隠してシロを心から愛でるための最良の方法だった。
―――そんな穏やかな空気をぶち壊すように。
トントン。
「ッ!」
「はぅ……?」
ありえないはずのノックの音。
そもそも外側からは扉とさえ分からないはずなのに。
即座に抱きしめ合って扉を見つめていると、またしてもノックが響く。
(セブンス? でもそれならカギを持っているはずよ。冗談でもこんなタチの悪いこと……うっかりしそうなところがちょっぴり可愛いけれど、でもまだ出て行ってそう時間も経っていないし……)
そんなことを考えながらも手さぐりに拳銃を握る。
重厚なスクラップブックよりもずいぶんと軽い代物なのに、構える手は震えて止まらない。抱き着くシロの震えが伝達しているだけではなかった。
やがてもうひとつ、ノックの音。
『―――これ、傍から見たら間抜けじゃないかな』
『お嬢。だからオレぁ止めときやしょうって言ったんですぜ』
(セブンスの声じゃないわ……!)
聞こえてくる声には聞き覚えがない。そもそもそれはふたりいる。
縋り付くシロの力が強くなり、拳銃を支える手の震えがさらに増す。
『こういうときは礼儀正しくなんて考えてちゃあいけねえんですよ。ひとつオレが手本ってやつをみせてやりまさぁ』
「……っ? 、ッ! マリー!」
「え、きゃっ!」
シロがマリーを引っ張ってベッドから転げ落ちる。
いったいなにごとかと混乱しながらもマリーはシロを抱きしめて。
―――ゴゥオンッッッッッ!!!!!!
「ひっ!」
音を立てて吹き飛んだ扉が壁に弾んでベッドに突き刺さる。
意識したつもりもないのに『もしもシロが動いていなかったのなら』と想像してしまい、マリーの身体から血の気が引く。
「ゴルディ、もしも傷でもつけていたらどうするつもりなんだい」
「おっとぉ、そいつぁ考えてなかったですぜ。ブジかよてめぇら」
扉があった空洞を抜けてやってくるのは、穴を空けずにオーブンに入れたウィンナーのようなぱつんぱつんの大男。部屋を見下ろした彼は睨みつけるシロに目を留めて露骨に残念そうな表情をした。
「ちっ。おいおい。妖精ってなぁこんなお嬢ちゃんだったのかよ。萎えるぜ」
「少女だって言ってあったはずだけど聞いてなかったのかい? まあいいや。こんにちは」
その後ろからちらっと覗き込む中性的なスーツの女はにこやかに笑みを浮かべているが、襲撃者がそんな笑みを浮かべているのは不気味でしかない。
「な、なにものよッ!」
マリーは拳銃を大男へと向ける。
震える銃口を見下ろした彼はにやりと笑い、それから臆することなく胸を張った。
「撃ってみやがれよ女ァ。ここだ。ここを狙いやぁ人間ってやつぁ大体死ぬぜ」
「ゴルディ、ゴルディ、ゴルディ。ボクは止めろと言っているんだ」
「ちっちっち。お嬢、こういうときにゃあしっかりと絶望さ(わから)せてやってからじゃねえと面倒ってもんなんですぜ」
「きゃあっ!」
大男は強引にマリーから拳銃を奪い取ると、自らのこめかみに銃口を向けて撃鉄を起こした。
「いいかよく見とけよ。人間を殺すときゃあこうやるんだ」
ダォンッ!
「ひっ……!」
鳴り響いた銃声にとっさにうずくまるマリー。どこかに弾丸が突き刺さるような音が聞こえて身の毛もよだつ。
けれどなにも起こらないことに恐る恐る見上げると、大男は変わらぬ獰猛な笑みで見下ろしている。
「見のがしたなぁ? じゃあもっぺんだ」
「ひぃっ!」
あっさりと第二射を放つ大男。
その瞬間、大男を超えた壁に弾丸は突き刺さった。
第三第四射と繰り返すと、マリーにもなにが起きているのか理解できた。
(だ、弾丸が、滑ってる……ッ!?)
弾丸は、まるで男の身体を避けるように、奇妙な挙動で表面を滑っていく。
なんらかの魔法だ。
それくらいはマリーにも分かる。
だが、それでもあまりにも恐ろしかった。
(じゅ、銃をあんな簡単に弾くなんて、そんなの、怪物じゃない……!)
マリーの目から大男は、倒せる道理が存在しない人知を超えた怪物にさえ見えていた。
見上げれば見上げるほど巨大になっていく大男に、マリーは白目をむいて気を失った。
「なんだぁ? 白無垢の仲間だってのにだらしねぇ」
「一般人なんじゃないかい。白無垢に女がいたとは知らなかったけれど。まあこうして静かなほうが人間はいいよ。人質にするにも恋人にするにもね」
「がっはっは、手ぇ出すなら隠れ家でやってくだせえよ」
「まさか。ボクの好みとは違うよ」
拳銃をぽいと放った大男がマリーへと手を伸ばすと、かばうようにシロがマリーに覆いかぶさった。
「マリーにさわっちゃだめです!」
「こいつぁいい! 妖精さんにしちゃあずいぶんと威勢がいいじゃあねえか」
にやにやという醜悪な笑みを近づける大男。
魚の腐ったみたいな気持ち悪い口臭に総毛立ちながら、シロは負けじとその鼻に噛みついてやった。
そのとたんシロは目を白黒させる。
(!? かめないです……!)
あぐあぐと一生懸命噛もうとするのにまったく歯が立たない。歯には確かに肌を噛んでいるような感覚があるのにどうしようもない。そしてそのごつごつさからは理解できないほどに滑ってしまう。滑り落ちるようにがぢっと自分の舌を噛みそうになった。
「オウ嬢ちゃんよぉ。そう熱烈に求められてもオレぁてめえみたいな嬢ちゃんにゃ興味ねえんだ」
「っ、はなすですー!」
「まあまあゴルディ。レディに手荒な真似をしてはいけないよ」
大男につまみ上げられてじたばたと暴れるシロに、女がにこやかな笑顔を近づける。
「ボクたちはどちらかといえばキミを迎えに来たんだよ、妖精さん」
「がるるるる~ッ!」
女の白々しい言葉をまったく取り合わず唸りを上げるシロ。自分のことを妖精と呼んだ時点で、とりあえず目の前の大男と女が『わるもの』だということは分かっている。
(セブンスがかえってくるまでマリーをまもるです!)
そんな決意でにらみつけられて、女は困ったように頬をかいた。
「まあ仕方ない。どうやら不幸な行き違いがあるようだね―――あとでしっかりと勘違いを解いてあげるとしよう」
「ぴっ」
にこやかな笑みの向こう―――わずかに開いた瞳ににギラつく狂気的なナニカを見てしまったシロは恐怖にがたがたとふるえだす。
嫌われたかな、などと冗談めかして肩をすくめながら女はシロを麻袋につめさせ、ついでにマリーも攫って行くことにする。
「目立ちやしないですかい」
「キミは自分の容姿を自覚した方がいい」
「がっはっは! それほどでもありやせんぜ!」
「カガミはちゃんと置いてあるはずなんだけれど……」
両肩にマリーとシロ入り袋を担いだ大男と女は、そんなくだらないやりとりをしながらその場を後にする。
外でアパートを見上げた女は、とびきりいいことを思いついたとばかりに手を叩いた。
「そうだ。せっかくだから少しサプライズをしてあげようか」
女がぱちんと指を鳴らした瞬間、出てきたばかりのアパートが深い藍色に包まれる。まるで色水の中に沈んだように―――空間内に差し込む光自体がその色になってしまったかのように。
その藍色は建物を侵し、建材に走る亀裂が音を立て始めた。
ふたりは停めてあった地味な乗用車に乗り込み、後部座席に荷物を適当に詰め込む。
「さて、じゃあ行こう」
「とりあえずこの国を出るんで? まさか戻って加勢しようなんざ言いやしねえでしょう」
「そうは言わないさ。けれど、その前に寄っておく場所があるんだよ。ついでにせっかくだから白無垢と少し遊んでいこう」
「寄っておく場所ですかい」
「ああ」
女はうなずき、大男に命じて車を発進させる。
それから何の気なしに窓の外に視線を向け、ぽつりと語りだす。
「キミは、ボクがもともと孤児だったと知っているだろう?」
「もちろんでさあ。それがあの魔王の野郎から戸籍を勝ち取りやがったってんで乗り換えてきたんですぜ」
どこか誇らしげに笑う大男に、女もまた笑う。
「そうだったね。そうだ。あの後すぐに君に出会って、そしてそう、君はとんでもなく無礼な奴だった。僕を男だなんて思いこんでさ」
「あの時ぁオレもまだまだ若かったかですからねぇ。若気の至りってやつですぜ」
悪びれもせずに言う大男に、そういう問題でもないだろうとジト目を向ける女。
けれどすぐにまた窓の外に視線を向けた。
「……当時の孤児院があるんだよ、この国に」
「ほぅ」
興味深げな大男を窓の反射越しに見返す。
「孤児院とはいっても、その実はくだらない人身売買組織でね。もともとボクも商品だったんだよ。まあそれくらいは聞かされてるか。それで当時のボクは……そう、27番だったかな。そう呼ばれていた。イカす名前だろう?」
女は、窓の向こうに記憶の中の映像がぼんやりと映っているような気がしていた。
まるで地獄のような思い出だった。人間が番号で呼ばれる場所など大体がそうだ。商品か兵器かモルモットか―――いずれにせよ人間としては扱われない。
それを彼女は、まるで他人事みたいに眺めている。
「その頃は自分の魔法にも気が付いていなかったし、もし偶然そのタイミングで魔王陛下がこの街へ進出してこなかったら……そして本人が直々に乗り込んでくるようなことをしなかったら、まあ最良でも金持ちのオモチャといったところだったかな」
内容とは裏腹に軽い口調の女は、くつくつと笑って大男を見やる。
その表情は過去を懐かしむようなものでも、そしてもちろんそのときの幸運を喜ぶようなものでもない。
童女が楽しいことを思いついたと自慢するような、ただただ無邪気な笑みだった。
「あのくだらない過去を、ただ風化させるだけじゃあ面白くないからね。白無垢との前哨戦として、面白いゲームを思いついたんだ」
彼女は楽しげにその内容を語りながら車に揺られる。
音を立ててアパートが崩れ落ちるのは、彼女たちが去ってから数分後のことだった。




