029
刃よりも鋭い視線を受け、女は背筋がゾクリと震えた。
はしたなくも歪む口元を扇子で隠し、向かってくる冷酷の暗殺者を見下ろす。
(ああ。―――なんと華麗な御方なのかしら)
カジノの支配人という地位を奪い取って以来、すっかりと縁遠くなっていた殺し合いの空気感。相手の命という最も重要なものを想い合うことは、彼女にとっては恋愛よりも遥かに魅力的で、熱烈な行為に思える。
幸運の妖精も、虎視眈々と自分を狙うあの小娘もどうでもよくなってしまう。
熱く焦がれる情熱を貫く冷ややかな殺意が、どこまでも女の身を熱くしていった。
(この心臓を差し出して、抱擁を受け止めたくなってしまうわ)
女が向ける銃撃は容易く弾き飛ばされ、床の一部を壁のように『貼り付ける』と一息に飛び越えてやってくる。待ち受けるように貼り付けた弾丸もショットガンもセブンスの速度に追いつけず、苦し紛れの手榴弾はそのほとんどが切り飛ばされる。それどころか弾かれたひとつが飛来してくるのをこんどはとっさに『切り取る』必要があった。
(ワタクシの『継ぎ接ぎ(パッチワークス)』がこれほど短時間で攻略されてしまうなんて……うふふ。ワタクシも案外と安い女だったということかしら)
女の魔法『継ぎ接ぎ(パッチワークス)』。
一定体積の空間をその状態のまま切り取り、そして貼り付ける能力。
いっせいに放った銃撃を、引き金を引いたショットガンを、ピンを抜いて投げた手榴弾を、発射されたロケット弾まで、切り取った状態そのままに貼り付けて攻撃することができる。
しかし同じ動作を連続で使用する際には一拍の間が必要となり、そのうえ貼り付けた物体が動き出すのにはもう一瞬だけ時間が必要となる。
目前に迫る凪のように静かな突風には、その二つの間さえあれば十分すぎた。
全ての攻撃を置き去りに、最低限の動作で繰り出される短剣を拳銃でガードしようとした瞬間に短剣は消滅する。そして流れるように腕を掴まれそうになりとっさに自分を切り取った。
(気がつかれてしまったかしら。生き物とそれに触れているものは『切り取り』できない―――いえ、考えるまでもないわね)
解析され、対応される度に胸が躍る。
見定めていた場所に貼り付けた瞬間にまき散らされた短剣の一本がすでに眼前にあり、その向こうからはどこまでも冷ややかな視線が自分の全てを見抜かんと突き刺さっている。
身を捩って短剣を回避しながら落下していく女は、拳銃の代わりにライフルを構えスコープ越しに見つめあう。
(スコープを使っているのはワタクシのはずなのだけれど)
パダゥンッ!
音より速く飛翔した弾丸は影を撃ち抜くだけ。
速やかにリロードし、銃撃とともに挟み撃ちするもう一射も放った時にはすでに避けられている。
(やはり銃では遅すぎるようね)
「ふふ、ワタクシは退屈できなさそう」
着地点に駆け込む一閃を銃身で受け止め、即座に放つ拳銃の射撃を弾いた短剣がそのまま胸元を狙う。強引にそれをライフルで弾き飛ばし、胸元に銃口を突きつけたと思った瞬間に銃身が切断される。
ひゅ、と顎を下から上に通り過ぎようとする一閃にわずかにドレスを裂かれながら自分を切り取った。
置き土産にした手榴弾が不発弾となって落ちる中―――わずかに遅れて貼り付けた手榴弾が破裂した。
それは階段での攻防で弾かれた手榴弾。安全ピンまで抜けて時間が経過したため、上部を切り落としただけでは不発にできない。
気がつかなければ四肢の一本は獲れるだろうという考えで仕掛けたトラップだが、女はその結果を目にして笑みを深める。
(小細工では満足いただけないようね)
爆発を受けてズタボロになった死体が、投げ捨てられて血だまりに弾んだ。
自分の手が通用しない事実が喜びになる。それだけ自分を理解してくれているとそう思える。
とっさに盾を使って受け止められたのだと感心する隙もなく、拾い上げた自動小銃の銃口が向けられる。
まるで思いついたからなんとなく試してみるという何気なさで発射される銃撃を次々に切り取りながら、迫ってくる姿を見て女ははたと気がつく。
(切り取りと貼り付けを同時にできるか試しているのかしら。うふふ。抜け目のない御方ですこと)
なにげなく射線から逃れて銃撃をお返ししてみるもののあっさりと回避される。
繰り出される銃撃から逃れるために自らを切り取り背後に回った瞬間、嫌な予感とともに挟み込んだ強化プラスチックの盾に叩き込まれていた回し蹴り。
もろともに蹴り飛ばされた女に追撃する銃撃を盾で受け止め、お返しと頭上からロケット弾をお見舞いする。しかしそれは流れるような手さばきで女へと投げつけられ、盾を破砕してもろともに爆発する。
「ワタクシのプレゼントはあまりお気に召していただけないということかしら」
爆風を背にその目前へと貼り付けして、ふたりの間に手榴弾を浮かせた。
手榴弾のみに対応すれば女が撃ち殺す。女にばかり気を取られれば手榴弾の処理が間に合わず至近距離で爆発を浴びる。
ともすれば自分の身さえ危ういこのとびきりのプレゼントにどんな反応をしてくれるのかと、女は少女のように心を躍らせた。
「これなら興味をお持ちになって?」
短剣の閃きと銃撃が交差して。
―――そして階段の上に降り立った女。
拳銃をその場に落として、再度消える。
「屋上でお待ちいたしますわ。あなたとは、ワタクシも思い切り踊れそう」
そんな言葉だけを残して気配が消失する。
手榴弾がごとごとと音を立てて落ちていく。
セブンスはそれを見下ろし頬に付いた血を拭った。
女の首をわずかに裂いて跳ねた血液。
ぺろりと舐めるそれは、鮮烈な花の香りがする。
けれどむせ返るような圧倒的なものではない。思い返してみれば彼女の雰囲気にそぐう、どこか上品な香だ。
(もったいない)
セブンスは少しだけそう思い。
かといってその殺害の意志に微塵も揺るぎはなく、女を追って階段を登って行った。
二階の非常口から三階を通り過ぎて屋上へ。
照りつく日差しにドレスをはためかせる女の背。
バサッ! と翻った布がその姿を隠し。
そして風にさらわれて舞い上がる淡い色の向こうから、典雅に染まる女が現れた。
「―――ワタクシ、キャンディという名前をあまり好ましく思えませんの」
艶やかなワインレッドのドレス。
ざっくりと露になった背には、膨張する輝きを燦然と背負う。
「いかにも甘そうで、お可愛らしいとは思いませんこと?」
しなやかな腕を包み、風にひらめくスリットからも覗く黒金色の装甲。
「それになによりキャンディは舐る(ねぶる)もの……呼ばれる度に、まるで侮られているような気分になってしまうの」
くるりと振り向いた女は、口内で舐るキャンディを晒す。
「けれどいけずなあなたには、その名で呼んでほしいとさえ思うわ」
ぶぅおんンッ!
唸りを上げて回転する深紅の長槍が空気を捻じ伏せ風が止む。
それを偶然と思わせないだけの確信的な自信に満ちた視線がセブンスを見据えた。
女がキャンディをかみ砕いて。
始まりの号砲は―――彼女が蹴り砕いた建材の悲鳴だった。
ゴゥン―――ッ!
空間を穿つ豪快な一突きがセブンスの脇腹をかすめる。
切断するつもりで振るっていた短剣はあっさりと腕甲に受け止められていた。
(速い……し、硬いな)
銃弾よりも遥かに速く感じる突き技にも、やろうと思えば鋼さえ断ち斬る一閃が通用しなかったことにも動揺はない。
強引に振り回される槍を掻い潜ったとたん穂先を足元に叩きつけて女は飛び上がる。
空中で身を捩った女の投げ飛ばすような一突きが建材を突き抜け、回避したセブンスに散った破片が叩きつけられる。
次の瞬間女は槍を引き抜きながら消失する。目前に突き出される石突を掻い潜り、ぶん回される穂先を弾き上げれば女の胴体ががら空きに。
即座に蹴りを叩き込もうとすれば真下からすくい上げる石突の攻撃を足場に跳躍、投げつける短剣はあっさりと腕甲に弾かれた。
「少しは楽しくなってきたかしら」
女のらんらんとした笑みがセブンスに向けられる。
着地するセブンスへと振り抜かれる槍を弾こうとした短剣が空を切り、背後から足元を薙ぎ払う一閃を片足ずつ飛び越える。
上下逆さの体勢でセブンスの背後をとった女の振るう穂先は建材に突き刺さり、槍の回転力そのままに振り回される女の脚がセブンスを狙った。
セブンスは高速の一閃を掴むと速度を下方に叩きつけるように誘いそのままの勢いで女を投げ飛ばす。
(アレの技真似してみたけど、あんまり上手くいかないな。けっこう難しい)
そんなことを思いながら、宙を舞う女に短剣を投じつつ接近。
「とてもテクニシャンなのね」
女ははるか上空に現れ、槍をぶぅんッ! と回すと穂先をセブンスへと向けて人槍となって落下していく。
「けれどワタクシ、もっと情熱的に愛して欲しいの」
真っ向からそれと向かい合うセブンスの目前に穂先が迫ったとたんに女は消失。
次の瞬間屋上の建材を盛大にまき散らしながら女は翔る。
自由落下速度をそのまま推進力に加算する流星のごとき疾走。
星より早く加速した女の突撃がセブンスへと迫る―――ッ!
見下ろしたときにはすでに螺旋しながら突き出されている槍を弾こうとした短剣があっさりと弾き飛ばされる。とっさに身体を逸らした頭上を穂先が通過していくなか蹴り上げる一撃は空振り、次は背後からの薙ぎ払い、左右からの穂先と石突による連撃、上空から叩き下ろしたと思えば足元から掬い上げるような一突きをかろうじて回避する。
反撃に薙ぎ払う蹴りは腕甲に受け止められ、強引に蹴り飛ばすも女は距離を取ってしまう。
穂先がかすめたせいで垂れてきた鼻血を適当に拭うセブンスに、女は笑って槍を回した。
「もう少し控えめなお色が似合っていてよ?」
セブンスは問答無用で突貫し、短剣の嵐とともに女へと迫る。
女は身体を回転させる勢いを乗せて槍を投擲、両手に持ったサーベルで短剣たちを切り伏せる。
高速で迫る槍をあっさりと回避したセブンスへと襲い掛かる神速の斬撃。
同時に迫るかと思えば次の瞬間には連続している幻惑の刃と短剣で打ち合いながらも、セブンスは平然と距離を詰めていった。
「うふふ。大胆なお方」
胴を狙うサーベルの一突きを短剣に引っ掛けて弾き飛ばし、首元を狙う一閃を肩に生じさせた短剣で受け止める。心臓めがけて短剣を突き出した瞬間その短剣を上空へ投擲、現れた女がとっさに身をよじったため脇腹を切り裂くにとどまった。
投げ返されるサーベルを打ち払いながら血液を頬に受け、女が突き下ろしてくる槍撃の柄を強引に掴んで振り回す。
自ら振り飛ばされた女は追撃の短剣を新たな槍で弾き飛ばしながら真正面に。振るう勢いをそのまま叩きつける一撃はセブンスが突き立てた槍の柄が受け止め、その剥き出しの二の腕を彼女は掴んだ。
他人やその触れているものを消すことができない性質をすでにセブンスは確信している。それが自分自身であっても同じであるかはその瞬間まで不明だったが、即座に手を振り払おうと腕を捻る対応に確信に至る。
そして腕が抜け出すよりも早く女の魔臓を破壊できるという確信もまたセブンスは抱いていた。
はたして刃はまっすぐと女の胸に吸い込まれ。
「……少し、ときめいてしまいましたわ」
数歩後ろで、隻腕の女は笑う。
手の中に残る腕の感触がその瞬間すっぽ抜けて。
瞬きの間には揃った両手で振るう槍を、セブンスは飛び退いてかわす。
距離を取った女は片手を胸に当て、ほう、と吐息した。
「こんなにも愛してくださったのはあなたが初めて」
ドレスの暗い赤が、さらに色濃く染まっていく。
あまりにも鋭い一閃、女の攻撃から反撃までの全てが流れるように終わっていた。
そのうえ狙いは首でも心臓でもなく魔臓。
確実に、あらゆる抵抗を許さず殺すための選択。
もしほんの一瞬反応が遅れていれば、もし肋骨の合間を縫う刃が胸骨をわずかにかすめなければ、もしもっと距離が近ければ、すこしでも魔臓が損傷されていれば、いまごろ自分は死んでいたと分かる。
そんな感動を知ったことかとすでに目前にまで迫るその姿に目を奪われる。
きっと自分は殺されるに違いないという確信めいた予感。
そんな相手だからこそ、おのれの愛を全てぶつけてみたい。
「―――下品だなどと、失望しないでくださいまし」
槍を手放した女の眼前に出現する銃撃。
それを突き破る勢いで女はセブンスへと迫る。
わずかに身体をかすめるのを気にせず弾丸を弾き散らしたセブンスの短剣と交差するように突き出す貫き手。鋭く閃く爪でセブンスの頬をかすめながら振り上げる膝は蹴り弾かれ、背後に回ったところを待ち受ける回し蹴りを全身で受け止める。
「さあッ! ともに雨に打たれましょうッ!」
頭上に浮かせたショットガンから降り注ぐ散弾をセブンスと同時に最低限弾き散らす。虎視眈々と狙う短剣を受け止めお返しに貫き手を振舞った。
空振る瞬間腕だけをセブンスの背後に出現させて胴を狙うが容易く回避され、腕甲をかすめて腕が切り裂かれる。
「そうですッ! もっとッ! もっと激しく愛してッ!」
踊るように女は躍動する。
まき散らされる華の香が戦場を満たす。
手に持ったサブマシンガンの銃弾をばらまきながら腕をもとに戻し、だらだらと血を流しながらもその手でサーベルを握った。
「まだまだ踊れましてよッ!」
銃弾をばらまきながら突貫する女。
セブンスは短剣をまき散らしながら接近、出現するショットガンの銃口を逸らし、女のサブマシンガンを蹴り弾く。
その瞬間女の上半身が消失し、残された下半身が鋭い蹴りを放つ。
それを回避しながら背後から迫る斬撃を切り弾く。
「こんなこともできましてよ!」
上半身だけを背後に浮かべた女は、さかさまの状態でさらにサーベルを振るう振るう。
しなやかな銀閃と豪快な黒閃の乱舞。
腕を振るうたびに散る血液を香りながら挟撃を弾きかいくぐったセブンスは、短剣に刃を絡めて打ち払う。それと同時に下半身側に完成した女の手に持つショットガンの銃口を蹴り上げると、ふたりの合間に生ずる下向きのロケット弾。
振り上げた足をそのまま地面に叩きつけて軸足に、勢いよく蹴り飛ばす逆側から女の蹴りがそれを食い止め、わずかに歪みながらも下向きに射出した弾頭が屋上に着弾する。
即座に飛び退いたセブンスは爆風で吹き飛ばされ、一瞬視界が暗転しながらもほぼ無意識に着地。背後で待ち受ける蹴りと地を滑りながらもすれ違いその太ももに刃を沿わせる。
「はッあッ!」
狂悦に身を震わせながら突き出されるサーベルを蹴り上げて弾き飛ばし、そのまま蹴り降ろす踵は空を叩き伏せる。着地した足を支点に足元を薙ぎ払うような蹴りで落ちていた短剣たちを弾き飛ばした。
空中に現れた女はとっさに腕でガードし、それ以外の場所にざくざくと短剣が突き刺さる。その女のガードを下から抉るような蹴りが胸骨を短剣でねじ伏せ、吹き飛んだ女が頭上に現れた。
「ワタクシの鼓動はまだ熱く燃えていますのッ!」
血反吐をまき散らしながら、握りしめた手榴弾ごと手首をセブンスのそばに出現させる。
セブンスが即座にその手首の断面、腕甲の隙間を縫ってほんの薄皮ほどの肉をスライスする。そして落下していく手を手榴弾ごと蹴り上げ女へと届けた。
あえてその爆発を背に受けた瞬間に消失した女は吹き飛ぶ勢いのままセブンスへと腕を振るい。
「―――ぁ」
まるで踊るように抱き留めたセブンスに、背後から魔臓を貫かれた。
ぐり、とねじった刃によって完全に破壊された魔臓から魔力が弾ける。
女の身体から急速に命が喪失していく。
「ふ、あは、ふ……―――」
自分を抱く冷ややかな愛に、ほんのわずかなささやきを残して。
そして女は、至上の愛に抱かれて死んだ。
腕のなかの死体から立ち上るむせ返るほどの芳香を最後に堪能して、いらなくなった死体を無造作に投げ捨てる。なにせ女はずいぶんと血に濡れているので汚い。
わずかに返り血で汚れた自分を見下ろしたセブンスは、それから隠れ家のある方角へと視線を向ける。
(コレの言ってた探し物って……)
それはいまわの際に女が告げた言葉。
探し物。
単純に考えて、それはシロだ。
そもそもシロは絢爛なる魔王の残党の一派から逃げてくる形になっているので、いまなお探していてもおかしくはない。
しかしセブンスは、それが妙に気になった。
わざわざ死の間際に残したという事実が引っかかる。
(……イヤな感じだ)
セブンスは、衣服が血まみれであることなど気にせず屋上から跳び出していった。
ひどく不快な胸騒ぎが、杞憂であってくれることを祈りながら。
□■□■
―――はたしてたどり着いたその場所にあったのは。
建物ひとつ分の、ガレキの山。
「まりぃ、……?」




