027
老人を追ってカジノホールへと飛び込んだセブンスを迎えたのは濃密な魔術の香。
しかしこんどは設置型の魔術ではない。
巻き起こるは火炎、おびただしき水流は迸り、床を穿ち隆起するコンクリートスパイクに雷鳴がつんざく。
ディーラーたちが一斉に魔術を行使したことで生まれる地獄絵図。
魔力を都合のいい現象へと変換するのが魔術という代物であれば、魔術師の本領はいま目の前にあるできそこないの自然の猛威たち。
セブンスは短剣を頼りに素早く壁を登り、そのまま四足歩行に壁を走りだした。
火炎を突っ切り水流を置き去りに、大地の手の届かぬ場所で雷鳴よりも速く。
いかに炎が広がろうが、いかに水流が圧倒的だろうが、いかに大地が広大だろうが、いかに雷鳴が速かろうが、その繰り手は人間だ。
銃火器のように詳細な狙いを必要としない分その精度は低く、セブンスからしてみれば児戯にも等しい。こうして避け、あとは短剣で片端から潰せばそれで終い。
やがてすべての魔術師を完全に沈黙させたセブンスはとある死体のそばに降り立つ。
首から先のなくなった燕尾服の死体。胸などには刺し傷が残り、片手が痛々しく裂けている。気がついたのは壁に登った時だったが、それは彼女がここにやってきたときからあったものだった。
(身体を取り換えられるのか)
老人が腕を付け直していたのを見ていたセブンスは当然にその可能性にたどり着く。
気配に振り向けば、カウンターの向こうの従業員出入口らしき場所から燕尾服の老人が出てきた。その身体はさきほどよりも背が高く、そしてずいぶんとガタイがいい。
「これは申し訳ありません。お色直しをしております間に退屈させてしまったようで」
地面が隆起し水浸しになりつつちょこっと火災も起きているカジノホールの惨状を目にした老人は、いかにもわざとらしく深々とお辞儀する。
それと同時に辛うじて扉だったものを蹴破ってなだれ込むキャストたちが老人の前に陣を広げてセブンスへと銃口を向けた。その武装は自動小銃だけでなく数人がかりで構えるガトリング砲や後列にはロケットランチャーのようなものを構えている者までいて、ずいぶんなやる気が伺える。
老人は顔を上げ、相変わらずの穏やかな笑みとともに手を広げた。
「ですがこれにはご満足いただけることでしょう。オープニングセレモニーとは比べ物にならないほどの迫力を約束いたします」
笑みはそのままに、異様なまでに鋭い視線がセブンスを射抜く。
「お好きな場所にベットなさいませ。運がよろしければ―――チップ一枚分くらいは残るでしょう」
老人の言葉と同時に一斉掃射される集結した暴力。
破壊された各種のテーブルと隆起した地面だけが遮蔽物のホール内。
そんなものは紙屑のように削り飛ばすだろう逃げ場のない攻撃。
セブンスの対応は単純だった。
短剣を高速で投擲し、そして跳んだ。
投擲された短剣は引き金を引いた瞬間のロケットランチャーに直撃し。
―――轟音。
並んで弾ける爆発が、キャストたちを薙ぎ倒し空中のセブンスまでもを吹き飛ばす。
壁に叩きつけられて一瞬肺から全ての息を吐きだし、床に落ちた後ふたつほどせき込んだセブンスは軽く頭を振って駆けだす。
ロケットランチャーの自爆により一瞬で壊滅した陣形。
大体の者は死に、生きている者ももはやまともに銃など握れない。
反省を生かしてきっちりと生き残りを殺したセブンスがエントランスホールに出てみれば、どうやらまだ残っているらしいキャストたちからの銃撃がふりそそぐ。
それに短剣を投げ返してきっちり殺しながら、階段を登った先でキャストの頭をひねり千切っている老人を見やった。
老人はぴくぴくと弾むキャストの身体に自分の頭を乗せ、そのとたんさっきまで老人の身体だったものは力を失って崩れ落ちる。爆発を察して即座に逃げ出したとはいえダメージは甚大だったようで、階段をわずかに転がり落ちたそれは至る所がへし折れ右腕もなくなっていた。
そんな死体を尻目にセブンスは階段を駆け上がっていく。
「どうやら運に頼るゲームはお好きでないようだ」
老人が手に持った自動小銃を乱射してくるのを掻い潜り至近へ。叩き込んだ短剣は銃身に受け止められ、その衝撃に乗じたバックステップで奥の通路へと老人は逃れる。
そのさなかにも銃身の先端を持ち鈍器のように構えた老人はじゅうと手のひらが焼ける音に表情ひとつ変えず着地。同時に振り回す銃床の一撃をセブンスは弾き上げ、即座に突き刺す前蹴りは上半身だけが飛び上がることで回避される。
反撃として繰り出される下半身の蹴りを踏み落とし、上半身が殴りつけてくる銃床を受け止め強引に指をかけた引き金を引く。
銃口から手を離したことによって胸に銃弾を受けただけで吹き飛んでいく老人。追撃として短剣を投擲する瞬間、背後からの気配に短剣を投じながら飛び退けば暴風が横切って、老人をさらに吹き飛ばしていく。
銃弾と短剣とで穴だらけになりながらも奥の扉を突っ切って飛んでいく老人。
振り向けば、首と右腕のない燕尾服の死体が崩れ落ちるところだった。
(一度使った身体は操れるのか)
それならと死体と下半身を徹底的に銃撃しておいてから老人の元へ向かう。
老人がぶち破って行った扉の向こうには三階につながる階段がある。部屋の奥から手前側に向かって上がる階段が扉の左右にあって、奥には巨大な女の肖像画が部屋を見下ろしていた。
―――そして女の胸元からべっとりと塗り降ろされた赤の終点に、老人が落ちている。
一応頭を粉々にしておこうとセブンスが短剣を投げつけると、その瞬間老人の腕が高速で跳ねあがる。
「キサマぁ……」
脳天に切っ先を触れながら停止した短剣が、老人の握力に潰され破片となって消える。半ば以上切り裂かれた指が戦慄くたびにぶらぶらと揺れて。
しかしそんなことを一切気にした様子もなく、あらゆる感情を露にした激烈なる形相がセブンスを睨みつける。
「このっ、キサマ、このスレイブにッ、」
見開かれた目からはぎょろぎょろとうごめく眼球が飛び出そうとし、千切れた毛細血管から血涙が染み出している。噛み締められた歯が軋みを立ててひび割れ、吸い上げられた血液に赤く脈が走った。
セブンスは背後から聴こえてくる多数の足音を捉え、それを黙らすため短剣を投げつけながら突貫していく。
「このっ、このお嬢様の忠たる下僕にィ……ッ」
短剣を拳で打ち払った老人はセブンスが薙ぎ払う蹴りを飛び越えるように飛び掛かる。
そのまま肩を掴もうとする腕をあっさりと斬り飛ばしたセブンスは、そのまま身体を縦に叩っ切る。
分断されて床にべしゃっと落ちる老人は、しかしすぐに身体を接合してまだうごめく。
「敬愛なる親愛なる博愛なる溺愛なる友愛なる恩愛なる仁愛なる畏愛なる情愛なる恋愛なる慈愛なる信愛なる氾愛なる深愛なる渇愛なる熱愛なる盲愛なる最愛なるゥゥゥゥッ!」
ばぎゅッ!
割れるほどの頭突きで身体を投げ飛ばし、臓物をまき散らしながら飛翔する老人。
「キャンディィィイィイィィィお嬢様のぅおお肖像をォォオオッォォオォッォオオオオオオオオオオオ―――ッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!」
セブンスはとっさに小腸を引っ張ってみるが、身体からは引き千切れて上手く老人を引き寄せられなかった。
吹き飛んでいく老人とセブンスの目が合う。
いまにも内側から弾け跳びそうなほどに歪んでいた表情が無へと凪ぐ。
「―――殺害させていただきます」
そして老人が死体の群れに落下した。
死体の群れのなかで老人は。
きわめて無表情で、果てしなく最適化された挙動でおのれの目的を果たしながら。
しかしその内側にある激情が消失した訳ではない。
むしろ逆。
もはや正常な言語化が不可能なまでに荒れ狂う思考が身体の操作を放棄したことにより、彼の無意識がその身体を操っている。
その行動理念は極めて単純だ。
愛するお嬢様を汚させた不埒者を殺す。
肖像であることなど関係なく、確実に明確にブチ殺す。
そんな殺意が彼の身体を動かしていく。
敵に伸ばすための手を。
敵に迫るための足を。
敵を見逃さず思考するための頭を。
人間ひとつでは足りない。
だがここには数えきれないほどに人間がある。
彼の魔法『ちぐはぐ(ジグザグ)』は、身体を乗り継ぐ魔法でも死体を操る魔法でもない。
―――やがて死体の群れの中から、ずぁおっ! と異形が飛び出してきた。
それは天井を抉る握力でつり下がり、2/8の瞳でセブンスを見下ろす。
(蜘蛛をふたつ重ねたみたいだ)
手に手に手に手に手に手に持った自動小銃の銃口を見上げてセブンスは思う。
背中合わせになる二つの胴体には四方を向いた頭が接合し、肩甲骨辺りからひじが3つもある長い腕が生えている。この4本と正面を向く腕の2本で計6挺の自動小銃を握り、後ろを向く2本の腕はいまは天井を掴み身体を支えている。
そんな荷重量を支えるためか8本の足があり、計16肢。そのどれもが外付けの筋肉により膨張し、わずかな挙動だけでミシミシと軋みを上げていた。
4人分の頭と2人分の胴体と6人分の腕と4人分の下半身、そして何人分かの筋肉で構成された人体の構造体。まるで幼い子供が人形を組み合わせてオリジナルの怪物を創り出すような無邪気さで、老人の殺意が凶悪な生命体を構築していた。
「さあ」
「白無垢殿」
「これならば」
「ご満足いただけるでしょう」
「ただいまをもちまして」
「パーティを」
「終えましょうぞ」
「「「「フィナーレです」」」」
四の頭が口をそろえ、六の銃口が一斉に火を噴く。
短剣を投擲しながら後退したセブンスはそのまま三階に至る階段を駆け上がっていく。
左右の階段はどちらもが同じ通路に繋がり、通路をまっすぐに進むとその最奥に支配人室につながる重厚な扉が待ち構えていた。
その通路の半ばをぶち抜いて。
破片と銃弾をまき散らしながら老人が降り立つ衝撃で吹き荒れる塵の波。
その中を泳ぐ銃撃の中をセブンスは迷いなく駆ける。
一個人により完全に統制された弾丸たちは容赦なくセブンスを追い詰め、体表に刃をまとってなおすり抜けるように擦過傷が刻まれていく。塵によって辛うじて視界が閉ざされていなければすでに直撃を受けていてもおかしくはない。
そしてそれを見逃すほどに老人はお人よしではない。
ギュオウッ!
銃弾をばらまきながら回転する老人。振り回された足と腕により巻き起こる風が視界を晴らし、清明となった通路を走るセブンスへと銃口が向けられる。
セブンスは短剣たちを手中に生じ、ひとつ吐息でそれらをばらまいた。
襲い掛かる銃撃が空中の短剣に弾み挙動を変える。
鳴り止まない金属の衝突音の中を、次々に短剣を投じながら駆け抜けていく。
跳ねた銃弾が肩をかすめて皮膚を裂き、弾けた短剣が突き刺さりそうになるのをすんでのところで消失させる。
けれど一発の銃弾がセブンスのももに突き刺さる。
ような気がした瞬間に無意識で生じさせた刃が、それを弾いた。
(……? )
疑問を置き去りにセブンスはすでに老人の至近へ。
老人は即座に回転しながらその足を振り回し、跳躍するセブンスへと銃撃を浴びせた。
天上を蹴り飛ばして老人を超えても途切れることなく襲い掛かる銃弾たちから逃れるように、通路に空いた穴へと降りる。死体の山が遮二無二もがく中から奪い取った二挺の自動小銃を向ければ、老人もまた六つの銃口をセブンスへと向けた。
一拍の間を押しつぶすように吹き荒れる鉄の豪雨。
壁を天井を飛び跳ねるように銃撃をかわしながら肌に生じさせた短剣でダメージを抑えるセブンスと、死体どもをまとい肉壁と成す老人。
セブンスの銃撃は死肉を散らし、老人の銃撃は彼女の短剣を掠め破片を散らす。弾切れの度に死体の山から銃を拾い上げ、その隙を穿たんとする銃弾を短剣が弾き肉壁が受け止めた。
どの角度からの銃撃も通らないことを理解した彼女は一挺の自動小銃を投げ捨て、防壁のように短剣をまき散らすと、両手で銃を構え静止する。セレクターを三点バーストから単発のセミオートに切り替え、刃が弾け銃撃が荒れ狂う隙間にひとつ吐息。
(銃はあまり得意じゃないんだけど)
そして迷いなく引き金を引く引く引く引く引く引く―――ッ!
六度の銃撃で六つの銃口を撃ち抜くと同時に駆け出して、死体の山を乗り越え上階へ。すぐさま穴から撃ち上がる銃撃の中へと突貫していく。
その瞬間飛び上がってくる老人のまさに頭上を通過しながら鮮やかな手つきで首を切断、
サッカーボールのように蹴り飛ばして銃を向ける。回転する老人の無の表情を銃撃で粉々に砕けば吹き飛んだ頭が奥の扉に叩きつけられ、異形の死体が飛び出してきた穴に引っかかってずり落ちていく。
(さっき、またあの感覚があったような……)
落下する肉の音を聞きながらセブンスは思い出していた。
銃弾が直撃したような感覚があった。
それはシロと初めて出会ったときに感じた既視感に近いもの。
(……まあ、たしかに一発も直撃しなかったのは幸運だったけど)
死なない程度なら仕方がないかとダメージを想定しての特攻だった。
それがかすり傷ていどで無傷で済んだのは幸運と言っていい。
(ありがとうシロ)
とりあえずシロに内心で礼を告げて、セブンスは支配人室の前に立った。




