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その冬、私は遠い街の医師に師事することになりました。
町の医師不在を、いつまでも放っておくわけにいかなくなったからです。先生からの教えが不十分だった私は、一人前になるため、父の伝手を使いました。そうして町から離れ、修行を積みました。
新たな師から一人前と認められたのは、三年後のことでした。私はそれから半年、街で医師として従事し、次の春に、薬草の種を餞別に受け取り、故郷へ帰ることにしました。
その間、王国軍はほとんどの時間を侵略に明け暮れていました。
先生は音沙汰もなく、当然町に戻ったという報せもありません。
ひょっとすると、軍医として解放されたとしても、町には戻らないのかもしれない⋯⋯そう考えることもありました。
故郷の町へ向かう馬車の中で、一枚の書状を広げて眺めました。父から受け取った、権利書です。大事に保管しておいた書状は色褪せるこもなく、クラウス・オールドマンの名前を刻んでいます。
町へ戻ると、私は真っ先に先生のご邸宅へ向かいました。
そこで私は息を飲みます。
三年間、誰も住んでいない家です。
なのに、それを感じさせない、真新しい外観のまま、その家は待っていました。
町の人達は、私がいない間も、手入れをしてくれていたようです。庭の苹果は瑞々しい葉を茂らせ、薬草は雑草に混じって力強く生えていました。
もしも心に形があるのなら、町の人達の心は、まさしくこの家の形をしているでしょう。
いつまでも先生の帰りを待ち続け、迎えられるように。
それから私は、その家に住むことになりました。
理由はふたつ。ひとつめは、実家は、妹が町長見習いとして父を手伝っており、婿を迎えたため。
ふたつめは、先生の家は医者が暮らして管理した方がいいとの、住民の勧めがあったためです。
今も尚、先生は医師として愛されているのだと実感した瞬間でした。
荷解きを済ませ、診療所として必要な道具の発注書を書きました。餞別に貰った種を庭に植え、雑草を抜き、肥料を撒きました。
夕方になって、お客様が来ました。
それは、この家の建築を手伝った子供たちでした。
いえ、子供たちでは語弊があります。三年半の時を経て、大人になりつつある少年少女たちです。彼らは親や師に付き仰ぎ、将来のための修行中です。
「おかえりなさい、メリッサ姉ちゃん」
大工の息子がそう言いました。
針子の娘がそれを訂正しました。
「違うよ、メリッサ先生だよ」
ひとりが言い出すと、他も真似するようになりました。
「そうだよ、いっぱいお勉強した先生なんだよ」
「あ、そうだ。僕の妹が勉強したいって言ってるんだけど、教えてくれない?」
彼らはあくまで無邪気でした。
快く承諾すると、次の日から年端のいかぬ子供たちが、家に来るようになりました。
私は食堂を開放して、手の空いているときに読み書きや歌を教えるようになりました。のみならず、たまに料理を振る舞ったりもしました。
夏になると、大工の息子がプレゼントだとリュートを持って来ました。先生の演奏する姿を懐かしく思ったのでしょう。けれど、私はリュートが弾けません。楽譜と教本を取り寄せ、紐解きながら、集まってくる子供たちに弾いてやるようになりました。
子供たちや町の人達は「メリッサ先生」と慕ってくれました。しかしいつの間にやら名前が省略されはじめました。秋には、家族以外、名前で呼ばれることはなくなりました。
そして私は“先生”になったのです。
2020/12/16