#4/9
先生は庭へ出て、子供たちのせがむままにリュートを弾いて歌いました。明るいリズムの祭の歌は、特に子供たちを喜ばせました。
それから、私が作ったご飯を一緒に食べました。今日の夕飯は茸と鶏肉を使ったキッシュです。
元食堂の大きな食卓は、大勢で囲むとちょうどよく、先生は子供たちの話に耳を傾け相槌を打ちます。華やいだ笑い声が、その場を満たしていました。
夕方になって子供たちを帰すと、今度はお茶を淹れるよう仰いました。昼間に買ってきた茶葉をじっくり蒸らして、ふたり分、お茶を淹れました。
食堂で、先生とふたりきりになりました。西陽が差し込み、先生の横顔を照らします。先生は憂いたような表情をしていました。
「昼間の軍人はね、僕の姉の夫⋯⋯義理の兄に当たる人なんですよ」
先生はまずそう仰いました。私には全くの予想外です。
「先生の、お義兄さん⋯⋯?」
「えぇ。五年前に姉の婿となり、家督を継いだのです」
我が家は軍医の家系なんですよ、と先生は続けました。
「父も姉も、この僕も、医者なんです、王国軍お抱えのね」
それから先生はひと息に話し始めました。
お姉さんが、結婚してすぐに子供を授かり産んだこと。産後の肥立ちが悪く、軍医として戦場へ行くなんて不可能だと、父親が診断を下したこと。
それからまもなく、隣国への侵攻が決まり、父親と先生は、軍医として戦争に同行させられたこと。
お姉さんがいない分、しわ寄せが先生とお父さんにやってきたこと。
先生が負傷兵の治療の最中、老体に過労が祟り、お父さんが倒れたこと。
お父さんは先生の診察も治療も間に合わず、帰らぬ人となったこと。
そしてその死の責任を取り、先生は終戦と同時に王国軍を追放され、この町に流れ着いたこと。
誰も知らない先生の過去。
誰にも明かすことができなかったせいなのか、堰を切ったようにお話しなさいました。
その表情はというと、語り終わる頃には陽が沈んでいましたので、うかがえませんでした。けれども、やはり明るいものではありません。
私は、こんなことなら知りたくはありませんでした。
けれど先生には、過去を知り、受け止める人が必要なのだと思います。ご自身で抱えきれない分を、受け入れる人が。
それが、今、ここで、必要になったのでしょう。
私である理由は、弟子として信用しているからか、あるいはたまたま近くにいたからか、はたまた、特になんでもないからかは、わかりませんが。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
私は、お義兄さんが先生に言った言葉を思い出しました。
父親殺しの出来損ない――――私は、今になって腹が立ちました。お義兄さんは、汚名返上とも言っていました。
お義兄さんの軍人としての立場からすると、軍医であったお父様の死は、決して嘆かわしいばかりでないのかもしれません。戦争中だったこともあり、軍として痛手だったでしょうから、責任問題に発展しただけなのかもしれません。
けれど、先生は、お父様を死なせたかったわけではありません。
どれほど医者が手を尽くそうと、命がすり抜けて失われてしまうことは、残念ながらあるのです。
もし仮に、お姉様がいらっしゃれば、人手も足りて助けられたかもしれません。しかし、彼女もわざと戦争に赴かなかったのではありませんし、それもお父様のご判断があったからです。
誰が悪いわけではないのです。
強いて言うなら、隣国への侵攻をお決めになった国王でしょう。ですが、お上に異議を唱える者は、この国にはないのです。ましてや、その結果について諌言するのは、命知らずのやることです。
ですから私は、お義兄さんが罵る筋合いは無いと思うのです。お父様が助からずに傷心してらっしゃるのは、他でもない先生です。お義兄さんの奥様だって、可能ならばその場にいて、手を貸したかったでしょう。
お義兄さんは、軍に戻る機会を恩むつもりで来たようですが、私はそれも的外れだと感じます。先生は、軍に『居たかったけど追い出された』のではないと考えたからです。そうでなければお義兄さんの誘いを、迷わず受けているでしょうから。謗られて尚、断る理由もないでしょうから。
勝手な憶測になりますが、先生は、偶然にも軍医の家系に生まれたために、仕方なく軍医になって、嫌々ながら戦争に赴いていたのではないかと思ったからです。
長閑な田舎町に腰を据え、子供たちに勉強や歌を教えるこんな生活の方が、先生の望みではないでしょうか。
この家が、その証拠ではないでしょうか。
この家は、元は荒屋です。家人を失って久しく、屋根も壁も雨風に朽ち、土台くらいしかまともじゃない家を、先生は時間をかけて手を入れました。庭の、雨と陽射しに固くなった土を、丁寧に耕して、薬種の草花を育みました。
この家は、こうして蘇ったのです。こうして、町の人達から愛される医者の住居となったのです。
新しく住む処が欲しいだけなら、最初から立派な家を買えばいいのです。わざわざ自分で直さずとも、人を雇って直してもらう手もありました。お金には困っていないと仰っていましたから。
傷ついたものを、手をかけ、立ち直らせる。そうして手に入れたこの暮らし。
「⋯⋯先生」
「はい」
「いなくなったり、しないですよね」
「もちろん」
先生は笑いました。
いえ、それは私の願望です。日が沈み、どちらも灯りをつけぬまま話し込み、もう互いの表情というものは見えません。月もまだ低く、薄闇の中、朧気な輪郭だけを見ていました。
笑ったのかもしれないし、本当はそうでないかもしれない。けれど、声はとても優しかったのです、泣きたくなるくらいに。
「メリッサ、君が一人前の医者になるまで、私はここにいるつもりですよ」
「⋯⋯はい。これからも、よろしくお願いします」
私は頭を下げました。私の目には涙が溢れていました。暗い室内であっても、それを見られたくはありませんでした。
先生は黙って、私が顔を上げるまで待ってらっしゃいました。
やがて、私はくすんと鼻をすすり、顔を上げました。
「先生」
「はい」
「明日のお食事は、なにがいいですか?」
「⋯⋯そうですねぇ」
突然の質問に、先生は少し驚いたように考え込みました。
「シチューがいいかな」
「はい、わかりました」
シチューは私の得意料理です。初めて先生に振舞った料理も、シチューでした。
私は前髪を直すふりをして、涙を拭いました。それから、先生にもう遅いからと、家まで送ってもらうことになりました。
歩いて五分ほどの道のりでしたが、どちらもなにも話さずにいました。
夜道はひんやりとした風が吹いています。上着が一枚ほしいくらいです。明日もこれほど冷えるのなら、シチューは最適かもしれません。
家に着いてしまいました。月が、先生の姿を照らしています。
私は、努めて笑顔を作って手を振りました。
「先生、また明日」
「はい、また明日」
――――先生のご自宅が燃えたのは、その晩のことでした。
2020/12/07