キミが私のユニバース
ふかふかと温かい布団の中。
布に覆われていない私の背中の部分をなぞる、彼の手の温度を体感しながら。それはチョコが溶けるくらいだろうかと思っていると、うつぶせ寝の私の耳元でアヤセの唇が言った。
「おはよ」
まだ寝ぼけまなこの私は、伸びをしながらめんどくさそうに返す。
「んーおはよお」
すると突然。
「宇宙だな」
ああまたか。しかもこんな朝っぱらから。そう思ってから、声の方へよいしょと顔を向ける。
コオォォっと遠くにファンヒーターの音。触れれば熱いくらいの、空気を吐き出している。先に起きたアヤセが、スイッチを入れておいてくれたらしい。
私の隣でごろりと仰向けに寝転んでいるアヤセの横顔を見る。綺麗だか、イケメンだかと大学中の女子に評されるその顔が、ぼうっとくすんで見えていたのが、覚醒とともにその輪郭をはっきりとさせていった。
アヤセが人差し指で、私の露出した肌をなぜていく。
「こうやってホクロを繋いでいくと、星座になるね。これは……この形はなんだろ? 餃子、かな?」
餃子!
はあぁと、ため息ひとつ吐く。仕方がない、ため息というものは、呆れた時に出るものだから。
不自然に曲げられた首に痛みを感じ始めると、私はそれを真っ直ぐに戻して、顔を枕へと埋めた。
くぐもった声で、私は言う。
「ばかだね、宇宙とかって。こんな真っ黒になっても、まだそんなこと言うの? しかもさあ、星座って。それはもう。さすがにない」
呆れた声色になった。
「そんなことない。ちゃんと、星座だよ。でも確かにここまでくると、ブラックホールだなあ」
それでも懲りないアヤセはそう言いながら、皮膚を晒した私の背中を、すすすっと指でなぞる。
「うん、クリームパン」
私はこそばゆいと上半身をくねらせながら、曲げた左足を倒して、アヤセの太もも辺りを蹴った。痛えっと声が上がって、私をくすっと笑わせる。
「クリームパン座はイヤ? じゃあ、パニーニ座」
「パニーニな。でももうそんなこと、どうでもいい」
枕の横に添えてある私の『手』をまじまじと見る。
けれど、ビターチョコのように真っ黒な、このシミは。体温によってでも溶けやしないし、舐めてみたってsweetでないし、芳醇なカカオの香りもしない。
そして、私は。
今日も。まだ。生きているのだ。
自分の手の甲を改めて見る。黒いドットが無数に広がる、アヤセが言うところの、『宇宙』。本来は黄味がかった黄色人種特有の肌色だったはずなのに、黒に侵食され、覆い尽くされ、無言の悲鳴を上げている。
全身を網羅するように、そのドットは肌への侵攻を止めやしない。黒が優勢の、オセロの盤上のように。あっという間に逆転され、白という白が、黒へとひっくり返されていく。
それが死ぬまで続くのだ。命がつきるまで。
このたくさんの数の、ホクロやシミ。尋常じゃない数だ。
私は手を少しだけ持ち上げて、再度じっと見た。
人差し指の、爪の生え際にまで、その黒は迫っている。一ヶ月前にはまだ辛うじて肌色だった部分が、今ではもう灯りのない闇夜のように真っ黒だ。
「宇宙のこと、ユニバースって言うんだろ」
その声で、自分の手から視線を外してアヤセを見る。ちょんちょんすすすと指で隣からちょっかいをかけていたアヤセが、すでに暖まった室内で布団をけ飛ばして、大の字に寝そべりながら、天井を見つめそう言った。
私も大の字になり、同じように天井を見る。あ、真っ裸だった。まいっか。
「だからあ、もうそんなのどうでもいいよ」
私が、投げやりな声で言う。
「そんなことはないよ。もっと、色んなこと話さないと」
打って変わって神妙に。私の大事な部分に布団をそっと被せてくる。自分だって、まっぱのくせにな。
……なあ。時間が無いんだよ、俺たちには。そう小さく続けるアヤセの横顔。そんなことは痛いほど、分かっている。
「知ってるよ。でもそのユニ……とやらの話は、やめて」
思いの外、強い口調になった。
「アキはどんなんなってもキレイだよってこと」
「やめて」
しつこいよ。何度も繰り返してきたその水掛け論的やり取りを、もういっそ丸めてぶん投げたい。それこそ宇宙の彼方へと放り投げたい。
「無限の美だ」
「やめてったら」
私が抱え込んでいる、この闇の中へと、放ってしまいたい。
「一緒にいくよ」
「こなくていい」
涙が。目尻から零れ落ちて、ちょい低の鼻梁を横切り、そのまま枕へと伝っていく。いつの間にこちらを見ていたのか、アヤセが少し弾んだ声で言った。
「ほら! 夜空を流れる、ほうき星だ! もしくはパニーニから伸びるチーズ!」
「……ほんと、ばか」
真っ黒に染まった頬。そこを流れる涙なんて、綺麗なわけがない。私は、心から呆れて言った。
死ぬのか、ということが分かったのは、世界の全人類がそう思ったのと同じ時期だったのだろうと思う。この奇病の起源が、いつの時点で発生したのかは、研究者でも神でもない私が、知る由もない。
連日のテレビでは、この奇病の原因や現在の罹患率の状況、研究者への無意味なインタビューや討論などで埋め尽くされていた。
ホクロやシミが増殖し、皮膚という皮膚が、それに埋め尽くされて死に至る病。
最初はもう、それはそれは笑い話の一端だった。
けれど、地球の磁場が……とか、宇宙や太陽からの光線が……とか言っている間に、どんどんと危機的状況に陥ってしまった。死者の数がうなぎのぼりに増えていったからだ。どんな薬を処方しても、どんな薬を開発しても、その死者数を止めることができない。これは世紀末としか言いようがないなどと人類はパニックに陥った。
「死」
原因はいまだ突きとめられない。この奇病は、人類を全て食い尽くすまで、止まらないようだ。
私は孤独なひとりぼっちで、残りの人生を分かち合いたいと思う家族も、会っておきたいという友達もいない。中学の頃、両親の死という突然の身内の不幸からずっと独りだったから。大した感情も持てず、空気のように生きてきたから。
それから少しして、少なくなったテレビの情報で、この奇病に『黒斑病』と病名がついたことを知った。
「まんまじゃん」
その頃には私の身体のホクロも増殖し始めていて、それなのにここへ来てやっと病名がついたのかという可笑しみが湧いてきて、意味なく独り、ひひひと笑った。
ピンポンと玄関のチャイムが鳴った時には、自宅に引きこもってから一ヶ月近くが経とうとしていた。
最近では家の外も静かになっていて、こうも静かだと、近所の人は皆死んでしまって私ひとり、無駄に生き続けているのではないかと思えてくる。
ピンポンピンポンと何度も鳴らされる。そのしつこさに、なんとなくの心当たりはあった。
「……アキラ、いる?」
インターフォンの向こう、名を呼ぶ声がして私はドアを開けた。そこには満面の笑顔の男が立っている。連絡がつかなかった私の恋人、アヤセだ。
「あ、アヤセっ」
「アキラ、アキっ!」
久しぶりの生身の人間に遭遇して嬉しかったのだと思う。普段あまり興奮しない私が、スペインの闘牛場の牛のように突っ込んでいって、めちゃくちゃにアヤセに抱きついていた。無感情な私でもこうして人間(牛?)らしく生きることもできるのだと、今まで生きてきた人生の中で証明された瞬間だったのかもしれない。
抱きしめたら、もちろん抱きしめ返される。アヤセは思いのほか腕に力を入れてきたため、「ちょっと苦しいっ! あばらが折れるっ」と最終的には私を怒らせた。
アヤセという存在を知ったのは、大学のホールにある自販機の前だった。元々、両親を早くに亡くしてその相続した貯金で何とか食いつないでいた私が、高校卒業後、たくさんのバイトを死ぬほど掛け持ちし一年遅れでようやく入学できた大学。
大学に入ったは良いが、奨学金を取得できたと言えども学費という波は容赦なく覆いかぶさってくる。改めて手元の貯金通帳を見てみる。卒業までの学費が払えず、退学を余儀なくされそうな、そんな予測ができてしまって、私は愕然としながら、暗すぎる学生生活の日々を過ごしていた。
「……もっと、バイト増やさないとなあ」
呟いても焦っても泣いても。助けてはくれない社会の不条理にのたうち回っても、金は減るばかりで増えはしない。
そんな講義の合間の隙間時間に、ホールの自販機前のベンチにて。ぼけーっとしながらとっくの昔に空になったコーヒー缶を、私は意味なく両手に包んで温めていた。
(次は、第七講義室だっけ……)
講義の時間が迫り、もうそろそろボンヤリから脱出せねばなるまい。自販機の隣にあるゴミ箱に空き缶を捨てにいこうとして、ベンチから立ち上がった。
すると二、三歩いったところで、自販機の前でウロウロする男の姿が目に入る。
後ろ姿。背は高い。男は何を買うのかを迷っているようだった。商品を指で指しながら、ブツブツと独り言を言っている。
私が構わず、自販機の隣にある備え付けのゴミ箱に向かうと、彼は背中を大きく揺らして、嘘だろおいっと言った。
「え、えええ! マジか! くそっ」
同時に、ガコンと自販機が音を立てる。
「オーマイガッッ」
ちょっと待て。神よ! て普通に標準語ですか?
彼が腰を曲げて取り出したのは、ペットボトルのはちみつレモン。彼は手の中のはちみつレモンに気を取られているのか、私には気付かない。その姿を横目で見ながら、私はゴミ箱へ空き缶をスローインしようとした。
「ホッッッットかよっ! くっそ間違えた!」
間の抜けた言葉を、なんも悪くない自販機に向かって吐きつける。その全力加減に私は思わず、くすくすっと笑ってしまった。
はちみつレモンって言ったら秋冬、どう考えてもホットですよね、と見ず知らずの彼にでもツッコミたい。
すると、彼がこちらに向かって、呆れた顔を寄越してきた。
「ねえ。俺いま超絶不幸な目にあってんだから笑うなよな。冷たくて炭酸じゃないヤツが欲しかったんだよ……ってか、俺ら初対面だよね? よくもまあ、落ち込んでる男に足蹴りをカマすようなことができるよね?」
え。そこまで? ちょっと笑っただけですけど。
そしてアヤセはぷうっと頬を張る。そのふくれっ面といったらまるで河豚。
ふはと小さく笑いながら予感する。私はその顔を一生忘れないだろうな。おおげさかもだけれど、そう思うくらいの、アヤセの綺麗な顔だった。
「アキ、アキラ。良かった、無事だった。アキ、アキ……」
玄関先で飛び込んだ、アヤセの腕の中。力強く力強く、抱きしめられている腕から、私はようやく身体を離した。何度も私の名前を繰り返す、アヤセ。そこに安堵が込められていることに、私は気づいていた。声が次第に小さくなっていく。
アヤセが泣いている。背中や肩が小刻みに波打っている。
泣いてるの?
アヤセは涙で頬を濡らしながら、私の頬を両手で包み込むと、良かったアキ、良かったアキと、何度も繰り返す。
「ねえアキ。これからは俺がいるから、ね」
念を押すように覗き込んでくる瞳。涙が溜まってゆらり、ゆらりと揺れている。頬に残るは、茶色っぽい涙の跡。
「ん」
今まで独りで生きてきた私だったけれど、こうしてアヤセに会えて、泣きはしなかったけれど私も思いのほかホッと安心している自分を認めていた。
「……な、なんでなんで?」
私はアヤセを前にして絶句してしまった。動揺が無限に広がっていくような気がして、身震いがした。
「う……うそでしょ」
アヤセの身体には、ホクロが一つもない。恋人だった時に、シミひとつないような綺麗な肌だな、とは思っていた。けれど、ホクロやシミが実際にひとつとしてない、などとは思いも寄らなかった。どこか見えないところに探せば一つぐらいはあるだろう、と漠然と思っていたからだ。
「こ、黒斑病、は?」
私が、まんまじゃんとディスった病名に、アヤセはのほほんとして、「罹ってない」と言う。
「あれは、ホクロの増殖が原因だからね。ホクロがひとつもない俺は、罹らないんだ」
口をぽかんと開けていると、「これ生まれつきね」と、なんなく言ってのける。
「……そ、そうなんだ」
何というアヤセの幸運だろうか。人口の何%かは、アヤセのような奇跡の人がいるのだろうか?
するとその疑問にアヤセがかぶりを振る。
「ううん、世界に数人だってさ。研究所の人が言ってた」
「け、研究所? って?」
「国立感染研究所ってとこ。そこさあ、日本では唯一、黒斑病を治す研究してて。でもまあ、結局は原因も治療方法もなんもわかんなくて、サジ投げちゃったんだけどね」
アヤセが自分で持参したスナック菓子を、口へと放り込む。
「それもあって、ここに来るのが遅くなったんだ」
唇を尖らせて、むうっと前へと出す。普段はあまり作らない怒った顔をこさえると、アヤセは声を荒げて言った。
「アキラのとこに行かせてくれって、何度も頼んだんだ。でも、俺の身体を調べたい、協力しろ、の一点張りでさ。なに言ってもダメ。全然離してくんなくて、本当どうしようかと思ったよ」
「それで連絡がつかなかったんだ……ってかサジ投げたっ、て……?」
「うんまあ」
「……病気が治る可能性すら、探してないってこと?」
人間の英知が。
「そうそう」
原因不明の病気に負けるなどと。
眼の前が真っ暗になる感覚。
生きていればいつかは、ワクチンや治療薬が開発されて、救いの手が伸ばされるはずだなどと思いつつ。それが、食料が底を尽きるのとどちらが早いだろうと考えて、たとえ絶望の淵に立たされたとしても、そう思うことがたった一つの希望だったのに。
「黒斑が侵食するスピードが速すぎてさ。俺の身体を調べてる場合じゃないってなって。で、ようやく放り出された」
暗い暗い穴へと飛び込む前のような。絶望的な気分。
「……じゃあ、やっぱり私は死ぬんだね」
「そうだね」
「でも、アヤセは生きるんだ」
「だね」
不服そうに尖らせていた唇を平たく直してから、アヤセは顔をくしゃりと歪ませた。
「だけど、食うもんなくなって、同じくらいに死ぬかもよ」
「ばか」
「それに、これからはずっと一緒だよ。いつまでも一緒なんだ。死が二人を分かつまで」
こんな非常事態でも、恋人だった時と同じようなことを言うんだなあと、少しだけ呆れてから、私は頬づえをついて言った。
「キミはバカだね」
「アキラはいつもそれ、言う」
「あんたが言わせるんで、んぐ」
言葉の途中で、口の中にスナック菓子を放り込んでくる。
「俺は言わせてない。いつもアキが勝手にそう言ってるだけ」
久しぶりに口に入れた懐かしい味に、脳が蘇る感覚。大学の購買で、よく買ったっけ、このバター醤油味。
「おいし」
口をついて出た率直な感想と、自然と流れる涙。バター醤油で泣くなんて。私はどうやら自分でも気がつかないくらいに、疲弊しているらしかった。
「いいんだよ、アキはそのままで」
隣で寝転ぶアヤセが、寝返りを打つ。布団からはみ出したアヤセの腕に寒ボロがぶわっと浮かび上がり、おわっ寒うっと言いながら、布団の中でごそごそと動いて、私にくっついてくる。
「ユニバースってさ、」
「また、それ言う?」
真っ黒に染まってビターチョコのようになっている手で、私はアヤセの胸をパチリと叩く。
「いってえ」
「何回も、しつこいよ」
アヤセがしつこいのはよく分かっていたけれど、何度も繰り返しに言うから、次第に私の脳へと植えつけられるんだ、やめて。
「きいてよ、言いたいんだ」
「ヤダよ、めんど……」
面倒くさいと言い掛けたところで、アヤセが遮った。
「ねえっ、きいてよっ。ユニバースってさあ、宇宙って意味なんだけど……」
強く遮ったのに、その後を続けないアヤセの言葉を待つ。けれどなーんだ、尻切れとんぼも甚だしい。私は、続きを促すようにして、アヤセの方へと顔を向けた。
アヤセはさっきまで床に敷いた布団の中で、ゴロリゴロリと転がっては、私に抱きついたり離れていったりしていて、モゾモゾとしていたけれど、ようやく落ち着いたのか、今は仰向けになって天井を見つめている。
珍しく、私は無心でアヤセの言葉を待った。
「……万物、って意味もあるって知ってた?」
ようやく喋ったか。
「知らない」
「じゃあ、全人類っていうのは?」
「は?」
私は思いも寄らぬスケールと化したその言葉に、ようやく興味を持って耳を貸す。
「そうなの?」
すると、途端に嬉しそうな顔。飼い主が、仕方がない遊んでやるかと手を伸ばした時の、犬のような。
「そうそう」
「ふうん、そうなんだ。規模がデカくなったぞー」
「ふ、」
「なに?」
「なんでもない」
嬉しそうに笑う。
反対に、私は感情をあまり顔には出さない。けれど、そんなアヤセの嬉しそうな顔を見るたび、どんなことにも反応の薄い私の心は、いつのまにか満たされていたのかもしれない。
自分ではそういう自覚というか感覚はなかったが、アヤセがホワイトチョコでも溶けるような甘い笑顔を浮かべるだけで、嬉しくなるのか悲しくなるのか寂しくなるのか、涙がふいに出そうになる時がある。
だからきっと、そうなんだろう。
あんたのことが好きなんだろうな。
込み上げてくるのはいつも、涙かよく分からないなにか。
そんなあんたを置いてゆく。
「アキは、ユニバースなんだ……俺の……俺だけの、」
嬉しそうだった声が、小さく消えていった。
別れの期限が、刻々と近づいてきている。
この時代のテクノロジーや天才・秀才と呼ばれた人たちの頭脳の全てを注ぎ込んでも、黒斑病は根絶できなかったということになる。治らないのだ。どうしようもない。
そして、私は死ぬ。
だから、研究者とやらは、病原自体を先へと送ることにしたらしい。未来へと。
研究所はアヤセでなく私を選んだそうだ。なけなしの科学技術で造ったコールドスリープの装置で、私を眠らせる。未来の誰かが、病原体を宿す私を起こし、そして再度研究して治す。
研究所のお偉いさんは人類が生き残る可能性にすがりつくこととしたらしい。それでアヤセが私を連れにきたのだという。
なぜ、私なのか。
それは、アヤセが自分自身を研究材料として提供する代わりに提案した、唯一の条件なのだそうだ。
「なんでそんなことしたの。自分がコールドされればいいじゃん」
「コールドはイヤだしアキが好きだから」
「そんな勝手なこと言って。私の意思は無視か。これパワハラとか人権無視ってやつじゃない?」
「なに言ってんの。良いんだよ。アキは俺のユニバースだから」
「なんなのまたその話ぃ?」
水掛け論とは、こういうものだ。突き詰めるのがバカバカしい。諦めて、話を戻す。
「コールドスリープだなんて、冷凍食品か。それにちゃんと起こして貰えるのかな」
「それが何年後なのか、何十年後なのかも分からないけどね」
「何千年後、かもよ。それにみんな死んで、起こしてくれる人が誰もいなくなってるかも。わ。シュール」
「俺が起こすから大丈夫だよ」
その頃にはあんたももう、死んでるよ。そう思ったけれど、口にはしなかった。
「じゃあ、起こす時にさあ」
「ん、」
「キスして起こしてよ」
「いいよ、そうする」
小指をぴんと立てて、アヤセは言った。
「……約束ね」
そんなアヤセを見て、私も頷いた。小指を絡める。
「約束だよ」
「アキ、アキが眼が覚めた時もまだ、俺はアキの恋人だからね」
「うん、」
ごほっごほっとアヤセが二度、咳ばらいをした。どうやら涙を堪えているらしい。
だからアヤセの口から次の言葉が出る前に、私は言葉を繋げた。
「あんたのことが、好きだよ」
最後くらいはあんたを喜ばせよう。私からはしたことのないような、濃厚なキスをする。涙をからめとるように。笑顔を分け与えるように。そして愛を分け合うように。
「起きたらちゃんと、おはようを言うね」
アヤセが、くしゃっと顔を歪ませて、それでも笑ってくれた。
「アキ、アキ。まだ眠っていない?」
「うん、でも、もう……ねむ」
次第に重くなっていくまぶたを何度か閉じる。すると、ガラス製のケースの扉が閉められる直前に、アヤセがくれた唇の感触が、頬とおでこに蘇る。
「アキはお寝坊さんだから、早く起きるために早く眠った方が良いんだよ」
その言葉を聞いて、私は、んふっと小さく吹き出した。
「あんたの方が、いつも寝坊してたじゃん」
「そうだっけ」
ガラス製の小さな窓から、アヤセの瞳が見える。アヤセの瞳にはガラス越しに私が映る。
「ねえ、アキ。アキはユニバースなんだ。覚えておいて。俺の言ったこと忘れないで」
「ん、」
孤独だった私を安心させようと、恋人時代から甘い言葉をくれ続けるアヤセ。
「好きだよ、大好きだよ。アキ、俺が起こすから安心して」
「ん、うん」
「…………」
声が急に遠のいていって、聞こえなくなった。
静寂。
宇宙。
寂しい。
寂しい。
頬を滑っていく生温かい感触。それは宇宙を滑っていく、ほうき星のように見えるのだろうか。暗闇の中で、それは光るのだろうか。
私の中の、アヤセのように。
ねえ、本当はね。
キミが私のユニバース。
伝えればよかった。伝えればよかったと、こんな間際になって後悔するなんて。起きたら一番に言おう。
おはようとともに、キミが私のユニバース、と。
愛情に溢れたキスを二人、交わしながら……
「さっむー」
ぶるぶるっと、震えるような寒さで意識を徐々に取り戻していく。温かい布団の中で身を縮こませる。とろんとした温かさは、私を再度、眠りに誘う。
すると、はっきりした覚醒を待たずに、目覚ましが鳴り始めた。
ジリリリリ……
「あああ、うるさっ」
低血圧の身に、早朝からぎゃんぎゃんと鳴り響くこの目覚まし時計の音というのは、私にとってはまるで騒音でしかない。私は目を瞑ったまま、丸まっている布団の中から手を伸ばして、その音源を指先で探った。つと、体温と柔らかな感触を感じる。その体温の主が、んーなにぃ朝あぁ?、と掠れた声を発した。
その声で、ハッキリと目をあけると、同じ布団に潜り込んでいる、口からよだれを垂らしながら眠っているアホヅラが飛び込んでくる。
けれど、そんなことより何より。指先をさらに伸ばして、 時計の頭をブタンっと叩く。憎っくき目覚まし時計をまずはやっつけてから、私はうつ伏せになった。
この目覚まし時計。あまりにうるさ過ぎて、宇宙に向かって放り投げたい、と毎朝思う。けれど、私の所有物ではないのだから、勝手はできない。
「アキぃ、時計を壊すんじゃないよ?」
夢ならいいけど、夢じゃない。叩いただけの目覚まし時計は宇宙を漂わず、ふかふかな布団は相変わらずあったかい。
私は今朝も、ほっと安堵の息を漏らす。
視線の先には、彼。
そして、私の視界にするりと入り込んできた男の肌。その刻み込まれた細かい皺にそっと、指先で触れてみる。
一旦くしゃくしゃにした白色の折り紙を、手で丁寧に伸ばしたような、しわくしゃな肌だというのに、これがまた悔しいことに、まだなんの汚れの一つもないんだから。
綺麗だ。羨ましい。正直そう思う。男のくせにその白さ必要ですか? と嫉妬したり。
私はごろりと仰向けになって、両腕を上げた。手の甲を覆うビターなチョコレート色は、こんな寒さの厳しい朝でも相変わらず、ビター。
いつ。
目覚めたのだろう。
私は何か病に冒されていなかっただろうか?
どうして彼はホワイトで、私はビターなのだろう?
横を向く。同じ布団に潜り込んでいる彼は、その真っ白な腕を、にゅっと差し出して、私の頬を包む。
「ふわあ、ねむ。まだ寝れる」
そんなことを言いつつも。
「アキ、キレイだね。今日も明日も明後日も、」
キミは俺のユニバース。
もうとっくに聞き飽きているはずの、その言葉だというのに。外は雪景色の寒い寒い冬だというのに。
じんと胸が熱くなる。
その言葉の最後に、「……永遠にね」と、おどけるようにつけるようになったのは、いつからだったっけ?
可笑しみがさらにじわりと湧いてきて、ふふふっと小さく吹き出してから、頬を包む彼の、皺くちゃな手を握った。
「ほんと、ばか」
でももうこれは愛なんだからと、観念するしかない。呆れ顔をひとつ作ってから、私もアヤセの顔に両手を伸ばし、頬を包み込む。ふむ。ちょっと歳上なのは良しとしよう。
そして、
「おはよう」
二人っきりだけれど、独りじゃない。これからだって毎朝、隣にいるあんたに、おはようを言うよ。夢を見ていたとしても、現実がたとえ世紀末の世界だったとしても。
じっとアヤセを見つめてみる。
「なになになに、アキ?」
今日も必ず伝えるよ。
「おはよう、アヤセ。今日も明日も明後日も、キミは私のユニバース」
すると、私だけのホワイトチョコが、幸せそうにふにゃりと笑うんだ。
チョコが溶ける、その時みたいに。




