10貨幣経済
(第3章 知的生物)
10貨幣経済
1.物々交換からの脱却
ヒトと亜人たちは先ずは物々交換を始めた。しかし、これは不便だった。お互いに必要とする物を交換比率に見合うだけの分量を用意しなくてはならない。交換比率を決めるための交渉も時間と労力を要した。
そこで緑川は、ポイントを発行することにした。亜人たちがヒトに売却した物資や労力の提供に応じて、ポイントで支払いを行うことにしたのだ。AIの生体認証機能を利用して各個人にポイントを付与する。そして市場でポイントを使って買い物ができるようにした。ヒトが出店している店舗の他、亜人たちの出店にも簡単な装置を配付してポイントの利用を可能にした。ポイントを貨幣代わりに流通させるのだ。
各地に亜人たちが集められて幾度も説明会が開催された。そこでは、緑川たちがポイントの使用について説明する立体画像を上映した。勿論、音声は翻訳機によって、それぞれの亜人の言語に翻訳されて伝えられた。
しかし、ポイントの利用は全く普及しなかった。ヒトの出店だけでポイントは利用された。亜人同士の売買には従来のとおり物々交換で取引していた。亜人たちはポイントを貰うと直ぐにヒトの直営店に行き、その全てを使って物品とサービスを得た。
ポイントを貯蓄することはなかった。貯蓄しない理由を聞くと、物品などの価値あるものに代えておきたいと答えた。
ポイントは形がなくて目に見えないので、価値を見いだせないのだと緑川は推察した。そこで、今度はポイントカードを発行してみたが、これも普及しなかった。
目に見える物品で、それ自体が一定の価値を認められる物。そして様々な取引でほかの物と交換されて流通していくもの。経済的な価値の基準となるもの。そのような効能を持つものが必要だった。
それは貨幣に他ならない。今は装飾用のビーズや飾りボタン、長期保存が可能な穀物や塩、布や砂金などが貨幣代わりに使われているが、これらは一長一短がある。やはり貨幣を発行しようと緑川は思った。
2.貨幣経済
緑川は貨幣の発行を考えていた。オークは打製石器しか作れないが、小人は土器や青銅器を作れる。金銀の精錬もできるのだ。最近、人間との交易により鉄製品を入手した。すると小人は、オークに鉄鉱石を採掘させた。そして、彼らは鉄の精錬を始めた。
小人は数字についての理解も早かった。以前は16進法(進記数法)や4進法を用いていたが、2進法や10進法を直ぐに理解した。彼らは部分的ではあるが、文字や数字も使用していたのだ。
それで、貨幣を使用するために必要な知識を、小人に覚えさせるためのプロジェクトを始動させた。
まず、青葉台ドーム内の病棟に入院している小人のうち、受講可能な者を対象にした講座や教室が設けられた。また、青葉市場にある診療所の横に学習教室を併設した。教師として指導に当たるのは、翻訳機を装備して小人語を話せるように調整したアンドロイドだ。
小人は貨幣経済の導入が可能な文化水準にあるから、先ず小人に貨幣を使って貰う作戦だ。オークと巨人は後回しにした。
貨幣の導入は、経済活動の飛躍的な発展をもたらす。緑川は手始めに、金貨・銀貨・銅貨を発行するつもりだ。最初から、紙幣を出しても、信用されない。特に不換紙幣では無理だ。金貨や銀貨と交換できる兌換紙幣でも流通させることは難しい。やはり、最初は金貨や銀貨を使わせて、貨幣に慣れさせる必要がある。金本位制か銀本位制を採用することになる。
しかしその前に、これら貨幣の交換比率を決めなくてはならない。小人の代表者たちを呼んで、協議する必要があった。
金銀に対する価値の値については、人間と小人たちでは、少々相違があるようだ。人間から見たら、彼らは高価な物を持っていないのだ。
一塊の金塊を、僅かな食料や粗末な物品と交換してしまう。性能が低い手作りの弓とか、土器の鍋や茶碗などだ。彼らは、その程度の物しか持っていないのだから、仕方がない。人間との交易を通じて、彼らの所有する財が飛躍的に増えれば、金の価値も上昇するのだろう。
3.通貨
重巡青葉の乗組員たちも貨幣は所持していない。通貨は全て電子マネーなのだ。
因みに彼らの社会では、人々の生活に必要な物資は十分な量が必ず提供されている。それが当然とされる社会制度なのだ。
給与などの収入は、各個人の口座に加算されるポイントに過ぎなかった。このポイントを消費して、嗜好品や様々なものを入手できるが、不足する場合は一定の範囲内で、口座の残高がマイナスになるだけだった。
既に相続制度がなくなっている。ポイントを蓄え、物品や資産を蓄積しても、本人が亡くなったときには全て国庫(社会)に戻るのだ。浪費家は、AIの指導を受けながら生活していた。
緑川は、貨幣の発行について、案を作ってみた。
通貨には十進法を適用する。そして、金貨・銀貨・白銅貨・青銅貨・アルミ貨を発行するのだ。因みに、白銅貨は銅とニッケルの合金で、青銅貨は銅・錫・亜鉛の合金だ。
貨幣単位を仮にPとすると、金貨100,000p、大銀貨10,000p、小銀貨1,000p、白銅貨(大銅貨)100p、青銅貨(小銅貨)10p、アルミ貨1pだ。
これは、金貨1枚=大銀貨10枚=小銀貨100枚=白銅貨1000枚=青銅貨10,000枚=アルミ貨100,000枚となる。
このほかに、500p・50p・5pの貨幣も必要だ。しかし、初めて貨幣を使うのだから、貨幣の種類が多過ぎるかもしれない。混乱を避けるため、これら5Pシリーズは遅れて発行することにした。
4.通貨制度のはなし
緑川たちは、貨幣の発行について検討した。しかし『専門家がいない』との誰かの、ぼやき発言を小川技術中尉が聞き付けた。それで、通貨について少々話したいと首を突っ込んできた。会議はバーチャル空間で行われている。
「参考までに、少し話してもいいかな」と小川技術中尉が言った。
「どうぞ。詳しい方がいると、助かります」と緑川が答えた。
「こちらは経済の専門知識がない。よろしく」と島影管理室長(中尉)。
「経済は全く分かりません」と水谷少尉。
「私も専門外だけど貨幣について少し興味をもち、以前に調べたことがあります。私の知識が少しでも役立てばと思い、出しゃばりました」「なので予め断っておきますが、私の話はごく一部の例を挙げているにすぎません」
「結構です」と緑川は言った。
小川技術中尉は話始めた。
「さて、貨幣の歴史を大雑把に見てみると、ご承知の通り古くは金貨、銀貨、銅貨が使用されていた。硬貨またはコインと呼ばれているものだ。これは主に金銀銅で鋳造された硬貨の素材金属の価値を担保として流通していた」
「と言いますと」と水谷少尉が聞いた。
「例えば金貨は、金の含有量の価格で取引されていた訳だ」と島影管理室長が言った。
「そう例えば、部分的に切り離して使うことを前提にして、つくられた金貨や銀貨がある。貨幣として使用した銀の粒もある。あと、砂金も広く用いられていた」
「ここで注意点がある。例えば大小様々な大きさの金貨を作って、金貨のみを貨幣として流通させる場合を考えてみよう。金は高価なので高額取引の時には便利だ。しかし、少額の日用品を購入するには、1グラム前後の金で事足りる。この場合は砂金を使うとよい」
「小さすぎて、紛失しそうですね。計量しないといけないし」と緑川は困り顔で言った。
「面倒ですね」と水谷少尉も同意した。
「今度は、銅貨のみを貨幣にした場合を考えてみよう。金銀に比べて銅はかなり安いので、少額の取引に向いている。しかし、高額の取引の時には、何十㎏もの銅貨を担いで行くことになる」
「銀の価格は金と銅の中間だが、都合よく真ん中にはならない。銀の価値は銅よりも金に近い」「ここまで、良いかな」
「はい、分かります」と水谷少尉。
「それで、日用品は銅貨を使って売買した。少し高額なものは銀貨で支払う。さらに高額な取引では金貨を使用した」
「注意点の1は、金貨・銀貨・銅貨が同時に使用されていたということだ」
「なるほど」
「金貨が大小各種類と銀貨も大小、銅貨も何種類か発行されて流通していく。すると、金銀銅の地金相場における価格変動によって、金貨・銀貨・銅貨の価値も変動して扱われるようになった」
「例えば通貨単位をPとすると、10pと刻印されている金貨や銀貨は、10pとして取り扱われない。10pではなく、その時の金銀相場の価格で、取引された。例えば、金貨は10.1pで、銀貨は9.9pとか」
「なぜ、相場の影響を受けたのですか」と水谷少尉が質問した。
「貨幣と言っても、ひとつの物品に過ぎない。所有している物の価格が上がれば、高値で売りたいのが人情だ。相場が下がれば安値で購入したいのだ」「例え貨幣に金額が刻印されていても、それに捉われずに、現在の地金相場の価格で取引したかったのだろう」
「なるほど」と水谷少尉は納得した。
「注意点の2。金銀銅貨の価値は変動相場制になった」
「しかし、時代が下ると、金銀銅貨間の交換比率を固定化しようとする試みも為された」
「我らが出身地の歴史を調べてみると、公定相場では小判という金貨1枚が1両=銀貨60匁= 銅銭という銅貨4,000枚(4,000文)という時代がある」
「江戸時代だね」と島影管理室長。
「あと、銀貨は取引の度に計量して使われていましたね」緑川が資料を見ながら言った。
「手間がかかって、大変ですね」と水谷少尉がうなずいた。
「もう一度言うけど、この時代までは、金貨・銀貨・銅貨の三つの制度が併存していた」「そして金銀銅貨の交換比率は、固定された公定相場を基本に、日々変動する相場で取引されていた」
「そうですか」と水谷少尉。
「また、江戸時代後期になると、金の含有量が少ない小判が発行されるが、同じ額面で以前に発行された、金の含有量が多い小判と同等に扱うように強制されていた」
「国や時代によって、金銀の含有量が異なる複数の貨幣が、流通しているね」と島影管理室長が関係資料を表示させながら言った。
「江戸時代の金銀の交換比率を見ると、貨幣の交換比率を強制的に保つ一種の管理制度が行われていた」「これは、開国後に外国勢力に悪用されて、金流出の原因になるのだが」
「この時代までの通貨制度は複雑だね」と島影管理室長が言った。
「明治以降は次第に分かりやすい制度になる」と小川技術中尉が答えた。
「明治になると、金本位制のもとで金貨と交換できる紙幣、いわゆる兌換紙幣を発行して流通させたのですね」と緑川が資料を見ながら言った。
「そう、金貨と兌換紙幣の両方を発行した」「紙幣の発行については、江戸時代にも藩札を出しているけどね」
「亜人たちも勝手に自分たちの貨幣を作って発行しそうですね。亜人の金貨・銀貨も流通しますか」と水谷少尉が言った。
「いずれ、そうなるだろう」
「交換比率はどうしますか」
「基本的には、金銀の含有量に比例した価格で交換される」
「ただしこれは、同じ通貨単位の場合だ」「普通は同じ通貨単位で別の者が勝手に貨幣を発行することは認められない。別の者が発行した通貨は、単位の名称が同じでも別の通貨単位として扱われる」
「これらは外国為替相場で取引される」
「歴史をみると、外国為替相場では変動相場制と固定相場制が併存した」
「変動相場制では、売り手と買い手がそれぞれ売値と買値を提示する」
「価格が一致して売買が成立したものが取引される」
「売買が成立した取引の価格はその都度異なる。高値と安値の幅がある。それらの取引が値動きするので変動相場制という」
「第二次世界大戦後は、ドルペッグ制?とか」と島影管理室長が聞いた。
「戦前は金本位制で、主要国の外国為替相場は変動相場制だった。しかし、大戦後は世界の金保有量の7割を1国が独占した。金と交換できる兌換券はドルのみになった。他の国の通貨はドルに連動する固定相場制となった。これがドルペッグ制だ」
「資料のこの部分ですね。ドル以外の通貨は金と交換できない不換紙幣になりました。円の為替は1ドル360円に固定されました」と緑川が資料を読み上げた。
「そうだ。ドルと金の交換比率が設定された。しかし直ぐに金の実勢価格は高騰した。そのため各国のドル金交換により金の流出が続いた。これを防ぐため、ついにドルと金の交換を停止した。それから間もなく為替相場は変動相場制に移行した」
「各主要国通貨の価値が外国為替市場で変動するのですね。戦前に戻った」
「ただし、唯一残っていた兌換紙幣のドルと金の交換が停止されたことにより、世界中の通貨には金の裏付けが無くなってしまった」
「それが管理通貨制度だね」と島影管理室長が個人パネルの資料を指さして言った。
「そう、通貨の発行量を通貨当局が調整するのだ。これまでは金と交換するという条件があったので、通貨発行量は国の金保有量に制約されていた。この制約が無くなったので、通貨発行量は止め処なく増大することになる」「注意点3は管理通貨制度だ」
「ここで、中央銀行による銀行券(通貨)発行に注目すべきだが、今の我々の状況ではまだ先の話になるので今回は割愛する」
そして次に、小川技術中尉は、インフレとデフレの説明を始めた。
… …
5.硬貨の大きさ
「なるほど。さて、シュメール星ではどうするかな」と説明を聞き終わった島影管理室長が言った。
「これまでの調査で、シュメール星の金属資源の状況は地球とあまり変わりません」と緑川が報告した。
「金銀銅の採掘可能な量の割合は、地球と同様ですか」と水谷少尉が尋ねた。
「地球と同様の価格体系になりそうだな」と小川技術中尉。
「銀だけ沢山掘って、価格を安くしようとしてもだめだ。亜人たちも金銀銅を掘っているから」と島影管理室長は言う。
「やはり、最初は金本位制か銀本位制を採用すべきですね」「金貨や銀貨などを発行して、貨幣に慣れてもらいましょう」と緑川は提案した。
「紙幣の発行は、相当先のことになりますか」と水谷少尉は尋ねた。
「貨幣制度が信用されないと、金貨と交換できる兌換券であっても紙幣は使われないと思う」と小川技術中尉が見通しを述べた。
「金貨と銀貨、銅貨の交換比率はどうしますか。固定化したほうが良いですか」と水谷少尉が尋ねた。
「先程の話で分かったことは、金銀銅の地金相場の影響を受けて、金貨・銀貨・銅貨の価値が変動すると言うことですよね」
要約・わかる通貨制度~著:小川~の資料を見ながら緑川は言った。
「金貨1枚≒大銀貨10枚で金貨は変動価格制にしましょう。銀本位制にして資料の、こちらではどうですか」と緑川が提案した。
パネルに説明書きが表示された。
大銀貨(1万p)1枚=小銀貨(千p)10枚=白銅貨(百p)100枚=青銅貨(十p)1000枚に固定する案だ。
「1p貨幣の代わりは、飴玉を代用しますか」と水谷少尉。
ただし、今は飴玉を生産していない。
「これは小人とオーク用の通貨です。彼らならば、この貨幣は使い易いと思います」
「貨幣について彼らにアンケート調査や聞き取り調査を実施しています。回答は概ね良好ですが、まだ貨幣を使い慣れていないので暫定的な調査結果ですね」
これらの貨幣はオークを基準にして考えた。サイズが小人には大き目だが使用可能だろう。勿論人間も使用できる。しかし巨人は、この貨幣では小さすぎて使用できない。
「巨人用の貨幣を発行する場合は、こちらです」と緑川はパネルを指さした。
パネルに、大金貨(100万p)、特大銀貨(10万p)、特大白銅貨(1万p)、特大青銅貨(1,000p)などが表示された。
「なるほど」と島影管理室長はうなずいた。
「巨人は体が大きいので、小人やオークが使う貨幣では、サイズが小さすぎるのです」
「確かに、大型の貨幣が必要だ」と水谷少尉もうなずく。
「それに、巨人の1人当たりの物資消費量を考えると、少額貨幣は必要ないのかもしれません」と緑川は言った。
「少額のつり銭などは、巨人にカードを渡して貯めさせますか」と水谷少尉が良い案を出した。
「巨人用の財布を作るかな」「ボタンを押すと該当するコインが出てくる財布はどうだ」小川技術中尉がもっと良い案を出した。
「確かに、巨人用のコインを発行しても、どれだけ使われるのか未知数だ」「巨人にも小人たちと同じ貨幣を使わせる算段をした方が良いだろう」と島影管理室長が結論付けた。
「とにかく最初は混乱を避けられれば良いのだ。先ずは、貨幣制度を浸透させることが大切だね」と小川技術中尉は言った。
「様子を見ながら管理体制を強化していけば良いだろう」と島影管理室長が議論をしめた。
6.亜人たちの雇用
巨人は体が大きいので、食料は人間の10倍近く必要だ。衣料品など他の物資も、人間の数倍の量を消費した。肉体労働では人間の十倍以上の仕事をするが、彼らの知能は低かった。単純な肉体労働しかできない。
オークは、労働力も食事量も人間の倍だ。しかし、知能が高くはない。やはり知的労働はできない。ただし、オークが働く鉱山などの採掘作業や物品運搬作業の現場監督が出来そうな個体もいた。
これに対して、小人は人間の半分以下の食事量で低コストだが、肉体労働は全く期待できない。その代わり高い知性を有し、手先が器用だ。亜人たちとの仲介役として、人間にとっては非常に便利で役に立つ存在になった。
そのため、もしも彼らを雇い入れて仕事をさせた場合、報酬額はそれぞれ種族ごとに異なることが予想された。
単純な肉体労働では、オークと巨人の報酬は数倍の差が付くだろう。それが労働に見合う賃金なのだ。逆に言えば、賃金額に見合う労働をしてもらう必要があるのだ。しかし、賃金の額は労働者の生活を維持できる金額であることも必要だった。
小人は巨人・オークと人間との仲介をする立場と、知的労働が出来ることから、管理職や技能者として採用されることが見込まれる。その場合は、オークを上回る報酬を手にすることが予想された。
しかし一方では、労働力も需要と供給により賃金が決定されるのだ。人口は巨人<オーク<小人 なのだ。特に小人は数が多い。報酬の高い知的労働者の職は多くはないのだ。高給の職にあぶれた小人たちは低賃金の単純労働者として働くことになる。
緑川たちが貨幣を発行しようとする理由が、もう一つあった。実は青葉台近辺の鉱山は、巨人やオークを雇用して開発する計画が検討されているのだ。
人間が戦力を維持するために、この惑星での資源開発に乗り出した。しかし、人手もアンドロイドもロボットも不足している。ロボットなどの自動機械を製作できる段階にまで辿り着ければ、人手不足の解消が可能だ。しかし、現状では全く人手が足りていなかった。
青葉台近辺の開発交渉がオークたちとの間で妥結する前に、遠く離れた南部や南西部の資源開発に着手していた。既に、人員の余剰は全くなかった。資源の運搬等が楽な青葉台近辺の開発は、小人やオークに頼るしかない状況だ。
それに、オークや巨人が交易目的で、鉄鉱石・石炭・石灰・石材などを採掘して持ってくるのだ。この状況を利用したかった。
小人を仲介役として、巨人やオークを雇用する。そして、近隣の鉱山や農園で働かせるのだ。この計画について、緑川は島影管理室長や水谷開発長たちと検討を続けていた。亜人たちを雇用した場合には、彼ら二人が労務管理を担当する部署の責任者になるからだ。
次回の会議では、亜人たちをどの程度の賃金水準で雇うのか検討することにした。青葉台市場での物資取引価格などを参考にするつもりだ。
しかし、緑川は別の問題も考えていた。自分たち乗組員は、この貨幣制度にどう関わっていくのか。やがて巻き込まれていくのであろうと懸念していた。私有財産制度や遺産制度の復活が、目の前にチラつくのだった。
… …
そして、大勢の亜人達がヒトに雇用されて各種の仕事に従事した。巨人が継続的に雇用されたのは巨人領内にヒトが得た鉱山だけだが、各地の土木建設の工事現場では巨人が臨時に雇用されることが多かった。彼らは、現場での物資運搬作業に大きく貢献して車両の不足を補った。そして巨人は高額な日当を得た。
オークは、主に鉱山、農場、牧場などで働いた。例えば鉱山には、鉱夫のオークを対象とした食堂や売店、飯場(宿舎)が併設されている。その併設施設の従業員たちも亜人なのだ。
また、これらの仕事場と亜人達の住処を結ぶバス経路を設定した。勿論バスには武器が付けられている。しかしこの頃になると、恐竜を始めとする肉食獣たちは、ヒトを連想する自動車を避けるようになっていた。少なくとも、この路線では護衛戦車が付いていなくとも、武装バスが襲われることはなくなった。
7.貨幣の発行
そして、ついに貨幣が発行された。大きな混乱はなかった。
貨幣発行よりも前から、小人やオークたちはヒトに雇われて色々な仕事をしている。オークは主に力仕事が与えられ、鉱山で採掘した鉱石の運搬、道路工事などの土木建設作業をしている。
小人は通訳や事務系の仕事が多い。工事現場で働くオークを指揮するのはオークの現場監督だが、その彼らに仕事の内容を説明して指示を出す管理職に小人が起用されていた。
なお、ヒトに雇用されている亜人達は、集落から通勤する者もいたが、その多くは作業現場に併設された飯場に寝泊まりしている。中には家族連れの者もいた。家族向きの宿泊施設も完備している。
当初、彼らには食料や布などの物資を給与として支給していた。しかし貨幣発行後は直ちに、給与の支払いは全て現金払いになった。
彼らは日給を受け取ると直ぐに食堂に行き飲食した。又は、鉱山に併設された売店で、食料品や日用品を購入してからバスに乗って帰路に付いた。
貨幣の便利さに気付いた小人たちは積極的に貨幣を稼ぎ、喜んで使い、そして貯めることに腐心した。特に大銀貨が気に入ったようだ。確かに厚さもあり、大きくて見栄えが良い。金貨は高額で余り入手できないが、大銀貨は入手し易くて手ごろなのだ。主に大銀貨を貯めている小人が大勢いた。
以前にも増して青葉台市場は活況を呈した。そこに店舗を構える者は大商人になった。
そして、専業の行商人が多数現れた。そのほとんどは小人の商人で、彼らはオークを雇用して使っていた。
間もなくオークたちも、貨幣を使うことに徐々に慣れていった。そして彼らは自分たちの鉱山で、一生懸命に鉱石を掘り、ヒトに売却して貨幣を稼いだ。鉱石採集を専業とする者達が現れた。
貨幣さえあれば、市場で食料や道具を調達できるようになったのだ。自分自身で食料を調達しなくても、より多くの貨幣を稼げる生業があれば、生活に必要な物品を調達できるのだ。亜人達の生活は、以前の狩猟採集生活とは異なる状況になり、多くの職業が発生した。
8.小遣い
貨幣が発行された日のこと。
田中は自宅に帰ると、小箱を取り出してマリー(小人)に見せた。
「綺麗ね、それは何」
彼女は目を輝かせて聞いてきた。
「今度、貨幣が発行されたよ。その記念として、乗組員にも金貨や銀貨が配られたのさ」
「欲しい。少し分けてくれる」
「いいよ。何枚欲しい」
「どれだけあるの」
「金貨10枚と大銀貨30枚、小銀貨60枚、白銅貨…」
「金貨は10万ポイント、大銀貨は1万ポイント、小銀貨は千ポイント…」
田中は貨幣について、出来るだけ詳しく説明した。
「私に、金貨2枚と大銀貨を10枚下さい。妹たちには、それぞれ大銀貨2枚と小銀貨を10枚ずつ配ってあげて」
マリーが30万ポイント。妹たちが3万ポイントずつで、5人合わせて15万ポイント。合計で45万ポイントを取られた。
田中の他にも数人の乗組員が、同居している(飼っている)小人たちに貨幣を与えた。これが情報として直ぐに小人たちの間に伝わった。そして他の乗組員と同居している全ての小人たちが、田中家と同様の金額を得た。
数週間後、月が替わると小人たちは月間の小遣いを要求して来た。
「毎月、小遣いを貰えませんか」
「おぅ、この前のがまだ残っていたな」
やがて小人を飼っている乗組員たちは、彼女たちの求めに応じて毎月定額の小遣いを渡すことが慣例になった。
それに対応して乗組員たちには給与とは別に、毎月貨幣が支給されることになった。当然、階級によって支給額が異なる。
田中はマリーに30万ポイント、彼女の妹たち5人に、それぞれ3万ポイントを毎月渡している。毎月支給される貨幣の大半がそれで消えてしまうが、他に貨幣を使う機会はほとんどないので、田中は構わないと思った。
因みに、この頃の月額3万ポイントは、商店の売り子などの最も賃金が安い小人の収入を上回る金額だった。そして、30万ポイントは、高級管理職として雇われた小人の給与と同等の金額だった。
9.契約金
「私たちにも契約金をください」
「ああ、いいよ」
毎月支給される貨幣の大半はマリー姉妹の小遣いとして消えてしまうのだが、その残金がかなり貯まっている。この金は彼女たちに使う以外は他に使用する予定もないのだ。契約金を払っても構わないと田中は思った。
「それでは、私が主契約者で妹たちはオプションだから、契約金は…」
最近、ヒトが新たに小人を飼う時、小人と契約を結んで多額の契約金を支払う事例が出てきた。勿論小人側から要求されたのだ。すると、たちまち契約締結と契約金の支払いが慣例化した。そして、以前に契約などせずに飼っていた小人たちから、契約を交わすように要求された。勿論この場合も多額の契約金が小人に支払われた。
10.馬車
ある日、緑川は青葉台でジョギングをしていた。今日は休日なのだ。そして、その途中で馬車を目撃した。いや、正確には馬車ではない。馬の代わりに荷車を引いているのは、ダチョウによく似た巨大な鳥だった。馬よりも二回りほど大きい鳥だ。御者をロボットが務めて大型の馬車?を操っていた。近くに駐車している自動車の周りには数人の乗組員が、たむろしている。緑川が近づくと、技術少尉が笑顔を見せた。
「どうです。うまくいっているでしょ」
「有志で御者のプログラムを作り、試してみました」(整備士A)
「幌馬車もあります」(整備士B)と言って向こうを指さした。
少し離れたところを、鳥が引く幌馬車がゆっくりと進んでいた。その周りには小人たちが集まり、幌の中にも入り込んでいる。
「この鳥は確か、離島から連れてきた飛べない鳥ですよね」と緑川は言った。
離島と言っても、かなり大きい陸地だ。地球のオーストラリアの半分近い面積がある。他の大陸からは遠く離れて孤立しており、また気候や気流の関係で飛竜も飛来しない土地なのだ。
それで、この鳥の天敵はいなかった。この鳥は草食中心の雑食だが、飼料を与えてみると、ヒエやアワに似たこの星の植物や地球原産の麦や米、イモ類などの穀物を好んで食べた。
「そうです。チョロボと呼んでいます。この鳥は力持ちですが、性格が大人しくて従順なので馬車馬の訓練をしています」「ア、馬車鳥ですね」(隊員)
『それも違う、鳥車鳥だろう』と緑川は思った。
そして平安時代に牛車が登場する話を思い出した。『昔から牛車や馬車があったのだから、これは鳥車と呼んでも良いのでは』と思った。間違いを訂正すべく、技術少尉に話し掛けようとしたその時、緑川の目の前を荷車が通った。
御者ロボットの横には、小人が2人座っている。荷台にも十数人の小人たちが乗って騒いでいた。彼女たちは緑川に「にーにー」と声をかけて、盛んに手を振りながら通過して行く。
緑川は、それに応えて笑顔で両手を振っていた。すると隣の隊員が、ジョギング中で端末機を所持していない彼女のために、翻訳機の画面を見せてくれた。そこには『賢者様』と表示されている。
「賢者様は、あなたのことです。因みに艦長は大賢者様と彼らは呼んでいます」「今のところ、賢者の称号はお二人だけです」
緑川は、小人たちから賢者の称号を得ていたことを初めて知った。少し恥ずかしかった。それで、緑川は周囲の者たちに『馬車と鳥車』の話をする機会を失い、用語の修正をしなかった。
そのため、この鳥が幌付きの車を引いていると、この惑星の住人たちは何故かそれを馬車と呼んでいた。
了