特別な存在
坂崎家の長女、真湖の話
押し入れに閉じこもってから何時間が経過したのだろう。
私には考え事をすると押し入れにこもるという癖があった。とある日常SFアニメキャラクターの真似である。昔、そのキャラクターと同じように押し入れに入ってみたところ、守られていると感じ、閉塞感と確実な暗闇に心地よさを覚えた。
それ以来、悩み事が長考しそうなときは押し入れにこもって小さくなる。
そして今日も一人で悩もうと押し入れに入ってみたところ、時間が分からなくなるほど長考してしまった。
悩み事は大学の卒業論文の進め方、付き合っている彼氏との今後、そして就活。
多分どうにかなるんだろうなとは思う。だって私、結構何でもうまくやっていけるから。
でも、やっていけてるだけで確実なものがない。
卒論もうまく書いて良い評価をもらうんだろうな。でも、一番にはなれないからスピーチ出来ない。
彼氏ともこのままいけば結婚とかするんだろうな。でも、ずっと不安なんだろうな。
就活も希望してるところから内定貰うんだろうな。でも、少しできたら満足するんだろうな。
なんて幸せ。
なんて平凡。
もし、私の人生に点数を付けるなら75点くらい。
私の人生には波がない。
荒波が立たず、さざ波にもならない。
しけた波。
私自身が波を立たせようとしていないから。
前にも後ろにも進んでいけず、私はひとり大海を彷徨う。
だから、この狭くて真っ暗な押し入れが落ち着く。
誰も私を責めたりしない。
波なんてない。
あぁ、眠い。
ギュイ――――――ン……
ズドンッ
壊れた洗濯機みたいな音が押し入れの外で地鳴りを響かせている。
押し入れがパラパラといい始め、命の危険を感じて扉に手をかけた時、
「ヤベェ間違えた」
若い男の声がした。
外に出るのを止め、静かに扉を1㎝程開けると、スーツを着た想像通りの若い男が私の部屋で狼狽えていた。
泥棒?にしては大胆な登場である。
男は手に持っている煌びやかな手毬みたいな物に「メーデーメーデー」と声をかけていた。
どうも手毬(?)が動かなくて焦っているようだ。
男は部屋の扉に手をかけて部屋から出ようとした。
良かった。
確か今日はお父さんは仕事に行ったし、お母さんはパートか何だか分かんないけど家にいないから襲われることは無い。
見た感じ、害もなさそうだからそのまま出て行っておくれ。見逃してあげる。
私の人生に波を作らないでよね。
……ちょっと待って。
美琴がいる。
最近仲良かった子にハブられてるから休みの日は遊びに行かず家に籠るって宣言してた。
だから今日も家にいる。
ダメダメ。
美琴は賢くて可愛くて特別な子。
みんなから愛される人生100点満点+20点みたいな子。
若い男が美琴をみたら襲うかもしれない。
そんなの絶対にダメ。
警察!
害はなさそうだけど不法侵入の時点であの男はアウト。
警察に突き出すべきなのだ。
コンマ数秒で考え出した結論だった。
手に持っていたスマホで警察に電話しようとしたが、何故か電波が入らない。
押し入れの中に居るせいだ。
外に出たら呼び出せる。
でも、男と鉢合わせする危険がある。
でも、男が出て行ってから電話してる間に美琴が襲われるかもしれない。
でも……
でも……!
私は押し入れの近くに竹刀があることを思い出した。
小学校から高校生まで習っていた剣道の道具だ。
県内トップの成績を収めたこともある。
私が、唯一人に誇れる特技。
もう一度押し入れの外の様子を確認する。
男は外に出ずに手毬を振ったり触ったりしていた。
丁度、押し入れには背を向けている。
今だ!!
私は勢いよく押し入れの扉を開け、扉の傍らに寝ていた竹刀を手に持ち、男の背後に立った。
「何奴!」
何故か武士口調になってしまった。
恥ずかしくなって顔が赤くなるのを怒りの所為にして、男との間合いを計る。
「うぅぅぅわぁぁぁ!」
男は振り返って私を確認すると尻もちをついた。
「ごごごごめんなすぁい」
男は手毬に向かって「見つかった!ねぇったら!」と必死に訴えかけている。
しかし、やはり壊れているようで手毬はキラキラ光るだけで何も反応しない。
私は拍子抜けした。
こいつ、弱いな。
しかもよく見るとまだ中学生のような顔立ち。
さっきまで押し入れの中で座って彼を確認してたから気が付かなかったけど、背も165㎝ある私より低い。
髪色は……銀髪?
何だかとても異様な見た目をした青年。と、いうより少年。
「お願い……襲わないで……」
「はぁ!?襲うわけないでしょ!あんたが私の部屋に勝手に入ってきたんじゃない!」
「間違えたんだ……僕はポンコツだから」
弱い者いじめは好きではないが、愛しい妹の為、変わらぬ剣幕で彼に噛みつく私に、彼は捕虜のように震えながら命乞いをした。
それでも、私は姿勢を変えなかった。
「ポンコツ?そりゃ人の家に不法侵入する人間が優れている訳ない。でも、あんたは私にみつかっても助かろうとするんだから、犯罪者から見てもポンコツでしょうね」
彼に竹刀を突きつけ、睨む。
「そういわれるのは仕方ないです。だってその通りなんだもん。でも、僕の話を聞いてください。本当はこんなことしたくなかった。沢山の人にそそのかされたんです。任務を成功させないと僕を落とすって脅されたんです。でも、やっぱり僕には無理だ。星に帰りたい……」
彼はそう言うと涙を流した。
ギョッとした。
涙を流したことにではない。
その涙が文字通りキラキラと光っていることにだ。
まるで宝石である。
私は竹刀を床に落とし、竹刀を持っていた手で彼の涙に触れた。
すると、私の手もキラキラと輝き、それが床に落ちると雪のように解けて消えた。
「なにこれ」
「何です?」
「いや、涙。なんで光ってんの」
「光るのは不思議じゃないです。本当に不思議なのは、涙が宝石になるカミさまの涙ですから」
彼は鼻をすすると、「そうか、地球では不思議なのか」と何事もないかのように呟いた。
「あんた、宇宙人なの?」
確信に近い問いだった。だって最近そのタイプのニュースをよくやってる。
本当にあっているかを確認するためだけの質問。
「僕からしたら、地球人が宇宙人なんですけど……」
確実にそうである彼は、涙を拭うと、床に落ちた竹刀を手に取ってまじまじと見つめた。
「これ、かっこいいですね」
私は宇宙人も刀とか剣とか好きになるんだなと思い、やっぱり思考回路は中学生くらいと同じだと分かって妙に安心した。
安心した私は、地球にやって来た宇宙人を歓迎しようと思い、にこやかに話しかけた。
「地球での任務って何?」
彼は涙を拭くと明るい表情になったが、話し始めた内容は理解しがたいものだった。
「地球はあと少しで消えるんですけど、その地球にカミさまがいたら危険だから、僕たちの星に連れて帰ってあげることです」
言葉の音だけが耳に流れ、なにも頭に入ってこなかった。
唯一理解できたのは、地球の寿命はもう残ってないということ。
「地球ってあと少しで消えるの?」
「ええ、あと数十年以内かと。何度計算してもそれくらいの数字だったから正確だと思いますよ」
「なんで……」
「君たちが今までやって来たことの蓄積の結果と言えばいいんでしょうか」
環境問題とか異常気象とか戦争とか、地球は悲鳴をあげてるんだろうなという事は何となく解っていたことだから、そう言われると納得する。
だからといって受け入れられるかというと話は別だけど。
もう一つ疑問に思ったところを聞いてみた。
「カミさまって?」
“カミ”が地球にいるなんて考えられないから、彼らの言う“カミ”は私が知っているものとは違うのだろう。
「僕たちの星を救った救世主のことです。だから“カミ”って呼んでる。ちなみに、君のお母さんのことを指しています」
開いた口が塞がらなかった。
あのいつものんびり生きて物事を知らないお嬢様気質の母が“カミ”だなんて。
冗談も甚だしい。
「嘘おっしゃいよ。そんなわけないじゃない。何かの間違いよ」
「間違いなんかではないです。君が僕の言葉を理解してるのが一番の証拠です。僕の星の血が混じっているからわかるんです」
確かに私は、違う星の“言葉”を言葉として認識できている。
彼はつづけた。
「君のお母さんは僕たちの星をずっと管轄していました。しかし100年ほど前に、僕たちの星に危機が訪れるんです」
「危機?」
「はい。ある日、僕たちの星は植物が育たなくなり、水も枯れはててしまいました。どれだけ研究してもうまくいかず、このままいけば生きとし生けるものの滅亡、星の衰退というところまで行きました。その時に、カミさまは僕たちの星と似たような星を発見して、探検者として地球に降り立ったんです。そして地球の情報を仕入れ、地球の薬品を僕たちの星で試していったら、星は以前の姿より良くなっていきました。全て上手くいった。あとはカミさまが戻って来るだけ。しかし、今から30年前、カミは恋をしてしまいました」
「恋……」
「地球で生きていくために大学で研究者の道に進んでいたカミさまは、同じ大学で研究をしていた君のお父さんに出会うんです。“カミ”にとって恋など御法度です。しかも異星人。しかも結婚して地球人との子供まで作ってしまった。これはとんでもない事です。でも、僕たちにはまだ救世主がいました。その方のおかげで僕たちは何とかやってこれた。しかし、本家本元がいないと僕たちの星はまた枯れてしまう。だからカミさまを連れて帰ろうと計画したんです。でも、もう遅かった」
「手遅れなの?」
「カミは地球に長く居すぎた所為で、今は“カミ”としての素質がほぼ皆無なんです」
彼の言葉を全て信じたわけではない。
信じてしまわないとついていけなくなる話な為、私は全てを飲み込むことにしたのだ。
「じゃあ地球に用はないじゃない」
「いいえ。“カミ”と同じく“カミ”となれる人が、ここ地球に、この日本に存在するんです」
彼は眼を輝かせた。
「誰なの」
何となく想像はついてる。
「カミさまの娘で、君の妹の美琴です」
やっぱり。
美琴の髪は、生まれた時から綺麗な金髪だった。父は母の浮気を疑ったらしいが、美琴は100%父と母の子どもだった。今じゃその話は笑い話になっている。母の遺伝を多く受けたのなら、美琴が次期“カミ”候補になるだろう。
「彼女はカミの血を多く受け継ぎ、ほとんどカミのコピーといえます。彼女なら僕たちの星を救える。彼女を連れて帰ろう。それが僕たちの星が出した結論でした。しかし……」
「まだ続くの!?」
「はい。でもあと少しです。彼女を星に連れて帰るという結論が出て宇宙船を飛ばしたその日、地球に我々の存在がバレてしまいました。しかも、僕たちが攻撃しようとしてると思い違いをしている。地球では正義のヒーローとして、君のお父さんは僕たちを攻撃する戦闘機に乗るそうです」
「なにそれ」
母は“カミ
美琴は次期“カミ”
そして父はその“カミ”が存在する星を破滅させようとしている。
なにこの展開。
なにこの家族。
そして、私だけが除け者。
いや、それは別にどうでも良い。
母も美琴も違う星に行ってしまって、もし父が死んでしまったら、私はどうすればいい。
私だけ、このあと数十年で滅び行く地球に残って、何もせずに全てを「仕方ない」で諦めながら死んでいくのか。
確かに波ばかりの人生なんて好きじゃない。
穏やかに平凡に生きたい。
でもそれは、私の家族がいて、みんな幸せで、それでようやく成り立つ願いなのだ。
私だけが幸せなんて、そんなのもう、幸せじゃない。
「ねえ、地球とその星が手を取れる可能性とかないの?」
「無理です……地球は戦闘態勢に入ってます。僕は君に見つかったし、計画は失敗です。最悪共倒れになるでしょう」
自分の無力さに拳を握りしめた。
なにか解決方法があるはず。
私は彼の持っている手毬に目がいった。
「これの機能って何なの?」
「携帯電話のようなものです。これを持っていたら知らない星の言葉が分かる翻訳機が使えたり星同士が通信することも可能です。今は壊れてしまって役に立ちませんが……」
「貸して」
手毬をよく見ると、意外と簡単な構造をしていた。
「これ、地球の部品で直ると思う」
「え?」
「私は出来ないけど、彼氏がこういう機械直すのとか得意なの。これが直ったらあんたの星の人たちと連絡取れる?」
「取れますけど……」
「取れたらお父さんにこの機械を渡すから、少しは話し合いで解決できるようにしよう」
「そんなこと可能でしょうか……」
「言葉が通じたら、あとは心を通わせるだけ。最初は難しいと思うけど、すぐに打ち解けられるよ。同じ宇宙に住んでるもの同士だもん」
光る手毬に全てを賭けることはできないけれど、少しは役に立ってくれるだろう。
警察に掛けようとしていた携帯を操作し、彼氏の電話番号を探す。
「あの……たとえ僕たちの星と手を組んだところで、地球の未来は変わらないですよ?」
「だろうね。だいぶ無茶させてきたもん。もう限界だよ。でも、だからといって諦めることはしたくない」
自分でも驚くほど、力のこもった言葉が出てきた。
何者にもなれない私だけど、何の力も無い私だけど、この手毬のように、誰かの力を借りれば、少しは役に立てるだろうか。
「坂崎家の人間は、やはり特別なんですね」
知らない星から来た彼は何かをあきらめるように笑った。その姿はまるで、私自身を映した鏡のように自信がなかった。
たった一人、地球に来て“カミ”を探しに来たというのに。
私はもう一度竹刀を持つと彼に突きつけた。
「私は特別じゃないし、あんたも特別じゃない。でも、そんなことは関係ない。何をどうするか、どうしたいかは自分で決められる。それは“カミ”も私たちも変わらないことよ。だから誰も特別じゃない。言い換えたら、みんな特別な存在ってこと」
本当は“カミ”みたいな分かりやすく特別な存在になりたかった。
なれないと気付いたときに、諦めの先にある真理に至ったのだ。
私は彼に竹刀を差し出した。
「あげる」
「え?」
「これをただ単純に「かっこいい」って言ってくれたからあげる。あと、地球にこんなかっこいいものがあったって、後世に伝えるためのお土産。あとは……」
私は、県内で一位をとれた剣道での功績にずっとしがみついていた。それを手放そうとようやく思えたのは結構な進歩。
「必ず伝えます。ありがとうございます」
彼は竹刀を重々しく受け取った。
私の心は軽かった。
その軽い心のまま、彼に電話を掛けた。
作戦が成功しても失敗しても、私は彼にプロポーズをしよう。
これはやけくそに近い。
地球が終わるんだから、最後くらい私も誰かの心に波を立てたいと思う。
隣にいる宇宙人は、目を宝石のようにキラキラ輝かせながら竹刀を眺めていた。
次は母の話です。
もう少し続きます。