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ヒーロー誕生 後編

後編です。


晋平は、社長室からわざと大股で歩き、近藤くんがいるであろう会議室の前に立った。たった5歩である。社長室から大股で歩いてたった5歩。この5歩が、権力を持つ者とそれに使われる者の、埋まることのない差なのだと晋平は感じた。


 コン

 コン

 コン


社長室の時よりも丁寧に、重々しくノックをしたにも関わらず、そのドアからは軽い音が返ってきた。晋平は数秒近藤くんの返答を待ったが、中からは誰の声もせず、晋平の脳裏には起こってほしくない映像が流れる。有り得ないとは思うけど……と、一息ついてから「入るぞ」と言って勢いよくドアを引いた。

会議室には、楕円形に並べられた机と椅子以外、見渡す限り誰の姿もなかった。

いないと分かってはいても、晋平は声をかける。


「近藤くん、私だ。坂崎だ」


しかし、応答は聞こえない。まるで最初から誰もいなかったかのようなその部屋から事件の香りがしなかったことに晋平は肩をなでおろした。社長室に戻っていなかったことを報告しようと踵を返したとき、そこに近藤くんの姿があった。


「うおあっ」


晋平は声にならない声を発し、その声に自分自身が驚いて口を手で覆った。

「会議室って息が詰まるんで、居るに堪えなかったんです」


近藤くんはズボンのポケットに両手を突っ込みながら気だるそうにそう言った。彼のネクタイは締まっているとは言えない状態で、シャツのボタンは一番上が止まっておらず、所謂だらしのない恰好をしていた。眼はくうを見据えていたため、晋平とは目が合わなかった。

彼は、誰なんだろうか。

嫌、確実に近藤くんなんだろうけど、晋平が知っている近藤くんではなかった。


「煙草を吸おうと思って喫煙室に行ったんですけど、なんでか煙草が吸えなくて。仕方なく会議室に戻ってきたんですけど……駄目ですね。やっぱり息が詰まるや」

 

彼は薄笑いを浮かべながら喋り終えた後、大きなため息をついて髪の毛を両手で豪快にかき、「あーーーーー」と言いながらその場にしゃがみ込んだ。晋平は小さい子をなだめる時のように、近藤くんの目の前に座った。「近藤くん」と言うと、ぼさぼさになってしまった前髪の間から、子どものようなあどけの無い瞳が見えた。あ、ちょっとだけ茶色いんだな。

 

「あの、だから、会議室では話をしたくないんです。ていうか部屋が嫌です。独特な匂いがするし何か怖い」


中学生のような言い訳をするんだなと晋平は思った。常にこんな風ならうんざりするのだろうけど、いつもの近藤くんは松谷さんよりしっかりしている。それが中学生みたいな事を云うのだから、晋平は近藤くんがかわいく思えた。


「そっか……じゃあ屋上にでも行こうか」


晋平がそう提案をすると、了解したのか近藤くんはふらりと立ち上がった。眼が虚ろであったことから、晋平は近藤くんの細いだらりとし下がっている腕を軽く持ち、屋上へと続くエレベーターまで連れて行った。


「屋上って開いているんですね」

「ううん。俺が誰も入らないように鍵を預かってるだけ。ほら、俺って生真面目に見られてるから屋上に勝手に入らないとでも思われてるみたいなんだ」

「ということは勝手に入ってるんですね」

「案外バレないもんだよ」


エレベーターの前に到着したのと同時に、晋平は近藤くんの腕を離した。


「あ、エレベーターも怖いので、僕は階段でいきます」

 

そうか、エレベーターも狭い密室空間に値するのか。今いる所は8階で屋上は2階上にある階段で行けないことも無い為、近藤くんを1人にしたくなかった晋平は「じゃあ俺も」と言って二人で非常階段がある方へと向かった。

向かいながら、数か月前――正確に言えば近藤くんが薬品を作っていた時――には、彼はエレベーターに乗っていたし、会議室で松谷さんと話し込んでいるのを見かけたこともあったことを思い出していた。ということは、近藤くんは元から閉所恐怖症でも何でもなかった訳だ。それが何かをきっかけに全く駄目になってしまったという事か。もしかしたら、今日も8階まで階段で上がってきたのかもしれない。だから服装が乱れていたのか。晋平は近藤くんには何も聞かず、一人で自己完結をしながら急な階段を「フゥッフゥッ」と言いながら登っていった。


「すみません、僕の我が儘に付き合わせてしまって……」

「良いんだよ、フゥッ」

 

晋平の後ろを力なさげに近藤くんが登ってくるが、息切れをしている様子はない。晋平は年齢の差を感じながら最後の一段を登り切り、ズボンのポケットに入れている財布の中から赤いリボンのついた鍵を取り出して鍵穴に差し込んだ。

 

ガチャリ

 

と、音を立てて鍵を回してドアノブを引くと、外の風が勢いよく晋平の身体を包み込んだ。高い空は青く、このもっと高いところに自分たちが攻撃する宇宙船があるのかと思うと、いつもとは違う顔をした空のように思えた。


「あっついけど風があって気持ちいいですね……」


近藤くんはさっきと同じように「あーーーーーー」と言ったが、今度は大きく体を空へと伸ばし、猫のようなあくびをすると自然な笑顔を見せた。その顔はいつもと同じ近藤くんだった。だから、晋平は今、話すべきだと思ったのだ。


「この空の遠くに、本当に攻撃しないといけないものが存在するのか?」


近藤くんから笑顔が消えた。聞かないといけないことは他にもあるが、晋平の口からはそれしか出てこなかった。


「僕は……」


言葉を探している様だった。晋平は続きを静かに待つことにした。数分後、近藤くんは静かに話し始めた。


「宇宙船が近づいていることは確実です。信号が送られてきたらしいので。でも、僕は……それが攻撃してくることはないと思っています。送られてきた信号は、英語でも全く知らない暗号とかでもなく、日本語だったそうです。「ソチラヘト ムカウ」。ただそれだけです。それだけで侵略してくるという判断するのは早いと思うんです。でも、僕がそんなこと言ったて誰も聞いてはくれない。日本語で送られて来たのなら日本人が宇宙船に乗るべきだ。この理屈はよく分かります。でも……!」

 

話にはまだ続きがありそうだったが、近藤くんはそれっきり何も話さず、聞こえてきたのは鼻水をすする音と嗚咽だけだった。

 

「やられる前にやるってことだな。俺は君が薬品を作っていることは知っていたが、それ以外は何も分からん。だから、誰が正しいとかも分からない。俺は、君が宇宙船に乗ることを希望していると聞いたんだが、それはどうなんだ?」

 

晋平はまたしても疑問をぶつけた。彼の意見を聞いてしまうと説得しないといけない立場だという事を忘れてしまいそうだったが、どうしても近藤くんの気持ちが聞きたかった。


「嫌だなんて言えるわけないじゃないですか……断ると僕の守りたい人たちを犠牲にしてしまう。だったら、原因の一つを蒔いてしまった僕が乗り込むしかない……そう考えて出した結論です」


彼は細い右腕で力強く涙を抑え、晋平の方を真っすぐと見つめた。

稲妻のような衝撃が晋平の身体を駆け巡った。誰かを守るためなら自分を差し出すという結論を、まだ晋平の半分しか生きていない青年は導き出したのだ。家族を守る守ると言いながら、本当は自分自身を守っていたのだと気が付いた晋平は消えてしまいたくなる程恥ずかしく思った。


「……そうか。じゃあ、覚悟は決まっているんだな」


消え入りそうな声で尋ねると、近藤くんは空を見上げて「死にたくねぇ」と呟いた。そりゃそうだ。覚悟なんて出来るわけがない。何聞いてんだよ俺は。と、自分を殴りそうになった時、何かが引っ掛かった。


「死にはしないだろう?」


そう聞くと、近藤くんは泣いてるのかあきれてるのか笑っているのか分からない表情をした。


「神風特攻隊って知ってますよね?敵に体当たりで突っ込んで攻撃するっていう。僕が乗る宇宙船はそれです。僕が作ったのが、爆弾にそれをいれて強い衝撃を加えると宇宙でも爆発が可能になるっていうものです。だから僕がここに帰ってくることはありません」


難しい話を淡々と話した。要約すると、宇宙船に爆発物を積み敵に体当たりをするという事だ。なんということだ。そんな惨いことを民間人の青年にさせるなんて。きっとそれを考えた偉い者たちは安全な場所から成功なんて願っているのだろう。


「……行くな。行ってはいけない」


自然と、何かに操られているかのようにその言葉が口から飛び出した。


「君は若い。まだ沢山の可能性が満ち満ちている。君は頭が良いから優秀な科学者になれるだろう。結婚して優秀な遺伝子も残せる。君には希望や可能性がたくさんあるんだよ……」


「それ……セクハラですよ」


近藤くんは困った顔で晋平の顔を覗き込んでギョッとした。泣いていた。眼から涙が溢れて止まらなかった。悔しい。こんな素晴らしい青年の命を無駄にさせるなんて許さない。エレベーターにも乗れない閉所恐怖症の人間が宇宙空間になんて行ける訳がない。晋平は社長が松谷さんに向けて放った言葉を思い出していた。


「俺が乗る。多分日本人が乗り込むなら誰でも良いはずだ」

「え……?」

「説得は中止だ。俺の気持ちが変わらないうちに早く報告しに行こう」


近藤くんの細い腕を引っ張った。


「待ってください!急にどうしたんですか!?」


振りほどけずに腕をジタバタ動かし近藤くんは抵抗する。フンッ。40代の力をなめるなよ。何も言わずに、晋平はズンズンと歩き出した。


社長室に戻り結果を報告すると、全員がぽかんと口を開ける中、社長だけがニコニコとしていた。


「素晴らしい決断をしましたね。部下を守る上司……なんて美しい師弟関係。坂崎くん、君の家族の事は心配いらないよ。一生面倒を見てあげるからね」


うるさい。お前に面倒を見てやられなくても俺の家族は平気だ。そう言って思いっきり頬を引っ叩いてやろうかと大人げないことを思ったがやめておいた。俺が居ないからといって路頭に迷われると困る。晋平は社長に一礼をした。

その後、渋い顔の男から明日にはアメリカを出発して明後日に宇宙船に乗り込むことなど、数時間に渡って沢山の説明を受けたが、晋平の頭の中は、最近の宇宙船は訓練とかなしでも乗れるんだなという、至って呑気な事を考えていた。

 

「明朝の5時ごろ、ご自宅にお迎えに上がりますので待機しておいてください。荷物は貴重品程度でお願いします。それでは、期待しておりますので」


渋い男は、晋平に向かって深々と頭を下げて出て行った。


「じゃあそういうことで。みんなお疲れ様~」


社長にそう言われ、まだバツの悪い顔をしている松谷さん、晋平、呆気に取られている近藤くんの順番で退出した。


「なんだか、とても長い間会社にいた気がします」


エレベーターに乗りながら近藤くんはボソッと呟いた。


「そういえば、もう密室は平気なのか?」

「ああ、なんかそれどこじゃなくて……」


晋平は心底ホッとした。それだけでも、あの一件を承諾した意味があると思えたのだ。


「坂崎くんはよく決心したと思うよ。本当は二人の上司である私が解決しなくてはいけなかったのに……腑抜けな自分を恥ずかしく思う」


首が捥げそうなほど俯いてしまっている松谷さんはさっきからずっと溜息ばかりついている。


「それでは松谷さん、俺の家族をよろしくお願いしますよ。社長だけじゃなんか不安なんで」

 

晋平がそういうと、松谷さんはゆっくり晋平の方を見ると、背筋をのばしてスーツの乱れを直すと、「まかしておけ」と晋平の両手を力強く握った。よかった。いつもの頼りになる松谷さんだ。

エレベーターを降りて会社の外に出ると、屋上にいた時よりも太陽が照りつけており、まだまだ夏真っ盛りだということを伝えていた。


「坂崎さん、僕が言うのもなんですが、絶対に帰ってきてください。ほら、僕が結婚したら承認になってもらわないといけないですし」


近藤くんは照れているのか暑いからなのか、赤くなった顔を晋平に見せないように、でも聞こえるようなハッキリとした声で言った。

 

「え?近藤くん結婚するの?」

 

話がつかめていない松谷さんの素っ頓狂な質問に、近藤くんと晋平は失笑した。

 

「近藤くん、有難う。松谷さん、有難うございます。ちょっくらヒーローみたいなことしてこようと思います」


晋平がふざけて敬礼の真似をすると、ふたりは指先の神経まで伸ばした綺麗な敬礼をして見せた。その対比が面白くて、三人は笑いあった。

 

「そういえば昼ご飯がまだだったな。なんか食べて帰るか?」

「いいですね~近くに美味しいカレー屋があるんですよ。松谷さんの奢りでどうですか?」

 

キャッキャッと女子高生のような盛り上がりを見せる2人を見て、晋平は大学生時代の若かりし頃を思い出して泣きそうになったのをグッと堪えた。


「家族に報告しないといけないので、俺はこれにてドロンします」


晋平はまたおどけて見せた。2人は深刻そうな顔をせずに「家族の前で泣くなよな」と冗談を言いながら笑顔で別れた。

駅まで走り去っていく晋平の後姿を見送る松谷さんと近藤くん。


「ヒーローって、こうやって誕生していくんですね」


と、呟いた近藤くんの茶色い瞳は、太陽よりも熱く輝きながら燃えていた。


坂崎家の父編 完結です。

物語はまだ続きます。

次は姉編。

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